「ここは…?」  レイセンが連れてこられたのは、街外れにある掘っ立て小屋だった。 「私の家よ」  チルノがこともなげに答える。今まで居住環境は相当良かったレイセンにとって、ショックな答えだったらしい。スラム街特有の薄汚れた、粗末な家。レイセンには正直廃屋に見えたのだ。  チルノはそんなレイセンの反応を横目に見て、ふ、と微笑う。 「スラム街はみんなこんなものよ。貧民はね。…まぁ、私は大体仕事で寝に帰るくらいだから、問題ないけど」  チルノに促され、屋内に入る。中はベッドと冷凍庫つき冷蔵庫、中央に簡素なテーブルがある程度で、避難所程度の扱いならともかく、ここに"住む"という感覚がレイセンには想像できない。  チルノは椅子をレイセンに勧め、冷凍庫から氷を出すと「食べる?」と聞く。  レイセンはまだ食うのかよ、と思いながらも首を横に振る。  チルノは店で食べていたのと同じように、コップに氷を詰めるだけ詰めると、それを手にベッドに腰掛ける。 「ひとつ聞きたいんだけど」  チルノが、黙って俯いているレイセンに声をかける。 「…何?」 「あんた、まさか丸腰ってわけではないでしょうね」 「まさか」  レイセンはさすがにその言葉には即座に反論し、後ろに手をやって銃を引き抜く。  愛銃、ピーター・ザ・ラビット。グリップの部分は普通の銃っぽいのだが、それより上が、なんともウサギとしか言いようがない。  チルノはその銃を見て、レイセンを見て、銃を見る。 「…あんた、まさか丸腰ってわけではないでしょうね」  レイセンは眉をひそめて自分の手元を見やる。まさか、これが銃に見えないというのか。レイセンの顔はそう言っていた。 「弾、出るの?」  チルノもレイセンが真面目な顔を崩さなかったために、ネタじゃないと気づき、言い直す。 「何か的になるものはない?」  さすがにレイセンも愛銃を玩具程度に見られたことに気を悪くしたのか、腕前を見せようと言う。  チルノはコップをテーブルに置き、外に向かう。 「ちょうどいいのがあるわ」  レイセンがチルノに続いで出ると、離れたところに木の杭があつらえた様に刺さっていた。チルノはその杭の傍まで寄り、傍らにいくつか落ちている空き缶を一つ拾い、上に乗せる。 「これで」  チルノがレイセンの横に戻り、言った。たった一言だったが、チルノのその言葉にはやれるもんならやってみろ、という響きが含まれているようにレイセンには感じられた。  レイセンは無言で一歩前に出ると、銃を構える。  チルノが見守る中、レイセンは目を細めて狙いを定め、引き金を引いた。 「…………」 「…………」  ウサギの頭がコミカルに飛びだし、バネによって引き戻され、ヨーヨーのごとく上下にぶらぶらと垂れ下がっている。  レイセンは一言も言葉を発さず、ウサギの頭を戻す。 「今のは」レイセンが再び構えながら言う。「たまにある」  チルノはそれそもそも銃じゃないだろ、と思ったが、黙ってみている。  レイセンはそれきり黙って二度目の引き金を引いた。  ウサギの右目から銃口が飛び出し、今度こそ銃弾が発射された。わずかに狙いは逸れていたのか、銃弾が命中した缶はやや左方向に跳ねた。 (グロいな…)  右目から銃口が覗く様を見ていたチルノは無表情にそう思った。 「どう?」  チルノは小さくうなずき、 「なぜ右目から?」 「本当は口からだけだったんだけど…博士が」  改造したんだ、とレイセンは言う。話によると、目と口ばかりでなく、最初の頭が飛び出すショットがそのまま攻撃になったり、耳からも弾が出たりするらしい。  なるほど、と頷きながらあまり頼れないなとチルノは冷静に思う。そもそも、ウサギフォルムの銃という辺りからして実践向きとは思えない。 「……とにかく、あんたの腕は判ったわ。それで、あんたの上司とやらのところに行くのはいつがいいの?」  チルノは話を逸らすためにやむを得ず仕事の話に切り替える。このウサギ銃の話を聞いていたら、色々と馬鹿馬鹿しくなってくるからだ。  レイセンは話を変えられたことに気を悪くした様子もなく答える。 「早いほうが…そうね、明日の夜。こっちは二人で準備にもそうかからない。向こうに警戒態勢をとられる前に叩くわ」 「…判った」  警戒態勢なんてとるかなぁ、とレイセンを見ていてチルノは思うが、別に自分に異存はない。早く済むにこしたことはなかった。 「私が元々居た場所だから、下調べは要らない。私が経路諸々考えておくわ」 「判った」  実はチルノも縁があった場所なのである程度は知っているが、じゃあと言って任せられても困るので、これにはすぐに頷いた。