雲居一輪には悩みがあった。
悩みの元は、彼女が里で行っている入道屋のありかたについてである。
入道屋。
一言で言えば、入道である相方の雲山を操って巨大化させたりする催しだ。
彼女は命蓮寺の布教活動の一環として、里で定期的に入道屋を行っていた。
最初は物珍しいこともあって子供達が集まってきたものだが、さすがに飽きられたのか、今ではすっかり閑古鳥が鳴いている。
一応、毎回幾人かの客はいるが、退屈そうにお喋りをしたり、隠すこともなくあくびを漏らしたりと、明らかに集中していない様子が窺えた。
入道屋を見に来ているのも、ただの暇つぶし程度なのだろう。
かといって彼女達には入道屋以外に出来ることもなく、彼女達自身もまた、惰性のように入道屋を続けていたのである。
そんなことを繰り返していたある日、一人の少女が、彼女達の入道芸を遠巻きにじっと見ている事に気が付いた。
少女といっても子供という感じではなく、その落ち着き、感情というものを感じさせない雰囲気は、生命無き人形を彷彿とさせる。
おそらく、彼女は妖怪だろう。
そもそも幻想郷には、一輪自身も含めて、少女の姿をした妖怪や物の怪の類が多い。
もっとも、姿は少女とはいえ、里にまで下りてくる妖怪となると数は限られる。
最近では妖怪が買い物などに来ることもあるらしいが、それでも、珍しいことに変わりはあるまい。
その妖怪少女はしばらく入道屋を見ていたが、やがて子供達が去ったあとを見計らい、ゆっくりと一輪達へと近付いてきた。
「入道屋さん、何か芸を見せてもらってもいいかしら?」
そして彼女は、ただ静かにそう言った。
その声は外見から想像したとおりの、澄んだ、無機質に近いものだ。
「えっと、芸、ですか……?」
「そう、芸よ」
不意の言葉に一輪と雲山は顔を見合わせて困惑するが、一方の妖怪少女の言葉には、なんの揺らぎもない。
ただそう答え、じっと一輪の反応を見つめているだけだ。
「うーん、さっきまでずっと見ていたじゃないですか」
なんと答えていいのかわからず、一輪はそんな返答しかできなかった。
入道屋の芸は、入道を見せることだ。それなら先程のものだろう。
だが妖怪少女はその言葉を聞くと、小さく、だが確実にそれとわかるように、溜息を漏らしてみせた。
「ああ、アレ?あれは、芸というにはちょっとばかりお粗末じゃないかしら?ただ単に、そこの入道が大きくなったり小さくなったりしているだけだし」
起伏はないが辛辣。
妖怪少女の言葉は、確実に一輪の胸を突き刺してくる。
そんな妖怪少女に対して、相方である雲山はなにか言いたそうにしていたが、それでも、一輪が黙っている以上なにも言うことはなく、ただ黙って少女達のやりとりを見ているだけだ。
「じゃあ、あなたの言う芸とは、一体どんな物なのですか?」
必死に感情を押し殺し、一輪はそう尋ねる。
すると、その言葉とほぼ同時に、一体の人形が一輪の脇を横切り、彼女の頭巾に一筋の切れ込みを入れた。
「……っ!?」
頭巾はそのままハラリと落ち、一輪の淡い色の髪の毛が露わにされる。
身構える一輪と雲山。
一方でその人形は、今は妖怪少女の傍らで、戦意すら見せず静かに佇んでいるだけだ。
そこには命も意志もなく、やはり人形は人形でしかない事を身を持って示している。
「……本当の芸という物を、見せてあげましょうか?」
妖怪少女、いや、人形遣いの言葉と微笑み。
そして人形は彼女の命を受け、静かに一礼をする。
それが、弾幕ごっこのはじまりの合図だった。
絶え間ない人形の攻撃。
弾幕、そして突撃。
だが人形遣いの少女自身は涼しい顔をして、その真ん中で人形を操っているだけである。
それは余裕の表れのようだ。
そしてまた、人形が一輪目掛けて飛んでくる。
「……埒が開かないわね……」
一輪は雲山を盾にしながらなんとかそれを凌いでいたが、状況が好転の兆しを見せることはない。
むしろ反撃の糸口さえ見つけられず、動きは完全に封じられている。
だが、なによりも一輪が衝撃的だったのは、彼女の弾幕そのものだった。
一糸乱さぬ人形達の動きは、まさに精密機械のようであり、一見無闇な突撃のようにも思える各々の動きも、他の人形から飛ばされてくる弾幕と合わせてみれば、完璧な計算の上に成り立っている物だとわかる。
つまりこの弾幕自体が、一種の芸術品なのだ。
そして弾幕の受け手である一輪自身でさえも、この芸術の中に組み込まれてしまっている。
彼女の必死の防御もまた、その完璧な人形劇を彩る要素の一つにしか過ぎないのだ。
それを破壊するように辿っていけば、この状況を打開する術も見出せるのかもしれない。
だが、この人形芸術をそのような粗暴な手段で突破したところで、一体何を得られるというのだろうか?
この勝負は強さを競っているのではない。ましてや命のやり取りでもない。
問われているのは、自分の誇りとあり方。
そこで手段も選ばず闇雲な勝利を求めてしまえば、彼女は自ら負けを認めることになる。
弾幕ごっこには勝つだろう。
だが、それで何が残るというのか。何を得られるというのか。
その人形部隊の弾幕は、無言のままその事を教えているかのようである。
「……まいりました」
それを悟ったとき、一輪は、ただそう告げることしかできなかった。
人形遣いの少女は、かすり傷一つ無く、汗一つかかずそこに佇んでいる。
この弾幕の間、彼女自身はただの一発も弾を発射していない。
それどころか、一歩も動いていないかもしれない。
全ては人形によってなされたことだ。
まさに完敗だった。
「まあ、こんなところかしらね」
余裕の表情の人形遣い。
一方で、一輪も肉体的な疲労という意味では、まだ余裕はある。
全ては人形遣いの掌の上での出来事だったのだ。疲れるはずもない。
ただただ、自らも操り人形となり、精神が摩耗しただけだ。
「とりあえず芸というなら、これくらいはやってもらわないとね」
その人形遣いの勝利宣言に対しても、一輪には返す言葉が見つからなかった。
だが、それではなにも始まらないのだ。
悩み、惑い、言葉を探す。
そんな一輪に対し、雲山が何かを囁いた。
『屈辱を受け入れ、彼女に教えを請うたらどうだ』
それが、もう一人の敗者の選択。
「あの……」
そんな相方に背中を押され、一輪もようやく口を開く。
「なにかしら?」
変わることのない人形遣いの無機質な声と表情が、一輪の胸へと突き刺さる。
だがそれでも、一輪はその一言を絞り出した。
「……あなたの、弾幕と芸、私にも教えてもらえませんか?」
しかしそんな彼女の言葉も虚しく、人形遣いの反応は芳しい物ではなかった。
「……残念だけど、私はあなたに協力するつもりはないわ。私の人形の技術は私だけの物。入道使いに使える代物でもないし、使ってもらいたくもないわね」
冷たくそう言い放ち、ゆっくりと踵を返す。
「里で芸を続けたいのなら、もっと里のことを知ったらどうかしら?大きくなったり小さくなったりするだけでは、それこそどこでも出来る事よ」
最後にそう言い残して、人形遣いは去っていく。
残された一輪は、ただその背中を見つめることしかできなかった。
□ ■ □ ■ □
「里のことかぁ……」
人形遣いの言葉を受けて、一輪はぼんやりと里を歩いていた。
思えば寺と里の往復も、最初は緊張で、そして今は半ば惰性になって、里の様子をちゃんと見たことがなかった気がする。
あらためて見てみれば、子供達が入道屋を楽しむ余裕があるくらいだ、里はそれなりに活気があり、人々は忙しくも充実しているように思われた。
中には妖怪の姿も見受けられ、河童と覚しき妖怪や、まったく正体不明だが妖怪の気を持った中華風の少女なども歩いている。
そして自分もまた、そんな妖怪の一人なのだ。
一体自分は、人間の目にはどのように映っているのだろうか。
「あー、入道屋のお姉さんだ!」
そんな一輪を見つけて、里の子供達が駆け寄ってくる。
どうやら子供達には、もう自分の顔などは覚えられているらしい。
「頭巾がないから別人だと思ったよ」
「これから頭巾を取って入道屋さんをすればいいのに」
「入道のおじさんももっと色々な形になるとか」
「ピカピカ光るとか」
群がりながら、子供達は各々好き勝手なことを言って笑っている。
(そういえば、自分がどう見られているかなんて考えたこともなかったわね……)
ふと、そんなことが浮かぶ。
命蓮寺の布教活動の一環として入道屋をはじめたのだが、その結果一輪自身が人々からどう思われているかは、まったく別のこととして、想像することさえなかったのだ。
全ては命蓮寺のため、姐さんのため。
自分は土台に徹し、発展のための礎となればいい。
そう思ってきた。
だが、里と関わる、すなわち人と関わるということは、それだけで終わるようなことではない。
どう思い、そしてどう思われるか。
自分が妖怪であることは、この子供達も知っているはずである。
ましてや、入道である雲山など妖怪以外の何者でもない。
それでも、彼らは自分に対してこうやって親しく接してくるし、その事に対して彼らの親もなにかを言っている様子もない。
だがそんな友好的な態度とはまったく無関係であるかのように、入道屋に閑古鳥が鳴き始めているという現実がある。
