Coolier - 新生・東方創想話

白紅冥夜~前編~

2004/12/29 07:37:32
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 雲一つ無い夜空を星々が彩っている。様々な星が光を放つ中、そこに月の姿は無い。いや、微かにだが月は出ている。だが、その晩の月はあまりに細く、人の目で認識する事は殆ど不可能となっていた。そんな夜空を一人眺めて、半獣の少女は物憂げに呟いた。

「・・・・・・明日は新月、か・・・」

 重く溜め息をつく。

 少女は――上白沢 慧音は半獣というその身でありながら人間を愛し、人間の住む里を守るため、望んで里の守り手となった。里の人間たちはそんな慧音を守り神と称し、崇めるようになった。慧音にして見ればそんな肩書きなどどうでも良く、ただ人と共に居られるだけで良かったのだが、それで里の人間が安心して暮らせるのなら、と甘んじてその肩書きを受け入れた。

 例えその身が妖怪に傷つけられようとも、それで里の平穏が守られ、人と共に暮らせるのならそれだけで良かった。
 だが、この数箇月、新月の夜が来る度に里を襲う妖怪が現れた。妖怪は慧音が今までに出会った事が無い程に強力で、里の存在を隠していた慧音の能力も役に立たず、新月の度に里の人間が一人ずつ確実に減っていった。
 無論、慧音とてその間何もしていなかった訳ではない。だが妖怪は、里の入り口を守る慧音の相手をしながら、同時に里の人間を襲うという行動を取るのだから、慧音が人間を守りきれないのも無理はなかった。その上、忌々しい事に妖怪は慧音の事を本気で相手にせず、ほんの戯れ程度にしか思っていないようなのだ。その態度が、殺そうと思えばいつでも殺せる、と言っているようで慧音には癪だった。

「・・・くそっ!」

 吐き捨て、拳を強く握る。澄み渡った夜空と裏腹に、慧音の心は重く曇っていた。




 ―――そして、月の無い夜が来た―――

 満天の星がひしめき合う夜空の下、里の入り口へと続く山道に慧音は一人立ち、星の光も届かない漆黒の山道を険しく睨んでいる。無駄と知りつつも、里の歴史は隠しておいた。もしかしたら、という淡い願いを込めて・・・
 里の人間には家の中に火を焚き、火の傍を離れず物陰のある場所に決して入らないよう厳しく言い渡しておいた。これまでの襲撃から、妖怪が影を媒介として人を襲う事が分かっていたからだ。

 ・・・山道に変化はない。このまま来なければいい、と思った。・・・だが、そんな慧音の願いを聞いていて、その上で嘲笑うかのように、闇が、ざわり、と蠢いた。

(・・・・・・来るっ!)

 山道を覆う闇を、尚上回る漆黒の暗闇が山道を侵食し塗り潰してゆく。膨れ上がる妖力に、全身の肌が粟立ち、思わず足が竦みそうになった。だが慧音はそんな自分を叱咤し、まなじりを険しくして闇を睨みつける。
 突如一筋の影が、里を目指して一直線に伸びてきた。

「・・・っ!させるかっ!」

 意識を掌に集中して、影に向けて振り下ろす。だが、慧音が力を放つより早く、真横からの衝撃が慧音を突き飛ばした。

『・・・ふふふ。お前の相手は、私・・・あんな物、放っといて私と遊びましょう・・・?』

 辺りに響く声と同時に、慧音の目前に、闇が集い人型を為した。

「くっ!卑怯なっ、姿を見せろっ!」

 叫ぶと同時に、闇に向けて力を放つ。慧音の放った力の直撃を受け、闇が霧散する。
 ・・・だが、散った闇は一所に集い、再び人型を為した。

『・・・あはは、ははは・・・何でお前如きの前に姿を晒さなきゃいけないのさ・・・そんなに見たければ、自力で私から闇を剥ぎ取ってみなっ!・・・まぁ、お前如きに出来るとは思えないけどねぇ・・・・・・あははははははっ!』
「・・・くそっ!・・・満月の夜なら貴様などっ・・・・・・!」

