春が過ぎ、けれども夏では無いという、なんとも不思議な時期のことである。  博麗 霊夢がいつものように境内の掃除を放って、縁側で茶をすすっているところへやってきたのは霧雨 魔理沙であった。  少し興奮した様子で「まだ全然散ってない桜があるんだ。そこで花見しようぜ」とのたまった。  はて、桜の花などもうとうに散ってしまっているはずだがと、霊夢は首をかしげる。彼岸の桜や、おそらく永久に咲くことのない西行妖はいざ知らず、この世に散らない桜があったのか。    これは面白そうだ。  興味本位で霊夢は魔理沙に同行することに決めたのであった。  散らない桜の下なら、いつでも、花見ができるではないか。場所に困ることは無い。神社の境内を汚されることもなくなる。なんという好機だ。  霊夢はその場をあわよくば自分のものにしようと思っていた。  早い者勝ちだ。  散らない桜なんて便利なもの、自分のものにしよう。  その時はそう思っていた。  しかし、件の桜の元に降り立った二人は肩を落とした。桜は確かにあった。爛漫と花を咲かせ、ほのかに甘い匂いを漂わせている。  問題はその木の元で眠っている人物であった。  チェックのスカート、印象的な日傘。弱者を蹴倒し強者を踏み潰す行いは、人妖を問わず忌み嫌われているものがそこで寝息を立てていた。  言わずと知れた、“四季のフラワーマスター”風見 幽香である。  すやすやと健やかな寝息を立てて、豊満な胸を上下させている。 ――ああ、ダメだ  霊夢はいよいよ、桜を諦めざるを得なくなった。  ここで幽香に「桜を譲ってくれ」と言ったところで、いい返事は返ってこないだろう。  そんなことは試すまでもなく、分かりきっていることだからだ。  魔理沙など、「ああ、くたびれ儲けの骨折り損だぜ」と早々に立ち去ってしまった。手を出すのも早いが諦めも早いのである。  さて、これをチャンスと見るかどうか。  ここで幽香を説得できれば――万に一つもないだろうが――甘い汁を吸うことが出来る。  何しろ、宴会にはもってこいだ。賃貸料をとってもいい。 (少ない可能性にかけるかしらね)  そう心を決め、幽香に声をかける。 「幽香」 「…ん……むー…?」 「ゆうかっ!」 「むぅー……なぁによぉー?」  寝ぼけ眼をこすりこすり、上半身を起こす幽香。きつく張ったバストが大きく揺れた。  それをあえて目に入れないようにしながら、霊夢は彼女に問い質した。  この桜はいったいどうしたことか。何故幽香がこの場にいるのか。  少々早口でまくし立てる彼女に、幽香はにやりといやらしく口元を緩めるだけに済ませた。  それどころか。 「―はっはぁ〜ん? もしかして、もしかするわよねぇ?」 「…何のことかしら」 「この場所を宴会場にできるわねー」 「うっ!」 「年中使えて便利ねー。神社も一々掃除しなくていいわー」 「ぐふっ!」 「貸し出すときにお金取れるわねー。うはうは――」 「わかったわかったわよ! 諦めるわよ!」 「よろしい。賢明な選択よ、霊夢」  勝利に頬を緩ませて、幽香は立ち上がる。優雅な動作でスカートの土を払い、桜の幹へと手を伸ばした。目を閉じて、額も幹にぶつける。  瞬間、彼女の周りに風が舞った。かと思うと、風は桜の幹を昇る様に駆け、そして吸い込まれていった。  それを呆然と見届ける霊夢と、一仕事終えたような顔で再び地面に顔を下ろす幽香。幽香の表情は疲れさえ見えている。  怪訝な顔で「何をしたの」と訊ねる霊夢に、幽香は「何もしないでいたら散っちゃうから」とだけ答えて口をつぐむ。  霊夢はそのまま眠りに落ちそうな幽香の肩をゆする。 「もう桜のことは諦めてもいいが、どうして散らないのか、その理由だけでも知っておきたい。私自身興味があるのは否定しないが、いつまでも咲き続ける桜はいずれ人間の害悪になる。そうなると、私は博麗の巫女として放っては置けなくなる」  そう説くと、幽香は胡乱げな瞳を彼女にむけ、そしてぽつぽつと語りだした。 「『花が、桜が人間の男に恋をした』って言ったら、信じる?」 「……浪漫チックじゃない」 「疲れてるからはしょるわね。この桜子ちゃん(仮名)は人間の男に恋しちゃいました。きゃっ」 「…バカにしてるのかしら?」 「いたって真面目よー。言ったじゃない、疲れてるの。…ええとねぇ、満開の時に彼に告白したいんだそうよ、桜子ちゃん(仮名)は。でも、彼はいつ来るか分からない。自然の摂理には抗えない。そこで私の出番ってわけ」 「枯らさないように?」 「散らさなさいように。時々さっきやってたみたいに力を分けてあげてるのよ。でないと、花が散っちゃう」  あっけらかんと、幽香は言ってのけた。  無論、それがどれほど辛いことか知らないわけではあるまい。いつ訪れるか分からない男を待ち続けて、花を満開に保ち続けるなど、そう簡単に出来るものではないと、分かっているはずである。  