人生は、冒険に満ちている。一歩歩けば棒に当たり、二歩歩けば三歩勇み足。躓いて一歩戻るなんてザラにある。何が言いたいのかというと、躊躇うことも飛び込むことも、総じて人生に満ちる冒険の、その一要素に過ぎないのだ。
「……」
「……」
だから、これも冒険だ。
与えられた選択肢で、“冒険”をする。
そうすれば、晴れて金銀財宝を手にして左うちわの生活が待っているのだ。
「あの、それは私が先に目を付けたんです」
「いやいや。病弱なんだから、止めておけよ」
「そちらこそ、覚えきれもしない本に埋もれて溺死してしまいますよ?」
「本も持てないほど軟弱な奴に言われたくないんだぜ。あっきゅん」
「阿求です。いい加減覚えてくださいよ」
「知ってる。わざとだ」
「……わざわざ言っちゃうおんなのひとって……」
古書店の店頭販売。大衆の面前。私の目の前で、私が先に目を付けた本を前に睨みを利かせる人間、霧雨魔理沙。彼女を前に如何に冒険するか。それが私にとって大切な事なのだ。
「なぁ、ここは引かないか?」
「貴女が退けば済むことです」
「やめておけって、身体弱いんだから」
互いに一歩も退かない状況。
目の前には、私たちが求める、掘り出し物の本。
『ヨーソロー 〜ホイサッサー〜』著:家ヰ・Ne・アップホワイト沢
余りのえろさに発禁となった伝説の艶本を前に、私たちはひたすら睨みあっていた。
スリーカード 〜だいこうかい〜
これでも、頭は良い方だ。どこぞの体力馬鹿な魔法使いよりも、数段、取れる選択肢は多い。けれど全部考慮に入れる時間はない。だから私は、三種類の選択肢を選別し、選ぶことにする。
1:先制攻撃
もういいから、先にぶんどる。身体が弱い私を押しのければ、注目の的になることだろう。もし魔理沙がそれに躊躇わなくても、隙にはなる。
2:交渉勝負
ようは、取引だ。望むものを与える代わりに、これは貰う。何かあげるのはしゃくに障るが、これが手に入らないよりマシ。
だいいち、それが本なら、中身は全部覚えてるし。
3:譲渡する
病弱なんだから自重しろ、というのは実はただしい。この上なく。だから、もう譲ってしまう。
さぁ、どうする。
さぁ、どれを選ぶ。
さぁ、動け、私の頭脳よ!
私の選択は――――
1:先制攻撃
2:交渉勝負
3:譲渡する
1:先制攻撃
ほんの僅かな、隙だった。
魔理沙が汗が目に入るのを拒もうとした、瞬間。
その瞬きの瞬間を、私は見逃さない!
「ぜぃぇやァッ!!」
「なにィッ!?」
思い切り駆けだして、本を掴む。様々な人の手を渡り歩き、叡智を授けてきたかぴかぴの薄い本。私はそれを奪われまいと胸に掻き抱こうとして――
「させるカァッ!!」
――魔理沙に、阻止されてしまった。
それだけならまだ良い。良くないけど良い。あろうかとか魔理沙は私の胸元の布ごと本を奪い、そして勢い余って私を押し倒しやがったのだ。
<見せられません!>な私を押し倒す魔理沙。周囲にちらばった<見せられません!>な本のページ。集まってくる人々。頬に宿る熱。
これが、彼女が稗田魔理沙になった顛末として語られようとは、その時の私には思っても居なかった……って、ちょっと待て!!
これで良いの?
本当に良いの?
このままゴールしてしまって、許されるの? 稗田阿求!
そう、運命はまだ私を――
まだ私は、シぬべき運命じゃない!!
大丈夫だ、問題ない。
2:交渉勝負
そうだ、まだ焦る段階ではない。強攻策や譲渡だなんてもってのほか。本当に必要なのは、力の弱い人間に唯一許された戦う術――交渉術なんだ。
「魔理沙さんは、何故この本が欲しいのですか?」
「何故? 探求心を満たすためさ」
「ほうほう。本が欲しいのですよね?」
「ああ、そうだな。何が言いたいんだ?」
よし、意識はこちらに向いた。そう、私の頭の中には、これまで読んだ全ての本が、一字一句違えず刻み込まれている。だったら、新しい本の為に貴重な本を失っても、なんら問題はない。
「私の書庫。それも、これと同ジャンルの本棚の本を、一冊、持って帰っても良いですよ」
「! そうか。その本には、それだけの価値があるんだな?」
……む、そう来たか。けれど、想定していなかった訳じゃない。
「二冊」
私がそう告げると、魔理沙の顔が強ばる。それはそうだろう。稗田に保管されている艶本なんて、普通は閲覧出来ない。ましてや持ち出しなんて、もっての他だ。
「四冊だ」
「三冊。これでどうです?」
魔理沙の顔が歪む。迷っているのだろう。魔理沙は幾度となく口を開きかけて、それから止めて。やがて、意を決したように私を見た。
「二冊で良い。ただし、読み終わった頃にそれを借りたい」
「…………まぁ、良いでしょう」
その二冊は、私にとってほとんど価値のない物だけれど。そう心の中でほくそ笑むと、私はお金を払うと、本を手に帰宅した。魔理沙も一緒について来てしまったが、まぁ、良いだろう。さっさと貸して、私はこの本で楽しもう。ふふふふ。
後日、艶本を渡し合いすることで互いを慰めているという記事が出回り、魔理沙は責任をとって私の家に嫁ぐことになった。きっと私は生涯、このくだらない交渉を話のタネに、魔理沙をからかい続けることだろう――
――って、だから待って!!