 悔しそうに歯軋りしながら、闇を睨みつける。・・・目の前の人型が、妖怪の本体でないことは分かっていた。だが、それでも込み上げる怒りを叩きつけるように、人型に向けて光を放たずにはいられなかった。続いて、この周囲に居るのなら、と辺り一面に光を放つ。

『あははっ!あっはははははははっ・・・・・・・!』

 しかし、そんな慧音を嘲笑うかのように哄笑が響き渡る。そして、闇が嬲るかのように慧音を傷つけてゆく。・・・・・・そうしている間にも先程の影は確実に、里へと近づいていった。

                    ・
                    ・
                    ・

 里の中の一軒の家。家の中では男とその妻、そして彼等の娘が肩を寄り添わせ、恐怖に震えながら火を囲んでいた。

「・・・こわいよぉ・・・おとうさん・・・こわいよぉ・・・」
「・・・大丈夫だ・・・守り神様がきっと守ってくださる・・・だから、大丈夫だ・・・」

 男が震える娘の体をしっかりと抱き、宥める。

「・・・まもりがみさまって・・・けいねさまのことでしょう?・・・でも・・・いままでだって・・・いっかいも・・・・・・」
「・・・大丈夫だ・・・大丈夫だ・・・」

 不安そうに尋ねる娘に、男は只、そう呟き続ける事しか出来なかった。

 パチッ・・・

 小さな音を立てて火か爆ぜる。見れば囲炉裏の火は大分小さくなっていた。このままでは火が消えてしまう、と男が薪を取りに席を立つ。男の手が箱の中にある薪に触れた刹那、箱の中の影が瞬く間に広がり、男の姿を飲み込んだ。

「・・・・・・え?」
「・・・お・・・とう・・・さん・・・?」

 何が起きたのか分からず、妻と娘が目の前に広がった闇に向けて呆然と声を出す。しかし、答える声はない。・・・直後、

 ボキッ!・・・グチャッ!

「・・・っぐあああああぁぁぁぁぁぁぁぁっ・・・・・・!!!」

 何かの砕ける音、続いて何か柔らかいものが潰れたような嫌な音と共に、男の絶叫が家の中に木霊した。・・・そして、

『・・・ふふふ・・・ふふふふふふふっ・・・・・・!』

 女の、心底楽しそうな声が響き渡った。突然の出来事に妻と娘の思考は凍りつき、身じろぎ一つ出来ない。只その身を縛る恐怖に、震えることしか出来なかった。
 


 ・・・どれほどの間、そのようにして居たのだろうか。やがて、悪夢のような時間は過ぎ、女の声は遠ざかって、家の一角を覆っていた闇も薄らいでいった。

 カランッ・・・

 乾いた音を立てて、闇の在った所から骨が一つだけ零れ落ちる。その時になって漸く二人の脳は活動を再開し、大切な人が永遠に奪われたのだと悟った。

「いやぁぁぁぁぁっ!あなたっ!あなたぁっ・・・・・・・・・!!!」
「お・・・とう・・・さ・・・ん・・・・・・ゔあぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ・・・・・・!!!」

 ・・・変わり果てた男を手に取り、二人は狂ったように泣き叫んだ。

                    ・
                    ・
                    ・

 慧音は周囲を覆いつくす闇に焦りを隠せずにいた。先程まで地上を微かに照らしていた夜空も今では闇に塗りつくされ、慧音と対峙していた人型も周囲の闇と同化していた。闇雲に光を放つが、まるで手応えを感じさせず、光は闇に吸い込まれていく。

『・・・あははははっ・・・・・・あははははははははっ・・・・・・』

 そんな慧音を嘲笑うかのように、哄笑が闇の中響き渡る。

(・・・くそっ!こうしている間にも・・・・・・!)

