地上の最果ての神社が倒壊したり復興したりした、その少し後。
‘竜宮の使い‘――私たちが集う大きな雲に、珍しくも来訪者が降りてきた。
身なりは正しく威厳もあるがどこか泥臭さを感じさせる、不可思議な人物だ。
要は、‘天人くずれ‘だの‘不良天人‘だの称される、比那名居様だった。
一体何の用だろう――遠巻きに眺める私たちに、比那名居様は小さく頭を下げる。
「衣玖、知り合いでしょう?」
比那名居様の頭が戻るその前に、私の隣にいた、同じく‘竜宮の使い‘が耳打ちをしてきた。
「まぁ……先の件を報告したので面識はありますが」
問いに含まれる要望は、勿論、解っている。
『貴女の知人なんだから対応して頂戴』。
だから、私は歯切れ悪く返した。
比那名居様の来訪理由が、おぼろげに推測できたのだ。
「きょろきょろと頭を振っていらっしゃる」
「おや、どうしたと言うのでしょうか」
「まるで、誰かを探しているよう」
背後で交わされる会話が耳に入り、微かに眉を顰めた。
常に大気の流れを読んでいるからだろうか。
種族‘竜宮の使い‘は、押し並べて雰囲気を読むのが上手いと言われている。
加えて、私、永江衣玖は‘空気を読む程度の能力‘の持ち主だ。
言葉などなくても、彼女たちが何を望み、比那名居様が誰を探しているかなど、解っていた。
友人たちにわざとらしい渋面を向ける。
返ってきたのも、わざとらしい微笑みだった。
浮かんでくる表情を無理やりかき消し、私は比那名居様へと歩を進めた――。
先の通り、比那名居様は‘不良天人‘と呼ばれ、その格がないと言われている。
しかし、私の知る限りでは、十二分に人格者と判断できる器量の持ち主だ。
でなければ、そもそも要石などと言う厄介極まるものを任せられてはいないはずだ。
比那名居家の上役である名居家が天人として召し上げられたのも、彼の功績が一因として考えられる。
だが、そんな比那名居様にも宜しくない一面があった。
備わっていない格とはそういう方面なんじゃないかと疑うほど、身内に対して甘い。
特に娘子様には、ホットケーキに同量のバターを塗りたくり一本分のシロップを丸々ぶちまけたようなだだ甘さを発揮する。
つまり、親馬鹿なのだ。
……だって、そうでしょう? でもなければ、異変の後、相変わらず天子様が緋想の剣を持ち続けている理由が、わからない。
比那名居様から話を聞き、私は友人たちの元へと戻った。
先ほどと変わらない微笑を浮かべている彼女たち。
少なくとも、額を押さえていた手をどけ、広げた視界に映ったのはそう言う類のものだった。
そのうちのヒトリで比較的幼い者が、口の端を上向きにひくつかせていたのにも気付いたが、‘空気を読む‘私は、流す。
「衣玖、比那名居様はどういったご用件で?」
促した友人が、率先して聞いてきた。
溜息をつき、私は、皆に伝わるように、ゆっくりと語り始める――。
挨拶。
先日の謝罪。
天子様への処罰。
――そして、『目付を頼みたい』と、比那名居様は頭を下げた。
「衣玖に?」
「いえ、私たち全員に、でしょう」
「立候補する?」
「私が? ……さて」
「そう」
小首を傾げた途端、友人たちは輪になって、重なることなく声を出す。
「目付? 天子様の?」
「私たちは彼の方を良く知らないわ」
「各々、知っていることをあげていきましょう」
数秒後、誰と言わず、口を開いていった。
「天人と言われているけれど、俗っぽいわね」
「自意識過剰気味」
「何時も暇そうにしているのを見かけるわ」
「控えめな胸を控えめなく張っている」
「我がままで自分勝手、人のことを考えているようには思えない」
好き勝手に言いたい放題だ。
……けれど、概ね世間での評価と一致する。
同調するべきだろうか。
否、と気付かれぬよう、微かに頭を振る。
