ここは幻想郷と呼ばれる、僅かな人間と、数多くの妖怪が共存する摩訶不思議な楽園。
その僅かながらの人間と、数多くの妖怪がお互いの立場を保ちつつ、この平和な暮らしを満喫していた。
しかし、ここ最近奇妙な変化が起こった。
時は五月、普段なら雪は解け、桜が咲き、暖かくなる季節だ。
だというのに、外に出れば身も凍るような吹雪に見舞われ、辺り一面の銀世界、暖かさの欠片もない。
どういうことか、冬が過ぎ去らないのだ。
それどころか吹雪は日に日に強さを増し、永遠に冬が続くような、そんな錯覚に襲われていた。
明らかに異常だった。
その異常をいち早く察知し、その原因を探る為、吹雪の中に身を躍らせる少女がいた。
博麗神社の巫女、博麗霊夢である。
霊夢は、類い稀な神力の持ち主であり、持ち前の勘で今まで数多くの事件を解決してきたのだ。
「う~っ、さむいさむいさむい! なんでこー、こんなに吹雪が続くわけ? さっさと
原因を調べて、潰してこないと話にならないわね」
豪雪の中、御札と陰陽玉を携えて、霊夢は華麗に舞い踊る。
やがて、彼女の存在に気付いた妖怪達が襲い掛かってきたが、軽く一掃した。
「とりあえず、適当に進めばいずれ原因にぶち当たるわよね」
そう言いながら、霊夢いつものように勘に頼りながら進んでいくのだった。
吹雪の中、石段に腰掛け本を読む少女が居た。
七色の人形使い、アリス・マーガトロイド。彼女は魔界人である。
魔界の住人である彼女が、何故この人間界にいるかは誰も知らない。
相も変わらず、辺りは酷い吹雪だ。が、彼女はまるでそれに関心がないかのように、手に持つ黒く分厚い本
に集中し、微動だにしない。
その時、彼女の周りで何かが光り、ゆっくりと空中に漂いだした。
人形だ。
細部まで丁寧に作られた、まるで生きているような人形達……それが、体から淡い光を放ちながら、
アリスの周りをゆっくりと、ホタルのように踊る。
もし、これが人の手によって作られたものならば、間違いなく匠の技を持つ者が作ったのだろう。
それほどまで繊細で、よく出来ているものだった。
やがて、アリスは持っていた分厚い本を閉じ、ゆっくりと立ち上がった。
空中を漂っていた人形達が、アリスを中心に輪をかくようにして並び、ゆっくりと消えていく。
「さて、そろそろ彼女が動き出す頃かしら。私は部外者だけど、ちょっとお邪魔させて貰おうかしらね」
そう言うと、彼女は吹雪に乗って空を翔けだした。
「どれだけ進んできたかしら。吹雪が強くて視界が悪いから、方角とかが全く判らないわね」
マヨイガを抜け、向かってくる妖怪をしらみつぶしに片付けながら、霊夢は一人ごちた。
吹雪は未だやむ事がなく、容赦なく吹き付ける風と冷気が、少しずつ霊夢の体力を奪っていく。
このままでは危険だ、焦燥の念に駆られながら、霊夢はそれでも進む事を止めない。
どの道、今引き返したところでこの問題は解決しない。
だったら、戻るよりさっさと進んで事件を解決したほうがよっぽど楽だ、というのが彼女が至った
結論である。
やがて、ひたすら前進し続ける霊夢の眼前に。
無数の淡い光と、そこにうっすらと映える人影が映し出された。
「だれ!?」
霊夢がその人影に警戒し、その場で停滞する。
すると、その人影はゆっくりと霊夢の方へ歩み寄り、その全身をさらけ出した。
七色の人形使い、アリス・マーガトロイドその人だった。
「しばらくぶりね」
アリスが、ゆっくりとした……しかし力強い口調で、そう言った。
対する霊夢は、怪訝そうな顔をし、アリスの顔をまじまじと眺めている。
「あなた、誰だっけ?」
「私のことを覚えていないの? まぁ、そんなことどうでもいい事だけど」
「どうでもいい事なら言うな。で、私に何の用?」
「あら、久しぶりの旧友に挨拶をしに来ただけよ。礼儀はちゃんとしないとね」
「だから、誰があんたみたいな七色魔法莫迦と旧友なのよ~!」
「やれやれ、何も判っちゃいないわね」
その時、アリスの瞳の光が、ほんの一瞬だけ消え去った。
しかし、そのアリスの些細な変化に霊夢は気付かない。
彼女たちは会話を続ける。
