『――何でも、は知らないわ。いくらなんでも』 クラスメイトから鈴仙がそんな答えを聞いたのは、とある朝方のことだった。 「――慣れましたか?」 「ん? どうしたの、星姉さん」 居間でお茶を飲みながら雑誌を読んでいた鈴仙は、同じくお茶を飲みながら小説を読んでいた長姉の星に突如呼びかけられた。 星は本に落としていた目をいつの間にか上げて、卓袱台の反対側にいた鈴仙を見つめている。 その瞳にはいつも通りの穏やかな光が浮かんでいた。特に何か心配しているわけでもなく、単に気になっただけなのだろう。 「いえ、鈴仙も中学に上がったことですし、新しいクラスにはもう慣れたかな、と思って」 まあ、心配性は相変わらずのようだけれども。 姉からの質問を、鈴仙は顎に手を当てて天井を見つめながら考えた。 「んー、そうねぇ……ま、ぼちぼち?」 鈴仙は人付き合いが得意ではないが、クラスメイトに数人話す相手はいた。委員長の上白沢慧音を筆頭に、藤原妹紅、因幡てゐなど、クセはあるけれども何かと波長の合うメンツが揃っているため、周りから浮くということも無かった。 加えて、双子の妹である早苗がよくクラスに突貫してきちゃあ、鈴仙を巻き込んで話題を集めるので、鈴仙(と、それ以上に早苗)は近隣のクラスにも存在が知れ渡っている。 「早苗らしいですね」 聞いていた星は、鈴仙の話が早苗の武勇伝(?)になってくると、くすくすと笑い始めた。 そんな姉を見た鈴仙は、「はぁ……」と溜息をつきながら話を続けた。 「笑い事ばかりでもないんだけどね……いつ、ちっちゃな頃みたいに男子に飛び蹴りとかかますかと、ヒヤヒヤしてるわよ」 「それはいけませんね。早苗が帰ってきたらよーく注意しておかないと」 星は、鈴仙の冗談ともつかない発言に(本人はいたって大真面目だが)、これまた本気ともつかない口調で「うーん」と唸っている。 まあ、確かに早苗は昔からおてんばで、『外見美少女、中身が男子』と言われるくらいにあちこちで武勇伝を繰り広げていたので、一家のまとめ役である星としては気にかかっているのかもしれない。 とはいえ、そんな武勇伝の塊も今は割と鳴りを潜め、最近はちょっと女の子らしさも出てきた、と星も鈴仙も思っていた。尤も、トラブルメーカーであることに変わりは無いが。 それならそれで鈴仙も注意すればいいのだが、なんせ、早苗のおてんばは生来のものであるかもしれないが、武勇伝の大半はその鈴仙を守ろうとしてやりすぎてしまった結果なので、あんまり強くも言えないのである。 鈴仙と早苗は双子であるが性格はまるっきり正反対で、鈴仙は小さな頃、よく早苗の陰に隠れていたものだった。他方、早苗は、そんな鈴仙をよく庇うため、必然的に押しの強さを身に付けていた。よって、引っ込み思案な姉と活発な妹という、絵に描いたような好対照になったわけである。 鈴仙としては、そんな妹を頼りに思わなくも無かったが、早苗はどこかしらずぼらなところがあって、それが鈴仙の頭痛の種にもなっているのである。一例を挙げれば、よく忘れ物をする、周りを見ずに突っ走る、と言った具合である。 とはいえ、凸凹コンビながら、今でも寝室が一緒であるくらい仲がいい。早苗も「鈴仙ちゃん、鈴仙ちゃん」と慕ってきているので、鈴仙としても呆れた素振りは見せているが、悪い気はしなかった。 ただ、こんなこと恥ずかしくて、姉の星にだって言えやしないけれども。 「ふふ、早苗のことを話す鈴仙は、いつも楽しそうですよね」 ――まあ、この姉には全てお見通しなのかもしれないが。 「……星姉さんって、時々いい性格してるわよね」 「あら、随分な言われようですね」 少々ジト目で見る鈴仙にも変わらずニコニコしながら返す辺り、全く強かな姉である。 あんまりこのネタで突っ込まれても恥ずかしいので、鈴仙は早々に話題を転じることにした。 「まあ、話戻すけどさ、うちのクラス内が全く懸念の無いクラスってわけでもないのよね」 星は鈴仙が転じた話題に対して、きょとんとした表情を向ける。 「ふむ、クラスで何かあったんですか?」 「と、言うよりはクラスメイトの一人がね。……ああ、不良とか、問題児ってワケじゃないわ。人当たりもいいし、頭脳明晰で、素行も問題なし。ただ、ちょっと気になって、ね」 ――そう言うと、鈴仙はそのクラスメイトのことを星に話し始めた。 ※ ――とある放課後。 「……ん〜っ、今日もやっと終わった」 鈴仙は大きく伸びをすると、感慨深げに呟いた。特に部活にも所属していないため、これで一日の予定は終わりである。 「お疲れのようだな」 と、伸びきった体勢をしている後ろから声をかけられた。 「あら、委員長。お疲れ」 委員長の上白沢慧音だった。委員会決めのとき満場一致で委員長に推挙されて早くも鈴仙のクラスを代表するような存在になっており、本人もその期待に応えようと堅実に頑張っている努力家である。 その努力の一環か、クラスメイトに積極的に声をかけて回っており、鈴仙に対してもまた例外ではなかった。 「で、何か用かしら?」 「用というほどの事でもないが……」 少々ぶっきらぼうになってしまったかもしれない返答に対して、慧音は苦笑しながら肩をすくめた。 そんな我らが級長を見た鈴仙は、慌てて両手を前に出しながら首を振る。 「あ、ああ、ごめんね。ぶっきらぼうに返すつもりは無かったのよ。どうも私、警戒心が強いというか、まず一歩引いちゃうというか――」 少々言い訳染みた言い方になってしまってまたもや「しまった」と思った鈴仙だが、慧音は再び苦笑しながら続けた。 「そうか、こちらとしてもちょっと馴れ馴れしかったかもしれないし、それはおあいこということにしておこう。どうかな?」 そこで慧音の言わんとすることを察した鈴仙は、落ち着きを取り戻して一息つき、一拍置いてその提案を受け入れた。 「……おっけー。言い訳繰り返して、初っ端から気まずい関係になってもアレだしね。委員長の言うとおりにするわ」 「ふふっ、察しが良くて助かるよ」 今度は苦笑ではなくにっこりと笑顔を浮かべた慧音を見て、鈴仙はふぅ、と息を吐いた。 「やっぱり貴女って委員長向きだわ」 嫌味とかそういう悪意無しにそう思う。自分にはまず真似出来ないし、やりたくもならないだろう。 慧音はそんな鈴仙の言葉にきょとんとした顔を向けた。 「それは褒め言葉と受け取っていいのかな?」 「掛け値無しにね。私と同い年とは思えないわよ、いい意味でね」 これで中一女子とは思えない。しかも上がったばっかりである。 鈴仙からの賛辞に軽く笑みを浮かべた慧音は、そのまま続けてこう言った。 「そうかな、私は君みたいな大人びた風貌や洒落た着こなしに憧れたりもするのだが」 「……ま、その言葉はありがたく受け取っておくわ」 謙遜もせず、素直に賞賛を受け取る。 鈴仙も自負しているが、ファッションには気を使っている。故に、対人的に一歩引くと自覚している鈴仙が何かと注目される存在である理由にもなっていた。 もちろん制服は改造していないし、する気も無い(というか、やったら星に怒られる)。 なにより鈴仙としては『身に付けるものを奇抜にして目立つことよりも、服飾に見合った自分本来の魅力を維持したまま着こなす』ほうが一番映えると言う自論を持っているので、ファッション誌などをよく読んで研究はしているものの、そういうぶっ飛んだ方向には行ったことが無い。こだわりはあるが、背伸びをしないのである。 その為、姉妹間でも鈴仙の見立ては評判が良く、姉や妹の服選びに付き合うことが多かった。 「うん、だから私みたいな石頭でも、君の着こなしの良さが感じられるんだと思うよ。そういうところに私は憧れてるし、見習いたいのさ」 「まったく、人を乗せるのも巧いときたもんだ」 慧音からの惜しみない賞賛を浴びて照れた鈴仙は、ささやかな悪態をついてそっぽを向いた。 「――?」 と、そのそっぽを向いた先で視線が止まる。 視線の先には一人の女子生徒。同じクラスになったものの、まだ話したことは無かった生徒がそこにいた。 その女子生徒は、なにやら分厚い本を読んでいる。何を読んでいるのかまでは判別出来ないが、少なくとも中学一年生で読むようなものではないように見えた。 話したことは無いが、その存在は知っている。彼女は慧音のようにまとめ役として優れている為に有名なわけでも、鈴仙のように優れたファッションセンスを盛っている為に有名なわけでもなかった。 ――ただ、周りから見て至って単純に、そして極めてずば抜けている為に――彼女は有名だった。 彼女の武器、それは『頭脳』。 その明晰な、という表現でもまだ足らないほどに明晰な頭脳を以て、彼女はその存在をあっと言う間に周囲に認めさせた。 彼女の名は―― ※ 「――八意永琳さん、ですか?」 「そう」 告げた名前を復唱する星に、鈴仙は短く頷く。 「頭は良いし、人当たりはいいんだけど、何か近寄りがたくて……」 鈴仙の説明に、星は首をかしげた。 「人当たりはいいのに、近寄りがたい? 不思議な表現ですね」 「なんて言うのかな。少なくとも私が見た時は、話しかけられた時は普通ににこやかに受け答えしてるんだけど、自分から誰かに話しかけることが無いの。確かにずっと見てるわけじゃないから、私が見てないときには話しかけてるのかなって思ったんだけど……」 男女問わずクラス随一の交友関係の広さを誇る慧音も、話しかけられたことは無いらしい。慧音から話しかけたことは何度もあるが、その逆は皆無であるとのことだ。 ただ、有無を言わせぬその頭の良さは、多くの生徒から羨望されていた。こないだやったテストなど、それが当然であるかのように満点を苦も無くとっていたし、クラスメイトから聞かれた質問にも、勉強、雑学、軽い質問など、全て澱みなく答えていた。加えてそれを鼻にかけるようなことは無いこともあって、敵は今のところいないようだ。 それでも、なんというか、発しているオーラが近寄りがたいのである。 「話を聞いてると、凄い人みたいですけれど、けど特に近寄りがたい印象は受けませんねぇ」 「う〜ん、こればっかりは会ってもらわないとわからないかな……流石にそこまでしてくれ、なんて言わないけど」 話だけ聞いたら、近寄りがたい感じはまず受けないだろう。なにしろ、完璧超人といっていいくらい隙が無いのである。 そう、人付き合いにおいても――完璧すぎて、隙が無い。 鈴仙の言葉に、星は腕を組んで天井を見上げた。 「ふむ、なんだか難しい話ですね。隙が無い、隙が無い……」 「――隙が無いから、人の入り込む余地が無い……鈴仙はそう言いたいのかしら?」 「きゃあっ!?」 ゴンッ 星は急に横から聞こえてきた声に驚いてひっくり返った。……ついでに頭をぶつけた。 「いたたた……」 「ご、ごめんなさい」 涙目で頭を押さえる星に対して流石に気が咎めたのか、いつの間にか姿を現していた次姉の咲夜は慌てて頭を下げた。 「咲姉さん……神出鬼没もいいけど、毎回心臓に悪いわよ……」 ひっくり返りこそしなかったものの、鈴仙も驚いたのは同じである。胸を押さえて呼吸を整えながら、苦情を述べた。 何でかわからないが、咲夜は毎回唐突に現れては唐突にいなくなっていたりするのである。本人曰く「ただの癖」らしいが。 「……でも、咲夜の言葉は当たっているかもしれませんね」 頭をさすりながら、星はそう続け、そのまま居間を出ていった。恐らく咲夜の分のお茶を入れに行ったのだろう。 咲夜はもう一度「ごめんね」というと、二人の座っていた卓袱台に腰を降ろした。 「人間、完璧すぎる人には近づきづらいものだから、そういう心理が働いてるのかもしれないわね」 「……」 確かに咲夜の言うとおりかもしれない。 (咲姉さんも割と完璧超人に見られるから、何か説得力あるわねぇ) 内心そんな風に評す鈴仙だが、咲夜の評判ぐらいは姉の燐や早苗から聞いて知っている。 クールで長身、成績もトップランカーではないが上々で、運動でもなかなかの活躍を見せるというオールラウンダーなため、ファンがかなりいるらしい。 ただ、凄いねぼすけで、毎日星や燐に(強行的な手段で)起こされていたり、凄い猫舌で熱いものがなかなか食べられなくて「む〜」という感じで唸っていたり、甘いものに目がなかったり、と見てて可愛らしいというか、微笑ましいエピソードも持っているため、鈴仙は近寄りがたい姉と思ったことは無い(直接起こしている星と燐は大変だが)。 星も器が大きくなんでも見通しているかのようで、さらに武道を嗜み、頭脳も明晰で教養もあるという、鈴仙にとって(と言うより姉妹全員にとって)自慢の姉だが、少々天然成分入ってるおっとりさんで、喜怒哀楽がはっきりしておりコロコロ表情が変わるという、親しみやすい性格をしている。 確かに咲夜の言葉を反芻してみると、何かしら『抜けた』ところがあるほうが人は惹かれるのかもしれない。早苗にしたって、あのそれなりのずぼらさが少々の強引さをかき消してくれる中和剤になっているのかもしれなかった。 「他者の欠点を探してしまうのは人の良くない所でしょうが……でも、そこに安心を求めてしまうのも人なのでしょうね」 なにやら悟りを啓いた僧の様な言葉を呟きながら戻ってきた星は、「まあ、そんな深刻なものでもないですけどね」と笑いながら、三人分の湯呑みを持ってもう一度卓袱台の前に腰を下ろした。 「ありがと、星姉さん」 「ありがとう、星姉」 鈴仙と咲夜は星に礼を言うと、それぞれ自分の湯呑みを手に取った。 鈴仙のお茶はそれなりに熱く、咲夜のお茶はぬるめである。 「ふむ……」 お茶を飲みながらちょっと考えてみる。 人を惹きつける魅力――カリスマ性とでも言うのだろうか。そういうものがある人物だからと言って、即人望に結びつくと言うわけではないのだろう。 (でも、そんなの見たこと無いからなぁ) 通常、生きていてそんなカリスマ的な人物に会う事自体稀だろう。そもそも、そんな言葉自体、実態がよくわからない。せいぜいマンガで見るくらいか。 それも含めて、かの八意永琳に関してはよくわからない。 強烈に人を惹きつけるタイプではない、と思う。浮いているわけではないが――いや、ずば抜けているという意味では浮いているのかもしれないが――孤独な傾向にあるようだった。 「――まあ、鈴仙の言ったとおり、会ってみないとわからない、でしょうね」 鈴仙が考えている間に、星がある程度の結論を出したようだった。 「え、でも……」 「もちろん、私が会うわけではありません。聞くよりも見る、見るよりも話す。気になるなら、貴方のほうから話しかけてみるのも手ですよ」 「私が……う〜ん……」 星の言葉に鈴仙は腕組みをして考えた。 確かに、ここまで気になるということ自体、あまり積極的に人付き合いをしない鈴仙には珍しいことだった。無意識に自分から関わってみたい相手だと思っているのかもしれない。 ただ、どうも自分から積極的に声をかけたことがないので躊躇してしまう。 「……積極的に誰かと関わろうとしないタイプの人に気になる相手が出来るって言うのは、結構重要なことよ。経験則だけど」 星の言葉に続いて、咲夜も後押しする。 咲夜も本来は積極的に他人と関わろうとはしないタイプだ。もちろん鈴仙自身が邪険にされたことは無いが、あまり外向きの性格はしていないことは知っている。 そんな咲夜も、仲の良い友人が出来た時は、時たま話題に出すようになっていた。そこからきた経験則なのだろう。 「う〜ん、確かに星姉さんや咲姉さんの言うとおりな気もするけど……」 腕組みをしながら鈴仙は頷いた。 話しかけるかどうかはともかく、何で気になるのかくらいは考えてもいいかもしれない。 「そうですよ、せっかく中学に上がったんですから、お友達を増やすのもいいじゃないですか」 「う〜ん、まあ、友達になるかどうかは置いとくにしても……そうかな」 星がさらに後押しすると、鈴仙は漸く決定した。 