「で、次は何をなさるのでしょうか、太子様」
そう期待を滲ませる声色で尋ねられた皇子は「待ってました!」とばかりに顎をさすると、炬燵の上の湯飲みを手に取って重々しく茶を啜る。
もっとも尋ねた布都の期待に満ち満ちた表情は明らかに私から――いや、芳香からすら見ても作り笑顔でしか無いのはあからさますぎるのであるが悲しいかな、我らが皇子はその事に全く気が付いていないと見える。
……こいつ、本当に他人の思考を把握できているのだろうか。
「屠自古、君が何を言いたいのかはよく分かる」
「私が言いたいのはつまらない前置きはさっくり斬り捨てて議題を40秒で語って下さいということなんですけど、本当に分かってます?」
「ああ、君の本心が私の言葉を心待ちにしていることくらい見抜けない私じゃないさ! 愛しい妻よ!」
思わず「チッ」と舌打ちが漏れてしまう。皇子の奴め、『生存欲』が欠けていて私の心を正確に把握できないことをいいことにぬけぬけと。
ふんぞり返る皇子の、その炬燵の中の足をボコボコに蹴り潰してやるところであるがやれやれ、快適な霊体の身体もこういうときだけは不便である。
「それで、次は何をなさいますの? 太子様」
甘夏の皮を剥き剥き一房を口に放り込んだ青娥は最早慣れたと言わんばかりの顔で、こういうときはこいつの面の皮の厚さと全てを娯楽と受け入れる心が羨ましくもあるが、まあこの生来の怒りやすさは如何ともしがたいモノなのであって、つまりどうしようもないのである。怨霊だしね。
ただまあ、形ばかりは青娥を真似して私も籠の中の甘夏を手に取ってずぶり、親指を蔕に突き入れる。
「君たち、甘夏と私の話、一体どっちが大事だと思っているのかね?」
「三十秒経過、あと十秒で纏めて下さい」
「バーチャルユーチューバーだよ、屠自古!」
「はぁ」
青娥の背後に控えている芳香が物欲しそうな顔をしていたので「食べる?」「甘いか?」「酸っぱいな」「食べるぞ」「ほれ」、すじを取った甘夏を半分に欠いて、芳香へと放る。
案の定芳香はそれを手に取ることなくお口でキャッチ、一口でもごもごとと咀嚼して、再び物欲しげな顔を此方に向けてくる。やれやれ、仕方がない。二つ目の甘夏へ手を伸ばす。
「もう一度言うが屠自古、君は私と甘夏、一体どっちが大事だと思っているのかね?」
「皇子が貝のように口を閉ざし条理の水底に大人しく沈んでいる間は皇子の方が大事ですが」
「馬鹿を言っちゃあいけないよ! この究極為政者豊聡耳神子に『何も行動するな』などと、これは重大な社会的損失だよ君、分かっているのかね?」
「で?」
「バーチャルユーチューバーだ」
二つ目の皮を剥いた甘夏を、此方は丸ごと芳香に放って――仕方ない、皇子の方へと向き直る。
「で?」
「流行っているらしい」
「その、太子様、ばーちゃるゆーちゅーばぁ、というものはいったい……」
「知らんのかね? 布都君。そうかそうか仕方ない、浅学な君たちの蒙を啓いてやるとしよアッアッ屠自古、電撃は止めて! 舌痺れちゃう!!」
まったく、一々人を見下さなきゃ話が出来ないのかねこいつは。
まあ、皇子が超常たる存在にして天才であることは疑いようのない事実であるのだけど。
「そういう屠自古のたまにデレるところ、嫌いじゃないよ」
「はいはい」
ああもう、こういうときだけ正確に内心を読みやがって。ほんと腹立つなぁこいつ。
§
「我が神霊廟の人気を見てみたまえ」
ふむ、と皇子が天板に広げた資料を青娥と布都、三人で覗き込む。
「あら、一番人気は物部大連でいらっしゃいますのね」
成程、上から順番に見ていくと確かに一番上にいるのは布都の三十六位で、その次が皇子の三十九位か。
あららぁ皇子の奴、部下の布都に負けてやんの。まぁいちいち政治だ統治だと言動が堅苦しい皇子より布都の方が人気があるのはまぁ、分からなくもないけどね。
「左様。なぜ布都が私より上位にいるのかはさておき、最上位の布都ですら三十六位だ」
「そのようですね。大したものです」
「なんぞ、屠自古にそう素直に褒められるとなんかむずかゆいのぅ」
「なんだよ、私だって褒めるときは褒めるさ――皇子?」
照れ隠しで後ろ手に頭を掻く布都を尻目にワナワナと肩を震わせていた皇子が、
「君たちは何を言っているのかね!?」
突如としてバン、と炬燵の天板を力強く叩いて気勢を上げる。
なんだよ、そんなに布都に負けたのが悔しかったのか?
