※ この話は、ジェネリック作品集75、『小傘と子猫』からのシリーズものとなっておりますのでご注意ください。
目が覚めたらそこは命蓮寺にある私たちの部屋でした。
私はそこで布団に寝かされているようです。
そっか……私、気絶したんだ。
「目が……覚めましたか?」
声のする方に振り向くと、聖さんが笑っていました。
だけどその笑みはいつものように私を安心させてくれるような柔らかさが有りませんでした。
少し強張っているのが私にも分かります。
「自分の身に何が起きたか──いえ、何が起きているのか……理解できていますか?」
「…………はい。何となく。」
倒れた時はどうしてって思いました。
だけど、聖さんの顔を見て気付いてしまいました。
自分の身に何が起きているのか……。
むしろ遅すぎたくらいですね。
「このままだと私……どうなってしまうんでしょうか?」
「……消えてしまうでしょう。」
聖さんは一瞬躊躇したものの、はっきりとそう言ってくださいました。
やっぱり。私はそう思いました。
私が忘れていたもの……それは妖怪としての性分でした。
畏れを糧とする生き方を忘れた妖怪の末路……それは死ではなく消滅。
そう、最初から分かっていた筈なのに……。
「そうですか……。」
「怖くは……怖くは無いのですか?」
そう問い掛ける聖さんの方がよっぽど怯えた表情をしています。
「怖い……んだと思いますよ?」
だけど多分、覚悟が出来ていたんだと思います。
そもそも私は命蓮寺へ来る前からまともに人を驚かせられませんでしたから。
きっと遅かれ早かれ……。
「……聖さん。一つだけ、お願いしても良いですか?」
「なんでしょうか?」
「小猫の事……お願いします。」
「小傘……! 貴女まさか……!」
「ち、違いますっ……諦めたわけじゃ無いんですよ? 要は今からでも人を驚かせる事が出来れば良いんですよね? こんなフラフラな身体じゃあ望み薄ですが……あはは。」
ちゃんと笑って見せようとしたんですけど、乾いた声しか出てきません。
……どうしちゃったんだろう、私……。
やっぱり怖いのかな?……ううん、きっとそうじゃない。
この気持ちは……そう、恐怖なんかじゃなくて──
「もう……此処には戻ってこないつもりですか?」
「……はい。もし生き残れても、人を脅かす妖怪がお寺に居たら皆さんに迷惑かけちゃいますから。」
──もう、大好きな人たちの傍に居られない、寂しいっていう気持ちなんだと思う。
「ごめんなさいっ……貴女の力になれなくて……!」
ぽたぽたと涙を流しながら聖さんは悔しそうに拳を握りました。
何だか私の代わりに泣いてくれているようで、申し訳なくて……。
「聖さんは……何も悪く有りません。」
笑って下さいよ……聖さん。
でないと……私まで泣いちゃいそうです。
「小猫の事……よろしくお願いします。」
長居しては聖さんに悲しい思いをさせるだけみたいですね……。
そう思い、私は出て行く決意を固めました。
フラつく足でどうにか立ち上がった私を聖さんはすっと支えて下さいました。
「小猫には会っていかないのですか?」
「…………止めて置きます。今会っちゃったら私、離れられなくなりそうですから。」
死ぬことなんかより……消えることなんかより。
小猫に会えなくなる方がよっぽど怖い。
怖いし悲しい……。
だからここはぐっと我慢です。
もう一度会える事を信じて……。
「……分かりました。預かりましょう。あの仔も、もう命蓮寺の家族ですから。」
「はい……。」
「もちろん……貴女もですよ、小傘。例え離れていても、です。」
「…………はい゛っ!」
いよいよ旅立ちの時です。
外まで送って下さるという聖さんの申し出を私は断りました。
これ以上、迷惑は掛けられませんから。
ガラッ
「…………。」
部屋を出ようと障子を開けたら、そこには顔を俯かせたぬえさんがいました。
そういえば私、話の途中で倒れちゃったんだ。ちゃんとぬえさんに謝らないと。
「ぬえさ──」
「バカっ! そんなフラフラな身体で!……そんな泣きっ面で! そんな情けない妖怪に驚く人間がどこに居るって言うのよ!」
開口一番、怒鳴り散らすぬえさんに私は何も言い返せません。
余りに的を得た指摘に私自身、納得してしまったから。
「ぬえ……貴女、聞いていたのですか? 小傘が倒れたのは貴女のせいでは無いと説明したはずですよ?」
「そんなの関係ないっ! 私が言いたいのは、そんなんじゃ私の弟子失格だってことだけ!」
どうして……どうしてぬえさんは怒鳴りながら泣いているのでしょう?