縦に振ることだけが、‘空気を読む‘ことではない。
場を整えるには、マイナスにプラスをかぶせてやればよい。
天子様の行いは、その様は、‘空気を読む‘ことに長けている私には、いいや、私たちには到底理解できない。
だけど――「だからこそ、総領娘様には、惹かれる所があると思いませんか?」
幾つもの瞳が、同時に瞬いた。
世間の評価など、あやふやでいい加減。
プラスかマイナス、一方が目立てば一方が全く見えなくなる。
そう言ったものは、ほんの少しなにかしらの介入で途端に転じるものなのだ。
「ふむ、発想の転換ね」
「言われてみれば魅力的かもしれません」
「そうそう、思い出したわ、天子様のあれやこれ」
付和雷同と言うなかれ、彼女たちは‘空気を読んだ‘のだから。
「俗なのは年齢によるもの、ご自覚が少々たりないだけ、らしい」
「過剰になれるほどの‘力‘を実際にお持ちなそうな」
「とは言え、近頃は人目につかない所で鍛練中と聞いたわ」
「お胸は、まぁ成長過程ですもの」
「‘空気が読めない‘方だからこそ、‘空気を読む‘ことに慣れている私たちは、どこか憧れる……かもしんない」
にへら、と最後の発言者――先に最年少と言った者だ――が笑った気がした。
……さて。
まだ足りないと思わないでもないが、これ以上は故意的な物言いになってしまう。
私の発言理由は、場の雰囲気を中和すること。
それ以上でも以下でもない。
後は、流れに任せよう――。
「比那名居様をお待たせするのもいけません。誰か、天子様の目付役に立候補する者は?」
発言をしたのは私に比那名居様へと接触するよう促した者だったが、その意見は皆の総意だろう。
ちらりちらりと窺う視線を互いに投げかける友人たち。
評価は落ち着いたが、何分急な話だ、早々手は上がらない。
しかし、待たせた上に何も決まっていないと言うのも拙かろう。
仕方ない――胸の内でそう思い、私は一歩踏み出した。
「……誰もいませんか。では、音頭を取っていた私が致しましょう」
む?
「気が変わりました。私も名乗りを上げますわ」
むむ。
「お話を聞いていると、興味深い方ですね」
「聊か退屈していた所ですし」
「じゃあ私もー!」
むむむ。
……いけないいけない、少し表情が硬くなってしまった。
皆から顔を背け、やんわりと頬を一度打つ。
考えてみれば顰め面をする理由などはない。
それどころか、万事OKではなかろうか。
だが、今一度私の能力を思い出して頂きたい。
私は、‘空気を読む程度の能力‘の保持者。
この流れに乗らない訳にはいかない。
いかないったら、いかない。
「だったら、あの、私も」
おずおずと切り出すと、ぐりんと皆の視線が此方に向いた。
加えて開いた両手も差し出されている。
あー……。
「どうぞどうぞ」
なんだこの茶番。
「や、その、やっぱり辞退しま」
「衣玖が退くならば、私がお受けしましょう」
「あ、あ、絶対に嫌と言う訳では」
「わかりました、それでは衣玖に任せましょう」
「いえ、他に何方かいるならば」
「あーもぅ、ほんっと衣玖って面倒くさくて可愛いなぁ」
「仕方なくですよ? 仕方なく――」
……あれ、今一瞬流れがおかしくなったような?
首を捻る私に、やはりと言うか、すかさず手が向けられた。
「どうぞどうぞ」
浮かびかけた言葉を飲み込む。
微笑を浮かべる友に、半眼を向けた。
……そう言う表情をできているか、正直自信はない。
ともかく、これにて決着だ。
「衣玖、何故だか顔が緩んでいるわ」
笑う友の言葉に、自身の頬を打つ。心持強め。
「では、改めて……天子様の目付役、この私、永江衣玖が承りますわ」
――そう言った訳で、この日より、私は公式に天子様の傍にいられるようになったのだ。ハレルヤ!