経路だとか、そういう方面は苦手なのだ。 「…あたいは眠くなってきたから、寝させてもらうわ。…あんたは眠くないの?」  チルノは大あくびをひとつして、言う。 「…そうね。じゃあ私も寝るわ。…眠れたら、の話だけど」 「ベッドは貸してあげるわ」  チルノは家には入らず、裏に回りながら言う。 「貴方は…?」 「幸い、寝袋があるからね。それにあたいはベッドで寝るとよく落ちるから」  チルノは裏の小さな物置らしきところから寝袋を引っ張り出してきて答える。 「そう。…ならいいのだけれど」 「そういうこと。おやすみ」  チルノは床に寝袋を放り投げると、すぐに横になった。 「おやす…」  会話を終えかけて、そうだ、とレイセンはチルノに声をかける。 「寝る前に名前くらい聞かせてもらえないかしら」  チルノは片目を開けてレイセンを見て答える。 「…チルノ。チルノ・ストライフよ」 「私はレイセン・ウドンゲインよ。レイセンで呼んでほしい」 「………おやすみ、レイセン」 「おやすみ、チルノ」  レイセンが初めて過ごすスラムでの夜は、意外と静かだった。チルノの寝息がはっきりと聞こえる。  しかしレイセンは、さすがになかなか寝付くことはできなかった。  レイセンが起きたころは昼を回っており、いつも朝早くからてゐに起こされる身としては、相当に珍しかった。長く寝付けなかったのと、環境の変化と、それに伴う疲れが予想以上に重くのしかかっていたらしい。部屋を見渡すとチルノは居らず、寝袋も片付けられていた。  レイセンはなんとなく申し訳ない気持ちでチルノを探しに外へ出る。  外に出たらチルノはすぐに見つかった。横たわっている鉄筋に腰掛け、剣の手入れをしていた。 「…おはよう」  レイセンが髪の毛を手で撫で付けながらチルノの傍まで行って声をかける。 「ん、おはよう。ほら、これ。朝飯」  何故かチルノは機嫌が良さそうだった。レイセンに挨拶を返すと、傍らにあったパンと牛乳を手渡す。 「あ、ありがとう…。…いつから起きていたの?」  レイセンはチルノの隣に腰掛け、遠慮がちに受け取ったパンに手をつける。 「朝だよ」  起こしてくれても良かったのに、ともレイセンは思ったが、その分期待されているのだろうと気を入れなおす。今から夜までにビルへの侵入経路を考えなければならない。…とはいっても、三十分もあればまとまるだろうとレイセンは思う。脱出を考える前から目的を違えて再び戻らなければならぬことは判っていたので、その時から内部の視点で経路をおおよそ考えていたからだ。あとはいくつかある選択肢を絞って、最終決定の判を押すだけだ。  だが、レイセンには知るよしもなかったが、チルノが朝から一人で動いていたのはチルノなりの理由があり、レイセンを起こさなかったのも気遣ったとか期待しているとかの理由は特になく、単なる放置だった。  レイセンが遅めの朝飯を終えてからも、特に移動したりすることはなく、レイセンはその場で自分の銃の点検を始める。機械的に作業しながらも、頭は経路について考えている。が、昨日の今日で上司と対立すると言うことに罪悪感に近いものを覚えるのか、思うようにまとまらない。  チルノも、思うところあってか、口を開かない。剣の手入れをしつつ、時折ぼうっと森羅ビルの方を眺めている。  結局、夕刻辺りまでそうしていた。  レイセンが考えをまとめて、立ち上がると、チルノは昨日の喫茶店で日が暮れきるまで時間をつぶそう、と言った。確かに作戦を開始するには早かったので、レイセンも同意する。 「あ、いらっしゃいませー」  チルノとレイセンが店に入ると、メイリンが笑顔で迎える。 『お前も蝋人形にしてやろうかっ!』  ちょうど上海紅茶天国に日中居る歌歌いが、本日トリの曲を歌っている最中のようだった。微妙な曲のチョイスをする、初めて見る歌歌いの存在にレイセンは怪訝な顔をするが、チルノや周りの客は慣れたもので平然としているため、黙って席に着く。澄み渡った空を髣髴とさせる声と、歌詞がびっくりするほど合っていない。 「ちょっと何か軽い物を」  チルノがいつものカウンター席で、あくせくと動き回っているメイリンに注文を出す。 「はーい。サンドイッチ辺りでいい?」  うん、とチルノは頷く。 「私も、同じの」  レイセンがついでにと言った感じで注文を入れる。 「はーい」  とメイリンが再び答え、しばらく店内の客の方へと去る。  チルノもレイセンも、特に今からのことについての話はしない。特に話すほどのことはなかったからだ。チルノは自分の行動内容以外にほとんど興味を持っていなかったし、レイセンもまた聞かれもしないのに話すタイプでもない。