Coolier - 新生・東方創想話ジェネリック

蕎麦を食べに行かぬか?

2018/12/23 07:19:17
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「蕎麦を食べに行かぬか?」
茨木華扇が二ツ岩マミゾウに誘われたのは、師走も半ばを過ぎた午前の事である。
師走と言えば何かと慌しく忙しい時季であるが、華扇はその日も博麗神社の縁側で熱い番茶を啜っていた。
小春日和と呼ぶには少し冬が深まっているが、朝から清々しい蒼穹が広がる快晴で幻想郷は底冷えしていた。
雪は1尺から1尺半ほど積もっている。雪は幻想郷を水墨画のようなモノクロの世界へ変えていた。
そんな色彩を欠いた世界で映える博麗神社の朱色の鳥居をくぐり、マミゾウはふらりとやって来て華扇へ声を掛けたのである。

「蕎麦? 年越しにはあと半月はあるけど…」
華扇は端整な柳眉を顰めて、眼前の化け狸の提案に訝しげな声色で返答した。小首を傾げた華扇の桃色の髪がさらりと揺れる。

「そう、その年越し用の蕎麦を調達するついでに、故郷の蕎麦でも食べに行かぬかという訳じゃ」
怪訝な表情を浮かべる仙人に対し、マミゾウは愉快そうに笑いながら提案の理由を簡潔に述べた。
焦げ茶色のウェーブがかった髪から覗く獣の耳はピンと屹立し、大きな尻尾はもふもふと彼女の体幹に巻かれていた。

「お前さん、K郡の出身じゃろ? 幻想郷の蕎麦は信州の十割ばかりで飽き飽きしていたんじゃ。同郷の者と一緒に食べに行きたくてのぅ」
そう言ってマミゾウは懐から煙管を取り出すと、刻み煙草を手際よく詰めて燐寸で火を点けた。
一服して吐き出した紫煙が、冬晴れの空に立ち昇っては静かに霧散してゆく。

「……何故、そう思うのかしら?」
出身地を指摘したマミゾウの言葉に、華扇の表情が一瞬だけ強張った。華扇はマミゾウとは異変で手を組んだ事もある。
しかし、暗に華扇が『鬼』とマミゾウが言及した事があっても、それ以上の解明はマミゾウにはされていないと彼女は思っていた。

「ふぉっふぉ、茨木という苗字で『鬼』となれば、K郡の茨木童子であろう。伊吹萃香殿から聞き及んでおるぞ」
マミゾウは吸い終わった煙管の灰を境内の雪に落としながら、殊更楽しげに笑った。手品の種明かしをする子供みたいな意地の悪さだ。
伊吹萃香はかつて酒呑童子と称し、京の都を荒らしまわった『鬼』の首魁である。今は酒を無頼の愉しみとして、幻想郷を遊蕩している。

「はぁ、情報漏洩はあいつからって事ね…」
旧友の口の軽さに溜め息を吐きながら、華扇はやれやれと言った仕草で冷めた湯呑を置いて立ち上がった。
博麗神社の巫女である博麗霊夢は里へ買い出しに出掛けており、夕方まで戻らない。
マミゾウは右手に持った煙管を箸に、左手を器に見立てて蕎麦を啜る仕草で誘っている。丸い眼鏡の奥で琥珀色の瞳が不敵に輝いていた。

「分かったわ。貴女のお誘い、喜んでお受けします」
「ふぉっふぉ、話が早くて助かるのぅ。では、さっそく参ろう」
2人は交渉が妥結すると、速やかに空を飛んで北東の方角へ向かった。鎮守の森に生える柿の木に、実を啄ばむ山鳩が呑気に啼いていた。


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マミゾウが華扇を連れて来たのは、幻想郷の外れにある森の中だった。野兎の足跡が雪原に点々と続いている。
針葉樹が鬱蒼と茂る森に、札を貼られた大岩が鎮座している。マミゾウがその大岩に手を触れると、大岩に直径1間ほどの穴が現れた。
穴からは冷たい風が吹き抜けている。雪の匂いと排ガスの臭いが混じった、『外の世界』へ通じる微風だ。

「大層な穴倉ね。狸は穴掘りが得意って本当だったようね」
「此処は儂が幻想郷へ来た時に使った『穴』の一つじゃ。お前さんが開いたモノとは違い、行先は固定されているがのぅ」
そう言ってマミゾウは華扇の包帯が巻かれた手を取り、サッとトンネルへ飛び込んだ。華扇も続いて大地を蹴り、闇が広がる穴へ飛び込む。
穴は2人を呑み込むと、何事もなかったように閉鎖して元の大岩へと姿を戻した。次第に強まった北風が雪雲を呼び、辺りは俄かに仄暗くなった。


