題.酒 「咲夜、酒」 「はい、ただいま」  私は慇懃に頭を下げると、即座に時間を止めて地下のワインセラーへと移動しました。  レミリアお嬢様の嗜まれる酒を用意するという大役は私が仰せつかることになっております。 お嬢様は大変舌が肥えていらっしゃるので選ぶお酒もほとんど高級品、かつて飲んでいた中には一本で農民なら一生遊んで暮らせるほどの値が付く物もあっただなんてパチュリー様は仰るのですがはたして真相はいかに。お嬢様はいわゆる高貴な家系に生まれたいわゆる生粋の貴族というものですしこれだけの大きなお屋敷を500年も維持されているのですからたしかにそのくらいの出費、痛くも痒くもなかったのかもしれません。  お嬢様は葡萄酒を好んで飲まれます。あれは熟成させればするほど美味しいだなんて言われるお酒で、古ければ古いほど上質に、もちろんそれに伴って値段の方も上物になっていくわけです。幻想郷にはそんなに古いお酒が沢山あるわけではありませんからお嬢様は困り果ててしまいました、そこで声が掛かったのが時間操作の能力を持つ私、十六夜咲夜というわけなのです。  私はワインの並ぶ棚の間を物色しながら歩きます。多くの高級品がありますが、それもこれも、ラベルにはごく近い年が印字されています。  これではお嬢様の舌を満足させるものはないのではないか、って? チチチ。私の能力は時間操作。瓶一本だけの時間を早めて熟成を進めることなど、造作もないのです。  私が指をぱちりと鳴らせば、あら不思議、真っ白で綺麗だったラベルがみるみるうちに黄ばんでゆきます。さてさて、問題はここからなのです。  はたして、この茶褐色の瓶の中、いったいどのくらい熟成が進んでいるのでしょう? そればかりは、実際に口にしてみなければわからないのです。  種も仕掛けもないところから取り出しました銀ナイフで、瓶口の封をくるくると切ってしまえば、口をみっちりと塞ぐコルクが可愛く顔を出します。それを力いっぱい引いてやれば、ぽんっ。 「あはあ」  おっとと、あられもない声が出てしまいました。私はこの瞬間、瓶の口から立ち上る香りが溜まらなく好きなのです。お嬢様でも味わえない裏方ならではの贅沢です。  匂いだけならまずまず。しかし匂いだけではこの葡萄酒のすべてを知ったとはとても言えません。私はパーフェクト・メイド。もちろん、この葡萄酒についてもパーフェクトでなければなりません、当然のことです。  次に取り出したりますはこちらのワイングラス。そこに先ほどのワインをとくとくとくと二口分ほど、グラスの中でゆるりゆるりと巡らせてから一口にいただきます。 「はうう」  失礼、こほんこほん。一口でため息が出るほど美味しかったのは確かですが、しかし、これではお嬢様の舌を満たすのには少し、熟成が足りないようにも感じます。あと、そう、5年ほど熟成させてみましょうか。  ……。  さて。どう化けるでしょうか。改めてコルクを開け、香りを嗅いでみます。おお、と思わず歓声を上げてしまいました。香りはとても、先ほどもよかったですがさらによくなっています。さてさて、もう一度グラスにすこーしだけ、ほんおすこーしだけ注いで……おっとっと、少々勢いが余ってしまったかしら。  グラスに並々注がれた葡萄酒を一気に煽る、まあこれも楽しみ方の一つでしょう。 「くは」  燃えるような液体が喉を灼いきながら滑り落ちていきます。それと一緒に、喉から鼻腔へと流れ込む芳醇な葡萄の香り。身体がぼうっと熱くなります。これならお嬢様も満足していただけるでしょう。自分の手際に惚れ惚れします。  ……ああ、そうそう、お嬢様は葡萄酒と一緒に、チーズやお菓子も召し上がられるのでした。添え物とも合うか、確認しなければ。チーズ、チーズはどこに置いてあったかしら。  ああ、これもお嬢様のため。葡萄酒はどんどん減っていきますが、ここは心を鬼にして。お嬢様、すぐに最高の晩酌をお届けします。  葡萄酒は一口分しか残らないかもしれません、けどね。