<了>
《竜宮の使いの雑談》
「ねぇ亜玖、衣玖ってなんであぁなの?」
「‘あぁ‘扱いですか」
「んー、じゃあ、へたれー」
「衣玖は、誰よりも‘空気を読む‘ことに長けています」
「だよね? 色恋沙汰も器用にこなしそうなのに」
「‘力‘が裏目に出たのでしょう。色恋沙汰に付き物の雑事を恐れていた」
「奪い奪われ妬んで嫉んで……ひっくるめて、醍醐味でしょ?」
「衣玖はそう捉えなかった。ですから、‘あぁ‘なのです」
「そっか。なら、天子様が初恋かぁ。……あ」
「私たちにできることは、精々生温かく応援することくらいです」
「うわぁ、いい笑顔。ところでさ」
「はい?」
「衣玖って、天子様のこと、‘総領娘様‘って呼んでたよね?」
「名前で呼ぶのが恥ずかしいのでしょう。ほんと、へたれー」
「でも、さっき、天子様って言ってなかった?」
「――きっと、ふふ、抑えようがないほどに、嬉しかったのでしょう」
《視線の先には、軽やかに比那名居へと近づく衣玖が映っていた。スキップしてやんの》
‘竜宮の使い‘――私たちが集う大きな雲に、珍しくも来訪者が降りてきた。
身なりは正しく威厳もあるがどこか泥臭さを感じさせる、不可思議な人物だ。
要は、‘天人くずれ‘だの‘不良天人‘だの称される、比那名居様だった。
一体何の用だろう――遠巻きに眺める私たちに、比那名居様は小さく頭を下げる。
「衣玖、知り合いでしょう?」
比那名居様の頭が戻るその前に、私の隣にいた、同じく‘竜宮の使い‘が耳打ちをしてきた。
「まぁ……先の件を報告したので面識はありますが」
問いに含まれる要望は、勿論、解っている。
『貴女の知人なんだから対応して頂戴』。
だから、私は歯切れ悪く返した。
比那名居様の来訪理由が、おぼろげに推測できたのだ。
「きょろきょろと頭を振っていらっしゃる」
「おや、どうしたと言うのでしょうか」
「まるで、誰かを探しているよう」
背後で交わされる会話が耳に入り、微かに眉を顰めた。
常に大気の流れを読んでいるからだろうか。
種族‘竜宮の使い‘は、押し並べて雰囲気を読むのが上手いと言われている。
加えて、私、永江衣玖は‘空気を読む程度の能力‘の持ち主だ。
言葉などなくても、彼女たちが何を望み、比那名居様が誰を探しているかなど、解っていた。
友人たちにわざとらしい渋面を向ける。
返ってきたのも、わざとらしい微笑みだった。
浮かんでくる表情を無理やりかき消し、私は比那名居様へと歩を進めた――。
先の通り、比那名居様は‘不良天人‘と呼ばれ、その格がないと言われている。
しかし、私の知る限りでは、十二分に人格者と判断できる器量の持ち主だ。
でなければ、そもそも要石などと言う厄介極まるものを任せられてはいないはずだ。
比那名居家の上役である名居家が天人として召し上げられたのも、彼の功績が一因として考えられる。
だが、そんな比那名居様にも宜しくない一面があった。
備わっていない格とはそういう方面なんじゃないかと疑うほど、身内に対して甘い。
特に娘子様には、ホットケーキに同量のバターを塗りたくり一本分のシロップを丸々ぶちまけたようなだだ甘さを発揮する。
つまり、親馬鹿なのだ。
……だって、そうでしょう? でもなければ、異変の後、相変わらず天子様が緋想の剣を持ち続けている理由が、わからない。
比那名居様から話を聞き、私は友人たちの元へと戻った。
先ほどと変わらない微笑を浮かべている彼女たち。
少なくとも、額を押さえていた手をどけ、広げた視界に映ったのはそう言う類のものだった。
そのうちのヒトリで比較的幼い者が、口の端を上向きにひくつかせていたのにも気付いたが、‘空気を読む‘私は、流す。
「衣玖、比那名居様はどういったご用件で?」
促した友人が、率先して聞いてきた。
溜息をつき、私は、皆に伝わるように、ゆっくりと語り始める――。
挨拶。
先日の謝罪。
天子様への処罰。
――そして、『目付を頼みたい』と、比那名居様は頭を下げた。
「衣玖に?」
「いえ、私たち全員に、でしょう」
「立候補する?」
「私が? ……さて」
「そう」
小首を傾げた途端、友人たちは輪になって、重なることなく声を出す。
「目付? 天子様の?」
「私たちは彼の方を良く知らないわ」
「各々、知っていることをあげていきましょう」
数秒後、誰と言わず、口を開いていった。
「天人と言われているけれど、俗っぽいわね」
「自意識過剰気味」
「何時も暇そうにしているのを見かけるわ」
「控えめな胸を控えめなく張っている」
「我がままで自分勝手、人のことを考えているようには思えない」
好き勝手に言いたい放題だ。
……けれど、概ね世間での評価と一致する。
同調するべきだろうか。
否、と気付かれぬよう、微かに頭を振る。
縦に振ることだけが、‘空気を読む‘ことではない。
場を整えるには、マイナスにプラスをかぶせてやればよい。
天子様の行いは、その様は、‘空気を読む‘ことに長けている私には、いいや、私たちには到底理解できない。
だけど――「だからこそ、総領娘様には、惹かれる所があると思いませんか?」
幾つもの瞳が、同時に瞬いた。
世間の評価など、あやふやでいい加減。
プラスかマイナス、一方が目立てば一方が全く見えなくなる。
そう言ったものは、ほんの少しなにかしらの介入で途端に転じるものなのだ。
「ふむ、発想の転換ね」
「言われてみれば魅力的かもしれません」
「そうそう、思い出したわ、天子様のあれやこれ」
付和雷同と言うなかれ、彼女たちは‘空気を読んだ‘のだから。
「俗なのは年齢によるもの、ご自覚が少々たりないだけ、らしい」
「過剰になれるほどの‘力‘を実際にお持ちなそうな」
「とは言え、近頃は人目につかない所で鍛練中と聞いたわ」
「お胸は、まぁ成長過程ですもの」
「‘空気が読めない‘方だからこそ、‘空気を読む‘ことに慣れている私たちは、どこか憧れる……かもしんない」
にへら、と最後の発言者――先に最年少と言った者だ――が笑った気がした。
……さて。
まだ足りないと思わないでもないが、これ以上は故意的な物言いになってしまう。
私の発言理由は、場の雰囲気を中和すること。
それ以上でも以下でもない。
後は、流れに任せよう――。
「比那名居様をお待たせするのもいけません。誰か、天子様の目付役に立候補する者は?」
発言をしたのは私に比那名居様へと接触するよう促した者だったが、その意見は皆の総意だろう。
ちらりちらりと窺う視線を互いに投げかける友人たち。
評価は落ち着いたが、何分急な話だ、早々手は上がらない。
しかし、待たせた上に何も決まっていないと言うのも拙かろう。
仕方ない――胸の内でそう思い、私は一歩踏み出した。
「……誰もいませんか。では、音頭を取っていた私が致しましょう」
む?
