命連寺に所属する妖獣――寅丸星は困惑していた。
第十四試合を勝利した自分の主である聖白蓮は試合が始まる前、消沈しているように見えた。しかし蓋を開けてみれば、狼女の今泉影狼を戦意喪失させ圧勝という結果に終わった。相手の懐へ瞬時に移動する戦法は白蓮の得意とするものであるし、妖怪を傷つけないという戦い方は星の思う聖白蓮という心象に当て嵌まる。しかし、それにしても先程の白蓮は、いつも以上に強すぎる、というのが星の率直な感想だった。
試合を終え、白蓮を含め八人で通路を歩く最中も、星はその事で頭が一杯だった。
――そういえば聖は戦う前、命連様の話をしていた。もしかしたら、何か関係が……?
考え事をしながら歩いていたせいで、歩みを止めていたナズーリンにぶつかってしまう。
「ああ、すみませんナズー……リ……」
気付けば、自分以外の面々が既に立ち止まっている。全員前を向いていて、つられて自分も目を向ける。そこには一回戦第二試合の勝者である紅美鈴が通路の真ん中に立ち、白蓮を見据えていた。
「あなたは確か……紅……美鈴さん?」
名前を思い出す白蓮と美鈴の間に、へらへらと笑いながら二ッ岩マミゾウが割り込んだ。
「うちの大将殿に何か用かの? 戦い方が気に入らない、などという物言いなら間に合っとるぞ」
美鈴は動じることなく白蓮を見据える。訝しく思いつつも何かを悟ったマミゾウは横にずれ、白蓮と美鈴が対峙する。
「何か……御用でしょうか?」
「聖白蓮さん。同じトーナメント参加者なのは承知の上、恥を忍んで頼みたい」
美鈴は自らを示すように手を胸に当てる。
「あなたの技を……私に教えてほしい!」
「……え?」
白蓮同様他の面々も目を丸くする中。自分が思っている以上にややこしい事になるかもしれない、と星は何となく思った。
試合開始時間が近付く闘技場の通路。
月の兎である鈴仙・優曇華院・イナバが待機するべく通路を進むと、そこには藤原妹紅が壁に腰かけていた。
「あなたは……」
「別に気にしないでくれ。ちょっと早く来ただけだよ」
試合が再開する感覚を何となく分かってきたのか観客の歓声が徐々に大きくなる中、二人の間には少しの沈黙が訪れた。
「お前も災難だな。輝夜の思いつきに振り回されて」
「平気です。もう慣れましたから」
一言でまたも会話は途切れる。こんなに素っ気無い奴だったか、と疑問に思う妹紅の鼻をある臭いがくすぐった。
「お前……臭うな」
その言葉に鈴仙は最も大きく身体を反応させた。
「前にお前達の屋敷に行って……永琳の部屋の――」
妹紅が話す最中、選手入場を促す放送が響く。すぐさま鈴仙は闘技場に向かい歩き出す。
「てゐと違って永遠亭に住んでますから。お師匠様の部屋の香りが移るのは当然でしょう」
それもそうか。と妹紅が呟く中、鈴仙はほんの少しだけ安堵する。『それ』が禁止されているという規則はないが、『何かしらの行為によって審判全員に失格と判断される』という失格の基準がある以上、あくまでも暗黙的にそれを使用したかった。
――確かに私は姫の思いつきに振り回されている。でも、あなたは分かってない。それでも、私は姫とお師匠様に恩がある。だから、姫に余計な手は煩わせない。姫と戦う資格がなければ躊躇なく排除する。あなたも、目の前の神も。
闘技場の地に踏み入った鈴仙の見据える先、乾を操る神である八坂神奈子が既に闘技場にいた。相撲の四股の様に右足を高く上げて振りおろす。神によって行われた四股踏みはそれだけで闘技場全体を震わせていた。
「お客さんにはサービスしないとね」
閻魔に促され、両者は対峙する。
「実際、神奈子の腕っぷしを見るのは初めてかもな」
魔理沙が楽しそうに闘技場を眺める中、霊夢は訝しげな眼で闘技場を眺める。その視線は鈴仙の方を向いているようだった。
「どうしたんだ?」
「今更だけど……この試合は弾幕以外何でもありなのよね」
「なんだ突然? そうだな。兎はあの変な形の弾幕を使えないから、有効な技はあの『眼』くらいだな。ま、神に通用すればの話だけどな」
