生きるために、生きる… そんな絶望にも等しい状況に、わけもわからず叩き落され、早一ヶ月。 今日も俺は、生きるために摂取せねばならぬモノを求め、森を彷徨っている。 昼でも日の光が通らない、うっそうとした森林。 気がつけばそのド真ん中にいた俺は、混乱する頭を抱えながら歩き続け、ほどなくして小さな無人家を見つけた。 中央に囲炉裏、裏手に水場と井戸、というその家は、まるでおとぎ話の日本家屋をそのまま持ってきたようだった。 そして、それから一日もしないうちに、俺は恐ろしい現実を思い知らされた。 ここは「別の世界」であるということ。帰る方法など見当もつかないこと。 そして、力のない人間は、“妖怪”に捕食されるという、俺の世界の常識を超えた食物連鎖が存在すること…。 俺が今仮宿にしているこの家の主も、おそらくは…と思うと、すぐにでもここから逃げ出したくなった。 だけど、それすらもできない。そもそも、この森がどこまで続くのかすら、俺にはわからなかった。 松明を手に夜通し…いや、何日でも歩いていいから、とにかく森を抜けようとしたこともある。 だが、なぜかこの森を夜歩いていると、明かりを持っているはずなのに視界が極端に狭くなる。 しかも、不可視の暗闇から何者かが俺を“攻撃”してくるのだ。…そう、捕らえて、喰う、ために。 何もかもを忘れて走り続け、仮宿にほうほうの体で逃げ帰ったその日から、 誰とも触れ合えず、誰かから命を狙われ続ける、地獄のような日々が始まり… …そして今に至る。 「……」 俺の脳裏には、常に“死”が張り付いていた。 肉体的にも精神的にも一部の隙なく緊縛されたに等しい俺は、もう呼吸することにすら意味を見出せなくなっていた。 それでも、カラダは正直だ。魂を収める器だけが、ただひたすらに生を渇望している。 この空腹感と喉の渇きも、きっとその発露なのだろう。 この一ヶ月、俺は食べられる山菜やキノコの類を食することで生き長らえてきた。幸い、井戸のおかげで水には困らない。 だが、正直なところ、人間のカラダはタンパク質でできているのだ。 食物というカタチでそれを補わなければ、徐々に肉体は疲弊し…ああもういいや、カンタンに言おう。 肉が食いてぇ。そういうことだ。 でも、今の俺には、それすらも幾千とある叶わぬ望みの一つに過ぎない。 硬貨を数枚出せば簡単に十分な量の食べ物が手に入るであろう俺の元いた世界が、今では桃源郷にも等しかった。 …だからこそ、家路に着こうとした俺を待っていたその光景は、何よりも信じがたいものだった。 それはあたかも、俺の幻想の中でしか存在し得なかった「元の世界」が、ほんの少しだけ現実になってはみ出したようだった。 目の前に、鳥肉が落ちている。 それも、ヒトひとりぶんくらいのバカでかいカタマリで。 俺の脳がこの現状を認識した瞬間、盛大に胃が鳴った。もちろん、空腹感で、だ。 となると、このカタマリを両手に抱きかかえ、仮宿に向かって猛ダッシュするのはもはや必然であるといえる。 「…! ……!!」 何か声みたいな歌みたいなのが聞こえなくもないが、今の俺にはもう鳥肉しか聞こえない。無視無視。 ああ、なんかまた視界が徐々に暗くなってきたぞ。でも関係ない。走れ走れ俺、一ヶ月ぶりの動物性タンパク摂取に向けて。 だが、仮宿に帰ってみて、幻想はやはり幻想であったと思い知らされた。 「うう…食べないでよぉ…」 持ち帰った“鳥肉”の正体は、身体のあちこちにケガを負った、妖怪だった。 どこからどう見ても鳥肉以外のモノであるこの妖怪を、なぜ鳥肉と見間違えたのか… 俺の精神状態はそこまで追い詰められていたのかと思うと、軽く苦笑せざるをえなかった。 「あ、やっぱり食べようとしてる!う〜ん、ケガが憎いわ…今こそ人狩りチャンスタイムなのに〜…」 眼前に寝転がされながら、自然体で物騒なことを言う妖怪。 どうやら俺の苦笑を、食べないでよーを否定したものと捉えたらしい。 さて、どうしてくれようかと思って、床に横たわっている妖怪の姿を良く見てはみたが… 正直、かわいい。 鋭い爪と羽と耳からは、紛れもなくこの元鳥肉がおそらくは鳥の妖怪であることがわかるものの、 その点さえ除けば人間の女の子と何ら変わらない。いや、むしろ羽とか耳とかもかわいさを引き立ててる気がする。 …だけど、それでもこの子は妖怪。自分は捕食される立場なのだ。 今はケガで動けないみたいだけど、動けるようになったらすぐにでも俺を襲うことだろう。 ならば、当然、今のうちにどこか遠いところへ運ぶか……逆に、本当に俺が食べてしまうか。 そのどちらかが、今から俺が取るべき“常識”的な行動だろう。 