「逃げる・・・・・・か。まだ、自分が不死になった事に慣れてないようね。・・・これなら、いける、かな。・・・っと、ちょっと、そこのあんた大丈夫ーっ!?」
妹紅は彼女の飛んで行った方向を眺め小さく呟き、慧音に向けて声を掛けながら降りて来た。
「・・・お前は、一体・・・・・・?」
状況が呑み込めず、慧音が呟く。と、妹紅が慧音の姿を、その異様を認識して静止する。
「・・・っちゃぁ。まさか妖怪だったなんて。・・・助けなくて良いもん助けちゃった」
妹紅の視線が慧音から少し離れた所に横たわる、男の亡骸に向けられた。
「・・・・・・で?ひょっとしたらとは思うけど、それ、あんたの仕業?」
慧音の顔が、妹紅の視線の先へと向けられる。其処に在るのは、先程まで動いていた人間の体・・・・・・もう二度と動かない男の亡骸。
「・・・あ・・・・・・ああ・・・」
妹紅には目もくれずに、ふらふらと男の亡骸に歩み寄り、膝を着く。開かれた瞼をゆっくりと閉じてやり、先程の衝撃で投げ出された足を伸ばし、両手を胸の上で組ませた。そして、自らも瞼を閉じ、男に黙祷を捧げる。閉じられた瞳から涙が一筋、頬を伝わり流れ落ちた。
(・・・一体何なのかしら、こいつは・・・・・・悪い奴じゃあ、ないようだけど・・・)
始めこそ慧音の行動を芝居かと疑った妹紅だったが、その真摯なまでの態度に考えを改めていた。
(・・・とはいえ、こうしていてもしょうがないし、話だけでも聞いてみるか・・・)
未だ、黙祷を捧げている慧音に声を掛ける。
「取り込み中悪いんだけど、ちょっと良いかしら?」
慧音は妹紅のことを忘れていたらしく、妹紅を見つめて暫く呆としていたが、やがて、気が付いたように慌てて目元を拭うと、口を開いた。
「・・・な、なんだ?・・・そういえば、先程の礼がまだだったな。お前が何者かは知らないが、助かった。礼を言う」
慧音のそんな行動を、妖怪なのに随分純粋だなー、などと感じ好感を持つ。が、そんな態度は微塵も出さずに尋ねる。
「・・・“あれ”との間に何があったか、話してもらえるかしら?」
妹紅の言葉に慧音の表情に影が差す。暫く俯いて地面を見つめていたが、やがて、ぽつり、ぽつりと話し始めた。
自分が里の守り手である事、先程の妖怪が新月の晩毎に里を襲うようになった事を掻い摘んで話し、先刻の話に移る。
「・・・・・・今日の夜に限って、あいつは何故か満月の晩に来たんだ」
・・・妹紅の表情に翳りが差す。
「・・・・・・此の人が、目の前で殺されるのを、私には止められなかったっ!!」
自らへの憤りと妖怪への怒りに、慧音の拳が強く握られ皮膚が裂ける。指の隙間から血が流れ落ちた。妹紅は思わず顔を背け、小さく呟いた。
「・・・・・・ごめん」
「・・・?何を謝る?お前は何も悪くない」
驚き、否定する慧音の言葉に、ゆっくりと首を横に振り、妹紅も話し始めた。・・・自分が不死である事、そして、あの妖怪が不死になった原因が自分にある事を。
慧音は黙って話を聞いていたが、妹紅が話を終え口を閉ざしたのを見て、ゆっくりと口を開いた。
「・・・成る程な、話は分かった。・・・だがな、それでも私はお前が悪いとは思わない」
「・・・・・・でもっ!」
「もう、いい。何も言うな。・・・・・・お前も不死になってから大事な人間の死を幾度も見てきたんだろう?・・・私も同じだ。・・・それがどれ程辛いのかは分かっている。だからこれ以上、無用なものを背負い込むな」
妹紅に向けて微笑む。だが、妹紅は頷かず、更に言葉を続けた。