とある天人が異変を起こした際、鈴仙の戦術は弾幕を主に扱う他にあったはず、と霊夢は記憶を辿る最中、闘技場では既に鈴仙と神奈子は試合開始の位置に立っていた。
「一回戦第十五試合、始め!」
鈴仙、神奈子共に真っ直ぐ相手に向かい歩いて距離を詰めていく。
既に鈴仙と眼を合わせている神奈子を見て妹紅は反応する。鈴仙は狂気を操る程度の能力を持ち、眼から放たれる波長にその要素がある。鈴仙と戦う際の絶対条件として、目を合わせない事が当て嵌まるのだが、神奈子は最初からそれを犯していた。
微笑んだ鈴仙は、突如神奈子の視界に映らなくなった。これも鈴仙の能力である。神である神奈子もさすがに動きを止める。しかし、既に鈴仙は彼女の後方に飛んでいて、その延髄に向けて足刀を振り下ろす。その足を神奈子は後ろを向いたまま掴んだ。
「え……?」
「見えないだけなら問題ない。あんたの位置を知る方法なんてごまんとあるんだから」
驚いた鈴仙に向けて、笑う神奈子はそのまま後方に回り、勢いのまま鈴仙の胸に張り手を当てた。鈴仙は地面に触れる事無く平行に吹き飛び、結界に当たり鈍い音を響かせる。
「どうだい神の突っ張りは。そのまま寝てたいくらい苦しいだろう?」
鈴仙の身体は重力に引かれ地面に両膝を着く。しかしそこからあっさりと立ち上がった事に神奈子は感心した。
「これは嬉しい誤算だね。まぁ、一回戦とはいえあっさり終わっちゃあ、お客さんも楽しくない」
神奈子は腰を低く落とし両手を着く。それは第八試合で二ッ岩マミゾウと河城にとりが行った相撲の仕切りの構えのようだった。
神奈子の挑発に乗ったのか鈴仙はそのまま歩き距離を詰めていく。まるで相撲を開始する間合いまで歩き、しかし神奈子と違い棒立ちでいる。
「相撲の事はよく分からないから、このままでいいかしら」
「了解。じゃあ、私の両手が地面に着いたら始まるってことだけ教えとくよ」
瞬間、鈴仙は少しだけ足が下がる。神奈子から放たれる霊力の迫力は、彼女に大蛇を連想させた。
――恐れる必要はないわ。私には……。
「はっけよい!」
言葉と同時に神奈子は地に拳を着け、瞬間跳ぶ。それに合わせる様に鈴仙は真上に跳び、向かって来る神奈子の顔面を両足で踏み抜く。
「河童と狸の試合と違って、飛んだら負け、なんてルールはないでしょう?」
「違いない」
渾身の一撃を当てたと思ったにも関わらず相手が口を利いた事に鈴仙は驚愕する。
「プロレス技を狙ってたのは私も同じさ」
両足を掴んで鈴仙の身体を捻り、右手で後ろ襟を掴み、掲げる。
「それじゃあ私も遠慮なく飛ぶよ!」
両足に力を入れ、神奈子は力強く真上に飛ぶ。
――上空から落ちる勢いを着けて私を地面に叩き付ける気ね! でも問題ない。この高さからならあなたの波長を操って……。
神奈子の飛ぶ勢いが全く衰えない事に途中で困惑し、気付く。
――違う、地面じゃない!
そのままの方向と速度で神奈子は飛び続け、その終点である天井の結界に鈴仙は叩き付けられた。
「はっ……が……!」
「ま、これで潰れるのは蛙だけか」
結界に張り付いた鈴仙を残し、神奈子は着地する。
「お見事です神奈子様ー!」
選手出入口ではしゃぐ早苗に向け、神奈子は親指を上げた。
その後方で落ちてきた鈴仙は、何事もなく着地していた。
「!?」
あの傷で立てるのか、と神奈子は戸惑いつつも、向かってきていると直感し、振り向きざまの裏拳を放つ。しかしその拳は目でも捉えた鈴仙をすり抜ける様に空振りする。
「波長を操ったから当たらない」
鈴仙が放った只の踵落としは神奈子の肩に直撃する。
「はっ。こんなんじゃ怯みさえしないよ!」
すぐさま反撃に移った神奈子の打拳は、姿が半透明になったような鈴仙を通り抜け、またも空振りする。
「もう当たらないって言ったでしょ?」
仕返しとばかりに鈴仙は手刀を放つ。神奈子はそれを腕で防ごうとする。しかし鈴仙の手は自らの腕を通り抜け、首に当たった。
その戦いを見る妹紅は困惑していた。
――兎に攻撃が当たらないのは目を見たあいつの自業自得だ。問題はそこじゃない! ……何で兎にダメージがない!?