「判ってないのはどっちよ。どうでもいいけど、私、少し急いでいるからそこをどいてくれない?」
「あら、それはちょっと寂しいわね。折角だから、少し遊んでくれると嬉しいんだけど」
「ぇ~い、この判らず屋! こうなったら、倒してでも先に進んでやるわ!」
「最初から、その気になれば良かったのよ! それじゃあ、行くわよ!」
やがて、吹雪が舞う中、彼女たちの弾幕遊戯が始まった。
アリスが放つ多彩で美しい攻撃を霊夢は軽々と避け、反撃に移る。
霊夢に負けじと、アリスもスペルカードを使用し、攻める。
博愛の仏蘭西人形。
紅毛の和蘭人形。
霧の倫敦人形。
魔彩光の上海人形。
ヒトのカタチをしたモノが、光りを放ちつつ舞い踊る。
カリソメのイノチを吹き込まれ、美しくも妖しい弾幕美を魅せる。
歌を歌う、舞を舞う、物語を語る、訴えかける。
それは、ヒトとして生きること叶わなかったモノ達の、悲しく、そして儚い物語。
永遠に終わることの無い悲劇。
その人形達の『歌』に、霊夢は少なからず恐怖を覚えた。
「全く、しつこいったらありゃしない!」
「どうしたの? 動きが鈍ってるようだけど。もう終わりかしら?」
「んなわけないでしょっ! これからよ!」
「うふふ。だったらいいんだけどね」
恐怖が、焦りを生んだ。
攻撃を避けつつ、確実にアリスに一撃を与える霊夢。
しかし、彼女は焦燥の念に駆られ、気付かなかったのだ。
アリスが、そして人形達が……笑っているのを。
「これで終わりよっ! 夢想封印・集ッ!」
そう霊夢が叫ぶと同時に巨大な霊力の塊が生まれ、唸りを上げながらアリスに向かって放たれた。
「……ッ!」
アリスが舌打ちすると同時に、霊力の塊がアリスと、人形達を飲み込んでいった。
刹那、激しい閃光が辺り一体を覆い、空気がけたたましい音を立てながら震撼する。
そして数秒後。
閃光が止み、霊夢は閉じていた目をゆっくりと開き、辺りを見回した。
「…どうやら、撃退したみたいね」
そういうと、霊夢は安堵の胸をなでおろした。
うな垂れるように肩を下ろし、深い溜息をつく。
アリスの攻撃は、確かに霊夢を脅かす強力なものであったが、それ以上に、不気味な人形達の存在が
霊夢に多大なプレッシャーを与えていた。
何故かは判らない。が、血の通っていない人形達に、愛着を持つ者ばかりいるとは限らない。
あまりに精巧に作られた人形は、時として恐怖を生む時がある。
霊夢は、血の通っていない人形達が音も立てずに自分を殺しに来る様子を思い浮かべ、背筋を凍らした。
慌てて頭を左右に振り、頭の中から放りだす。
「考えても仕方ないわ。敵も倒したことだし、さっさと先へ進もう」
そう言って、風上に向かおうと動き出した時。
「まだだよ」
「…!?」
そんな声が聞こえ、霊夢は慌てて辺りを見回した。
しかし辺りには誰も居ない。
霊夢の首筋に、一滴の冷たい汗が流れた。
「…だれ?」
弱まる事を知らない吹雪の中で、霊夢はいるかどうかも判らない声の主に、話し掛ける。
しかしその問いの答えは帰ってこない。
「まだだ」
もう一度声が聞こえてきた。
先ほどとは違う、低い女性の声。
「まだ」
静かで、冷たい印象を受ける女性の声。
「まだなの」
幼い少女の声。
「まだ」という声が幾つも幾つも生まれる。
再び、霊夢の心の中に『恐怖』という二文字がはっきりと刻み込まれる。
霊夢は、たまらず声を荒げて言った。
「誰なの!? どうせアリスでしょう。くだらない冗談は止め……」
その時だった。
目の前にポゥッ……と淡い光を放つ物体が現れ、霊夢の周りを回りだしたのだ。
闇の中に漂う、蛍火のような光を放つ物体。それがふたつ、みっつ、よっつと増え、霊夢の
周りで踊りだす。
「くぅっ……」
恐怖に耐えられなくなった霊夢は、再び夢想封印・集を放とうと試みる……が、不思議な事に
どんなに力を入れても、指一本動かす事ができなかった。
金縛りにあい、霊夢の表情は、みるみるうちに青く染まっていった。
「そう、まだ終わってはいないわ」
真正面から聞き覚えのある声がして、霊夢は慌てて顔を正面に向けた。
