「明日、梅の花を見に行きましょう」
紫さんからの伝言を聞いたのは日が山に沈もうかという頃合だった。
伝言を持ってきたのは彼女の式神である八雲藍。夕飯時であるというのに大変なことである。
その場で二つ返事で了承を出す。
ここ最近は家に篭って執筆ばかりだったし、生来体が弱いこともあって、冬はあまり外に出ないことが多い。今年はもう四月にもなろうというのに寒さは引かず、いい加減家に篭っているのにも飽きてきたところのお誘い。断る理由はなかった。
その晩は少々浮ついた気持ちで床に就いた。久々のお出かけともなれば、しかもここ数年は縁のなかった梅の花見である。気分が高揚しても仕方の無いところだ。天気の心配はしなかった。相手はあの八雲紫である。天候を変えることなど造作もないはずだから。
三月、それも終盤となれば徐々に寒気は鳴りを潜め、春の暖かさが顔を覗かす時期。しかし、今年の寒気はしぶとく幻想郷に居座り、氷精や冬の妖怪を喜ばせている。今朝も空気は肌を刺すように冷たかった。だが天気は快晴。何時もの服に羽織を一枚余計に被り、襟巻をして家を出た。家の者は私の体調を気遣い、駕篭を使うようしきりに勧めてきたが、外を久しぶりに歩きたかったので断った。
十分も歩けば目的地へと到着した。
同じく梅の花を見に来たのであろう人とすれ違う。守谷神社の分社の周りは梅の花が景色を染めるように咲き始めていた。この守谷の分社は元々朽ちていた神社を改修したものである。人間からも信仰が欲しいとのことらしい。この梅の木々もその際に手入れされ、今ではそれなりに里の名所となっている。
まがりなりにも神が手入れをしたせいだろうか、梅の花は小さく自己主張するように咲き誇り、何度か思わず立ち止まって見上げるほどの風情があった。
待ち合わせの鳥居の下、そこに八雲紫が所在なげに佇んでいた。いつもの陰陽印の入った服。なのに何故か梅の花と合う気がするのは、彼女本人が持つ雰囲気のせいだろうか。
「すいません、お待たせしちゃいましたか」
「いいのよ、誘ったのはこっちなのだし。それに、私も今来たところよ……と、返すのがお約束だったかしら」
まるで初心な恋人の会話だと思ったが、相手があの紫さんでそんなことはありえないと思う。
「まぁいいわ。私にとって時間は無限に等しいけれど、あなたに取っては有限ですものね。行きましょう?」
「ええ、そうですね」
聞こえようによっては照れ隠しに聞こえる科白。もしかしたら、彼女なりの世辞であったかもしれない。
足並みを揃えて鳥居をくぐり、階段を上る。一歩先をいく八雲紫の後を梅の花を見上げながらついていく。
梅の花を見ていて、ふと気づいた。こうやって梅の花見をするのは初めてのことだ、と。梅そのものは、家の庭先にも植えてあるので何度も見ているが、こうやって外に出てみることなど初めてのことだったのだ。まぁこの時期は気温の変化も激しいので、小さい頃は風邪を引き、成長しても寒さを嫌ってあまり外出していない。だから、こんなにも梅の花が新鮮に感じるのだろう。
そんな愚にもつかぬ事を考えていたら階段を踏み外した。
「……あっ」
声を出すいとまもあらばこそ。
何かにすがろうとを探して無意識に伸ばした手が掴まれたと思った瞬間、引き寄せられ、ぼふっと柔らかいものに包まれた。
「上ばかり見ているから足元がお留守になるのよ」
どうやら咄嗟に手を引いて、引っ張りあげてくれたようだ。抱きしめられた格好になっている。むう、大きい。
「いえ、ありがとうございました」
そのまま寝付いてしまいそうなくらいの包容力に負けそうになったが、気力を振り絞って体を離す。何故、そんな残念そうな顔をするんですか。