鈴仙は自分みたいに不死ではないし飛びぬけて丈夫な妖怪ではないはず。妹紅が思う中、その戸惑う様を見に来たかのような様子で二つの人影が通路の奥から現れる。
「輝夜……永琳」
鈴仙が仕える者達である、月の姫君の蓬莱山輝夜、竹林の医者である八意永琳。その内の輝夜が闘技場と分断する結界の側まで近付き、試合を眺める。
「凄いわね、あの地上の神」
試合はそれでも鈴仙が優勢ではなかった。鈴仙が波長を戻す瞬間を狙い、相討ちで神奈子も攻撃を当てていた。両者徐々に傷が増えていくも、互いに弱る気配はない。それが妹紅にとっては違和感を覚えるものだった。
そして妹紅は疑問を確認するために永琳の前に立つ。
「あら、試合を見ないでいいのかしら」
「……やっぱり同じ臭いだ。同じ家で生活してるからって、あの兎とあんたの臭いがここまで似るのはおかしい」
輝夜は目を闘技場に向けたままで振り向こうとはしない。神奈子が空手や合気など様々な武術で鈴仙に攻撃を与えていくも、一向に倒れる気配はない。
「御名答。ウドンゲから香る臭いは目印よ。あの子がちゃんと適量だけを口にしてるか確認できるために」
永琳の言葉で妹紅は確信する。
「やっぱりあの兎、あんたが何か飲ませたのか」
「えぇ」
悪びれる様子もなく、永琳はその薬の名をあげる。
――国士無双の薬。
客席の霊夢が放ったその言葉を知らない幽香は疑問を示す。
「何かしらそれ」
「永琳が作った薬よ。使うのは兎だけど」
「ふーん。要するに、あの兎さんは主の医者に薬を飲まされた、という事ね。でも、言う程山の神を圧倒してるようには見えないけど?」
「戦えば分かるわ。あれは防御特化なのよ。でも実際、それでも十分よ。神奈子の攻撃を真正面から受けて反撃できるんだから」
「へぇ、それはそれは……」
闘技場の神奈子は困ったように鈴仙から間合いを離す。
「厄介だねぇ」
鈴仙は既に傷だらけで、口元は鼻血を拭った後で赤く染まっている。しかしこの試合で一度も膝を着かないどころか、神奈子の攻撃に対しほとんど怯まない。初めは神奈子の派手な攻撃で叫んでいた観客も鈴仙の不気味な不死身さに戸惑っていた。
「一瞬しかあんたに触れられないんじゃ関節も極められやしない」
鈴仙は何も語らず、黙って神奈子へ向かい歩く。ずらした視線の先には、主である輝夜達と共にいる藤原妹紅の姿が映った。
――姫は二回戦で藤原妹紅の友人と戦う。姫が勝ち上がるのは当然として私はあなたを見定めなければいけない。あなたが準決勝まで行き、姫様と戦うのにふさわしい者なのか!
鈴仙は背筋を伸ばし、体勢を変える。勝負を決める気だと霊夢が思う中、鈴仙はそのまま歩み続ける。
「そろそろ疲れたんじゃないかい? やせ我慢は身体によくないよ?」
神奈子の挑発に反応するかのように鈴仙は走った。
――えぇ、やせ我慢よ。薬を飲んだって、痛いものは痛い。
鈴仙は跳び、中空で踵落としを放つ。その足首を砕こうと神奈子は鈴仙の踵が自分の肩に当たる瞬間、右の拳で反撃する。しかしその手は空振り、攻撃しようとした鈴仙の姿も消える。まるで映像を巻き戻したかのように踵を振り落とそうとする鈴仙の姿が現れ、隙を見せた神奈子は今のやりとりが罠だった事を悟った。
――藤原妹紅に、そしてこの神に。この私の忠誠と力を見せてあげる!
神奈子に踵落としを放つと同時に鈴仙は技の宣言を行う。
「『ルナティック――」
しかし、鈴仙の踵落としは神奈子の身体をすり抜けた。
「え?」
混乱から数瞬の隙を見せた鈴仙は、突如後ろから腰に手を回される。驚愕する鈴仙の背後を取ったのは当然、対戦相手である神奈子だった。
「悪いねぇ。一瞬しか触れないって言ったけど、嘘さ」
「な……!」
しかし鈴仙の疑問はそれだけではない。
「あなたは今、そこに――」
言おうとして、神奈子が行った事は先程まで自分が繰り出した能力と同じであると鈴仙は気付く。
「あんた、外の世界では人間が神を見れるとでも思ってるのかい?」
地に足を着けた神奈子は小さく笑う。
「あんたのように他人は無理だけど、神に自分の波長を操るくらいわけないさ」
――逃げなければ!