雑談すらもなかった。 「どうぞ」  と、少ししてメイリンが二人にサンドイッチを出す。おまけで牛乳もついてきた。 「今から、お仕事ですか?」  メイリンはチルノを見て、レイセンを見る。 「そうよ」  チルノが答え、 「…森羅ビルまで」  レイセンが呟く様に答える。その声はあまりにも小さく、おそらくレイセンは何か自嘲的な気持ちで言っただけなのだろうが、メイリンはその声を拾っていた。  メイリンはその目的地から、チルノがいつもの雑用的な用事で借り出されたのではないと判った。だがメイリンはその胸中に思うことは一切顔に出すことはなく、 「頑張ってね」  と、柔らかい笑顔で激励するにとどまった。  レイセンは脱走の日、堂々と表口から逃げ去った。  だが侵入にまで表口を使うほど馬鹿ではない。裏口を使うために、二人が小走りに行くのは裏通りだった。  そもそも、ビルへ入るには表口か裏口しかない。  ビル内部に入れば経路は無数にあるのだが、その手前のビル内部に侵入するにはとにかく強行突破しかない、とレイセンは考えていた。  極力、兵を警戒して兵の姿を見かけたら無駄な戦闘はせずに隠れてやり過ごそうという方針だったのだが、チルノとレイセンが今進んでいる裏通りは警戒するのが馬鹿らしくなってくるほどに、人通りが少ない。裏通りといえど、ここまで人通りが少ない、などというわけがあるだろうか。普通警備の兵くらい居る筈で、レイセンもそのつもりで居た。 「罠かもよ?」  チルノが、レイセンの考えていることを代弁するかのように口にした。 「ん…」  レイセンは否定したかったが、さすがに状況と照らし合わせればそちらの可能性のほうが高い。どうしようか、作戦の立て直しか、と考えるレイセンにチルノが再び声をかける。 「…まぁ罠ならあたいはそれを踏み潰してゆくけどね」 「…そうね」  チルノの強気に、レイセンは自然頬が緩む。こういう場にあっては、一人くらい意図的にしろ天然にしろ、これくらいの無鉄砲さがあるほうがいい。  やがてビルの裏口が視認できる距離になり、このまま突入できるか、とレイセンが考えた瞬間。 「そこまでだっ!」 「だー!」  両脇から声が響き、チルノとレイセンはとっさに後ろに飛んだ。  暗闇からぬっと二つの人影が浮かび上がるようにして出てくる。 「誰だっ!?」  レイセンが声を上げながら銃を構える。 「タークス…!」  チルノが剣を構えながら唸る。  スーツを着た金髪と、同じくスーツを着た小柄な茶髪が、腕を組んで背中合わせにチルノとレイセンの行く手に立ちふさがる。藍と橙。それが二人の名前だ。金髪の方が藍、小柄な茶髪が橙である。 「永琳から見張っていろ、と言われていたときには何かと思ったが…」 「思ったがー!」  チルノとレイセンは武器を構えているのに、藍と橙は腕組みを解く様子すらない。 「本当に来るとは、呆れた奴らだ」 「やつらだー!」 「やっぱり…罠…」  経路を考えたレイセンが動揺する。そもそもこのビル突入以前の段階では経路も何もあったものではないので、特にレイセンの落ち度と言うわけではなかったが、待ち伏せされていたことがレイセンの作戦が安直だと言下に語られている気がして、動揺したのだ。 「浅はかすぎるんだよ、全く」 「まったく!」  藍が呆れたように言い、橙がそれに追従する。 「ビルへの侵入経路なんて表口か裏口しかないだろうが」 「だろーがー!」  ちなみに、と藍が得意げに付け加える。 「表は表で増員された一般兵が見張りがいる」 「多いぞー!」  じりじりとチルノは剣を構えて交戦になるのを待っていたが、いつまでも藍と橙が戦意すら見せないのに待ちくたびれてレイセンに声をかける。 「…どうする? ここは強行突破でいくのか?」  だが、それに答えたのはレイセンではなかった。 「おいおい。ここで無駄に体力を使っていいのか? 別に我々も戦え、と言われたわけではない。…まぁ、そちらが切りかかってきたら"止むを得ない"がな」 「やむをえないぞー!」  へぇ、とチルノの目が細まり、剣を構えなおす。 「なら、もうそれでいいわよ?」 「…待って。ひとつ聞きたい」  今にも飛び出していきそうだったチルノを、レイセンがぎりぎりのところで止め、藍に向かって質問する。 「目的は、なんなの?」  藍は暗闇の中でも判るほど嬉しそうに笑った。 「…いい質問だ。それはな」  と、同時に藍と橙が再び離れる。 「私が来るまでの時間稼ぎよ、レイセン」  その間から、まるで打ち合わせていたかのように、永琳が現れた。