彼女が妖怪だから、ではない。それは今の子供達の反応を見ても明らかだ。
やはりあの人形遣いの指摘する『芸』の問題なのだろう。
ある意味では、妖怪呼ばわりされることよりも、さらにシビアな目で見られているといえるかもしれない。
「あなたたちは入道さん、好き?」
一輪は思わずそう尋ねていた。
なんでもいい、今はきっかけが欲しいのだ。
自分達に足りない物は何なのか。
「嫌いじゃないよ。でも……」
「いつも同じだから、たまに見ればいいかな」
「あのおじさんだけじゃなく、もっと色々な入道が見たいな」
「ピカピカ光るとか」
だが当然ながら、子供達はなんの考えもなく無責任な言葉を並べるばかりであり、一輪の中の迷いは、さらに複雑になっていく。
「入道屋さん、なにか悩んでるの?」
「わからないことがあるなら先生に相談してみたら?」
「そうだね、慧音先生なら何かわかるかも」
そんな一輪の迷いを察して、子供達は心配そうに言葉をかけてくれる。
とはいえ、子供らに彼女の悩みの内容がわかるはずもなく、自分たちが悩んだ時を照らし合わせて解決策を提案しているのだろう。
そして子供達は皆、教師に相談するという意見で一致のようである。
「うん、ありがとう。そうしてみるね」
話を合わせるようにそう答えたが、実際、普段から子供達と接している教師は、自分の悩みの相談相手にも最適かもしれない。
そして一輪はもう一つ、子供達に質問する。
「その先生がいるところ、教えてもらえないかしら?」
子供達と別れたあと、彼女は子供達に言われた寺子屋へとやって来た。
里にある唯一の寺子屋であり、すなわち里の唯一の教育機関でもある。
「ふむ、なるほどな、どういう芸をすればいいか、か……」
寺子屋の教師、上白沢慧音は、一輪の相談にも親身になって考えてくれた。
なんでも彼女も純粋な人間というわけではなく、半分はハクタクという妖怪であるらしい。
とはいえ、彼女からはそのような妖怪じみたところは微塵も感じられず、落ち着いた言葉と態度は、まるで彼女自身が理性の象徴であるかのようだ。
「……しかし、恥ずかしながら私も人を楽しませるのは得意ではなくてね。授業を集中して聞いて貰うのにも一苦労だよ」
苦笑いするその教師は確かに、そういったことが得意なタイプではないように見える。
少し話しただけでもそれは充分に感じられたほどだ。
おそらく非常に真面目な性格で、普段は冗談などを口にすることも少ないのだろう。
「しかし、本来は妖怪が里で芸をするだけでも苦労するところだが、あなたは充分受け入れられているようではないか。子供達もよく入道屋について話しているよ」
「それが、さっきひどくダメ出しを食らっちゃいまして……、私自身もわからなくなっちゃってるんです……」
「「「話は聞かせてもらったわ!!」」」
その時突然、三人の妖怪少女が寺子屋へと乱入してきた。
小柄な河童に一本角の勇ましい鬼、そして先程里で見た中華風の少女。
「おい、お前達、一体何の用だ?私は見ての通り今取り込み中なんだが……。そもそも客人に失礼だろう。今日は遊ぶなら余所でだな……」
どうやら寺子屋教師の知り合いらしく、彼女はその三人に色々と言っているが、三人組は一向に気にした様子もない。
それどころか、既に慧音を無視して一輪へと近付いてきている。
「いやいや慧音センセ、今日私達が用事があるのは、そっちの入道屋さんの方なんだよねー」
「ええ、聞くところによると、どうやら芸に悩んでいるとか?」
「だから私らがその相談に乗り、スーパー入道屋になるための特訓をしてやろうというわけだ」
そしてその三人組の口から飛び出したのは、そんな思いもよらない言葉だった。
「……こいつらと知り合いだったのか?」
「……いえ、初対面です……」
慧音も驚いているようだったが、当然ながら一輪自身の驚きはその比ではない。
この三人組は、一体なぜ自分を知っていて、どうして自分に協力しようというのか。
そもそも突然特訓といわれても、一体どういう事なのか見当もつかない。
そんな一輪の不思議そうな様子に気が付いてか、中華風の少女はにっこりと微笑んで見せる。
「そういえば自己紹介がまだでしたね。私は紅美鈴、湖の向こうの紅魔館というお屋敷で門番をしています。今回は、技担当ということで、ドンドン鍛えますよ。よろしく」
そして美鈴と名乗った少女は一輪に握手を求め、力強くその手を握った。
それは強さの中にしなやかさを持った武闘家の手であり、彼女が技担当というのも頷ける。
もっとも、そもそも技担当というのがなんのことなのがわからないのだが。
「よし、次は私だな。私は星熊勇儀、見ての通り鬼だ。まあご察しの通り、特訓では力の担当だ。なんせ力の勇儀だからな。そんなわけでよろしく頼む」
そう言って鬼は豪快に笑って酒を飲み、空いている右手で同じく握手を求めてくる。
彼女の握手はあくまで彼女自身のペースであり、力強く握ると、そのまま一輪の腕を上下に振り回す。
勢いに負けた一輪は思わずよろけそうになるが、勇儀と名乗った鬼はそれを特に気にした様子もなく笑っているばかりである。
「もー、勇儀様はなにをやっても無茶ばかりなんですから……。あ、私は河城にとり。メカ担当なんで、して欲しい改造なんかがあればなんなりと言ってみてよ」
一連の流れとしてにとりも握手をするが、他の二人に比べれば実に控えめで、そこにも彼女の性格が表れている。
しかし自己紹介を受け握手をして、それぞれの担当を聞いたところで、彼女達の目的がまったくわからない。
いや、特訓というある程度の部分は彼女達によって語られてはいるのだが、一向に全貌が見えてこないのが正直なところだ。
「……それで、お前達は何を企んでいるんだ?」
そんな、一輪が微妙に言い出しにくかったことを、そのままズバリ慧音が尋ねてくれる。
「いやな慧音、実はアリ……モゴッ」
「やだなあ勇儀様、私らは純粋にそこの入道屋さんを助けようと思って、こうやって集まっただけじゃないですか、ハハハハ」
なにかを言おうとした勇儀をにとりが取り押さえ、いかにもわざとらしい弁明と誤魔化し笑いを浮かべている。
やはり、何か裏があるのは間違いないだろう。
しかしそれを追求する前に、余っていた美鈴が思い出したかのように口を開く。
「あ、そう言えば、まだあなたのお名前を聞いていなかったですね。よければ、名前とか教えて貰えますか?」
その言葉で、一輪は自分がまだ彼女達に何も話していないことに気付かされた。
彼女達が勝手に話を進めていくだけで、すっかり自分は置き去りにされていたのだ。
「えっと、私は雲居一輪で、こっちは入道の雲山。命蓮寺で働いていて、布教のために里で入道屋をしています」
なにを言っていいのかわからず、一輪はただ無難な言葉に終始してしまう。
そもそも、彼女達の意図もなにもわからないのだ。
なにをどう答えていいかさえわからない。
「もっと他にないの?趣味とか、好きな男性のタイプとか」
「いやいやにとりさん、これ、そういう話じゃないですからね?」
「まあ、酒でも酌み交わせばすぐに解り合えると思うんだがな」
「それで、あなたたちは一体これからなにをはじめようというんですか……?」
恐る恐る、一輪はその話題へと踏み込んでいく。
それがわからなければ話にならないが、彼女達はなにかとんでもないことを考えている気がして、とてもまともには聞き出せないのだ。
「なにって、そりゃねえ」
「さっきから言ってるようにだな」
「特訓ですよ、特訓!」
「はあ……」
暑苦しいまでの勢いに押され、一輪は思わず生返事をしてしまった。
そして既に、そんな生返事を受け流してくれるような状況ではないらしい。
「ほらほらもっと気合いを入れろ気合を」
「そんな事では入道屋の星になれませんよ!」
「いちりーん、ファイト!」
もはや何が何だかわからないが、とにもかくにも、とりあえず彼女達に言われるがまま、特訓はなし崩し的に始まったのである。
□ ■ □ ■ □
「じゃあまず、適当に一戦してみますか」
軽くそう言って、美鈴は静かに構えをとった。
まるで自然体の如きその姿勢は寸分の隙もなく、どんな攻撃をも受け流す水のような柔軟さがある。
まさに、技の美鈴といったところだろう。
「あ、あの構えは、“虹色太極拳”!!まさか本物を拝めるとは……」
「知っているのか!にとり!?」
「ええ、この前天狗の新聞に載っていましたよ。虹の様に七色に変化を見せる、美鈴流太極拳の基礎を成すものだと……。なんでも健康にいいんだとかなんとか……、by文々。新聞」
「……適当だな。それが天狗がなのかお前がなのかはわからんが……、たぶん両方だろう」
観客となっている河童と鬼は馬鹿なことを言い合っているが、その構えと対峙している一輪はそんな掛け合いを笑っている場合ではない。
「さあ、いつでもいいですよ」
中華妖怪は余裕たっぷりにそう言うが、その余裕には充分な裏付けがある。
構えを見ても、どこから切り崩せばいいか見当もつかないのだ。
とはいえ、睨み合いっていても始まらない。
「……では、行きます!」
雲山を前面に展開し、その構えを切り崩すべく猛烈なラッシュをかける。
それが一輪の基本戦法だ。
だが、その攻撃が当たらない。