「――じゃあ、やってみるか」 そんな鈴仙を見て、星はいつもの柔和な笑顔を浮かべる。 「その意気ですよ、鈴仙」 「……星姉さん、なんか企んでない?」 「そんなことはありませんよ」 星はにこりとしているが、やはり何か企んでいるというか、考えてはいそうだった。 いぶかしむ鈴仙だが、今度は咲夜が繋ぐ。 「……深読みしてもしょうがないわよ。やってみる、と決めたのだから、まずは何かをやってみたらどうかしら?」 「うん、まあ、そうよね。……じゃ、とりあえず、顔の広い早苗に何か聞いてみるか」 とりあえずの方針を定めた鈴仙は、残っていたお茶を飲み干すと、とりあえず出かけることにした。といっても、これは別件だが。 「――ちょっと駅前まで出かけてくるわ。夕飯前には帰ってくるね」 「はい、いってらっしゃい」 「気をつけて」 鈴仙は星と咲夜に見送られると、出かける準備をする為、そのまま自室へと歩を進めた。 ※ 「……で、星姉、何か企んでるんでしょう?」 鈴仙が出かけた後、咲夜はまだ残っているお茶を前に星に切り出した。 「人聞きが悪いですねぇ、咲夜」 星はくすくすと笑ってそれに応じる。 とはいえ、咲夜はそれに応じて笑みを浮かべるなんて事はしない。 「そうは言っても、鈴仙にあんなに強く物事勧めることなんて無かったじゃない。それが突然、『話しかけるのも手ですよ』でしょ? 私じゃなくても気になるわよ」 咲夜が言うとおり、実際、鈴仙も何か気にしてはいたわけである。 「ふふ、咲夜なら、大体わかってるんじゃないですか?」 「それは……予想は、出来たけど」 でなければ、星の言葉の後押しなどすまい。といっても、星の考えの全容を把握していたわけではないので気になったのである。 「まあ、隠すわけではありません。お話ししますよ」 星は自身の湯呑みに一口つけると、そのまま話し始めた。 「ん……鈴仙は、とてもいい子です。よく物事に気が付きますし、しっかりしています。少々引っ込み思案なところはありますが……それでも、自分の妹――早苗や妖夢のために頑張ろうとしていることが窺えます」 星の言うとおり、下の三姉妹の中では一番上ということもあって、早苗と妖夢とよく一緒に居る。 「確かに、燐が纏めやすいようにも動こうとしてるしね」 そして、家を纏めるのが星の役目なら、姉妹を纏める役目は燐なのである。咲夜も要所要所では纏めているが、どうしても星の手伝いが多くなってしまうため、燐も含めた下四人の纏め役は三女の燐が務めていた。 鈴仙はそんな燐が纏めやすいように、きっちりと動いている。同じ苦労人ということもあって、何かと動きやすいという側面もあるのかもしれなかった。 「ええ。あの子は私たち――家族から見ても魅力的な子なんですよ。なのに、クラスメイトがそれを知らないのは、もったいないなー、って、そう思うんです」 「……」 それは咲夜にもなんとなくわかった。ただ、少しお節介すぎやしないかという懸念もある。 「……鈴仙が目立ちたくないのなら、そこまでしなくてもいいんじゃないの?」 「そうですね、それはその通りです」 咲夜の懸念を、星はあっさり肯定した。 「じゃあ、なんで?」 「それはですね、私はこうも思うんですよ」 「?」 怪訝そうな咲夜に、星は自分の思うところを披瀝した。 「ここからは私の主観ですけれど……鈴仙は、その八意さんという方に興味を持っているみたいです。でも、自分からどういう行動を取ればいいのかわからない。今まで自分から積極的に声をかけたりしなかったから、勝手がわからない……でも、今回のあの子は、それを前提にしてでも、自分で動きたがっていた。だから私は後押ししたんですよ。私の言葉は切欠に過ぎません。あの子が自分で興味を持った事柄に対して、自分で考えて、自分で決定した。あの子は立派に成長してますよ。……あの子に自覚は無くともね」 星は「尤も、私も鈴仙にそういう積極性がちょっと身に付くことを期待してはいましたけどね」と付け加えて、残り少ないお茶を啜る。 「……なるほどね」 やはりこの姉は妹のことをよく見ている、と咲夜は思った。 嘗て尖っていたとは言っても、親のいないこの家を曲がりなりにも引っ張ってきたのは、やはり星なのだ。咲夜も、自分も次女としての責任感を持っているという自覚はあるが、やはり今の星にはかなわないと思う。 咲夜は惜しむことなく星にそう告げる。 だが、咲夜が賞賛の意味も込めたその言葉は、あまり喜ばれなかった。 「そんなことを言うものではありませんよ。私だって万能ではありません。……なにより、私が尖っていたころ、まとめていたのは咲夜ですよ。私はその頃の埋め合わせをしているに過ぎないのですから――」 「……そんなこと言わないでよ」 少し寂しそうに告げる星を見た咲夜は、流石におしとどめる。あの頃は衝突したこともあったが、今は文句なしに自慢の姉なのだ。あまり自虐的になってほしくないと咲夜は思っていた。 咲夜の言いたいことを察したのか、星は一旦目を閉じて直ぐに開いた。 「――そうですね。ごめんなさい、無神経なことを言いました。私はまだまだ至らない姉です。咲夜、どんどん私のことを注意してくださいね」 「善処するわ」 にっこり笑って〆た星に対し、咲夜は少々照れながらも応じる。 「あと、もう少し甘えてくれるとお姉ちゃん嬉しいんですけど」 「……善処するわ」 ――最後の要求に関して応じるかどうかはまた別の話であるが。 ※ 「やっぱりこの時間は人多いわね……う〜ん、何度来ても人込みは苦手だわ」 鈴仙は少しぼやきながら、すたすたと歩く。少々うつむき加減になってしまうのは性格上のことか。 まあ、かといって動けなくなるほどに苦手というわけではないので、そのまま行動することにした。 「え〜っと、あの店のセールはまだ少しあったかなぁ……あ、こんなところにアクセサリショップできたんだ。今度寄ってみよっと……あれ、ケーキ屋さん休みだ……う〜ん、とりあえずどこから回ろうかな――ん? あ、早苗だ。妖夢もいる。お〜い」 とりあえず歩きながらウィンドーショッピングをしていた鈴仙は、二人並んで談笑している妹二人を発見し、声をかけた。 「あ、鈴仙ちゃん。奇遇ですねー」 「うん。早苗は学校帰りで、妖夢は道場帰り?」 よく見ると、早苗は制服、妖夢は道着姿である。 「うん、丁度時間が合ったんで、待ち合わせたんだ。ね、妖夢」 「はい。なので、早苗姉様とお店を回ってました。鈴仙姉様は、何かご用事ですか?」 「んー、二人と似たようなものかな。晩御飯までお店巡りしてみようかと思って。丁度、新しい服屋もオープンしたことだし」 鈴仙がそういうと、早苗はぽん、と手を打った。 「なら、一緒に行きましょうよ。丁度妖夢の服見てたところなんだけど、やっぱり鈴仙ちゃんに見てもらったほうが何かと安心だし」 どうやら鈴仙のセンスを当てにしたいらしい。まあ、それ自身はいつものことだし、別にかまわないのであるが。 「いいけど……妖夢はいいの?」 「はい、私も鈴仙姉様に選んでいただければ嬉しいです」 妖夢がそういうと、早苗は急に妹の肩に手を回した。 「あ〜、妖夢〜。私が選んでも嬉しくないんですか〜?」 「え!? あああ、そういうわけでは……」 慌てて否定する妖夢だが、当然早苗も本気で言っているわけではない。単にからかっているだけなのだ。 とは言え、そんなことをしていると話が進まないので、鈴仙は呆れながらも仲裁した。 「はいはい、そこまでよ。早苗も妖夢のほっぺたツンツンしてないで。さっさと行くわよ、二人とも」 「はーい」 「はい」 結果として妹二人からの絶大な信頼をもらった鈴仙は、二人を纏めて商店街を再び歩き始めた。 暫くして。 「――いい買い物したね!」 「はい!」 ホクホク顔で数歩先を歩く妹二人を見た鈴仙は、「ふぅ」と息を吐きながら少し口元を緩めた。 早苗とはよくケンカもするし、張り合うこともあるけれど、やはりこういうときは可愛い妹だなと思わなくもない(双子だが)。 妖夢も少々堅物なところはあるが、最近はちょっとお洒落もし始めている……というか、自分や早苗を含む姉たちの影響か、いろいろなことに興味を持ち出しているので、喜ばしいことだと思う。早苗と行動することが多くなったのもその一貫だろう。 (私もしっかりしなくちゃね) そう思い、何とはなしに前を歩く二人から視線を外してみる――と、 「あれ……?」 人込みを越えたその先に、なにやら佇む一人の影があった。 見間違いでなければ――先ほど姉二人と話していた八意永琳その人に見える。彼女は制服姿で何がしかの店の前に立ち、じっくりと、食い入るようにそこにある何かを見つめている。 「何やってるんだろ?」 ちょっと声をかけてみようか、ああ、でも遠いしなぁ、近づいたとしてもなんて言えば、でもクラスメイトだから挨拶くらいは普通だよなぁ、でもいきなり声かけて大丈夫かな……なんて腕を組みながら逡巡していたら、ちょっと目を離した隙に、既に彼女の姿はなくなっていた。 「う〜ん……」 前途多難である。 先ほど姉二人に宣言したというのに、予想外の事態が起きた途端これでは、実際に何か行動起こすのにえらく時間がかかりそうだ。 「――どうしたの、鈴仙ちゃん」 「はぁ……」と溜息をついたところ、前で別の店の商品を妖夢と眺めていたはずの早苗がいつの間にか戻ってきていた。 どうやらいつまでたっても近づいてこないので、不思議に思って戻ってきたらしい。もちろん妖夢も一緒である。 「ああ、いや、さっきそこにクラスメイトがいてさ。何やってんだろうなー、と思ってただけよ」 「クラスメイト? 誰?」 「八意さんだけど……早苗、知ってる?」 「ああ、八意さん。うん、知ってるよ」 早苗はあちこちに顔を出しているので、顔の広さには定評がある。なので、同学年の鈴仙のクラスメイトにも当然知人は多い。八意永琳に対してもそんな感じなのだろう。 と、思いきや。 「まあ、話したことは殆ど無いけど……挨拶くらいかな」 「そうなの? 意外ね、しょっちゅうこっちにきてるのに」 その返答は、いつも鈴仙のクラスにきてはいろんな人と話していく早苗には珍しいことだった。 「う〜ん、どうもあんまり深く話そうとしない人なんだよね〜。あんまり踏み込みすぎるのも失礼だし、付き合いの距離を探りつつ、まあ、挨拶ぐらいはする程度……かな?」 早苗は考える仕草をしつつ、そう述べた。 「早苗がそのくらいの付き合いなんて珍しいわね」 「いやいや、流石に私だって、全員と仲良くするのは無理ですよー」 少々真面目な顔で早苗は手を振った。 まあ、実際そうだろう。流石に社交的な早苗といえど、全員と仲良く、なんてのは難しい。 (でも、それじゃあ、早苗から詳しい話は聞けそうに無いか……) 出だしから躓いた感じである。 何か別の手を考えなければならない。 と思った矢先。 「鈴仙姉様、その八意さんなら、私、話したことありますけど……」 妖夢がそんなことを言い出した。 「え、本当?」 鈴仙は思わず聞き返した。一体何のつながりで話したのだろうか。 「はい。去年のことですが」 「去年……ああ、その時は私たちも小学生だったもんね」 確かに、考えてみれば、去年まで鈴仙や早苗は妖夢と同じ校舎にいたわけである。同学年の永琳がいるのも同じことだった。生憎とクラスは一緒ではなかったが。 「でも、何で話したことがあるの?」 早苗も興味が湧いたのか、妖夢のほうに身を乗り出した。 妖夢は「うーんと」といいながら、思い出すように上を向く。 「えーっと――ああ、そうだ。その時、目が充血しちゃって、痛かったんですよ。それで、保健室に行ったんですけど、そこにその八意さんがいたんです。確か、保健係だったとか……」 そういえば、彼女はクラスでも保健委員を務めていた。あまり他人の委員会とかは覚えない性質ではあるが、たまたま自分の席が委員会掲示の横だったのでよく覚えている。 「それで、『どうしたの』って聞かれたので、事情を説明したら、目薬を差してくれたんですよ。それで、少し話した事がありまして」 「へぇ〜。いい人じゃないですか。それで、どうなったの?」 「はい、自己紹介したり、お礼を言ったり……ああ、あと話したのは、趣味といいますか、興味のあること、かな? 何か本持ってましたから」 そして、妖夢は剣道が好きだといい、永琳が好きなのは―― 「――天体観測?」 「はい。夜空を望遠鏡で見るのが好きだと言ってました。持ってた本もそんな感じのだったと思います。……難しすぎて、私にはよくわかりませんでしたけど」 最後はちょっと残念そうに告げ、「話したのはそれぐらいですね」といって、妖夢の話は終わった。 「ふーん、天体観測ね……」 鈴仙はもう一度復唱する。 鈴仙自身は、そこまで興味があるような分野ではなかったが、彼女にそこまで熱中するものがあったとは正直意外だった。いつも何かを淡々とこなしているイメージだったので、没頭する姿をイメージしにくかったというのもある。 「でも、珍しいね」 「うん?」 鈴仙が歩きながら考えていると、早苗が口を挟む。 「鈴仙ちゃんって、あんまり他の人の興味とか、今まで話さなかったじゃないですか。それがどうして、急にそんなに興味持ったの?」 「うん……」 鈴仙は腕を組みながら、一呼吸置いて答える。 「なんでかはよくわからないんだけどね、なんとなく気になっちゃって」 「八意さんの事が?」 早苗の返答に静かに頷く。ついでに、先ほどの姉二人とのやり取りも説明した。 「だから、ちょっと自分で声かけてみようかなって思って……」 「なるほどね〜」 早苗は「うんうん」と頷きながら、首を縦に振った。 「それで、早苗にどんな人か聞こうと思ったんだけどね」 「ああ、そういうことだったんだ。ごめん、鈴仙ちゃん。その辺はお役に立てなかったね」 少しシュンとする早苗に、鈴仙は慌てて首を振った。 「いやいや、別に早苗が悪いわけじゃないから。私のクラスのことだし。妖夢が知っててくれて助かったけど」 「あ、いえいえ、私も偶然ですから」 妖夢は謙遜するが、かなりありがたい情報である。 とはいえ、これからどうするか……問題はそこである。 「それなら、妖夢に目薬差してくれたお礼とかで、話しかければいいんじゃないかな?」 鈴仙がそうやって悩んでいると、既に立ち直った早苗が唐突にそんなことを言い出した。 「お礼?」 「そうそう、それを理由にして声かけてみれば」 「いや、それはもう遅くない? だって……えっと、妖夢。それ、去年のいつごろのこと?」 「あ、はい。えっと、うんと……確か、半年以上前だったと思います」 「ありがと――流石に半年以上も前のことで言うのは無理があるんじゃないかなぁ」 鈴仙の疑問に対して早苗は頭を振った。 「ううん、声かけるきっかけなんて何でもいいんだよ。『あっ、この人に興味あるな』って自分で思ったら、まず何でもいいから話すんだよ」 「そうなの?」 「そうだよ。まず話しかけないと進まないからね。その後は、自分の話ばっかりじゃなくて相手の好きなこととかで話を聞かなくちゃいけないけど」 「なるほど」 そう言われれば、早苗は騒々しい割には結構な聞き上手で、相手から話を引き出すのが巧かったように思う。鈴仙も交えて大人数で喋っている時などは、よく司会役というか、いろんな人の話を引き出していた。それでいて自分も話すときはかなり話す。鈴仙は、よくもまあ、並行してそんなことが出来るものだと感心していた。 「早苗ってそういうところ凄いわよね。そういうところは人様に誇れる妹だわ」 改めて目を見張って鈴仙が感心すると、早苗は少し顔を赤くした。 「やだ、もー!