これはまずい。なにがまずいって1〜10まで全部まずいッ!
どうする、どうする稗田阿求。どうか、お願い、時を戻してメイド様ッ!!
瀟洒! 十六夜! ザ・ワールド!
ごめんあそばせ。お嬢様以外のロリは要らないの。
3:譲渡する
いやいやいや、私は何を考えているんだろう。稗田阿求は身体が弱い。そんなのは、幼い頃から知っている、私自身の常識だ。発禁になるほどの本でイロイロしてしまったら、そのままT-ブレイクしかねない。
「はぁ、わかりました。いいですよーもぅ、譲りますっ」
でも、なるべく残念そうに言ってやる。私の未練が残らないようにする為にも、彼女には気持ちよく持って帰って気持ちよくなって欲しい。あ、私今上手いこと言った。彼女も巧いこと逝ってくれることだろう。うん。
「お、そうか? ありがとよ!」
魔理沙はそう、こっちが嬉しくなってしまうような可愛らしい笑顔で礼を言うと、本を手に取る。こういってはなんだが、魔理沙はこういったものを一生懸命手に入れるタチではないと思ったのだけれど、ひとはみかけによらないと言うことか。
魔理沙は大胆にも、大衆の面前だというのに、中身を開いて確認し始めた。私でも躊躇うのに。どうやら本格的に、私は魔理沙を見誤っていたようだ。
さて、せっかくだから、感想くらいは聞いて帰ろう。そう思ったのに、魔理沙は本を開いた体勢のまま、石みたいに固まっていた。
「魔理沙?」
「ひんっ……なななななな」
魔理沙は慌てて本を閉じると、一歩下がり、二歩下がり、三歩下がって尻餅を着く。やだなにこの子可愛い。
「なんだよ、これ!」
「なんだって、艶本ですが?」
「へっ? え、だって、歴史書じゃ……」
「ああ、なるほど。確かに彼女のご姉妹である景・Ne・アップホワイト沢氏は真面目な歴史書を書いていましたね」
これはまさか、知らなかったということだろうか。
「ここここ、こんなもの! 阿求、おまえ、は、はれんちだぞ!」
「は、破廉恥ですか。嫁に来ませんか?」
「え?」
「いえ。いえいえいえ、なんでもないですよ?」
どうしよう。真っ赤な顔で、目は潤んでて、言いたくないのか舌っ足らず。この子、こんなに可愛かったっけ?
「では、これは私が買っても?」
「良いに決まってんだろう聞くなよばかぁっ!!」
魔理沙は声を張り上げると、私に向かって本を投げつけた。しかし、よく考えて欲しい。ここは古書店。これは古本。そんな風に扱ったら当然、古い綴じ紐が――千切れて。
「「あ」」
大衆の面前に散らばる、艶やかな絵。私はそれを努めて冷静に拾い回収すると、固まる魔理沙を置いて踵を返した。もっと初心な彼女を見ていたい気もするけれど、厄介ごとは歓迎出来ない。
なのに。
「まてよ」
「はい?」
魔理沙はリンゴみたいに真っ赤な顔をしたまま私に近づくと、震える手で、着物の袖を掴んだ。そして、知らず知らずのうちに生唾を呑み込んでいた私に、魔理沙は、上目遣いのまま告げる。
ただひとこと――
「せきにん、とれ」
――と、だけ。
この衝撃のプロポーズが人里で大ブームになり、数年後には艶本告白が主流となる。しかしこの時の私たちはそんなことになるなんて思いもせず、ただ、着々と進められていく婚姻の儀に、辟易することしかできなかった――
――って、ちがぁぁぁぁうッ!!
なにこれ? なにがどうなって、結婚なんてことに?!
まずい。これは非常にまずいわ。どうにかして、この状況を切り抜けなければッ!!
カードの切り方が人生だッ!
現実は非常である。可愛かったんだから良いじゃん。
えぴろーぐ
私があの時選んだ選択肢が成功だったのか。そんなことは、わからない。でも、少なくとも、一つだけ言えることがある。
「魔理沙。準備はどうですか?」
「阿求……うん、大丈夫」
白無垢に身を包み、可憐に微笑む最愛の人。彼女を前に、“間違っていた”なんて言えるはずがない。
祝福の拍手に包まれながら、私はきっと、短い人生を全て魔理沙の為に使うことだろう。成り行きだったとはいえ、この結果に後悔は無い。
だけど、でも、ほんのちょっとだけ。
「さ、行きましょう? 魔理沙」
「うん、阿求」
他の選択肢を選んでおけば、他の未来があったのだろうか、なんて、思わなくも無かった。
――Good END――