 ・・・慧音の焦燥は更に増していく。

『あははははははは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』

 と、突如、響き渡っていた哄笑が途絶えた。

(・・・何だ?)

 訪れた静寂の中、慧音が思わず怪訝な表情を浮かべる。

『・・・楽しいわねぇ、半獣。でも、もう用事も済んだ事だし、帰ることにするわ・・・また新月の夜にでも会いましょう・・・・・・あははははははっ・・・!』

 静寂を破って妖怪の声が、続いて哄笑が響き渡った。 

(な・・・んだ・・・と・・・・・・用事が・・・済んだ・・・?)

 用事が済んだ、その言葉の持つ重みが徐々に慧音の中に浸透していく。そして・・・、

「っ!きさまああああぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」

 里を守りきれなかった己への不甲斐無さと妖怪に対する怒りとが、慧音の中で同時に爆発した。感情の赴くままに懐から一枚の札を取り出し、力を込める。次の瞬間、慧音の体を中心に幾条もの光が放たれ、闇を切り裂いた。

 ・・・一瞬、切り裂かれた闇から現れた何かが光を反射して輝く。だが、それが何か確認する間も無く、現れたものを再び闇が覆い隠してしまった。
 札の力により周囲の闇は払拭できたが、慧音の前には未だ人型の闇が残っている。

『・・・まさか、これ程の力を隠し持っているなんてねぇ・・・・・・ますます気に入ったわ・・・・・・ああ・・・お前は喰われる時どんな顔をするんだろう?・・・・・・今から・・・楽しみでしょうがない・・・・・・あははっ・・・あっはははははははははっ・・・!!!』

 一際大きな哄笑を残し、人型は溶けるように消えていった。


 闇が薄らぎ再び星々が照らす中、唯一人、慧音だけがその場に取り残された。里に住む人間たちの笑顔が、慧音の中に次々と浮かんでは消えていく。その中の一つが永久に失われたのだという喪失感が慧音の胸を締めつけた。

「・・・うぅっ・・・くっ・・・・・・ひぅっ・・・・・・」

 慧音はいなくなった誰かを思い、咽び泣いた。・・・誰が犠牲になったのか、確かめる事は出来ない。今、それを確認しに行けば、間違いなくその場で泣いてしまうから。里の人間に自分が泣いている姿を見せる訳にはいかなかった。弱気になっている自分の姿を見せて、彼らの不安を煽る様な真似は出来ないから。・・・今更、とは思ったが、それでも“守り神”たる自分の弱っている姿など見せたくは無かった。
 ・・・だから、彼女にはその場で泣き続ける事しか、出来ない。

「・・・うっ・・・ひっ・・・く・・・ゔぁ・・・あ・・・ああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」

 嗚咽はやがて深い慟哭となり、夜の山に響き渡った。






        *       *       *






 翌日、里では犠牲となった男の葬儀が行われた。葬儀には里の人間全員が参列していたが、皆、暗く沈んだ面持ちをしている。・・・無理もない。昨日まで共に暮らしていた仲間が突然いなくなり、その上、次の新月には自分が、という恐怖が伸し掛かっているのだから。
 ・・・中でも男の妻と娘の表情は酷かった。一晩で人が変わったようにやつれ果て、その瞳からは生気というものが消え失せていた。・・・娘の胸には唯一残された男の骨が、何の器にも入れないまま、ただ大事そうに抱きしめられている。
 あまりの変わり様に直視する事が出来ず、慧音は二人から視線を逸らせた。誰も慧音を攻めはしない。傷だらけで現れた慧音が、どれだけ里を大事に思っているのか分からない程、里の人間たちは愚かではなかったから。