「で?代わりにあんたが背負うって訳?私にだって責任があるのに?・・・そんなの、ごめんだわ。自分でした事の責任ぐらい、自分で取る。その上で、ちゃんと背負っていく・・・・・・・・・にしても、本当に良い奴ね、あんたって。・・・妖怪なのに」
途端、慧音の表情が不機嫌になる。
「・・・なっ!?・・・確かに今はこんな姿をしているが、私は半獣。満月でなければ人間だ!」
「そ、そうなの?・・・・・・あー、ごめん」
突然の慧音の豹変振りに、思わず狼狽し謝る。
「全く、よりにもよって妖怪などと・・・・・・・・・で?お前はこれからどうするんだ?」
余程、妖怪と言われたのが不服だったのか、まだ少し不機嫌そうに、慧音が尋ねた。質問の内容に、妹紅の表情が真剣なものへと変わる。
「私は・・・“あれ”を追いかける。今夜中に片を付けないと・・・」
自然、慧音の表情も真剣なものへと変わる。
「・・・勝てる、のか?・・・・・・あいつに」
「正直、難しい・・・・・・勝率三割弱って所かしら。・・・でも、今夜中に何とかしないと・・・・・・もう、多分止められなくなる」
二人揃って難しい顔になる。
「相手は不死だろう?何か策はあるのか?」
「・・・私も不死よ。それなりの手はあるわ」
「・・・そうか」
慧音は暫く考え込んでいたが、やがて顔を上げて、ぽつりと言った。
「なぁ、私も連れて行ってくれないか?」
「はぁ!?何言ってるか分かってんの!?そりゃ、“あれ”を許せないのは分かるけど・・・あんた、今、力殆ど残ってないんでしょう?・・・・・・正直、足手まといだわ」
「確かにな。・・・だが、先程の傷も塞がったし、この身は殆ど無傷だ。いざとなったら、お前の盾ぐらいにはなれるさ」
「・・・いいの?本当に?いざとなったら、私、あんた盾にするよ?」
念を押す。が、躊躇い無く慧音は頷いた。
「勿論、それであいつをどうにか出来るんなら本望だ」
妹紅は気乗りしない様子だったが、慧音の意志が固いのを見て取ると、やがて諦めたように呟いた。
「・・・・・・はぁ。分かった。好きにして」
「あぁ、そうさせてもらう」
二人揃って、彼女の去った方向へ視線を向ける。・・・彼女の妖気はまだ残っている。これを辿っていけば、彼女を探し出すのは難しく無い。
妹紅の体が宙に浮き、飛び立つ。慧音も続こうとして、ふと、立ち止まり、視線を後ろへと向ける。
「すまないが少し待っていてくれ。戻ってきたら必ず里に連れて帰り、弔う。・・・・・・もし、弔えなくなったら、・・・その時はそっちで会おう」
慧音は男の亡骸に向けて呟くと、妹紅の飛び去った方向へと向き直る。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・私も、貴方たちの事が好きだ」
背後に一言投げ掛けて、地を蹴った。
* * *
痛む肩を押さえて、彼女は無我夢中で夜空を翔けていた。だが、暫くそうして飛び続けていても、背後から何者かが追ってくる気配は無い。そこに至って漸く、彼女の中に思考するだけの余裕が生まれた。
(・・・何故、追って来ない?・・・・・・いや、そもそも何故、私は逃げている?)
自分の迂闊さに気付き、その場に静止する。
(全く、不死になっていながら、この醜態。・・・情けない)
小さく舌打ちをして、来た方向へと向き直る。・・・迫ってくる気配は、やはり無い。
押さえている肩の痛みに、顔を歪ませる。
(・・・この痛みさえなければ、こんな無様な真似はせずに済んだものを・・・・・・全く、不死というのも思っていたほど便利ではないのだな・・・・・・さて、これからどうするか・・・・・・)
その場に佇み、黙考する。が、痛みが邪魔をして上手く考えがまとまらない。
(・・・ちっ!忌々しい!)
