古明地こいしはご機嫌斜め
一、
お日様さんさん、お天気の良いある昼下がり。河童が川で流れていた。
諺としては知っていたが、本当にそんな状況をお目にかかるとは思わなかった。放っておくのも忍びないから拾ってあげたけれど。
「いやー、ありがとう盟友!」
「助けて差し上げたのに人間扱いとはとんだご挨拶だわ」
「あいや失礼。地霊殿のお嬢さんだったかな」
「そうよ」
「そんな嫌そうな顔する事はないだろう」
「貴方達と違って、私は人間好きじゃないから」
「そうかい、そうかい」
水色頭の河童は、「あちゃあ、帽子失くしちゃったなぁ」だなんて独りごちながら服の裾を絞る。彼女の身長程もあろうかという黒い機材がでんと隣に仁王立ち。なんでまた河童ともあろう者が川で流れているのか聞いてみると、新しい発明品の試運転をしていたところ誤って川に転落、それがまた重い機材だったらしく持ち上げて泳ぐことも出来ず、かといって手放すには惜しい大発明だったようで、迷っている内に、ぶくぶくぶく。なんとも阿呆らしい理由だった。河童が作った物だから耐水性はばっちりみたいだけど、沈んでしまえば詮無いことである。
「いやしかし、助かった。発明品と共に沈むというのもエンジニアとしちゃあ中々粋な生き様かとは思うけど、まだまだ私という才能を殺すには時代が遅れている。いやぁ、お嬢さんは実に善い行動をした。地獄の閻魔様さえ褒めて下さるよ」
「はぁ」
溺れておいて偉そうな河童だった。助ける為に全身ぐっしょりずぶ濡れになってしまった私としては、少しくらい謝礼をもらってもバチは当たらないと思った。濡れた袖が肌に張り付いて気色が悪い。良い天気とはいえ、自然乾燥を待つのは淑女として賢い選択には思えない。地霊殿に一度帰る必要があるだろう。
「ところでお嬢さん、お礼に良い物をあげよう」
「ほんと?」
「うん。今は持ち合わせていないから、また明日ここにおいで」
にっこり、人懐っこい笑顔を浮かべて河童は笑った。判った、と短く返事してその河童とはそれっきりで別れた。
お日様さんさん、お天気の良いある昼下がり。全身ずぶ濡れの私は重い足取りで(物理的な意味で)地底へと帰る。姉に嫌そうな顔をされて出迎えられたのは、言うまでもない。
二、
「それで、それを頂いたのですね」
「うん。離れた場所にいてもお話出来るんですって。けいたいでんわ、って言うらしいわ。それにしたって、命を助けたお礼が試供品だなんて、河童は常識って物が無いのかしら」
「こいしに言われてはお終いですね」
くすくす、お姉ちゃんは笑う。
†
マドネス/ラプチャア
1/初日
『思えばわたくしは、生来より妹に振り回されてばかりなのです。あの子が生まれ出てから、わたくしの人生は否が応にもその渦に取り込まれる他にありませんでした。あの子の笑顔はわたくしを押し潰すのであります。あの子の声はわたくしを黙らせるのであります。あの子の体温はわたくしを凍らせるのであります。あの子の存在はわたくしを消し去るのであります。あの子は恐らく、いずれ――それも遠くない未来に――わたくしを屠るでしょう。確たる証拠はありませんが、そう思われて仕様が無い。その足音はすぐそこまで迫っているのです。あの子は今日も笑っております。わたくしを見つめて、いつものようにいつも通りの笑顔を浮かべたままでいるのです。けれど、嗚呼、それもわたくしの幻覚、あの子のまやかしであるならば、わたくしはその意味に殉死するだけであります。どうかあの子を許さないで下さい。しかしあの子を裁かないで下さい。わたくしは一切を許す積りでいます。そして一切を裁く積りでいます。ですからどうか、可笑しな事は考えないで下さい。足音はわたくしの耳を覆います。どうかその足音が貴方の鼓膜を破きませんよう。わたくしの名に集う全ての心へ。さようなら』
意味不明のメモを、しかし私はどうしても捨てられなかった。だって私の姉である古明地さとりは、ここ最近ずっとその姿が見えないのだから。そのメモは地霊殿の地下、主に姉がよく利用する書斎の奥にある古びた棚の一番下、誰も読まないような場所で誰も読まないような本の最終頁に挟んであった。埃を被ったきなくさい本。タイトルや著者の名はどこにもなく、数頁めくって読んでみたが、私に理解出来そうな内容ではなかった。そんな本に隠すように、しかし誰かに向けたメッセージ。
(一体誰から隠して、一体誰に向けて?)
私はもう一度、舐めるようにメモを指でなぞっては読み返した。どう読んでもどう解釈しても、やはりそこには私の事が書いてある。変な悪戯と笑うには、姉が失踪した現状と重なり過ぎる。そしてまた、見過ごせないような不穏な単語もそこかしこに散らばっているのだ。
(私がお姉ちゃんを、殺す、ですって?)