だが、今いる世界は、俺から見ると全てが“非常識”なのだ。 それゆえに、なのだろうか。こんな非常識な思いを浮かべたのは。 (…この子になら、食われてもいいか…) それは、脳裏に張り付いていた死への願望と、この世界の非常識が生み出した結論だった。 どうせこうしていても、待っているのは緩やかな死か、精神の崩壊か、想像することすら恐ろしい末路だけなのだから。 この家には、おそらく前の持ち主が残したであろう救急箱のようなものがある。 それを家の奥から持って来て彼女の横に置き、フタを開けて消毒薬と脱脂綿のような布片と包帯を取り出す。 「ちょ、ちょっと、何してるのよ!?」 驚く彼女にかまわず、俺は傷の応急処置を始めた。…まあ、さすがに服をめくるのははばかられるので、見える傷だけだが… 「何って、これが傷を治してあげてる以外の何に見える?食材の下ごしらえにでも見えるかい?」 「…いや、そりゃ、見えないけど〜…でも、あんた…」 彼女が次に何を言うかはだいたい予測がついたので、俺は手を動かしながら言葉を上乗せした。 「信じてくれるとは思えないけど、俺、たぶんこの世界の人間じゃないんだよね。  でも、なんでここに来たかはわからないし、帰る方法もわからない。神隠しにでもあったのかもね。  で、ここんとこずっと誰にも会わず、誰かに襲われかけたり色々ギリギリなわけ。キミが始めてだし。ここに来て誰かと話したの。  だから、もういいんだ。正直、キミみたいにかわいい妖怪になら、食われてもいい」 「……え?え〜?何?よくわかんないけど、つまり外来種ってこと?」 「そう、輸入モノ。国産よりもお手ごろ価格。まあ、どこでどうやって税関通ったかはわかんないけど。…よし、終わり」 口を動かしながら、俺は見える範囲で応急処置を済ませた。 …なんだか、傷口が何か弾みたいなので撃たれたような感じがしたが、きっと気のせいだろう。この世界にそんな文明の利器があるとは思えない。 「じゃ、俺は逃げも隠れもしないし、抵抗もしないから。傷が治ったら、ご自由にどうぞ、ってね。  あ、でも、せめてあんまり苦しまないようにヤっちゃってくれると嬉しいかも」 投げ捨てるように言いながら、俺は寝床代わりにしているワラの中に飛び込んだ。 正直、ここまで彼女を走って運んで来て、いい具合に身体に麻酔がかかっている。…疲労感という名の、心地よい麻酔が。 「キズが治るまではそのへんにいてていいから。じゃ、おやすみ…」 目を閉じると、即座に意識が急降下していくのがわかった。 「あ、ちょっと待って!私はね… … 」 彼女の言葉が途切れる。眠りに入った証拠だ。…ひょっとしたら、次に目覚めるときは天国か地獄かもしれない、眠りに。 「〜♪ 〜♪♪」 どれくらい眠っていたのだろう。 最初に耳に入ってきたのは、歌声だった。 それに混じって、トントンと何かをリズム良く叩く音が聞こえる。…家の奥の、台所からだ。 「……ちんちんぱっぱー、ちーぱっぱー♪ すーずーめーの学校はー、もーりのーなかー♪  そーっとのぞいてみてごらん〜♪ みんなで人狩りしているよ〜♪」 歌声とともに、意識が引き戻される。目を開けると、まだ外は真っ暗だった。というか家中真っ暗だ。 (…早いな…もう動けるようになったのか?…ということは、今やってるのって、ああ、やっぱり、アレかな…) おそらく、今度こそ“食材”の下ごしらえだろう。音はまな板を叩く音に違いない。…まあ、今度は立場が逆転しているが… 「すーずーめーの学校のー先生は〜♪ ムーチをふりふりちーぱっぱー♪ …あれ?」 台所のほうに目をやると、満面の笑顔をたたえた彼女の姿が、月明かりに照らされて浮かび上がった。 その笑顔のかわいさに、心の臓がどきりと音を立てたような気がした。 「なんだ、起きてたの?…あ、もうちょっと待ってて。もうじきできるから」 「ああもう、さっき言っただろ?俺のこと食うなら、あんまり痛くしないようにって…」 自分で言った台詞ながら、自分で驚いてしまった。今から命を奪われるというのに、あまりに冷静だったからだ。 だが、それに対する彼女の返事は、それよりもさらに俺を驚かせるものだった。 「ああもう、私もさっき言ったでしょ!あんたのこと食べる気なんかないって!」 「……は?」 「もうほとんど忘れちゃったけど、つまりあんたは迷子で死にたがりな外来種なんでしょ?  死にたがってる人間をさらっても私が楽しくな〜い」 「………じゃ、死にたがるのやめます。やめますから食べちゃってください」 「言ってること矛盾してない?…とにかく、あんたを食べる気はさらさらないわ〜。  