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2人が踊り出たのは、一見すれば幻想郷と変わらない山奥の穴だった。雪も幻想郷と同じ程度に積もっている。
しかし、穴から数メートル下にはコンクリートで舗装された道路が走っており、それが『外の世界』へ来た証左だった。
華扇は当初、マミゾウの故郷である佐渡ヶ島に来たのかと思った。しかし、マミゾウは華扇の思い込みを否定して現在地を告げた。

「O市M町。天保年間に此処のムジナ…まぁ、狸じゃのう、そいつらがこの穴を通って佐渡まで逃げ、団三郎狢となったと言い伝えられておる」
「あら、じゃあ貴女は佐渡ヶ島ではなく本州の出身なの?」
マミゾウの解説に、華扇は意外そうな表情で尋ねた。M町はかつてのU郡に属する村であり、郡単位ではK郡とは隣り合っていたからだ。
もっとも、幻想郷が博麗大結界で遮断される6年前にU郡は北・中・南に分割され、正確には郡単位で又隣である。

「まぁ、実際は儂を頼って来た狢の親方じゃ。儂が幻想郷に行く際には尽力してくれた優秀な部下じゃよ。ほれ…」
マミゾウはそう言って眼下の道路を指差した。華扇がその指先に視線を向けると、1台の銀色の軽トラックが停まっていた。
穴から道路までは丁寧に階段状の道が拵えられている。2人はその踏み固められた雪を歩いて軽トラックの停まる道路へ降り立った。
鍵は挿したままになっている。足跡が麓の方へ続いており、持ち主は徒歩でその場を後にした様だ。車体には四つ葉のようなステッカーが貼られていた。

「こうして儂が『外の世界』に来るときは足回りなど世話してくれる、気の利く好々爺じゃよ」
「都合良くこき使っているだけじゃないかしら…?」
あっけらかんとした表情でマミゾウは運転席へ乗り込む。華扇はそんな彼女の態度に少し呆れながら、倣って助手席へ乗り込んだ。
座席には厚手のコートと、小さなポーチが置かれていた。コートは華扇の防寒用であり、ポーチにはマミゾウの運転免許証が入っていると言う。

氏名   二岩 マミ           昭和64年1月1日 生

住所  S市AO村
平成32年8月×日まで有効

「ふふっ、こんな真面目な表情で免許証を偽造するなんて、流石は狸の親方ね」
神妙な顔つきで写真に納まる免許証のマミゾウに、華扇は少し笑みを零した。
マミゾウはそんな華扇の反応を横目に見ながら、シートベルトの着用を彼女に促しエンジンを起動させた。

「年齢は確かに詐称じゃが、免許証はちゃんと更新しておるぞ。運転の技術も確かじゃ。さぁ、出発じゃ」
高らかに宣言したマミゾウはギアをローに入れ、アクセルを踏み込んで軽トラックを発進させた。

ぶるるるるん……がたん!

しかし、半クラッチの加減を間違えたのか軽トラックは数メートル走ったのち、不安定な駆動音を唸らせてエンストしてしまった。
気まずい「空気」が手狭な車内に満ちた。降り積もる綿雪をワイパーがコミカルなリズムに拭っている。

「貴女、本当に大丈夫なの? 高齢者マークが貼ってあるなんて、協力者も危なっかしく思っているんじゃ……」
「おほん、ぅおっほん…ま、まぁ偶にはこんな事もあるじゃろう。さぁ、気を取り直して出発じゃ!」
不安そうな表情を浮かべる華扇の言葉を咳払いで遮り、マミゾウは奮い立たせるように鍵を廻してエンジンを再始動させた。
「運転を変わった方がいいかしら?」と思いながら、華扇は座った臀部がソワソワする不安を抱いていた。
ちなみに、マミゾウの姿は『外の世界』へ来た時点で人間に化けている。焦げ茶色の髪は漆黒の長髪に変貌していた。


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結局、それ以降はエンストする事無くマミゾウの運転する軽トラックは目的の蕎麦屋へ到着した。
綿のような雪が深々と降り積もっているが、駐車場の地面は消雪パイプの地下水が撒かれていて、雪は瞬く間に融けてゆく。
軽トラックを蕎麦屋の駐車場に停め、マミゾウと華扇は消雪パイプの噴射を避けながら暖簾がはためく蕎麦屋の前に降り立った。

