蒸し暑さで目が覚めた。
枕元の目覚まし時計に目をやる。「12:30」 昼過ぎになってらぁ。
今日は一限から授業があったのだが、寝過しちまったものはしょうがねぇ。俺はゆっくりと身体を起こした。
足の踏み場もない、カップ麺の空き容器と漫画、その中で見え隠れするWiiとプレステを尻目に、俺はキッチンへと向かう。
とにかく腹が減った。昨晩から何も食べてないから12時間は胃の中が空っぽだったわけだ、そりゃあ腹が減る。
味も栄養もどうでも良い、俺は一番手早く作れる食事を摂る事とした。 ところがだ
「あれ? パンもねぇし……ちっ! ババアの寄越したインスタント麺しかねぇじゃねーか」
俺は悪態をついた。カップ麺ならお湯を入れて3分だが、インスタント麺となればグツグツと煮て容器に移したりしなきゃあならねえ。
まあ俺はいつも、鍋のまま食うけど。
煩わしいビニールの袋を引き裂くと、中から粉末スープとトッピングのゴマを取り出す。カチコチに加工されたノンフライ麺を手づかみにすると、俺はそれをコンロの脇に置いた。続いてトッピングのメンマやチーカマを冷蔵庫から取り出して、麺の脇に並べる。
自分でも自堕落な性格だと自覚はしているが、どうもラーメンを作る時だけは準備を怠らねぇタチなのだ、俺という人間は。
「おっと、さっさと湯を沸かさねぇと……」
待ち時間が何より嫌いな俺だ。一番に時間が掛かる「湯を沸かす」作業を先にしとかなかったのは失策だ。
すぐに鍋に水を張ると、俺はコンロの上にそいつを設置する。友達とかは良いアパートに住んでるからIHだのプレートだの言ってるが、俺の住んでいる至って庶民的なアパートでは、昔ながらのガスコンロだ。
なぁに、実際に火が見えないなんて不安じゃねぇか。やっぱり料理をするにはガスコンロだよ、ガス。
俺は右手でコンロのつまみを握った。若干、油で汚れてきちまってる。だが構う事か、俺はつまみをぐいッと捻った。
カチッ
ありゃ? 火がつかなかった。まぁ、ガスコンロにはありがちな事だ。ちょっと焦ってて捻りが足りなかったかな?
こうやるのさ、躊躇いを見せず、一気にぐいッと
カチッ
なんだぁ? 思いっきり捻ってやったのに、火がつかねぇ。もしかして、大家にガスでも止められちまったか?
俺は念のためにつまみを捻ったままに、ガスコンロへと耳を近づける。こうすりゃあ、ガスが出てる微かな音がするハズだ。
んが、案の定、ガスの音がしてこねぇ。だけど、決してガスが止められたわけじゃねえ(俺はちゃんと光熱費は収める主義だ)
じゃあ、なんでガスがコンロにきてねぇかって? 俺も知らねぇよ! だけど、俺のコンロに何かが起こっちまってる事は理解出来た。
何故なら。
「あっ、また出たわ! ほら、見て“マリサ”」
「おぅ!? 本当だ! だが、何故こたつの上から火が出てるんだ?」
声だ。俺ん家のボロいコンロの、その火がボァァ! と出るはずの小ぃさな穴から、声が聞こえてきやがる。
その声は遠くで女が会話しているような微かな声だが、確かに俺のコンロから聞こえてきやがる。
「なぁ、これ火事にならないかな? それにこの火って“鬼火”じゃないのか? 鬼火」
「大丈夫よ、こたつから出ているというよりは、こたつのちょっと上から出てきてるみたい。それに霊的なものは感じ無いわ、ただの火よ」
女、というよりはガキ……そんな声だ……。コンロに耳を近づけて聞いた話によると、どうやら俺のコンロの火が、そのガキどもの家のこたつの上にワープしちまってるらしい。何でかは俺にも分からん。
そして、恐らくはそのガキどもも……俺のコンロの火がなんで自分たちの所に来ちまったのかは、皆目見当がつかねぇみたいだ。
「おーい! 聞こえるかー!」
俺はとりあえず、コンロに向かって大声を上げた。隣に住んでる若林とかいうガキ(俺より年下だが、俺よりずっといい大学に行ってる)が、最近騒音にうるせぇもんで、少しは声を抑えた。だが、こちらからの声もコンロの向こうに届くとしたら十分な音量のはずだ。