見ている分には美鈴は緩やかに動いているだけにしか思えないのだが、まるで一撃一撃があらかじめどこに来るのかわかっているかのように、ことごとくすり抜けていく。
その動きは、まさに水そのもの。
「なるほど、それじゃあ、今度はこちらの番ですよ」
一輪が一瞬攻撃を緩めたとたんに、美鈴の構えが一転鋭くなり、反撃が始まった。
まずは猛烈な飛び蹴り、そしてそこで弾ける虹色の衝撃破。
静から動への急激かつ流れるような転換。
そのメリハリこそが、“技の美鈴”の本領発揮なのだろう。
初撃はなんとか雲山の掌で受け止めたものの、さらに立て続けに数発の蹴りが飛んでくる。
激しく、速く、鋭い。
それらもなんとか凌ぎきって、再び一輪が反撃に転じるが、相変わらずの流水のような受け流しでことごとく回避されていく。
その回避があまりに華麗なため、攻めているのに、逆に追い詰められている印象さえ持ってしまう。
「なあにとり、あの戦いどう見るよ?」
鬼の言葉に、河童はキュウリを囓りながら気楽に答えを返す。
「入道屋さんは自分がかなり苦戦してると思ってるみたいだけど、正直、自滅って感じだよね」
「うーむ、やっぱりお前もそう思うか」
「本当なら美鈴もそんなに余裕はないでしょ。あの一撃をまともにかわし続けるのはしんどいんじゃないかな。なのに入道屋さんが勝手に空回りして、自分から袋小路へ一直線みたいな」
「まったく持ってその通りだな……」
その見解に勇儀も頷く。
「しかし、そろそろ見てるだけってのも飽きてきたし、私も出るとするかね」
そして勇儀はゆっくりと立ち上がってポキポキと拳を鳴らし、腕を勢いよく回転させる。
既に臨戦体勢バッチリのようだ。
「おーい美鈴、そろそろ代われ。今度は私がやる」
「えっ、まだ勝負は付いてないですよ?」
わけがわからないといった様子の美鈴だが、勇儀はまったく気にする事もなく、そのまま拳を振りかざして突撃してきている。
「よーし入道屋、こっちは選手交代だ!」
対戦相手の変更という思いがけぬ事態に、一輪と雲山は戸惑いを隠せないが、もちろんそんなことを気にする勇儀ではない。
それがわかっているのか、美鈴の方は首をすくめ、あっさりと退いていく。
「うーん、まだ決着が付いてなかったんですけどね」
「諦めなよ、もうああなったら止められないって。キュウリ食べる?」
「はあ、いただきます」
そしてすっかりにとりと共に観戦モードである。
一方、勇儀の方は突撃のそのままの勢いで一輪に殴りかかっていった。
「悪いけど私は、最初からクライマックスなんでね!」
勇儀はそう叫びながら、一直線に一輪の方へと向かってきていた。
鬼の拳には不思議な力がまとわりついており、そのままそれをぶつけようというのだ。
直線的でありながら捻れたその力は、理解を超えて名称しがたく、それでいて確実な力の塊として一輪へと襲いかかる。
それはまさに、怪力乱神と呼ぶに相応しい一撃。
「雲山ッ!」
悠長に状況を分析している時間はない。
今はただ、この目の前の一撃を凌ぎきることだけを考えるのだ。
雲山の全てを集中させ、鉄壁のような拳を鬼へぶつけていく。
入道の巨大な拳とその怪力乱神とぶつかり合うと、衝撃は双方に激しく押し寄せて、互いを大きくはじき飛ばした。
「おおー、さすがは入道だ。私の怪力乱神を、まさか正面から受け止めるとはねえ」
勇儀はカラカラと笑いながら立ち上がるが、一輪の方にはそこまでの余裕はない。
得体の知れない攻撃を受け止めた雲山のダメージは大きく、雲散してしまった部分の立て直しに時間がかかりそうである。
それまでなんとか時間を稼ぎ、その間は一輪自身が戦うしかない。
だがそんな彼女達の状況など気にすることもなく、怪力乱神の権化は再び拳を握り、その力を誇示するべく闘志を剥き出しにする。
「そういう単純な力は好きだよ。ただ……」
勇儀が一歩踏み込むと、そこに強大な力場が出来た。
押し寄せる圧倒的な重圧の波。
少しでも油断すれば、そのまま足をとられて吹き飛ばされそうだ。
「鬼に力勝負を挑むのは……」
そしてもう一歩。
一輪は思わず恐怖した。
その力は、もはや波などという生易しい物ではない。
まさに渦だ。
苛烈な力の渦の中、一輪はただその場に踏みとどまることだけを考え、足に力を入れることしか出来ずにいる。
いま目の前にあるのは、伝説に謳われたの妖怪の必殺の一撃。
ただの物の怪などではない。
鬼とは、そういう存在なのだ。
「もう少し圧倒的でないとなっ!」
三歩目と共に、その力が一気に解き放たれ、その場を支配した。
四天王奥義“三歩必殺”
なんという力の密度だろうか。
勇儀を中心に渦巻く破壊的な波動。
その力に支配された空間の中、一輪は一歩も動けず、その嵐が消えるのを待つばかりである。
なんとか圧力こそは凌ぎきったものの、それを耐えることに全てを出し切った一輪は、全身の力が抜けたように、その場にへたり込んでしまう。
勝敗は決したのだ。
「ま、この結果は必然といえば必然だな」
倒れた一輪に手を貸しながら、勇儀は少し神妙な顔をしてそう言った。
「……鬼には敵わない、ということですか……」
「それもあるが、お前さんらは正面から相手を受け止めすぎなんだよ。まさに“芸がない”というやつさ」
そして勇儀は静かにニヤリと笑った。
「いっちゃんはさ、真っ直ぐすぎるんだよね、戦い方が。雲山の性質もあるかもしれないけど」
横から口を挟んできたのは、結局最後まで観戦者だった河童である。
いっちゃんとは、どうやら自分のことらしい。
「雲山のパワー自慢もいいけど、それ一辺倒じゃすぐに限界がくるわけさ。せっかく二人で戦うんだから、そのあたりをもう少し工夫しないと」
「そのために、私達は特訓を付けに来たんですけどね」
強引にまとめに入る美鈴。
特訓とは、一体何をするつもりなのだろうか?
そもそも、入道屋の芸を磨くという話ではなかったのか。
「それで、特訓と言っても、何をするんです」
一輪としては、その疑問を口にしないわけにはいかない。
「そうさね、まずは、いっちゃんに足りないものを埋めるか、良さを伸ばすかだけど……」
「まあ、足りない部分でしょうね。芸がないと指摘されたのもそこでしょうし」
その指摘は、やはり一輪にとっては重い。自分に芸など思いつくはずもない。
「要するにだな、弾幕らしい弾幕をしろってことだ。単に殴ってるだけじゃ、弾幕である必要がない。お前はあの雲親父に頼りすぎなんだよ」
勇儀の言葉がとどめとなる。
確かにこれまでに、何事も雲山頼みだったのは否めない。
弾幕にせよ入道屋にせよ、雲山の力に任せきりであった。
「二人で一人の入道屋なんだから、いっちゃんももっと働かないと」
追い討ちをかけるようににとりも続く。
「そうと決まれば特訓ですね!一輪さんのいいところ、ドンドン引き出しちゃいますからねー」
そして美鈴はすっかり出来上がっていてノリノリである。
そんな風に一輪自身を置いてきぼりにしたまま、特訓は開始された。
特訓は、一輪の予想をはるかに超える密度で行われ、その内容は苛烈を極めた。
何に役に立つのかよくわからないが、転がってくる岩を避けたり、にとりの作った自動滝発生装置で滝に討たれて水を斬ったり、とにかくまあ、いかにもな特訓だった。
しかし、本番はその後だ。
美鈴に攻撃を当てること。勇儀の攻撃を凌ぐこと。
この二点に重点を置き、しかもそれを様々な制限の元に行えというのである。
もちろん、ただでさえ能力的はほぼ互角で、相性的にも悪いのだから、まったく持って上手く行くはずがない。
美鈴の流れるような動きには強烈な一撃は早々当たらないし、勇儀の重い一撃は、一発ぶつかり合うだけで消耗してしまう。
どちらにせよ、自分達が圧倒的に不利なのだ。
「こんな特訓に、なんの意味があるんですか!」
一輪がそう嘆いてしまうのも時間の問題だった。
だが、そんな一輪を諫めたのは、特訓をさせている者達ではなく、彼女の相方の入道だった。
彼は無言のまま一輪と特訓者達の間に割って入り、何かを訴えるように小さく首を振る。
「雲山まで、いったい、いったい私になにをしろって言うんです!」
一輪の悲痛な迷いの言葉。
そんな叫びに、雲山はただ静かに何かをつぶやいた。
それは、一輪にしか聞こえない、雲山の声。
彼はただひと言、こう告げたのだ。
『聖を助けたかったときの気持ちを思い出せ』
その言葉は一輪に重くのし掛かかる。
彼女は永きにわたり雲山とコンビを組み、聖を解放するべく戦ってきた。
その間、雲山は何一つ嫌な顔をせず、彼女のために戦い続けてきたのだ。
そんな雲山の言葉だからこそ、一輪には衝撃だったのだ。
確かに、聖が解放されてから、彼女は戦う意義を失っていた。
当然だろう。もはや彼女に目的などない。
かといって野良妖怪に戻ることなど考えられるわけもなく、彼女達は少しでも聖の役に立てればと入道屋をはじめたのだ。
今の自分に足りないのは、あの頃のような必死さだ。
入道屋をするといっても、結局里のことさえ知ろうとしないまま、惰性のように入道を出しているだけではないか。
自分達だからこそ出来ること、聖のためだから出来ることが、入道屋の中にもあるはずだ。
では、入道屋とはなんなのか?