 葬儀は滞りなく進行し、やがて男を埋葬する為の穴が掘られ始めた。慧音の見ている前で穴は見る間に掘られていく。たった一本の骨を埋めるにはあまりに大仰な穴、それこそ人一人分埋められそうな深い穴が。・・・まるで、その深さこそが男に対する、思いの深さだとでも言うかのように。
 男の骨は深く埋葬され、その上に墓標が立てられた。里の人間たちが次々と墓標の前に立ち、黙祷を捧げてゆく。慧音も、里の人間たちが全員黙祷を終えたのを見て、墓標の前に立ち深く黙祷を捧げる。・・・と、慧音の裾を引くものがあった。目を開き視線を下げる。そこには慧音の服をしっかりと握る、男の娘の姿があった。
 その日の朝から一言も話さなかった少女が、慧音の目を真っ直ぐ見つめて口を開いた。

「・・・けいねさまは、まもりがみさまなんでしょう?・・・・・・どうして、おとうさんをまもってくれなかったの・・・?」
「・・・・・・っ!」

 少女の発した言葉が、深く慧音の胸を抉る。里の人間たちが止めようとするが、一度開いた口は留まることなく言葉を発していく。

「・・・・・・・・・かえして・・・おとうさんをかえしてよぉ・・・・・・かえせないなら・・・どうして・・・どうしてっ・・・まもってくれなかったのっ!?・・・・・・まもりがみさまなのにっ!!」

 少女の容赦のない言葉が、慧音の心を更に傷つけていく。朝からずっと抑え続けていた感情が、爆発しそうになる。

(・・・・・・お前たちが勝手に付けた名だっ!!!)

 喉まで出かかった言葉を必死で飲み込み、代わりに拳を強く握り締める。・・・・・・慧音の指の隙間から数滴、血が零れ落ちた。

「・・・・・・すまない」

 一言だけ呟くと、その場に居たたまれなくなり、里の人間たちに背を向けて歩き出す。
 ・・・慧音の拳から滴り落ちた血の跡を見て、漸く少女にもどうしようもない事だったのだと、理解できた。だから少女は、ただ大声を上げて泣き続けた。少女の悲しみが伝染したかのように、里の人間たちも啜り泣いた。

 ・・・里の人間たちの泣き声を背にする慧音の瞳にも、涙が滲んでいた。だから、振り向くわけにはいかなかった。

「・・・・・・すまない」

 背を向けたままもう一度言葉を繰り返し、慧音はその場を後にした。





        *       *       *





 闇に包まれて、彼女は眠っていた。と、侵入者の気配を感じ彼女はゆっくりと目を開ける。

(・・・人間が、入って来た・・・)

 その晩は満月、本来ならば彼女が活動する事はない。・・・だが、わざわざ彼女の領域に入り込んできたのだ。みすみす見逃すつもりなど、無かった。にやり、と口の端を歪ませて住処を後にする。・・・向かう先には、人間が一人。

                    ・
                    ・
                    ・

 満月の輝く空の下、少女がつまらなそうな顔で散歩していた。夜の散歩が嫌いというわけではない。だが、頭上に輝く満月は少女にとって楽しくない記憶を、大嫌いな人間の顔を思い出させてしまう。だから、少女は満月の夜だけは嫌いだった。
 足を止めて頭上の満月を見上げ、睨む。まるで、そこに嫌悪する誰かが居るかのように。少女は暫くそうしていたが、やがて、ふぅ、と小さく息を吐くと、視線を前に向け再び歩き出した。
 幾らも歩かないうちに、再び少女の足が止まる。今度は月を見上げたりはしない。代わりに大きく溜息を吐き、

「・・・・・・あっちゃぁ」

 失敗したとでもいうように呟いた。・・・先程、足を止める直前の一歩を踏み出したとき、少女は周囲の空気が変化したのを感じた。その変化が何を意味するのか、少女は知っている。それは、本来なら人間が立ち入ってはならない、妖怪の領域へと踏み込んでしまった事を示す変化だ。
 ・・・妖怪が自らの領域へと入って来た人間を見逃すことなんて無いと、分かっていた。だから、少女はその場を去ることも、進むこともせず、ただ待ち続けた。