/// 褒めても何もでないですよ、鈴仙ちゃーん!///」 バシバシ 「いた、いたたた。早苗、照れたのは判ったから……妖夢、早苗止めて」 「あ、は、はいっ」 照れ隠しに背中をたたいてくる早苗を止めさせた鈴仙は、「ふぅ」と一息つくと二人に改めてお礼を言った。 「でも、二人のおかげで助かったわ。ありがとう」 「お役に立てて何よりです」 「妖夢に同じく!」 妹二人に笑顔で返答された鈴仙は、同じく笑顔を向けた。 ※ 翌日。 朝の喧騒の中で、鈴仙は永琳の席へと足を向けた。 「あの、八意さん。お早うございます」 「――あら、お早う。何か御用?」 他のクラスメイト同様、鈴仙に対しても柔らかな笑顔をむけて挨拶を返した永琳は、引き続きそのにこやかな表情を向けている。 「えっと、昨日、うちの妹が『以前お世話になった』って言ってたから、ちょっと、その、お礼を言わなきゃ、と思って……ああ、そうだ、うちの妹って言っても、誰だかわかるかな……?」 「妹さん。――ああ、今、小等部五年の妖夢さんね?」 考えつつ考えつつ言葉を紡いだ鈴仙に対し、永琳は一瞬怪訝そうな顔をしつつあっさりと特定した。 「覚えてるの!?」 「ええ、剣道が好きな子よね? 確か、『目が充血して』って言ってたから目薬差してあげた覚えがあるわ」 鈴仙は、永琳のあまりといえばあまりに見事すぎる記憶力に舌を巻いた。 「すごいなぁ……よく覚えてたね」 そのまま思わず感嘆の声を漏らす。 「少し話したからね。彼女、真っ直ぐでいい子よね。貴方にとってもいい妹さんかしら?」 「う、うん」 「それなら良かったわ」 なんとなく会話の主導権を握られてしまった感じがする。 しかし、それではいけない。何より、最終目的はともかくとして、今の目的はお礼を言うことなのだ。そのままなし崩しにしてしまってはいけない、と考えた鈴仙は、そのまま話が進む前にもう一度最初に戻す。 「で、でも本当にありがとう。うちの妹がお世話になりましたっ」 が、どうも勢いが付いて思いっきり頭を下げてしまう。 しまった、余所余所し過ぎたかと思ったが―― 「どういたしまして。困った事があったらなんでも言ってね。出来るだけ何とかするわ」 当の永琳は全く気にしていないようで、最初のにこやかな表情に戻って応じた。 しかし、顔はにこやかだが、やはり何か壁を感じる。邪険にされているわけでもないのに何か居心地が宜しくないと思ってしまう。 やはり、咲夜の言うように、自分が『近づきづらい』という意識を持ってしまっているのが原因なのだろうか。それとも永琳自身が壁を作ってしまっているのだろうか。 答えが出ないまま、沈黙を生ませないように鈴仙は続けた。 「でっ、でも、八意さんって凄いよね。一度会っただけのうちの妹のこと覚えてるし、みんなの相談事には色々答えちゃうし。何でも知ってるよね」 少々どもりながら、鈴仙は話を続けようとする。 実際、クラスメイトの相談事にも淀みなく答えているようだし、知識量も頭の回転も、同年代の中ではずば抜けているのではないだろうか。それは、鈴仙が『いい意味で同い年に見えない』と評する委員長の慧音も大いに認めるところだ。 ところが、 「――何でも、は知らないわ。いくらなんでも」 鈴仙の慌てて繰り出した言葉に対し、永琳は先ほどのにこやかな顔を消し、少し寂しそうな笑顔をしてそう答えた。 「え……?」 キ〜ンコ〜ンカ〜ンコ〜ン ――今度こそ生まれかけた沈黙を打ち消したのは、朝の予鈴だった。 ※ 放課後。 「……」 鈴仙は、誰もいない教室に残り、自分の席で独り考えていた。 考えているのは他でもない、朝の永琳との会話だ。 「なんか……あの時は壁を感じなかったなぁ」 もう一度、あの時――最後に永琳が呟いた時の彼女の表情を思い返す。 いつもにこやかで、代わりにあまり表情を崩さない彼女にはあまり似つかわしくない表情だった。 歳相応というか、より幼かったと言うか―― ガラガラ 「――ん? どうした、もう下校時刻だぞ」 物思いに耽っていると、委員長こと上白沢慧音が戻ってきた。 「あ、委員長。って、もうこんな時間なのか……。委員長はどうしたの?」 「ああ、私は委員会があったから。結構長引いて今の時間までかかってしまったよ。君はなぜこんな時間までここに?」 「うん、ちょっと考え事してて」 「考え事? 何かあったのか? 私でよければ聞くが」 慧音は少し首を傾げると、気になったのか鈴仙の席の横まで来てそんなことを言った。 「う〜ん、そこまで深刻な話ってワケじゃないけど……」 鈴仙はそうは言いつつも、せっかくの慧音の申し出をふいにするのもなんだと思い、朝に起きたことをそっくりそのまま説明した。 「――なるほどね。八意さんが……」 「なんだ、そのくらいのこと」と言われるかもと思ったが、慧音はことのほか真面目に受け取ったようで、腕を組んでうんうん唸っている。 逆にそこまで深く受け取ってくれたことに若干申しわけなく思ってしまった鈴仙は、慌てて手を振った。 「いや、私の気にしすぎなのかなー、とか思っちゃったりなんかしちゃって、ね」 「う〜ん、でも私は彼女のそんな表情を見たことがないからなぁ。案外、その直感は当ってるんじゃないかな?」 慧音は冷静に分析を続ける。 そんなものだろうか。 でも、実際鈴仙自身より永琳に話しかける回数の多い慧音がそう感じたならそうなのかもしれない。 「でも、仮に私の違和感が当ってたとしても、そんな表情した理由がわからないわね」 「ふむ……」 慧音はちょっと目を閉じて考えると、再び口を開いた。 「話の流れを聞くと、『何でも知ってるよね』と言った直後なのかな?」 「え? ええ、そうね」 「ということは、だ」 一拍置いて、慧音はピッと人差し指を立てて説明モードに入った。 「その、『何でもは知らない』と言う返し方自体に何かあるんじゃないかな?」 「返し方?」 鈴仙の鸚鵡返しに、慧音は頷く。 「彼女の頭の良さは知識、回転ともに皆が認めているところだ。そして彼女自身、そういった評価に対して表情を崩すことはなかった。しかし、君に『何でも知っている』と言われた途端に、急に表情を崩してしまった。そこに何かあるとは思わないかな?」 「なるほど……」 確かに言われてみれば尤もだ。 「すると、八意さんは何か自分でも判らないことがあって、それに何か思うところがあるって事?」 鈴仙がそういうと、慧音は『我が意を得たり』とばかりに頷いた。 「うん、私はそう思う。もっと突っ込んだ見方をすれば、彼女はその『自分自身がわからないこと』に対して執着というか、興味を強く持っているのではないか、とね」 それがなんなのかまではわからないが、と慧音は言って一旦口を止めた。 しかし、そうだとすると、鈴仙が言ったことは、かなり永琳に対してキツい一言だったんじゃないだろうか。 「どうしよう……。謝った方がいいかな……」 鈴仙は頭を抱えた。 これは痛恨のミスである。これから取っ掛かりにして彼女と話そうと思ったのに、気まずい関係になってしまう。ここからどうやって巻き返そうか、そもそも巻き返せるのだろうか、これが原因で一年間気まずい思いをしてしまうのか……とどんどん暗い方向に考えてしまう。 が、慧音はそんな風に思考の底なし沼に嵌っていく鈴仙を、一挙に引っ張り上げた。 「いや、寧ろ、『君だから』そんな表情を見せたんじゃないかな?」 「……私だから?」 慧音は「うむ」と頷く。 「彼女の知識量は、先ほども言ったように皆が知っている。そして彼女は別に話を拒むような人じゃない。……と、言うことは、既に誰かからそんな言葉は聞いているとも思えるんだ」 「まあ、その可能性はありそうよね……」 「しかし彼女に関して、そういった表情を見せたという話は、君以外からは寡聞にして聞いていない。とすると、君だけが見た可能性もあるんじゃないかな」 「……」 鈴仙は一旦沈黙し、考えてみる。 慧音の言うことは可能性の話だ。決定事項の話ではない。 しかし、慧音の言葉には頷かせるような『何か』があった。まるでその現場を見てきたかのような説得力がある。 鈴仙を気遣って色々言っているにしても、何かしら考えというか根拠めいたものがあって言っているようにも聞こえる。 「でも委員長。委員長がそう判断した理由は?」 「そうだな……うん、『勘』かな」 勘。 極めて理論的な級長の口から、極めて似つかわしくない単語が生まれ出た瞬間だった。 しかし、鈴仙はそんな慧音の言葉を一笑に付す気にはなれなかった。なぜなら『そうであってほしい』と信じたい自分以上に、『そうなんじゃないだろうか』と若干信じている自分がいたからだ。言ってみれば、鈴仙も『勘』ではあるが、慧音より遅くではあるが、そんな気がしたのである。 「勘ね……」 「笑うかな?」 「ううん、なんとなく合ってそうな気がしたわ」 「そっか」 もちろん、慧音からの説明でかなり納得した部分があるのだろうが。 鈴仙は目を閉じてふっと笑うと、もう一度慧音を眺めながら続けた。 「――案外、『何でも知ってる』のは、八意さんじゃなくて委員長なのかもね」 鈴仙の感心した言葉に、慧音も同じく笑いながら軽く首を振った。 「ふふっ、流石にそれは買いかぶりすぎだよ。私だって君と同い年だ。君が知っていること以上の事は知らないよ」 「あら、それなら八意さんだって同じよ?」 「うん、そうだね。……だから、彼女に壁を感じるとか、思ってしまってはいけなかったのかもしれないな、私は」 慧音はそんなことを言いながら少し寂しげに笑った。 「あ、ご、ごめん。責めるつもりじゃなくて……」 「……ああ、いや、すまない。気にさせるようなことを呟いてしまった」 慌てて謝る鈴仙に謝罪した慧音は、改めて口を開く。 「もしかしたら、なんだけど……八意さんは君が気になるのかもね」 「八意さんが私を?」 慧音は頷きながら続けた。 「うん、君が八意さんに興味を持っているように。だから、その表情の謎を解き明かすのは、君にしか出来ないことなんじゃないかと思う。……私の勝手な想像だけどね」 「私に、しか……」 慧音の言葉を復唱する。 そうなのだろうか? 早苗と違って引っ込み思案で、人にあまり係わろうとしなかった自分が、八意永琳の表情の真意を汲み取ることなんてできるのだろうか? しかし、実際そうなのかもしれないとも思う。『私にしか出来ない』かどうかは置いとくにしても、『私ならもしかしたら』と思う気持ちが無くはない。これを自惚れと取るか、確信と取るかは人それぞれだろうが、少なくとも鈴仙自身はそれを『ありうること』と考えることにした。 鈴仙の真面目に考える姿をみて思うところがあったのか、慧音は少し顔を赤らめて頬を掻いた。 「……はは、級長なんて役目にいると、ついついお節介を焼いてしまうね。ただ、これは私からもお願い。彼女がクラスに打ち解けられるように、君の力を貸してくれないかな?」 慧音の正面からの頼みごとに、鈴仙は少し考えて口を開いた。 「……ほんと、お節介ね、委員長は」 「うん、実際そう思う」 「でも、大きなお世話じゃないわ」 鈴仙はそれだけ呟くと、席を立った。 「――うん、委員長に言われたら、少し『出来るんじゃないか』って気持ちが出てきたわ。わかった。できるだけのことはする」 「そうか……ありがとう」 慧音は立ち上がった鈴仙に対して頭を下げ、鈴仙はそんな慧音に対して手を振った。 「気にしないで。私が自分のためにやることだから」 「……そうだね」 だが、慧音は鈴仙の言葉に、何故かなんとなくすわりが悪そうである。この感じは、姉妹間でもよく見た光景だ。 「ねぇ、委員長」 そんな慧音を見た鈴仙は、そのまま続ける。これこそ大きなお世話かもしれないが、言っておくべき事である様な気がした。 「委員長はさ、もっと自分のやりたいことって言ってもいいんじゃないの? これは姉さんからの受け売りだけどさ」 咲夜、燐、鈴仙が、よく星に言われている言葉だ。理由は恥ずかしいから、引っ込み思案だから、など各人にあるが、慧音のように頑張って背伸びをするような人物にも言っておくべき言葉のような気がした。 人から頼られる、そんな立場がある、そして、その立場に対して責任を持とうとする……そんな人物には。 ちょっと踏み込みすぎたかとも思ったが、慧音はそれに対して怒ったりはしなかった。 「そうかな……うん、そうかもしれないな。じゃあ、改めてお願い。私も八意さんとは仲良くしたいんだ。委員長としても、私個人としても。その為に、是非君の力を貸してほしい」 「うん、改めて承ったわ」 素直に鈴仙の助言を受け取って頼み込んだ慧音の頼みを、鈴仙は快諾した。 ――二人のやり取りは、丁度そこに響いてきた用務員さんの「下校時間はとっくに過ぎているよ。早く帰りなさい」という言葉で終了した。 ※ 「とは言ったものの……」 慧音と別れた後、鈴仙は駅前を歩きつつ溜息をついていた。 (鈴仙にとっては)大見得を切ったものの、取っ掛かりが増えたわけではない。慧音の分析とも励ましとも言える言葉でいくらか気分は楽になったが、この後をどう進めようかで頓挫している状況である。 早苗ならいい案が浮かぶだろうか、とも思ったが、その当の早苗が永琳との交流があまり巧くいってないことに気付き、途方に暮れる。 「どうしよう……」 う〜んう〜ん、と唸りながら歩いていると、 「どったの、鈴仙」 後ろから呼び止められた。 「――あ、燐姉さん」 振り向くとそこに立っていたのは、怪訝そうな顔をしているすぐ上の姉である燐だった。と、横にもう一人いる。 「……と、霊烏路先輩」 「おっす、鈴仙。元気ー?」 爽やかに笑って片手を上げて挨拶したのは燐の親友、霊烏路空だ。何度か家に来ているので、鈴仙とも面識がある。 何か知らないが早苗が懐いており、燐とも早苗ともよく話しているが、鈴仙は殆ど話したことが無い。 「こ、こんにちは」 なので、少し警戒しつつ挨拶してしまう。ちょっと他人行儀過ぎたか、大丈夫だろうかと心配になったが、すぐさま燐がフォローを入れてくれた。 「あ〜、ごめんね鈴仙。こいつ結構大雑把というか、理科の実験以外ずぼらというか、人との接し方が適当だから……」 「あら、失礼ね。礼儀作法自体は修めてますわ」 燐の説明を受けて少々口を尖らせた空が抗議した。 「……事実だけに、よりタチが悪い」 「〜♪」 燐が苦虫を噛み潰したような顔をしながら空を軽く睨む。が、当の空は涼しい顔をしている。 「え、ええと……」 鈴仙はおずおずと声をかける。 ケンカをしているわけではないのだろうが、自分にはそういう経験が無いからか、なんとなく戸惑ってしまう。 そんな妹を見た燐は、少々顔を赤くしながら弁明した。 「あ、ああ、ごめんよ。これくらいはいつものことだから、気にしないでおくれよ」 妹の前で親友と張り合ったことに恥ずかしくなったと思われる。 「そうそう。本当、お燐にはいつも感謝してますわ」 「調子がいいねぇ、全く……」 嫌に丁寧な口調で冗談めかして告げる空に呆れたのか上を向いて嘆息した燐は、気を取り直したように鈴仙のほうを向いた。 「で、どうしたのさ、浮かない顔して」 「う〜ん、話せば長くなるんだけど……」 鈴仙がどこから話そうかと悩んでいるうちに、今度は空が助け舟(?)を出した。 「あ、じゃあ、そこのスタバで話さない? ちょっと喉渇いちゃって」 と、直ぐそこにあるスタバを指差す。 「アンタねぇ……まあ、いいか。鈴仙、長くなるのかい?」 「え? う、うん、結構長くなる、かも」 「じゃ、問題なしなし。たまにゃ奢るからさ〜」 空は、半ば呆れる燐と戸惑う鈴仙を強引に引き摺るようにして、店舗へと歩を進めていった。 