「ところでお前さん、酒はどうする? 儂は運転手じゃから飲酒厳禁じゃが…」
「貴女が呑まないなら『独り酒』なんて虚しいだけよ。今日はあくまでもランチのお誘いなんだから」
「ふぉっふぉ、律儀じゃのぅ。では、酒は食事の後で手土産に酒屋で買うとしよう」
越後の日本酒は辛口淡麗で、蕎麦を肴に呑めば馥郁たる酒精の芳香を楽しめるだろう。
しかし、暗に酒を勧めるマミゾウに対して華扇は毅然と断った。自分だけ酒を味わうのは不躾だと華扇は思ったのだ。
酒は独りで味わうものではなく、酌み交わして親交を深めるものだ。それが狐狸合戦みたいな駆け引きがあったとしても。
時刻は午前11時。マミゾウが引き戸を開けて2人は店内へ這入った。開店したばかりで客は誰も居ない。

「いらっしゃいませ! お食事2名様で宜しいですか?」
贈答用の年越し蕎麦を箱詰めしていた店員が、威勢の良い掛け声で応対した。店員は2人を座敷に案内すると、いそいそと引っ込んだ。
2人が席に着いてメニューを開くと、すぐ熱い茶が運ばれて来た。湯気と共に立ち昇る香ばしさに、華扇は蕎麦茶だと気付く。
マミゾウはすぐに注文する品を決めたらしくメニューを閉じたが、華扇は多様な料理に目移りしているようで小難しい剣幕でメニューを睨んでいた。

「う~ん、どれも美味しそうだわ…あっ、カツ丼も良いわね」
「まぁ、蕎麦屋のカツ丼は美味いには違いないが…へぎ蕎麦を多めに頼んでおこうかのぅ」
メニューと睨めっこしている華扇に苦笑しながら蕎麦茶を啜ったあと、マミゾウは店員に声を掛けた。
パタパタと駆けて来た店員に、マミゾウはへぎ蕎麦3人前と天ぷら盛り合わせを注文した。

「じゃあ私はカツ丼とへぎ蕎麦のセット…特盛!」
「…すまん、へぎ蕎麦2人前の『花』に変更じゃ」
元気よく注文する大食い仙人の瞳は燦々と輝いている。マミゾウはそんな華扇の食欲の旺盛さを見くびっていた自分を少し悔いた。
2人の遣り取りを受けて店員は「以上で宜しいですか?」と確認して厨房へと向かって行った。
店内の一角に設置されたテレビには、全国中学校駅伝大会の模様が中継されている。

「さて、蕎麦を食べた後はお前さんの故郷、旧T市に行こうかのぅ…」
旧T市とは、現在は合併によりN市T地区と呼ばれる山間の街である。そして、そこは華扇が「茨木童子」として生まれた土地であった。
しかし、マミゾウの提案を華扇は神妙な面持ちで辞退した。深々と頭を下げ、マミゾウに辞退する理由を述べる。

「ごめんなさい。私は二度と村には戻らないと約束して酒呑童子と出奔したの。鬼が約束を破る訳にはいかないわ…」
華扇の出生地は旧T市を構成する小地域の一つである。その旧T市もN市と合併しており、狭義では華扇が訪れても約束の反故とはならないだろう。
それでも華扇は自分なりの「けじめ」として、旧T市を訪れるのは気が引けたのだ。

「千年以上も前の事じゃ、とっくに時効…とは言えんのが妖怪の『性』ってもんかのぅ」
華扇の返答を予想していたのか、気を悪くした雰囲気もなくマミゾウはカラカラとまた愉快そうに笑った。
その狸の快活な笑みを見て、華扇も肩の力を抜いて微笑する。この時、華扇はテーブルを挟んで対面するマミゾウを「友人」と呼べそうな気がした。
穏やかな表情で華扇が「ありがとう」と呟いた。しばらくして、2人の注文した品を店員が手分けして運んで来た。

「お待たせしました。カツ丼とへぎ蕎麦のセット特盛です」
ごとりと華扇の前に置かれた重厚な特盛のドンブリ。その蓋を開ける前から揚げたてのカツの匂いが華扇の鼻腔をくすぐる。
隣には「へぎ」と呼ばれる木枠の容れ物に1把ずつ束ねられた蕎麦が9把、見た目も美しく整列していた。
茹でた麺を冷水で締め、職人が1把ずつ手で束ねることから、へぎ蕎麦は別名「手振り蕎麦」とも呼ばれている。

「お待たせいたしました。『花』へぎ蕎麦2人前と天ぷら盛り合わせです」
マミゾウの前には長方形の「へぎ」に15把の蕎麦が並び、たっぷり海苔が振り掛けられていた。その海苔こそ『花』を指す、一段と豪華な蕎麦だ。
麺自体にも「布海苔」という海藻を練り込んであるので、磯の香りが格段に色濃い。乾麺はへぎに盛っていないので「布海苔蕎麦」と呼んで販売している例もある。
布海苔は赤褐色だが、銅の鍋で煮ることで鮮やかな緑色に変わる。それ故、布海苔蕎麦は麺がやや緑色なのも大きな特徴だ。
天ぷらは海老を主軸とした鱚や烏賊の海の幸、それと舞茸や神楽南蛮など山の幸。まさに王道と言える軍勢が揃っている。

