「橙、式神にとって最も重要なことは何か、わかるかな?」
「えっと、えっと……。ご主人様の命令を聞く、と言うことでしょうか?」
「確かにそれも重要だ。しかし、時と場合によっては従ってばかりではなく、主を諌めることもまた、式神の使命なんだ。他には?」
「強い、とか」
「強くなければ主を守れないからね、うんうん、いいぞ橙」
「かしこい!」
「エレクトッ! 馬鹿には従者は務まらない」
「えへへ」
「よし、今日のまとめだ。つまり、式神とは……」
藍は黒板に橙の言葉を書き連ねていく。ババァンと大きな文字が躍る。
「回転力っ!!」
「ぇー……」
☆
「橙、回転力を侮ってはいけないよ。式としての力を発現する時の回転、それに優秀な式神として頭の回転も早くなければいけない」
「そ、そうでしたっ。私も回りながら戦うし」
「回転を極めると神に近い神格を得ることだってできるんだ、ホラ、妖怪の山の厄神だって良く回るだろう」
「ごめんなさい、藍様。私、回転を侮っていました」
「そうだろうとも。そこで、だ。今日の最後の修行はこの坂、別名、次郎坂を転がりながら降りてもらう。無論、私より速くね」
「この坂を……!」
橙は自分の後ろを振り向き息を飲む。人里の次郎さんが中腹で息絶えたという伝説の坂、緩やかな斜面が一里は続く心臓破りの坂である。ちなみに中腹には風祝が建てた次郎塚が平等院鳳凰堂もかくやという豪勢な佇まいを見せている。これだけの距離だ、転がりおりるとは言え無事ですむ保障は無かった。藍が優しく問いかける。
「どうだい、やれるかい、橙?」
「もちろんですっ! やります!」
むきになった橙は勢いよく答えた。
☆
「じゃあ私は橙の1分後に出発する。いいかい、親の仇を討つつもりで本気で転がるんだ」
「はいっ! 死にさらせッ!!」
橙の拳が藍の鳩尾に食い込んだ。
「げほぉ! ちょっと、違うって橙……!」
「あれ、親の仇って」
「うん、言ったね。確かに言ったね。でもね、橙。つもりだよ、つもり」
「ああ、そうでしたっ!」
「ふふ、橙は早とちりさんだなぁ。本気で十二指腸あたりに深刻なダメージを受けたけれど、これはハンデにしてあげよう」
「ありがとうございます! それじゃいってきまーす!」
「ああ、私もすぐに追いかけるから、がんばるんだぞ、橙」
「はい!」
橙も幼いとは言え立派な式神だ。回転力には定評がある。橙は挨拶をすると丘を勢いよく転がり降りていった。その小さな姿はあっという間に景色に溶け込み、見えなくなる。
「さて……私も行くとするか」
藍は九つの尻尾をしならせて不敵に笑う。
☆
回転力、それは式神にとって無くてはならないものだ。藍も幼い時分は紫に諭され回転力を鍛えたものだ。おかげさまで今では主の命令に機敏良く切り返すことができるのだ。紫が伊達にごろごろしているわけではないのも頷ける話なのである。この極意を次世代を担う橙に、きちんと継承しなければいけない。
『紙持ってきてー、藍、らぁぁぁん!!』
藍の頭に主の声が響く。
『ちょっと、無視しないで! スペルカードか不浄の左手かの二者択一がいよいよクライマックスになってしまうわ!!』
かれこれ八時間くらい、この調子だ。藍は聞かなかったことにした。審判も見ていなければアウトもセーフも無いだろう。それに主の紫は隙間妖怪、いざとなれば自分で紙を調達することくらい、わけは無い。それよりも今は橙のことだった。藍は尻尾で全身を包み込み、橙の後を追う。
☆
「なん……だとっ!」
正直な話、橙を侮っていた。接戦を繰り広げつつも最後の最後では自分が勝ち、まだまだ修行が足りないな橙、と優しく慰めてあげる予定だった。しかし今や橙は遥か彼方、ようやく中腹の次郎塚を越えた藍は狼狽していた。ダンゴ虫が丸まって回転する力を1D(ダンゴ虫)とすると橙は87Dの回転力の持ち主、対して藍は余裕で200Dを超える回転を生み出すことができるはずだった。