彼女の中で苛立ちが募る。と、遥か後方から、彼女に向けて近寄ってくる者の気配を感じた。同時に彼女の中に一つの案が浮かび上がる。
(・・・私は、不死だ。ならば不完全な体など捨てて、新しい体に変えれば良い・・・・・・どうせ捨てるのなら、折角追いかけてきたあいつらを歓迎するのに使ってやるか・・・)
「・・・・・・・・・・・・ふふっ」
自身の名案に、思わず口から笑みが零れる。同時に、彼女の体が砂のように崩れ始めた。瞬く間に彼女の全身が崩れ、闇へと溶けていく。彼女を吸収した闇は、一層濃さを増し、周囲の空間を侵食して広がっていった。
* * *
先行していた妹紅の動きが、突然止まる。
「どうし・・・・・・」
言いかけて慧音も異変を察知し、その場に静止した。
二人の向かっていた先、その方向から闇が迫ってきている。
「・・・どうやら、あちらさん、随分と派手なもん仕掛けてきたようね」
「・・・これが、奴の本当の力、か。・・・なんと大きく、冥い。・・・・・・本当にこんなものを相手にして勝てると思うのか?」
「いったでしょ?勝算は少ない、って・・・・・・それに私だって、まだあんたの前で全力出してないんだから、そう簡単に判断しないでくれる?」
軽い口調で答えるが、その表情は緊張のため強張っている。
・・・話している間にも、闇は凄まじい速度で迫り、木々を、そして、夜空をも漆黒に塗り潰してゆく。・・・逃げようと思えば、逃げられた。だが、二人とも一歩として退く様子は見せず、その場に立ち止まり、闇を待ち受ける。
・・・共に分かっていた。例え今、逃げ延びたところで最悪の事態を受け入れるだけなのだ、と。だから、決して退かない。どれ程強大な力を見せ付けられようとも。
そして・・・・・・闇が二人を、呑み込んだ。
* * *
「・・・てっきり、何かやってくるかと思ったけど、とりあえず何も無いみたいね・・・っと、そっちは平気ーっ!?」
暗闇の中、何処に居るか分からない慧音に、声を張り上げて呼びかける。
「・・・そんなに大声を上げなくても聞こえる。私は大丈夫だ。・・・ふむ、そっちも見た所、異常は無いようだな」
真横から聞こえてきた声に、一瞬驚きながらも、その台詞に疑問を感じて問いかける。
「・・・ってあんた、この闇の中で目が見えるの?」
「ああ。・・・闇と言っても、完全に光を遮断する訳ではないらしい。微かにだが、お前の纏う霊気が光を放って、お前を照らしている。・・・直に、目が慣れれば、お前にも私の姿が見えるようになるだろう」
それから暫くして、慧音の言葉通り妹紅の目にも、うっすらとした光を纏う慧音の姿が見えるようになった。普段ならば決して見ることの出来ないであろうその光は、慧音の体を青く照らし出している。ふと、思いついて自らの腕を見てみる。・・・紅い光が妹紅の腕を照らし出していた。どうやら、霊気の色というのは、纏う者によって変わるものらしい。・・・・・・もしかしたらそれは、魂の色なのかもしれない。
「・・・ふふ・・・ふふふっ・・・・・・あははははっ!」
突然、その幻想的な光景には余りに不釣合いな笑い声が響き渡った。二人は顔に緊張の色を灯し、声のした方向へと目を向ける。
・・・・・・闇の中、光に包まれて、女の姿が浮かび上がっていた。彼女を取り巻く光は、闇の中にあって唯一明確な光源でありながら、決して温もりなどは感じさせず、寧ろ冷たい雰囲気を持ち、禍々しさに満ちている。光に包まれた彼女が、慧音と妹紅を見て嘲笑うように話しかけた。