「お茶のおかわり、どうぞ」
品物を運び終えた店員が2人の湯呑に新しい蕎麦茶を注いでから、伝票をテーブルの片隅に置いて去って行った。

「わぁ、美味しそう。いただきます!」
華扇はドンブリの蓋を開け、黄金色に染まる卵とじの豚カツを見て感嘆の声を上げた。
恭しく合掌してから箸を取ると、豪快に大口でカツとご飯を頬張った。
揚げたての香ばしい衣に染みる卵と出汁の旨味、そこから溢れ出る肉厚な豚肉の甘みが華扇の口いっぱいに広がる。
柔らかくもしっかりとした歯ごたえの肉を噛み締め、華扇は幸せそうな表情でもぐもぐとカツ丼を食べ進めた。

「お蕎麦もいただきます…あら、薬味が芥子?」
カツ丼を3分の1ほど消化したところで華扇はセットのへぎ蕎麦にも手を伸ばしたが、用意されている薬味に黄色の芥子があることに気づいた。
蕎麦に添えられる薬味といえば小口切りにした葱と擦りおろした山葵が一般的である。
しかし、かつてこの地域では山葵の入手が難しかった為、代わりに芥子を用いた。それが「へぎ蕎麦」のもう一つの特徴である。

「ふぉっふぉ、幻想郷の蕎麦屋ではまず見かけないからのぅ。山葵の鼻を突き抜ける辛さよりまったりした辛味で儂は好きじゃ」
ズルズルと蕎麦を啜っていたマミゾウが華扇の独り言に答えた。久しぶりにへぎ蕎麦のつるつるとしたのど越しを味わい、マミゾウも相好を崩している。
煮干しの出汁が香るつゆにたっぷりと漬け、濡れそぼった海苔と共に食べる蕎麦の風味は「海」を想起させる。
さらに海老の天ぷらを食せば、マミゾウの脳裡に浮かぶのは冬の佐渡の雪風が吹きつけ白波が打ちつける荒々しい日本海だ。
サクサクの衣からプリプリの海老の中身に至る食感を楽しみ、海老の尻尾まで残さず食べた。
ふわふわな白身の鱚、しっかり弾力のある烏賊、コリコリとした香り高い舞茸、脇役ながらピリッと辛い神楽南蛮etc…


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2人が食事を終える頃には、店内は昼時に合わせて客入りも増え始めた。
蕎麦2人前を完食したマミゾウは決して少食ではないが、それでも華扇の食べっぷりには感心すら抱いていた。

「さて、混んできたのぅ。そろそろ出るか…」
「ええ、今日はごちそうさま」
「おいおい、奢るなんて誰も言っておらんぞ」
「ふふっ、ちょっとした冗句よ」
そんな遣り取りをしながら2人は席を立って別々に会計を済ませた。華扇は天下御免の1万円紙幣で支払い、マミゾウは幻想入りしつつある2千円紙幣で支払った。
華扇はマミゾウの2千円紙幣が葉っぱではないかと一瞬思ったが、故郷の蕎麦を食べるのにそんな無粋なことはしないだろうと考えを改めた。

「ありがとうございました! またのお越しを!」
店員の挨拶を背に受け、2人は店を出た。深々と雪は降り積もり、軽トラックの窓を白く覆っている。
荷台に乗せていたブラシでマミゾウが雪を払い落としてから、2人は再び軽トラックに乗り込んだ。

「ふぅ、食った食った。では近くのスーパーで酒と蕎麦を買うとするかのぅ」
マミゾウが次の行動を計画し、華扇はそれに付き従う形となる。気だるげに軽トラックのエンジンが始動し、駐車場を去った。
2人の乗る軽トラックは国道の車の流れに紛れ、スーパーマーケットへと向かう。
彼女らが妖怪だと『外の世界』の人間は誰も気付かず、世界は淡々と廻り続けていた。


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END
マミゾウさんが『外の世界』へ食事に誘うのは、恐らく華扇ちゃんだろうなぁ。
そんな簡易な構想で書き上げました。ご意見・ご感想がございましたらお寄せください。

※拙作を上梓するにあたり、実際に蕎麦屋を食べ歩きましたが、特定の店舗を宣伝するものではありません。
第一区
コメント



1.奇声を発する程度の能力削除
良かったです
2.名前が無い程度の能力削除
大人の友達って感じで良いなあ、この二人
面白かったです
3.名前が無い程度の能力削除
しっとりしてていいですな
4.名前が無い程度の能力削除
めちゃくちゃ新潟に行きたくなる名作