鈴仙は自らの波長をずらし、神奈子の腕から逃れようとする。しかし、自分の身体が神奈子をすり抜けることはできない。
「あんたの思考は大体解った。後は私が、あんたがずらした波長に追いつけばいいだけさ」
「! ……なめないで!」
鈴仙が背後にいる神奈子に思わず放ったのは、ただの肘打ちである。悪あがきで放ったそれは、しかしあっさりと神奈子の顔面を捉える。
――当たった!?
「何驚いてる。せっかく掴んだのに自分から逃げる馬鹿が何処にいる。さて、私も使ってみたいプロレス技があったんだよねぇ」
「プロ……レス……? ふん、何度も同じ技が――」
「天井に叩き付けたのはプロレスでもなんでもないさ。そんなものよりもっと派手なものさ」
薄ら笑う神奈子の両腕は蛇のように鈴仙を捕える。その瞬間鈴仙が感じた雰囲気は、得体の知れない恐ろしいものだった。
――後ろ。
「おりゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
神奈子は上半身を勢いよく後方に反り、掴まれている鈴仙も当然強烈な勢いで引っ張られる。足が地から放れ、視界は高速で動く。にも関わらず鈴仙はその光景が細かく目に焼き付いた。天井のスキマから姿を覗かせる月が視界を通り過ぎ。その後に見えた客席は逆さになっていた。瞬時に逆さになっているのは自らだと悟り、最も手前の客席にいる八雲紫を捉える。紫が楽しそうに小さく笑っている事を不思議と理解できる。しかし視界はさらに上へと昇っていく。闘技場の柵、そして地面へと。
人外が行う戦いにしてはいささか派手と言えるかは分からないが、その技の強力さは神奈子が鈴仙の後頭部を利用して地面に走らせた亀裂の大きさが物語っていた。
「あれが……頭を地面にぶつけた音かよ」
普段輝夜と殺し合いをする妹紅でさえ驚愕する中、神奈子は鈴仙から手を放し、身体は捻らず足と腹筋だけでまるで蛇のように上体を起こした。
人間なら当然、妖怪であってもあの技を喰らえば意識があるか、とほとんどの者が思っていた。輝夜と永琳を除いて。
「甘いわね。本当に甘い」
口元を押さえて笑う輝夜の目には神奈子が映っていた。
「所詮人間と共に生きてきた神。そう思わないかしら妹紅。戦いは何であろうと、相手を殺すまで油断するのは禁忌よ」
「は? ……何言ってる。さすがの兎だってあれを喰らえば……」
「だからあなたも甘いのよ」
輝夜の視界には鈴仙が映る。未だ動く気配はない。
「せっかくだから見ておきなさい、油断した者の末路を……」
後頭部と足のつま先だけが地に触れている鈴仙の身体は動かない。
「…………」
動かない。
「あら?」
輝夜が疑問に思う中、審判達の判断は下る。
「そこまで! 勝負あり!」
闘技場では神奈子が勝ち名乗りを上げる様に右腕を上げ、大技で決めた神を称える様に妖怪が騒ぎ出す。それを見て輝夜は目を丸くせざるを得ない。
「永琳」
「はい」
「負けちゃったじゃない」
「やはり一本では、あの程度かと」
「一本?」
鈴仙の飲んだ国士無双の薬は、一応三本までが限度となっている。その本数を超えると彼女の身体が爆発するらしい。当然、一本だけ飲むのと三本飲むのとでは差が開く。
「ちょっと待って。何で一本だけ?」
「まだ一回戦ですし。一度に飲ませれば、ここで勝っても二回戦で効果が切れてしまいますので」
「何やってるのよ!」
輝夜が溜息を吐く理由が永琳は解らなかった。
「確かに、一本しか飲まなかった兎の、『油断した末路』だな」
妹紅に揚げ足をとられ、口元が引きつる輝夜は永琳を睨む。永琳はにこりと笑みを返すだけだった。
「行くわよ永琳! 兎は置いてくわ」
「次は妹紅の試合ですよ」
「うるさい」
突然現れ騒々しく去って行った者達に苦笑いしながら、妹紅は一つ息を吐く。
「さぁて、待ちくたびれたよ」
長かった一回戦も、遂に最後の第十六試合を迎えようとしていた。
第十四試合を勝利した自分の主である聖白蓮は試合が始まる前、消沈しているように見えた。しかし蓋を開けてみれば、狼女の今泉影狼を戦意喪失させ圧勝という結果に終わった。相手の懐へ瞬時に移動する戦法は白蓮の得意とするものであるし、妖怪を傷つけないという戦い方は星の思う聖白蓮という心象に当て嵌まる。しかし、それにしても先程の白蓮は、いつも以上に強すぎる、というのが星の率直な感想だった。
試合を終え、白蓮を含め八人で通路を歩く最中も、星はその事で頭が一杯だった。
――そういえば聖は戦う前、命連様の話をしていた。もしかしたら、何か関係が……?