これではまるで、出来の悪い推理小説ではないか。姉は妹に殺されて、最期の言葉をしたためたメモを誰かに託し、それを発見した誰かが私を捕まえる。問題があるとすれば、そのメモを拾ったのが殺した(とされる)妹である事だろう。いや、そもそもの問題は、私が姉を殺したという前提だ。一体全体これはどういう事なんだろう? 私がいつ姉を殺したって?
誰かが作ったたちの悪い悪戯なのだと信じたいのに、筆跡は紛れもなく姉のものだった。私が姉の筆跡を間違える筈なんかない。悪戯にしては手が込み過ぎているし、あまりにも悪質だ。嫌がらせにも程がある。しかしこれをどうして真実だと簡単に信じられよう。
意味が、判らない。
(私が何かしたっけ……? こんな、無茶苦茶な……)
頭痛がした。冗談にしては笑えなさ過ぎる。がりがりと後頭部辺りを掻いた。私はメモをくしゃりとポケットに詰め込んで、書斎を抜け出した。
私は気付いていなかったのだ。考えようともしなかったし、考えられなかったのだ。何故その日、私が書斎に訪れたのか、その意味を、理由を。
2/二日目
姉がここから失せてしまって、早一週間が経とうとしていた。ペットの中にはあっちへふらふらこっちへふらふら、自らの主を求めてあてもなく地霊殿を徘徊している子さえいる程だ。少し静かになった(それは悲しげなペット達の鳴き声の中で)地霊殿の片隅で、私は姉がいなくなった前日の事を思い出していた。何があったという訳でもない。記憶はぼんやりと霞みがかっていて、それくらいになんでもない、ごく普通の、いつも通りの一日だった。それでも脳髄を振り絞って、どんな些細な事でも思い出そうとしてみた。私はその日まで外をふらふらしていて、昼過ぎに地霊殿へ帰った。そう、今は梅雨。その日は酷く雨が降っていて、たまらず家に帰って来たんだった。ずぶ濡れの服を脱いでお風呂に入って、着替えて、姉がココアを入れてくれた。しばらく姉と談笑して、部屋に戻って少しだけベッドで眠って。お燐が起こしに来てくれて、晩御飯を食べて、お風呂に入って、その日はおしまい。
(でもやっぱり、お姉ちゃんはいないのよ)
その次の日、姉は忽然と消えた。なんの前振りも前置きも前書きもなく、私が眼が覚めた時にはすべてが終わっていた。最初は誰も強く気に留めなかった。私がこういう性分だから、何も言わずに出て行ってしまう事に対して皆寛容だった。何かの用事で出掛けたのだろう、と、誰も気にしなかった。けれど丸一日が経ち二日目を迎える頃には、ペット達の顔も不安の色を乗せるようになった。そうして、一週間。頂点を失った地霊殿は静かだけど、どこかせわしない。そわそわとして、誰も落ち着いていない。これが姉でなく私だったらまだ誰も気にしていなかっただろう。私が一、二週間家にいない事などしょっちゅうだ(流石に一ヶ月くらい帰らなかったら心配してくれるだろうけど)。しかし姉は違う。役職や性格の為引き籠りがちであったし、外に出る際は必ず誰かに言伝をするなり書き置きをしていくのが常だった。
くしゃり、昨日ポケットにねじ込んだメモを開いては丸めた。
「こいし様」
部屋のドアが控えめに開き、声が響いた。お燐のものだった。
「どうしたの」
「ちょっと、いいですか」
メモを引き出しに片付けてから、どうぞ、と返事。ドアが開き、すっかり沈んだ顔をしたお燐が申し訳なさそうに入ってくる。ベッドに座る私から少し離れて、ソファに腰掛ける。
「あたい、どうしたら良いのか判らなくて」
「そうだねぇ。お姉ちゃんがこんなに長く帰ってこないなんて、今までに無い事だし」
「みんなで地底も地上も隅から隅まで探し回ってるんですけど、手掛かりさえ掴めない状態で。こいし様は何か、心当たりはありませんか」
「色々思い出してみるんだけど、今の所まったく。お燐は?」
「それが、えぇと」
随分と難しい顔をしてお燐は黙った。酷く言いにくい事を言わんとして、黙っているように見えた。「あるなら、教えてよ」、私の声は何故か震えていた。聞きたい筈なのに、どうしてか、聞くのが怖い。
「さとり様がいなくなる前の日……こいし様、さとり様と何か喧嘩をなさいました、よね……」
「え?」
「それで、えぇと、そのぅ、それが何か関係あるのかな、って、あたいは思っているんですけど」
「喧嘩? 私とお姉ちゃんが? なんで?」
いつ、私がお姉ちゃんと喧嘩をした? それらしい記憶など、どこにもない。そんな事があったなら、いの一番に思い出す筈だ。
「なんでとあたいに聞かれましても、理由までは……。あたいとか他のちび達が、そういう声を聞いてます。あれは口論だと思うんですけれど」
「それはいつ?」
「夜、それも深夜だったと思います。ちび達はみんな眠ってて、あたいも寝ようと思ってた所でした。あたいの部屋って、さとり様の部屋の前を通らなきゃいけないじゃないですか。だから、聞こえたんです。さとり様の部屋から、おふたりの声が」
記憶を引っ張っては引き摺って、懸命に思い出そうとした。あの日私は晩御飯を食べて、お風呂に入って、それから何をした? 思い出せない。記憶が無い。真っ黒な空白がぐるぐると巡る。お燐だけでなく他のペットも聞いているなら、真実なのだろう。なのに、当事者である私が覚えてないなんて馬鹿げた事態に陥っている。がりがり、後頭部を掻いた。そういえば仕舞った覚えもないのに帽子が無い。どこにやったのだろう。
「覚えてないのなら、えと、いいです。思い出したらまた教えて下さい」
お燐は恐縮そうに声を小さくして呟いた。うん、と短く、頼りない返事しか出来なかった。あのメモを見せる気には到底なれなかった。
メモのように、本当に私が姉を殺して、私は都合良くそれを忘れているとでも言うのだろうか。現実にそんな馬鹿げた事が起こっているのだろうか。だとすれば一体なんの為に? どうして私は姉を殺した? 私が殺したと言うのなら、姉の死体はどこへ行った? 何故私はすべてを忘れている?
