Coolier - 新生・東方創想話

胡蝶と桜

2004/12/30 07:11:04
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気付けば見知らぬ男の枕元に立っている。
安らかな寝顔。規則正しい吐息。部屋には月明かりだけが差し込んでいる。
夢の中で彼は少年だった。村の少年の中でも、足がとびきり早いのが自慢だ。
初夏の風を胸一杯に吸い込めばどこまでも走って行けるような気がした。
地面を鳥の影が横切って行く。見上げる。手を広げる。
丘の上からは村が見えた。それから、緩やかに流れる小川も。
いつしか彼は成長して、青年になっていた。
畑仕事が一段落する秋祭りの頃だったか。隣家の娘を嫁に欲しいと申し出た。
どちらが言い出したということではないが、子供の頃からお互いなんとなくそうなるような気がしていた。
その娘は美しい娘ではなかったが、柔らかな物腰で、声が良かった。
彼が両親に挨拶している後ろで、頬を染めて俯いていた。
初めて抱いた子供は、妻に似ていた。
母の胸から離された赤子は驚くほど大きな声で泣いた。
ちっとも泣き止まぬ我が子を懸命にあやしながら、鼻のところは自分に似ているな、と思った。
まるで幻灯のように、彼の体験は次々と目の前に、つい今しがたのことのように鮮やかに展開された。
人の生きることはなんて尊くて愛しいのだろう。

「そう思ったら目が醒めたわ。不思議な夢でしょう?」
西行寺家当主はそれを聞くなり、それは誰にも言わないよう娘に厳命した。
村では昨晩も死者が出たばかりである。
娘が夢で見たと言う男と同じ人物であったか、確認したいとは思わなかった。

西行寺の一人娘は、幼き頃より死霊を引き寄せる力を持っていた。
小さい村では、噂が広まるのも早い。
害がないとはいえ、夜な夜な鬼火のようにぼんやりと光る霊魂が飛び回る様子は気味が悪かった。
迷信深い村人達は、村で一、二の富豪相手に当面は何も言いはしなかったけれど、災厄でも起これば話は違って来るだろう。
娘の身を案じた父親は、屋敷の敷地内に娘を隠す事にした。
屋敷は元より村外れにあったが、その周囲を更に高い塀で覆った。

屋敷の庭は、塀の中にしては広い。それを、一人の老人が世話している。
以前は名高い剣客であったらしい。らしいというのも、彼が働き出したのがもう何代も昔の事になるからだ。
旅人として屋敷に招かれた彼は庭の桜に魅入られ、以来ずっと庭師として働いている。
縁側に立って庭を見ている屋敷の娘に目礼した。
彼女は庭を見るのが好きなようだが、いつも遠くから眺めているだけである。
故に庭を案内したことはおろか、挨拶を交わしたこともない。
庭師は生来口数も少ない方だったし、鋭い眼光は人に親しみを与えるものでないと自覚していた。
少女は庭師に気付いているのかいないのか、どこか遠くを見るような目をしていた。

庭師はその日も朝早く、村の中央を走る道を歩いていた。
屋敷の使用人は皆住み込みで、庭師もそうするよう幾度も誘われていたが、
彼はそれを固辞して、わざわざ村外れに手に入れた自宅から遠い道のりを通っている。
今日は見事な晴れ模様で、空は青く澄み渡り、気持ちが良かった。
蝶が一羽、羽を動かして飛んでいる。
なんとなくのどかな気持ちになって、歩きながらそれを眺めた。
一軒の民家の引き戸が開かれ、朝食の支度だろうか、女性が鍋を抱えて外へと出てくる。
だが、女は蝶に気付くと顔色を変えた。
悲鳴が上がる。女は半狂乱になって手を振り回した。
蝶は叩き落とされ、美しい羽は無残に千切れて地面に散っていた。
「一体」
何事だ。肩で息をする女性は、老人に声をかけられ戸惑ったように首を振った。
「蝶は人を殺します」
「馬鹿な」
庭師は眉を寄せた。蝶は花に止まるが、人を殺すような毒など持っていないではないか。
「村中で噂になっています」
女は相手を西行寺で働く庭師と認めて一度言葉を切ったが、促されると声を顰めて語った。
「西行寺の嬢が操る蝶が来ると、眠ったまま死に誘われてしまうと」
そして、彼女は夫を亡くした知り合いの女性に聞いたという話をぽつりぽつりと語った。