そこには、先ほど倒したはずのアリスが、分厚い本をめくりながら立っていた。
「あなた……なんのつもり!?」
「驚かせちゃったかしら」
「あたりまえでしょ! さっさとこの変な魔法を解きなさいよ!」
「解いたら意味ないじゃないの。折角超強力な呪術を苦労してかけたっていうのに」
「…あなた……」
「前ね、私があなたに挑んで負けたことがあったわよね」
「そんな昔の事覚えていないわ」
「昔の事って、そんなに前のことじゃないじゃない。あなたって本当に春満載というか……」
「うるっさい!!」
「まぁいいわ。その時から、ずっと考えていたのよ。どうすれば、あなたを私のものにできるか……ってね」
「なッ……」
その時、霊夢はようやく、アリスの瞳に光が灯っていないことに気がついた。
アリスはその虚ろな目で、魔道書のページをめくり続ける。
やがて、その手がピタリと止まった。
「そして考えついたわ。こうすれば、あなたは私のものになるってね」
今まで視線を魔道書に落としていたアリスが、霊夢のほうへ向き直る。
光の灯っていない、深いブルーの瞳が霊夢を凝視する。
「そういえば、まだ言ってなかったわね。あなたの周りを回っているその人形達……」
「…?」
「私が作ったのよ。こうやってね」
そう言うと、アリスは何かの魔法を唱えだした。
「ちょっ、ちょっと! あなた何やって――」
その時、強烈な眠気が霊夢を襲った。
思わず眠ってしまいそうなところを、霊夢はなんとかしてこらえる。
しかし睡魔は、後から後から波のように押し寄せてくる。瞼が鉛のように重くなり、今まで流れていた
風の音が徐々に聞こえなくなる。
代わりに聞こえてくるのはノイズ。まるで耳が詰まった時のように、キーンという音が切れることなく
聞こえてくる。
体中から感覚というものがなくなり、まるで自分の体が他人の物のような錯覚に陥る。
「な……ん……」
ここで眠ったら全てが終わってしまう。
そう心の中で思っていても、今の霊夢にはそれに対抗する術を持ち合わせていなかった。
もっと早くに気がつくべきだったのだ、この辺りを支配する妖気の異変を、そしてアリス自体の
異変を……。
全ては遅すぎた。
そして……。
「さようなら、今までの霊夢。そしていらっしゃい、私の霊夢」
「…ぃ……やだ……」
霊夢は、深い闇の中に墜ちていった。
ここは、魔界へ続く門があると言われる洞窟。
その暗い洞窟の中で、魔界人であり、ゲートキーパーであるサラは今日も変わらず、暇そうに
門番の仕事をしていた。
「あ~あ、この門番って仕事も暇でしょうがないわね。たまには、敵が来るようなハプニングがあれば
面白いんだけど……。以前来た巫女みたいに」
そう一人ごちていると、奥のほうから淡い光と共に歩いてくる人影をサラは見つけた。
ゆっくりと門のある場所へ向かってくる。
「ん? 何だ……こっちの住人か。って、あんた、いつの間に人間界行ってたのよ!」
「ただいま。いつって、もちろん」
「何よ」
「あなたの目を盗んで、サッと出て行ってるに決まってるわ。もうちょっと気をつけたほうが
いいんじゃない?」
「うっ…いつの間に……」
そういうと、ふと、サラの目にあるものが飛び込んできた。
人形である。
「あら、何それ? 変わった人形ね」
「ふふふ、いいでしょ。さっき手に入れたばかりよ」
そう言うと、アリスはうっすらと笑みを浮かべて、人形の頭を優しく撫でた。
紅白の巫女装束を来た、不思議な不思議な人形を。
「…なんだか、どっかで見たような人形ね。それはそうと、早く門通っていってよ。前の事件以来、
神綺様が人間界と魔界の出入りについて、ちょっと五月蝿いのよ」
「判ったわ。まぁ旧友にも会えたし、私の目的は達成したからね」
「どうでもいいけど、アリス、あんたちょっと変わったわね。…その本を使い始めてから」
「そう? 自分ではよく判らないけど」
「…まぁいいわ。ほら、さっさと行った!」
サラに押されるまま、アリスは魔界の門をくぐる。
その間、アリスはずっと人形を撫でつづけていた。
そして、誰にいう事無く、ゆっくりとこう呟いた。