私が情けないから?
せっかく弟子にしたのに期待外れだったからでしょうか……。
バンっ!
「ぬえっ!」
「あっ……!」
突然、ぬえさんに胸を押されました。
そんな大した力は込められて無かったようですが、それでも私は足元がちょっとふらつきました。
「小傘……貴女……!」
すぐに支えて下さった聖さんが驚いた顔をされました。
驚いてる……? 何に? この私に?
「……正体不明の種を付けた。今のあんたなら人里歩くだけで驚かれるよ……。」
「ぬえさん……私の為に?」
「良いから! さっさと行って人間を驚かせて来なさいよ……! ここで待っててあげるんだからっ!」
突き放すように叫けぶとそれっきり俯いてしまったぬえさん。
表情は窺えないけど、その想いは十分過ぎるくらいに伝わってきました。
そうですよね……私たち、やっと仲良くなれたのにこのまま一生のお別れなんて悲しすぎますよね?
私は……ぬえさんの想いに答えなければなりません……!
「失礼しますっ……!」
もう此処には戻ってこれないけど……それでも生きてさえいれば……!
この狭い幻想郷、必ずまた再会できるはずです!
私は挨拶もそこそこに命蓮寺を飛び出しました。
結果だけ言ってしまえば、ぬえさんの仰った通りでした。
人里に降り立って町を往来するだけで私を見て人々は驚いてくれました。
大きな混乱にこそならなかったのは、そこはやはり幻想郷の住民だったからでしょう。
それでも、「あれは何だ!?」「不気味……!」そんなすれ違う人たちの声を聞いているうちに、私はみるみるうちに活気を取り戻していきました。
それだけでは有りません──今まで感じた事のない程の高揚感が心を満たしたのです。
人間が私を見て驚いている……私を畏れている。
妖怪にとって最高の甘美に心が踊らずにはいられませんでした。
「はははははっ……! 笑いが止まらないね!」
これが本来の有るべき姿──私の本性。
そう……最初から出会ってなどいけなかったのです。
交わってなどいけなかったのです。
「住む世界が違ったんだ……! それだけじゃない! ははは……そう──それだけのことでしょ?」
可笑しい筈なのに……!
今の私は妖怪として本当の自分を取り戻せた筈なのに……!
だけど失ってはいけないと心が叫びます……!
思い出を──
温もりを──
家族を──
妖怪として何一つ必要のない筈のものが、多々良小傘には恋しくて仕方ない──締め付けるような胸の痛みに、私はがっくりと膝を折りました。
まさか──消えようとしている?
畏れを取り戻した筈なのに、それでもまだ何が足りないと言うのでしょうか?
「……もう、いいや。疲れちゃったよ……ごめんね、小猫……もう、会いに行けないや……。」
名前を口にした途端、堪えていた涙がどっと溢れ出てきました。
会いたい──
会いたいよ──
会いたいよ……小猫──!
届く筈のない願い……もう声を出す気力さえも残っていません。
無様にも地面に崩れ落ちてそのまま瞳を閉じ、後は消えるのを待つのみとそう思ったその時でした。
(ここにいるよ……!)
「…………え?」
声がしました。
耳からではなく、直接心に響くようにその声は確かに聞こえたのです。
「小猫……?」
鳴く声しか聞いた事がない筈なのに……。
その声の正体が小猫だと私には分かりました。
ペロッ
「小猫……やっぱり──あなた! どうしてここに!?」
さっきまで喋る気力すら無かった筈なのに。
小猫の姿を見た瞬間、身体に力が戻りました。
にゃあ……。
腕に力を込めて上半身だけ起こせば、小猫と視線を合わせる事ができました。
足りなかったのはやっぱりあなただったんですね……小猫。
だけど──
「どうしてこんな所に来たの!? あなたの事は聖さんにお願いしたんだよ!?」
──だけど、一緒には居られない。
命蓮寺に居た方が小猫にとってずっと幸せなんです!
こんな薄汚い妖怪と一緒に居るより、ずっと……!