考え事をしながら歩いていたせいで、歩みを止めていたナズーリンにぶつかってしまう。
「ああ、すみませんナズー……リ……」
気付けば、自分以外の面々が既に立ち止まっている。全員前を向いていて、つられて自分も目を向ける。そこには一回戦第二試合の勝者である紅美鈴が通路の真ん中に立ち、白蓮を見据えていた。
「あなたは確か……紅……美鈴さん?」
名前を思い出す白蓮と美鈴の間に、へらへらと笑いながら二ッ岩マミゾウが割り込んだ。
「うちの大将殿に何か用かの? 戦い方が気に入らない、などという物言いなら間に合っとるぞ」
美鈴は動じることなく白蓮を見据える。訝しく思いつつも何かを悟ったマミゾウは横にずれ、白蓮と美鈴が対峙する。
「何か……御用でしょうか?」
「聖白蓮さん。同じトーナメント参加者なのは承知の上、恥を忍んで頼みたい」
美鈴は自らを示すように手を胸に当てる。
「あなたの技を……私に教えてほしい!」
「……え?」
白蓮同様他の面々も目を丸くする中。自分が思っている以上にややこしい事になるかもしれない、と星は何となく思った。
試合開始時間が近付く闘技場の通路。
月の兎である鈴仙・優曇華院・イナバが待機するべく通路を進むと、そこには藤原妹紅が壁に腰かけていた。
「あなたは……」
「別に気にしないでくれ。ちょっと早く来ただけだよ」
試合が再開する感覚を何となく分かってきたのか観客の歓声が徐々に大きくなる中、二人の間には少しの沈黙が訪れた。
「お前も災難だな。輝夜の思いつきに振り回されて」
「平気です。もう慣れましたから」
一言でまたも会話は途切れる。こんなに素っ気無い奴だったか、と疑問に思う妹紅の鼻をある臭いがくすぐった。
「お前……臭うな」
その言葉に鈴仙は最も大きく身体を反応させた。
「前にお前達の屋敷に行って……永琳の部屋の――」
妹紅が話す最中、選手入場を促す放送が響く。すぐさま鈴仙は闘技場に向かい歩き出す。
「てゐと違って永遠亭に住んでますから。お師匠様の部屋の香りが移るのは当然でしょう」
それもそうか。と妹紅が呟く中、鈴仙はほんの少しだけ安堵する。『それ』が禁止されているという規則はないが、『何かしらの行為によって審判全員に失格と判断される』という失格の基準がある以上、あくまでも暗黙的にそれを使用したかった。
――確かに私は姫の思いつきに振り回されている。でも、あなたは分かってない。それでも、私は姫とお師匠様に恩がある。だから、姫に余計な手は煩わせない。姫と戦う資格がなければ躊躇なく排除する。あなたも、目の前の神も。
闘技場の地に踏み入った鈴仙の見据える先、乾を操る神である八坂神奈子が既に闘技場にいた。相撲の四股の様に右足を高く上げて振りおろす。神によって行われた四股踏みはそれだけで闘技場全体を震わせていた。
「お客さんにはサービスしないとね」
閻魔に促され、両者は対峙する。
「実際、神奈子の腕っぷしを見るのは初めてかもな」
魔理沙が楽しそうに闘技場を眺める中、霊夢は訝しげな眼で闘技場を眺める。その視線は鈴仙の方を向いているようだった。
「どうしたんだ?」
「今更だけど……この試合は弾幕以外何でもありなのよね」
「なんだ突然? そうだな。兎はあの変な形の弾幕を使えないから、有効な技はあの『眼』くらいだな。ま、神に通用すればの話だけどな」
とある天人が異変を起こした際、鈴仙の戦術は弾幕を主に扱う他にあったはず、と霊夢は記憶を辿る最中、闘技場では既に鈴仙と神奈子は試合開始の位置に立っていた。
「一回戦第十五試合、始め!」
鈴仙、神奈子共に真っ直ぐ相手に向かい歩いて距離を詰めていく。