「・・・ふふ・・・馬鹿な奴らだ。追い掛けなどせず、大人しく逃げていれば少しは長生きできたものを・・・・・・いや、片方は不死だったな。なんだ?また私に喰われに来たのか?・・・ふふふっ」
「冗談。誰があんたなんかに二度も喰われてやるもんですか」
「ふふ・・・では、何をしに来た?・・・・・・まさか、私を止めに来たとでも言うつもりか?・・・・・・ふ、流石にそれは有り得ないか。それが不可能だという事は、誰よりも人間。お前が一番良く知っている筈だものねぇ」
「あら、そのまさか、よ。・・・・・・何事もやってみなけりゃ分からないじゃない?・・・・・・そういえば、腕生えてるじゃない。何?痛みに耐え切れなくて、体ごと捨てちゃったの?」
妹紅が笑いながら、言う。
圧倒的な不利な状態にありながら、尚、余裕を失わない妹紅も、怯まずに睨み続けてくる慧音も彼女には気に入らなかった。例えそれが、不安や恐怖を心の内に押し隠して、表面に張り付かせただけの強さであったとしても、だ。
不死となった彼女と戦う事が、どれ程愚かな事なのか、目の前の二人にも分かっている筈なのだ。・・・にも、関わらず二人は立ち向かってくる。彼女にはその行動が理解できない。
そして、理解できないからこそ、不安になる。自分が知らないだけで、今の“不死”の状態にも欠陥があるのではないか、と。・・・軽く頭を振り湧き上がった不安を消す。
「・・・何故、お前達はこの闇を、私を恐れない・・・・・・今まで無数の人間がこの闇の中で死んだというのに」
思わず彼女の口から疑念の言葉が漏れた。
「あまり、嘗めないで欲しいわね。こっちはとっくに腹括ってんのよ。今更、こんなもんで動揺するとでも思ってたの?・・・・・・それに、随分大層なこと言ってる割に、それ程のもんでもないじゃない。外からの光を遮断したところで、私たちの内側から滲む光までは、隠せなかったようね」
妹紅が内心の不安など、微塵も感じさせずに言い放った。だが、その言葉を聞き彼女の口端に笑みが浮かぶ。
「ふふ、そうか、そういうことか。・・・・・・全く、お前達は本当に目出度い奴らだ。遥か昔、火を使うようになった程度で、闇を征した気でいるかと思えば、今は魂の光などに頼って強気になる・・・・・・・・・・・・いいだろう。一片の光さえも存在しない完全な闇というものを教えてやる」
言って彼女が、懐から一枚の札を取り出した。
「・・・人間が太古の昔より恐れてきた真の闇の恐怖を知るがいい・・・・・・・・・・・・闇符“ディマーケイション”」
札が闇の中へと溶け、消える。同時に、彼女を照らしていた光も、慧音と妹紅を覆っていた微かな光さえも、闇に呑まれて消えた。
・
・
・
一筋の光さえ射さない闇の中、妹紅が口を開く。
「・・・この闇、随分嫌な感じね・・・・・・っと」
言いながら、何かが接近してくるのを感じ、身を捻る。掠めていく何かの感覚が服越しに伝わり、自分の勘が当っていたことに満足する。
「・・・ああ。重くまとわりついてくるような・・・・・・っ」
答えながら、慧音も勘を頼りに飛来してきた何かを躱わした。先程から何度もこうして攻撃を躱わし続けてはいるが、光が一切存在しない闇の中、その行為は著しく精神力を消耗させる。
「・・・・・・っ!」