「気が変わりました。私も名乗りを上げますわ」
むむ。
「お話を聞いていると、興味深い方ですね」
「聊か退屈していた所ですし」
「じゃあ私もー!」
むむむ。
……いけないいけない、少し表情が硬くなってしまった。
皆から顔を背け、やんわりと頬を一度打つ。
考えてみれば顰め面をする理由などはない。
それどころか、万事OKではなかろうか。
だが、今一度私の能力を思い出して頂きたい。
私は、‘空気を読む程度の能力‘の保持者。
この流れに乗らない訳にはいかない。
いかないったら、いかない。
「だったら、あの、私も」
おずおずと切り出すと、ぐりんと皆の視線が此方に向いた。
加えて開いた両手も差し出されている。
あー……。
「どうぞどうぞ」
なんだこの茶番。
「や、その、やっぱり辞退しま」
「衣玖が退くならば、私がお受けしましょう」
「あ、あ、絶対に嫌と言う訳では」
「わかりました、それでは衣玖に任せましょう」
「いえ、他に何方かいるならば」
「あーもぅ、ほんっと衣玖って面倒くさくて可愛いなぁ」
「仕方なくですよ? 仕方なく――」
……あれ、今一瞬流れがおかしくなったような?
首を捻る私に、やはりと言うか、すかさず手が向けられた。
「どうぞどうぞ」
浮かびかけた言葉を飲み込む。
微笑を浮かべる友に、半眼を向けた。
……そう言う表情をできているか、正直自信はない。
ともかく、これにて決着だ。
「衣玖、何故だか顔が緩んでいるわ」
笑う友の言葉に、自身の頬を打つ。心持強め。
「では、改めて……天子様の目付役、この私、永江衣玖が承りますわ」
――そう言った訳で、この日より、私は公式に天子様の傍にいられるようになったのだ。ハレルヤ!
<了>
《竜宮の使いの雑談》
「ねぇ亜玖、衣玖ってなんであぁなの?」
「‘あぁ‘扱いですか」
「んー、じゃあ、へたれー」
「衣玖は、誰よりも‘空気を読む‘ことに長けています」
「だよね? 色恋沙汰も器用にこなしそうなのに」
「‘力‘が裏目に出たのでしょう。色恋沙汰に付き物の雑事を恐れていた」
「奪い奪われ妬んで嫉んで……ひっくるめて、醍醐味でしょ?」
「衣玖はそう捉えなかった。ですから、‘あぁ‘なのです」
「そっか。なら、天子様が初恋かぁ。……あ」
「私たちにできることは、精々生温かく応援することくらいです」
「うわぁ、いい笑顔。ところでさ」
「はい?」
「衣玖って、天子様のこと、‘総領娘様‘って呼んでたよね?」
「名前で呼ぶのが恥ずかしいのでしょう。ほんと、へたれー」
「でも、さっき、天子様って言ってなかった?」
「――きっと、ふふ、抑えようがないほどに、嬉しかったのでしょう」
《視線の先には、軽やかに比那名居へと近づく衣玖が映っていた。スキップしてやんの》
いろんな髪型の衣玖さんもどきが雲間にたゆたう絵面を幻視いたしました。ハレルヤ!
そして、みんな空気読みすぎやw
衣玖さんかわいいよ衣玖さん