「三十六位だぞ!? 三十六位ってことは上に三十五人もいるってことじゃないか! 君たちは悔しくないのかい!? 見てみたまえ、やれ付喪神だとかゲスロリ天邪鬼だとか立ち絵すらない狗にすらも我々は負けているのだよ!?」
「そういう他者を貶めるような発言止めてくれませんか。我々の評価がさらに下がりますし、何より皇子の浅すぎる底が皆に知れわたりますよ」
「問題ない! 君たちが今見ている底は所詮偽りの底、私の深淵を覗き込んだ者はその奥深さに恐れ戦くであろうよ!」
まあ、確かに。ぶっちゃけ覗いたらダゴンとか出てきそうだよなぁ、皇子の深淵。
「なんにせよ上位者を馬鹿にする発言はひかえて下さい。聖人として、何より私の夫として恥ずかしくないように」
「む、仕方ない……屠自古に嫌われては生きていけないからな、これからは慎むとしよう」
ニヤニヤと含み笑いを向けてくる布都と青娥に「ノゥッ!」「アウチ!」炬燵の下で電撃を喰らわせてやってから、改めて皇子に向き直る。
「で?」
「人気が欲しい」
「いいじゃないですか別に。寺勢より上だし」
つらつらと名前を追っていくに、命蓮寺の顔である聖白蓮の順位は四十一位、命蓮寺一番人気ですら封獣ぬえの四十位である。
……正体不明が一番人気、ってぬえよおい、お前それでいいんかい。お前の正体完全にバレバレじゃん。
「少なくとも命蓮寺には勝っているわけですし、まあ妥当なところじゃないですか」
「それでも世界一位たる博麗神社の足下すら我らは拝めぬ――後塵を拝しているのは事実ではないか」
「しかし太子様、相手は幻想郷成立時からこの郷を守護し奉るこの郷の顔です。彼女の信頼を我々が上回るのは中々に難しいのではないでしょうか」
まったく、布都の言うとおり。異変の折にぽっと湧いて出ただけの我々ではどうにも分が悪いが――そもそもそんなに気にすることか?
こんなもの、唯の人気投票じゃないか。人当たりがよくて可愛らしい外見に人気が集まるのなんて目に見えているというに。
「でも聖徳太子だよ私、偉いんだよ?」
「でもそういう時代が終わったから、太子様たちはこの郷で復活したのではなくて?」
青娥の横槍に「ぐ」、と小さな悲鳴が皇子の口から漏れる。
そう、聖徳太子だからって無条件に教科書に載ったりお札になったりする時代は最早終わりを告げている。これからは人気も信仰も、自らの行いと原作への露出回数で稼がなければいけない時代が来ているのだ。
「だから、そのためのバーチャルユーチューバーだ」
そう、魂を絞り出すかのような怨嗟の声と共に、皇子が炬燵上に次なる資料を広げてみせる。
またしてもつらつらと三人で文字を追っていくに――
「ええと、あれか。要はネット上にアバターを作り上げ、それを通して娯楽を提供して、間に入る広告費で収入を得る」
「つまりは仮想エンターテイナー、といったところかしら」
「外界の人間は面妖なモノをこさえるの。なぜ本人が素顔で出てこぬのじゃ? それでよいではないか」
「可愛くない顔をしてるからか、もしくは野郎だからじゃないか」
先ほどの人気投票一覧を見てもそうだ。どちらかというと奇抜な衣装の連中より、安定して可愛らしい顔と装いの連中の方が上位に並んでいるのは一目瞭然である。まぁ、例外も幾つかあるっちゃああるようだけど。
ふむ、と得心したらしき布都が、そっと皇子を見やる。
「要するに、我々でばーちゃるゆーちゅーばぁとやらによる傀儡政権を打ち立てようというわけですか」
左様、と重々しく皇子が頷いてみせる。
「無論外界でもプロユーチューバーに比べればまだバーチャルユーチューバーの覇権など微々たるモノ。だがそれはまだ伸びしろが多分に残されているという意味でもある」
「鉄は熱しているうちに叩け、波は大きくなる前に乗れということですわね」
「そうだ娘々、我らは常に時代の最先端を行かねばならぬ。それがこの世を統治するということなのだからな」