あーきにメイドがさらさらいくよ〜♪ きーしかいせいのナイフを放ち〜♪」 彼女は機嫌よく歌いながら、また台所にひっこんでしまった。 俺はしばらく呆然としていたが、今彼女に言われたことを噛み砕いていくにつれて、 半分安心したような、半分がっかりしたような、複雑な気分になっていった。 しばらくすると、台所から何かを焼く音と、香ばしい匂いがただよってきた。 正直、もし肉系を焼いてる感じがしたら、高確率で“共食い”になるんじゃないかと不安でしょうがなかったが 匂いからしてどうやら焼いてるのは魚介類系らしかった。よかった。 …それにしても。 「おーきなちかーらでー、そーらに浮かんーだらー♪ るーなさー、うつーの風にのーるー♪」 さっきからずっと歌ってばかりだ。それこそ、歌い続けてないと死んじゃうんじゃないかってほどに。 そう思った矢先に歌が止み、台所から彼女がお皿を持って現れた。 よく見えないが、串に何かが刺さったようなモノがたんまり乗っている。それに、この匂いは… 「…もしかして、蒲焼き?これ」 「違う違う。カバなんて食べないわよ〜。これは串焼きよ、八目鰻の。  本当は串揚げにしたかったけど、油があんまりなかったからこれで我慢我慢」 「や、やつめうなぎ…?」 さすが妖怪。俺が思いつきもしないモノを平然と調理してのける。そこにしびれ…はしないしあこがれもしないが、 とにかく驚いた。そもそも、ドコからこんなのを調達して来たのだろう。こんな短時間に。 「そうよ〜。最近八目鰻ってなかなか捕れなくてねぇ。貴重なんだから。このご時世、なかなか口にできるもんじゃないのよ?」 いや、どちらかというと口にしたくないタイプだが。 …でも、どうやら俺のために作ってくれたみたいだし、食べないわけにはいかない。 思い切って一口かじりつく。 …… 何かこう色々と、お食事中の茶の間には見せられない光景を展開してしまうかも…と、食べた瞬間はそう思っていた。 だけど。 「……うわ、ごめん、おいしい。すっげーおいしいこれ。……っていうか美味い!ホントに!すげー!!」 思わず叫んでしまった。この世界に来て、はじめて出した大声だった。 「え……あの、本当に?」 「うん、うん、おいしいってこれ、本当に…なんつっても、この、味付けが…あー、なんか目の前まで明るくなってきた感じ」 「あ、それは私が…いや、ううん、なんでもない。  じゃあ、いい感じに盛り上がってきたところで、歌のサービスいくよ〜!  ちなみにこのサービスは拒否できません。あと、歌の邪魔もしないように」 一ヶ月ぶりの動物性タンパクの摂取に身も心も打ち震えてた俺を、今度は歌のサービスが包み込んできた。 「くーれないーにそーまったー、こーの門番を〜♪ 名前で呼〜ぶやーつーはー、もーいーなーい〜♪」 そのサービスは、夜明けまで続いた。 串焼きを頬張りながら聞く、楽器も何もない歌だけのソロステージ。 「帽子を脱ぎ捨て〜、ふーくを脱ぎ捨て〜♪ 全てを脱ぎ捨てーたらー、てんこー♪」 歌詞の意味はさっぱりわからないし、歌も正直、うまいとは言えないものかもしれない。 でも、底なしに元気な彼女の歌声は、俺を長い間蝕んでいたココロの暗闇を奪い去ってくれるようだった。そりゃもう容赦なく。 「にゅーくれらっぷー♪ そしてこーんがーりーとー♪ やーきあがるのーよー♪ 愚かな人間と妖怪〜♪」 あと、彼女の歌を聞いていると、やっぱり不自然に視界が狭くなる。 つまりそれは、目の前の彼女が、俺を今まで死の恐怖に陥れていた元凶であることに他ならない。 …だけど、それすらももうどうでも良かった。 かつて感じていた絶望を全部清算しても余裕でお釣りが来るくらいの元気と希望を、今彼女に貰っているのだから。 「わーはくたくーがやってくる〜、満月背負ってやってくる〜♪   あーいつはーグールメじゃなーい、なーんでーもけい・ぶ・ど〜♪」 そして、そのお釣りは俺の中で、思いもよらない方向に昇華していった。 それがなんなのかは言うまでもない。そりゃ、こういう状況になったら、こう思わない男のほうがどうかしてる。 「がんばれみすちー♪ がんばれみすちー♪ わたしは人攫いー♪  喰らわせろ♪ 喰らわせろ♪ わたしも知らないなぞーの小袋、80ぷーくーろー♪」 「…ふー、ちょっと休憩」 相変わらずよく見えないが、外からやけに雀の鳴き声が聞こえることから、夜が明けたことはわかる。 空っぽのお皿の前で、ぺたんと座って一息ついている彼女に、俺は力の限り拍手を贈った。 「……へ?あの、その、え…?」 俺を見つめてきょとんとする彼女に、今度は言葉で感謝の意を告げる。 「歌、ありがとう。