既に鈴仙と眼を合わせている神奈子を見て妹紅は反応する。鈴仙は狂気を操る程度の能力を持ち、眼から放たれる波長にその要素がある。鈴仙と戦う際の絶対条件として、目を合わせない事が当て嵌まるのだが、神奈子は最初からそれを犯していた。
微笑んだ鈴仙は、突如神奈子の視界に映らなくなった。これも鈴仙の能力である。神である神奈子もさすがに動きを止める。しかし、既に鈴仙は彼女の後方に飛んでいて、その延髄に向けて足刀を振り下ろす。その足を神奈子は後ろを向いたまま掴んだ。
「え……?」
「見えないだけなら問題ない。あんたの位置を知る方法なんてごまんとあるんだから」
驚いた鈴仙に向けて、笑う神奈子はそのまま後方に回り、勢いのまま鈴仙の胸に張り手を当てた。鈴仙は地面に触れる事無く平行に吹き飛び、結界に当たり鈍い音を響かせる。
「どうだい神の突っ張りは。そのまま寝てたいくらい苦しいだろう?」
鈴仙の身体は重力に引かれ地面に両膝を着く。しかしそこからあっさりと立ち上がった事に神奈子は感心した。
「これは嬉しい誤算だね。まぁ、一回戦とはいえあっさり終わっちゃあ、お客さんも楽しくない」
神奈子は腰を低く落とし両手を着く。それは第八試合で二ッ岩マミゾウと河城にとりが行った相撲の仕切りの構えのようだった。
神奈子の挑発に乗ったのか鈴仙はそのまま歩き距離を詰めていく。まるで相撲を開始する間合いまで歩き、しかし神奈子と違い棒立ちでいる。
「相撲の事はよく分からないから、このままでいいかしら」
「了解。じゃあ、私の両手が地面に着いたら始まるってことだけ教えとくよ」
瞬間、鈴仙は少しだけ足が下がる。神奈子から放たれる霊力の迫力は、彼女に大蛇を連想させた。
――恐れる必要はないわ。私には……。
「はっけよい!」
言葉と同時に神奈子は地に拳を着け、瞬間跳ぶ。それに合わせる様に鈴仙は真上に跳び、向かって来る神奈子の顔面を両足で踏み抜く。
「河童と狸の試合と違って、飛んだら負け、なんてルールはないでしょう?」
「違いない」
渾身の一撃を当てたと思ったにも関わらず相手が口を利いた事に鈴仙は驚愕する。
「プロレス技を狙ってたのは私も同じさ」
両足を掴んで鈴仙の身体を捻り、右手で後ろ襟を掴み、掲げる。
「それじゃあ私も遠慮なく飛ぶよ!」
両足に力を入れ、神奈子は力強く真上に飛ぶ。
――上空から落ちる勢いを着けて私を地面に叩き付ける気ね! でも問題ない。この高さからならあなたの波長を操って……。
神奈子の飛ぶ勢いが全く衰えない事に途中で困惑し、気付く。
――違う、地面じゃない!
そのままの方向と速度で神奈子は飛び続け、その終点である天井の結界に鈴仙は叩き付けられた。
「はっ……が……!」
「ま、これで潰れるのは蛙だけか」
結界に張り付いた鈴仙を残し、神奈子は着地する。
「お見事です神奈子様ー!」
選手出入口ではしゃぐ早苗に向け、神奈子は親指を上げた。
その後方で落ちてきた鈴仙は、何事もなく着地していた。
「!?」
あの傷で立てるのか、と神奈子は戸惑いつつも、向かってきていると直感し、振り向きざまの裏拳を放つ。しかしその拳は目でも捉えた鈴仙をすり抜ける様に空振りする。
「波長を操ったから当たらない」
鈴仙が放った只の踵落としは神奈子の肩に直撃する。
「はっ。こんなんじゃ怯みさえしないよ!」
すぐさま反撃に移った神奈子の打拳は、姿が半透明になったような鈴仙を通り抜け、またも空振りする。
「もう当たらないって言ったでしょ?」
仕返しとばかりに鈴仙は手刀を放つ。神奈子はそれを腕で防ごうとする。しかし鈴仙の手は自らの腕を通り抜け、首に当たった。
その戦いを見る妹紅は困惑していた。
――兎に攻撃が当たらないのは目を見たあいつの自業自得だ。問題はそこじゃない! ……何で兎にダメージがない!?