一体ここで、私に、何が起こってるって言うの?
3/三日目
地上と違って、地底は四季の変化が乏しい。春に桜を見たければ、秋に紅葉が見たければ地上に行くしかない。今頃地上は梅雨入りの時期だろうが、
†
曖昧ファンタジカル紅魔館
どうしようもなく居た堪れなくなる瞬間がある。
それはいつでも私の隣だとか後ろだとか眼の前だとかにへばりついていて、時々私に向かってへらへら笑いながら「こんにちは」と言ってくる。
どこにいても「ここにいてはいけないんじゃないかしらん」などと思わせてくる。それは自分の部屋にいるときでさえ離れてくれなかった。あるいはお姉ちゃんと話しているときでも、私はある程度すると言葉を失った。そうするとお姉ちゃんは堪えられなくなって視線を落としてしまうから、しょうがなくって、能力を使って行方を眩ませてみせるのが常だった。そうでもしないと呼吸の仕方を忘れてしまう。私達はいつでも唐突に始まって唐突に終わるのだ。私の所為だけど。
どうしようもなくなった私はいつもふらふらと放浪している。行きずりの場所で一晩中空を見上げたり、動物を追いかけ回したり妖怪に追いかけ回されたり、湖で水死体ごっこしたり、充分な小銭をポケットに忍ばせたまま空腹に飢えたりしていた。どれも特に意味は無かったし、理由も因果も無かった。空いた時間を埋める作業だった。埋める。埋まる。生まれる。もいちど埋める。
私は何もかも適当で、何もかも曖昧だった。適当に生まれたから適当に生きて、曖昧に生まれたから曖昧に生きていくんだろう。そんな自分はあまり好きになれなかった。嫌いってまでは言わないけど。好きじゃないから、私は私に対しても適当だった。どうせ明日とかに死ぬんだろうと思った。まったく突然、それも下らないことで、わけもなく死んでしまうんだろう。それはすごく、私らしいのだろう。
――まるで猫みたいだね。うちには犬みたいな奴がいるけど、あんたはまるで猫だわ。
私の事をそんな風に笑って言ってくれたのは、多分、あのひとが初めてだった。
一、
なんとなく感傷的な気分になりたかったので一晩中雨に濡れていたら、案の定風邪を引いた。自業自得の因果応報。
そもそもどうしてそんな気分になりたかったのかと言うと、お姉ちゃんの部屋からこっそり持ち出した小説を読んでいたら悲しくなってしまったからだ。カタルシスに襲われたのだ、多分。
多分昨日、あんまり本を読まない私がどういうわけかたまたま読みたい気分になって、どういうわけか難しい本しかないお姉ちゃんの部屋に潜り込んだのだった。気付いたら一冊の本を手に取っていたので、きっと私が本を選んだんじゃなくて本に私が選ばれたんだわ! と勝手に解釈して持ち去った。歩きながらふむふむへぇへぇと読んでいると、気が付いたら雨の中だった。私の人生には「気が付いたら」とか「たまたま」とか「行き当たりばったり」とか「思いつき」が多過ぎる。私の伝記を書くとしたら、筆者は語彙に悩む事だろう。適当と曖昧を使い過ぎて。
本を読んで感傷的な気分になるのは良いとして、どうしてそこから雨に打たれる発想が湧くのだろうか。修験者だろうか。判らない。そこらへん適当で、曖昧だ。
「へっくし」
この場合私は噂されているのではなく風邪を引いているだけですね、判ります。そんなことを考えているうちにも私は凄い勢いで濡れていく。雨降りは現在進行形。私は昨日の夜からずっと濡れていることになる。帽子のスポンジ効果は飽和して、とっくに髪の毛一本一本までぐしょぐしょだった。ゆるふわ愛されヘアも今やすっかりストレートびんびんだった。
どうして私は傘を買わないのでしょうか。
「その発想は無かった」
いやあっただろ。
セルフツッコミ。一人で会話し始めるなんて、いよいよ私の頭も熱に浮かされているらしい。
そろそろ雨宿り出来る所を探そう。
「こんにちは」
この雨の中お仕事大変ですね、なんて言葉を付け加えて、私は眼の前のひとに声をかけてみた。紅い御屋敷の豪奢な門の前だった。紅い屋敷のやっぱり門に仁王立つ紅い髪の女のひとは(どんだけ紅が好きなんだ、ここ)、ちょっと小首を傾げ、丁寧に頭を下げてくれた。私も帽子を取って下げた。びちゃびちゃ、と帽子の中の雨水が落ちた。
「こんにちは。紅魔館に何か御用?」
「紅魔館に用は無いけど、屋根には用がありますね」
「つまり雨宿りですか? 貴方の風体を見る限り、手遅れな判断の気がするけど……」
「若いうちは色々と迷ってしまうんです。道とか人生とか」
「ふむ、若者なら仕方が無い。道とか人生とか“必”の書き順とか、迷うよね。私の隣で良ければ、どうぞ」