なんか、すっごい元気になったよ。今まで死のうとしてたのがバカみたいだ。  串焼きも美味しかったよ。美味しいものを食べられることがこんなに幸せなんて思わなかった」 「…う。う〜…そ、そう?…その、あ、こちらこそありが…って、そ、そういうわけじゃないの!  だって、歌は元気の素なのよ?あんたが発してる“歌”って、今にも消えちゃいそうだったし〜。  そんなのもってのほかよ!歌は楽しむ物!同じアレなら歌わにゃソンソンってもんよ!」 「いや、俺はアレじゃないつもりだけど。…でもまあ、確かにその通りだと思う。今は。  で、今はこうして活き活きとした、迷子で外来種の人間がいるわけだけど、どうする?やっぱ、攫う?」 「へ?迷子はあなたのことだろうけど、誰が外来種だって?」 「……ひょっとして、キミ、やっぱり鳥頭?」 「ぐ。し、失礼ね!大切なことはちゃんと覚えてるの!それに虫頭とか氷頭よりマシでしょ!?」 「(氷頭?)…そういうのを五十歩百歩と人間は言うのです。じゃあ、自分の名前とか覚えてる?そもそも、名前、あるの?」 「名前くらいあるわよ、そこらの人間じゃあるまいし。私は夜雀よ?夜の雀。闇夜にひそむ恐怖たぁ、私のこと。  名前はミスティア。ミスティア・ローレライ。長いからみすちーでいいわ〜」 「ミスティア…?」 正直、ちょっと意外だった。もし名前があるにしても、なんかちゅん子とか雀美とか、ベタなもんかと思ってたからだ。 それが、まさかこんな綺麗な名前が出てくるなんて。しかも「みすちー」って愛称もいい。なんか、語感がかわいい。 「そ。そういえば、あんたこそ名前あるの?」 彼女にそう聞かれて、俺は自分の名前を口にする。たったこれだけでも、生きてることを実感できた。 あいにく、彼女の反応はいまいちだったが…もっと奇抜な名前のほうが良かったかなと少しだけ思った。 彼女はしばらく休憩してから、朝になったから帰って寝る、と言って去ろうとした。 それを俺は呼び止め、また来てくれないかとおそるおそる尋ねた。 正直なところ、まだ捕食されるかもしれないという不安は完全には消えていなかったが、 それよりも遥かに、彼女から貰ったモノの大きさが勝っていた。ちっぽけな不安など打ち消すほどに。 彼女は立ち止まり、しばらく考えてから…ゆっくりと首を縦に振ってくれた。 家をあとにする彼女の姿をそっと窓の隙間から見送ったが、 小さくなっていく彼女の後姿は、俺の前で見せていた元気さが嘘のように痛々しかった。 「…やっぱり、ムリしてたのか…」 俺にケガを治してもらったお礼に、あの歌つき料理を振舞ってくれた… 結局本人はそうは言わなかったが、彼女がそういうつもりだったことを改めて実感し、嬉しくなった。 それから。 みすちーは毎夜欠かさず、俺のところに歌を歌いに来るようになった。 彼女のコンサートの合間に、色々とこの異世界のことも尋ねることができた。 ここは幻想郷と呼ばれる場所であること、現実世界との境界になっている神社が存在すること、 この森は中央を分断するように獣道があり、その道は昼間ならたまに人間が往来するものの 夜は妖怪の襲撃を恐れてかほとんど人は通らない、ということ。 その“妖怪”とは、おそらくみすちー本人のことだろう。まあ、本人は口にしないが。 そしてこの話を総合すると、獣道で誰かこの世界の人間に出会えれば、その“神社”の場所を 聞くことができるかもしれない、イコール現実世界に戻れるかもしれない、ということもわかった。 かつての俺なら、すぐにここを離れて獣道に潜伏することだろう。 でも、今の俺はそんなことをする気にはなれなかった。 なぜなら、それはみすちーとの別れを意味することになるから。 「こほん。いいかねキミ?キミのような鳥頭では明日になったら忘れてるだろうけど  仕方がないからこの聡明にしてかつ賢哲たる人間様がキチンと説明してあげよう」 「もう、だから本当だってば〜。なんで信じてくれないのよー」 「信じてくれるも何も、根底からおかしいの。いいかい?幽霊ってのは、すでに死んだ者が  現世に何かしらの未練を残して魂だけがさまよってる状態のことを言うんだよ?  だから肉体もないし、だいたいは未練が悪い方向に突っ走ってしまって凄く生きてる奴に恨みを持ったりするわけ。  それが何?ぼけーっとして何考えてるかわからない幽霊にいつも食べられそうになる?  そーんな生に対してポジティブな幽霊がいるわけないでしょ。そもそも、霊はモノを食べません。ってか食べれません」 「……あ、そうそう、こういう時は歌よね歌。歌に乗せたらきっとわからずやのあんたにも伝わるわ!  