人に好意を持つのは喜ばしき事。その表現が器用であれ不器用であれ、その価値は全く不変と信じたい物で。
「……ふぅ」
とある館の図書館の一角で。年中ネグリジェ姿の魔女は読んでいた本から目を離し、疲れたように天井を仰いでため息をついていた。その本は一抱えもある大きさの分厚い本。この少女では一冊ずつ持ち運ぶのがが精一杯だろう。
様々な魔術をそれなりに使いこなす(しかし喘息のおかげであまり長い詠唱が出来ない)彼女のことだから、恐らくは読み解くのも難解な魔導書だろうか。確かに普段の彼女が読むのはそういった類の書物だろう。
その時は違った。それはいつも読む本とは趣向が異なるもので、むしろその慣れない内容が、彼女を疲れさせていたと言ってもよかった。
「難しいものね。魔術などよりも、ずっと」
思わず弱音を吐く。が、見た目に反して負けず嫌いな彼女は読書を再開した。
100年以上魔女を続けている彼女をして困難と言わしめるその本は、意外にも文字は少なめで、図や挿絵の多いものだった。
決して魔法円の図形などが書いてあるわけでは無い。召喚される悪魔の絵が書いてあるわけでもない。
しかしながら、彼女にとっては理解するのに多くの時間と熟読を要する物だった。
そのタイトルは……
『気になるあの人をもてなす為の50の方法』
「おい」
「……」
「おいっ」
「……」
「おーい」
「ん……」
「起きろ。そして仕事しろ。寝てていいのかお前は」
「ふぁ……ん、おはよう、ってあれ?」
呼びかける声にやっと目を覚ました平和惚けした番人、美鈴はは、自分を起こした黒ずくめの魔女、魔理沙を上目遣いで見つめながら寝惚けた返事をした。
「春が戻ってきてからお日さまの光がぽかぽか~で、気持ちい~いの~」
その蕩けた(とろけた)声は、美鈴を外見より幼く感じさせた。どうやら起きていないらしい。
「ダメだこりゃ。まだ寝惚けてるぜ。一応番人なんだからちゃんと起きとけよ」
「は~い……………………すぅ」
言った先から眠った美鈴に呆れながら毛布をかけてやり、魔理沙はそのまま勝手に館へ入った。目的はこの屋敷の図書館である。
長い上に、空間が歪んで変な曲がり方をした廊下を歩き、魔理沙はまっすぐに図書館へ向かった。
間も無く見えた大きな扉を押し開けると、途方もなく高い天井を突く様に、これまた途方もなく高い本棚が林立し、さらに途方もなく多くの本が、ひたすら途方もない奥行きの部屋に詰まっていた。
嗅ぎ慣れた古紙とインクの匂い、少し埃っぽいそこの空気をかぎながら魔理沙はしみじみと見回して見た。
「相変わらずばかげた本の量だぜ。100年どころが1000年経っても読み切れないだろうな」
「そうね。私も殆ど読めてないわ」
後ろからかかった声は魔理沙もよく知った声。病弱で、いつもネグリジェを着て外には一歩も出ず、しかし寝間着姿が妙に似合って愛らしい、図書館の主、パチュリーである。
『借りてた本返しにきたぜ。ついでにまた借りるんだけどな』
代わり映えしないであろうその姿を拝むべく、魔理沙は後ろを向きながらそう言おうとした。いつものやり取りであり、捻りもない代わり映えしない挨拶。
「借りてた本返しに……きた……ぜ?」
しかし今回はその半分も言い切れなかった。しかも最後に疑問符がついた。
振り返った彼女の目に入ったのは確かにパチュリーであった。しかしその細身の身体はフリルのついた白いドレスに包まれ、頭にはあの名状しがたい帽子の代わりに花飾りのついた半透明の布が被せられていた。
俗に言うウェディングドレスというやつだった。実物をを見るのは魔理沙も始めてだ。
しばらく見詰め合う両者。片や予想外の花嫁の登場に硬直し、片や相手が硬直している理由が分かっていない。
永遠とも刹那ともつかぬ時の後、発せられた言葉は、
「け……結婚するのか?」
「誰が? 誰と?」
「お前が、誰かと」
「そんな事しないわ」
白い頬を少し膨らませて反論して来た。
では何だというのか。魔理沙は自分の短い人生の中で培われた知識を総動員して結論を出そうとしたが、本当に分からない。恐らくこれ以上分からない物には今後会わないだろうと、変な自信までついた。
「ねえ」
「何だよ」
「……う?」
「ん?」
「似合う……?」
魔理沙をかつてない衝撃が襲った。ああ、何たる事! あの引きこもりが自分の服装を気にかけるとは!