そのことに、一輪はようやくたどり着いたのである。
そしてゆっくりと、だが力強く立ち上がり、彼女はこう言った。
「特訓、続けましょう」
その言葉を聞いて、雲山の顔は小さく綻んだように見えた。
気持ちを入れ替えて組み手をすれば、また違ったものが見えてくる。
そのために一輪が提案したのは、攻撃と防御の入れ替えだった。
つまり、一輪が美鈴の攻撃を受け、勇儀に攻撃するというのである。
その提案を聞いて、にとりも含めた三人がニヤリと笑った。
まるで彼女達も、それを待っていたかのようである。
結果は、今まで自分が苦労してきたのが馬鹿馬鹿しくなるほど、実にわかりやすいものだった。
美鈴の一撃一撃は手数こそ多いものの、勇儀の圧倒的な一撃に比べれば軽く対処しやすいものであったし、勇儀の防御もガッチリと守ってはいるが、美鈴の流れるような防御のあとでは付け入る隙はいくらでも見つかった。
だがそれらは、最初の自分ではとうてい気が付かなかったことだ。
つまり、組み手の中で相手を見越した攻撃や防御を学び取り、それをこうして実戦に取り入れた結果なのである。
特に一輪が重視したのは、美鈴の見せた“虹色太極拳”の動きだった。
それまで彼女は、雲山の重い一撃を、いかに早くぶつけるかという事だけを考え続けてきた。
それこそが、一番有効だと思っていたからだ。
だがどれほど強烈な一撃といえど、直線だけでは効果は薄い。
それは勇儀の攻撃を受け止めているときにも感じていたことだ。
鬼の猛烈な一撃でさえも、ただ真正面から止めるだけならなんとかなる。
だが、怪力乱神のように、そこに別の動きが入った途端に、それは重さ以上に厄介な攻撃となるのだ。
つまり、その変化によって、力を殺しきるのが難しくなるのである。
そこを考えたとき、自分達が何が出来るかで思い当たったのが、虹色太極拳だった。
「雲だからこそ、虹とは相性はいいはずですよ」
一輪の意図を察し、美鈴もそんな風にアドバイスを送る。
なるほど、水のような流れと同じく、雲もまた流れる物だ。
受け止めるだけはなく、受け流す。
そして一輪は、最初の人形遣いとの戦いを思い出す。
あの人形達を正面で受け止め続けていたからこそ、打開策を失い、追い詰められていったのだ。
だからこそ、芸には芸。
その受け流し自体が、突き詰めれば一つの芸術となりえる。
それを考えると、あの人形遣いの弾幕は、まさにその極みだった。
今ならわかる。
あの攻撃は、受け止めるのではなく受け流せばおのずと道は開けるように出来ていたのだ。
アレはまさに、弾幕という名の一つの芸であり、劇だった。
あの時の自分は、その中で役割を演じきることが出来なかったのである。
弾幕の中に様々な感情を彩る。
あの人形遣いの弾幕は、そのもっともたるものであるし、美鈴にせよ勇儀にせよ、弾幕によって自らを表現していた。
そしてそれは、入道屋でも同じような物だろう。
ただ入道を出し入れしているだけではなんの芸もない。
その入道の出し入れ一つ一つに、驚きや喜びが必要なのである。
それは自分にも、相手にも、そして見ている人たちにも。
「ま、これで残るは最終試験だけだな」
一輪の晴れやかな表情に、勇儀は満を持したかのようにそう告げる。
「どうやら、そうみたいね……」
そしてそこに現れたのは、あの時の人形遣いだった。
「えっ、どういう事なんですか?」
さすがの事態に、一輪も混乱を隠せない。
なぜこの人形遣いがここにいるのか。
「話は聞かせてもらったわ、入道屋さん。どうやら、少しは芸が出来るようになったのかしら?」
そんな一輪の混乱をまったく無視して、人形遣いは一人話を進めていく。
既に人形の配備は完了。戦闘準備万端だ。
「うーん、やっぱり黒幕はアリスだったか……」
人形遣いを見てそう反応したのは寺子屋の教師である。
当然といえば当然ではあるが、このアリスという人形遣いも里との関わりは深いらしい。
「まあまあ、その辺はいいじゃない。そんなわけで、どこまで出来るようになったか、見せて貰うわよ」
そして、人形達が展開し、弾幕ごっこは始まった。
「おー、中々健闘してるじゃん、特訓の成果だねー」
「ちゃんと策を練ってやり合うなら、一輪と雲山のコンビはあの人形どもとも相性いいだろうからな」
「アリスさんの人形に対して、点ではなく面で戦えますからね」
「しかし、入道使いもなかなか多芸ではないか。あれが、お前達の特訓の成果というわけか?」
二人と一人と数体の戦いを見ながら、見物客となった三人と一人、特に特訓を施した三人は呑気に感想を言い合っている。
戦闘の方は、彼女達の分析しているとおり、アリスの人形に対し、一輪が雲山を駆使して上手く退けている。
だがそれは、前回のようにただただ正面から受け止めているだけではない。
それぞれの人形に応じて、はじき返したり、わずかな動きで回避してみたり、あるいは大胆に大きな動きで置いてきぼりにしたりと、まさに縦横無尽に受け流しているのだ。
それがわかっていて、人形遣いも小さく微笑み、弾幕を繰り出す。
「しかし羨ましいなー。私のからくりマシンじゃ、あそこまで精密には動かせないからなー」
にとりがぼやくのも無理はない。
これほどの戦いが出来るのは、一輪&雲山の他には、プリズムリバー三姉妹か、式を使う八雲紫くらいだろう。
逆に言えば、そういった点において、あの人形遣いが別格なのだ。
たった一人でここまで統制の取れた部隊を操れるのは他にいまい。
虫や鼠でもこれほどのものは不可能なのではないか。
そんな人形遣いの精密弾幕と、一輪と雲山の長年で培ってきたコンビネーションがぶつかり合い、互いに高め合うこの状況は、まさに弾幕空間を一つの劇場へと変えていた。
それは完全な調和。
二人と一人が生み出すある種の芸術。
そんな二人の様子を見てか、いつの間にか里の子供達も集まってきている。
「わー、きれー」
「先生、あの入道屋さんと人形遣いさん、何をしているの?」
「入道屋さんも入道さんも、ピカピカ光ってる!」
思い思いの声を上げ、彼らもまた空を見上げる。
一輪にも、その子供達の様子は見えていた。
自分と彼女の戦いを見て、その顔を燦めかせているのだ。
それさえも、今の彼女の力となる。
弾幕をかいくぐり、張り巡らせ、目の前の相手と対峙する。
「アリスさん。弾幕って、楽しいですね!」
勝負の最中であるにもかかわらず、思わずそんな声さえ上げてしまう。
「まだまだ、奥の深さはこれからよ!」
人形遣いは微笑みながらさらに鋭い弾幕を展開し、その鋭さを楽しむように、一輪もまた弾幕を返す。
そうか、彼女が求めていたのは、これだったのだ。
□ ■ □ ■ □
あの弾幕勝負以降、一輪達の入道屋は、一気に活気を取り戻すことになった。
あの人形遣いとの勝負を見せた事が宣伝効果になったのも事実だが、それ以上に、彼女達の入道屋のあり方が変わったのが大きいだろう。
時に一輪と雲山の共同で弾幕を披露し合い、時に二人で模擬戦のような勝負を見せる。
もちろんある程度の流れは決まっているのだが、そこには同じ出来事など一度も起こらない。
常に新鮮な気持ちで入道屋の芸に向かえるのだ。
そしてそれは、観客も同じ気持ちだろう。
もう入道屋を見ている最中にお喋りをする子供はいない。
みな息を飲み、驚き、笑いながら彼女達の芸に見入っている。
そしてもう一つ、入道屋には変化があった。
「今日も流行っているわね」
人形遣いのアリスが一輪に声をかけてくる。
「おかげさまで。どうですアリスさん、一戦やりませんか?」
あの日以来、こうして里に来るタイミングが合えば、人形遣いとのコラボレーションも積極的に行っているのだ。
ちなみに戦績はほぼ互角。
最初こそ苦戦したものの、ようやく戦い慣れてきて、ある程度の勝利へのパターンも作れるようになってきた。
「いいわよ、今あなたの三連勝だったっけ?じゃあそろそろ、私も勝たせてもらわないといけないわね。今日は、新しい子も用意してきたし」
そしていつものように、彼女の人形部隊が整列する。見慣れた人形に加え、見たこともない新顔の人形もいる。
「この前あなたとにとりに提案された人形が完成したからね、実戦投入してみるのよ」
「ああ、あの時のですね」
あの日以来、彼女達は何度となく寺子屋などに集まって、色々な話をしていた。
弾幕のことや幻想郷のこと、それにたわいもない話。
一輪にとっては、全てが新鮮だった。
「それじゃあ、行きますよ!」
「いつでもいいわよ」
そして子供達の歓声と共に、今日も戦いの幕が開く。
それは、一輪が里に受け入れられた、何よりの証だった。
悩みの元は、彼女が里で行っている入道屋のありかたについてである。
入道屋。
一言で言えば、入道である相方の雲山を操って巨大化させたりする催しだ。
彼女は命蓮寺の布教活動の一環として、里で定期的に入道屋を行っていた。
最初は物珍しいこともあって子供達が集まってきたものだが、さすがに飽きられたのか、今ではすっかり閑古鳥が鳴いている。