さわーやーかーな生霊〜♪ 照りーつーけーる蝶々〜♪」 「あーもう、そこでまたそんな歌にするから余計胡散臭くなるんだよ。第一生霊は幽霊とはまた別だぞ」 「細かいことは気にしないの!あんたは人間なのに細かいことばっか考えすぎ!  私の知ってる人間はもう、自分以外はどーでもいいやーって奴ばっかりなのに。それに幽霊の話は本当に本当!  だって、いかにも幽霊的な白い物体だっていっぱいぷかぷかしてるのよ?おまけに隣にはいつもおっきな包丁持った  物騒な人間っぽい生き物が『斬り潰すみょん!絶対斬り潰すみょん!』って言いながら…」 「あー、そのなんだごめんみすちー、ボクにはもうどこから突っ込んだらいいかわからないよ」 「庭師がーすずめー斬るー♪ みょんみょんみょ〜ん♪ かぁーっ!」 「あ、いてっ!」 「って感じでいつも斬られそうになるの!おかげで最近商売も人攫いもあがったりよ〜」 「…商売はとにかく、人間の身からすると人攫いはほどほどにして欲しいんだけどなぁ。っていうか商売って何?」 「ひみつ」 いつも、こんな他愛のないやりとりを挟みながら、俺は彼女の歌を聴くのである。 文字通り鳥頭で、忘れっぽい彼女のことだから、この話も翌日にはすでに大部分を忘れてるのだろう。 でも、俺のことは忘れないでいてくれている。だからこうやって毎日来てくれている。 “大切なことはちゃんと覚えてるの!”と、はじめて会った日に言っていたという事実を加味すると、 思わずにやけてしまいそうな結論が紡がれてくるのである。 おまけに、たまに料理もしてくれる。普段の歌しか頭にない彼女からは想像もつかないほど、 彼女の料理は美味しい。食べるたびに、彼女の底なしの明るさを分けてもらってるようだった。 死の瀬戸際をあてもなくふらつくような生活が、彼女のおかげで逆転した。 俺をこの世界にひっぱりこんだ何者かがもしいるならば、そいつに礼を言ってもいいくらいだ。今なら。 そんな生活が、さらに一ヶ月ほど続いた。 同じ環境のままこれだけの時が経つと、その環境が日常化し、当たり前のようになってくるものだ。 だから、俺にとって今、そばにみすちーがいるのはもう当たり前のことになってしまっていた。 そして、それが「当たり前」であればあるほど、喪失した時の喪失感や悲しみは大きいもの。 …それを思い知らされたのは、それから程なくのことだった。 突然、みすちーがばったりと来なくなってしまった。 1日、2日ならまだいい。7日、8日と経ってくると、文字通り頭がどうにかなりそうになってきた。 また、戻ってしまうのだろうか?…彼女に会う前の、あの一条たりとも光の射さない生活に。 いや…それよりも。 彼女の姿を見れない、声を聞けないことのほうが、何百倍も苦しい。胸が焼き焦がされるように痛い。 泣き言すらも吐けないまま、ただただ俺は呆然と時間の流れを傍観することしかできなかった。 それでも俺は、虚ろな心の奥で、たった一つだけ思うことがあった。 ああ、俺は本当に彼女のことが好きだったんだな、と。 抜け殻のような身体を横たえながら、彼女がいなくなって10日目の夜になった。 今日は霧が深い。俺をあざ笑うかのように、窓から室内にどんどん入り込んでくる。 …でも、なぜか、この霧を見ていると妙な気分になる。 まるで、どこかにどうしても行かないといけないような、そんな気分に。 「……そうだ…あそこ、あそこに行けば、ひょっとしたら…」 みすちーに始めて出会った場所を思い出した俺は、跳ね起きるように身体を起こし、家から飛び出した。 正直なところ、正確にその場所を覚えている自信はなかった。 だが、遠くに赤い光が見えてからは、光源に向けて一直線だった。まるで、足が吸い寄せられるように。 そして赤い光を間近に捉えた俺は、また何かおかしな幻想にとりつかれたのではないかと思った。 「…屋台?」 それは、どこからどう見ても屋台。俺の元いた世界の人間が屋台と聞いて想像する物体そのものだった。 赤提灯に照らされた屋台には、店主と思われる人影と、客と思われる人影が一人ずつ。 その店主の姿を見た俺は、足元から何かが沸きあがってくるような、激しい高揚感に襲われた。 (みすちー…!) 店主はまぎれもなくみすちーだった。 そうなると、一刻も早く駆け寄って彼女の姿を確認することこそが、今の俺がしなければならないこと。 …の、はずだった。…だが。 もう一人の客の後ろ姿。それが目に入った途端、俺の足が止まった。 明らかに人間の姿ではない。人間が、あのように禍々しく捻じ曲がったツノを生やしているわけがない。 背丈は子供並みだったが、それでもなお、俺のようなただの人間は迂闊に近寄ってはならないような、そんな雰囲気があった。 