続いて飛来してきた何かに腕を浅く切られ、痛みに慧音が小さく声を上げる。傷は掠り傷程度のものだったが、慧音の表情には疲労が色濃く出ていた。
慧音の声に気付き、妹紅が声を掛ける。
「ちょっと!大丈夫!?」
「ああ。ただの掠り傷だ問題ない」
「そう?なら良いけど・・・・・・それにしても、このままじゃ埒が明かないわね・・・この闇を何とか・・・・・・っ!?」
言葉の途中で悪寒を感じ、妹紅の声が途切れる。
ザワリ・・・・・・
・・・闇が一斉に動き始めた。今迄は、見えないながらも数が少ないからこそ避け切れたのだ。だが、迫ってくる気配は今迄の比ではない。
妹紅の掌に汗が滲む。
「・・・どうした?」
問いかける慧音の声に、気付いている様子は無い。・・・気配は間近まで迫っている。自然と妹紅の体が動き、慧音の腕を探り当て、その体を引き寄せ包み込む。
「なっ!?いきなり何をす・・・・・・っ!?」
突然、慧音を抱きしめた妹紅に言いかけて、漸く慧音も周囲を取り巻く気配に気付いた。直後、
「・・・っ!くうぅぅっっっ!!」
妹紅の口から苦痛に耐える声が漏れる。僅かな間を置いて慧音の顔に生温い液体が降りかかり、鉄錆の匂いが鼻を刺激した。
「なっ!?馬鹿な!何をしている!?」
妹紅が取った行動の意味に気付き、慧音が声を上げる。
「・・・ぅぅ・・・・・・別に・・・私は不死身で、あんたは違う・・・・・・それだけ・・・よ・・・・・・・・・つっ!」
一身に攻撃を受けながら答える妹紅に、慧音の中で自らに対する憤りが生じる。慧音は自らの身を盾とするつもりで付いて来て、妹紅もそれを承知した筈だった。・・・なのに、これでは、まるで立場が逆だ。
「ふざけるな!不死身だから、だと!?・・・だからと言って痛みまで無くなる訳ではあるまいに・・・先刻言った筈だぞっ、私を盾として使え、と!」
「・・・つぅ・・・・・・うるさいなぁ・・・私が本当にそんな酷い事、出来るように・・・見える?」
妹紅が軽口を叩くが、その声に普段の余裕の色は無い。
「ああ、見える!・・・だから、早く私を・・・・・・!」
必死に叫ぶが、抱きしめる腕の力が弱まる気配は無い。と、闇の中、嘲笑う様な声が響き渡った。
『ふふ・・・全く、その半獣の言う通りではないか、人間。そいつを盾にすれば、お前だけは傷つかずに済むかも知れないというのに・・・・・・何故、会って間もない半獣如きの為にそこまでする?』
「・・・・・・確かにこいつとは会ったばかりよ。でもね、そんな僅かな間だけど、こいつが馬鹿みたいなお人好しだって事はよく分かったわ・・・・・・・・・永遠ではないにしろ、やっと見つけた同じ時間を過ごせるかもしれない相手を、そう簡単に失ってたまるもんですかっ!」
妹紅の口から、思わず本音が漏れる。
「・・・・・・とはいえ、このままっていう訳にもいかないわね」
言って妹紅が闇の中、手探りで札を取り出し、力を込めた。・・・目には見えないが力が放たれたのを感じ、効果を待つ。
ドンッ・・・・・・!
やがて、闇の中大きな破裂音が響き渡った。が、闇が薄れる気配は無い。
『ふふ・・・大した威力だ・・・だが・・・私の闇を払うには力が足りなかったようだな・・・はははっ・・・・・・!』
再び彼女の声が響く。だが、妹紅は一向に動じず、それどころか口端に笑みを浮かべて呟いた。
「・・・・・・まだよ」
ドドドドドンッ!!!!!