一応、毎回幾人かの客はいるが、退屈そうにお喋りをしたり、隠すこともなくあくびを漏らしたりと、明らかに集中していない様子が窺えた。
入道屋を見に来ているのも、ただの暇つぶし程度なのだろう。
かといって彼女達には入道屋以外に出来ることもなく、彼女達自身もまた、惰性のように入道屋を続けていたのである。
そんなことを繰り返していたある日、一人の少女が、彼女達の入道芸を遠巻きにじっと見ている事に気が付いた。
少女といっても子供という感じではなく、その落ち着き、感情というものを感じさせない雰囲気は、生命無き人形を彷彿とさせる。
おそらく、彼女は妖怪だろう。
そもそも幻想郷には、一輪自身も含めて、少女の姿をした妖怪や物の怪の類が多い。
もっとも、姿は少女とはいえ、里にまで下りてくる妖怪となると数は限られる。
最近では妖怪が買い物などに来ることもあるらしいが、それでも、珍しいことに変わりはあるまい。
その妖怪少女はしばらく入道屋を見ていたが、やがて子供達が去ったあとを見計らい、ゆっくりと一輪達へと近付いてきた。
「入道屋さん、何か芸を見せてもらってもいいかしら?」
そして彼女は、ただ静かにそう言った。
その声は外見から想像したとおりの、澄んだ、無機質に近いものだ。
「えっと、芸、ですか……?」
「そう、芸よ」
不意の言葉に一輪と雲山は顔を見合わせて困惑するが、一方の妖怪少女の言葉には、なんの揺らぎもない。
ただそう答え、じっと一輪の反応を見つめているだけだ。
「うーん、さっきまでずっと見ていたじゃないですか」
なんと答えていいのかわからず、一輪はそんな返答しかできなかった。
入道屋の芸は、入道を見せることだ。それなら先程のものだろう。
だが妖怪少女はその言葉を聞くと、小さく、だが確実にそれとわかるように、溜息を漏らしてみせた。
「ああ、アレ?あれは、芸というにはちょっとばかりお粗末じゃないかしら?ただ単に、そこの入道が大きくなったり小さくなったりしているだけだし」
起伏はないが辛辣。
妖怪少女の言葉は、確実に一輪の胸を突き刺してくる。
そんな妖怪少女に対して、相方である雲山はなにか言いたそうにしていたが、それでも、一輪が黙っている以上なにも言うことはなく、ただ黙って少女達のやりとりを見ているだけだ。
「じゃあ、あなたの言う芸とは、一体どんな物なのですか?」
必死に感情を押し殺し、一輪はそう尋ねる。
すると、その言葉とほぼ同時に、一体の人形が一輪の脇を横切り、彼女の頭巾に一筋の切れ込みを入れた。
「……っ!?」
頭巾はそのままハラリと落ち、一輪の淡い色の髪の毛が露わにされる。
身構える一輪と雲山。
一方でその人形は、今は妖怪少女の傍らで、戦意すら見せず静かに佇んでいるだけだ。
そこには命も意志もなく、やはり人形は人形でしかない事を身を持って示している。
「……本当の芸という物を、見せてあげましょうか?」
妖怪少女、いや、人形遣いの言葉と微笑み。
そして人形は彼女の命を受け、静かに一礼をする。
それが、弾幕ごっこのはじまりの合図だった。
絶え間ない人形の攻撃。
弾幕、そして突撃。
だが人形遣いの少女自身は涼しい顔をして、その真ん中で人形を操っているだけである。
それは余裕の表れのようだ。
そしてまた、人形が一輪目掛けて飛んでくる。
「……埒が開かないわね……」
一輪は雲山を盾にしながらなんとかそれを凌いでいたが、状況が好転の兆しを見せることはない。
むしろ反撃の糸口さえ見つけられず、動きは完全に封じられている。
だが、なによりも一輪が衝撃的だったのは、彼女の弾幕そのものだった。
一糸乱さぬ人形達の動きは、まさに精密機械のようであり、一見無闇な突撃のようにも思える各々の動きも、他の人形から飛ばされてくる弾幕と合わせてみれば、完璧な計算の上に成り立っている物だとわかる。
つまりこの弾幕自体が、一種の芸術品なのだ。
そして弾幕の受け手である一輪自身でさえも、この芸術の中に組み込まれてしまっている。
彼女の必死の防御もまた、その完璧な人形劇を彩る要素の一つにしか過ぎないのだ。
それを破壊するように辿っていけば、この状況を打開する術も見出せるのかもしれない。
だが、この人形芸術をそのような粗暴な手段で突破したところで、一体何を得られるというのだろうか?
この勝負は強さを競っているのではない。ましてや命のやり取りでもない。
問われているのは、自分の誇りとあり方。
そこで手段も選ばず闇雲な勝利を求めてしまえば、彼女は自ら負けを認めることになる。
弾幕ごっこには勝つだろう。
だが、それで何が残るというのか。何を得られるというのか。
その人形部隊の弾幕は、無言のままその事を教えているかのようである。
「……まいりました」
それを悟ったとき、一輪は、ただそう告げることしかできなかった。
人形遣いの少女は、かすり傷一つ無く、汗一つかかずそこに佇んでいる。
この弾幕の間、彼女自身はただの一発も弾を発射していない。
それどころか、一歩も動いていないかもしれない。
全ては人形によってなされたことだ。
まさに完敗だった。
「まあ、こんなところかしらね」
余裕の表情の人形遣い。
一方で、一輪も肉体的な疲労という意味では、まだ余裕はある。
全ては人形遣いの掌の上での出来事だったのだ。疲れるはずもない。
ただただ、自らも操り人形となり、精神が摩耗しただけだ。
「とりあえず芸というなら、これくらいはやってもらわないとね」
その人形遣いの勝利宣言に対しても、一輪には返す言葉が見つからなかった。
だが、それではなにも始まらないのだ。
悩み、惑い、言葉を探す。
そんな一輪に対し、雲山が何かを囁いた。
『屈辱を受け入れ、彼女に教えを請うたらどうだ』
それが、もう一人の敗者の選択。
「あの……」
そんな相方に背中を押され、一輪もようやく口を開く。
「なにかしら?」
変わることのない人形遣いの無機質な声と表情が、一輪の胸へと突き刺さる。
だがそれでも、一輪はその一言を絞り出した。
「……あなたの、弾幕と芸、私にも教えてもらえませんか?」
しかしそんな彼女の言葉も虚しく、人形遣いの反応は芳しい物ではなかった。
「……残念だけど、私はあなたに協力するつもりはないわ。私の人形の技術は私だけの物。入道使いに使える代物でもないし、使ってもらいたくもないわね」
冷たくそう言い放ち、ゆっくりと踵を返す。
「里で芸を続けたいのなら、もっと里のことを知ったらどうかしら?大きくなったり小さくなったりするだけでは、それこそどこでも出来る事よ」
最後にそう言い残して、人形遣いは去っていく。
残された一輪は、ただその背中を見つめることしかできなかった。
□ ■ □ ■ □
「里のことかぁ……」
人形遣いの言葉を受けて、一輪はぼんやりと里を歩いていた。
思えば寺と里の往復も、最初は緊張で、そして今は半ば惰性になって、里の様子をちゃんと見たことがなかった気がする。
あらためて見てみれば、子供達が入道屋を楽しむ余裕があるくらいだ、里はそれなりに活気があり、人々は忙しくも充実しているように思われた。
中には妖怪の姿も見受けられ、河童と覚しき妖怪や、まったく正体不明だが妖怪の気を持った中華風の少女なども歩いている。
そして自分もまた、そんな妖怪の一人なのだ。
一体自分は、人間の目にはどのように映っているのだろうか。
「あー、入道屋のお姉さんだ!」
そんな一輪を見つけて、里の子供達が駆け寄ってくる。
どうやら子供達には、もう自分の顔などは覚えられているらしい。
「頭巾がないから別人だと思ったよ」
「これから頭巾を取って入道屋さんをすればいいのに」
「入道のおじさんももっと色々な形になるとか」
「ピカピカ光るとか」
群がりながら、子供達は各々好き勝手なことを言って笑っている。
(そういえば、自分がどう見られているかなんて考えたこともなかったわね……)
ふと、そんなことが浮かぶ。
命蓮寺の布教活動の一環として入道屋をはじめたのだが、その結果一輪自身が人々からどう思われているかは、まったく別のこととして、想像することさえなかったのだ。
全ては命蓮寺のため、姐さんのため。
自分は土台に徹し、発展のための礎となればいい。
そう思ってきた。
だが、里と関わる、すなわち人と関わるということは、それだけで終わるようなことではない。
どう思い、そしてどう思われるか。
自分が妖怪であることは、この子供達も知っているはずである。
ましてや、入道である雲山など妖怪以外の何者でもない。
それでも、彼らは自分に対してこうやって親しく接してくるし、その事に対して彼らの親もなにかを言っている様子もない。
だがそんな友好的な態度とはまったく無関係であるかのように、入道屋に閑古鳥が鳴き始めているという現実がある。
彼女が妖怪だから、ではない。それは今の子供達の反応を見ても明らかだ。
やはりあの人形遣いの指摘する『芸』の問題なのだろう。
ある意味では、妖怪呼ばわりされることよりも、さらにシビアな目で見られているといえるかもしれない。
「あなたたちは入道さん、好き?」
一輪は思わずそう尋ねていた。