 ・・・やがて、夜の闇を尚上回る、漆黒の闇が近づいて来るのが少女の目に見て取れた。闇から放たれる凄まじいまでの妖気が、少女を包み込む。・・・少女とて、たった一人で夜を出歩く程だ。今迄にも幾度と無く妖怪との戦いは経験していた。だが、迫り来る闇から感じる程の妖気を放つ妖怪を、少女は知らなかった。

「・・・あーあ・・・なんてついてない・・・・・・」

 少女の口から思わず言葉が漏れる。

「・・・ついてない・・・・・・妖怪」

 続けて呟き、少女は、妹紅は不敵な笑みを浮かべる。・・・・・・闇はもう目前にまで迫っていた。



 す・・・、と妹紅の腕が闇に向けて伸ばされる。妹紅の動作に呼応するかのように、闇の動きが止まる。
 突き出した掌に軽く力を込め、闇に向けて解き放つ。さして、力の篭ってない、何の変哲もない霊気の塊が妹紅の手から放たれた。・・・元より、そんな物でどうにかするつもりなど、無い。只の挨拶代わりだ。
 放たれた霊気は薄く光を発しながら飛んで行き、闇の一部を切り離すとそのまま消滅した。・・・と、分かたれた闇が霧状になり、妹紅に向けて集い始めた。妹紅の目前で、霧状の闇は見る間に人型を為してゆき、完全な人型を為すと同時に、妹紅の周囲に声が響き渡る。

『・・・ふふふ・・・こんな夜中に人間が一人、何をしている・・・?』
「・・・別に。ただ夜の散歩を楽しんでいただけよ?」

 さして、物怖じもせず妹紅が声に応える。

『・・・ほぅ・・・散歩・・・よりにもよってこの時刻に・・・真っ当な生あるものなら、獣であろうと草木であろうと眠りに就くべきこの時刻に、散歩とは!・・・・・・ふふ、ふふふ・・・・・・ああ・・・人間は何時からこんなに愚かになったのか・・・・・・あははっははははっ・・・!』
「あら、別にそんなに悲観する事も無いわよ?こんな時間に散歩なんて酔狂な真似する人間、たぶん私以外いないから」

 響き渡る哄笑にも動じない妹紅に、妖怪が更に問い掛ける。

『・・・では、酔狂な人間。お前は当ても無く彷徨っているとでもいうのか?・・・それとも自殺志願者か?・・・ふふふ』
「自殺・・・ねぇ。出来るもんならしてみたいもんだわ。・・・・・・ところで先刻から気になってたんだけど・・・」

 言葉と同時に妹紅は人型の闇に向け掌を突き出し、力を込める。・・・今度は先程のような手加減はしない。見る間に霊気が膨れ上がってゆく。

『・・・ほぅ』

 巨大な霊気に、思わず感心したように妖怪が洩らした。
 呟く妖怪を気にも留めず、妹紅は、す・・・、と人型から掌を逸らせるとそのまま、わだかまる闇の本体へと霊気を解き放った。解き放たれた霊気は無数の札を象って、闇を切り裂き散らせてゆく。やがて人間を一回り大きくした程度の闇を残し、札の動きが一斉に止まった。
 残った闇に向けて妹紅が言葉を続ける。まるでその中に何者かがいると確信しているように。

「・・・こんなもので、私を誤魔化せるとでも思ったの?」

 目の前の人型を一瞥して、口を閉ざす。同時に、今まで静止していた札が闇に向けて殺到した。
 しかし、その光景を眺めながらも妹紅は闇の主を倒せるとは思っていなかった。今の攻撃は確かに手加減はしていない、だが同時に全力でもないのだ。その程度の攻撃でどうにか出来るほど、闇の中から感じる妖気は生易しいものではない。
 とはいえ、今の攻撃とて半端なものではない。並みの妖怪相手ならば、反撃させる暇も無く倒す自身はあった。今、闇にその姿を隠している妖怪とて無傷では済まない筈だ、と妹紅は考えていた。

 ヒュッ・・・!