ふむ、性格の残念さはさておき、皇子の目の付け所はそう悪くないわけなのだが――
「しかし皇子、ミミズクと邪仙と死体と怨霊と中二男子で一体何が出来るんです?」
「その中二男子というのは我のことか? 屠自古よ」
「他に誰がいるんだよ。へいへーいボールよーこーせーよー」
「たわけ、我は一輪のアホに付き合ってやっただけだわ。餓鬼なのは彼奴一人だけよ!」
「ああそうかい」
いずれにせよここにいる面々、策略と陰謀が得意な連中ばかりが揃っているわけだけど。
資料によるとこのバーチャルユーチューバとやらはエンタメ嗜好、しかもアバターや声優の準備も必要となるわけであって、要するに必要とされる技能が真逆なんだけどなぁ。
「その点は私に任せておきたまえ、当日までにこの郷の諸君が好みそうな題材、傀儡虚像を用意しておこうじゃないか」
両腕を広げて高笑いを響かせる皇子は既に勝利をこの手に得たり、と言わんばかりである。
ま、皇子からすれば他人の欲を丸裸に聞き取れるわけだし? そこのところはまぁ、皇子に任せておけば問題は無いか。
§
などと考えていた一週間前の私の脳味噌を引きずり出して味噌汁で高圧煮沸洗浄してやりたい。
「のう、屠自古。太子様はどうしたのかの? 既に皇子が定めた定刻は――」
「あいつは今滝行で頭を冷やすのに忙しい。いなかったことにしてやれ」
はてさて、九天の滝の圧倒的水圧ですら果たして沸いたあいつの頭を冷やすのに足りるか否か。
いや、たぶん無理だろう。だがせめて、今日一日くらいはあいつを押さえ込んでくれよ幻想郷最大の大瀑布。
「……の、のう、屠自古よ。何かあったのか?」
「皇子が用意していた今日のシナリオだ」
バサリ、と収録スタジオのデスクに回収したファイルを投じる。
どれどれ、と手に取った布都と青娥が泣きたいような、笑いたいような、このまま連続側転しながら廊下を転がってこの場を去りたいような作り笑顔に彩られた。
「バーチャルユーチューバ『美々ノ兎慈』」「ああ、つまり『豊聡耳屠自古』ね」
「声の担当は……屠自古か」「まあ当然そうなるわよね」
「清楚で心優しいお姉さん系の女子中学生、憧れの歴史的人物は聖徳太子」「願望がダダ漏れね」
「性格設定は『ちょっとした悪戯は愛情の表れなので些細なことで雷を落とさないで下さい』」「もう隠す気ないじゃない」
収録スタジオ内が重苦しい沈黙に包まれる中にただ、資料が乱雑に口に放り込まれ咀嚼されていく音だけが響いている。
そんなもん食って腹ぁ壊すなよ芳香。
「で、どーすんのこれ」
皇子の妄想の最後の一枚を芳香の口に放り込んだ青娥が、「もう慣れたけどまたかよ」とでも言わんばかりの態でデスクに頬杖をつく。
「神霊廟プロデュースバーチャルユーチューバ―のリアルタイム放送、もう各方面に喧伝しちゃってるし、今更ドタキャンは出来ないわよ」
「まぁ、ここにいる面々でなんとかするしかあるまいが……我には何も思いつかんぞ」
「私も無ー理ー。ていうか私が行動するとなんかみんな真っ青になって震え出したり吐いたりするし」
「「邪仙はことの善悪を弁えような」」
布都と左右から同時に釘を刺してやると、「お堅いことで」と言わんばかりに青娥が溜息をつく。
「はいはい、弁えますわよ。でもならば屠自古、あんたがなんとかしてくれるのよね? こんなクソとはいえ、太子様のプランを否定するならば」
「なんでだよ。別にいいじゃん中止で。こんなんどうせ皇子の勢力圏拡大手段の一環でしかないんだからさ」
そうだよ。別に『目立ちたい』とか『信仰がー』『支配がー』『政治がー』『人気がー』とか、そういう些細な嗜好を一切無視すればこんな馬鹿らしいことやらなくて済むワケなんだから。
そう青娥を睨め付けると、
「でもさ、この放送を楽しみにしていた人たちには失礼でしょ、それ」
なんて邪仙にあるまじき反論をしてくるわけである。