なんでもいい、今はきっかけが欲しいのだ。
自分達に足りない物は何なのか。
「嫌いじゃないよ。でも……」
「いつも同じだから、たまに見ればいいかな」
「あのおじさんだけじゃなく、もっと色々な入道が見たいな」
「ピカピカ光るとか」
だが当然ながら、子供達はなんの考えもなく無責任な言葉を並べるばかりであり、一輪の中の迷いは、さらに複雑になっていく。
「入道屋さん、なにか悩んでるの?」
「わからないことがあるなら先生に相談してみたら?」
「そうだね、慧音先生なら何かわかるかも」
そんな一輪の迷いを察して、子供達は心配そうに言葉をかけてくれる。
とはいえ、子供らに彼女の悩みの内容がわかるはずもなく、自分たちが悩んだ時を照らし合わせて解決策を提案しているのだろう。
そして子供達は皆、教師に相談するという意見で一致のようである。
「うん、ありがとう。そうしてみるね」
話を合わせるようにそう答えたが、実際、普段から子供達と接している教師は、自分の悩みの相談相手にも最適かもしれない。
そして一輪はもう一つ、子供達に質問する。
「その先生がいるところ、教えてもらえないかしら?」
子供達と別れたあと、彼女は子供達に言われた寺子屋へとやって来た。
里にある唯一の寺子屋であり、すなわち里の唯一の教育機関でもある。
「ふむ、なるほどな、どういう芸をすればいいか、か……」
寺子屋の教師、上白沢慧音は、一輪の相談にも親身になって考えてくれた。
なんでも彼女も純粋な人間というわけではなく、半分はハクタクという妖怪であるらしい。
とはいえ、彼女からはそのような妖怪じみたところは微塵も感じられず、落ち着いた言葉と態度は、まるで彼女自身が理性の象徴であるかのようだ。
「……しかし、恥ずかしながら私も人を楽しませるのは得意ではなくてね。授業を集中して聞いて貰うのにも一苦労だよ」
苦笑いするその教師は確かに、そういったことが得意なタイプではないように見える。
少し話しただけでもそれは充分に感じられたほどだ。
おそらく非常に真面目な性格で、普段は冗談などを口にすることも少ないのだろう。
「しかし、本来は妖怪が里で芸をするだけでも苦労するところだが、あなたは充分受け入れられているようではないか。子供達もよく入道屋について話しているよ」
「それが、さっきひどくダメ出しを食らっちゃいまして……、私自身もわからなくなっちゃってるんです……」
「「「話は聞かせてもらったわ!!」」」
その時突然、三人の妖怪少女が寺子屋へと乱入してきた。
小柄な河童に一本角の勇ましい鬼、そして先程里で見た中華風の少女。
「おい、お前達、一体何の用だ?私は見ての通り今取り込み中なんだが……。そもそも客人に失礼だろう。今日は遊ぶなら余所でだな……」
どうやら寺子屋教師の知り合いらしく、彼女はその三人に色々と言っているが、三人組は一向に気にした様子もない。
それどころか、既に慧音を無視して一輪へと近付いてきている。
「いやいや慧音センセ、今日私達が用事があるのは、そっちの入道屋さんの方なんだよねー」
「ええ、聞くところによると、どうやら芸に悩んでいるとか?」
「だから私らがその相談に乗り、スーパー入道屋になるための特訓をしてやろうというわけだ」
そしてその三人組の口から飛び出したのは、そんな思いもよらない言葉だった。
「……こいつらと知り合いだったのか?」
「……いえ、初対面です……」
慧音も驚いているようだったが、当然ながら一輪自身の驚きはその比ではない。
この三人組は、一体なぜ自分を知っていて、どうして自分に協力しようというのか。
そもそも突然特訓といわれても、一体どういう事なのか見当もつかない。
そんな一輪の不思議そうな様子に気が付いてか、中華風の少女はにっこりと微笑んで見せる。
「そういえば自己紹介がまだでしたね。私は紅美鈴、湖の向こうの紅魔館というお屋敷で門番をしています。今回は、技担当ということで、ドンドン鍛えますよ。よろしく」
そして美鈴と名乗った少女は一輪に握手を求め、力強くその手を握った。
それは強さの中にしなやかさを持った武闘家の手であり、彼女が技担当というのも頷ける。
もっとも、そもそも技担当というのがなんのことなのがわからないのだが。
「よし、次は私だな。私は星熊勇儀、見ての通り鬼だ。まあご察しの通り、特訓では力の担当だ。なんせ力の勇儀だからな。そんなわけでよろしく頼む」
そう言って鬼は豪快に笑って酒を飲み、空いている右手で同じく握手を求めてくる。
彼女の握手はあくまで彼女自身のペースであり、力強く握ると、そのまま一輪の腕を上下に振り回す。
勢いに負けた一輪は思わずよろけそうになるが、勇儀と名乗った鬼はそれを特に気にした様子もなく笑っているばかりである。
「もー、勇儀様はなにをやっても無茶ばかりなんですから……。あ、私は河城にとり。メカ担当なんで、して欲しい改造なんかがあればなんなりと言ってみてよ」
一連の流れとしてにとりも握手をするが、他の二人に比べれば実に控えめで、そこにも彼女の性格が表れている。
しかし自己紹介を受け握手をして、それぞれの担当を聞いたところで、彼女達の目的がまったくわからない。
いや、特訓というある程度の部分は彼女達によって語られてはいるのだが、一向に全貌が見えてこないのが正直なところだ。
「……それで、お前達は何を企んでいるんだ?」
そんな、一輪が微妙に言い出しにくかったことを、そのままズバリ慧音が尋ねてくれる。
「いやな慧音、実はアリ……モゴッ」
「やだなあ勇儀様、私らは純粋にそこの入道屋さんを助けようと思って、こうやって集まっただけじゃないですか、ハハハハ」
なにかを言おうとした勇儀をにとりが取り押さえ、いかにもわざとらしい弁明と誤魔化し笑いを浮かべている。
やはり、何か裏があるのは間違いないだろう。
しかしそれを追求する前に、余っていた美鈴が思い出したかのように口を開く。
「あ、そう言えば、まだあなたのお名前を聞いていなかったですね。よければ、名前とか教えて貰えますか?」
その言葉で、一輪は自分がまだ彼女達に何も話していないことに気付かされた。
彼女達が勝手に話を進めていくだけで、すっかり自分は置き去りにされていたのだ。
「えっと、私は雲居一輪で、こっちは入道の雲山。命蓮寺で働いていて、布教のために里で入道屋をしています」
なにを言っていいのかわからず、一輪はただ無難な言葉に終始してしまう。
そもそも、彼女達の意図もなにもわからないのだ。
なにをどう答えていいかさえわからない。
「もっと他にないの?趣味とか、好きな男性のタイプとか」
「いやいやにとりさん、これ、そういう話じゃないですからね?」
「まあ、酒でも酌み交わせばすぐに解り合えると思うんだがな」
「それで、あなたたちは一体これからなにをはじめようというんですか……?」
恐る恐る、一輪はその話題へと踏み込んでいく。
それがわからなければ話にならないが、彼女達はなにかとんでもないことを考えている気がして、とてもまともには聞き出せないのだ。
「なにって、そりゃねえ」
「さっきから言ってるようにだな」
「特訓ですよ、特訓!」
「はあ……」
暑苦しいまでの勢いに押され、一輪は思わず生返事をしてしまった。
そして既に、そんな生返事を受け流してくれるような状況ではないらしい。
「ほらほらもっと気合いを入れろ気合を」
「そんな事では入道屋の星になれませんよ!」
「いちりーん、ファイト!」
もはや何が何だかわからないが、とにもかくにも、とりあえず彼女達に言われるがまま、特訓はなし崩し的に始まったのである。
□ ■ □ ■ □
「じゃあまず、適当に一戦してみますか」
軽くそう言って、美鈴は静かに構えをとった。
まるで自然体の如きその姿勢は寸分の隙もなく、どんな攻撃をも受け流す水のような柔軟さがある。
まさに、技の美鈴といったところだろう。
「あ、あの構えは、“虹色太極拳”!!まさか本物を拝めるとは……」
「知っているのか!にとり!?」
「ええ、この前天狗の新聞に載っていましたよ。虹の様に七色に変化を見せる、美鈴流太極拳の基礎を成すものだと……。なんでも健康にいいんだとかなんとか……、by文々。新聞」
「……適当だな。それが天狗がなのかお前がなのかはわからんが……、たぶん両方だろう」
観客となっている河童と鬼は馬鹿なことを言い合っているが、その構えと対峙している一輪はそんな掛け合いを笑っている場合ではない。
「さあ、いつでもいいですよ」
中華妖怪は余裕たっぷりにそう言うが、その余裕には充分な裏付けがある。
構えを見ても、どこから切り崩せばいいか見当もつかないのだ。
とはいえ、睨み合いっていても始まらない。
「……では、行きます!」
雲山を前面に展開し、その構えを切り崩すべく猛烈なラッシュをかける。
それが一輪の基本戦法だ。
だが、その攻撃が当たらない。
見ている分には美鈴は緩やかに動いているだけにしか思えないのだが、まるで一撃一撃があらかじめどこに来るのかわかっているかのように、ことごとくすり抜けていく。