二倍以上の実力差があるはずなのに橙に追いつけないという事実、藍の天才的な回転力は致命的なミスを見逃していたのだ。自慢である九つの尻尾、こと空中戦においては姿勢制御、重心を安定させるなど縦横無尽に活躍する尻尾。地上戦においても同様、とはいかなかったのだ。接地面が大きな摩擦を生み、藍の回転を妨げる。毛と毛を梳く空気が藍を嘲笑う。
「ちっ、尻尾が邪魔だ!」
いっそ取り外し可能ならばよかったのにと毒づく。しかし今更過ぎた。尻尾は取り外せないし、取り外せたところで橙に追いつけるわけが無い。十二指腸がキリキリと痛む。
「くそっ! アドリア海のエースと呼ばれた私がこんな無様な敗北を喫してたまるか!」
藍は奥の手を使うことにした。毛という毛を逆立たせて、逆方向に回転をかける。アドリア海を獲った伝説の航空テクニック、蜻蛉返り。蜻蛉のように大きく一回転をし、相手の背後につくという大技。
「おおおおぉぉぉぉ!!」
重力に拮抗した回転力で激しく大地がえぐれる。徐々に身体が地面に沈んでいき、天にまで昇る巨大な土煙と大穴だけを残して藍は消えた。
後に幻想郷の七不思議とされる次郎穴の誕生であった。
☆
「藍様ー! らんさまー!」
次郎坂を夕暮れが緋に染め上げる。橙は麓で主の名前を呼び、叫んでいた。一等賞でたどり着いたから藍の出した課題はクリアしたはずだ。残念なことに、課題を出した主の姿はどこにも無かった。
「橙」
「らんさ……、あれ、紫さま?」
「ご苦労様、橙。藍なら今頃南アメリカプレートあたりね」
「ぷれーと?」
「はぁ……あの子は時々、わけの分からないことをしでかすのよね。橙、今日はウチにいらっしゃい、おゆはんご馳走してあげるわ」
「ええっ!? 良いんですかっ!」
「勿論よ、藍の出した課題を見事に達成したお祝いに、今日は橙の好きなもの作ってあげる」
「わぁい!」
紫は左手をさしだし、橙は右手を伸ばす。紫と橙は手をつないで親子のように帰路につくのだった。
~終~
「えっと、えっと……。ご主人様の命令を聞く、と言うことでしょうか?」
「確かにそれも重要だ。しかし、時と場合によっては従ってばかりではなく、主を諌めることもまた、式神の使命なんだ。他には?」
「強い、とか」
「強くなければ主を守れないからね、うんうん、いいぞ橙」
「かしこい!」
「エレクトッ! 馬鹿には従者は務まらない」
「えへへ」
「よし、今日のまとめだ。つまり、式神とは……」
藍は黒板に橙の言葉を書き連ねていく。ババァンと大きな文字が躍る。
「回転力っ!!」
「ぇー……」
☆
「橙、回転力を侮ってはいけないよ。式としての力を発現する時の回転、それに優秀な式神として頭の回転も早くなければいけない」
「そ、そうでしたっ。私も回りながら戦うし」
「回転を極めると神に近い神格を得ることだってできるんだ、ホラ、妖怪の山の厄神だって良く回るだろう」
「ごめんなさい、藍様。私、回転を侮っていました」
「そうだろうとも。そこで、だ。今日の最後の修行はこの坂、別名、次郎坂を転がりながら降りてもらう。無論、私より速くね」
「この坂を……!」
橙は自分の後ろを振り向き息を飲む。人里の次郎さんが中腹で息絶えたという伝説の坂、緩やかな斜面が一里は続く心臓破りの坂である。ちなみに中腹には風祝が建てた次郎塚が平等院鳳凰堂もかくやという豪勢な佇まいを見せている。これだけの距離だ、転がりおりるとは言え無事ですむ保障は無かった。藍が優しく問いかける。
「どうだい、やれるかい、橙?」
「もちろんですっ! やります!」
むきになった橙は勢いよく答えた。
☆
「じゃあ私は橙の1分後に出発する。いいかい、親の仇を討つつもりで本気で転がるんだ」
「はいっ! 死にさらせッ!!」
橙の拳が藍の鳩尾に食い込んだ。
「げほぉ! ちょっと、違うって橙……!」
「あれ、親の仇って」
「うん、言ったね。確かに言ったね。でもね、橙。つもりだよ、つもり」
「ああ、そうでしたっ!」
「ふふ、橙は早とちりさんだなぁ。本気で十二指腸あたりに深刻なダメージを受けたけれど、これはハンデにしてあげよう」
