目を伏せた彼女は美しすぎて、私なんかが触れていい存在には到底思えないから。
私はいつまでたっても彼女に触れることができないのです。
雛はね、とっても綺麗なんだ。
長い髪の毛、長い手、くびれた腰に女性らしさを感じて、ちんちくりんの私なんか釣り合わない。
フリルのたくさんの可愛らしいドレス、機能性重視でポケットがたくさんついた私の服とは大違い。
「……キス、や?」
「ごめん、まだ恥ずかしくてできない……」
「にとりからしてくれるの待ってるわ」
たくさんのキスをほっぺにもらって、なでなで、よしよしされて大人しく帰る。
デートから帰宅するといつも最大級の自己嫌悪に包まれて、行く前のハッピーな気分は全て消え去ってしまう。
「ひなぁぁ、うーキスしたいけどできなくってごめんねぇぇ」
ベッドでごろごろ転げまわると、ゆりかごに揺られてるみたいで少し落ち着く。
抱き枕を抱きしめて雛のことを思うと胸が苦しくなる。
あと一歩なのに、その一歩が踏み出せなくって今日もやっぱりダメで。
雛に寂しい作り笑いさせてしまったことに胸が痛んだ。
「……ぐすん」
あれはいつのことだったかな。
川岸で夢中になって機械いじりをしていたんだ。そしたら工具が後ろに置いてあるのに気付かなくて川に落っことしてしまった。
金銀でできた工具なんかじゃないけれど、使い込んだ大切な相棒。
失くすなんてまっぴらごめんで急いで川中に飛び込んで追いかけた。
河童だから泳ぎは得意ですぐに追いつくと思ったのに、だいぶ下流まで流されてしまったようで見つからなかった。
あんまり下流に行くと人里に出てしまう。
河童は恥ずかしがりの種族で、その中でも私はとびきりの恥ずかしがりだから諦めて川沿いに山を登っていった。
もうね、泣きたい気分だった。けっこういい感じで製作も進んでたのに何もやる気がなくなっちゃいそうだったんだけど。
「あの、河童さん? これ……あなたの落し物じゃないかしら?」
私はね、水底に失くしたはずのものを届けにきてくれた女神様に出会ったんだ。
雛は私の女神様。厄神とか関係ない。
あの日出会ったのは運命で、川に落っことした工具は戻ってきたけれど、そのかわりに私は恋に落っこちた。
あんなに綺麗で可愛い女神様と、
「お付き合いできるなんて幸せすぎてどうにかなっちゃうよぅ……!」
雛のために、何ができるかな。
ほんとに大好きなんだってこと、どうやったら伝えられるかな。
思い出せ、考えるんだ。何か欲しいものとか言ってなかったっけ?
『ちゅ、ちゅー…りっぷがほしい』
「……あった!!」
真っ赤なリボンが似合う雛だから、きっと赤がいいだろうと思って赤いチューリップの球根を何個か買ったんだ。
河童の中にもエンジニアじゃなくって園芸好きの子だっているもんだからね、あんまり苦労はしなかったよ。
秋口に土にうずめて、冬の間、水と雛への愛をたっぷりやりながら育ててあげた。
土の布団をかぶって眠っている球根が花開くことを今か今かと願いながら、
数日おきのデートのたびに恥ずかしくて、申し訳なくて雛の唇に触れられない日々を過ごした。
「にーとりっ!」
「う~あぅ……」
今日もダメ。仕方ないわねと、おでこにキスされて子ども扱いされてしまう。
口惜しいから雛の胸に顔をぐりぐり押し付けてたわわな双丘を味わうけれど、余計に子ども扱いされてしまって。
「ひなー、だいすきだよーぅ」
「知ってるわ」
「もうちょっと待っててね、うぐぐ」
「ええ、楽しみにしてるわね。よしよし」
やっぱり、嬉しいやら恥ずかしいやらのデートなのだった。
*
風に春の香りが混じるようになってきた頃、赤くこじんまりした花が咲いた。
目が覚めるような色で、こうしちゃいらんない!って慌てて支度した。
雛を思い出して、雛の笑った顔が見たくて、鉢植え抱えて雛との待ち合わせ場所に駆けて行く。