妹紅の声を遮るように、連続した破裂音が響き渡る。音が鳴り止み、静寂の戻った暗闇に一筋の光が射し込んだ。同時に、慧音と妹紅を取り巻いていた闇が、薄らいでいき、二人の視界が戻る。
慧音の瞳に、全身傷ついた妹紅の姿が映った。思わず、声が漏れる。
「・・・全く、お前は馬鹿だ。・・・私などの為に、こんな・・・・・・」
「馬鹿で結構・・・・・・・・・あんたが無事なら、それで十分よ。・・・それに、今はそんなこと気にするより、しなきゃいけない事が有るでしょう?」
晴れた視界の中、妹紅が彼女の姿を真っ直ぐに見つめ口を開く。
「さて、闇も晴らしたし、この満月の夜、あんたも手が尽きたんじゃないかしら?・・・・・・そろそろ、観念しなさい」
「・・・ふっ、本当に目出度い奴らだ。・・・・・・確かに、私の能力が真価を発揮するのは新月の夜。だが、だからといって私に月の力を扱う術が無いとでも思ったか?・・・残念だったな。私の使う力の中には、月が満ちていれば満ちているほど、効果を発揮するものもある・・・・・・・・・あの闇を払ったのは大したものだが、いい加減目障りだ。・・・消えろ」
言った彼女の顔から笑みが消える。同時に彼女の頭上に闇が集まり、闇色のレンズを成す。
「・・・・・・集え、月の光よ」
満月の光が彼女に向けて集束し、直線となって降り注ぐ。光は、レンズを通して屈折、黒へと変色し、妹紅に向けて直進する。
咄嗟に躱わそうとした妹紅の足を、何かが掴んだ。
「!?」
視線を足元に向ける。見れば、先程払った闇の残骸が纏わりつき、枷となっていた。掌を闇に向け、力を放つ。それだけで闇は消滅する。
一連の動作に掛かったのは、ほんの僅かな時間。・・・だが、その僅かな時間が致命的なまでの遅れとなった。傷ついた妹紅には躱わしようが無いほどに、光が近付いていた。
そして少女の姿が、黒光に呑まれ、消えた。
「ーーーーーーーーーっ!!」
少女の声にならない悲鳴が、光の内側から漏れる。妹紅は光を呆然と眺めながら、その声を聞いていた。
・・・あの瞬間、光が妹紅を呑み込む寸前、慧音が妹紅を突き飛ばし代わりに光に呑まれた。
「・・・ば・・・か・・・・・・何やってんのよ・・・・・・不死でもないのに・・・」
妹紅の口から言葉が漏れる。やがて光は薄らぎ、中から傷ついた慧音の姿が現れた。力の本流から解放された慧音の体が、力無くその場にくず折れる。
「っ!!」
慧音の体が地に付くより早く、妹紅がその体を支える。意識を失っていなかったらしく、うっすらと開かれた瞳に妹紅を映して、満足したように慧音が微笑んだ。満身創痍となりながらも口を開く。
「・・・はは。お互いボロボロだな」
「ーっ!っの馬鹿!!何だってこんな真似したのよ!?」
「・・・言った筈だ。お前の盾になる、と・・・・・・」
「だからって、不死でもないのにこんな・・・・・・」
「不死だからといって、痛みを感じない訳でも無いではないか・・・・・・それに先程は傷つくお前に守られるばかりで、何もしてやれなかった。・・・だから気にするな」
「・・・気にするなって、そんなの無理に決まってるじゃない・・・」
「・・・それに、私は半獣。この程度の傷では死なん。・・・・・・だが、流石に限界のようだ・・・少し、休む。・・・後は、任せたぞ」
言った慧音の瞳が閉じられる。
「っ!!」
慌てて慧音の鼓動を確かめる。鼓動は正常、それに呼吸もしている・・・・・・どうやら慧音の言うとおり命に別条は無いようだった。それを確認して、穏やかに呼吸を繰り返す慧音を木陰に横たえる。
「・・・お疲れ様。後は私に任せて、あんたはゆっくり休んでて」
横たわる慧音に呟き、妹紅が彼女へと向き直る。
・・・彼女は苛立っていた。目の前の光景は在ってはならないものだ。本来ならば二人とも彼女に追いついた時点で闇に呑まれ、一人は絶望、もう一人は死んでいる筈だった。だが、闇は払われた。目の前に佇む人間の手によって・・・。
ギリッ・・・
圧迫され、彼女の歯が軋みを上げる。