それなのに何故。  霊夢は問いかけてみた。次第によってはこれもまた、面白いかもしれないからだ。面白そうなら関わろう。そんな腹であった。  その霊夢の腹を知ってか知らずか、幽香は不遜に、にぃぃと唇を吊り上げて、言った。 「独りよがりな王なんて、王なんて呼べないもの。ねぇ?」 「……私に言われても困るわ」 「あっらそう! それは失礼しました、博麗の巫女様。……ところで私は疲れているので寝ても宜しいでしょうか?」  若干、どころか皮肉を多分に含んだ物言いに少し腹を立てながら、霊夢は幽香に背を向けた。  好きにすれば、と霊夢がいうが早いか、幽香はまたすやすやと寝息を立てている。おそらくは寝て、起きたら桜に力を分けてやり、そしてまた眠りにつく。そんなことを繰り返しているのだろう。  神社への帰途に着いた霊夢は複雑な思いを胸に抱えていた。「物好きめ」と思う自分と、「王たりえない」と言われ半ばくじけている自分。怒りと羞恥と、そして悔しさがないまぜになった心はしかし、神社に降り立つとともに掻き消えてしまった。  あれから数日がたった。霊夢曰く忙しい神社の清掃を終え、ふと、「あの桜はどうなっただろうか」と思った彼女は、再び同じ場所を訪れることに決めた。  そして、彼女を迎えたのは、先日と同じ光景であった。晴れ晴れと花を咲かせる桜、その下ですうすうと寝ている幽香。以前と若干違うのは、桜の花が少し散って葉桜へと変わってしまっていること。そして、幽香の顔に明らかな疲れが見えていることだった。 「幽香」 「むゅ……本日の営業は終了いたしましたぁ…」 「貴女、いつまでこうしている気なの?」 「…………」  真剣な顔で訊ねる霊夢に、幽香はふざけることをやめ真摯な態度で答える。  自分の意志は変わらない、このまま男が現れるまで、私はここにい続ける。  頬がこけ、明らかにふらついている足でまた、幽香は立ち上がる。桜の幹に手を伸ばすと、また風を起こす。そして、そのまま、崩れるように地面に膝をついたのだった。  当たり前のことだ。ほとんど休みも取らず、力を放出し続ければ、どんな大妖怪であろうとも、その内底をつくに決まっている。  まさか幽香がそれを知らなかったわけではあるまい。 「でもねぇ…人の恋は応援したくなるじゃない?」 「馬に蹴られるわよ。それに、このまま待ってて、解決するとでも思ってるの?」 「さぁてねぇ…………その内来るわよ、その内ね」 「はぁ……なんて適当な…。貴女の言う王には先見性とか柔軟さとかは必要ないのかしら」 「ないわー」 「認めるな!」  ああ頭が痛いと、ため息をつきながら霊夢はふわりと浮かぶと、一つ桜の枝を手折った。  抗議の声をあげる幽香を尻目に、それをリボンで仕立てると髪に差す。   「いい、相手が動かなければ、こっちが動けばいいのよ」 「まあ積極的ねぇ。情熱的かしら?」 「いいから。桜子ちゃんに聞いて頂戴。好きな人の顔は見分けられるんでしょ?」 「……まぁ、そうできなくもないけどねぇ…。なんて乱暴な」 「押さば引け、引けば押せ。鉄則よ」  隙さえあれば眠ろうとする幽香の尻を文字通り叩きながら、二人と一本は里の上空へと飛んでいった。幽香の指示で男の下に桜の枝を届け、とんぼ返りに桜の元へと帰ってきた。  幽香と二人して、根元に寝転がる。二人を覆うように枝がふさふさと花をつけ、降り注ぐ太陽の光をちょうど良いものにしていた。自然と、まぶたが重くなる。  這うように襲ってくる眠気に身を任せ、浮かぶような眠りから覚めれば、空はとうに暗くなっていた。花の間から降りてくる光は、太陽のそれでなく、月のものであった。 「上手くやったかしらね」 「さあ? でも、今頃宜しくやってるんじゃあないかしら。夢の中で」 「生々しいのか幻想的なのか分からないわね」 「そうねえ。でも、いいじゃない。私にできることは手伝いだけだもの。それより後のことは自分でやってもらわないと」 「私“たち”ね。勘違いしないで欲しいわ」 「霊夢は何もやってないじゃない!」 「一発陰陽玉で目を覚まさせてあげる? まだ眠そうね」  自分ひとりの手柄だと言う幽香と、結局ほとんど自分のお陰だと言う霊夢。二人が、桜の木の下でぎゃあぎゃあとわめく。  そんなこともつゆ知らず、夜はどんどんと更けていく。三日月が桜の木を越えていく頃には、二人ともがまた根元に枕をそろえていた。  わめき疲れていたのか、地面に突っ伏してからも少しの間は互いににらみ合っていたが、どちらからともなく眠りについたのだった。  桜の花が散っていく。  思いを果たし、満足して散っていくのか。  それとも志半ばに倒れるのか。  そればかりは誰にも知る由は無いのだった。 おわれ('A`) ―――――チラシの裏――――――― 眠い なんだこれ ―――――チラシの裏―――――――