「今日こそ雛とちゅーするぞーー!!!」
待ってて私の女神様、少しだけなら喜ばしてあげられるかもしれない。
草花芽吹く森の奥に、雛との待ち合わせ場所がある。
わざと遅れて行くと雛がそこで草冠を作ったり小鳥と一緒に歌っている姿が見られるけど、今日はそんなことはしない。
私のふっくらシルエットとは違う、女性らしいスラリとしたシルエットを認めて足を速めた。
「ひ、ひなっ、これあげる!」
「あら可愛い花。どうしてこれを?」
「えっ、だって雛、チューリップ欲しいって……?」
くるり、くるくる私の周りを回って笑っている。
「そんなこと言ったかしら?」
「じゃ、じゃあ聞き間違えたの、かも……」
「でも赤いチューリップ嬉しいわ、お家の出窓に飾ろうと思うの」
「それは、うん。きっと似合うよ、私も嬉しいし」
何だ、私の勘違い、だったのか……あーぁ、かっこわる……。
「うふふ、にとり、赤いチューリップの花言葉って知ってるかしら?」
「うぇ? いいや、全然。そういったことはどうも疎くってね」
「『愛の告白』っていうのよ」
「ひゅいっ!?」
己の無知と、まさかの展開すぎて頭に血が上っていくのが分かる。
これは、きっとそういう展開になっちゃうわけで。いつまでも恥ずかしがってなんていられないわけで。
雛の唇に、私の唇が触れてしまうのだ……あぁっ。
がんばれ私! 今日こそ一歩踏み出すって決めたじゃないか!!
「にーとーりー」
「は、はいっ」
「私のこと好き?」
「好き、大好き!」
「私も大好きよ、可愛い河童さん」
「ひな、ち、ちかいっ……」
「きっと聞き間違えたのは、『ちゅう・りっぷ』よ」
あぅ、おでこゴチンってされた。
彼女の息遣い、人形みたいに整った顔、長い睫、全部が近い。
完成された美しすぎる彼女が私に求めている。いつまでも逃げてないで応えないと。
「ひなー」
「はい、なぁに?」
「りっぷに、ちゅうしてもいい?」
「ええ、もちろん」
女神様からの許しはとっくの昔に出ているから、あとは私がしたいことをしよう。
罰なんて当たらない。ねぇ、女神様、大好きだよ?
目を閉じて、そろそろっと近付いて、魔法の呪文を。
「ちゅうりっぷ」
そぅっと触れた。
柔らかすぎて溶けちゃいそうで頭がどうにかなりそうで。
私と雛が唇を通してくっついてしまったかのような気分になった。
感触を確かめるように、唇をむにに、と動かすと……笑われた。
「……ひなぁ?」
「ふふっ、はい、なぁに?」
「……愛してます」
お願いだから、笑わないで。必死なんだから。本気なんだから。
「私は厄神よ?」
「女神だよ」
「にとりを不幸にしちゃうかも」
「今まで一緒にいて、むしろどんどん幸せになってく一方なんだけど?」
目と目が合って、もっと見つめていたくなった。
だけど、見つめ合うだけじゃなく、これからは同じ方向を向いて行きたいんだけど……なぁー?
「じゃあ……、このチューリップをどう配置するか考えないとね?」
「そ、それって、つまり、えーっと…??」
「にとり、愛してます」
とろんっと心底幸せそうな微笑みと共に草冠がかけられて手をぎゅっと掴まれた。
これじゃあまるで、あーその、ね? けっ、結婚式みたい……な??
「ひぃなぁああ一緒に幸せになろーねー」
「ええ、にとり」
女神様は相変わらずお綺麗で掴む手も私とは違いすぎていたけれど。
ひるむことなく力強く握り返してやったんだ。いつまでもヘタレな私じゃないよ!!
ぴちちちっと、小鳥たちの鳴き声がやけに綺麗に響いていて、祝福されてるような気分になっちゃったのです。
リップにって言うシチュエイションが想像出来ないw
これが「萌え」の本来の使い方であろう
雛祭り!!
遅れても雛祭りじゃ!!
これはよい雛祭りですな。