ほんと、こいつ邪仙だけど実際頭はいいし、やろうと思えば気配りも出来るんだよな。こいつがマジ邪仙なのに今まであんまり人から恨み買ってないの、そういった配慮……ないしは足跡や証拠を残さない狡猾さを備えているからなわけで。
しかし、この放送を楽しみにしている連中ね……
「じゃああれだ。こうしよう」
収録用ではなく、放送画面確認用のディスプレイを眺めやる。そこに並んでいるのは私の姿をほぼ忠実に模したアバター(これアバター用意する意味あったのかよ? 実写でいい……いややっぱ嫌だから必要だわアバター)と、その下にある視聴者の欲を読んで文字にして列挙するコメント欄。
「ここのコメントになんか要望とか質問がきたらそれにお応えするってことで」
「他人に丸投げ? それってどうなのよ。そもそもコメントが一切こなかったらどうするわけ?」
「そんときゃ視聴者がいないってワケなんだからさ、何もしなくていい、楽でいいじゃないか」
呆れた、と肩を竦めるものの、とりたてて青娥も反対をする気はないようである。
じゃ、そんな感じで対処するか。
デスク上のPCに手を添えて、メモリへとアクセス。データを著チョイのちょいと弄くって、
「じゃ、バーチャルユーチューバー『清香ニャン』、っと」
用意していたアバターの容姿を私似のそれから青娥の姿へと変更する。
「ちょ、え、私? ってか今のどうやったの?」
「あ? データなんて所詮メモリ内の電荷のオフオンなんだから、こんなのちょちょいのちょいで終わりだよ」
「――貴方、時々変な方向にすごいわよね……」
「ではぷろふぃーるだが、趣味は死体弄りの女子高生、現在の目標はピンク髪仙人の登場によりR18枠すら奪われがちな影の薄さを払拭すること、としておくかの」
「もう! だからなんで私が担当になってるの!?」
思い出したかのように青娥が牙を剥いてくるけど――布都と顔を見合わせて、ねぇ。
「だって私たちこれ以上恥かきたくないし」「邪仙殿なら元々底辺に居るから問題なかろ」
「もうちょっと邪仙を愛してくれてもバチは当たらないと私思いますの」
がっくり肩を落とした青娥はしかし、二対一の二正面作戦を前に抵抗する気も失せたようであった。
うん、三年前は私たちが主役だったし、今回は出番を青娥に譲ってやるのが然るべき流れというものだろう。
えーと、じゃアバターの表情操作を私、効果音や画面の切り替えが布都、簡単な雑事は芳香に任せるという方針で最終的に合意し、青娥の前にマイクを用意すると、いよいよ青娥も覚悟を決めたか、「アーアー」なんてマイクテストの後に、キッと表情を引き締める。
三人でスタジオ内の時計を確認して、今現在2018年3月31日23時59分55秒、56、57……マイクオン。
「ハイ全国のこんな深夜に暇を持て余している皆さんこんばんは、清楚系乙女ユーチューバーの清香ニャン、ですっ」
ンン゛ッ、と咳払いをして声の調子を整える青娥はアレだ、流石千年以上も邪仙をやっているだけあるな。
声だけ聞いてればホント、こいつが邪術に手を染めたR18Gエログロ仙人だとは誰も思えないだろうよ。
「今宵はわたくし清香ニャンと愉快な愛奴隷達が皆さんのお悩み提案を一つ一つ解きほぐし、揉みほぐし、組んずほぐれつ解消していきたいと思います。何かお困りのことやご要望がございましたら此方の」
すかさずアバターを操作、下にあるコメント欄を指さしながら表情を綻ばせると――
いや、なんだ、うん。このアバターが笑うとどーぅにも何か裏があるような気がしてくるのは私の勘ぐりすぎだろうか。
「コメント欄に記入して頂ければ清楚系乙女であるこの私が相手をして差し上げるかもしれません。なお本番組中ではいろいろキャラが壊れることになる、もしくは既に壊れている可能性もございますが、所詮は踊らにゃ損損のお祭り馬鹿騒ぎ、明日になったら今日の話は全てなかったことになる設定でよろしくお願いしますね。はいではこの下のコメント欄に」
「どしどしコメント下さいなのだ! 清香ニャンがやれる範囲で頑張るニャン♪」
……え、今の最後の芳香か?