「――ふ〜ん、そんなことがねぇ」 鈴仙自身が気になったこと、星と咲夜に勧められたこと、早苗と妖夢に教えてもらったこと、それと先ほどの慧音との話の一通りを聞き終えた燐は、そんな風に答えた。 「でも、この後どうしようかと思っちゃって……」 「そうだねぇ……う〜ん、セオリーだけど、相手の興味ある分野で話しかけてみるとか?」 「でも、私そういう天体観測とか興味があるわけじゃないから、よく判らなくて……」 「う〜ん、それもそうだなぁ」 燐と二人でアレコレ意見を出してみるが、どうにもしっくり来ない。燐も早苗に負けず劣らず社交的ではあるのだが、やはり、永琳の話を聞いて即座に対応が浮かぶことは無いようだ。 二人して考え込んでいるうちに、ふと燐が顔を上げた。先ほどまで勢いよく喋っていた空が、暫く黙り込んでいるのだ。 燐は気になったのか、空の方を叩いて呼びかける。 「おくう」 「――んっ?」 「さっきからずっと黙ってるけどどうしたんだい?」 燐の呼びかけで、ようやくこっちの状況に気付いた空は、腕組みを止めて手に顎を置いた。 「ああ、ちょっと思い出してたの」 『思い出す?』 鈴仙と燐の鸚鵡返しに、空は頷く。 「その八意さん、どっかで聞いたことあるなー、と思ったら、私知ってたわ」 『えっ!?』 返答に同時に反応した燐と鈴仙に対し、空はそのまま宙を見ながら説明する。 「えーっとね、確か、うちの祖父さんと、その八意さんのお祖父さんが知り合いだったのよ。確か、天文学者だったかな、彼女のお祖父さん。それで、どんな子なのかなー、と思ってちょっと観察しにいったの」 ま、そんなに長々と見たわけじゃないけどさ、と言って、空は飲み物を啜る。 「いやー、ありゃ、間違いなく天才だね。あの年齢で天文学の論文にまで手出してるんだから。こりゃ、末恐ろしい理論天体物理学者候補よ。恒星系研究論文についても――」 「――あー、待て待ておくう。言ってる意味がわかんない」 「あら、ごめんなさい」 燐は、用語を羅列する勢いでまくし立てそうな空を急いで止めると、代わって口を開いた。 「まあ、要はそんだけの人物ってことだろ? おくうがそこまで言うんならさ」 「ま、平たく言えばそういうことね」 燐はそれで納得したようだが、鈴仙は話についていけない。 「……つまり、どういうこと?」 「おくうがそこまでべた褒めするんだ。その八意さんって人はかなりの天才だよ」 「かなりどころか、相当の天才ね」 燐の言葉を一部訂正した空は、ふふん、と笑いながら何故か自慢げに言う。 「えっと、ってことは、それがわかる霊烏路先輩も……」 「あー、こいつこう見えて、理数系は異常なまでに頭いいんだよ。ぶっちゃけ、こいつが一度スイッチ入ると、あたいには何言ってるか全然理解出来ない」 「ふっ」 燐の説明に、さらに誇らしげな表情をした空を見て、鈴仙は目を丸くした。 なんだか、言っては悪いが、破天荒ではあるがそんな超越した人には見えなかったのだが。 「まあ、その超絶に天才的な理数系に反比例して、文系は壊滅的なんだけどね……」 「うぐっ」 溜息をつきながら言うお燐にばつ悪げな表情をした空は、そのまま目に見えて視線をそらした。 「……あんた、理系の論文読めるなら、漢字のテストくらいできるだろ。何でそこで躓くんだよぅ……」 「何でだろうね?」 「あたいが聞きたいわっ!」 心底不思議そうな空と、それに食ってかかる燐を見ながら、言っては悪いが「本当にそうは見えない」と思った鈴仙だった。まあ、確かにここで専門的な話をされても、さっぱり理解出来ないけども。 頭を抱えた燐は、「まあ、それはさておき」と気を取り直し、もう一度鈴仙に向く。 「まあ、こいつとの付き合いがあるからってわけじゃないけども……なんというか、凄い頭のいい人って、どっかしら他の人と話がかみ合わない気がするんだよね。その八意さんもそんな感じなんじゃないの?」 「かみ合わない、か……」 燐の言葉をもう一度復唱する。 でも、彼女はどちらかと言うと、他人の相談事によく乗っている人間なのだが。 鈴仙がそういうと、今度は空が引き継ぐ。 「だからこそ、『自分』を出せる相手がいなくて、窮屈なんじゃないのかな。相談事に乗ってるからって、自分がかみ合ってるわけじゃない。相手にかみ合わせてる、と本人が思っちゃってれば、やっぱりそれは窮屈なのよ。私なんて、かみ合うのもかみ合わせんのも苦手だから、そんな感じするわ」 この辺は完全に勘というか、想像なんだけどね、と言って空はさらに続ける。 「鈴仙。ここにいる貴女の姉さんは、そんな他人とかみ合わせるのが苦手だった私とずっと付き合ってる、私に関してはスペシャリストだ。私が自分で理解している以上に、私の事を理解している。お燐の助言が私の為になった事なんて数知れない。そうやって、今、私の隣にいる、私の誇れる親友になったんだ。その姉さんが感じたことだ。まるっきり受け入れるとまではいかなくても、深く受け止めて損は無いと思うよ」 空はそこで一旦言葉を区切り、そしてさらに真面目さを加えて続けた。 「――そして、もしその通りだったら、私に対するお燐みたいに、八意さんに対する鈴仙になりなさい。違ったらまあ――その時は、その時だ」 「霊烏路先輩……」 聞く人が聞けば無責任とも思うかもしれないその言葉を、鈴仙は重く受け止めた。 確かに空の言うとおり、燐の感じたことはもっと考えてみてもいいかもしれない。この破天荒に見えて、その実親友に対する絶大な信頼を持っている先輩の言葉を信じてみるのもいいかもしれない。そして、燐の感じたことを信じてみてもいいかもしれない。 外れたら――『その時は、その時』だ。 「あんた、恥ずかしげもなくよくそんなこと言えるね……///」 「カッコいいだろ?」 赤くなりつつジト目になる燐に対し、空はニヤリと笑って応じる。 燐は「はいはい、カッコいいカッコいい」といなすと、もう一度後を引き継いだ。 「まあ、部外者だから勝手なこと言っちゃうのかもしれないけど……やっぱり自分で動くってのは大事だと思うよ」 「うん……」 でも、この後どうすればいいのだろう。 「そうだねぇ――」 燐は少し考えた後、ぴっ、と鈴仙を指差した。 「――まず、鈴仙がその子と話すこと」 きょとんとしながら指先を見る鈴仙にかまわず、燐はそのまま続ける。 「話を聞くに、妖夢は少しだけだけど、その子と話したんだろ? なら、鈴仙にも出来るよ。最初は『なにやってるの』とかで十分さ。あたいとおくうだってそうだった。そりゃ、あたいとおくうは親友だ。でも、最初から特別だったわけじゃない。こう見えて、この関係になるには結構長い時間かかってるんだよ、あたいら的にはさ。な?」 最後の言葉は空に向けたものである。空はその言葉に大きく頷いた。 「そうそう」 「だから、鈴仙も時間かければ出来るんだよ」 「でも、私は……」 燐姉さんみたいに人付き合いが上手くないから、と言う前に、鈴仙の口は燐に止められた。 「おっと、自分は人付き合いがダメだ、なんて言わせないよ。あんたは人付き合いがダメなわけじゃない、ちょっと引っ込み思案なだけだ」 「で、でも」 「自信を持て、とは言わない。鈴仙にだって話す友人はちゃんといる。今の話でも出てきたし、早苗と一緒にグループに溶け込んでた事も、あたいは知ってる。……星姉さんや咲夜姉さんと比べれば、まだまだ甘いけど、あたいだって鈴仙の姉だ。鈴仙のやってきたことなら多少はわかる。……だから、自信よりも前に自覚を持て。鈴仙は人付き合いもできてる。必要なのは自信の前にその自覚さ」 「燐姉さん……」 燐は「姉さんをなめるんじゃないよ」といい、ちょっと顔を赤くして飲み物をすすった。 「あんたも恥ずかしげもなくそんな台詞言ってるじゃないの」 「う……い、いいだろ、別に」 「もちろんいいわよ? 私、カッコいいお燐は大好きだもの」 「〜〜〜〜〜〜っ!!///」 空に本気ともからかいともつかない意味深そうなニヤリとした笑顔を向けられた燐は、赤くなるやら睨み付けるやらで百面相を披露していた。 それを見ていた鈴仙は、少し微笑ましくなった。 いつもは鈴仙たちや同級生のまとめ役である燐が、空と話しているときはこんな風に直ぐムキになったりするのが面白い。 本当に仲のいい親友同士なんだな、というのが外から見ても分かる。 鈴仙は自分が人付き合いが苦手だとは思っているが、決して他人が嫌なわけではない。誰かと話している時に面白くなってきたりすることもきちんと自覚できていた。 しかし、燐が言うところの『人付き合いが出来ている』という自覚は無かった。自分では判らないものなのだろうか。 目の前で空に食ってかかるお燐を眺めながら、鈴仙はカップに残っていた最後の残りを啜った。 「じゃーなー、お燐、鈴仙〜」 「気をつけて帰れよ〜」 「さようなら〜」 空と別れた鈴仙たちは、そのまま帰路に就く。 「――まあ、なんだかんだで偉そうに言ったけどさ」 「え?」 その道すがら、燐が口を開いた。 「鈴仙は鈴仙のやりたいようにやればいいんだよ」 「やりたいように」 燐はこくりと頷く。 「そ。自分で言ってたけど、鈴仙が『話してみたい』って興味持ったんでしょ?」 「うん。私、あんまり自分から人に話しかけたりしないから、そう思ったのは珍しいな、って……」 「その気持ちが大事だよ。まずは自分の気持ちを大事にするのさ。誰かに強制されて仲良くするわけでも、誰かに強制されて一人でいるわけでもないだろ?」 「それは、そうよね」 「鈴仙はアレだ、深く考えすぎなんだよ。たまには自分の直感で動いたっていいんじゃないかい?」 燐はそう言って「にしし」と笑った。 ※ 「――なるほど、燐たちがそんなことを……」 「うん」 夕食後、星の自室にお邪魔した鈴仙は今までにあったことを相談した。 「いい感じじゃないですか」 「そうなの? いい話は聞けたけど、特に八意さんとは進展はなかったと思うんだけど……」 鈴仙の怪訝そうな表情に星は頭を振った。 「最初はそんなものですよ。なにより、あなたは燐や早苗や妖夢、他の皆さんの言葉をよく聞いて、ちゃんとそれを受け止めている。着実に進んでいますよ」 「そ、そうかな///」 星が笑顔で告げると、鈴仙は赤面した。 「ええ、そこで聞いた話を役だてて、あと少し、勇気を持ってください。あなたにはそれが出来ますよ。私の妹ですからね」 「う、うん、がんばる///」 星がにっこり告げた言葉に対して過大な期待だと少しは思ったが、嫌な気分ではなかった。 鈴仙の決意を見て取った星は、さらに続ける。 「うまく行かないと思ったり、悲しくなったときはいつでも言いなさい。私が聞いてあげますから」 「うん……」 そのお世話になるかもしれない。でも、そうなるまでは、きちんと頑張りたい。そして、できるだけそのお世話にはならないように頑張りたい。虫のいい願いかもしれないが、鈴仙はそう思った。 星はそんな鈴仙の内心を知ってか知らずか、きちんと太鼓判も押してくれる。 「でも、私は巧くいくと信じてますよ。私の妹が頑張っていることですからね。それでも、くじけそうな時はいつでもいらっしゃい。あなたのことはちゃんと見てますからね」 「星姉さん……」 「返事は?」 「はいっ」 「うん、いい返事です」 少ししゃちほこばりながら返事をした鈴仙を、星はにこやかな相好を崩さずに見返す。 ちょっと恥ずかしくなった鈴仙は、なんとなく話を進めた。 「で、でも、ちょっと大げさかな、と思わなくもないのよね。話しかけるだけなのに……」 口だけでなく、実際にそう思わなくもないのである。星もちょっと大げさに言ってるんではなかろうか。 が、鈴仙の予想に反して、星はいたって真面目な顔をして続けた。 「いえいえ、私もナズーリンと初めて話したときは結構緊張してましたよ? 大げさで結構、誰も笑いやしません」 「そうなの? 意外だなぁ、星姉さんが」 鈴仙が軽く目を見張ると、星は「ふふ」と笑って、自分の過去を語り始めた。 「彼女はクールで結構斜に構えたところがありますからねぇ。私もどう接したものかな……と最初は色々考えたりしたんですよ」 「確かにナズーリン先輩ってそういうとこあるわよね……。私、一対一で話したら絶対にオロオロするわ……」 殆ど会っていないが、星の級友で親友のナズーリンはメリハリの利いた人物であり、おっとりした星とは割と対照的であるように、鈴仙はイメージを持っていた。 「でも、委員会とかで話したりすると、結構お茶目だったりしたんですよ、真面目な顔してるのに、口では冗談飛ばしたりしてね(笑) 一言多かったりして、『しまった』的な表情するときも結構ありましたし(笑)」 「へ〜っ、たまにウチに来る時に見かけたりすると、クールそうな人なのにね」 「でしょ? でも、それは間違いではありませんが、一面から見た光景だったんですよ。それで、というのも変な話ですが、馬が合ったんでしょうね。それ以降、なんだかんだで仲良くやってます。ま、そんなもんですよ、初めて話すときなんて」 「そんなものかな〜」 なんというか、説得力があるようなないような不思議な感じがする。尤も、星は人望はあるが、燐や早苗のように積極的に声かけて回るというタイプではないので、案外、本人が思った通りそのままなのかもしれない。 「そうですよ。だから、気にしすぎちゃいけません」 「はぁい」 なんとなく肩の力が抜けた感じがしてほっとする。やはり、今日起きたことを星に相談したのは間違いではなかったようだった。 ※ 「……あれ」 「ん?どうしたの、鈴仙ちゃん」 自室に戻って明日の準備をし始めた鈴仙は、シャーペンの芯が切れていたことに気付いた。 「しまったなー、残りもちょっと心もとないし……早苗、シャーペンの芯持ってない?」 「ちょっと待ってね……あちゃ〜、私も切らしてるや……うわ、消しゴムも無い……ああ! そういえば明日分度器と定規いるんだった!」 「あのねぇ……」 鈴仙は、自分よりも遥かに多く足りないものを列挙する早苗を見て溜息を吐いた。 といっても、自分も足りないのだから四の五の言っても始まらない。 「しょうがないか……まだ遅くないし、コンビニに行って買ってきましょ」 「は〜い」 「ふう、なんとか大丈夫だったか」 星と咲夜に事情を話して出かけ、残り二つだったシャーペンの芯を二人で分けて購入したあと、先に会計を済ませた鈴仙は、外で早苗の会計が済むのを待っていた。 「まだそんなに暖かくないからなぁ。やっぱり中で待ってたほうがよかったかな」 鈴仙はそんなことを呟きながら空を見上げる。 今日は夜空がよく晴れており、満天の星空だった。 「……天体観測って、こういう日にやるものなのかしら」 何とはなしにそんなことを呟いた。もちろん趣味にしているわけではないので、日和はよく知らないけれど。 満月ははっきりと輝いており、そのまま見上げてもくっきりとその輪郭を知らしめている。 「うわ〜、きれいだなぁ……」 思わず目を奪われるほどに、今日の月は綺麗に見えていた。鈴仙は、くるりくるりと顔をあちこちに向け、辺りを見渡すように視界のあちこちに満月を当てはめてみる。……だからだろうか。そのまま見上げていたら確実に見逃していたであろう光景を、コンビニの駐車場を挟んだ先の道路でしっかりと見つけたのは。 「……あれ、八意さん?」 そこにいたのは、コンビニの横で信号待ちをしている八意永琳だった。何か大きなものを担いでいるようだが……。 「あれは……望遠鏡?」 目を凝らしてよく見てみると、コンビニ近くの街灯に照らされたそれは、やはり望遠鏡に見える。それもかなり大き目の。 「天体観測するのかな」 鈴仙は妖夢の言葉を思い返してみる。 『天体観測が好きだって言ってました』 やはり、今日は天体観測日和だったのだろうか。 「――お待たせー、鈴仙ちゃん……って、どうしたの?」 