「聖さんはあなたの面倒を見てくれると約束してくれました……! ぬえさんもきっとあなたの事気にかけてくれる筈です!」
にゃあ……。
お願いだから、そんな眼で見ないでっ……。
挫けそうになる意思を必死に繋ぎとめて、私は小猫に戻るようにと訴えます。
「星さんは貴方の言葉だって分かるんだよ? 村紗さんはおっちょこちょいですが優しい方ですし、一輪さんが居てくれればご飯を食べ損なう事もありません……!
ナズーリンさんだって、凄いしっかり者さんですし──」
にゃあ……?
それでも小猫は動こうとはしません。
ただじっと私を見つめて……私だけをその瞳に映しています。
「──どうして……? あなたはもっと、聞き分けの良い仔だったでしょう?……帰りなさい!……帰るんです!!」
私のどこにこんな力が残っていたんでしょう……そう思う程、私は力の限り叫びました。
分かっているんです……私には小猫が必要なんだって……分かってしまったけど……私の為にこの仔の幸せを犠牲になんてできる筈ない……!
にゃ! にゃあ!
「……ダメなんです、小猫……。私じゃ満足にごはんも出してあげられないんですよ?」
にゃあ……!
どんなに強く拒絶しようとも、小猫は私から離れようとはしませんでした。
それどころか、何度も何度も……私の頬にじゃれるようにして頬を寄せてきます。
まるで、私を求めるように……。私じゃないと駄目だって、小猫も言ってくれているようで……。
「私で……私で本当に良いんですか……?」
にゃあ。
「私っ……! わ゛だし……!」
もう何も言えませんした……。
口から出るのは嗚咽ばかりで……それでも小猫は分かってくれているようで……。
ただ私の事をじっと見つめて私が泣き止むのを、私の言葉を待っています。
「小猫……私と一緒に、来てくれますか……?」
バッ!
「ひゃっ……!?」
にゃあ!
突然飛びつかれて慌てる私に構わず、小猫は執拗に頬を舌で舐めてきました。
「……ありがとう、小猫……これからも一緒です。」
小さな……だけど温かなその身体を私は強く抱きしめました。
「なにこの仔可愛い!」
「捨て猫かなぁ……? 首輪もしてないし……だけどなんで傘の上に?」
──今です!
「うらめしや~!」
「「きゃっ!?」」
バッと傘を翻し私は人間の子供達を脅かしました。
まさか子猫が乗っていた傘が妖怪傘だったなんて思いもしなかったようで、人間の少女達は尻餅を着いて驚いてくれました。
「あはっ! 驚いた? 驚いた?」
すかさず前に出て出来るだけ陽気に振る舞い少女達に声を掛けます。
小猫もさっと私の肩へと帰ってきました。
「あは……あはははっ!」
「ああぁ~びっくりした。」
少女達も身の危険がない事を察してくれたのか、すぐに笑顔が戻ってきました。
どうやら、ちょっとしたサプライズと受け止めて貰えたようです──私には大事な栄養補給なんですけどね。
さて、それでは次は小猫のごはんも確保しないとですね。
「ねえ君たち。驚きついでで悪いんだけど、この仔のごはんになるもの何か持ってないかな?」
にゃにゃあ~ん?
肩に乗せた小猫を指して少女達に尋ねます。
すると私の話に合わせるように、小猫もおねだりするように鳴きました。
「あっ! わたし牛乳持ってるよ! 寺小屋の給食に出たやつ!」
「あんたまた残したの……? そんなんだから身長伸びないんだよ?」
そんなやり取りを交わしながら、一人の少女が鞄から取り出したのはまだ封も開けてない牛乳でした。
どうやら狙い通りにいったようです。
(やったね、小猫。)
にゃあ!
「でも良いのかな? ただで貰っちゃって……?」
「良いよ! わたしたちも楽しかったし……ね?」
「うん! わたしなんてまだドキドキしてるよ……!」
「ありがとう! ほら、小猫。お姉ちゃん達にお礼言って。」
にゃあ~。
「「可愛いぃ~~~!」」
命蓮寺の皆さんへ──
私たちは何とか毎日を楽しくやってます。
これも全て、皆さんのお陰です。
皆さんはお変わりなくやって居られるでしょうか?
