作品集61『しらじらと』、読んでくださっても、読んでくださらなくとも。
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黄色い昨日が去っていき、赤い今日がやって来た。それでは明日は何色だろうと、思うにつけて愉快になれる。
その日その日に味わう色を、連ねて書けば日記帳。世界の色をしたためおけば、世界を我が手に収めた気分。
「つくづく、趣味人で暇人なのね」
そう言って閉じた日記帳から、ふわり小さな風が舞い。僅かに揺れる彼女の黒髪、博麗霊夢がそこにいる。
白玉楼の冬深く、住み慣れた身にも厳しく染みる。そんな最中に霊夢と二人。私は自分の部屋にいた。居間で過ごしてばかりの為か、火鉢なき部屋はしんとして冷える。
何となく、霊夢に日記を見せたくなった。それは霊夢も同じのようで、「亡霊の日記はどんなものかしら」と興味津々。それで居間から移って来たのが、私の部屋だった。
はじめ霊夢が驚いたのは、私の部屋の簡素なこと。何を期待していたのだろうか、気には止めずに、また止める気もなし。今の今まで私の部屋に、彼女が入っていなかった事のほうが気になった。
しかし、部屋は質素かも知れない。ただ必要の家具があるばかりで、せめての彩りに飾ってあるのは、繁く取りかえる生け花くらい。それでも霊夢は私のことを、趣味人暇人と称して笑う。日記を読んでのことだから、そのためなのかも知れないが。
「面白い日記だったわよ。ただひとつ難癖つけるとすれば、もう少し文章らしく書いてくれないかしら」
ふう、と吐く息は無色。
「あおだの緑だの黄いろだの、色について書いてるだけじゃない。〝アユの鱗を朝日に照らしたような〟なんて、一体どんな感性よ」
「とても綺麗よ。それは確か、おとといの昨日の色。あんまり良かったものだから、三度も息を吸ってしまったわ」
「また良く分からない例えね……」
日記を卓に戻し、霊夢は首をかしげて見せる。
かしげた方には居間がある。サテサテ彼女、すっかり白玉楼にも慣れたものである。
思わずくすりと笑みがこぼれた。それでも霊夢の表情は変わらず、私たちは揃って居間へ戻る。火鉢の温かさも恋しかった。
気付けば、夕暮れに空が染まっている。
「今夜のご夕食は、カツレツですよ」
待っていたのは、誇らしげに色づいた妖夢の両頬だった。
熟れに熟れたる桃の実の紅。思わずかぶりつきたくなる、そんな思いを催す色。
見ればお膳が二つ、しっかり出ている。
初めのうちは、霊夢の食事まで出すのを妖夢は嫌がったものだ。
『食事を出すのは構いません。でも、どうして幽々子さまと同じものでなければならないんですか?』
要は、そこに不満があったらしい。
けれど、霊夢は大切な客人だ。彼女の時間が許す限り、末長いお付き合いをするつもりなのだから、当然のもてなしだった。
それでも妖夢は不服そうだったが、ちかごろはようやく分かってもらえたようで、私と同じお膳を霊夢に出すようになっていた。
「カツレツねえ」
「不満なの?」
霊夢の一言に、妖夢の厳しい視線が飛ぶ。
やはり感情のしこりが残っているのだろうか。二人とも、そこまで仲が悪いはずでもないだろうに。
「いいえ不満なんてないわよ。ただまあ、どうしたのかなあって」
「どうした、って?」
「豪勢じゃない」
「いつものことですよ」
「でしょうねえ」
二人の視線が私に向く。
その、どこか呆れの混じった笑みに、ひとまず私も笑って返した。お膳にはまだ、主菜のカツレツとやらはない。
副菜がこまごまと乗っているばかりで、少しだけ、期待してしまう自分がいる。
「ようむー、カツレツって言うのは?」
「なんだ幽々子、カツレツ食べたことないわけ?」
「うん」
霊夢も腰を下ろす。彼女に説明を任せたか、妖夢の方は、そのまま厨房へ向かってしまった。
自然、二人だけの会話になり、けれども霊夢は黙りこんで。しきりにぱたぱた、手を団扇にして動かしているのはおかしく見えた。火鉢の温かさは、汗ばむほどではないはずだ。