「これが、私の新しい御人形……よ」
その僅かながらの人間と、数多くの妖怪がお互いの立場を保ちつつ、この平和な暮らしを満喫していた。
しかし、ここ最近奇妙な変化が起こった。
時は五月、普段なら雪は解け、桜が咲き、暖かくなる季節だ。
だというのに、外に出れば身も凍るような吹雪に見舞われ、辺り一面の銀世界、暖かさの欠片もない。
どういうことか、冬が過ぎ去らないのだ。
それどころか吹雪は日に日に強さを増し、永遠に冬が続くような、そんな錯覚に襲われていた。
明らかに異常だった。
その異常をいち早く察知し、その原因を探る為、吹雪の中に身を躍らせる少女がいた。
博麗神社の巫女、博麗霊夢である。
霊夢は、類い稀な神力の持ち主であり、持ち前の勘で今まで数多くの事件を解決してきたのだ。
「う~っ、さむいさむいさむい! なんでこー、こんなに吹雪が続くわけ? さっさと
原因を調べて、潰してこないと話にならないわね」
豪雪の中、御札と陰陽玉を携えて、霊夢は華麗に舞い踊る。
やがて、彼女の存在に気付いた妖怪達が襲い掛かってきたが、軽く一掃した。
「とりあえず、適当に進めばいずれ原因にぶち当たるわよね」
そう言いながら、霊夢いつものように勘に頼りながら進んでいくのだった。
吹雪の中、石段に腰掛け本を読む少女が居た。
七色の人形使い、アリス・マーガトロイド。彼女は魔界人である。
魔界の住人である彼女が、何故この人間界にいるかは誰も知らない。
相も変わらず、辺りは酷い吹雪だ。が、彼女はまるでそれに関心がないかのように、手に持つ黒く分厚い本
に集中し、微動だにしない。
その時、彼女の周りで何かが光り、ゆっくりと空中に漂いだした。
人形だ。
細部まで丁寧に作られた、まるで生きているような人形達……それが、体から淡い光を放ちながら、
アリスの周りをゆっくりと、ホタルのように踊る。
もし、これが人の手によって作られたものならば、間違いなく匠の技を持つ者が作ったのだろう。
それほどまで繊細で、よく出来ているものだった。
やがて、アリスは持っていた分厚い本を閉じ、ゆっくりと立ち上がった。
空中を漂っていた人形達が、アリスを中心に輪をかくようにして並び、ゆっくりと消えていく。
「さて、そろそろ彼女が動き出す頃かしら。私は部外者だけど、ちょっとお邪魔させて貰おうかしらね」
そう言うと、彼女は吹雪に乗って空を翔けだした。
「どれだけ進んできたかしら。吹雪が強くて視界が悪いから、方角とかが全く判らないわね」
マヨイガを抜け、向かってくる妖怪をしらみつぶしに片付けながら、霊夢は一人ごちた。
吹雪は未だやむ事がなく、容赦なく吹き付ける風と冷気が、少しずつ霊夢の体力を奪っていく。
このままでは危険だ、焦燥の念に駆られながら、霊夢はそれでも進む事を止めない。
どの道、今引き返したところでこの問題は解決しない。
だったら、戻るよりさっさと進んで事件を解決したほうがよっぽど楽だ、というのが彼女が至った
結論である。
やがて、ひたすら前進し続ける霊夢の眼前に。
無数の淡い光と、そこにうっすらと映える人影が映し出された。
「だれ!?」
霊夢がその人影に警戒し、その場で停滞する。
すると、その人影はゆっくりと霊夢の方へ歩み寄り、その全身をさらけ出した。
七色の人形使い、アリス・マーガトロイドその人だった。
「しばらくぶりね」
アリスが、ゆっくりとした……しかし力強い口調で、そう言った。
対する霊夢は、怪訝そうな顔をし、アリスの顔をまじまじと眺めている。
「あなた、誰だっけ?」
「私のことを覚えていないの? まぁ、そんなことどうでもいい事だけど」
「どうでもいい事なら言うな。で、私に何の用?」
「あら、久しぶりの旧友に挨拶をしに来ただけよ。礼儀はちゃんとしないとね」
「だから、誰があんたみたいな七色魔法莫迦と旧友なのよ~!」
「やれやれ、何も判っちゃいないわね」
その時、アリスの瞳の光が、ほんの一瞬だけ消え去った。
しかし、そのアリスの些細な変化に霊夢は気付かない。
彼女たちは会話を続ける。