 一枚の札が闇を切り裂き、それを合図にしたかの様に、闇がその形を崩し薄らいでゆく。だが、薄ぎつつある闇とは正反対に、そこから溢れる妖気は増していった。溢れる妖気に呑まれ、札がその形を保てず、次々に元の霊気の固まりとなり消滅していく。その光景を目の当たりにして、妹紅は自分の考えの甘さに気付き、認識を改める。自分と対峙している相手は、とてつもない化け物なのだ、と。

(・・・隠してたのは姿だけじゃ無かったってことか・・・・・・これは・・・骨が折れそうね・・・)



 満月の照らす中、闇が晴れ、彼女がその姿を現した。現れた髪は、月の光を照り返して輝くほどに黄金色。肌は白磁のように透き通り、身に纏った漆黒の衣がその白さを更に際立たせている。整いすぎたその顔立ちは、生あるものというよりは寧ろ美術品。・・・魔性の美、だ。腰まで届く長髪を靡かせて、彼女が妹紅に視線を向ける。

 背筋の凍える感覚に妹紅自身、驚く。今更、恐怖を感じる事があるなどとは思ってもいなかった。
 だが、妹紅を見つめる深紅の瞳。その闇はどこまでも深く、身体的な能力の優劣に関わらず、直接、精神の奥に潜む原始の恐怖を掻き立てる。人間であれば何者であろうとも、その瞳を前に冷静ではいられないだろう。

(・・・と・・・いきなり相手に呑まれてどうすんのよっ!)

 妹紅は自分を一喝し、恐怖を押し隠して笑みを浮かべる。それを受けて彼女も、その端正な顔に似合わない歪な笑みを浮かべて、口を開いた。

「・・・まさか、私から闇を剥ぎ取る人間がいるなんてねぇ・・・・・・この月の満ちた夜に、こんな御馳走に巡り逢えるなんて思っても見なかった・・・あはははははっ・・・!」
「あら、それじゃあ美味しく食べてもらわないと・・・・・・」

 笑い声を上げる彼女に軽口を叩きながらも内心、そうするしかないか・・・、と妹紅が思う。

「ふふ・・・本当に面白い人間だ・・・・・・早くその口から漏れる悲鳴を聞きたいよ・・・・・・あははははっ!」

 哄笑と同時に彼女の周囲に無数の闇が生じ、錐の形を成していく。

「・・・行け」

 言葉を合図に闇色の錐が妹紅に向けて放たれた。

 放射線状に迫る錐に、死角は無い。精々、一人通れる程度の隙間が所々有るぐらいだ。だが、それで十分。幸いな事に軌道は直線、この程度の攻撃、潜り抜けるのは難くない。口の端に笑みを浮かべ、妹紅は自ら錐の中へと身を躍らせる。
 その身を錐に掠らせもせず、僅かな隙間を縫うように擦り抜けてゆく。遥か後方で、地面が抉られる音、木々の薙ぎ倒される音が響いた。

「・・・・・・へぇ」

 彼女が思わず感嘆の溜め息を漏らす。

「・・・なら・・・・・・これで、どう?」

 続けて呟いた彼女の言葉と共に、錐の軌跡が一変した。一部は元のままだが、他の錐が弧を描くように動き、直線と曲線の混じり合った軌跡へと変化する。

「・・・っ!?・・・・・・やって・・・くれるじゃないっ!!」

 突然の変化に短く吐き捨て、妹紅は意識を集中させる。眼前にある錐の動きに捉われず、周囲に拡がる錐の動きを把握。不要な情報を削除し、自らに関係のある軌跡だけを残留。結果、導き出される最も密度の薄い位置へと移動する。・・・流石に掠らせもせず、とはいかない。だが全身に掠り傷を負いながらも、直撃は受けずに妹紅は錐の雨を抜け切った。