そう期待を滲ませる声色で尋ねられた皇子は「待ってました!」とばかりに顎をさすると、炬燵の上の湯飲みを手に取って重々しく茶を啜る。
もっとも尋ねた布都の期待に満ち満ちた表情は明らかに私から――いや、芳香からすら見ても作り笑顔でしか無いのはあからさますぎるのであるが悲しいかな、我らが皇子はその事に全く気が付いていないと見える。
……こいつ、本当に他人の思考を把握できているのだろうか。
「屠自古、君が何を言いたいのかはよく分かる」
「私が言いたいのはつまらない前置きはさっくり斬り捨てて議題を40秒で語って下さいということなんですけど、本当に分かってます?」
「ああ、君の本心が私の言葉を心待ちにしていることくらい見抜けない私じゃないさ! 愛しい妻よ!」
思わず「チッ」と舌打ちが漏れてしまう。皇子の奴め、『生存欲』が欠けていて私の心を正確に把握できないことをいいことにぬけぬけと。
ふんぞり返る皇子の、その炬燵の中の足をボコボコに蹴り潰してやるところであるがやれやれ、快適な霊体の身体もこういうときだけは不便である。
「それで、次は何をなさいますの? 太子様」
甘夏の皮を剥き剥き一房を口に放り込んだ青娥は最早慣れたと言わんばかりの顔で、こういうときはこいつの面の皮の厚さと全てを娯楽と受け入れる心が羨ましくもあるが、まあこの生来の怒りやすさは如何ともしがたいモノなのであって、つまりどうしようもないのである。怨霊だしね。
ただまあ、形ばかりは青娥を真似して私も籠の中の甘夏を手に取ってずぶり、親指を蔕に突き入れる。
「君たち、甘夏と私の話、一体どっちが大事だと思っているのかね?」
「三十秒経過、あと十秒で纏めて下さい」
「バーチャルユーチューバーだよ、屠自古!」
「はぁ」
青娥の背後に控えている芳香が物欲しそうな顔をしていたので「食べる?」「甘いか?」「酸っぱいな」「食べるぞ」「ほれ」、すじを取った甘夏を半分に欠いて、芳香へと放る。
案の定芳香はそれを手に取ることなくお口でキャッチ、一口でもごもごとと咀嚼して、再び物欲しげな顔を此方に向けてくる。やれやれ、仕方がない。二つ目の甘夏へ手を伸ばす。
「もう一度言うが屠自古、君は私と甘夏、一体どっちが大事だと思っているのかね?」
「皇子が貝のように口を閉ざし条理の水底に大人しく沈んでいる間は皇子の方が大事ですが」
「馬鹿を言っちゃあいけないよ! この究極為政者豊聡耳神子に『何も行動するな』などと、これは重大な社会的損失だよ君、分かっているのかね?」
「で?」
「バーチャルユーチューバーだ」
二つ目の皮を剥いた甘夏を、此方は丸ごと芳香に放って――仕方ない、皇子の方へと向き直る。
「で?」
「流行っているらしい」
「その、太子様、ばーちゃるゆーちゅーばぁ、というものはいったい……」
「知らんのかね? 布都君。そうかそうか仕方ない、浅学な君たちの蒙を啓いてやるとしよアッアッ屠自古、電撃は止めて! 舌痺れちゃう!!」
まったく、一々人を見下さなきゃ話が出来ないのかねこいつは。
まあ、皇子が超常たる存在にして天才であることは疑いようのない事実であるのだけど。
「そういう屠自古のたまにデレるところ、嫌いじゃないよ」
「はいはい」
ああもう、こういうときだけ正確に内心を読みやがって。ほんと腹立つなぁこいつ。
§
「我が神霊廟の人気を見てみたまえ」
ふむ、と皇子が天板に広げた資料を青娥と布都、三人で覗き込む。
「あら、一番人気は物部大連でいらっしゃいますのね」
成程、上から順番に見ていくと確かに一番上にいるのは布都の三十六位で、その次が皇子の三十九位か。
あららぁ皇子の奴、部下の布都に負けてやんの。まぁいちいち政治だ統治だと言動が堅苦しい皇子より布都の方が人気があるのはまぁ、分からなくもないけどね。
「左様。なぜ布都が私より上位にいるのかはさておき、最上位の布都ですら三十六位だ」
「そのようですね。大したものです」
「なんぞ、屠自古にそう素直に褒められるとなんかむずかゆいのぅ」
「なんだよ、私だって褒めるときは褒めるさ――皇子?」
照れ隠しで後ろ手に頭を掻く布都を尻目にワナワナと肩を震わせていた皇子が、
「君たちは何を言っているのかね!?」
突如としてバン、と炬燵の天板を力強く叩いて気勢を上げる。
なんだよ、そんなに布都に負けたのが悔しかったのか?