ふと夜中に目を醒ますと、部屋にはどこから入り込んだものか一羽の蝶が舞っていた。
薄暗い部屋の中で、白い蝶は青白く輝くようにも見えた。
傍らに眠る夫は、幸せそうな笑みを浮かべていた。だが、その顔も青白かった。
その様に不安になり、様子を確かめると、夫は既に息絶えていた。
女は驚き、人を呼ぼうと戸口を開け放ち転がり出た。
その背後から、蝶はゆっくり外へと飛びたつ。
ひらり、ひらり
月夜に舞う蝶は酷く儚く美しかった。そして、全てが現実に起きている出来事とは思われなかった。
これは確かに悪夢なのだ。
立ち尽くす女の目の前を横切って、蝶は屋敷の方角へ消えたという。
自分が直接聞いたのはこれだけだが、他にも身内を亡くした人間が蝶を見たという話は尽きないらしい。

「そうか」
庭師の報告を受けて、西行寺家当主は嘆息した。
報告を受けるのはこれが初めてではないはずだ。
もう少なくない数の人間が、眠ったまま亡くなっている。
「だが、娘によるものと確証があるわけでもなかろうよ」
屋敷の主は弱々しく首を振った。心労が彼を目に見えて衰えさせていた。
「そうは言え、何もなさらぬわけには参りますまい」
「生まれつきああいう力があるために、これまでも不自由な暮らしを強いてきた。
これ以上あの子にどうしろと言うんだ」
御舘様に出来ぬなら、自分が。
それを口に出す事は出来なかった。
目の前にいる人物は我が子可愛さに道を誤っているかも知れないが、善良であった。
故に苦しんでいた。自分にはそれを断罪する権利などない。
立ち上がると、西行寺家当主が小さくなったように感じられた。
この男と自分の顔は全く似てはいないが、苦渋の表情だけは鏡に映したように同じなのだろう。
立ち上がると、振り向かずに廊下に出た。襖は後ろ手に閉めた。
廊下を歩いて行くと、そこにはたった今話題に上っていた人物が立っていた。
いつものように目礼だけしてすれ違った。

夜が更けると、家の戸締まりをして出発した。
最近では昼でも村には活気がない。
夜ともなれば尚の事、全ての家は固く戸を閉ざし息をひそめている。
虫の声を聞きながら、いつもの道を通り過ぎた。
門をくぐると、そのまま玄関ではなく庭の方へと向かう。
庭を飛び交う蛍のような小さな光。その一つ一つは全て、死んだ人間の魂だ。
この無数の命はたった一人の娘に魅かれてこの場から離れられず、成仏できないでいるのだ。
生い茂る木々を避けて家屋に近づいて行く。鬼火の数も次第に増して行く。
縁台に腰掛け、揃えた両の素足を時折ゆらゆらと揺らす小さな姿が見えた。
庭師の老人の姿をみとめると、少女は庭に下り立った。
「お履き物を」
庭師は厳しい顔で歩み寄った。白い足は柔らかい下草、小石にも簡単に傷ついてしまいそうに見えたのだ。
「平気」
微笑むとそのまま少女は庭の奥へと歩いて行く。老人は静かに従った。
その樹は庭の中でも格別に古く、大きかった。
見るものを死に誘うほど美しいとされる桜も、花を付けぬ今は妖力を見せず、ただの大木に見える。
「妖忌は剣の達人だって聞いたわ」
振り向かないまま、尋ねた。
「私が頼めば、貴方は私を斬ってくれる?」
「今宵、嬢を斬りに参りました」
振り向くと、庭師は片手に大振りの剣を握っていた。
少女は軽く目を見開いたが、すぐに諦めたように目を伏せた。
未だ、微笑んでいる。
並みの人間には扱う事の出来ない大剣は、だが一振りでぱちんと鞘に納まった。
「どうして」
すがるような目を、まっすぐに見返した。目を逸らす訳にはいかなかった。
「質問にお答えしていなかった。返事は否です」
肩できれいに揃えられた髪が、弱々しく幾度も揺れた。
「私が皆を殺したのに」
ぎゅうと握り締めたこぶしも、小さい肩も、ぶるぶると震えた。
力が入りすぎて血を流すのではないかと思われた。だが、泣いてはいない。
「人は生きるために物を食う。そのために死ぬ人間などおりません」
自分でもはっきりとわかるほどの詭弁だった。だが、それでも良かった。
目の前の娘のために笑みを作ってやろうとしたが、あいにくやり方がわからなかった。
それで、結局いつものように眉間に皺を作ったまま、真面目くさって言った。
「人はその時が来るまで死なないものです」