気を取り直し、階段を上がろうとしてすっと手を繋がれた。
「また転んではいけないものね」
さすがにそこまで子ども扱いされるのは心外だったが、事実転んだ手前黙っているしかない。でも、握られたその手は温かかった。
階段を上がり、二人で参道を通って境内をのんびりゆっくりと回る。売店で販売していた三色団子と梅酒を持って、お目当ての赤く染まった梅の木の下に腰を下ろす。
周囲に人影はなく、風が梅の花をなでる音だけが響く。風情のある、いい雰囲気ではあったけど、少し寒い。思わず襟巻を寄せてしまう。
「あら、寒い?」
心配されたので平気ですと答えて梅の木に寄りかかった。頭の上には梅の花が赤々と咲いている。するとすぐ隣に腰を下ろされた。と思ったら木に寄りかかっていた私の体は引っ張られて横に体勢が崩れた。自分の意志とは関係なく、いきなり仰向けになった。視界には梅と紫さんがいる
「案外お酒に弱いのね。少し酔いを醒ましたほうがいいわね」
「……でも、紫さんの膝を借りるのは……」
後が怖い。いや、今更かな。ほどよく柔らかくてその上そっと撫でられると気持ちよくて動けなくなってしまう。
照れくさくて眼を瞑る。最後に写ったのはこちらを覗きこんで微笑む八雲紫の顔。お母さんじゃないんだから。
そんなことを考えていたせいか、ふと思ったことを口に出してしまった。
「紫さんは梅が似合いますね、意外と」
「褒めてくれるのは嬉しいけれど、一言余計ね」
酔いが覚めるまで膝の上で休ませてもらった。その後、もう一度のんびりと巡ってお開きとなる。
帰りの階段でも手を繋がれて恥ずかしかったけど、その手が頼りになったのも否定できない。
「梅が終わったら次は桜ね」
「そうですね。四月になったら」
今日は最初から最後まで紫さんに甘えきってしまった気がする。後が怖い。でも、少し嬉しいと感じてしまう自分が複雑でした。
紫さんからの伝言を聞いたのは日が山に沈もうかという頃合だった。
伝言を持ってきたのは彼女の式神である八雲藍。夕飯時であるというのに大変なことである。
その場で二つ返事で了承を出す。
ここ最近は家に篭って執筆ばかりだったし、生来体が弱いこともあって、冬はあまり外に出ないことが多い。今年はもう四月にもなろうというのに寒さは引かず、いい加減家に篭っているのにも飽きてきたところのお誘い。断る理由はなかった。
その晩は少々浮ついた気持ちで床に就いた。久々のお出かけともなれば、しかもここ数年は縁のなかった梅の花見である。気分が高揚しても仕方の無いところだ。天気の心配はしなかった。相手はあの八雲紫である。天候を変えることなど造作もないはずだから。
三月、それも終盤となれば徐々に寒気は鳴りを潜め、春の暖かさが顔を覗かす時期。しかし、今年の寒気はしぶとく幻想郷に居座り、氷精や冬の妖怪を喜ばせている。今朝も空気は肌を刺すように冷たかった。だが天気は快晴。何時もの服に羽織を一枚余計に被り、襟巻をして家を出た。家の者は私の体調を気遣い、駕篭を使うようしきりに勧めてきたが、外を久しぶりに歩きたかったので断った。
十分も歩けば目的地へと到着した。
同じく梅の花を見に来たのであろう人とすれ違う。守谷神社の分社の周りは梅の花が景色を染めるように咲き始めていた。この守谷の分社は元々朽ちていた神社を改修したものである。人間からも信仰が欲しいとのことらしい。この梅の木々もその際に手入れされ、今ではそれなりに里の名所となっている。
まがりなりにも神が手入れをしたせいだろうか、梅の花は小さく自己主張するように咲き誇り、何度か思わず立ち止まって見上げるほどの風情があった。
待ち合わせの鳥居の下、そこに八雲紫が所在なげに佇んでいた。いつもの陰陽印の入った服。なのに何故か梅の花と合う気がするのは、彼女本人が持つ雰囲気のせいだろうか。