「どんなもん・・・?」

 得意げに口を開いた妹紅の言葉が止まる。・・・其処に居るべき相手の姿が、無い。途端、背筋に悪寒を感じ、振り向きざま霊気を放つ。だが、咄嗟に放たれた、力も篭ってない攻撃が彼女に通用する筈が無い。彼女の腕の一振りで、あっさりと虚空に消える。だが、その動作を引き出せただけで十分。妹紅は大きく距離を取ると、木々の中へ身を隠した。



(・・・あちゃぁ、避けるのに専念してて、力を溜めて置くの忘れてたわ。失敗したなぁ・・・)

 妹紅は先程の自分に呆れながら、木々の陰に身を潜めていた。視線は上空。その先には宙に浮き、地上を眺める彼女の姿がある。・・・恐らく、妹紅が隠れている位置など見通しているに違いない。

(さて、どうしたものか・・・・・・)

 彼女を眺めながら、考える。

 ズ・・・

 と、異質な感触に視線を下げる。・・・木々の影から伸びた黒い針が、妹紅の腹を貫いていた。

「・・・!・・・・・・くっ!」

 呻き声を上げ、針の根元へと霊気を放つ。途端、針がその姿を崩し虚空へと消える。妹紅は自分の失態に気付き、木々の間から飛び出した。

「このっ・・・・・・!」

 息を荒げ、視線を険しくし、彼女を睨む。

「・・・お前は、私を殺傷し得る力を持っているからねぇ・・・本当はもっと遊びたかったけど、もう食べる事にするわ・・・ふふふ」

 妹紅の周囲が暗くなる。

「・・・え?・・・・・・しまっ・・・!」

 満月の光から自らを覆い隠す闇に気付いた時には、もう遅い。闇は瞬く間に妹紅の姿を、その深淵へと飲み込んだ。



 自分の手足さえも見えない闇の中、妹紅はその動きを封じられていた。

『ふふふっ・・・精々、悲鳴を上げて私を楽しませてくれ・・・・・・それでは、いただくとしよう・・・』

 声が響き渡り、直後

 ぞぶりっ・・・

 嫌な感触、そして激痛と共に、妹紅の左腕が喰われた。

「・・・・・・・・・・・・っ!!!」

 上がりそうになる悲鳴を懸命に押し殺し、痛みを堪える。・・・たとえ喰われようとも、悲鳴を上げ彼女を喜ばせるような真似はしたくなかった。

 ぞぶりっ・・・

 再び先程の感触・・・今度は右腕を喰われた。

「っ!・・・・・・・・・うぅっ!!!」

 それでも、悲鳴は上げない。

『ふふ・・・随分強情なものだ。悲鳴を上げようと、上げるまいと所詮、助かりはしないのに・・・』
「・・・生憎・・・・・・あんたを喜ばせたいなんて思う程・・・酔狂じゃ・・・ないんでねぇ・・・・・・ぅっ・・・!」

 激痛に耐えながらも、悪態をつく。次は右足か、左足か、と来るべき痛みに備え覚悟を決める。・・・だが、

 ぞぶり・・・

 訪れた喪失感は予想以上に大きく、何処を喰われたのか分からない。同時に闇が一部だけ晴れ、満月が其処を照らし出す。
 ・・・妹紅の腹から下が無くなっていた。
 視認すると同時に脳が認識した激痛と、予想が裏切られた事に、妹紅の精神力は限界を超え、

「・・・あ?・・・あ・・・・・・いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!」

 妹紅の口から絶叫が洩れた。

『あははははっ!・・・・・・あはははははははははははははっ・・・・・・!!!』

 その声に満足するかのように、一際大きな哄笑が響き

 ゴリッ・・・・・・

 頭蓋が砕ける音を最後に、妹紅の意識は闇へと呑まれた。





        *       *       *





 思いがけない馳走に満足し、彼女は住処へと戻っていた。

 ヒュン・・・

 と、小さな風切音と共に何かが飛来して、闇に包まれた彼女に傷をつける。微かな痛みに動きを止めた彼女を小刀を象った無数の霊気が襲う。彼女を包む闇が切り裂かれ、彼女の姿が満月の下に晒し出された。何事か、と振り向いた彼女の顔が、驚愕に凍りつく。
 ・・・そこには、先程喰らった筈の人間が不敵な笑みを浮かべて、宙に浮いていた。