その動きは、まさに水そのもの。
「なるほど、それじゃあ、今度はこちらの番ですよ」
一輪が一瞬攻撃を緩めたとたんに、美鈴の構えが一転鋭くなり、反撃が始まった。
まずは猛烈な飛び蹴り、そしてそこで弾ける虹色の衝撃破。
静から動への急激かつ流れるような転換。
そのメリハリこそが、“技の美鈴”の本領発揮なのだろう。
初撃はなんとか雲山の掌で受け止めたものの、さらに立て続けに数発の蹴りが飛んでくる。
激しく、速く、鋭い。
それらもなんとか凌ぎきって、再び一輪が反撃に転じるが、相変わらずの流水のような受け流しでことごとく回避されていく。
その回避があまりに華麗なため、攻めているのに、逆に追い詰められている印象さえ持ってしまう。
「なあにとり、あの戦いどう見るよ?」
鬼の言葉に、河童はキュウリを囓りながら気楽に答えを返す。
「入道屋さんは自分がかなり苦戦してると思ってるみたいだけど、正直、自滅って感じだよね」
「うーむ、やっぱりお前もそう思うか」
「本当なら美鈴もそんなに余裕はないでしょ。あの一撃をまともにかわし続けるのはしんどいんじゃないかな。なのに入道屋さんが勝手に空回りして、自分から袋小路へ一直線みたいな」
「まったく持ってその通りだな……」
その見解に勇儀も頷く。
「しかし、そろそろ見てるだけってのも飽きてきたし、私も出るとするかね」
そして勇儀はゆっくりと立ち上がってポキポキと拳を鳴らし、腕を勢いよく回転させる。
既に臨戦体勢バッチリのようだ。
「おーい美鈴、そろそろ代われ。今度は私がやる」
「えっ、まだ勝負は付いてないですよ?」
わけがわからないといった様子の美鈴だが、勇儀はまったく気にする事もなく、そのまま拳を振りかざして突撃してきている。
「よーし入道屋、こっちは選手交代だ!」
対戦相手の変更という思いがけぬ事態に、一輪と雲山は戸惑いを隠せないが、もちろんそんなことを気にする勇儀ではない。
それがわかっているのか、美鈴の方は首をすくめ、あっさりと退いていく。
「うーん、まだ決着が付いてなかったんですけどね」
「諦めなよ、もうああなったら止められないって。キュウリ食べる?」
「はあ、いただきます」
そしてすっかりにとりと共に観戦モードである。
一方、勇儀の方は突撃のそのままの勢いで一輪に殴りかかっていった。
「悪いけど私は、最初からクライマックスなんでね!」
勇儀はそう叫びながら、一直線に一輪の方へと向かってきていた。
鬼の拳には不思議な力がまとわりついており、そのままそれをぶつけようというのだ。
直線的でありながら捻れたその力は、理解を超えて名称しがたく、それでいて確実な力の塊として一輪へと襲いかかる。
それはまさに、怪力乱神と呼ぶに相応しい一撃。
「雲山ッ!」
悠長に状況を分析している時間はない。
今はただ、この目の前の一撃を凌ぎきることだけを考えるのだ。
雲山の全てを集中させ、鉄壁のような拳を鬼へぶつけていく。
入道の巨大な拳とその怪力乱神とぶつかり合うと、衝撃は双方に激しく押し寄せて、互いを大きくはじき飛ばした。
「おおー、さすがは入道だ。私の怪力乱神を、まさか正面から受け止めるとはねえ」
勇儀はカラカラと笑いながら立ち上がるが、一輪の方にはそこまでの余裕はない。
得体の知れない攻撃を受け止めた雲山のダメージは大きく、雲散してしまった部分の立て直しに時間がかかりそうである。
それまでなんとか時間を稼ぎ、その間は一輪自身が戦うしかない。
だがそんな彼女達の状況など気にすることもなく、怪力乱神の権化は再び拳を握り、その力を誇示するべく闘志を剥き出しにする。
「そういう単純な力は好きだよ。ただ……」
勇儀が一歩踏み込むと、そこに強大な力場が出来た。
押し寄せる圧倒的な重圧の波。
少しでも油断すれば、そのまま足をとられて吹き飛ばされそうだ。
「鬼に力勝負を挑むのは……」
そしてもう一歩。
一輪は思わず恐怖した。
その力は、もはや波などという生易しい物ではない。
まさに渦だ。
苛烈な力の渦の中、一輪はただその場に踏みとどまることだけを考え、足に力を入れることしか出来ずにいる。
いま目の前にあるのは、伝説に謳われたの妖怪の必殺の一撃。
ただの物の怪などではない。
鬼とは、そういう存在なのだ。
「もう少し圧倒的でないとなっ!」
三歩目と共に、その力が一気に解き放たれ、その場を支配した。
四天王奥義“三歩必殺”
なんという力の密度だろうか。
勇儀を中心に渦巻く破壊的な波動。
その力に支配された空間の中、一輪は一歩も動けず、その嵐が消えるのを待つばかりである。
なんとか圧力こそは凌ぎきったものの、それを耐えることに全てを出し切った一輪は、全身の力が抜けたように、その場にへたり込んでしまう。
勝敗は決したのだ。
「ま、この結果は必然といえば必然だな」
倒れた一輪に手を貸しながら、勇儀は少し神妙な顔をしてそう言った。
「……鬼には敵わない、ということですか……」
「それもあるが、お前さんらは正面から相手を受け止めすぎなんだよ。まさに“芸がない”というやつさ」
そして勇儀は静かにニヤリと笑った。
「いっちゃんはさ、真っ直ぐすぎるんだよね、戦い方が。雲山の性質もあるかもしれないけど」
横から口を挟んできたのは、結局最後まで観戦者だった河童である。
いっちゃんとは、どうやら自分のことらしい。
「雲山のパワー自慢もいいけど、それ一辺倒じゃすぐに限界がくるわけさ。せっかく二人で戦うんだから、そのあたりをもう少し工夫しないと」
「そのために、私達は特訓を付けに来たんですけどね」
強引にまとめに入る美鈴。
特訓とは、一体何をするつもりなのだろうか?
そもそも、入道屋の芸を磨くという話ではなかったのか。
「それで、特訓と言っても、何をするんです」
一輪としては、その疑問を口にしないわけにはいかない。
「そうさね、まずは、いっちゃんに足りないものを埋めるか、良さを伸ばすかだけど……」
「まあ、足りない部分でしょうね。芸がないと指摘されたのもそこでしょうし」
その指摘は、やはり一輪にとっては重い。自分に芸など思いつくはずもない。
「要するにだな、弾幕らしい弾幕をしろってことだ。単に殴ってるだけじゃ、弾幕である必要がない。お前はあの雲親父に頼りすぎなんだよ」
勇儀の言葉がとどめとなる。
確かにこれまでに、何事も雲山頼みだったのは否めない。
弾幕にせよ入道屋にせよ、雲山の力に任せきりであった。
「二人で一人の入道屋なんだから、いっちゃんももっと働かないと」
追い討ちをかけるようににとりも続く。
「そうと決まれば特訓ですね!一輪さんのいいところ、ドンドン引き出しちゃいますからねー」
そして美鈴はすっかり出来上がっていてノリノリである。
そんな風に一輪自身を置いてきぼりにしたまま、特訓は開始された。
特訓は、一輪の予想をはるかに超える密度で行われ、その内容は苛烈を極めた。
何に役に立つのかよくわからないが、転がってくる岩を避けたり、にとりの作った自動滝発生装置で滝に討たれて水を斬ったり、とにかくまあ、いかにもな特訓だった。
しかし、本番はその後だ。
美鈴に攻撃を当てること。勇儀の攻撃を凌ぐこと。
この二点に重点を置き、しかもそれを様々な制限の元に行えというのである。
もちろん、ただでさえ能力的はほぼ互角で、相性的にも悪いのだから、まったく持って上手く行くはずがない。
美鈴の流れるような動きには強烈な一撃は早々当たらないし、勇儀の重い一撃は、一発ぶつかり合うだけで消耗してしまう。
どちらにせよ、自分達が圧倒的に不利なのだ。
「こんな特訓に、なんの意味があるんですか!」
一輪がそう嘆いてしまうのも時間の問題だった。
だが、そんな一輪を諫めたのは、特訓をさせている者達ではなく、彼女の相方の入道だった。
彼は無言のまま一輪と特訓者達の間に割って入り、何かを訴えるように小さく首を振る。
「雲山まで、いったい、いったい私になにをしろって言うんです!」
一輪の悲痛な迷いの言葉。
そんな叫びに、雲山はただ静かに何かをつぶやいた。
それは、一輪にしか聞こえない、雲山の声。
彼はただひと言、こう告げたのだ。
『聖を助けたかったときの気持ちを思い出せ』
その言葉は一輪に重くのし掛かかる。
彼女は永きにわたり雲山とコンビを組み、聖を解放するべく戦ってきた。
その間、雲山は何一つ嫌な顔をせず、彼女のために戦い続けてきたのだ。
そんな雲山の言葉だからこそ、一輪には衝撃だったのだ。
確かに、聖が解放されてから、彼女は戦う意義を失っていた。
当然だろう。もはや彼女に目的などない。
かといって野良妖怪に戻ることなど考えられるわけもなく、彼女達は少しでも聖の役に立てればと入道屋をはじめたのだ。
今の自分に足りないのは、あの頃のような必死さだ。
入道屋をするといっても、結局里のことさえ知ろうとしないまま、惰性のように入道を出しているだけではないか。
自分達だからこそ出来ること、聖のためだから出来ることが、入道屋の中にもあるはずだ。
では、入道屋とはなんなのか?