“必”の書き順は迷わない。書き順なんて正しく書けてる方が珍しいのが私である。今気付いたけど、屋根のある門ってすげぇな。
「きゃあきゃあ、お邪魔します」
「なんですか今の」
「嬉しさを表す擬音です。うひょおい、も、類義語になります」
「素敵な言語センスで生きてますね……。お嬢様とはちょっと別のベクトルな感じ」
「お嬢様。それはこの御屋敷のお嬢様ですかな」
「はい。お嬢様はお二方いらっしゃいますが、この場合姉の方のレミリアお嬢様を指します」
「妹君がおられるのですかな」
「えぇ。フランドールお嬢様。ちょっとニートで情緒不安定だけど、割とまともな常識人。と私は思ってます」
ニートと情緒不安定のダブルパンチの癖に、まともという言葉で形容する言語センスもなかなかだと思うけど。
まぁ、いいとして。
「ニート。仲良くなれそうな気がします」
「貴方もなの?」
「姉の脛をかじって今日も楽しくニート三昧です」
「ううん、ちょっと妹様とは似てないけど、どっか同じ匂いがしますね」
「妹君はフルーティな雨水の匂いがするのですね」
「雨水からフルーティな匂いがするかどうかについては議論の余地がありそう」
「確かに。保留しましょう。……っくし」
「噂されてますね」
「このずぶ濡れ具合をまじまじと見てそう判断しますか」
「じゃあ風邪ですね。うちで少し休まれては?」
「良いんですか?」
「吸血鬼の館ですが、宜しければ。紅魔館はフレンドリーでクリアなイメージを持ち帰って下されば結構です」
「わぁい」
「うひょおい、じゃないんですか」
「わぁい、は嬉しさに加えて感謝の意味も含みますのでこっちが正解です」
「なるほど」
◆
高い、高い、天井。地霊殿の天井よりずっと高い。紅いのは外見だけだと思っていたが甘かった。内装も紅ばっかりだ。眼がちかちかする。ここの住人は色彩感覚がおかしいのかしら。
「えー、なにー、来客ぅ?」
気だるげな声が頭上から飛んできた。
「雨の日は楽しくないもんねぇ、美鈴も気を利かせられるようになったかぁ」
次の瞬間には下から飛んできた。声がドップラー効果を起こしている。
丁度足元に、ちっさい女の子がしゃがみ込んで下から見上げるように私を見つめていた。つまり上から飛んできて、私が視認する前に私の足元に着地してたんだろう。なんかでたらめな速度だぞ。天狗みたいだぞ。
「あ、どうも」
帽子を取って頭を下げた。びしゃあ。雫がぽたぽた落ちて、その子はあからさまに嫌そうな顔してそれを避けた。
「どうも。うちになんの用かしら」
「いやぁ。それがお嬢様、この子、」
ふむふむ。つまりこのどう見ても年下にしか見えない彼女がここの主というわけだ。くりくりまんまる真っ赤っ赤なおめめがとってもキュート。
「ぶえッくしょぉい!」
鼻水が主さんにかかった。盛大にかかった。ふわふわのお帽子からすべすべの頬にまでべっちょりかかった。
やばい殺される。
「え、あ、えと……そういうわけでして」
「風邪引いてるの? それは珍しい、素敵な体験だね」
主さんは優雅な動きでポケットからハンカチを出し、何事も無かったかのように顔を拭きながら微笑んだ。
やばいエレガント過ぎて惚れそう。
「素敵ですか? 体調不良起こすのが?」
「珍しい事は、大概素敵でしょう? ま、うちでゆっくりしていくと良い。遊び相手は大歓迎さ」
そう言って主さんはハンカチと帽子を燃やした。灰も残らない程燃やした。
やばいスタイリッシュ過ぎて漏れそう。
「遊びに来たんじゃないんですけど」
「何事にも遊び心は必要よ」
「なるほど」
そして私は思い切りビンタされた。
やばい漏れた。
くるくるめまぐるしく主さんの表情は変わる。この屋敷の中で見かけた人物の中で最も若そうに見えるが、ここの主だと言う。ひとは見かけによらないと言うしね。お姉ちゃんだって、うちで一番ひょろくて貧弱で華奢でドジで間抜けそうに見えて主なのだし。
主さんのの名前はレミリアと言うそうだ。私の名前を言ったら、「変わった名前」と笑われた。
彼女はとても大雑把に笑う。かと思えば慎ましく笑う。しばらくすれば意地悪く笑う。ともすれば大声で笑う。とかくよく笑うひとだった。なんでもかんでも笑顔ですっ飛ばして、笑えればなんでもいいとでも言うような、どうしようもない明るさがあった。
「まるで太陽みたい」
「私が?」
「はい」
「それは不本意だね」
「お日様はお嫌い?」
「吸血鬼の事知らないのか? 太陽は天敵なんだよ」
「ふむぬ。私は好きですよ。地上の太陽は快活で良い。からっとしていて、油みたいな地底の日光に比べて、ミネラルウォーターみたい」