鈴仙は自分みたいに不死ではないし飛びぬけて丈夫な妖怪ではないはず。妹紅が思う中、その戸惑う様を見に来たかのような様子で二つの人影が通路の奥から現れる。
「輝夜……永琳」
鈴仙が仕える者達である、月の姫君の蓬莱山輝夜、竹林の医者である八意永琳。その内の輝夜が闘技場と分断する結界の側まで近付き、試合を眺める。
「凄いわね、あの地上の神」
試合はそれでも鈴仙が優勢ではなかった。鈴仙が波長を戻す瞬間を狙い、相討ちで神奈子も攻撃を当てていた。両者徐々に傷が増えていくも、互いに弱る気配はない。それが妹紅にとっては違和感を覚えるものだった。
そして妹紅は疑問を確認するために永琳の前に立つ。
「あら、試合を見ないでいいのかしら」
「……やっぱり同じ臭いだ。同じ家で生活してるからって、あの兎とあんたの臭いがここまで似るのはおかしい」
輝夜は目を闘技場に向けたままで振り向こうとはしない。神奈子が空手や合気など様々な武術で鈴仙に攻撃を与えていくも、一向に倒れる気配はない。
「御名答。ウドンゲから香る臭いは目印よ。あの子がちゃんと適量だけを口にしてるか確認できるために」
永琳の言葉で妹紅は確信する。
「やっぱりあの兎、あんたが何か飲ませたのか」
「えぇ」
悪びれる様子もなく、永琳はその薬の名をあげる。
――国士無双の薬。
客席の霊夢が放ったその言葉を知らない幽香は疑問を示す。
「何かしらそれ」
「永琳が作った薬よ。使うのは兎だけど」
「ふーん。要するに、あの兎さんは主の医者に薬を飲まされた、という事ね。でも、言う程山の神を圧倒してるようには見えないけど?」
「戦えば分かるわ。あれは防御特化なのよ。でも実際、それでも十分よ。神奈子の攻撃を真正面から受けて反撃できるんだから」
「へぇ、それはそれは……」
闘技場の神奈子は困ったように鈴仙から間合いを離す。
「厄介だねぇ」
鈴仙は既に傷だらけで、口元は鼻血を拭った後で赤く染まっている。しかしこの試合で一度も膝を着かないどころか、神奈子の攻撃に対しほとんど怯まない。初めは神奈子の派手な攻撃で叫んでいた観客も鈴仙の不気味な不死身さに戸惑っていた。
「一瞬しかあんたに触れられないんじゃ関節も極められやしない」
鈴仙は何も語らず、黙って神奈子へ向かい歩く。ずらした視線の先には、主である輝夜達と共にいる藤原妹紅の姿が映った。
――姫は二回戦で藤原妹紅の友人と戦う。姫が勝ち上がるのは当然として私はあなたを見定めなければいけない。あなたが準決勝まで行き、姫様と戦うのにふさわしい者なのか!
鈴仙は背筋を伸ばし、体勢を変える。勝負を決める気だと霊夢が思う中、鈴仙はそのまま歩み続ける。
「そろそろ疲れたんじゃないかい? やせ我慢は身体によくないよ?」
神奈子の挑発に反応するかのように鈴仙は走った。
――えぇ、やせ我慢よ。薬を飲んだって、痛いものは痛い。
鈴仙は跳び、中空で踵落としを放つ。その足首を砕こうと神奈子は鈴仙の踵が自分の肩に当たる瞬間、右の拳で反撃する。しかしその手は空振り、攻撃しようとした鈴仙の姿も消える。まるで映像を巻き戻したかのように踵を振り落とそうとする鈴仙の姿が現れ、隙を見せた神奈子は今のやりとりが罠だった事を悟った。
――藤原妹紅に、そしてこの神に。この私の忠誠と力を見せてあげる!
神奈子に踵落としを放つと同時に鈴仙は技の宣言を行う。
「『ルナティック――」
しかし、鈴仙の踵落としは神奈子の身体をすり抜けた。
「え?」
混乱から数瞬の隙を見せた鈴仙は、突如後ろから腰に手を回される。驚愕する鈴仙の背後を取ったのは当然、対戦相手である神奈子だった。
「悪いねぇ。一瞬しか触れないって言ったけど、嘘さ」
「な……!」
しかし鈴仙の疑問はそれだけではない。
「あなたは今、そこに――」
言おうとして、神奈子が行った事は先程まで自分が繰り出した能力と同じであると鈴仙は気付く。
「あんた、外の世界では人間が神を見れるとでも思ってるのかい?」
地に足を着けた神奈子は小さく笑う。
「あんたのように他人は無理だけど、神に自分の波長を操るくらいわけないさ」
――逃げなければ!