「三十六位だぞ!? 三十六位ってことは上に三十五人もいるってことじゃないか! 君たちは悔しくないのかい!? 見てみたまえ、やれ付喪神だとかゲスロリ天邪鬼だとか立ち絵すらない狗にすらも我々は負けているのだよ!?」
「そういう他者を貶めるような発言止めてくれませんか。我々の評価がさらに下がりますし、何より皇子の浅すぎる底が皆に知れわたりますよ」
「問題ない! 君たちが今見ている底は所詮偽りの底、私の深淵を覗き込んだ者はその奥深さに恐れ戦くであろうよ!」
まあ、確かに。ぶっちゃけ覗いたらダゴンとか出てきそうだよなぁ、皇子の深淵。
「なんにせよ上位者を馬鹿にする発言はひかえて下さい。聖人として、何より私の夫として恥ずかしくないように」
「む、仕方ない……屠自古に嫌われては生きていけないからな、これからは慎むとしよう」
ニヤニヤと含み笑いを向けてくる布都と青娥に「ノゥッ!」「アウチ!」炬燵の下で電撃を喰らわせてやってから、改めて皇子に向き直る。
「で?」
「人気が欲しい」
「いいじゃないですか別に。寺勢より上だし」
つらつらと名前を追っていくに、命蓮寺の顔である聖白蓮の順位は四十一位、命蓮寺一番人気ですら封獣ぬえの四十位である。
……正体不明が一番人気、ってぬえよおい、お前それでいいんかい。お前の正体完全にバレバレじゃん。
「少なくとも命蓮寺には勝っているわけですし、まあ妥当なところじゃないですか」
「それでも世界一位たる博麗神社の足下すら我らは拝めぬ――後塵を拝しているのは事実ではないか」
「しかし太子様、相手は幻想郷成立時からこの郷を守護し奉るこの郷の顔です。彼女の信頼を我々が上回るのは中々に難しいのではないでしょうか」
まったく、布都の言うとおり。異変の折にぽっと湧いて出ただけの我々ではどうにも分が悪いが――そもそもそんなに気にすることか?
こんなもの、唯の人気投票じゃないか。人当たりがよくて可愛らしい外見に人気が集まるのなんて目に見えているというに。
「でも聖徳太子だよ私、偉いんだよ?」
「でもそういう時代が終わったから、太子様たちはこの郷で復活したのではなくて?」
青娥の横槍に「ぐ」、と小さな悲鳴が皇子の口から漏れる。
そう、聖徳太子だからって無条件に教科書に載ったりお札になったりする時代は最早終わりを告げている。これからは人気も信仰も、自らの行いと原作への露出回数で稼がなければいけない時代が来ているのだ。
「だから、そのためのバーチャルユーチューバーだ」
そう、魂を絞り出すかのような怨嗟の声と共に、皇子が炬燵上に次なる資料を広げてみせる。
またしてもつらつらと三人で文字を追っていくに――
「ええと、あれか。要はネット上にアバターを作り上げ、それを通して娯楽を提供して、間に入る広告費で収入を得る」
「つまりは仮想エンターテイナー、といったところかしら」
「外界の人間は面妖なモノをこさえるの。なぜ本人が素顔で出てこぬのじゃ? それでよいではないか」
「可愛くない顔をしてるからか、もしくは野郎だからじゃないか」
先ほどの人気投票一覧を見てもそうだ。どちらかというと奇抜な衣装の連中より、安定して可愛らしい顔と装いの連中の方が上位に並んでいるのは一目瞭然である。まぁ、例外も幾つかあるっちゃああるようだけど。
ふむ、と得心したらしき布都が、そっと皇子を見やる。
「要するに、我々でばーちゃるゆーちゅーばぁとやらによる傀儡政権を打ち立てようというわけですか」
左様、と重々しく皇子が頷いてみせる。
「無論外界でもプロユーチューバーに比べればまだバーチャルユーチューバーの覇権など微々たるモノ。だがそれはまだ伸びしろが多分に残されているという意味でもある」
「鉄は熱しているうちに叩け、波は大きくなる前に乗れということですわね」
「そうだ娘々、我らは常に時代の最先端を行かねばならぬ。それがこの世を統治するということなのだからな」