「判ってないのはどっちよ。どうでもいいけど、私、少し急いでいるからそこをどいてくれない?」
「あら、それはちょっと寂しいわね。折角だから、少し遊んでくれると嬉しいんだけど」
「ぇ~い、この判らず屋! こうなったら、倒してでも先に進んでやるわ!」
「最初から、その気になれば良かったのよ! それじゃあ、行くわよ!」
やがて、吹雪が舞う中、彼女たちの弾幕遊戯が始まった。
アリスが放つ多彩で美しい攻撃を霊夢は軽々と避け、反撃に移る。
霊夢に負けじと、アリスもスペルカードを使用し、攻める。
博愛の仏蘭西人形。
紅毛の和蘭人形。
霧の倫敦人形。
魔彩光の上海人形。
ヒトのカタチをしたモノが、光りを放ちつつ舞い踊る。
カリソメのイノチを吹き込まれ、美しくも妖しい弾幕美を魅せる。
歌を歌う、舞を舞う、物語を語る、訴えかける。
それは、ヒトとして生きること叶わなかったモノ達の、悲しく、そして儚い物語。
永遠に終わることの無い悲劇。
その人形達の『歌』に、霊夢は少なからず恐怖を覚えた。
「全く、しつこいったらありゃしない!」
「どうしたの? 動きが鈍ってるようだけど。もう終わりかしら?」
「んなわけないでしょっ! これからよ!」
「うふふ。だったらいいんだけどね」
恐怖が、焦りを生んだ。
攻撃を避けつつ、確実にアリスに一撃を与える霊夢。
しかし、彼女は焦燥の念に駆られ、気付かなかったのだ。
アリスが、そして人形達が……笑っているのを。
「これで終わりよっ! 夢想封印・集ッ!」
そう霊夢が叫ぶと同時に巨大な霊力の塊が生まれ、唸りを上げながらアリスに向かって放たれた。
「……ッ!」
アリスが舌打ちすると同時に、霊力の塊がアリスと、人形達を飲み込んでいった。
刹那、激しい閃光が辺り一体を覆い、空気がけたたましい音を立てながら震撼する。
そして数秒後。
閃光が止み、霊夢は閉じていた目をゆっくりと開き、辺りを見回した。
「…どうやら、撃退したみたいね」
そういうと、霊夢は安堵の胸をなでおろした。
うな垂れるように肩を下ろし、深い溜息をつく。
アリスの攻撃は、確かに霊夢を脅かす強力なものであったが、それ以上に、不気味な人形達の存在が
霊夢に多大なプレッシャーを与えていた。
何故かは判らない。が、血の通っていない人形達に、愛着を持つ者ばかりいるとは限らない。
あまりに精巧に作られた人形は、時として恐怖を生む時がある。
霊夢は、血の通っていない人形達が音も立てずに自分を殺しに来る様子を思い浮かべ、背筋を凍らした。
慌てて頭を左右に振り、頭の中から放りだす。
「考えても仕方ないわ。敵も倒したことだし、さっさと先へ進もう」
そう言って、風上に向かおうと動き出した時。
「まだだよ」
「…!?」
そんな声が聞こえ、霊夢は慌てて辺りを見回した。
しかし辺りには誰も居ない。
霊夢の首筋に、一滴の冷たい汗が流れた。
「…だれ?」
弱まる事を知らない吹雪の中で、霊夢はいるかどうかも判らない声の主に、話し掛ける。
しかしその問いの答えは帰ってこない。
「まだだ」
もう一度声が聞こえてきた。
先ほどとは違う、低い女性の声。
「まだ」
静かで、冷たい印象を受ける女性の声。
「まだなの」
幼い少女の声。
「まだ」という声が幾つも幾つも生まれる。
再び、霊夢の心の中に『恐怖』という二文字がはっきりと刻み込まれる。
霊夢は、たまらず声を荒げて言った。
「誰なの!? どうせアリスでしょう。くだらない冗談は止め……」
その時だった。
目の前にポゥッ……と淡い光を放つ物体が現れ、霊夢の周りを回りだしたのだ。
闇の中に漂う、蛍火のような光を放つ物体。それがふたつ、みっつ、よっつと増え、霊夢の
周りで踊りだす。
「くぅっ……」
恐怖に耐えられなくなった霊夢は、再び夢想封印・集を放とうと試みる……が、不思議な事に
どんなに力を入れても、指一本動かす事ができなかった。
金縛りにあい、霊夢の表情は、みるみるうちに青く染まっていった。
「そう、まだ終わってはいないわ」
真正面から聞き覚えのある声がして、霊夢は慌てて顔を正面に向けた。
そこには、先ほど倒したはずのアリスが、分厚い本をめくりながら立っていた。