動かない足をなんとか動かそうとしていると、二人の話し声が聞こえてきた。 「もー、わかったわよー!あんた、夜雀に歌うなって言うのは死刑宣告にも等しいのよ?」 「まーたそんなこと言って〜。そもそも、八目鰻をここにアツめてあげてるのは誰だったっけ〜?  これくらい当然の権利ってやつよね」 聞き慣れたみすちーの声と、背丈相応の女の子そのものの声が交錯する。 どうせ動かない足だと半分開き直って、俺はそのまま息を潜め、二人の会話を聞くことにした。 「権利って、歌を歌うくらいいいじゃないのよー…」 「だってうるさいんだもん、あんたの歌。まるで騒音。まあでも、最近はなんかおかしいみたいだよねぇ?」 「騒音って、失礼ね!私は単に私の元気を歌にしてるだけよ!おかしくなんてないわ!」 「嘘。…面白いね。人間も妖怪も、なんで図星突かれるとこうもイライラするのかなぁ?」 「嘘じゃないってばー!イライラしてるのはあんたのせい!」 「じゃあ、なんであんたの歌、最近苦しそうなのさ?」 「………!」 「私にはわかるよ。ただ自分のために歌を歌うことと、人間を攫うことだけが楽しみだったあんただけど、  最近、それ以上の楽しみができている自分に気がついている。そして、あんたは妖怪という立場上  その新しい感情を素直に受け入れられない。だから苦しい。…そうよねぇ?」 「…う、そ、そんなわけわからないこと言って、今までのツケをうか、浮かせようたって、私はね…!」 「いい?この世界ってのは、大多数の常識人と、一握りのイレギュラーで動いているの。人間も妖怪もね。  決められた真理をなぞるのが、常識人。彼らが世界を動かし、支え、未来へと世界をつむいでいく。  でも、それだけだとどこかで行き止まりになってしまう。空気が澱み、流れなくなってしまう。  だからイレギュラーが必要なのよねぇ。真理の行き止まりを、さくっと破れるイレギュラー。  あの人間なんかは、まさにイレギュラーね。今のあんたにはすごくお似合いだと思うけどなぁ」 「……。よ…よくわかんなかった…けど、なんであいつの話が出てくるのよー…あいつは…」 「あーなんか説教臭くなっちゃった。要は、あんたみたいに思う妖怪がいてもいいんじゃない?ってこと。  他にもいるわよ?妖怪のくせに、人間とばっかり友達になりたがってる奴とか〜」 「そ…そうなんだ…ふ〜ん…じゃ、じゃないの!わた、私はそんなこと…」 「あ、それとね。私がアツめられるのは鰻だけじゃないのよ〜。客もアツめることができるの。  次に来る客は、あんたにとって忘れられないものになると思うよぉ?あんたさえ素直になればね〜。  じゃ、そゆことで〜」 その瞬間、確かに俺は見た。 ツノの女の子の身体が、瞬く間に霧の中に溶け、消えるのを。 口から漏れそうになる悲鳴を、必死で俺は呑み込んだ。 こう言ってはなんだが、みすちーの存在を遥かに超える非常識を見せられた気がした。 そして、非常識の奔流に飲まれながらも、痺れた頭で俺は確固たる決意をする。 どういうつもりかわからないけど、あの女の子はきっかけを作ってくれたに違いない。 なら、このチャンスを決して無駄にはしない…と。 そう思った時、家を出たあたりからずっとまとわりつくようだった霧が、いつの間にか晴れていたのに気がついた。 「……」 一人残されたみすちーは、ただ無言でうつむいていた。彼女が声を出さず沈黙していることなど、今まで見たことがない。 それほどまでに悩んでいるのかと思いながら、俺は何事もなかったかのように歩を進める。 自分から声をかけようと思っていたが、先に気がついたのはみすちーだった。 「あ、いらっしゃー…あ」 「ども、ひさしぶり」 「う、うん…ひさしぶりー。どうしたの〜?あ、また肉食いてぇーとか思ってるんでしょ?  残念でした、ここは焼き鳥屋じゃなくて焼き八目鰻屋なんだからね!」 そう言って、勝ち誇ったようににこにこ笑う彼女の姿は、いつも俺が見て来た明るく元気なそれと変わりはないように見えた。 だけど、それが“素直じゃない”ことを、今の俺は知っている。 ここで俺まで素直にならないままだったら、ずっと同じことの繰り返しだ。 だから、先に俺から繰り出すことにした。たとえ伝わらなくてもいいという覚悟の上で。 俺は自分を鼓舞するように、どかっと音を立てて座った。さっきまでツノの女の子のいた所に。 「あのさ、今更だけど俺、すごくみすちーには感謝してるんだ」 「え?感謝…?」 「たぶん覚えてないと思うけど、俺は外来種で、はじめてみすちーに会った時は食われたがってたじゃない、俺。  