ふむ、性格の残念さはさておき、皇子の目の付け所はそう悪くないわけなのだが――
「しかし皇子、ミミズクと邪仙と死体と怨霊と中二男子で一体何が出来るんです?」
「その中二男子というのは我のことか? 屠自古よ」
「他に誰がいるんだよ。へいへーいボールよーこーせーよー」
「たわけ、我は一輪のアホに付き合ってやっただけだわ。餓鬼なのは彼奴一人だけよ!」
「ああそうかい」
いずれにせよここにいる面々、策略と陰謀が得意な連中ばかりが揃っているわけだけど。
資料によるとこのバーチャルユーチューバとやらはエンタメ嗜好、しかもアバターや声優の準備も必要となるわけであって、要するに必要とされる技能が真逆なんだけどなぁ。
「その点は私に任せておきたまえ、当日までにこの郷の諸君が好みそうな題材、傀儡虚像を用意しておこうじゃないか」
両腕を広げて高笑いを響かせる皇子は既に勝利をこの手に得たり、と言わんばかりである。
ま、皇子からすれば他人の欲を丸裸に聞き取れるわけだし? そこのところはまぁ、皇子に任せておけば問題は無いか。
§
などと考えていた一週間前の私の脳味噌を引きずり出して味噌汁で高圧煮沸洗浄してやりたい。
「のう、屠自古。太子様はどうしたのかの? 既に皇子が定めた定刻は――」
「あいつは今滝行で頭を冷やすのに忙しい。いなかったことにしてやれ」
はてさて、九天の滝の圧倒的水圧ですら果たして沸いたあいつの頭を冷やすのに足りるか否か。
いや、たぶん無理だろう。だがせめて、今日一日くらいはあいつを押さえ込んでくれよ幻想郷最大の大瀑布。
「……の、のう、屠自古よ。何かあったのか?」
「皇子が用意していた今日のシナリオだ」
バサリ、と収録スタジオのデスクに回収したファイルを投じる。
どれどれ、と手に取った布都と青娥が泣きたいような、笑いたいような、このまま連続側転しながら廊下を転がってこの場を去りたいような作り笑顔に彩られた。
「バーチャルユーチューバ『美々ノ兎慈』」「ああ、つまり『豊聡耳屠自古』ね」
「声の担当は……屠自古か」「まあ当然そうなるわよね」
「清楚で心優しいお姉さん系の女子中学生、憧れの歴史的人物は聖徳太子」「願望がダダ漏れね」
「性格設定は『ちょっとした悪戯は愛情の表れなので些細なことで雷を落とさないで下さい』」「もう隠す気ないじゃない」
収録スタジオ内が重苦しい沈黙に包まれる中にただ、資料が乱雑に口に放り込まれ咀嚼されていく音だけが響いている。
そんなもん食って腹ぁ壊すなよ芳香。
「で、どーすんのこれ」
皇子の妄想の最後の一枚を芳香の口に放り込んだ青娥が、「もう慣れたけどまたかよ」とでも言わんばかりの態でデスクに頬杖をつく。
「神霊廟プロデュースバーチャルユーチューバ―のリアルタイム放送、もう各方面に喧伝しちゃってるし、今更ドタキャンは出来ないわよ」
「まぁ、ここにいる面々でなんとかするしかあるまいが……我には何も思いつかんぞ」
「私も無ー理ー。ていうか私が行動するとなんかみんな真っ青になって震え出したり吐いたりするし」
「「邪仙はことの善悪を弁えような」」
布都と左右から同時に釘を刺してやると、「お堅いことで」と言わんばかりに青娥が溜息をつく。
「はいはい、弁えますわよ。でもならば屠自古、あんたがなんとかしてくれるのよね? こんなクソとはいえ、太子様のプランを否定するならば」
「なんでだよ。別にいいじゃん中止で。こんなんどうせ皇子の勢力圏拡大手段の一環でしかないんだからさ」
そうだよ。別に『目立ちたい』とか『信仰がー』『支配がー』『政治がー』『人気がー』とか、そういう些細な嗜好を一切無視すればこんな馬鹿らしいことやらなくて済むワケなんだから。
そう青娥を睨め付けると、
「でもさ、この放送を楽しみにしていた人たちには失礼でしょ、それ」
なんて邪仙にあるまじき反論をしてくるわけである。