「なぁ、霊夢……。これどうするんだよ? これ、暖かいのは良いけど、こたつの上に何も置けないぜ」
「そうねぇ、いつまでも居座られても困るわねぇ。焼きミカンっておいしいかしら?」
駄目だ、俺の声は聞こえてねぇようだ……。まぁ、聞こえたところでガキどもにも原因は分からないみたいだから、どうしようもねえが……。
あー、俺の腹が「何か食わせろ」と必死に訴えてくる。鍋に満たされた水は静かに熱せられるのを待ってやがるし、ラーメンは悲しそうにそのノンフライボディを袋の上で横たえている。
「おい! マリサにレーム! 俺の家の火を返しやがれ!」
俺は怒鳴った。だが、その声はきっと罪も無き我が家のコンロにしか届かなかったんだろう。コンロの小さな穴から聞こえてくる声は、俺の事など知る由もなく行動を開始した。
「ねぇ、そうだわ。霖之助さんにもらったガスコンロとかいう、アレの代わりにはならないかしら?」
「あー、そういえばアレがぶっ壊れちまってから、久しくこたつに入りながらの鍋って食べてなかったな」
「それじゃあ、さっそく用意するわ。でも二人ってのも寂しいし……魔理沙はその間に適当に呼び集めといて」
「了解だぜ。さーって、誰を呼ぼうかな~」
な、なんという事だ……。奴らは俺の火を使って「鍋パーティ」しようとしてやがる!!
俺なんて一人暮らし始めてから鍋パーティなんて一回もした事ねぇのに!!
「おい! その火は俺ん家のだぞ!? 誰がガス代払ってると思ってやがる!」
俺は叫んだが、もちろん向こう側には一切声は届かない。
ちっくしょー!! さ、させるか!
俺はなんとか奴らの鍋パーティを妨害しようと考えを巡らす。だが、俺の声は届かないし、火を取り戻す方法も分からない……
……それならば、火を消しちまうのはどうだ?
俺は思い出したように、捻りっぱなしだった油で汚れたつまみに手を掛けた。
奴らの最初の口ぶりじゃあ、こたつの火は一回消えた後にまた現れたらしい。俺も一度つまみを捻った後にそれを戻して、また捻った。
それは俺がつまみを捻れば、あっちの火も着いたり消えたりするってこった。
「へっへ、鍋の準備は無駄になっちまうな……」
俺は心底、清々しい気持ちでつまみを「切」へと捻った。こちらのコンロには、依然として何の変化もない。
だが俺は確信を持って、コンロに耳を近づけて動向を探った。これで奴らの火も消えているはずだ。
しばらくすると、ドタドタと忙しない足音がコンロの穴から聞こえてきた。続いて、ガキどもの声だ。
「ういー、邪魔するよー」
「みんなでお鍋を食べるなんて久々ね」
「へへ、それもこれも、この魔法のこたつのお陰……」
マリサの奴の声が、しぼむように消えていった。へへ、ざまぁみやがれってんだ。
俺はニヤける顔を隠す事なく(俺の部屋には誰もいないんだが)コンロの穴に耳を近づけ続けた。
さぁ俺に聞かせろ!! おまえらの落胆の声を!!
「あ、あれ? 火が消えてしまっているな……」
「ちょ、ちょっと魔理沙。本当にそんな火があったの?」
「本当だよ! 嘘ついてどうするんだ?」
「あーあ、火が消えたら鍋は食べられないねぇ。残念だけど、中止にするかい?」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。もしかしたらまた着くかも……」
そうこうしていると、また一つの忙しない足音が聞こえてきた。へへ、レームの奴だな。
「おっと、おそろいね! 嬉しくって、ちょっと急いで集めてきちゃったわ」
「霊夢、あの……」
けけけ、俺には想像出来るぞ。マリサが言いにくそうに、何も無いこたつの上を指差す光景が!
そして、それを見たレームが集めてきた食材を地に落とす光景が!!