「あなた……なんのつもり!?」
「驚かせちゃったかしら」
「あたりまえでしょ! さっさとこの変な魔法を解きなさいよ!」
「解いたら意味ないじゃないの。折角超強力な呪術を苦労してかけたっていうのに」
「…あなた……」
「前ね、私があなたに挑んで負けたことがあったわよね」
「そんな昔の事覚えていないわ」
「昔の事って、そんなに前のことじゃないじゃない。あなたって本当に春満載というか……」
「うるっさい!!」
「まぁいいわ。その時から、ずっと考えていたのよ。どうすれば、あなたを私のものにできるか……ってね」
「なッ……」
その時、霊夢はようやく、アリスの瞳に光が灯っていないことに気がついた。
アリスはその虚ろな目で、魔道書のページをめくり続ける。
やがて、その手がピタリと止まった。
「そして考えついたわ。こうすれば、あなたは私のものになるってね」
今まで視線を魔道書に落としていたアリスが、霊夢のほうへ向き直る。
光の灯っていない、深いブルーの瞳が霊夢を凝視する。
「そういえば、まだ言ってなかったわね。あなたの周りを回っているその人形達……」
「…?」
「私が作ったのよ。こうやってね」
そう言うと、アリスは何かの魔法を唱えだした。
「ちょっ、ちょっと! あなた何やって――」
その時、強烈な眠気が霊夢を襲った。
思わず眠ってしまいそうなところを、霊夢はなんとかしてこらえる。
しかし睡魔は、後から後から波のように押し寄せてくる。瞼が鉛のように重くなり、今まで流れていた
風の音が徐々に聞こえなくなる。
代わりに聞こえてくるのはノイズ。まるで耳が詰まった時のように、キーンという音が切れることなく
聞こえてくる。
体中から感覚というものがなくなり、まるで自分の体が他人の物のような錯覚に陥る。
「な……ん……」
ここで眠ったら全てが終わってしまう。
そう心の中で思っていても、今の霊夢にはそれに対抗する術を持ち合わせていなかった。
もっと早くに気がつくべきだったのだ、この辺りを支配する妖気の異変を、そしてアリス自体の
異変を……。
全ては遅すぎた。
そして……。
「さようなら、今までの霊夢。そしていらっしゃい、私の霊夢」
「…ぃ……やだ……」
霊夢は、深い闇の中に墜ちていった。
ここは、魔界へ続く門があると言われる洞窟。
その暗い洞窟の中で、魔界人であり、ゲートキーパーであるサラは今日も変わらず、暇そうに
門番の仕事をしていた。
「あ~あ、この門番って仕事も暇でしょうがないわね。たまには、敵が来るようなハプニングがあれば
面白いんだけど……。以前来た巫女みたいに」
そう一人ごちていると、奥のほうから淡い光と共に歩いてくる人影をサラは見つけた。
ゆっくりと門のある場所へ向かってくる。
「ん? 何だ……こっちの住人か。って、あんた、いつの間に人間界行ってたのよ!」
「ただいま。いつって、もちろん」
「何よ」
「あなたの目を盗んで、サッと出て行ってるに決まってるわ。もうちょっと気をつけたほうが
いいんじゃない?」
「うっ…いつの間に……」
そういうと、ふと、サラの目にあるものが飛び込んできた。
人形である。
「あら、何それ? 変わった人形ね」
「ふふふ、いいでしょ。さっき手に入れたばかりよ」
そう言うと、アリスはうっすらと笑みを浮かべて、人形の頭を優しく撫でた。
紅白の巫女装束を来た、不思議な不思議な人形を。
「…なんだか、どっかで見たような人形ね。それはそうと、早く門通っていってよ。前の事件以来、
神綺様が人間界と魔界の出入りについて、ちょっと五月蝿いのよ」
「判ったわ。まぁ旧友にも会えたし、私の目的は達成したからね」
「どうでもいいけど、アリス、あんたちょっと変わったわね。…その本を使い始めてから」
「そう? 自分ではよく判らないけど」
「…まぁいいわ。ほら、さっさと行った!」
サラに押されるまま、アリスは魔界の門をくぐる。
その間、アリスはずっと人形を撫でつづけていた。
そして、誰にいう事無く、ゆっくりとこう呟いた。
「これが、私の新しい御人形……よ」