鈴仙は自らの波長をずらし、神奈子の腕から逃れようとする。しかし、自分の身体が神奈子をすり抜けることはできない。
「あんたの思考は大体解った。後は私が、あんたがずらした波長に追いつけばいいだけさ」
「! ……なめないで!」
鈴仙が背後にいる神奈子に思わず放ったのは、ただの肘打ちである。悪あがきで放ったそれは、しかしあっさりと神奈子の顔面を捉える。
――当たった!?
「何驚いてる。せっかく掴んだのに自分から逃げる馬鹿が何処にいる。さて、私も使ってみたいプロレス技があったんだよねぇ」
「プロ……レス……? ふん、何度も同じ技が――」
「天井に叩き付けたのはプロレスでもなんでもないさ。そんなものよりもっと派手なものさ」
薄ら笑う神奈子の両腕は蛇のように鈴仙を捕える。その瞬間鈴仙が感じた雰囲気は、得体の知れない恐ろしいものだった。
――後ろ。
「おりゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
神奈子は上半身を勢いよく後方に反り、掴まれている鈴仙も当然強烈な勢いで引っ張られる。足が地から放れ、視界は高速で動く。にも関わらず鈴仙はその光景が細かく目に焼き付いた。天井のスキマから姿を覗かせる月が視界を通り過ぎ。その後に見えた客席は逆さになっていた。瞬時に逆さになっているのは自らだと悟り、最も手前の客席にいる八雲紫を捉える。紫が楽しそうに小さく笑っている事を不思議と理解できる。しかし視界はさらに上へと昇っていく。闘技場の柵、そして地面へと。
人外が行う戦いにしてはいささか派手と言えるかは分からないが、その技の強力さは神奈子が鈴仙の後頭部を利用して地面に走らせた亀裂の大きさが物語っていた。
「あれが……頭を地面にぶつけた音かよ」
普段輝夜と殺し合いをする妹紅でさえ驚愕する中、神奈子は鈴仙から手を放し、身体は捻らず足と腹筋だけでまるで蛇のように上体を起こした。
人間なら当然、妖怪であってもあの技を喰らえば意識があるか、とほとんどの者が思っていた。輝夜と永琳を除いて。
「甘いわね。本当に甘い」
口元を押さえて笑う輝夜の目には神奈子が映っていた。
「所詮人間と共に生きてきた神。そう思わないかしら妹紅。戦いは何であろうと、相手を殺すまで油断するのは禁忌よ」
「は? ……何言ってる。さすがの兎だってあれを喰らえば……」
「だからあなたも甘いのよ」
輝夜の視界には鈴仙が映る。未だ動く気配はない。
「せっかくだから見ておきなさい、油断した者の末路を……」
後頭部と足のつま先だけが地に触れている鈴仙の身体は動かない。
「…………」
動かない。
「あら?」
輝夜が疑問に思う中、審判達の判断は下る。
「そこまで! 勝負あり!」
闘技場では神奈子が勝ち名乗りを上げる様に右腕を上げ、大技で決めた神を称える様に妖怪が騒ぎ出す。それを見て輝夜は目を丸くせざるを得ない。
「永琳」
「はい」
「負けちゃったじゃない」
「やはり一本では、あの程度かと」
「一本?」
鈴仙の飲んだ国士無双の薬は、一応三本までが限度となっている。その本数を超えると彼女の身体が爆発するらしい。当然、一本だけ飲むのと三本飲むのとでは差が開く。
「ちょっと待って。何で一本だけ?」
「まだ一回戦ですし。一度に飲ませれば、ここで勝っても二回戦で効果が切れてしまいますので」
「何やってるのよ!」
輝夜が溜息を吐く理由が永琳は解らなかった。
「確かに、一本しか飲まなかった兎の、『油断した末路』だな」
妹紅に揚げ足をとられ、口元が引きつる輝夜は永琳を睨む。永琳はにこりと笑みを返すだけだった。
「行くわよ永琳! 兎は置いてくわ」
「次は妹紅の試合ですよ」
「うるさい」
突然現れ騒々しく去って行った者達に苦笑いしながら、妹紅は一つ息を吐く。
「さぁて、待ちくたびれたよ」
長かった一回戦も、遂に最後の第十六試合を迎えようとしていた。
マットと違って地面って硬いよねぇ 割れてるしぃ......ああ今回こそ死んだ(確信)
御柱を見せてない彼女は未だ変身を残している...筈 げに恐ろしきは神の膂力なり
そして遂に作者さんの名前が三つ並んだ......。
さあ一回戦ラストはどんな試合になるかな。