鈴仙が考えていると、後ろから早苗が声をかけてきた。 「あ、お帰り。うん、そこに八意さんがいて……」 「あ、ほんとだ」 鈴仙が示した方角をみた早苗が気付くと同時に、彼女の待っていた信号が青に変わる。そしてそのまま彼女は、近所の丘のほうへと向かっていった。これから空を見上げるのだろうか。 彼女が横断歩道を渡りきった後で、早苗は鈴仙のほうを向いた。 「……追いかける?」 「いや、流石にそれは……それに急に行って邪魔するのも悪いし」 「だね」 早苗も言ってみただけだったのだろう。強引に自分が言ったことを遂行する気はなかったようだ。 「とりあえず、帰りましょ」 「うん、お姉ちゃんたちを心配させたらいけないもんね」 そう言って、二人はおとなしく帰ることにした。 ※ 「ふう……」 帰って入浴した鈴仙は、湯船で一息ついた。 明日の授業も終わり、後は寝る前の手入れをして寝るだけだ。その前に少し中で考え事をしておこうと思い、思案をめぐらせる。 「とりあえず今日の現状を整理して……っといっても、あんまり整理することはないか」 湯船で「う〜んっ」と思いっきり身体を伸ばして呟く。 八意永琳に初めて声をかけ、他のクラスメイトと同じような反応が返ってきて、最後に少し寂しげな表情を向けられて、慧音に相談して、燐と空に色々助言してもらって、星に相談して、先ほどコンビニの近くで永琳の姿を見かけた……まあ、こんなところか。 特に身を入れて整理するほど多くはないにしても、密度としてはかなりのものじゃないかと思う。基本、受身な自分がこんなに自分から動くことは珍しい。 「私は……どうしたいのかな」 言葉に出して呟いてみるが、やはり答えは一つしかなかった。 「……決まってるか。八意さんと話したいのよね、私は」 どうして、と言われれば返答に困るけども、とにかくそう思っていた。 今までも、積極的にではないが受け答えはそれなりにやってきたとは思っている。しかし、あくまでもそれなりである。自分から話題を作り、それを以て相手に話しかけて、色々話題を作ってきたわけではない。 それは、そういったことが苦手だから、という理由が殆どではあるが、自分がそこまでしようと思っていなかったこともあるだろう。苦手だからそこまでしなかったのか、そこまでしようと思わなかったから苦手になっていったのか、幼い頃の性格を思い返せば多分前者だろうが、少なくとも、他人に積極的に声をかけようと言う意思は希薄だと、自分でも思っていた。 ところが、ここに来て、急に話したい人が出来た。どうして急にそんなことになったのか、自分でも戸惑っている。 気まぐれの好奇心なのか、それとももっと芯からの興味なのか。 「……気まぐれじゃないわね」 気まぐれなら、少し話しただけで終わっている気がする。拒絶されたならムキになったかもしれないが、実際には普通に話しているのだ。ムキになって関わろうとするような状況は生まれていなかった。 と、なると、鈴仙はもっと芯からそうしたいと願っているのだろうか。 「……なんか、それも考えにくいわね」 一見、説得力のある解にも思えたが、なんとなく腑に落ちない。 強くそう思っているのは確かにそうだが、何かが、本当にあと少しの何かが違う。そんな気がしてならない。 話しかけたい理由を考えるなら強く思うという後者であり、話しかけたい感情を説明するなら前者の気まぐれに近いと思う。 「……なんか、突発的なのよね、話しかけたいと思うこと自体が」 鈴仙がもう一度「ふう」と息を吐いて風呂場の天井を見上げると、ガラガラと風呂場の扉が開いた。 「そんなもんですよー」 「早苗……」 「お姉ちゃんに早くお風呂入って寝なさいって言われちゃった」 どうやら、最後の独り言だけ聞かれていたらしい。 早苗はシャワーの前に腰掛けると、頭にお湯をかける。 「そんなもんって、どういうこと?」 鈴仙は浴槽の縁に寄りかかって聞き返した。 「誰かに話しかけたいって思うことが、だよ。私だって、話しかけたいと思うから話しかけてるだけだもん。私はその数が多いだけだよ」 シャンプーを泡立てて髪を洗いながら、早苗は言う。 「ふーん……」 縁に寄りかかったまま鈴仙はじーっと早苗を見た。早苗はそのまま髪の毛にシャンプーを染み込ませながら長い髪(と言っても鈴仙のほうが長いが)を洗っている。少々クセっ毛気味の髪だが、髪自体は綺麗だ。早苗本人は鈴仙の髪を羨ましがってるようだが、鈴仙から見た早苗の髪は悪くないと思うのだけれど。 そんなことを思いながら早苗の答えの意味を考える。誰にでも声をかけたがるのかと思ってたけど、案外そうでもないのか。 「んー、似てるけどちょっと違うかな。興味があるから声をかけるんだよ。それが多くて『誰にでも』になっちゃう感じ」 なんだかよくわかったようなわからないような答えだ。 「やっぱり、そういうのは多いほうがいいのかしら?」 「うーん……よくわかんない」 早苗はそれだけ言うと、ざーっとシャンプーを洗い流し、続けてリンスを手に取った。 「でもさ、多いから少ないからってどっちが凄いってわけじゃないと思うよ。だって、それで多い少ない、だから上だ下だとか言いだしたら、その『多い』中にいる友達や、『少ない』中にいる友達に悪いんじゃないかなーと思うんだ。だってみんなと仲良くしたいもん」 早苗は「そりゃ、私だって全員と仲良くできるわけじゃないですけどー」といって、そのまま髪の毛にリンスを当てる。 鈴仙は思わず目を見張る。双子の妹がここまで色々考えていたのは意外だった。 「早苗って時々凄いわよね……」 「おっ、鈴仙ちゃんから褒められるとは光栄ですねー。どんどん褒めていいんですよー」 「……その、すぐ調子に乗るところを除けば、割と自慢の妹なのに」 「割とは余計ですー!」 すぐ調子に乗るところは否定しないのか、と思ったが、流石にそれには反論できなかっただけのようだ。 「まあ、アレですよ。多い少ないと言うよりも、自分の気持ちを大切にしなさい。わかりましたね、鈴仙ちゃん!」 ぴっ、と人差し指を立てて鈴仙に向かってお説教を始めた。尤も、偉そうにしてるのではなくて、単にごまかしただけなのだが。 だいたい、その物言い自体、星の真似をしている。残念ながらあまり似ていないが……。 「はいはい……(笑)」 とはいえ、双子の妹の貴重な凄い部分を見れたので、苦笑しながら素直に聞くことにした。 しかし、同時に不安にもなる。 双子の妹である早苗がここまで深く考えているのに、翻って自分はどうだろうか。ここで二の足を踏むばかりで進歩がないのではないだろうか。そんなことも思ってしまう。 「……鈴仙ちゃん」 「……ん? あ、ああ、なに?」 ボーっとしていたら、いつの間に早苗が髪を洗い終えたのか、目の前に来てジト目で鈴仙を見ていた。 「ひょっとして、『早苗がここまで考えてるのに自分は』とか思ってません?」 「う……」 図星を刺されてしまった。 双子だからなのか、どうも鈴仙も早苗も、お互いの考えてることが微妙にわかってしまうことがある。そりゃ全部は読めないが。 早苗は「はぁ……」と溜息を吐いて、やれやれといった体でもう一度シャワーに向き直り、その蛇口を捻った。 湯が流れ、早苗を頭からもう一度洗い流す。……そのまま数秒浴びたところで、早苗が口を開いた。 「――あのですね、私はこう見えてカッコつけてるんですよ。普段こんな物言いしないでしょ? 何でこんな話になった時に、いきなりこんな物言いになったと思ってるんですか」 そう言われてみればそうだ。早苗は普段、もっと勢いのある話し方だし、内容ももっと単純明快である。それに、普段は普通の口調とですます口調がよく混じる話し方であるのに、さっきの説明した時はもっとすっぱりとした口調だった。 「じゃあ、どうしてカッコつけたの?」 「鈴仙ちゃん、意地悪ですねー……」 鈴仙の問い返しに早苗はそっぽを向きながら身体を洗い始めた。 「鈴仙ちゃんから見れば私が先に進んでるように見えたのかもしれないけど、私から見れば、いつも鈴仙ちゃんが遥か先を進んでるように見えてるんですよ。たまにはカッコつけないと、双子の妹として恥ずかしいじゃないですか」 それだけ言うと、早苗は「こんな事言わせないでくださいよ」と付け加えて殊更にそっぽを向いた。微かに見える横顔が赤く染まっていたのは決して湯を浴びたからという理由では無さそうだ。 ……まったく、隣の花は赤いと言うのはこういうことを言うのだろうか。 「ふふ」 悩んでいるのがバカバカしくなった鈴仙は、一旦湯船から上がると早苗に近づいた。 「?」 「じゃ、ちゃんと成長してる妹の背中でも流してあげましょうか」 「むー、さっきは私が前にいると思ってたくせにー」 「それはそれ、これはこれ。ほらほら、せっかく私が気まぐれ起こしてあげたんだから、はやいとこ背中向けなさいよ。身体冷やして風邪引いても知らないわよ」 「ちぇー」 鈴仙は、ふくれっ面をしながらもおとなしく言う通りにした早苗の背中を洗い始めた。 「……ま、ありがとね。早苗のおかげでなんとなく考えがまとまったわ」 「どういたしまして、お姉ちゃん」 顔だけ振り向いてニヤリとした笑みを浮かべた妹を見ながら、鈴仙はそのまま早苗の背中をこする。 「……そういえば、早苗が私を『お姉ちゃん』って呼んだのは初めてね」 「いつも『鈴仙ちゃん』だもんね〜。希少価値ですよ、ありがたく思ってください」 「はいはい(笑)」 エヘンとか擬音がつきそうな早苗の表情を見ながら、鈴仙は苦笑した。 「とりあえずは、今日見かけたことから話してみようかしら」 「そうだね、それがいいと思うよ。後は鈴仙ちゃんにお任せっ!」 そう、結局は自分が動かなければ始まらない。 色々な助言をもらい、鈴仙はようやく自分なりの結論を出すことが出来た。 ※ 翌日。 早めに登校した鈴仙は、既に登校して読書をしていた永琳を見つけた。 鈴仙はいつも早いほうではないので彼女がいつもそうなのかは分からないが、今日は誰もいなかった教室で一人本を読んでいる。 彼女も丁度教室に入ってきた鈴仙を見つけ、意外そうな顔をして机に座ったまま会釈をする。 鈴仙は鞄を置くと、そのまま永琳の机に歩いていった。 「おはよう。今日は早いのね」 意外そうな顔から直ぐににこやかな笑顔に切り換えて挨拶した永琳は、読書の手を止めて鈴仙を見る。 「おはよう、八意さん」 一方、鈴仙も出来るだけ愛想良くしようとは努めたが、うまくいったかは自分では判らない。初回に比べて他人行儀にならないよう、ですます口調も外した。まあ、多少変だったとしても、彼女がそうそう気分を害することはないと思うが……。 実際、特に気にした様子も無いようで、永琳はそのまま話を進める。 「何か御用かしら?」 「う、うん、ちょっと気になることがあって……と言っても、大仰な話ってワケじゃないんだけど……」 「なにかしら?」 鈴仙の言葉にも、いつものにこやかな顔から表情を変えずに先を促す。 「八意さん、昨日、自然公園近くのコンビニの近くにいなかった?」 「えっ……」 が、その次の言葉で表情が変わった。困惑と言うほど大げさでもないが、少し戸惑うような表情を見せている。 思いもよらない永琳の表情の変化を見た鈴仙は、自分がちょっと焦りながらそのまま続けた。 「あ、あー、その、えっと……き、昨日、早苗と一緒にコンビニで買い物してたら、外で早苗の会計待ちしてる時に、丁度信号待ちしてる八意さんの姿が見えたもんで……」 「ん……コンビニの近くで信号待ち……というと、あそこかしら。確か、コンビニ近くでは一回だけ信号に引っかかったわね」 一瞬で場所まで特定された。と言うか、よく信号の引っかかり具合まで覚えてるもんだ。 ともあれ場所まで覚えているなら話は早い。 「そ、その時、なんか望遠鏡みたいなの持ってたからさ。天体観測でもしに行くのかなーって」 「そう……」 鈴仙の言葉に少し考える素振りをした永琳は何事か呟き、辺りをちょっとキョロキョロしたあと、鈴仙にちょいちょいと手招きした。 「?」 戸惑いながら永琳のほうに近づくと、彼女は先ほどより声を潜めるようにして話し始めた。 「……妹さん――妖夢さんから聞いて知ってるかもしれないけど、実は私、天体観測が趣味なのよ。だから、しょっちゅう望遠鏡持って外に行ってるの」 「う、うん、それは知ってる。そんなにしょっちゅう行ってるとかは知らなかったけど……」 「結構本格的な観測してるからね。流石に毎日とは行かないけれど、短間隔でよく出かけているわね」 なるほど、天体観測ってのはそんなものなのか、と鈴仙が納得すると、永琳はそのまま続ける。 「加えて、つい先日、丁度欲しかった望遠鏡を商店街で見つけて……ちょっと使いたくなっちゃって」 つい先日……そういえば、数日前に商店街で何かを食い入るように見ていたような。あれ、望遠鏡を見てたのか。 「ひょっとして、数日前、何かを食い入るように見てたのって、それ?」 「あ、あら、そんなところまで見られてたの? 恥ずかしいわ……///」 今度は少々顔を赤らめた。 「あー、その、その時、早苗と妖夢引き連れて洋服見てたから……丁度見かけたっていうか……」 なんだか悪い気がした鈴仙は少し口ごもりながらも当事の状況を説明するが、永琳の顔は赤いままである。 ……それにしても、話してみると意外に表情が変わる人だったのか。いつもにこやかな表情で丁寧に対応してるから、そんな風には全然見えなかったのだが。 鈴仙がそういうと、永琳は『ボンッ!』とか擬音が付きそうな勢いで、ますます顔を赤らめた。 「ご、ごめんなさい。私、天文とか宇宙とかが絡むとつい熱が入っちゃって……///」 「い、いや、こっちこそごめんね、見ちゃってて……」 なるほど、妖夢や空の言っていた通り、そっちの話が大好きらしい。 しかし困った。 別に永琳の真っ赤な顔が見たかったわけではないのだが、このままだと彼女の表情が全然回復しそうもない。何か話題を転じなければ……。 「――あ、そ、そうだ。宇宙の話が好きってことは、やっぱりその本も宇宙とかの本?」 鈴仙は永琳の手元にある本を示す。 「え? え、ええ、そうね。そんなに難しくない本だと思うのだけれど……はい」 永琳は丁度開いていたページを鈴仙に向けた。 どれどれ、と覗き込んでみると…… 「……ごめんなさい、さっぱり判らない」 数行もしないうちに机の上に突っ伏して挫折した。特に読書家でもない中一女子には難しすぎる本だった。 「あ、あの、その……」 今度は目に見えて永琳が慌て始める。そんなに難しくないといった手前、流石に反応に困ったのだろうか。 そんな永琳を見た鈴仙は、と言うと、 「――ぷっ」 「……え?」 「あはははは!」 思いっきり噴出した、というか大笑いした。 「あ、あの……?」 事態が飲み込めずにいる永琳を前に、鈴仙は笑いを収めた。 「――ごめんなさい。私は『八意さん、ここまでの本読めるなんて凄いなー』と思ったのに、八意さん、急にしどろもどろになっちゃうんだもの」 好きなことが絡むと、色々と深く考えすぎてしまうのだろう。または鈴仙が落ち込んだと思ったか、もしかしたら鈴仙に引かれたと思ったのかもしれない。 しかし、別に鈴仙は引いたわけではない(寧ろ、笑ったせいでこっちが引かれたかもしれないが)。 それはともかくとして、鈴仙は続ける。 「元々、私、字ばっかりの本とか読まなくってさ。こういうの耐性付いてないのよね」 鈴仙の説明に目をぱちくりさせた永琳は、数秒沈黙した後で再び口を開く。 「……それ、読書感想文とか書けてたの?」 「……残念ながら、読書感想文の成績はすごく悪かった」 苦笑いしながら自分の過去を語った鈴仙だが、こればっかりは頭を抱えるレベルだったのである。