「奇妙な言い方をする」
「地底育ちなもので」
「あぁ、なるほどぉ。へぇえ、地底、へぇぇ。面白そう。行ってみたいなぁ」
「またいらしてください。地霊殿でうちの無愛想なお姉ちゃんが待ってます」
「間欠泉の、あれか。パチェが遊んでたなぁ、そういえば。今度行くよ、絶対行く」
その後私は随分もてなされて、一晩泊めてもらうことになった。朝になったらすっかり雨は止んで風邪も治って、私はその日一度でも喋った全員にお礼を言って(メイドがたくさんいるから大変だった)地霊殿に帰る運びとなった。
吸血鬼って名前しか知らなかったけど、紅魔館も名前しか知らなかったけど、良いものに出逢ったと思った。お姉ちゃんに自慢話が出来るな、と思った。
「またおいでよ、古明地」
「わぁい、また来ます」
「昨日はあいついなかったしねぇ」
「あいつ?」
「うちの妹。寝てたのかな。なんて言うか筋金入りの引き籠りだからなかなか出てこないんだよね。ほんとに」
「ネガティブなニートですね」
「おまえはポジティブなニート」
レミリアさん(なんとなく、さん付けしなければいけないような気分になる)は笑ってみせた。明るくて、前向きな笑顔だった。うちのお姉ちゃんとは多分、正反対に位置する性分なのだろう。どっちが良いとか悪いとか、好きとか嫌いとか、そういうのは抜きにして。
「おまえはあいつと合いそうだもの」
「ニート同士だからですか」
「それもあるけど。いやいや、今のは言い間違い。つい本音が出た」
「本音かよ」
「まぁいいじゃん。とにかく似てる気がする。私よりずっと、根本的な部分とか根源的な部分がさ。だからまた来て欲しいな。これは私からのお願い」
「じゃあ、また来ます」
「うん。お姉さんに宜しく」
家に帰った私は、早速一晩の話をお姉ちゃんに語った。ひとしきり言い終えると、お姉ちゃんは少し間を開けて、「素敵ですね」と笑った。その笑顔はとても綺麗で整っていて美しいけど、やはりレミリアさんにあったような明るさだとか朗らかさだとかはそこに無い。ああいう根拠の無い底無しの明るさは新鮮だった。私の知ってる笑顔は、それとは逆の位置にある。
お姉ちゃんは静かなひとだ。声とか挙動とかそういう意味じゃなくて、もっと包括的に大雑把にお姉ちゃんという存在を捉えたら、「静か」という言葉が残ってしまうのだ。その静かさが私は好きだし、愛している。
けれど愛している事と居心地が良い事は、決してイコールで結ばれないのだ。
二、
「まるで猫みたいだね。うちには犬みたいな奴がいるけど、あんたはまるで猫だわ。あ、犬ってのは咲夜のことだけど」
「判ります」
「なんていうか、掴み所が無いわ。私の妹もそんな感じなんだけどさ、あいつとおまえが違う所って多分、いないようでいるのがあいつで、いるようでいないのがおまえなんだろうね」
「よく言われます。特になんとも思ってませんけど」
「ますます似てる」
「適当に生きてるから自分でもよく掴めてないんです。だから、周りも掴めないんでしょうね」
「適当。なるほどね。確かにおまえは曖昧だね。曖昧で適当で、どっちつかずで行き当たりばったり、その場しのぎで出たとこ勝負」
「ひどいなぁ」
「当たってるでしょ?」
「当たってますけどぉ」
「うん。やっぱり、妹と話させたいね。今から起こしてこよう」
「えっ、ちょ、それはどうかと」
「良いんだ。好きなときに寝て好きなときに起きてるやつだから、睡眠時間なんて幾らでもある」
しばらくして、明らかに眠たそうな眼をした金髪の女の子が、レミリアさんに引き摺られるような形でやってきた。
「ひどいわお姉様。すやすやと安眠している可愛い妹を叩き起こして、あまつさえお客人のお相手をしろと仰るの? このわたしに? わたしがどれだけ初めましての方とお話しするのが苦手がご存じでしょうに!」
「はいはい、そういう無駄なキャラ作りは要らないからね」
「ちぇーちぇー。そこ合わせてくれても良いと思うんだけどなぁ」
「はい、ここに座る」
「大した話出来ないわよ」
「しなくていいよ。おまえがしなくても、きっと大した会話になると思うわ」
レミリアさんはそう言ったきり、私たちのいるテーブルから少し離れたソファに座って、にやにやと笑ってこちらを観察する体勢に入った。レミリアさんの眼は、飼育員みたいだった。
金髪の女の子は、私の向かいの席に座って、ぷらぷらと足を持てあましている。びっくりするくらい可愛い子だった。お人形さんのように、完成しきった可愛さだった。レミリアさんと同じくりくり赤くて宝石みたいな瞳も、幼児の柔肌のようにすべすべの頬も、なだらかな肩の曲線、小さくまるっこい指先から、とかく何から何まで究極に完成したお人形さんのようだった。