誰かに襲われたりしてギリギリだからもうどうにでもしてーって感じで」 「うーん、そうだったような気もする」 「それくらい絶望してた。なんで俺がこんな目に、いっそ死んでしまいたい、そうずっと思ってたんだ。  でも、みすちーと会えて変わった。むしろ、ここに来たのはみすちーに会うためなんじゃないかと思うようになった」 話しているうちに、どんどん顔が紅潮していくのが自分でもわかった。 10日間ぶんの日常会話と、1ヶ月前から秘めてた言葉。それらはココロのダムにいっぱい、いっぱい溜まっていた。 堰を切ってしまうと、もう自分でも止められない。 「いつも来てくれて、歌ってくれて、ごはんとか作ってくれて。毎日が凄く嬉しかったよ。  だから、これはそのぶんのお礼。今まで、本当にありがとう。  …で、あの、その、…できれば、これからもさ…」 いよいよ本題に入ろうとしたとき、か細い言葉が俺の堤防を塞いだ。 「ちょ、ちょっと、ちょっと待ってよー… …」 だが、そのまま彼女は目線を逸らして押し黙ってしまう。まるで嘘をついてる子供が親に叱られているかのようだった。 彼女の言葉が待ちきれず、俺が口を開こうとしたその時だった。 「…あれ、私のせいだったんだよねぇ、実はさ」 早口で、つぶやくように彼女は言った。そのまま、彼女は言葉をつむぎ始める。 「だって、久しぶりのヒトネギだったんだもん。夜雀たる私としてはそりゃー襲わなきゃって感じよ〜。  このへんの森ってなかなか人間通らなくて、通るのはいっつも普通の人間以外か普通じゃない人間ばっかりだったし。  だから、まあ、あんたのこと襲ったわけ〜。でもさ、それでもあんたは、その…  …その、知らなかったみたいじゃない?だから…」 ここまでいつものようにノー天気に言ってきた彼女だが、ここでまた言葉を詰まらせた。みるみるうちに表情が暗くなる。 「…だから…ごめんなさい、って言いたかったんだけどね…  でも…いざ言おうと思ったら、なんでかわからないけど、胸がぎゅーって痛くなってくるから…  どうしても言い出せなかったの。なんでだろうねー…。あんたは人間で、私は妖怪なのに」 だんだんと言葉からも、普段のみすちーらしさが消えていく。別人の独白を聞いてるようにすら思えた。 「で、それも我慢してると、今度はあんたに会うだけで、胸がちくちくするようになってさ…  もう、ぎゅーとちくちくがすごいことになっちゃったから、しばらくあんたから離れて治そうかなって…  …かなって、ぐすっ、思ってたんだけどね…」 「みすちー?」 彼女の声が泣いているように聞こえて、つい聞き返してしまう。そっと顔を見てみると、瞳には涙が溜まっていた。 「でも、おかしいのよー…あんたに会わなかったら会わなかったで、どんどん痛くなるの。  いつもみたいに、あんたに会う前みたいに歌いながらヒトを呼ぶつもりでも、ぐすっ、  どんどん苦しくなって、歌うこともできなくなっちゃって、ひっく、ぐすっ、もう、どうしていいか…  とにかく、もう痛いの嫌だから、ちゃんと言うから…ごめんなさい。ごめんね…」 絞り出すように彼女はそう言って、涙を拭いながら泣きはじめた。 だけど。俺はもちろん知ってる。彼女のごめんなさいの理由を。 そして、それを承知の上で自分はみすちーが好きだってことも知ってる。だから。 「知ってたよ?最初から」 「…ふぇ?」 できるだけやさしく、だけど力強く俺は言った。 「ごめん、それだったら最初から言えばよかったね。俺ははじめてみすちーと会ったときから知ってた。  ていうか歌聴いてたらすぐわかったよ。でも、そんなこともうどうでもいい。  俺はみすちーと会えた事が今は素直に嬉しいし、そんな想い出も全部何もかもひっくるめて、  その、みすちーのことが、好き」 「え…好き…?」 ぐいっと涙を腕の一薙ぎで拭い去り、ぴこんと羽を動かしながら彼女は顔を上げた。 俺としても勢いで言ってしまった感じはするが、今更後には引けない。一気にまくしたてる。 「うん。あ、いや、その、まあ…好きっていうのは、つまり、いっしょにいると嬉しいとか楽しいとか安心するとか、  そういうことなわけ。だから俺も、みすちーと会えない間はずっとちくちくが止まらなかった。だから…」 「あ、やっぱり、そうなんだ…」 俺の告白にも等しい想いの迸りに、彼女はあっさりさっぱりと口を挟んできた。 「そう、そこなのよー。私もね、あんたと…ううん、あなたといっしょにいると嬉しい楽しいだった。  今まで私は自然の声とか、自分の中の声とかを勝手に歌って一人で盛り上がっちゃってただけで、  さっきもそうなんだけど、色々邪魔されてばっかりだったのよ〜。  