「すいません、お待たせしちゃいましたか」
「いいのよ、誘ったのはこっちなのだし。それに、私も今来たところよ……と、返すのがお約束だったかしら」
まるで初心な恋人の会話だと思ったが、相手があの紫さんでそんなことはありえないと思う。
「まぁいいわ。私にとって時間は無限に等しいけれど、あなたに取っては有限ですものね。行きましょう?」
「ええ、そうですね」
聞こえようによっては照れ隠しに聞こえる科白。もしかしたら、彼女なりの世辞であったかもしれない。
足並みを揃えて鳥居をくぐり、階段を上る。一歩先をいく八雲紫の後を梅の花を見上げながらついていく。
梅の花を見ていて、ふと気づいた。こうやって梅の花見をするのは初めてのことだ、と。梅そのものは、家の庭先にも植えてあるので何度も見ているが、こうやって外に出てみることなど初めてのことだったのだ。まぁこの時期は気温の変化も激しいので、小さい頃は風邪を引き、成長しても寒さを嫌ってあまり外出していない。だから、こんなにも梅の花が新鮮に感じるのだろう。
そんな愚にもつかぬ事を考えていたら階段を踏み外した。
「……あっ」
声を出すいとまもあらばこそ。
何かにすがろうとを探して無意識に伸ばした手が掴まれたと思った瞬間、引き寄せられ、ぼふっと柔らかいものに包まれた。
「上ばかり見ているから足元がお留守になるのよ」
どうやら咄嗟に手を引いて、引っ張りあげてくれたようだ。抱きしめられた格好になっている。むう、大きい。
「いえ、ありがとうございました」
そのまま寝付いてしまいそうなくらいの包容力に負けそうになったが、気力を振り絞って体を離す。何故、そんな残念そうな顔をするんですか。
気を取り直し、階段を上がろうとしてすっと手を繋がれた。
「また転んではいけないものね」
さすがにそこまで子ども扱いされるのは心外だったが、事実転んだ手前黙っているしかない。でも、握られたその手は温かかった。
階段を上がり、二人で参道を通って境内をのんびりゆっくりと回る。売店で販売していた三色団子と梅酒を持って、お目当ての赤く染まった梅の木の下に腰を下ろす。
周囲に人影はなく、風が梅の花をなでる音だけが響く。風情のある、いい雰囲気ではあったけど、少し寒い。思わず襟巻を寄せてしまう。
「あら、寒い?」
心配されたので平気ですと答えて梅の木に寄りかかった。頭の上には梅の花が赤々と咲いている。するとすぐ隣に腰を下ろされた。と思ったら木に寄りかかっていた私の体は引っ張られて横に体勢が崩れた。自分の意志とは関係なく、いきなり仰向けになった。視界には梅と紫さんがいる
「案外お酒に弱いのね。少し酔いを醒ましたほうがいいわね」
「……でも、紫さんの膝を借りるのは……」
後が怖い。いや、今更かな。ほどよく柔らかくてその上そっと撫でられると気持ちよくて動けなくなってしまう。
照れくさくて眼を瞑る。最後に写ったのはこちらを覗きこんで微笑む八雲紫の顔。お母さんじゃないんだから。
そんなことを考えていたせいか、ふと思ったことを口に出してしまった。
「紫さんは梅が似合いますね、意外と」
「褒めてくれるのは嬉しいけれど、一言余計ね」
酔いが覚めるまで膝の上で休ませてもらった。その後、もう一度のんびりと巡ってお開きとなる。
帰りの階段でも手を繋がれて恥ずかしかったけど、その手が頼りになったのも否定できない。
「梅が終わったら次は桜ね」
「そうですね。四月になったら」
今日は最初から最後まで紫さんに甘えきってしまった気がする。後が怖い。でも、少し嬉しいと感じてしまう自分が複雑でした。
あっきゅんは身体に気をつけて。