思い返せば、命蓮寺でお世話になった時間は本当に僅かな時間でした……だけど毎日が新鮮で、毎日が温かくて……私は一生忘れないと思います。
ありがとうございました……そして、またいつか。
──多々良小傘より。
目が覚めたらそこは命蓮寺にある私たちの部屋でした。
私はそこで布団に寝かされているようです。
そっか……私、気絶したんだ。
「目が……覚めましたか?」
声のする方に振り向くと、聖さんが笑っていました。
だけどその笑みはいつものように私を安心させてくれるような柔らかさが有りませんでした。
少し強張っているのが私にも分かります。
「自分の身に何が起きたか──いえ、何が起きているのか……理解できていますか?」
「…………はい。何となく。」
倒れた時はどうしてって思いました。
だけど、聖さんの顔を見て気付いてしまいました。
自分の身に何が起きているのか……。
むしろ遅すぎたくらいですね。
「このままだと私……どうなってしまうんでしょうか?」
「……消えてしまうでしょう。」
聖さんは一瞬躊躇したものの、はっきりとそう言ってくださいました。
やっぱり。私はそう思いました。
私が忘れていたもの……それは妖怪としての性分でした。
畏れを糧とする生き方を忘れた妖怪の末路……それは死ではなく消滅。
そう、最初から分かっていた筈なのに……。
「そうですか……。」
「怖くは……怖くは無いのですか?」
そう問い掛ける聖さんの方がよっぽど怯えた表情をしています。
「怖い……んだと思いますよ?」
だけど多分、覚悟が出来ていたんだと思います。
そもそも私は命蓮寺へ来る前からまともに人を驚かせられませんでしたから。
きっと遅かれ早かれ……。
「……聖さん。一つだけ、お願いしても良いですか?」
「なんでしょうか?」
「小猫の事……お願いします。」
「小傘……! 貴女まさか……!」
「ち、違いますっ……諦めたわけじゃ無いんですよ? 要は今からでも人を驚かせる事が出来れば良いんですよね? こんなフラフラな身体じゃあ望み薄ですが……あはは。」
ちゃんと笑って見せようとしたんですけど、乾いた声しか出てきません。
……どうしちゃったんだろう、私……。
やっぱり怖いのかな?……ううん、きっとそうじゃない。
この気持ちは……そう、恐怖なんかじゃなくて──
「もう……此処には戻ってこないつもりですか?」
「……はい。もし生き残れても、人を脅かす妖怪がお寺に居たら皆さんに迷惑かけちゃいますから。」
──もう、大好きな人たちの傍に居られない、寂しいっていう気持ちなんだと思う。
「ごめんなさいっ……貴女の力になれなくて……!」
ぽたぽたと涙を流しながら聖さんは悔しそうに拳を握りました。
何だか私の代わりに泣いてくれているようで、申し訳なくて……。
「聖さんは……何も悪く有りません。」
笑って下さいよ……聖さん。
でないと……私まで泣いちゃいそうです。
「小猫の事……よろしくお願いします。」
長居しては聖さんに悲しい思いをさせるだけみたいですね……。
そう思い、私は出て行く決意を固めました。
フラつく足でどうにか立ち上がった私を聖さんはすっと支えて下さいました。
「小猫には会っていかないのですか?」
「…………止めて置きます。今会っちゃったら私、離れられなくなりそうですから。」
死ぬことなんかより……消えることなんかより。
小猫に会えなくなる方がよっぽど怖い。
怖いし悲しい……。
だからここはぐっと我慢です。
もう一度会える事を信じて……。
「……分かりました。預かりましょう。あの仔も、もう命蓮寺の家族ですから。」
「はい……。」
「もちろん……貴女もですよ、小傘。例え離れていても、です。」
「…………はい゛っ!」
いよいよ旅立ちの時です。
外まで送って下さるという聖さんの申し出を私は断りました。
これ以上、迷惑は掛けられませんから。
ガラッ
「…………。」
部屋を出ようと障子を開けたら、そこには顔を俯かせたぬえさんがいました。
そういえば私、話の途中で倒れちゃったんだ。ちゃんとぬえさんに謝らないと。
「ぬえさ──」
「バカっ! そんなフラフラな身体で!……そんな泣きっ面で! そんな情けない妖怪に驚く人間がどこに居るって言うのよ!」
開口一番、怒鳴り散らすぬえさんに私は何も言い返せません。
余りに的を得た指摘に私自身、納得してしまったから。
「ぬえ……貴女、聞いていたのですか? 小傘が倒れたのは貴女のせいでは無いと説明したはずですよ?」
「そんなの関係ないっ! 私が言いたいのは、そんなんじゃ私の弟子失格だってことだけ!」
どうして……どうしてぬえさんは怒鳴りながら泣いているのでしょう?