お人形のような彼女は、上から下まで私を舐めまわすように見た後、ようやく口を開いた。
「ちぇー。はい、初めまして。この道五百年のベテラン自宅警備員のフランドールです。よろしくしなくていいよ」
友好度が低過ぎるだろこの子。この先どうやって会話しろと。
「あぁ、えぇと、古明地こいしです。自宅警備員としてはまだまだ三流ですけど、ニートとしては結構キャリア積んでます。……て、てへっ☆」
いたたまれなくなって最後思わず笑った。相当ぎこちない笑顔だったと思う。こんなにスベッたのは久しぶりだ。
†
シガレット・リグレット
1.
もう一度過去をやり直せるとするなら、迷わず六十年前に帰るだろう。
そうしてあのひとに、煙草をやめろ、って怒るだろう。そんなもん身体に良くないしお金がかかるんだからやめちまえ、って、そう言って怒る。あのひとはまた困った顔をして笑うだろう。笑って誤魔化して、いつもはぐらかされてきたんだ。それからあのひとの隣に座って、何時間でも話をしよう。私が見て聞いて触れて嗅いで味わって知ったすべてを、どんなにつまらなくて下らなくても、事細かに話そう。あのひとはいつまでも聞いてくれる。時々相槌を打って、にこにこしながら聞いてくれるだろう。
もう何もかも遅すぎて、淡い靄に覆われているけれど。
「こいし様」
お燐の小さな声に振り返る。短く返事をして、後ろに続いた。お燐の持つ、柄杓の入った手桶を取った。
「あたいが持ちますよ?」
「いや、私が持つ」
歩くと、からんからから、柄杓が手桶の中で音を立てた。音は遠く耳の奥で響いた。
「お燐、高くなったね」
「背がですか」
「そう。おくうも、高いけど」
丁度見上げるような高さで、その見上げる角度があのひとを思い出す。
「こいし様は、あまり変わられませんね。あの方に怒られますよ、『偏食ばかりするから』って」
「怒りに来てくんないかな」
咥えた煙草を捨て、今の言葉ごと、靴でぐしゃりと踏み潰した。煙の苦々しさがなんだかいつもより口に残った。
◆
煙草を初めて吸ったのは、あのひとの一周忌だったか二周忌だったか、とにかくあのひとの命日の、ある冬の朝だった。
私は月命日が来るといつも地霊殿の裏へ回って、みんなで立てた御墓に花を新しくしたり雑巾がけしたり線香焚いたりと大忙しな訳だ。その日は寒い底冷えの冬で、薄暗い雲が立ち込めて、なぁんかあのひとらしいよなぁ、なんて思うのは毎年のこと。冬だから毎年こんな雲行きで、毎年こんな空を眺めながら、あのひとに晴天はあんまり似合わないなぁだなんて考えていたのだと思う。
「ねぇ、今日は持ってきてあげたよ。好きでしょう、これ。……」
御墓の前に、煙管とマッチ箱をちょこんと置いた。おいしそうに吸っていたのを覚えている。ほとんど見たこともないのによく覚えているんだ、においだとかその時の顔だとか。
私はこのにおいが嫌いだった。煙たいしくさいし身体に悪いし、良いことなんかひとつもない。それでも、これを吸うあのひとの横顔は嫌いじゃなかったんだ、私。
ポケットをまさぐれば、くしゃくしゃになった煙草の箱が顔を覗かせた。
煙管を持っていけないとき、あのひとはこれを持っていくんだ。煙管はちゃんとお手入れしないとすぐ駄目になるんですよ、なんてね。いつ見てもぴかぴかの煙管見てたら、あぁこのひとは本当に好きなんだなぁ、って、思ったよ。そのくせ、私の姿を見つけたらすぐ消すんだ。窓を全開にしてね。「貴方には、身体に悪いですから」、ってさ、あんたにだって身体に悪いじゃんかね。おかしいよ。そんなんだから急に死んじゃうんだ。ちくしょう。やっぱりやめさせときゃ良かった。
「私は大嫌いだよ」
吸い残した煙草が二本、箱の中でくしゃっと折れて冷たくなっている。一本出して、咥えてみた。マッチ箱からマッチ取り出して火を点けて、煙草の先に灯してみた。吸いこみながら点けるんでしょう、知ってるよ。初めて吸うけど、それくらい知ってる。
咳き込んだ。肺まで届ける間もなく、喉が拒絶反応を示して吐き出した。
なんだよ。全然おいしくないじゃんか。なんであんな顔してこんなまずいもん吸ってたのよ。あんなおいしそうに吸うから、やめさせられなかったじゃないの。
「ちくしょう、まずい。まずいじゃん、ばかやろう。お姉ちゃんの、ばかやろう」
今まで言おうとして言えなかった「お姉ちゃん」が、こんなにもあっさり出てきた。だから煙草は嫌いなんだ。
大嫌いなのに、捨てられないんだ。
――古明地さとりは、もういない。
2.