次の日もよく晴れた。
庭木は良く手入れされているが、庭師は仕事を休まない。
少女はおずおずと声をかけた。
庭師はその日、初めて庭を案内した。
「手をかけただけ良く育ちます」
少女は庭師の説明する事を、一言も聞き漏らさないように真剣に肯いていた。
それからも穏やかに日は過ぎた。
二人は時折言葉を交わした。

「皆を思うのと同じくらい、自分が愛しいと思えるようになったわ」
その時が近いのだと、庭師は思った。
決断するのは苦しかった。
達人と呼ばれた腕でも、自らの迷いを断ち斬る事ができなかった。

その日はいつもより早く暇を乞い、自宅へ戻っていた。
明かりも点けず、部屋の中央で座禅を組む。
少女が他人のためではなく、自分のために死を選ぶならば、出来る事は一つしかない。
迷っている自分に気付いていた。自嘲。このような自分に、何ができる。
虫の声がいつしか止んで、気付けばそれは不吉な前触れに思えた。
愛刀を掴むや否や駆け出した。戸を開け放つと暗闇に慣れた目が眩んだ。
表は夜だと言うのに明け方のように明るかった。
蝶が、無数の光る蝶が空を埋め尽くしている。
西行寺の屋敷に向かって集まって行く。同じ方角を目指して、庭師も走った。
胸が騒いで、止む事がなかった。家々も何かに怯えるかのように、静まっていた。
飛び込んだ屋敷の中は、音一つない。
使用人たちは自らの持ち場でそのまま床に倒れ伏していた。
屋敷中どこを探しても動くものはない。西行寺は屋敷ごと永遠の眠りに就いてしまったに違いなかった。
全ての音は春霞に封じ込められて、しんしんと積もって行くようだ。
襖を開け放つと、庭の甘ったるい靄は屋敷にどっと流れ込んだ。
このままここで眠りに就けるというのなら、どんなにか幸せな事だろう。
その強い誘惑に抗えたのは、庭師一人だった。
仰ぎ見た空は桜の色をしていた。乱舞する蝶は花吹雪のようだ。
西行妖桜の根元に小さな人影が見えた。
身体の下に血溜りがなければ、やはり眠っているように見えただろう。
穏やかな表情をしていた。それを、長い間眺めていた。

膝をつくと素手で土を掘った。表面の土があまりに硬いので、爪の間から血がにじんだ。
傍らにはいつしか桜の色をした髪の少女がしゃがみこんでいた。
桜色の少女は不思議そうな顔で西行寺の娘の顔を覗き込む。
「何をしているの」
「亡骸は、墓に入れるものです」
庭師は手を休めぬまま答える。
「土の下は寂しいでしょうね」
少女が立ち上がって満開の桜を見上げたので、庭師もそれに倣って顔を上げた。
「桜の下には」
老人の頬は乾いて樹皮のようにひび割れていた。それを、春風が撫でた。
「死体が埋まっています故」
そうして二人で桜の根元に死体を埋めた。

剣の師でもある祖父は、指南に訪れる以外は殆ど姿を見せない。
それが、いきなり迎えに来たと言った時は本当に驚いた。行き先が白玉楼と聞いて、二度驚いた。
「お前は幼いながらも道理に明るい。だから、言うべき事は殆どないだろう」
師はその日も口数少なかった。冥界に行って働くなんて不安でたまらない。
「師匠は、参られぬのですか」
「お嬢様に仕えるには、この顔は苦悩を刻み過ぎている」
言葉の通り、老いた庭師の眉間には深い皺が残ってその表情を険しく見せていた。
あの日から、彼は死人嬢に一度も会ってはいなかった。
全ては、あの日桜の根元に埋めてしまった。だから、会う訳にはいかなかった。
そして、長い長い階段の下で、二人は別れた。
一度振り返ったが、祖父の背中はもう見えなかった。
あんまり長くしないようにしたいといつも思いながらだらだらと書いてます。
ゆゆ様最期話はもう何度も書かれているのでしょうが、書いてしまいました。
悲しくない話にしたかったのですが、さっぱりできたでしょうか。
甘党
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