私が情けないから?
せっかく弟子にしたのに期待外れだったからでしょうか……。
バンっ!
「ぬえっ!」
「あっ……!」
突然、ぬえさんに胸を押されました。
そんな大した力は込められて無かったようですが、それでも私は足元がちょっとふらつきました。
「小傘……貴女……!」
すぐに支えて下さった聖さんが驚いた顔をされました。
驚いてる……? 何に? この私に?
「……正体不明の種を付けた。今のあんたなら人里歩くだけで驚かれるよ……。」
「ぬえさん……私の為に?」
「良いから! さっさと行って人間を驚かせて来なさいよ……! ここで待っててあげるんだからっ!」
突き放すように叫けぶとそれっきり俯いてしまったぬえさん。
表情は窺えないけど、その想いは十分過ぎるくらいに伝わってきました。
そうですよね……私たち、やっと仲良くなれたのにこのまま一生のお別れなんて悲しすぎますよね?
私は……ぬえさんの想いに答えなければなりません……!
「失礼しますっ……!」
もう此処には戻ってこれないけど……それでも生きてさえいれば……!
この狭い幻想郷、必ずまた再会できるはずです!
私は挨拶もそこそこに命蓮寺を飛び出しました。
結果だけ言ってしまえば、ぬえさんの仰った通りでした。
人里に降り立って町を往来するだけで私を見て人々は驚いてくれました。
大きな混乱にこそならなかったのは、そこはやはり幻想郷の住民だったからでしょう。
それでも、「あれは何だ!?」「不気味……!」そんなすれ違う人たちの声を聞いているうちに、私はみるみるうちに活気を取り戻していきました。
それだけでは有りません──今まで感じた事のない程の高揚感が心を満たしたのです。
人間が私を見て驚いている……私を畏れている。
妖怪にとって最高の甘美に心が踊らずにはいられませんでした。
「はははははっ……! 笑いが止まらないね!」
これが本来の有るべき姿──私の本性。
そう……最初から出会ってなどいけなかったのです。
交わってなどいけなかったのです。
「住む世界が違ったんだ……! それだけじゃない! ははは……そう──それだけのことでしょ?」
可笑しい筈なのに……!
今の私は妖怪として本当の自分を取り戻せた筈なのに……!
だけど失ってはいけないと心が叫びます……!
思い出を──
温もりを──
家族を──
妖怪として何一つ必要のない筈のものが、多々良小傘には恋しくて仕方ない──締め付けるような胸の痛みに、私はがっくりと膝を折りました。
まさか──消えようとしている?
畏れを取り戻した筈なのに、それでもまだ何が足りないと言うのでしょうか?
「……もう、いいや。疲れちゃったよ……ごめんね、小猫……もう、会いに行けないや……。」
名前を口にした途端、堪えていた涙がどっと溢れ出てきました。
会いたい──
会いたいよ──
会いたいよ……小猫──!
届く筈のない願い……もう声を出す気力さえも残っていません。
無様にも地面に崩れ落ちてそのまま瞳を閉じ、後は消えるのを待つのみとそう思ったその時でした。
(ここにいるよ……!)
「…………え?」
声がしました。
耳からではなく、直接心に響くようにその声は確かに聞こえたのです。
「小猫……?」
鳴く声しか聞いた事がない筈なのに……。
その声の正体が小猫だと私には分かりました。
ペロッ
「小猫……やっぱり──あなた! どうしてここに!?」
さっきまで喋る気力すら無かった筈なのに。
小猫の姿を見た瞬間、身体に力が戻りました。
にゃあ……。
腕に力を込めて上半身だけ起こせば、小猫と視線を合わせる事ができました。
足りなかったのはやっぱりあなただったんですね……小猫。
だけど──
「どうしてこんな所に来たの!? あなたの事は聖さんにお願いしたんだよ!?」
──だけど、一緒には居られない。
命蓮寺に居た方が小猫にとってずっと幸せなんです!
こんな薄汚い妖怪と一緒に居るより、ずっと……!