あのひとが残したものを、私はひとつずつ全部引き継いでいる。
地霊殿の主として膨大な数のペットを養うことや、灼熱地獄跡の管理を担うことも、もっと小さなことで言えば、おくうに勉強を教えるのだってそう。あのひとは「空には空の考え方があるようですから」、なんて、碌におくうに勉強なんかさせなかった。聞こえはいいけど、それって放任主義なだけじゃないの、なんて思う。いつまでもそれじゃいけないんじゃと思ったので、私は色々なことを教えてみた。おくうは興味のあることには尋常でない記憶力を発揮するけど、そうでないことには恐ろしく覚えが悪かった。何十回言っても中々覚えてくれない。わざとやってるんじゃないかと思うくらい、同じ間違いを繰り返す。算数を理解してもらうのに、恐ろしく時間がかかったことを覚えている。
「さて。ここに九つの林檎があるね?」
「あります」
「んじゃ、これをお燐と私とおくうの三人で、おんなじ数ずつ分けたらどうなるかしら」
「えっと、まずこいし様に五つあげます!」
「んんー? 同じ数ずつだぞー」
「四つ残るから、二つずつお燐と分けます」
「聞いてるかー?」
「こいし様は毎日がんばってて、さとり様みたいにやさしいから、いっぱいあげます。お燐とわたしから、プレゼント!」
「うれしいな。おくうの優しい気持ちだけもらっておくから、今日は平等に分けよう。私、五つも食べられないわ」
「そっかぁ。じゃあこいし様の三つはアップルパイにしましょう!」
「うーん、計算が複雑怪奇になってきたぞ」
大体こんな感じで、訳が分からない調子になった。だんだんに判ってきたことだけど、おくうはひとを数にしてしまうことができないのだ。おくうに言わせれば、「こいし様と、お燐と、わたし」であって、決して「三人」ではない。だから算数というものが理解しがたいらしかった。だから教えるのには苦労したものだった。
おくうは物覚えが悪くて、鳥頭だったけど、そのくせ優しくて、物事の本質を見抜くにはとても聡い子だった。だからあのひとはおくうのことを、ただの一度も馬鹿だなんて言ったことがなかったのだろう。
「こいし様、けむい。たばこくさい」
「おっと、失礼」
煙草を取り、携帯灰皿に突っ込んでもみ消した。
「吸いすぎだと思います」
「そうかね」
「わたし知ってるんだもん。一日三箱も空けてます!」
「めざといな」
「昔は嫌いだったのに」
「今でも嫌いだけどね?」
「さとり様と、おんなじにおい」
「そうだね」
「……思い出す?」
私は一瞬返事ができなかった。真っ直ぐな言葉を防ぐ術もなくて、純粋な視線が全身を貫いた。悔しい程、痛かった。
「むかつくから、毎日吸うの。限度も知らずにばかばか吸ってやるの。そしてあのひとに言ってやるのよ、『貴方があんまりにもおいしそうに吸うから、私も毎日吸ってみたわ』って。後悔すればいいのよ、私よりずっと」
まくしたてるように、ぼろぼろ、言葉は無残に落ちた。
「後悔してるのは、こいし様」
「うるさいわ。おくうと話しても面白くない。ほっといてよ」
「ごめんね」
「ほっといてよ」
「ごめんなさい、それはできない」
†
カニバリズム的愛情論
一、咲夜の世界
それは多分、私が一番輝いていた時代で、私が一番無知だった時代なのだろう。
私が忌憚無く自慢に出来るものは、嬉しい事にたくさんある。例えばお嬢様にお褒めに預かった料理の腕だとか、妹様に喜んで頂ける種無し仕掛け無し手品だとか、パチュリー様にも呆れられる書庫の記憶力(本の内容は勿論さっぱりなのだけど、この場合、本のある場所を逐一把握しているだけなのだ)だとか、美鈴がため息をつく程の埃への眼ざとさだとか。
咲夜は優秀ね、そうお嬢様にお褒め頂ける度に私の胸は躍り、もっとお嬢様のお役に立ちたいと思えた。私が強く望むならきっとなんだって出来るし、お嬢様や妹様に強く望まれるなら、きっと何にだって変われる。そう信じていたし、そう成っていた。色々な事に興味があって、様々な事に手を出していて、諸々の事に励んでいた。有り余る好奇心は、時を操る能力と深い熱意が解決してくれた。自分を高める事が楽しくて、成りたい自分を夢見て夢想して、必ずそう成れるだろうと信じていた。
その頃の私はいつだって前途洋洋で、事を起こそうと思えば空が晴れるような、転んでもただでは起きてやらない、失敗からも成功の種を掴み取ってみせるような、そんな若さがあった。