「ありがとうございます! それじゃいってきまーす!」
「ああ、私もすぐに追いかけるから、がんばるんだぞ、橙」
「はい!」
橙も幼いとは言え立派な式神だ。回転力には定評がある。橙は挨拶をすると丘を勢いよく転がり降りていった。その小さな姿はあっという間に景色に溶け込み、見えなくなる。
「さて……私も行くとするか」
藍は九つの尻尾をしならせて不敵に笑う。
☆
回転力、それは式神にとって無くてはならないものだ。藍も幼い時分は紫に諭され回転力を鍛えたものだ。おかげさまで今では主の命令に機敏良く切り返すことができるのだ。紫が伊達にごろごろしているわけではないのも頷ける話なのである。この極意を次世代を担う橙に、きちんと継承しなければいけない。
『紙持ってきてー、藍、らぁぁぁん!!』
藍の頭に主の声が響く。
『ちょっと、無視しないで! スペルカードか不浄の左手かの二者択一がいよいよクライマックスになってしまうわ!!』
かれこれ八時間くらい、この調子だ。藍は聞かなかったことにした。審判も見ていなければアウトもセーフも無いだろう。それに主の紫は隙間妖怪、いざとなれば自分で紙を調達することくらい、わけは無い。それよりも今は橙のことだった。藍は尻尾で全身を包み込み、橙の後を追う。
☆
「なん……だとっ!」
正直な話、橙を侮っていた。接戦を繰り広げつつも最後の最後では自分が勝ち、まだまだ修行が足りないな橙、と優しく慰めてあげる予定だった。しかし今や橙は遥か彼方、ようやく中腹の次郎塚を越えた藍は狼狽していた。ダンゴ虫が丸まって回転する力を1D(ダンゴ虫)とすると橙は87Dの回転力の持ち主、対して藍は余裕で200Dを超える回転を生み出すことができるはずだった。
二倍以上の実力差があるはずなのに橙に追いつけないという事実、藍の天才的な回転力は致命的なミスを見逃していたのだ。自慢である九つの尻尾、こと空中戦においては姿勢制御、重心を安定させるなど縦横無尽に活躍する尻尾。地上戦においても同様、とはいかなかったのだ。接地面が大きな摩擦を生み、藍の回転を妨げる。毛と毛を梳く空気が藍を嘲笑う。
「ちっ、尻尾が邪魔だ!」
いっそ取り外し可能ならばよかったのにと毒づく。しかし今更過ぎた。尻尾は取り外せないし、取り外せたところで橙に追いつけるわけが無い。十二指腸がキリキリと痛む。
「くそっ! アドリア海のエースと呼ばれた私がこんな無様な敗北を喫してたまるか!」
藍は奥の手を使うことにした。毛という毛を逆立たせて、逆方向に回転をかける。アドリア海を獲った伝説の航空テクニック、蜻蛉返り。蜻蛉のように大きく一回転をし、相手の背後につくという大技。
「おおおおぉぉぉぉ!!」
重力に拮抗した回転力で激しく大地がえぐれる。徐々に身体が地面に沈んでいき、天にまで昇る巨大な土煙と大穴だけを残して藍は消えた。
後に幻想郷の七不思議とされる次郎穴の誕生であった。
☆
「藍様ー! らんさまー!」
次郎坂を夕暮れが緋に染め上げる。橙は麓で主の名前を呼び、叫んでいた。一等賞でたどり着いたから藍の出した課題はクリアしたはずだ。残念なことに、課題を出した主の姿はどこにも無かった。
「橙」
「らんさ……、あれ、紫さま?」
「ご苦労様、橙。藍なら今頃南アメリカプレートあたりね」
「ぷれーと?」
「はぁ……あの子は時々、わけの分からないことをしでかすのよね。橙、今日はウチにいらっしゃい、おゆはんご馳走してあげるわ」
「ええっ!? 良いんですかっ!」
「勿論よ、藍の出した課題を見事に達成したお祝いに、今日は橙の好きなもの作ってあげる」
「わぁい!」
紫は左手をさしだし、橙は右手を伸ばす。紫と橙は手をつないで親子のように帰路につくのだった。
~終~
ギャグなのに所々真面目orいい話なのが逆に。
>死にさらせッ!
橙どこでそんな言葉をw
吐血しながら笑顔で受け止める藍様を幻視しました
ごくり……
はたから見た俺きめぇwww
藍様のいい笑顔を幻想できたw