まあ、今はマシになったが。 早苗のように学研マンガとかが好きだったらよかったのだが、生憎とそういう方面にも目覚めることは無かったので、読書のクセが身に付かなかったのである。 そこまで言うと、永琳はちょっと複雑そうな顔をする。 「妹さんに呆れられるわよ」 「残念ながら、双子の妹はもっと悪かった」 妖夢はまだしも早苗は本当に壊滅的だったのである。本は読めるのだが、どうしても思考が明後日の方向に飛んでいくので、先生方も非常に困ったとか。 鈴仙が見ても奇抜で面白くはあるのだが、本人曰く、成績に結びつくような書き方が出来なかったらしい。……まあ、半ば以上負け惜しみめいた言葉なのだろうが。 「……ふふっ」 永琳が笑った。 いつものようににこやかな表情ではなく、本当に面白そうに。 「もっと大人しい人かと思ってたけれど、案外そうでもないのね」 「あー。それは失礼だなぁ」 反論はしたものの、あながち間違ってはいない。 確かに人に対する警戒心は強いが、家族相手には大人しい子で通ったことは小さな頃くらいで、今は割と活発扱いである。 まあ、主に早苗とケンカしてるからなのだが……。 「ごめんなさい、でも、やっぱり先入観持ってちゃいけないわね」 くすくす笑いながら永琳は謝罪した。 「八意さんみたいに頭いい人でも、やっぱり持っちゃうんだ? そういうところまでちゃんと理解しちゃってるのかと」 「それはそうよ。言ったでしょ? 『いくらなんでも、何でもは知らない』って。先入観持っちゃいけないって言うのも、結局は頭でわかってるってだけだからね。私もまだまだ知らないこといっぱいよ」 にこやかに、ではなく、朗らかに永琳は告げる。 「うーん、そんな難しい本読んでるのになぁ」 鈴仙は、もう一度永琳の読んでいた本に視線を落とす。 そりゃ、知識量と先入観は関係ないだろうが、永琳ほど頭が良いと、そういう無関係なものすら超越してしまっていそうに思えてしまうから不思議だ。 「そういうことに対する認識も、心理学では重要な論点だからね。貴方だけがそう思ってしまうわけではないわ」 鈴仙の言葉に永琳はそんな反応を返した。 「……やっぱり、なんでも知ってそうに見えるけどねぇ」 「残念ながら。……でも不思議ね」 「なにが?」 永琳は急に真面目な顔をすると、鈴仙をじっと見つめる。 「私、自分からあれこれ話すの得意じゃないのだけれど……貴方の目を見てると、ぺらぺら話せちゃう気がしてくるわ」 「だから不思議ね、と思ったの」と最後に付け加えた永琳は、もう一度改めて鈴仙を見る。 鈴仙は目をぱちくりさせる。 「そうかなぁ、自分じゃそんなこと思わなかったけど……」 まあ、そりゃ自分の目は見て話せないが。 「案外、他の人もそうなのかもしれないわよ?」 「う〜ん」 永琳の仮説に鈴仙は腕を組んで唸る。 とはいっても、考えてわかるようなものでもないから、今度早苗にでも聞くとしようか。 ガヤガヤ ――と、そうこうしている内に、他の生徒が来たようだった。 別に他の生徒が来ても話していて都合が悪いわけではないのだが、なんとなく話が途切れたことでもあるので、ここで話を切り上げることにした。 「じゃ、私、席に戻るね」 「ええ、話しかけてくれてありがとう」 永琳も同じ気持ちだったらしく、再びいつものにこやかな顔になってお礼を述べる。 それを受けた鈴仙は踵を返して自分の席に向かおうとした。 「――あ、待って」 ……ところで、もう一度永琳に声をかけられた。 「?」 振り向いた鈴仙に、永琳は少し期待のこもった眼差しでこう告げた。 「また、話しかけてね」 ※ 放課後。 鈴仙は朝方、永琳と話したことを慧音に告げた。既に永琳は教室にいない。 「自分から話すの苦手って言ってたわね。……その辺は私に似てるかも」 「なるほどね」 慧音は軽く頷いた後、少々怪訝そうな顔をして続ける。 「でも、いいの? そんなこと話しちゃって」 「内容は教えないわよ。許可取ってるなら別だけど」 流石に話してる内容を把握されることまでは永琳は望んではいないだろうし、慧音もそこまで深くは聞き出したくないだろう。せいぜい、本人がそういうこと苦手と言ってた、くらいだ。 「ははは、流石にそこまでは聞かないよ。根掘り葉掘り聞かれたい人間なんてのはいないからね」 慧音はやはりそういうと、一拍置いて続けた。 「しかし、それだとよく話せたね、という気がしてくるのだが……」 「ああ、それはね――」 鈴仙は永琳が言った『貴方の目を見てると、ぺらぺら話せちゃう気がしてくる』という言葉を慧音に告げた。 「自分じゃそんなの判らないんだけどね」 「ふむ――」 慧音は腕を組んで考え込んだ。 「そんなことあるのかな、と半信半疑なんだけど……」 「いや、彼女の気持ちは私もなんとなくわかるな」 鈴仙の疑念をキッパリと慧音は否定した。 「どうして?」 「私も同じ気持ちだからさ」 慧音までそんなことを言い出すとあっては、どうしたものだろうか。 「……。……私、別に催眠術なんて得意技にしてないわよ」 鈴仙の複雑そうな表情を目にして、慧音は軽く笑い出した。 「ははは、別にそんなことは思っていないよ。ただ、君にはいろいろと話しやすい雰囲気があるんだろう。眼以外でもね」 「そうかなぁ、私、早苗と違って話し上手でも聞き上手でもない気がするんだけど」 実際、主導権を握ってるのはいつも早苗だし、早苗は話すことのほうが多いが聞きだすのも結構なものである。 が、慧音はそんな鈴仙の言葉に頭を振った。 「そうかな、君と妹さん――早苗さんの会話を見てると、君の相槌の打ち方は実に彼女好みだと思うけどね」 「まあ、そりゃ双子だし……」 そのくらいはできて当たり前だと思うのだ。長い付き合いだし。 鈴仙がそういうと、慧音は再び笑う。 「いやいや、その相槌の打ち方が適当でないのが大きいのさ。君に話すと真面目に聞いてくれる気がする。だから話したがるんだよ、皆」 「……煽てても何も出ないわよ」 長姉の口癖を真似しながら鈴仙は窓の外を眺めた。既に日は傾き、橙色の光が教室を照らしている。 慧音はちょっとそっぽを向いた鈴仙に「失礼、ちょっと不躾に取られたかな」と言いながら、自分も窓の外を見た。 「もうすぐ暗くなりそうだね。そろそろ帰ろうか」 「……そうね」 気付けば、我らが級長とも結構話しているんだな、と思いながら鈴仙は慧音の言葉に頷いた。 ※ 「ただいまー」 「お帰りなさい、鈴仙」 鈴仙が家に帰ると、咲夜が出迎えてくれた。 「他の皆は?」 「星姉と妖夢は道場、燐はお友達と話すことがあるとかでまだ帰ってないわ。早苗はもう暫く遊ぶって。誰かに用事?」 咲夜に聞かれたものの、特に誰かに用事と言うわけではない。が、ここ暫くであったことを咲夜に相談してみるのもいいかもしれない。 「いや、そういうわけじゃないんだけど……咲姉さん、ちょっと今時間いい?」 「あら、私? 構わないけれど……じゃあ、私の部屋行こうかしらね」 「ありがとう」 二人は一緒に咲夜の部屋へ向かった。 「――っていうことがあったんだけど」 「鈴仙に話しやすい、ね……」 咲夜は腕組をしながら目を閉じて考える仕草をする。 「やっぱり、そんなことないわよねぇ」 咲夜の仕草を見て、鈴仙はそう言うが、咲夜は直ぐに仕草をといて鈴仙に目を向けた。 「私は話すの得意じゃないし、貴方の姉だから客観的な判断は出来ないと思うけれど……貴方は相槌打つのは巧いと思うわよ。適当に聞き流したりしないからね」 咲夜の言葉に、今度は鈴仙が腕を組んで首を傾ける。 「そうかなー」 「早苗の矢継ぎ早に出てくる言葉にいつも対応してるじゃない。それで鍛えられてるんじゃないの? あれほど口数が多い早苗の喋りに、一つ一つちゃんと真面目に応対してるもの。それを見てる人からすれば、貴方には色々話せる、って思う人がでてきても不思議じゃないと思うわよ」 「う、それはあるかも……」 早苗を交えて、大人数で話しつつも早苗にツッコミを入れている立場からすると、なんか言われてみれば説得力がある理由だった。 少し納得した鈴仙を見た咲夜はそのまま続ける。 「まあ、それだけじゃないけどね。貴方に話しやすい雰囲気があるとは、私も思うわ。姉の贔屓目かもしれないけど」 「う〜ん……」 自分じゃそんな気は全くしないのだが。 (……まあ、これはいくら考えても答え出ないわね) とりあえずその疑問に対する答えは保留するとして、鈴仙は次の疑問に移った。 「咲姉さんも結構話すの苦手なのよね?」 「そうね。多分、鈴仙が思っているよりは苦手だと思うわ」 いつも、どんな人に対しても結構スマートに応対してるように見えるけれど、そんなものなのだろうか。 鈴仙はそう言ったが、咲夜は特に表情を変えることなく答える。 「私は結構冷たく見られてるからね。クールだって褒めてくれる人が多いって事は、逆に冷たいと避けてしまう人も多いって事よ」 そんなものだろうか。クールというのは憧れの対象だとも思うのだが……と考えたところで鈴仙は気が付いた。 (あ、そっか。憧れってのは逆に近づこうとしない人もいるって事なのか) 遠巻きにして見ていたいと思われるタイプかもしれないと思えば、納得できる感じではある。 「でも、咲姉さん、結構私たちの相談に乗ってくれるわよね?」 「まあ、これでも次女ですから」 ちょっと茶目っ気を出した感じで咲夜は答える。クールでちょっと冷めた印象は与えるかもしれないが、割とそういう面もあるのである。 「周りの人もったいないなぁ、咲姉さん頼りになるし、話し方もスマートなのに」 妹としての贔屓目かもしれないが、そう思う。 「私自身がそこまで溶け込もうと思ってないからしょうがないわ。それに鈴仙、貴方が私のことをそう思っているのと同じように、貴方も周りの人から色々と評価されているのよ」 咲夜はそんな妹の評価を受け止めつつ、自分なりの考えを披瀝した。 「う〜ん、そう言われてもやっぱりピンとこない」 「まあ、自分への評価って結構わからないものだからね。私もよくわかってないんだけど」 実際、自分への評価をそこまで頻繁に気にしようとは思わない点では、咲夜も鈴仙も同じだった。姉妹の誰に聞いても同じだろうけれど。 まあ、そんなもんかと鈴仙が納得した辺りで、咲夜は続けて口を開いた。 「でも、鈴仙」 「うん」 「自分への評価を気にしすぎて、自分を曲げることだけはやらないでね」 「咲姉さん……?」 なにやら少し陰のある表情をしながら、咲夜はそう告げた。 「以前、それが原因で大ゲンカしたことがあってね……私もその相手もムキになっちゃって大変だったのよ」 「え、そうなの?」 それは意外だ。咲夜がそんなに感情むき出しにするようなタイプには見えないのだが。 「別に取っ組み合いしたわけじゃないから……。今は仲直りしてるけどね。結局、どっちも『こういう立場でなきゃ』って行き過ぎた責任感からやりあっちゃったの。だから、貴方にはそんなことしてほしくないのよ」 「ふ〜ん……」 なんだかよくわからないが、咲夜にもそんな過去があったとは意外だった。 「咲姉さん、そのケンカ相手ってどんな人だったの?」 と、鈴仙が聞いた途端に、咲夜の腕が伸びて、ピンッと鈴仙にデコピンした。 「あうっ」 「こらっ、こういう含みを持たせて言ってることに対して、深く聞くもんじゃないわよ。私にだって隠したい事の一つや二つあるんですからね」 「は、は〜い」 珍しく笑顔を浮かべて注意する咲夜に、鈴仙は額をさすりながら頷いた。 ※ 「ただいま帰りました」 咲夜が買い物に行ったあと、次に妖夢が帰ってきた。 「おかえり、妖夢」 「はい、鈴仙姉様」 剣道着姿で背筋を伸ばして返答する妖夢は、いい感じに体が火照っているようである。 「まだ肌寒いのに元気ねぇ」 「楽しいので、つい身が入ってしまって……おかげでほかほかです」 鈴仙も運動は嫌いではないが、妖夢の運動好きには負ける。 苦笑した鈴仙は、踵を返すと風呂場に向かった。 「じゃあ、お風呂つけてくるから待っててね」 「あ、ありがとうございます!」 妖夢のお礼に顔だけ振り向いて「いいっていいって」といった鈴仙は、そのままふと思いついた。 「ねぇ、妖夢。お風呂沸くまで、ちょっと話したい事があるんだけど」 「え? あ、はい。いいですけど。なんでしょう?」 「じゃ、ちょっと妖夢の部屋で」 「はい」 ――そして妖夢の部屋。 咲夜に対してと同じように状況を説明した鈴仙に対し、妖夢はしゃちほこばりながら聞いていた。 「でね、妖夢にも意見聞きたいんだ」 「な、なるほど。どこから答えましょう?」 真剣に聞いてくれているようだが、ちょっと硬くなりすぎだと思った鈴仙は、聞きたい範囲を限定することにした。 「そうね……あ、そうだ。妖夢、確か仲のいい女の子いたわよね」 「あ、はい。西行寺さんですね」 「そうそう、その西行寺さん。その子と仲良くなった経緯ってどんなの?」 妖夢は「うーん……」と少し考えると、「ああ、そうだ」と口を開いた。 「西行寺さんが剣道場で素振りやってた私に声をかけてきたんですよ。『こんにちは〜』って」 「何で声かけたかとか言ってなかった?」 再現台詞のところだけ妙に力を抜いて声真似をした妖夢にちょっとほほえましく思いながらも、鈴仙は続きを促した。 「え〜っと……確か『剣道着姿がカッコいいから声かけたの〜』とか言ってましたね……えへへ、お恥ずかしいことですが」 ちょっと照れ笑いを浮かべながら、妖夢は頬をかいた。 それを見た鈴仙は、自分の相談事をちょっと脇に置いて妹の顔を眺める。 (しゃちほこばってるのもいいけど、こんな表情したほうが可愛いのにな) 妖夢は姉たちに対しては礼儀正しさを心がけているらしく(憧れている星の前では特に)、めったにこういう表情を見せようとはしないのである。 といっても『見せようとしない』だけであって、結構頻繁に見せてくれはするのだが。 鈴仙がひとしきり妖夢の照れ笑いを堪能した辺りで、妖夢は「はっ」と気付いて、ぶんぶんと首を振った。 「え、ええと、その時から、剣道の稽古する時はよく見ててくれるんですよ」 「へぇ、いい子ね。今日もそうだったの?」 「はい。見ててくれるとやっぱり気が引き締まりますね」 凄く嬉しそうに妖夢は語る。どうやら妖夢もその西行寺さんという子が大好きのようだ。引き締めたばかりだというのに、また頬が緩んでいる。 そして、妖夢は再び気付くと、今度は別の理由で顔を赤くしながら、「ごほん」と咳払いをした。 「また頬が緩んでたわよ(笑)」 鈴仙は少々にやつきながら妖夢に言うと、妖夢はますます顔を赤くした。 「い、いけませんね、鈴仙姉様と話していると、ついつい色々話しすぎてしまいます。もっと気を引き締めなければ」 両手を握ってむんっ、と気合を入れる妖夢だが、鈴仙はまたも同じようなことを言われて面食らった。 「そんなに私、いろんなこと話させちゃうかなぁ?」 鈴仙の戸惑ったような不思議そうななんとも言えない表情に、妖夢も戸惑いつつ、首を動かしながら言葉を紡ぐ。 「え? うーん、そうですね……鈴仙姉様の目を見てると、つい引き込まれちゃう気がして、何か話そうと思っちゃいますね。それに、鈴仙姉様は色々聞き出してくれますし」 「目はともかくとしても、まあ、毎日早苗相手にしてるからね……」 「あはは、早苗姉様は本当に矢継ぎ早に色々話してくれますからね(笑)」 意外と、他人から話を聞きだすスキルはあるのだろうか、と今更ながらに鈴仙が思ったところで、丁度風呂が沸き、妖夢は「では、汗を流してきますね」といって着替えを持って出て行った。 後に残された鈴仙は、軽く息を吐く。 「ま、八意さんにもそのスキルが通用すればいいんだけど」 「これは自分を買いかぶりすぎかな」と言いつつも、ちょっと自信を持った鈴仙は、妖夢に続いて部屋を出た。 ※ 翌日。 今日も早めに学校に着いた鈴仙は(といっても日直だからだが)やることを終えた後、再び永琳に話しかけてみた。 「おはよう、八意さん」 「あら、おはよう」 一回目、二回目よりは格段に愛想良く声をかける事ができた鈴仙は、再び永琳の手元に視線を落とした。やはり宇宙に関する本のようだ。 「いつも宇宙の本読んでるね」 「そうね……他の本も読むけれど、多いのはやっぱり宇宙関連かしら」 昨日の本も、後から聞けば宇宙の本だったと言う。今日は挿絵というか、図説があったので直ぐわかったが。 「それで天体観測してるの?」 「ええ、やっぱり実際に見てみないと」 なら、天体観測が趣味というより、宇宙自体に興味があるのだろう。何でも知ってそうな永琳だが、このことに関しては何か特別な思い入れがあるようだった。 「八意さんはどうして宇宙に興味を?」 何とはなしに聞いたつもりだった。 が、 「そうね……」 永琳は顎に手を当ててじっくりと考え込む。 その姿が意外に真剣で、鈴仙は思わず息を呑んでしまった。 (聞いちゃ不味いことだったかな?) と思ったが、表情を見るとそうでもないようだった。何か思考を巡らせているっぽいが……。 (待ってたほうがいいかな……) 鈴仙が不安になりながら黙っていると、永琳は暫くしてからようやく口を開いた。 「――あ、あの」 先ほどまでのにこやかながら淡々とした口調とは打って変わって、妙に上ずった声で鈴仙に呼びかける。 「は、はい」 あまりにも真剣な表情をしていたので、鈴仙も思わず身構えて返答してしまう。 「……わ、私、今日も天体観測に行くんだけど、い、一緒にどうかしら?」 「……へ?」 あまりに唐突なお誘いに、鈴仙は呆気に取られた。 思わず動きが固まった鈴仙に、永琳は少々俯きながら自分の両手を絡ませつつ、早口でまくし立てた。 「え、えっと、その、そんなに本格的にはやらないつもりだけど、な、なんで好きになったかっていう質問に答えやすいかな、って思って……」 焦りながら理由を説明する永琳を見て、鈴仙も若干混乱した。 かといって、真剣に誘っていることは見て取れる。そして、かなり思い切った行動を取っているのだろうということまではわかる。 でも、なぜいきなり、こんなことを言い出したのだろうか。 「え、えっと……」 「だ、ダメ……かしら?」 困り顔で見上げてくる永琳だが、そこまでされて断れるほど鈴仙はビシッといえるタイプではなかった。 それに、実際興味もある。天体観測にではなく、永琳自身の考える理由に。 鈴仙は一呼吸付いて、返答した。 「……いいよ」 「あ、よ、よかった……じゃなくて、あ、ありがとう!」 永琳はほっと胸を撫で下ろし、次いで慌ててお礼を言う。 「う、ううん、そこまでして誘ってくれてるんだし、私が断る理由はないわよ」 「ええ……じゃ、じゃあ、今日の夜、9時くらいにどうかしら? 待ち合わせ場所は昨日言ってたコンビニで……」 9時……星に許可取れるかは微妙なラインだが……。 かと言ってどの時間帯がいいかもわからないので、ここは任せるのが適切か。いけるかどうかは……まあ、手を尽くすしかない。 鈴仙はちょっと考えた後で承諾した。 「うん、わかった。9時ね」 「じゃ、じゃあ、宜しくっ」 結局、永琳は最後まで何か慌てていたようだった。 ※ 「それで、後で行くの?」 「うん」 帰宅後、自室で鈴仙から今朝のことを伝えられた早苗は、「う〜ん」と腕組みをした。 「星お姉ちゃんが許してくれますかねー。集合9時ってことは、結構遅くになるでしょ?」 ああ見えて、星は結構門限には厳しいのだ。妹を心配しているからとわかってはいるのだが、結構古風なところがある。 「そこがネックなのよね……でも、真剣に誘ってたから断りきれなかったし……」 実際、断る気もなかったのだが、これで行けないとかなってもそれはそれで問題である。 黙って出て行ったら、それはそれであとで大目玉確実だが。 「私からも口添えしますから、正直に言ったほうがいいんじゃないですか? これで勝手に出て行ったら、二回目以降は絶対に許してくれないよ」 「そーよねー……」 早苗の言うとおり、ここは正面から頼み込んだほうがいいのだろうか、という気もする。早苗にしては常識的な案だと思うけれど。 「私をなんだと思ってるんですか、鈴仙ちゃん……」 「あんた、破天荒が服来て歩いてるようなものじゃないの……」 お互いジト目で視線を向ける姿は、正に双子ならではの一致といった感じなのだが、傍から見てる者がいないので、それを指摘する人物もいない。 まあ、早苗は確かに破天荒ではあるが、こう見えて打開策は案外常識的というか地道で、型を重視する傾向も結構強いため、そこまで意外性のある回答でもないのだが、どうも普段の印象が強くて破天荒極まりなく思ってしまう。そこら辺はイメージというやつだ。 「まあ、せっかくの案だし、それ以上に打開できそうな案もないし、それで行こうかしら」 「そうそう、それがいいですよ」 先にジト目を収めた鈴仙は、とりあえず、そう結論付けた。 問題はいつ切り出すかであるが……。 夕食後。 「結局、今まで切り出せなかった……」 「そこまでは私も知らないよ〜!」 自室に戻った二人は、一緒に頭を抱えていた。 「ダメって言われたらどうしよう」という気持ちが先に立って、ついに言い出せなかったのである。 そろそろ準備しないと待ち合わせに間に合わなくなってしまう。今更やっぱりいけませんとはいえないし、そもそも星に言ってもいないのにそれは無茶苦茶な話である。 鈴仙とて、自分が言い出さないと早苗の助け舟も何もあったもんじゃないというのはわかっているのだが……。 「あ〜、どうしようどうしよう〜!」 「う〜ん、う〜ん……」 鈴仙と早苗がさらに深く頭を抱え込むと、 コンコン 「二人とも、入りますよ」 部屋の外から、その長姉の声が聞こえてきた。 (ドキッ!) 『ど、どうぞ』 唐突だったので、二人してびっくりした鈴仙と早苗のハモった返答から、星は一拍置いて入ってきた。なにやら手に持っているが、なんだろう、と気にするまもなく、星が首を傾げる。 「どうしたんですか、二人してそんな向き合って」 『い、いや、なんでも』 再びハモって返答する二人に怪訝そうな表情を向けた星は、その双子の片割れの姉――つまり鈴仙のほうを向いた。 「ところで、さっきから私のほうをちらちらと見ていたようですが……どうかしましたか?」 「え、え〜っと、いや、その……」 言おうか言うまいか、いや言わなきゃダメなのだが、断られたらどうしよう、と思うと聞くことを躊躇ってしまう。 と、鈴仙が唸っていると、 「……え、え〜っとですね! 鈴仙ちゃんがちょっとお姉ちゃんに頼みたいことがあるんですって!」 「え、ちょ、早苗!?」 「はい、鈴仙ちゃん、どうぞ!」 業を煮やしたのか、早苗が強引に話の取っ掛かりを作ると、そのまま鈴仙に丸投げした。 「私に、ですか? なんでしょう?」 「え、えっとね、その」 鈴仙は一瞬どもった後、意を決して事情を告げた。 「えっと……八意さんから天体観測に誘われてて……、9時に集合って話になってて……、多分、い、いや、きっと遅くなっちゃうけど……、あ、あの、今から行ってもいい、かな……?」 頭を気持ち下にむけつつそこまで一気に言った鈴仙は、恐る恐るといった体で星を見上げようと顔を上げ―― 「いいですよ」 「……へ?」 ――ようとしたところで、あっさりと星の承諾で迎えられた。 「何か不思議なことでも?」 なんだか間の抜けたような鈴仙の反応に、星はきょとんとして応じる。 「え〜、あ〜、いや、門限とか……」 鈴仙が言ってみると、星は「今気付いた」といった感じでポンと手を打った。 「ああ、それが心配だったんですか! なんか言いづらそうにしてるなー、と思ったら(笑)」 言葉の後半から星はくすくすと笑い、もう一度口を開いた。 「確かに私は門限には厳しくしてますけど、何があってもダメ、とか言うわけではありませんよ。きちんと理由を説明すれば考慮の余地アリです」 そういうと、手に持っていた布袋を鈴仙に差し出した。 「……これは?」 「温かい紅茶ですよ。ココアにしようか迷ったんですけど、鈴仙は紅茶のほうが好きだったかなー、と思って」 呆気に取られた鈴仙をよそに、ニコニコしながら星は告げた。 「……もしかしてお姉ちゃん、全部知ってました?」 早苗が聞いてみると、星は「うーん」といいながら顎に手を当てて天井を向いた。 「たまたま見たんですけど、鈴仙がさっき玄関前通る時に、なんか妙に外気にしてるなー、って。それで外出るのかな、と思って用意してました。もう四月ですけど夜は冷えますからね」 相変わらず察しのいい姉である。 「――ありがとう、星姉さん」 鈴仙が礼を述べると、星は手を振った。 「いいんですよ。貴方が頑張ってる様子が見られて嬉しいです。でも、風邪には気をつけるんですよ。帰ってきたら手洗いうがいは忘れずに。……あっと、うっかり長々と話してしまいましたが、場所は知りませんけれど、9時集合ならそろそろ準備しないと間に合わないですよ、相手を待たせてはいけません」 「は、はーい」 最後にピッと指を立てて注意した星は、「気をつけてね」といって部屋を出て行った。 「――行ってきまーす」 そして鈴仙は出発する。永琳の持つ答えに向かって。 ※ 鈴仙が出発した後、早苗は星の部屋を訪れた。 「おや、どうしました、早苗」 「どうしてあそこまで判っちゃうんですか、お姉ちゃん」 早苗は部屋に入るなり、星の目の前に座ってそんなことを言う。 「そうですね……やっぱり、姉だから、と言っておきたいですかね」 「姉だから……」 早苗の鸚鵡返しに、星はこくりと頷いた。 「じろじろと監視する気はありませんが……やはり姉ですから、貴方たちのことはちゃんと見ておかないとって思うんですよ」 「それは、私たちが心配だから?」 早苗の言葉に星は頭を振った。 「心配でないわけはありませんが、貴方たちはきっちりとしているところはきっちりとしています。でも、困っている時ってのは絶対にあるんです。それを見極めて手を差し伸べるのは、やっぱり年長者の役目ですからね」 にっこりと笑って早苗に顔を向ける星だが、何か含みがあるようだった。 「星お姉ちゃんは……」 「はい」 「星お姉ちゃんは、困った時、誰かに助けてほしいって思ったこと無いの?」 早苗は膝の上で軽く握り拳を作りながらそう呟いた。 「もちろんありますよ」 星は幾分か真面目な顔になって告げた。 「でも、無理はしませんよ。貴方たちがいますからね。ま、ちょっと前は無理しちゃったこともあるんですけど……今はそうしないように務めてます」 星はそう告げると、手元にあったお茶を飲む。 それを聞いた早苗はちょっと俯いた。 「私たちじゃ……」 「?」 「私たちじゃ……頼りになりませんか?」 早苗はちょっと俯き気味になりながら、握り拳をそのままに恐々と聞く。もしかしたら、姉にとって自分たちが、自分が、何か負担になってるんじゃないか、そう思うと聞かずにはいられなかった。 しかし、早苗の不安をよそに、星はもう一度頭を振った。 「――逆ですよ。貴方たちが頼りになるから、私はここでちゃんと『姉』でいられてるんです」 『姉でいられている』。 早苗にはその言葉の意味するところがよくわからなかったが、星は深くその言葉をかみ締めているようだった。 暫くそうしていると、星は唐突に早苗を呼んだ。 「――早苗、ちょっとこちらへいらっしゃい」 「え、あ、はい」 早苗は言われるがままに、座ったまま移動して星の脇に行く、と。 ナデナデ 「っ///」 「いい子ですね、早苗は」 頭を優しく撫でられた。この歳になって頭を撫でられるとは、少々恥ずかしい気もするが、かといって嫌な気分は全くせず、寧ろ嬉しさがこみ上げてくる。 「私をちゃんと気にかけてくれている。早苗はちゃんとしっかりしてますよ。頼りにならないなんて事はありません」 「お姉ちゃん……」 早苗は黙って頭を撫でられている。 星が頭を撫でるのは、姉妹全員がよくされていることで、こう言うのも何か変だが、撫でるのが巧い。撫でられていると、何か心配事が解決するような気がしてくる。 「早苗は鈴仙が心配で、ずっと気にしてたんでしょう? ここ数日で色々と助けてあげてましたし」 「……お見通しでしたか」 破天荒で不器用な早苗ではあるが、双子の姉である鈴仙をずっと気にしていた。自分よりしっかりしているとわかってはいるが、引っ込み思案な彼女をどうしてもほっとけなかったのである。 星はそんな早苗の内心がよくわかっていたようだ。返す返すも何でもお見通しな姉である。 「そうです、お姉ちゃんは何でも知ってるんです……って、顔をしたいんですよ。だから姉だから、って言っておきたいんです」 早苗が感心すると、星はちょっと悪戯っぽい口調でそう言った。 「ですから、後は鈴仙に任せましょう。なので、これはここまで頑張った貴方へのご褒美です」 「///」 早苗は再び赤面しながら、黙って星から撫でられていた。 ※ 鈴仙は何とか待ち合わせ時間に間に合った。 「こんばんは」 永琳は当然というか、先に着いていた。 「ご、ごめん! 待たせちゃったね」 「う、ううん、私もそんなに早く来たわけじゃないし……」 鈴仙は慌てて頭を下げるが、永琳はどこか上の空、というか緊張しているようだった。 ふと、鈴仙は気付く。 「……八意さん、結構洒落っ気あったのね」 見ると、キャスケットだの、レディースジャケットだの、ブラウスだの、チェックのスカートだの、普段の制服姿とは違った装いをしている。まだ冷え込むためちゃんと防寒はしているものの、それを踏まえてもバランスの取れた格好だ。永琳が少々長身なのもあいまって、鈴仙が見ても十二分に映える姿であった。 「ヘ、変じゃないかしら」 「まさか。いつもと違うけど、十分似合ってるわよ」 何でもできると思っていたが、洒落っ気もあったのか。これは得意分野と自覚する鈴仙も負けていられない。 と、思ったが、鈴仙がそこまで言うと、永琳は首を振った。 「えっと、実はこれ、選んでもらったの」 「え、そうなの? 八意さんによく似合ってるから自分で選んだのかと思ったわ」 「私、あんまりそういうことわからなくて……」 聞けば、友達に選んでもらったのだという。 そう言えば、先日コンビニ近くで見かけたときは制服だった。 「どんな子なの? その友達って」 「どんな子……どんな子、って改まって言われると、形容が難しいわね……一言で言うなら、凄い可愛い女の子って所かしら……」 永琳の口からは意外な(?)単語が出てきたが、話を聞くにかなりの美少女らしい。 なんでも、小さい頃から身体が弱く、小学校を卒業してから手術入院していたらしい。と言っても、既に手術は成功し、既に自宅療養中だとか。数日後には鈴仙たちのクラスに編入してくる予定とのことである。 永琳はよく見舞いに行く間柄で、今日のことを話したら着せ替え人形にされたそうな。 永琳は仲のいい相手なので拒否することも出来ず、されるがままになっていたと言う。しかし、そのセンスは鈴仙ですら舌を巻くものだった。……内心、されるがままになって困惑している永琳も見てみたかった、と思ったのは秘密だが。 「う〜ん、なかなかのセンス……私も負けてられないな」 「と、とりあえず行きましょうか」 少しまじまじと見すぎたかもしれない。 永琳は横においていた望遠鏡らしきものを持つと、そのまま歩き出し、 「うん」 鈴仙も直ぐ後に続いた。 公園。 「……」 黙々と設置作業をしている永琳を見ながら、鈴仙はぼ〜っとしていた。 