先程の攻撃にしても、そうだ。彼女は二人とも纏めて消滅させるつもりで、攻撃を放った。実際、満月の夜ならばそれだけの威力を発揮する筈だったのだ。だが、満身創痍となりながらも半獣にはまだ息があるし、人間に至っては新たな傷を一つも負わせる事が出来なかった。・・・彼女の中で苛立ちが更に募ってゆく。
「・・・もういい・・・・・・お前達は目障りだ・・・・・・何時までも私の前に居るな・・・・・・・・・・・・キエロ」
妹紅を睨みながら鋭く吐き捨て、彼女が両手を掲げる。同時に彼女の頭上に闇が集ってゆく。何の細工も無い、自らの妖力に任せて闇を集め、それを圧縮し纏め上げる、それだけの技。だが、彼女にとっての原点とも言えるその闇は、それまでのどれよりも深く、冥い。・・・物理的な闇、そして、心理的な闇、全ての闇の具現とも言えるその闇ならば、恐らく幻想郷を永遠に闇に閉ざす事も可能であろう。
その光景を見ても、妹紅は動じない。懐から複数の札を取り出し、頭上に掲げる。妹紅の手の中で、掲げられた札が次々に炎に包まれてゆく。札が灰と化す度に、妹紅の周囲に火球が一つ、また一つと生じる。生じた火球は火の鳥を象り、妹紅の頭上へと集う。そして、集った火の鳥は妹紅の頭上で融合し、一羽の鳳凰と化した。放つ熱量の大きさに、鳳凰の体は赤を通り越して白く輝いている。
「・・・行け」
妹紅の声を受け、鳳凰が彼女に向けて舞い飛んだ。
・・・迫る鳳凰の放つ熱気、そして並外れた霊気が彼女の肌を刺激する。・・・だが、それでも、その力は彼女の頭上に集った闇には及ばない。勝利を確信し、彼女の表情に微かに余裕が戻る。鳳凰に向けてゆっくりとその手を、闇を振り下ろす。そして・・・
ガクンッ・・・・・・
彼女の膝が崩れ落ちた。同時に制御を失った闇が虚空へと散ってゆく。
「・・・・・・え?」
何が起きたか分からず、彼女が間の抜けた声を上げる。
「・・・・・・あ」
顔を上げた彼女の目の前に、白い鳳凰が、いた。
「・・・不死とはいえ、力まで底無しに成る訳じゃない。それに、復活するのだって相当に力を消耗する。あんたは不死に成った事に浮かれていて、自分の限界を見誤った・・・・・・残念だったわね、あの時あんたがあっさり体を捨ててなけりゃ、逆の結果になったかもしれないのに・・・・・・」
白い炎を見つめて妹紅が呟いた言葉は、もう彼女には届かない。
* * *
薄く開かれた、未だ焦点の定まらない瞳で、横たわる彼女を見下ろす何者かの存在を認める。全身を襲う鈍い痛みに顔をしかめながらも、彼女は自分が生きている事に満足して微笑んだ。漸く焦点の定まった瞳で、自分を見下ろす人物を見つめ、声を掛ける。
「・・・それで?これからどうするつもり?・・・・・・まさか、このまま永遠に私を殺し続けるとでも?」
「・・・それも悪くないけど、生憎そんなに酔狂じゃないわ」
横たわる彼女を見つめ、妹紅が答える。それを聞き彼女の笑みが更に深くなる。
「・・・それでは、結局何も変わらないではないか。何の意味も無く、お前達はあれ程傷ついていたというのか・・・これは傑作だ!はは、はははははっ!!」
彼女が声を上げて笑った。だが、妹紅はそんな彼女を気にも留めず、静かに口を開いた。
「・・・・・・あんたの力を封じる」
言って、一枚の真っ白な札を取り出した。
「ははは・・・・・・・・・・・・・・は?」
彼女の笑みが止まる。
「・・・私が死なない限り解けない封印を使って」
妹紅が掌に新たな傷をつけ、そこから流れた真新しい血を札に吸わせる。・・・純白の札が、血を吸って紅に染まってゆく。
「・・・な・・・ん・・・・・だと・・・?」
妹紅が死なない限り解けない封印、それはつまり・・・・・・
「・・・あんたはこの先、力も、記憶も、その姿も失って永遠に生きていくのよ」
純白の札が、血を吸って紅に染まってゆく。
「ふざ・・・けるなっ!」
言って抵抗しようとするが、依然として体は重く、指先一つ満足に動かせない。