 妹紅がゆっくりと口を開く。

「・・・私のお味はどうだった・・・妖怪さん?」
「・・・ば・・・かな・・・・・・お前は・・・先程私に・・・喰われた・・・・・・筈だ」
「ええ。・・・だから訊いてるんじゃない。私のお味はどうだった、って・・・」

 呻くように呟いた彼女の声に、笑いながら妹紅が繰り返す。

「ふざ・・・けるなっ!確かに私はお前を喰らった!・・・それなのに、どうしてお前はここにいるっ!?何故、何事も無かったかのように笑っていられるっ!?」

 彼女の怒声が木霊する。だが、妹紅はさして気にする風でもなく、口を開いた。

「・・・そんな事言われても、ねぇ?・・・・・・だって私、不死身だし・・・」
「・・・な・・・・・・不死身・・・だと・・・?」
「ええ、そうよ。不死身。・・・でも、さっきのは酷かったなぁ・・・悲鳴なんて上げたの何百年ぶりかしら・・・・・・全く、随分好き勝手やってくれたわね・・・」

 呆然と呟いた彼女の声に応えて、妹紅が不敵な笑みを再び浮かべる。

 彼女も、不死の人間の話ぐらいは知っていた。しかし、本当にいるとは思っていなかった。だが、目の前にいるのは確かに先程死んだ筈の人間だ。それ故、彼女も認めざるを得なかった。不死の人間は居り、自分が目にしている物は紛れもなく、それなのだと。
 ・・・力と力での戦いなら、妹紅に引けを取りはしない。だが、相手が不死となれば話は別だ。彼女は自分の不利を悟り、踵を返して逃げ出した。

「・・・逃がさない」

 妹紅は呟き、一枚の札を取り出す。・・・内心、彼女が開き直って立ち向かってきたら、面倒だと思っていたのだが、幸いな事に一目散に逃げる彼女の背中は無防備で隙だらけだ。これなら、取り出した一枚で十分、片が付く。
 妹紅が札に霊気を込めると同時に、周囲の温度が上昇し、妹紅の目前に火球が生まれた。火球は見る間に成長し、鳳凰の姿を為す。

「・・・・・・行け」

 妹紅の声に呼応して、鳳凰が彼女へと向け飛び立つ。鳳凰は瞬く間に彼女へと追いつき、一瞬にして彼女は炎に包まれ、灰と化した。



「・・・思ったより、あっさり片が付いたわね。・・・ひょっとしたら、反撃してくるかと思ったけど・・・・・・あの様子じゃ、自分が死んだ事にも気付かなかったかしら・・・」

 妹紅が気抜けしたように、彼女がいた場所を眺めて呟く。と、妹紅の見ている前で、その場所に闇が集い彼女の姿が再生した。・・・彼女は何事も無かったかのように飛び去ってゆく。
 何が起きたか分からず、呆然として考える。・・・妹紅の視界から彼女の姿は既に消えていた。

 自分の攻撃は、確かに彼女に当たった。手応えもあった。これは、間違いない。・・・先程の態度から、彼女も自身の命の危険を感じ取っていた。これも、間違いない。
 そう、確かに妹紅は彼女を殺した筈なのだ。・・・・・・思い当たる可能性は、一つ。呆然とした面持ちで、妹紅が呟く。

「・・・なんで・・・・・・妖怪が不死に・・・なるのよ・・・・・・」

 答える声は・・・無い。
 
 慧音は、満月の照らす中、一人、里を守っていた。

 妹紅は、満月の照らす中、一人、その場を後にした。


 ・・・そして彼女は、満月さえ照らさぬ闇の中、一人、笑い続けていた・・・・・・


                                 ―中編へ続く―
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