よくわからないのでヘタに手を出すわけにも行かず、手持ち無沙汰だったのであるが、真剣な目で作業をする永琳に感心していたというのもある。 結構カジュアルな格好なのにてきぱきと作業しているのが、なんとなくシュールな光景に見える。しかし、それを踏まえても彼女の手際の良さと真剣さが相俟って、絵になる光景だった。 「……こんなものかしら」 そうこうしている内に設置作業を終えたらしい永琳が、「ふぅ」と息を吐く。 鈴仙は腰掛けていたベンチから立ち上がり、永琳に近づいた。 「おつかれ」 声をかけると、永琳は少し微笑んだ。 「おまたせ。……見てみる? 今は月に合わせてあるけれど……」 「いいの? じゃあ、お言葉に甘えて」 勧められるままに、望遠鏡を覗き込む。 「……おおお」 レンズの向こう側の景色に思わず声を上げてしまった。 教科書とかでしか見たことなかったが、実際に見るとこんな感じなのか。 「今日は満月じゃないけれどね」 「確かにちょっと欠けてる」 鈴仙の声を受けて永琳はそう告げた。そういえば満月は昨日だったか。 しかし、それでも鈴仙が引き込まれる様な感覚を覚えるには十分だった。 「気に入った?」 「うん、かなり」 鈴仙の答えに「そう、よかったわ」と答えた永琳は、そのまま鈴仙の横に並んだ。 そのまま暫くアレコレ眺めていた鈴仙だが、はっとして望遠鏡から離れた。 「あ、ご、ごめん。つい見入っちゃったわ。八意さんは観測に来たのに……」 「いいのよ。せっかく一緒に来たのに、私だけ没頭してもしょうがないわ」 それより、貴方が興味を持ってくれたことが嬉しい、と続けながら、永琳は望遠鏡から視線を外した鈴仙に両腕を広げて向き直る。 「……これだけの広い世界だもの。独り占めするにはもったいない」 腕を広げた永琳の真上には、果てしなく広がる星の海。彼女の姿はそこにあり、そして数多の星よりもくっきりと見えた。 今気付いたが、今日はとても空気が澄んでいる。だからこそ、ここまで綺麗に星空が見えるのか。 永琳はじっと見る鈴仙の視線を受け止めながら、話を続ける。 「……私は、確かに色んなことを知っているわ」 自慢げな口調は一切なしにそう告げた。 事実その通りだ。少なくとも、同年代で彼女の知識を上回る者はいないだろう。クラスメイトの勉強の軽い質問から真面目な相談まで、なんでも対応していることがその証左だ。 「でも、それは同時に、『色んなことを知らない』ということでもあるの」 「色んなことを知らない……」 どういうことだろうか。色んなことを知っているのに、色んなことを知らないというのは。 永琳は鈴仙に背を向け、後ろ手を組んで話し続ける。 「……物事を知れば知るほど、知らないことの多さに気が付いていくのよ。自分が色んなことを知っていくという実感があるのに、その知る量が増えていくのに比例して、そこから派生する知らないことはもっと増えていく……私は、それが悔しい」 でも、どうにもならないけどね、と付け加えて永琳は一端言葉を区切った。 鈴仙は黙って聞いていた。それが、先日見た『なんでもは知らない』という寂しそうな笑顔の正体なのだろうが……天才ゆえの悔しさというやつだろうか。残念ながら天才ではない鈴仙には、その悔しさがピンとこない。 「――どうにもならないから……」 「え?」 「どうにもならないから、足掻きたくなるのよ」 そこで永琳は振り返る。その顔に微笑みを湛えて。 鈴仙が思わず息を呑むほど、その笑顔は透き通るほどに澄み渡っていた。 永琳は微笑みながら自らの原点を語り始める。 「――私が昔読んだ本……それがたまたま宇宙の本だった。祖父が天文学者だったから……って、これは言ってなかったわね」 「あ、うん」 それは燐の友人である空から聞いていたが、今、特に言う必要も無い気がした。 「――だから、触れる機会が多かったってこともあったのだろうけど、その時から惹かれたのよ。それから、調べても調べても、いくら調べても果ての無い世界。現実としても、学問としても、果ての無いその世界に、私は心奪われた。――それが、私が星空に没頭するようになったきっかけよ」 「そうだったんだ……」 文字通り、彼女は星空に思いを馳せたのだろう。届かないと知っていても、届くことはないとわかっていても、手を伸ばせば、その分の僅かな距離が縮まる、少しでも近づく。 彼女は、そのほんの少しの僅かな距離のために、全力を尽くせる人なのだ。 手をめいっぱい伸ばした先にしか届かない距離、でも自分にとっては全力で手を延ばした先にあるもの。 ……それが彼女にとって、何よりも満足できる結果なのかもしれない。 「――ご、ごめんなさい。少し熱を入れすぎたわね」 はっと我に返ったかのように顔を赤くする永琳を見て、鈴仙は首を振った。 「ううん、やっぱり八意さんはすごい」 ただ、ずば抜けて頭がいいのかと思ったら、そうではなかった。 彼女は目標に向かって邁進する突進力が強いのだ。頭脳派かと思ったら、意外なところで負けん気の強い少女。それが八意永琳という少女だった。 「私、八意さんのこと誤解してたわ。クールに見えて、意外と熱い人だったのね」 「そ、そうかしら///」 永琳は顔を赤くして、文字通り『熱い人』になっている。 「ふ、普段はこんなに語ったりしないんだけど……。なんでかしら……」 両手を頬に当てる永琳は、どことなく可愛らしかった。 「いいんじゃない? 私にそういうこと話してくれて、私自身は嬉しいよ」 「そ、そう。迷惑でなかったのならよかったけど……」 少々ほっとした表情で、永琳は息を吐いた。 それが鈴仙にはちょっとおかしかった。いつもはもっと淡々と、そしてにこやかにしているのに、今日の永琳はいつになく少女らしい。 そのおかげか、といっては失礼かもしれないが、鈴仙は早苗や妖夢を相手にしているときのように、自分が聞き手にまわることが出来た。 「――ねえ、八意さん。私、飲み物持ってきたんだけど、飲む? 紅茶だけど」 落ち着くわよ、と付け加えて鈴仙は水筒を掲げる。 「う、うん。いただきます」 「じゃ、そこのベンチで」 応じた永琳をベンチに誘い、二人はそこに腰掛けた。 「あ、おいしい……」 「気に入った?」 鈴仙の問いに永琳は首を縦に振った。 「貴方、紅茶も入れられたの?」 「いや、多分これ、二番目の姉さんが入れてくれたんじゃないかなー。紅茶入れるの巧いんだよ。水筒用意してくれたのは一番上の姉さんだけど。私、そういうことてんでダメなのよねー」 苦笑しながら説明した鈴仙に対して、もう一度紅茶に口をつけた永琳は、先日言った言葉をまた感慨深げに呟いた。 「……やっぱり、貴方にはいろいろと話してしまう気がするわね」 「うん、委員長にも言われた」 そんな自覚は全く無いんだけどね、と付け加えて、鈴仙はふぅ、と息を吐く。 「上白沢さんが……そう、彼女が……」 と、永琳が慧音の名前に食い付きを見せる。 「委員長がどうかしたの?」 「ううん、上白沢さんがどうの、ってワケじゃないんだけど……」 永琳はちょっと複雑そうな顔を見せながら続けた。 「貴方は私の事を『何でも知ってる』って言ったけど、私は上白沢さんのほうが何でも知ってるように見えるわ。頭もいいし、委員長の仕事もしっかりこなしてるし、皆を纏めてるし……凄いと思うわね、私には出来ないことだわ」 「う〜ん……」 その慧音は永琳をそのように評していたのだから、全く見事な好対照である。結構似たもの同士なんじゃないだろうか。 でも、永琳も人への対応は手馴れている感じは受けるが……。 疑問に思った鈴仙は、なんとなく水を向けた。 「その口調から察するに、八意さんって人と接するの苦手なの?」 「うん、凄く。だから、ああいう対応なのよ、いつも。ああやっていたほうが私の側に余裕ができるから……」 永琳は少し俯き加減にそう答える。 他人への対応が手馴れたものだと思っていたが、寧ろ逆だったのか。 しかし、それほど悲観するようなものではないように鈴仙には思えた。何しろ、今日誘ってくれたのは永琳なのである。 「でも、私と話す時は自分から動いてたよね。今日の天体観測もそうだし……。八意さん、自分で思ってるよりできると思うわよ、人付き合い」 「そっ、それは……」 鈴仙の評価に、永琳はちょっとうろたえる。 「?」 なんだか何かを言おうか言うまいか、少し迷っている雰囲気だ。何かあるのだろうか。 (まあ、急かすのもなんだし……) こういうのは待つことが大事だ、と星も言っていたと思う。それで何度も話を聞いてもらっていた身としては、その気持ちがよくわかった。 「……笑わないで聞いてくれる?」 「へ?」 考えてる最中に発せられた唐突な永琳の言葉に、思わず鈴仙はきょとんとした。 「他の人が聞けばバカバカしいと思うかもしれないけど、私にとっては凄く真面目な理由なの」 だから笑わないで聞いてほしい、と永琳は言う。 「う、うん」 思わず身構えながら頷いた鈴仙を確認した永琳は、一回深呼吸して告げた。 「――あ、貴方と、友達になりたいな、と思って……」 「え」 「あ、あの、私、自分から友達って作ったこと無くて。でも、どうすればいいかなって……」 ――なんでも、永琳は周りと話す程度は巧く出来るのだが、波長が合うことが殆ど無くて、窮屈だったのだという。その窮屈さを知らぬ間に表に出していたのか、話しかけてくれる人は多かったが、結局、永琳からも相手からも壁を作ってしまっていたとか。先ほど話にでてきた服を選んでくれた友達は数少ない例外らしい。 (燐姉さんや霊烏路先輩の言ってた通りだったのか……) 燐は天才を友人に持つ身として、空は同じ天才ゆえの悩みと言うやつで理解できていたのだろうか。 鈴仙は、(経験則と言う側面もあるのだろうが)二人の観察眼の鋭さに今更ながら舌を巻いた。 「それで……その友達――蓬莱山輝夜っていうんだけど、その子に相談したら、『じゃあ、天体観測にでも誘ってみればいいじゃない』って言われたから……」 それで、頑張って声をかけたの、と言って、永琳は俯いた。言いたいことを言って、緊張の波が押し寄せてきたらしい。 「え、えっと、それは私に興味持ってくれたってことでいいの?」 「も、もちろん」 鈴仙が聞くと、永琳はこくんと頷く。 「――私と同じ、か」 鈴仙は苦笑しながら星空を見上げた。 「え?」 「いや、恥ずかしい話なんだけどさ。私も貴方のことが気になってたのよ。私、あんまり他の人に興味持つタイプじゃないんだけど……」 八意さんは例外的に興味持ったの、と言いながら、永琳のほうを向く。 「!」 永琳は目をぱちくりさせて鈴仙を見返した。 「変なところで気が合ったわね、私たち」 鈴仙がにこりと笑いかけると、永琳は顔を赤くしながら続けた。 「で、でも、クラス内でよく大人数で話してたから、最初のイメージは大人しいけど社交的なのかと思ってたわ」 「あー、あれ全部、双子の妹が切り盛りしてたのよ。私は相槌打ってただけ」 「そうだったの……」 「ま、すぐ上の姉さんとかはそんなことないって言ってくれてるんだけど、私、人付き合い苦手なのよね」 だから、と鈴仙は続ける。 「そんな私が自分から興味もった人だもの。……これからよろしく、八意さん」 ――そう言って、鈴仙は笑顔とともに右手を差し出す。 「あ……うん!」 永琳はいつものにこやかさで、ではなく、歳相応の少女が見せる満面の笑顔でそれを握り返した。 堅い握手の中、鈴仙は先日の慧音の言葉を思い返す。 『もしかしたら、なんだけど……八意さんは君が気になるのかもね』 ――やはりあの委員長こそが、本当に何でも知っているんじゃないかという気がした。 ※ 「ただいまー」 帰宅した鈴仙は、時計を見る。 そろそろ日付が変わりそうな時間だ。普段なら皆寝入る頃である。 「お帰りなさい」 が、星は起きていた。パジャマに上着を羽織って鈴仙を出迎える。 「ただいま、星姉さん。他の皆は?」 「もう寝てますよ。後は私と鈴仙だけです……あら」 靴を脱いで廊下に上がった鈴仙の表情を見た星は、にっこりと微笑んだ。 「その顔だと、うまくいったみたいですね」 「ばっちり!」 鈴仙はいつになく、ニカッと笑い、Vサインを示す。 嬉しくて仕方がない。自分で決めたことを自分で成し遂げられたのだ。もちろん、星や、咲夜や、燐や、早苗や、妖夢や、慧音や、空の手助けがあってのものだと理解してはいるが、やはり自分でやり遂げたという達成感が心地よい。 だが、やはりまず後押ししてくれ、助言もしてくれた人たちに感謝せずにはいられない。 「ありがとう、星姉さん。私、出来たよ」 まるで母親に吉事を報告する子供のように、鈴仙は嬉しそうに星に報告すると、星はそのまま笑顔で応える。 「ええ、よくやりましたね、鈴仙。さすが、私の妹です」 「えへへー」 ぽすっ、と胸元に抱きついた鈴仙を、星は愛しそうに撫でた。 「ふふ、甘えん坊さんですね」 「……たまには、いいかなって思って///」 「ええ、もちろんいいですよ(笑)」 星は、赤くなりながら顔を埋める鈴仙を、そのまま優しく抱きとめてくれる。 緊張したが、やはりこの達成感は嬉しい。そして、その達成感を真っ先に受け止めてくれる長姉に少し甘えたくなったのだ。 他の姉妹がいたら、恥ずかしくて絶対に出来ないけれども。 ひとしきり抱きついた後、鈴仙は満足げに星から離れた。 「……なんだか久しぶりに甘えた気がするわ」 「そうですね、最近は皆しっかりしちゃってますから」 星は「だからちょっと寂しくて……」といいながら、「よよよ」と袖口で顔を覆って泣き真似をする。が、直ぐにいつもの表情に戻って鈴仙を見据える。 「まあ、姉としては、みんなの成長は嬉しいですけどね。だから、こうやって嬉しい時は言ってきてくださいね。それが私にとっても嬉しいことなんですから」 ナデナデ 「///」 最後は飛びっきりの笑顔を見せながら、もう一度鈴仙の頭を撫でてくれた。 自室に戻った鈴仙は、こっそりと部屋の中を覗く。 早苗は布団に包まって向こう側を向いていた。 「……やっぱり寝てるか」 起こさないように、と、そろりそろりと入浴の準備をしようとすると、 「お帰り、鈴仙ちゃん」 寝ていると思っていた早苗が、首から上だけをぴょこんと布団の外に出した状態のまま、くるりと振り向いてそれだけ呟いた。 「……起きてたんだ」 「なんか寝付けなくて」 早苗は「よっ」と勢いをつけて起きると、電気の紐を引っ張った。 「その分だと巧くいったみたいですね」 「うん」 頷いた鈴仙に対して、早苗は続けて胸を張った。 「ふっふっふ、私の手助けも効いたでしょ」 「そうね、早苗の意見も時には役に立つわね」 エヘン、という顔をする早苗に苦笑しながら、鈴仙は自分の布団のところに座った。 「……私ね」 「なんですか?」 「早苗がいろんな人と話したがる理由、ちょっと分かった気がする」 「……うん」 早苗は短くそういうと、鈴仙の対面に座り直し、ずいっと顔を近づける。 「面白いでしょ?」 「うん、すっごく」 言って、二人で「にしし」と笑い合う。 そうして笑いあった後、早苗はふと思いついたように顔を上げた。 「そうだ、鈴仙ちゃん」 「なに?」 「お風呂から上がったら、今日までにあったこと、色々教えてくださいよ。どんな流れだったのか気になっちゃった」 「いいわよ」 鈴仙は妹の希望に快く応えた。 これまでのこと、そしてこれからのこと。話す事は多くなりそうだ。 『自信よりも前に自覚を持て』 『八意さんに対する鈴仙になりなさい』 燐と空の言葉が思い起こされる。それはきっと、今日までのこと以上に、今日からのことにとって重要な言葉になる。 今日はきっと、いつもより寝不足のまま朝を迎えることになるんだろう。 それでも、鈴仙はそれが楽しみで仕方なかった。 第四話 了