ドサッ
俺の想像とドンピシャリで、重い荷物が床に落ちる音がコンロの穴から聞こえてきた。
コンロの向こうから伝わってくるお寒い空気は俺にもばーっちり伝わってるぜ。
「え、嘘……。また消えちゃったの?」
「それが、今度はなかなか着く気配がないんだ」
「し、仕方ないわ。道具屋のガスコンロが直るまでお鍋は楽しみにしておきましょう。ね、萃香さんもそれでいいでしょ?」
「いやー、私はいいんだけどさぁ。魔理沙ったら、色んな所に誘いを掛けただろ? 食材もった連中が、これからワンサカやって来るんじゃない?」
「……あいつらには、私が謝るしかないさ」
へへ、俺のコンロの火を奪った報いだ。久々に胸がスカッとしたぜ。
「折角、良いものが手に入ったと思ったんだけどねぇ」
「タダより高いものはないって事ね」
「悪いなアリス、無理やり連れてきといて」
「い、いや、いいのよ。丁度暇だったし……」
へっ、さっきまであんなに楽しそうにしていやがった癖に……一気にお通やみたいになりやがって……
俺の思惑通りだな。
ざまぁみろ。
「いやぁ、私も残念だよ。久々にみんなで呑みながら色々と話せると思ったんだけどねぇ」
「悪いわね萃香。お詫びに良いお酒でもお土産にもってく?」
「別に要らないよ。一番落ち込んでるのは霊夢と魔理沙なんだから」
「萃香、あんた……」
ざまぁみろ……
「ふぅー。吸血鬼の奴を誘うんじゃなかった。あいつに謝るのは結構面倒くさいぜ」
「……なんだったら、私も一緒に謝りましょうか?」
「なんでだよ?お前は関係ないだろ?」
「私の家まで誘いにこなかったら、こたつの火は消えていなかったのかも知れないわ。若干、関係あるでしょ?」
「……関係ないだろ。いいよ、変な火に期待して鍋しようなんて思った私が悪かったんだ」
「都会では相互扶助が発達してるのよ。何も貴方一人のせいじゃないわ」
「いや、少なくともアリスのせいではないぜ。私と霊夢が謝ったり弾幕すれば済む話だ……」
カチッ
「んあああああ! もう良いよ! 好きなだけ俺のガスを盗んでいけ! どうせガス代は俺が払うんだ! 好きなだけ鍋パーティしろよぉぉぉあああ!!」
俺は絶叫しながらつまみを全開にした。それと同時に隣の部屋から壁をドンと殴る音がしたが、どうでも良い。
もうこうなったら、やつらの鍋パーティが終わるまでつまみは捻り続けてやる!俺が責任を持って捻り続ける!!
「あっ! ほら、見て! 火が出てるわ!」
「……おおっ、本当だ! でも……またいつ消えるか、分からないな」
消えねーよ!俺がいる限り消えねーよ!お前らが鍋し終わるまで、消さねーーよ!!
「とりあえず、さっさと始めちゃいましょ。一口でも鍋食べさせちゃえば、後は文句言わせないんだから」
「おっと、連中もそろっておいでなすった」
へん! どうやら楽しい愉しい鍋パーティの始まりのようだなあ! ほら、レーム! 早く鍋仕込んで!
スイカは飲み物の用意しなきゃ! もう、夏に海辺で叩き割られそうな名前しちゃってぇ!!
「えーっと、紅魔館の連中に亡霊さん……ありゃー、なんだか私が誘っていない妖怪までぞろぞろ着いてきてるぜ」
「困ったわね……。ちょっとー、飛び入り参加の人は一旦集まって~、こっちこっち」
大盛り上がりで幹事としては大成功だなマリサ! おめでとう!!
流石アリス、予想外の来客を上手く捌いてるみたいだネ!!
さぁ、鍋パーティ……スタァァート!!
「ちょっと霊夢、私たちの持ってきたお肉はまだ鍋に入れないのかしら?」
「ん? 人間の肉じゃないか確かめてから入れるわ」
「お嬢様用のとは別のに決まってるじゃない」
Oh! ブラックジョークも冴えてるねレーム!! なんだかすごい令嬢も鍋パーティに来てるみたいだね!! リアルメイドなんて始めて見た(聞いた)よ!
「ねぇ、なんであたいだけ外なのよー! 妖精差別よー!」
「だってお前飛び入りだろ? しかもこの寒い中でお前だけは平気だし、何よりこたつに入ったらお前溶けるだろ」
Woo! マリサはファンシーな会話をしているね!! 妖精さんってコティングリーにしかいないと思ってたよ、俺!!