そうして私は私の最も光輝く時代に、ひっそりと沈むように慎ましく翳る彼女と、長い事傍にいた。私にとって当時の彼女は、私を構成する関係性の枠組みの一パーツで、それ以上でもそれ以下でもなかった。彼女がいなければ悲しいけれど、彼女がいなくても支障を来たすまでには満たない程度の、本当にその程度の間柄だった。うっかり埋め損ねたお互いの空白をそれとなく補い合うような、近くもなければ遠くもない、不思議な距離感だった。多分、それが一番丁度良かったのだろう。私が彼女の、より近しい場所に行こうとさえしなければ、そこで私達の関係性はなんとなく続いたまま、私は輝いたままでいられたのだろう。けれど私は踏み込んでしまったし、歩み寄ってしまったし、踏み荒らしてしまった。
今思えばそれは偶然で、そしてどこか、必然だった。
必然だと、思いたかった。
◆
「また来たの?」
「えぇ、また来たの」
邪険にするような言葉遣いは、しかし本心ではないと知っているからこそ、心地良い。
「パンを多く作り過ぎちゃったの。もらってくれない?」
「貴方、本当頻繁に作り過ぎるのね。そういうところ抜けてるっていうか」
「お嬢様にもよく言われる」
肩をすくめながら、案内されるままにリビングまで歩いて行った。
†
沈黙と花と埋まらぬ時間と
雨に濡れ日に晒され風に打たれ、春に香り夏に茂り秋に眠り冬に凍え、朝に芽吹き昼に誇り夜に輝き、貴方の手で生まれ貴方の手で枯れよう。
貴方の為に何度でも咲き変わる私であろう。
一/残り十枚
眼から花が生えてきた。
朝、起きたら右眼がすっかり花になってしまっていた。
「あら。随分可愛らしい顔になったのね、お姉ちゃん」
妹はそう言って笑ったけれど。
冗談じゃない。こんな摩訶不思議な事があっては堪らない。
「でも、とても奇麗よ。本当に。なんていう花かしら。ちょっと見た事がないけど」
「こいしも見た事がないなんて、珍しい花なのでしょうかね」
「そうねぇ。あとで図鑑でも持ってこようか」
「そんなもの、うちにありませんよ」
「あるよ、私の部屋に」
「なんであるんですか」
「まぁまぁ」
私は洗面所へ行って鏡を見たけれど、やはり私の右眼は眼球ではなく一輪の花が咲いているのだ。妙に奇麗な、薄い青の花だ。まだ八分咲きと言った所で、片手で覆い隠せる程度には小さい(いや、花としては充分大きいような気もするが)。妹の言う通り、今まで見た事もないような花で、薔薇にも桜にもマリーゴールドにもシャクナゲにもカーネーションにも見える。しかも奇妙な事に、触れるとその感触が判る。にわかに信じがたい事だが、実際そういう花が咲いているのでしょうがない、信じるしかない。
差し当たって考えなければならないのは、眼から花が生えるという珍事の原因究明と解決策の模索、そして当面の生活の支障の有無だ。
「お姉ちゃん、わりと冷静だよね」
「驚いても元に戻る訳ではありませんので」
「理屈ではそうだけどさ。まぁ、普通とは違うよね」
驚く事には慣れているのよ。誰かさんのお陰で。
なんとなく思いついた言葉を、しかし飲み込んで黙っておいた。
「いやぁ、奇麗な花ですねぇ」
「食べれそう」
燐と空はてんで宛てにならない。燐の言う事は判るが、空はまったく、この子は食べる事しか脳がないのか。心を覗いたら、やっぱり食べる事しか脳がなかった。駄目だこりゃ。
「異変ですかねぇ」
「異変はこんな個人レベルのちんけなものじゃありませんよ。例えば、温泉から怨霊が無尽蔵に湧き出たりね」
「うにゃう。よしてくださいよ、その話はもう」
「もう地上を焼け野原にするなんて言いませんぅ」
「これは失礼。私は貴方たちを虐めるのが好きで好きでたまらないんですよ」
「でも、お奇麗ですよ。とっても。花もだけど、えっと、その、さとり様も」
「よく似合ってるー」
どうやら本心に違いないらしいので、黙って笑ってみせた。心の奥がくすぐられる心地がした。外見を褒められる事は、稀有な事だ。
異変ではないだろうし、病気にしては聞いた事がない。原因不明のまま一日が潰れた。夜、お風呂に入って顔を洗った際に花弁が二枚程落ちたくらいで、特に変わりは無い。
(どいつもこいつも未完)
ですよね?ですよね?(チラッ)
興味深い作品ばかりでした
ぜひとも完結させて頂きたい所存ございます
生殺しw