ほんと、こいつ邪仙だけど実際頭はいいし、やろうと思えば気配りも出来るんだよな。こいつがマジ邪仙なのに今まであんまり人から恨み買ってないの、そういった配慮……ないしは足跡や証拠を残さない狡猾さを備えているからなわけで。
しかし、この放送を楽しみにしている連中ね……
「じゃああれだ。こうしよう」
収録用ではなく、放送画面確認用のディスプレイを眺めやる。そこに並んでいるのは私の姿をほぼ忠実に模したアバター(これアバター用意する意味あったのかよ? 実写でいい……いややっぱ嫌だから必要だわアバター)と、その下にある視聴者の欲を読んで文字にして列挙するコメント欄。
「ここのコメントになんか要望とか質問がきたらそれにお応えするってことで」
「他人に丸投げ? それってどうなのよ。そもそもコメントが一切こなかったらどうするわけ?」
「そんときゃ視聴者がいないってワケなんだからさ、何もしなくていい、楽でいいじゃないか」
呆れた、と肩を竦めるものの、とりたてて青娥も反対をする気はないようである。
じゃ、そんな感じで対処するか。
デスク上のPCに手を添えて、メモリへとアクセス。データを著チョイのちょいと弄くって、
「じゃ、バーチャルユーチューバー『清香ニャン』、っと」
用意していたアバターの容姿を私似のそれから青娥の姿へと変更する。
「ちょ、え、私? ってか今のどうやったの?」
「あ? データなんて所詮メモリ内の電荷のオフオンなんだから、こんなのちょちょいのちょいで終わりだよ」
「――貴方、時々変な方向にすごいわよね……」
「ではぷろふぃーるだが、趣味は死体弄りの女子高生、現在の目標はピンク髪仙人の登場によりR18枠すら奪われがちな影の薄さを払拭すること、としておくかの」
「もう! だからなんで私が担当になってるの!?」
思い出したかのように青娥が牙を剥いてくるけど――布都と顔を見合わせて、ねぇ。
「だって私たちこれ以上恥かきたくないし」「邪仙殿なら元々底辺に居るから問題なかろ」
「もうちょっと邪仙を愛してくれてもバチは当たらないと私思いますの」
がっくり肩を落とした青娥はしかし、二対一の二正面作戦を前に抵抗する気も失せたようであった。
うん、三年前は私たちが主役だったし、今回は出番を青娥に譲ってやるのが然るべき流れというものだろう。
えーと、じゃアバターの表情操作を私、効果音や画面の切り替えが布都、簡単な雑事は芳香に任せるという方針で最終的に合意し、青娥の前にマイクを用意すると、いよいよ青娥も覚悟を決めたか、「アーアー」なんてマイクテストの後に、キッと表情を引き締める。
三人でスタジオ内の時計を確認して、今現在2018年3月31日23時59分55秒、56、57……マイクオン。
「ハイ全国のこんな深夜に暇を持て余している皆さんこんばんは、清楚系乙女ユーチューバーの清香ニャン、ですっ」
ンン゛ッ、と咳払いをして声の調子を整える青娥はアレだ、流石千年以上も邪仙をやっているだけあるな。
声だけ聞いてればホント、こいつが邪術に手を染めたR18Gエログロ仙人だとは誰も思えないだろうよ。
「今宵はわたくし清香ニャンと愉快な愛奴隷達が皆さんのお悩み提案を一つ一つ解きほぐし、揉みほぐし、組んずほぐれつ解消していきたいと思います。何かお困りのことやご要望がございましたら此方の」
すかさずアバターを操作、下にあるコメント欄を指さしながら表情を綻ばせると――
いや、なんだ、うん。このアバターが笑うとどーぅにも何か裏があるような気がしてくるのは私の勘ぐりすぎだろうか。
「コメント欄に記入して頂ければ清楚系乙女であるこの私が相手をして差し上げるかもしれません。なお本番組中ではいろいろキャラが壊れることになる、もしくは既に壊れている可能性もございますが、所詮は踊らにゃ損損のお祭り馬鹿騒ぎ、明日になったら今日の話は全てなかったことになる設定でよろしくお願いしますね。はいではこの下のコメント欄に」
「どしどしコメント下さいなのだ! 清香ニャンがやれる範囲で頑張るニャン♪」
……え、今の最後の芳香か?