――それから、しばらくの間、コンロの向こう側からは少女たちの楽しそうな声が聞こえてきた。
鍋をつつき酒を呑み(思ってたより彼女らの年齢は上だったのか?)本当に楽しそうに鍋パーティは行われていた。
そこで俺はふと、我に返った。
この薄汚いアパートの一室で、Tシャツにトランクスで立ち尽くしている俺はなんなのだ。
コンロの向こうでは少女たちが、楽しそうに鍋パーティをしているというのに。俺はなんなのだ。
いや、このコンロの向こうは、それはまるで。
この世界とはまた別の楽園のような楽しさだ。
「……俺も、俺も混ぜてくれ」
声を聞いているだけじゃ、俺はもう収まらない。
俺をこの世界から脱出させてくれ、俺もその楽園に混ぜてくれ。
でも俺もいい歳こいた大人だ。少女たちの世界に行くことが出来ないのは分かっている。
ならば、せめて声だけでなく。その姿を見せてくれ。
「そうだ、声が聞こえてくる、この穴……」
俺はコンロへ向けて身体を乗り出した。さっきまで耳を傾けていたコンロの小さな穴へと、その顔を近づけていく。
油で汚れきった真っ黒なコンロは、その穴という空洞と鉄で出来た部品との境界を限りなく分かりづらくしていた。
「俺にも、君たちの愉しんでいる姿……見せてくれ!」
思い切って身体を乗り出した。眼球をコンロの穴に近づける。傍から見ればまるで、空腹のあまりコンロに食いつこうとしているように見えるかもしれない。
だが俺の欲しいのはその光景、楽園のほんの一部分、こたつを囲んで鍋をつつく少女たちの映像だけなのだ!
チッチッ
ボワゥ
「あぎゃあああああああああ!!!」
コンロに火が着いた。軽い爆発のような音を立てて、最大火力を発揮したコンロは、そこに目を近づけていた俺の眼球を焼いた。
目を押さえて後ろに飛び退く、あまりの激痛に立って居られずに床に転がった。
ドン
隣の部屋から壁を殴る音がする。若林は知らないだろう、隣の喧しい隣人が、今まさに眼球を焼かれている事など。
「うぎゃあああああ!ああああああ!」
俺は痛みに対抗するように獣のような叫び声を上げた。俺の耳には俺の叫び声以外の音は侵入しないはずだった。
だが、俺の脳内に一言の冷たい言葉が流れた。
俺の部屋には誰もいないはずだ。そして、コンロから聞こえてくる声は、“こんなにもはっきりとしていない”
『陽に近づき過ぎると、瞳を焼かれるのよ』
それは鼓膜を震わせる言葉ではなく、俺に直接の警告を与えるような声であった。
自分の叫び声だけが木霊する室内で、不思議とその声だけは聞き取る事が出来た。
若林の糞野郎も、ようやく異常に気づいたのか、俺の玄関をドンドンと叩きやがる。
「――さん、大丈夫ですか!? 何かあったんですか!?」
聞こえてきやがる。俺の身を案じる、耳をつんざくメッセージが。
こっちはそれどころじゃねぇ。――俺のコンロに火が灯ったら、レームたちの鍋パーティはどうなる?
俺は真っ暗な視界の中を、手探りでコンロのつまみに手を掛けた。つまみを捻って火を止めると、まだ熱気を放つその鉄に向かって耳を傾けた。
「あら、また消えちゃったわねぇ。まだ宴もたけなわって感じじゃないわよ?」
「どうするのよー、霊夢ぅう」
「あー、はいはい。酔っ払いは置いといてっと……何か妙案はないかしら?」
「なぁ霊夢、今思ったんだけど……。私の八卦炉の出力を抑えれば、ガスコンロの代わりになるんじゃないか?」
「! そういえば、そうねえ。盲点だったわ、さっそくやってみましょう」
俺はコンロから耳を放すと、ゆっくりと腰を床へと下ろした。コンロからは、微かに少女たちの声が聞こえる。
「やったぁ、煮えたわ! なんだ、身近なところに代用品があったじゃない」
「ま、これに気付かせてくれた鬼火には感謝だな」
「だからぁ鬼火じゃないって。本物の火だったのよ、あれ」
「どうでもいいや、さ! 続きだ続きー!」
若林の野郎は諦めて、自分の部屋に戻っていった。壁が薄いから電話の会話も全部聞こえてやがる、警察に電話してるみてぇだ。
どちらかというと、先に救急車を呼んで欲しいんだが……。ま、もう見えねぇだろうなあ
「へっへ、良かったなあ。レーム、マリサ」
コンロは静かになっていた。
『陽に近づき過ぎると、瞳を焼かれるのよ』
多分これ言ったのは”あの人”だろうけど、正直何様かと思った。
でも面白かった
なかなか楽しめました。
ところで、インスタント麺を作ると野菜こんもりになる私は異常でしょうか。
でも全く報われなかったから淋しくなった