「じゃあ、幽々子にはカツレツのなんたるかを教えてあげないとね」
「ほんものを見た方が早いんじゃないかしら。ほら、来るみたいよ」
「まあ、そうね」
苦笑。すでに用意はしていたのだろう、妖夢がお櫃と主菜のお皿を、器用に運んで持ってきた。
温かな気配が伝わる。
お膳の上に霊夢とそれぞれ、カツレツとやらの皿が乗った。
「揚げものかしら?」
「そうよ、揚げもの」
きつね色を通り越したくらいの、そんな感じ。揚げたてなのはすぐに分かった。立ちのぼる湯気もさることながら、香りが良く伝わり、食欲をそそる。
ご飯をよそって、お吸いものをそろえ。夕食の用意は整い、いつもなら、いただきますを言うところ。
けれども今日は、傍で給仕に控える妖夢を放っておく気になれなかった。何となく、だったけれど。気まぐれが自分の特権なのだと、友人から教わったせいかも知れない。
ともかく私は、気まぐれを起こす気になったのだ。
「妖夢も、食べなさいな」
「いえ、私は……」
「遠慮しなさんな。ネエ、霊夢」
「そうね、幽々子の言う通りにしたら?」
「あう……そう言う訳には……」
今に始まった訳でもなく、時々、こうやって誘ってきたけれど。一度だって妖夢は、私と一緒に食事をしてくれない。主従のけじめだと言うのだ。
でも、今夜ばかりは霊夢の加勢もあって、どうにか言うことを聞かせたくなる。
「ご馳走なんでしょう霊夢、このカツレツというのは」
「どうかしら。ま、私はそう毎日食べはしなかったわね」
「やっぱりご馳走なのね。だったらなおのことじゃない」
私の皿にはカツレツが二枚。霊夢の皿には一枚。
主だからって、一枚多いのは不公平と言うものだ。それに主従なら、ご馳走を分かち合うくらいはしても、良いと思う。望んで望んで、少しだけ望まれて。そんな関係であれるなら、きっと幸せに過ごせるはずだ。
だから、言った。
「妖夢。一枚、食べなさい。私が〝食べきれないから〟」
「うう……分かりました」
「いい返事よ」
それから妖夢のお膳も並べて、ようやく夕餉の席となり。
まずは一口カツレツをいただく。
「……ん」
「どう……でしょう」
「ん、む……」
妖夢の不安そうな視線が、おかしくて、口にしたばかりの味を忘れてしまいそうで。
素直な感想を言うと悲しませそうだが、それでも正直になりたかった。
「ちくちくするわ」
「はぁ……」
「てんぷらは、もっと優しい着物を着ているけれど。そうねこのカツレツはもっと鋭い着物を着ているのね」
「てんぷらとは違うでしょうよ、ま、似ているけどね」
そう言って、霊夢は気にしていないのか、カツレツをひょいひょい口へ運んでいる。
けれども私が〝不味い〟と言ったように思ったのか、妖夢の表情はくしゃり不安に歪む。まだ一口だって彼女はお膳に手をつけていない。
そこまで辛く考えなくてもと思うのだけれど、それが、従者と言うことなのだろうか。分からない。でも分からないことは、分かるまで放っておくに限る。
妖夢はまだじっと見ている。霊夢は我関せずのままでいる。私は、じっと待って。
「おいしいに、決まってるじゃない」
唐突に霊夢が、言った。
吃驚するほど自然な空気で、けれど、驚きをもたらすそのタイミングで。
不思議だった。その一言はつよい強い力を持っていて、ただの言葉が、もっと大きな何かのようだったのだ。
妖夢が私を見る。
私は、頷く。
それだけで大事な従者が救われるなら、私は何度でも正直になれる気がした。でもそれ以上に、霊夢の正直が心に沁みるようだった。
平穏無事な夕餉の席に、とめどない感情が溢れていた。
霊夢が死んで、百有余年。彼女が来てより白玉楼は、かつてないまでに色づいている。
読んでたらお腹が減ってきた…
あっさりしてるのに印象に残る表現力に脱帽
新しい白玉楼の形だね
やっぱり霊夢は死んでも変わらないな。
だからこその霊夢か。
白玉楼は今後さらに色づいていくのかな。
続きも楽しみにしております
続くならぜひ続けてくれ
ゆゆ様の表現が旨そうで腹減ったからちょっとトンカツ食ってくる
なんか綺麗