物心ついたころには、他人には見えないものが見えていることを理解した。
停止した世界。
誰もが何もが動かないその中で、私はたった独りで散歩した。
スープの滴が空中で止まっている。
メイドのはたきは風を捕らえたまま止まっている。
オカリナのマリーは羽ばたきもせずに浮かんで止まっている。
両親は互いを見つめたまま。
私は写真のような世界の中で、独り。
誰も一緒に歩いてくれない。
誰もこの景色を一緒に見てくれない。
どんなものも私に関わろうとしてくれない。
そんな世界の中で、独り。
私は声をあげて泣いた。
もういやだよ、と世界に向けて泣いた。
しばらくして両親が泣き声に気がついて来てくれた。
世界は動き出していた。
それに安心して泣いた。
「何時の間にこんなところにいたんだ」「どうして泣いているの」
その言葉を聞いて、また泣いた。
――ああ、私はやっぱり、独りだ。
『それ』を私がしているということはしばらくして気付いた。
私が望めば、世界は止まった。
私が望めば、世界は動き出した。
『それ』を認識できる人は誰もいなかった。
――そして私は、ズルをすることを覚えた。
何でも一番になれた。
かけっこは他の子が三歩進む間に四歩進んだ。
勉強はわからなければ教本を見て答えた。
かくれんぼは十数える度に皆の場所を確かめた。
球技は球が止まっていれば、どんなプレイもできた。
朝は気が済むまで二度寝した。
遅刻しそうなときも歩いた。
誰も私を咎めなかった。
誰も私のズルに気付きもしなかった。
誰もが私を誉めてくれた。
誰もが私を羨んだ。
私はいつしか天才と呼ばれていた。
――私はズルしてるのにね。
私は笑った。
誰も知らない世界で、独り、声をあげて笑った。
手足が伸び始めるころには、私は疎まれ気味悪がられるようになってきていた。
どんなこともすぐ覚える。
どんなこともすぐできる。
泣きも笑いもしない。
誰も理解できない才能に、誰もが私を真っ直ぐに見なくなった。
私もまた、他人を見ようとはしなくなった。
いつもの通りで、手品というものを初めて見た。
とてもとても不思議だった。
とてもとても楽しかった。
――まるで私の力のようだ。
知りたくて私は、もう一度もう一度、とせがんだ。
そして、時を止めた。
――やっぱり止まるのか。
手元を調べてみると、なるほどそれは手先の技術でやっていることだった。
真似をしてみると、意外に簡単なものだった。
帰ってから、見たことを試してみた。
難しいところは力でフォローすれば、一通りできるようになった。
――一つ事に夢中になったのは、いつ以来だっただろうか。
次の日私は、同じ通りの手品師に私の手品を披露した。
力は使わなかった。
なぜ使わなかったかはわからなかった。
稚拙な私の芸を一通り見た後、その手品師は私の頭を一つ撫でて新しい芸を幾つか見せてくれた。
カード当て、消えるハンカチ、ナイフのお手玉・・・
私はなぜか力を使わずにそれを見て、いっぱいに楽しんだ。
日が傾くと一つ頭を撫でて、その手品師は最後に一つ、とっておきだよと言った。
コインを一つ私に見せ、手の中に握りこんだ。
私は何が始まるのかと、じっとその手を見つめていた。
不意に、狭くなっていた視野の外で手品師はパチン、と指を鳴らした。
ただ、それだけ。
にっこりと手品師は微笑むと、その手を開いて見せた――コインが無い手を。
あれっ、と私は思わず声をあげた。
確かに私は見ていたはずだったのだ。
鳴らされた音に気を取られたなんて事は無い――と思う。
――これがミスディレクションだよ。お嬢さん。
そう言ってぺこりと一礼し、手品師は背を向けた。
半ば呆けていた私は、道具をしまうその背中をしばらく見つめてしまった。
たっぷり十秒は固まってから、私ははっとしてもう一度とせがんだ。
手品師は困ったような顔をして見せてから、じゃあ、これで勝負してみようとコインを弾いた。
――時よ――
止まれ動け止まれ動け止まれ動け止まれ動け止まれ動け止まれ動け止まれ動け止まれ動け止まれ動け・・・っ!
私は、裏に賭けた。
手品師はまた、にっこりと笑うと手を開いて見せた。
――表、だった。
なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?
それだけ。
力の使い過ぎも相まって脱力し、ぺたん、とへたりこんでしまった。
わけがわからなかった。
手品師は背を向けて数歩歩いた後、不意に振り返っておみやけだよ、と一枚のコインを弾いて寄越した。
手の中に収まったその一枚の――一枚の?
指で摘んでみると、驚くほどあっさりとそれは二枚に分かれた。
表しかないコインと、裏しかないコイン。
今度こそ完全に呆然とした。
私が我に返ったときには、手品師は向かいの通りを去っていくところだった。
憎たらしいほどおどけた歩みで、背を向けたままひらひらと手を振って。
――いつの間に――まったく、あの手品師は私と同じ力でも使えるというのか。
その背中にいっぱいに吸い込んだ息を投げつけた。
「――っ、ズル――――――――――――っ!」
握り締めたコインが、カチリ、と鳴った。
居場所の無かった少女が出会った技術・・・
心安らぐ感動でした
50点が多いのは、昔は50点満点だったからかな?
カナリアかな?
そりゃ時止めなんかできると大抵はつまらないよなあ
手品に対して本当に楽しそうな咲夜さん思い浮かんだ
そして手品師の人、魅力的なキャラしてるなぁ
ズルも一通りじゃないし、堂々とやっていいのもあるのかもしれない、とこっちも思わされました