ちょっと前なんかせっかくお空でソーレイがソーラーレイしてたのに、合わせて歌ってたら撃ち落とされちゃったし。  あ、思い出した。そこをあなたに助けられたのよね〜」 いつものようにそう言った彼女の顔には、もういつもの笑顔が戻っていた。そう、みすちーはやっぱりこうでないと。 にこにこ笑いながらよくわからないことを楽しそうに言ってるくらいでちょうどいい。 「でも、あなたは歌も料理もほめてくれたじゃない?それが、その、最初は変なネギだなーって思ってたけど、  だんだんそれが嬉しくなってきて、あなたのために歌うのが一番楽しみになってきてた。  だからずっとあなたのとこに行ってたんだけど、謝らなきゃいけないなーと思ったらああなっちゃって〜。  というわけなので、 …」 そこで、彼女はいったん言葉を置いた。笑顔がまた神妙な面持ちになる。 「だから、私もあなたのことが好き、なんだと思う。  …よかったー。私だけこんなんだったらどうしようかって思ってたのー。…あ、あれ?また涙が…おかしいなぁ?」 そう言って彼女は、今度は涙を見せながら笑った。 「よかったのはこっちだよ。ありがとう。なんか、こっちも凄く嬉しい。  で、さっき言いかけたことなんだけど、いい?」 「…うん」 涙を拭いながらうなずいた彼女の微笑んだ顔は、今まで見たみすちーの中で一番綺麗だった。 「よかったら、これからもずっと、俺のために歌を聴かせて欲しい。みすちーの歌が聴きたい」 「……。それ、こっちの台詞よ〜。私のほうこそ、あなたのために歌を歌わせて欲しいんだから。  えっと、これからも、ずっと」 みすちーは俺の返事を待たず、歌を歌いはじめた。 「…♪ ……♪♪」 今までの彼女の歌は、俺に聴かせるのが楽しみであるとはいえ、肝心の内容はみすちー本人にしかわからない、 悪く言えば独善的なものだった。だが、この歌は違った。 さっきまでの胸の痛みと、思いが通じた今の嬉しさを俺に伝えるための、ラブソングだった。 おそらくみすちーは、今夜生まれてはじめて自分以外のためだけを思って歌っているのだろう。 「……〜♪」 歌い終わった後の彼女は、いつもの笑顔の奥に大きな喜びを湛えているように思った。 俺は手のひらが破れんばかりに拍手してから、席を立って自分の知ってる歌を歌いはじめた。もちろん、内容はラブソングだ。 俺の歌をみすちーは、目を閉じて真剣に聴いていた。きっと、これも彼女にとってはじめてのことだと思う。 そう、歌は確かに元気の素。でもそれは決して、今までのみすちーが歌っていた歌のような一方通行ではない。 誰かのために心を込めて歌えること、それこそが“歌”の持つ一番の元気パワーだと俺は思う。 「……ふぅ」 歌い終わった俺に、みすちーはぱちぱちと拍手してくれた。 そして、ひらりと調理台を飛び越えて―― まだ拍手の余韻に浸りながら立っている俺に、ぎゅっと抱きついてきた。 自分の心臓が跳ね上がる音を一瞬聞いたような気がしたが、すぐに愛しさが湧き上がってきた。 それに俺は身を任せ、彼女の身体を羽ごとぎゅっと抱きしめ返した。 「…へぇ、人間って、あったかい」 照れているのか、風が鳴くような小さな声で彼女は言った。 甘いよみすちー。これからもっとあったかくしてあげるから。   …って言おうとしたのだが、 さすがにこの台詞は俺の恥ずかしさメーターの針を飛ばしてしまいかねないので言えなかった。 ただ無言で抱擁することでもきっと伝わる。そう思って俺はこのままみすちーを抱きしめていた。 …… どれくらいこうしていただろう。 「さ、そろそろ帰るわよー!もちろんあなたの家に〜」 唐突に俺の抱擁を振りほどいてみすちーは叫ぶように言った。照れ隠しだろうか。 「ほらほら早く早く。今日はあなたと私のユニゾン記念日よ〜。だから朝まで歌い明かすんだからねー♪」 宙に浮かび羽をぱたぱたさせながら、みすちーは屋台を放置して俺の腕をひっぱる。 「わかったわかった、わかったからそんな引っ張らない。俺は人間なんだから。飛べないの。キミみたいに」 「あーあ〜、やっぱり地を這うだけの人間じゃ駄目駄目よね〜。あなたも飛べるようにならなきゃ」 「ありゃ、まーた始まった。いいかいみすちー、人間はね、空を飛べないように出来てるのです」 「でも、ここでは空を飛ぶ人間もいるわよ〜? 黒い人間、なぜ黒い〜♪ おっなかかなぁ♪ おっなかだねぇ♪」 いつものようなやりとりができる幸せを噛みしめながら、俺はみすちーに引っ張られつつ家に帰るのだった。 これまたいつものように、狭まる視界を感じながら… もう、歌しか聴こえない。