そのことに、一輪はようやくたどり着いたのである。
そしてゆっくりと、だが力強く立ち上がり、彼女はこう言った。
「特訓、続けましょう」
その言葉を聞いて、雲山の顔は小さく綻んだように見えた。
気持ちを入れ替えて組み手をすれば、また違ったものが見えてくる。
そのために一輪が提案したのは、攻撃と防御の入れ替えだった。
つまり、一輪が美鈴の攻撃を受け、勇儀に攻撃するというのである。
その提案を聞いて、にとりも含めた三人がニヤリと笑った。
まるで彼女達も、それを待っていたかのようである。
結果は、今まで自分が苦労してきたのが馬鹿馬鹿しくなるほど、実にわかりやすいものだった。
美鈴の一撃一撃は手数こそ多いものの、勇儀の圧倒的な一撃に比べれば軽く対処しやすいものであったし、勇儀の防御もガッチリと守ってはいるが、美鈴の流れるような防御のあとでは付け入る隙はいくらでも見つかった。
だがそれらは、最初の自分ではとうてい気が付かなかったことだ。
つまり、組み手の中で相手を見越した攻撃や防御を学び取り、それをこうして実戦に取り入れた結果なのである。
特に一輪が重視したのは、美鈴の見せた“虹色太極拳”の動きだった。
それまで彼女は、雲山の重い一撃を、いかに早くぶつけるかという事だけを考え続けてきた。
それこそが、一番有効だと思っていたからだ。
だがどれほど強烈な一撃といえど、直線だけでは効果は薄い。
それは勇儀の攻撃を受け止めているときにも感じていたことだ。
鬼の猛烈な一撃でさえも、ただ真正面から止めるだけならなんとかなる。
だが、怪力乱神のように、そこに別の動きが入った途端に、それは重さ以上に厄介な攻撃となるのだ。
つまり、その変化によって、力を殺しきるのが難しくなるのである。
そこを考えたとき、自分達が何が出来るかで思い当たったのが、虹色太極拳だった。
「雲だからこそ、虹とは相性はいいはずですよ」
一輪の意図を察し、美鈴もそんな風にアドバイスを送る。
なるほど、水のような流れと同じく、雲もまた流れる物だ。
受け止めるだけはなく、受け流す。
そして一輪は、最初の人形遣いとの戦いを思い出す。
あの人形達を正面で受け止め続けていたからこそ、打開策を失い、追い詰められていったのだ。
だからこそ、芸には芸。
その受け流し自体が、突き詰めれば一つの芸術となりえる。
それを考えると、あの人形遣いの弾幕は、まさにその極みだった。
今ならわかる。
あの攻撃は、受け止めるのではなく受け流せばおのずと道は開けるように出来ていたのだ。
アレはまさに、弾幕という名の一つの芸であり、劇だった。
あの時の自分は、その中で役割を演じきることが出来なかったのである。
弾幕の中に様々な感情を彩る。
あの人形遣いの弾幕は、そのもっともたるものであるし、美鈴にせよ勇儀にせよ、弾幕によって自らを表現していた。
そしてそれは、入道屋でも同じような物だろう。
ただ入道を出し入れしているだけではなんの芸もない。
その入道の出し入れ一つ一つに、驚きや喜びが必要なのである。
それは自分にも、相手にも、そして見ている人たちにも。
「ま、これで残るは最終試験だけだな」
一輪の晴れやかな表情に、勇儀は満を持したかのようにそう告げる。
「どうやら、そうみたいね……」
そしてそこに現れたのは、あの時の人形遣いだった。
「えっ、どういう事なんですか?」
さすがの事態に、一輪も混乱を隠せない。
なぜこの人形遣いがここにいるのか。
「話は聞かせてもらったわ、入道屋さん。どうやら、少しは芸が出来るようになったのかしら?」
そんな一輪の混乱をまったく無視して、人形遣いは一人話を進めていく。
既に人形の配備は完了。戦闘準備万端だ。
「うーん、やっぱり黒幕はアリスだったか……」
人形遣いを見てそう反応したのは寺子屋の教師である。
当然といえば当然ではあるが、このアリスという人形遣いも里との関わりは深いらしい。
「まあまあ、その辺はいいじゃない。そんなわけで、どこまで出来るようになったか、見せて貰うわよ」
そして、人形達が展開し、弾幕ごっこは始まった。
「おー、中々健闘してるじゃん、特訓の成果だねー」
「ちゃんと策を練ってやり合うなら、一輪と雲山のコンビはあの人形どもとも相性いいだろうからな」
「アリスさんの人形に対して、点ではなく面で戦えますからね」
「しかし、入道使いもなかなか多芸ではないか。あれが、お前達の特訓の成果というわけか?」
二人と一人と数体の戦いを見ながら、見物客となった三人と一人、特に特訓を施した三人は呑気に感想を言い合っている。
戦闘の方は、彼女達の分析しているとおり、アリスの人形に対し、一輪が雲山を駆使して上手く退けている。
だがそれは、前回のようにただただ正面から受け止めているだけではない。
それぞれの人形に応じて、はじき返したり、わずかな動きで回避してみたり、あるいは大胆に大きな動きで置いてきぼりにしたりと、まさに縦横無尽に受け流しているのだ。
それがわかっていて、人形遣いも小さく微笑み、弾幕を繰り出す。
「しかし羨ましいなー。私のからくりマシンじゃ、あそこまで精密には動かせないからなー」
にとりがぼやくのも無理はない。
これほどの戦いが出来るのは、一輪&雲山の他には、プリズムリバー三姉妹か、式を使う八雲紫くらいだろう。
逆に言えば、そういった点において、あの人形遣いが別格なのだ。
たった一人でここまで統制の取れた部隊を操れるのは他にいまい。
虫や鼠でもこれほどのものは不可能なのではないか。
そんな人形遣いの精密弾幕と、一輪と雲山の長年で培ってきたコンビネーションがぶつかり合い、互いに高め合うこの状況は、まさに弾幕空間を一つの劇場へと変えていた。
それは完全な調和。
二人と一人が生み出すある種の芸術。
そんな二人の様子を見てか、いつの間にか里の子供達も集まってきている。
「わー、きれー」
「先生、あの入道屋さんと人形遣いさん、何をしているの?」
「入道屋さんも入道さんも、ピカピカ光ってる!」
思い思いの声を上げ、彼らもまた空を見上げる。
一輪にも、その子供達の様子は見えていた。
自分と彼女の戦いを見て、その顔を燦めかせているのだ。
それさえも、今の彼女の力となる。
弾幕をかいくぐり、張り巡らせ、目の前の相手と対峙する。
「アリスさん。弾幕って、楽しいですね!」
勝負の最中であるにもかかわらず、思わずそんな声さえ上げてしまう。
「まだまだ、奥の深さはこれからよ!」
人形遣いは微笑みながらさらに鋭い弾幕を展開し、その鋭さを楽しむように、一輪もまた弾幕を返す。
そうか、彼女が求めていたのは、これだったのだ。
□ ■ □ ■ □
あの弾幕勝負以降、一輪達の入道屋は、一気に活気を取り戻すことになった。
あの人形遣いとの勝負を見せた事が宣伝効果になったのも事実だが、それ以上に、彼女達の入道屋のあり方が変わったのが大きいだろう。
時に一輪と雲山の共同で弾幕を披露し合い、時に二人で模擬戦のような勝負を見せる。
もちろんある程度の流れは決まっているのだが、そこには同じ出来事など一度も起こらない。
常に新鮮な気持ちで入道屋の芸に向かえるのだ。
そしてそれは、観客も同じ気持ちだろう。
もう入道屋を見ている最中にお喋りをする子供はいない。
みな息を飲み、驚き、笑いながら彼女達の芸に見入っている。
そしてもう一つ、入道屋には変化があった。
「今日も流行っているわね」
人形遣いのアリスが一輪に声をかけてくる。
「おかげさまで。どうですアリスさん、一戦やりませんか?」
あの日以来、こうして里に来るタイミングが合えば、人形遣いとのコラボレーションも積極的に行っているのだ。
ちなみに戦績はほぼ互角。
最初こそ苦戦したものの、ようやく戦い慣れてきて、ある程度の勝利へのパターンも作れるようになってきた。
「いいわよ、今あなたの三連勝だったっけ?じゃあそろそろ、私も勝たせてもらわないといけないわね。今日は、新しい子も用意してきたし」
そしていつものように、彼女の人形部隊が整列する。見慣れた人形に加え、見たこともない新顔の人形もいる。
「この前あなたとにとりに提案された人形が完成したからね、実戦投入してみるのよ」
「ああ、あの時のですね」
あの日以来、彼女達は何度となく寺子屋などに集まって、色々な話をしていた。
弾幕のことや幻想郷のこと、それにたわいもない話。
一輪にとっては、全てが新鮮だった。
「それじゃあ、行きますよ!」
「いつでもいいわよ」
そして子供達の歓声と共に、今日も戦いの幕が開く。
それは、一輪が里に受け入れられた、何よりの証だった。
世話焼き好きな三ボスに乾杯w
わくわくしました。
だんだんイキイキしてくる一輪さんがとてもよかったです。
GJ!