「・・・でも安心して。手を加えて、眠りに付く度に起きていた時の記憶を消すようにしてあげるわ。・・・自分が永遠である事に気付かなければ、その苦しみを味わう事も無いでしょう?」
札は既に真紅。真紅の札が妹紅の手から離れた。
「・・・やめろっ!やめろーーーーーっ!!!!」
制止の声も空しく、札は二三宙を舞うと、まるで其処が定められた場所であるかのように、彼女の髪に辿り着き、そのまま巻きついた。
「ーーーーーーーーーーっ!!!!!」
力を吸い取られる感覚に、彼女の口から声にならない悲鳴が洩れる。単純に力を吸い取られるのとは違う、力を溜める器そのものを奪われるような感覚。続いて彼女の中から、記憶が壊される。長い年月に渡って彼女が眺めてきた光景が、現れては消えていく。やがて彼女は自分が何者なのかも忘れて、唯一つ自らの名前の一部だけを胸に、意識を闇に閉ざした。
・・・後に残されたのは、決して長くない髪に、赤いリボンを巻いている幼い少女の姿。・・・リボンの両端は元の純白に戻っている。それは、封印がその役目を果たした事を意味していた。
妹紅は妖怪を一瞥すると、その場を後にした。
・
・
・
すぐ近くに人の気配を感じ、慧音は目を覚ました。途端、全身に痛みが走り、顔を歪める。だが、それでも痛みを堪えて、気配の元の人物へと問い掛けた。
「・・・・・・終わったのか?」
「・・・ええ」
慧音の問いに妹紅が短く答える。
「・・・ヤツはどうなった?」
「力を封印したわ。・・・無害とまではいかないけど、それなりの力を持った人間なら撃退できる程度にね。・・・・・・あいつはこの先、自分が不死であることにも気付かず、別の妖怪として生き続ける」
「・・・そうか」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
互いに沈黙する。
「・・・立てる?何なら手貸すわよ・・・・・・っと、そういえばまだお互いに名乗ってもいなかったわね。私は、妹紅。藤原 妹紅よ、よろしくね」
沈黙を破って妹紅が口を開き、慧音に向けて手を伸ばした。
「・・・上白沢 慧音だ。こちらこそよろしく頼む」
言って、妹紅の手を取る。同時に掌を通して妹紅の体温が伝わってきた。そして、慧音は気付いた。自分は、この温もりを守るために戦っていたのだ、と。・・・伝わる温もりが嬉しくて、同時に失われた温もりが悲しくて、慧音の瞳から涙が零れ落ちた。
突然泣き始めた慧音に、暫し妹紅は当惑していたが、やがて、ふぅ、と小さく息を吐くと、後は無言で慧音の体を抱きしめた。
「・・・う・・・あ・・・・・・うあぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
漸く見つけた安堵の場で、慧音は里を守るようになってから初めて、人前で声を上げて泣いた。妹紅はそんな慧音を守り、慈しむように強く抱きしめる。・・・・・・朝日が二人を照らし出しても、慧音の嗚咽が止む事はなかった。
* * *
それから、・・・太古の昔より闇を操り、人々を脅かしてきた妖怪がその姿を消してから数百年の時が流れた。
周囲を包む闇に、彼女がうっすらと目を覚ます。はっきりしない頭で、眠りに就く前に何をしていたか思い出そうとする、が何も思い出せない。思い出せないものは仕方が無い。彼女はあっさりと思考を切替える。と、遠くに人影が見えた。・・・自分が空腹であることを認識する。彼女は空腹を満たすため夜空へとその身を投げ出した。先程見かけた人影を見つけ、近付く。やがて紅白の衣装に身を包んだ人間が、なにやら呟いているのが彼女の耳に聞こえてきた。
「・・・・・・でも・・・夜の境内裏はロマンティックね」
「そうなのよね~。お化けも出るし、たまんないわ」
―――To be continued to“東方紅魔郷”
なるほど、紅妹が封印したと考えても良い訳ですね。
面白い切り口、これぞ二次創作の醍醐味ですね。
この話の続きで、封印が解けたルーミアが、過去の自分のやったことを思い出して葛藤するってのも面白いですな。