その恐怖すら伴った驚きに魔理沙は再び凍りついた。
「どうしたの? ねえ、もしかして似合ってない?」
不安げな顔で聞いてくるパチュリーの声でやっと正気を取り戻した魔理沙は、落ち着いて近くの椅子に腰掛けながら、しかし恐怖を克服できないままにパチュリーの姿を改めて見回した。
ウェディングドレスの白と肌の白。二つの純白の融合は間違いなく美しいと言える物だった。それほど多くない飾りもまた彼女らしかった。全てのウェディングドレス姿がこれほどに美しいなら、世の結婚は全て上手く行くと魔理沙は思った。
だから、正直に言った。元より嘘をつける精神状態でも無いのだが。
「似合ってるぜ」
「本当?」
「私は、綺麗だと思う」
それを聞いたパチュリーは途端に表情を柔らかくし、微笑んだ。魔術を放つ前の不敵な笑みでない、少女の笑顔だった。
「良かった。魔理沙が気に入ってくれたんなら」
そう言って柄にもなくスカートの裾を摘んで一回転してみたりしていた。そんなパチュリーは極上物の可愛らしさを醸し出していたが、魔理沙は腑に落ちなかった。
「……なあ」
「えっ?」
「何があったんだ?」
そう問われたパチュリーはびくりと体を震わせた。絶対何かあると、魔理沙に感づかれるには充分だった。
「ホントにどうしたんだ? お前らしくないぜ」
「……何でもないわよ」
「何でもないはずないだろ。いつもは私が来たら露骨に嫌な顔するのに」
「そ、それは悪かったと思ってるわ」
「……やっぱ変じゃないのか?」
「っ、そんなこと無い!」
予想外に語気を荒げて叫んだパチュリーに驚き、魔理沙は言葉を続けることが出来なかった。
「あ……」
「……」
「御免なさい、怒鳴ったりして」
「いや……私も、悪かった」
沈黙。しかし今度の沈黙は気まずく、耐えがたかった。
それを先に破ったのはパチュリーの方だった。
「昨日、咲夜に教えてもらってさ」
「うん?」
「お菓子作りなんて、してみたんだけど」
今日は驚くことの多い日である。椅子からずり落ちながら魔理沙は思った。
「毒見か」
「ちゃんと自分でも食べてみたわ。少し焦げてるけど、結構上手く作れた方よ」
「で、私に食べろって事か」
「駄目? お茶と一緒に出すから」
「いいぜ。お茶が出るならお菓子も欲しくなるからな」
「ほんと?! じゃあ、すぐに持ってくるから。待ってて」
そういうと返事も聞かず、足音を立てながら廊下の向こうへと走って行った。
「飛んで行けばいいと思うんだけどな」
思わず苦笑してしまい、今日は自分もらしく無いなと自嘲気味に呟いた。
それでも、ドレスの裾に苦戦しながら走っていくパチュリーの後姿は、なんだか微笑ましかったのだ。
「しかしあのパチュリーがお菓子作りかぁ? どういう風の吹き回しだ」
ふと目の端にとまったのはピンク色の表紙の本。この図書館では見ない装丁である。
もしかしたらパチュリーの豹変に関係が有るのかもしれない。そう考えた魔理沙は早速小声で呪文を唱え、本の方に手を向けた。すると本は羽のように浮かび上がり、宙を滑って魔理沙の手に収まった。どうやら立ち上がるのが面倒だったらしい。
本の内容はおもてなしのレクチャー本らしかった。大好きなあの人にい少しでも新鮮で素敵な時間を、と言うのがコンセプトらしい。
そしてタイトルは……
「気になるあの人をもてなす為の50の方法……なんじゃそりゃ」
クッキーとアップルパイの出来はそこそこの物だった。多少の焦げは見えるものの、一口サイズのクッキーは微かな甘さが紅茶に合うし、アップルパイは甘く煮た林檎が、渋みの強いお茶にはよく合った。
「美味しかったぜ」
「そう。甘すぎたりしなかった?」
「私はこのぐらいが丁度いい」
そう返事をしつつも、魔理沙はパチュリーの手に包帯が巻かれているのに気がついた。大方火傷でもしたのだろう。魔術がある以上傷跡は残らないだろうが、しばらくは不便だろうと思った。
本人が必死で隠しているところを見ると、気づかれまいとしているのだろう。魔理沙は気づかないふりを決め込んだ。
「そうだ。今日も本借りて行くぜ」
「えっ、もう帰るの?」
「あまり長居すると迷惑だろ、ただでさえご馳走になったし。本は選んでおいたから、もう帰るぜ」
パチュリーは何か言いたげであったが、何も言っては来なかった。そのまま玄関まで送ってくれるらしいが、ため息をつき、うつむき加減でトボトボとついて来るだけだった。
玄関につくと、枕まで用意され寝ている美鈴がいた。枕はメイド長辺りの仕業だろうと目測をつけた。
(それにしてもまだ寝てんのかい)
美鈴を視界から追い出し、パチュリーに向き直る。
「お見送り感謝だぜ」
「……また来るの?」
「ああ。また本を返しに来るし」
「そう……」
「迷惑でも来るぜ」
返事はなかった。
少し間を置いてから、思いだしたように魔理沙が口を開いた。
「これも借りていくぜ」
「え……あっ!」
魔理沙が見せたのはあのピンク色の本だった。意地悪な笑みを浮かべながら魔理沙が続けた。
「今度、さ……うち来ないか?」
「……」
「私の家に来たこと無かったし、たまには外出て見るのも良いだろ」
魔理沙はもう一度笑って、ゆっくりその場を飛び去った。
「じゃあな。クッキーとアップルパイ、美味かったぜ」
空を飛びながら魔理沙はあの本を開いていた。
「あなたの真心を伝えたいなら、手作りのお菓子でもてなすのはよい方法です……いつもと違う服装で出迎えると、喜んでくれるかもしれません……か」
それにしてもウェディングドレスは違いすぎだろう、と心の中で締めた。
その日の夜。
「パチュリー、嬉しそうだけど何かあった?」
「いいえ」
「嘘。どうしたの?」
「何でもないですよ」
否定の返事も嬉しそうな友人に首をかしげながら、館の主は食事を再開した。
「そう言えば誰か足りないわねぇ」
「……」
全員が黙って、そして、
「もしかしてまだ寝てる?!」
結局、門番は一日中眠っていた。
てか萌えた
ええい、こういう美鈴もいいもんだなあ!
パチェもね
つまりパチュリー最高。要するにパチュリー素敵。