「聖さんはあなたの面倒を見てくれると約束してくれました……! ぬえさんもきっとあなたの事気にかけてくれる筈です!」
にゃあ……。
お願いだから、そんな眼で見ないでっ……。
挫けそうになる意思を必死に繋ぎとめて、私は小猫に戻るようにと訴えます。
「星さんは貴方の言葉だって分かるんだよ? 村紗さんはおっちょこちょいですが優しい方ですし、一輪さんが居てくれればご飯を食べ損なう事もありません……!
ナズーリンさんだって、凄いしっかり者さんですし──」
にゃあ……?
それでも小猫は動こうとはしません。
ただじっと私を見つめて……私だけをその瞳に映しています。
「──どうして……? あなたはもっと、聞き分けの良い仔だったでしょう?……帰りなさい!……帰るんです!!」
私のどこにこんな力が残っていたんでしょう……そう思う程、私は力の限り叫びました。
分かっているんです……私には小猫が必要なんだって……分かってしまったけど……私の為にこの仔の幸せを犠牲になんてできる筈ない……!
にゃ! にゃあ!
「……ダメなんです、小猫……。私じゃ満足にごはんも出してあげられないんですよ?」
にゃあ……!
どんなに強く拒絶しようとも、小猫は私から離れようとはしませんでした。
それどころか、何度も何度も……私の頬にじゃれるようにして頬を寄せてきます。
まるで、私を求めるように……。私じゃないと駄目だって、小猫も言ってくれているようで……。
「私で……私で本当に良いんですか……?」
にゃあ。
「私っ……! わ゛だし……!」
もう何も言えませんした……。
口から出るのは嗚咽ばかりで……それでも小猫は分かってくれているようで……。
ただ私の事をじっと見つめて私が泣き止むのを、私の言葉を待っています。
「小猫……私と一緒に、来てくれますか……?」
バッ!
「ひゃっ……!?」
にゃあ!
突然飛びつかれて慌てる私に構わず、小猫は執拗に頬を舌で舐めてきました。
「……ありがとう、小猫……これからも一緒です。」
小さな……だけど温かなその身体を私は強く抱きしめました。
「なにこの仔可愛い!」
「捨て猫かなぁ……? 首輪もしてないし……だけどなんで傘の上に?」
──今です!
「うらめしや~!」
「「きゃっ!?」」
バッと傘を翻し私は人間の子供達を脅かしました。
まさか子猫が乗っていた傘が妖怪傘だったなんて思いもしなかったようで、人間の少女達は尻餅を着いて驚いてくれました。
「あはっ! 驚いた? 驚いた?」
すかさず前に出て出来るだけ陽気に振る舞い少女達に声を掛けます。
小猫もさっと私の肩へと帰ってきました。
「あは……あはははっ!」
「ああぁ~びっくりした。」
少女達も身の危険がない事を察してくれたのか、すぐに笑顔が戻ってきました。
どうやら、ちょっとしたサプライズと受け止めて貰えたようです──私には大事な栄養補給なんですけどね。
さて、それでは次は小猫のごはんも確保しないとですね。
「ねえ君たち。驚きついでで悪いんだけど、この仔のごはんになるもの何か持ってないかな?」
にゃにゃあ~ん?
肩に乗せた小猫を指して少女達に尋ねます。
すると私の話に合わせるように、小猫もおねだりするように鳴きました。
「あっ! わたし牛乳持ってるよ! 寺小屋の給食に出たやつ!」
「あんたまた残したの……? そんなんだから身長伸びないんだよ?」
そんなやり取りを交わしながら、一人の少女が鞄から取り出したのはまだ封も開けてない牛乳でした。
どうやら狙い通りにいったようです。
(やったね、小猫。)
にゃあ!
「でも良いのかな? ただで貰っちゃって……?」
「良いよ! わたしたちも楽しかったし……ね?」
「うん! わたしなんてまだドキドキしてるよ……!」
「ありがとう! ほら、小猫。お姉ちゃん達にお礼言って。」
にゃあ~。
「「可愛いぃ~~~!」」
命蓮寺の皆さんへ──
私たちは何とか毎日を楽しくやってます。
これも全て、皆さんのお陰です。
皆さんはお変わりなくやって居られるでしょうか?
思い返せば、命蓮寺でお世話になった時間は本当に僅かな時間でした……だけど毎日が新鮮で、毎日が温かくて……私は一生忘れないと思います。
ありがとうございました……そして、またいつか。
──多々良小傘より。
最後の小猫とのコンビの驚かせが一段と人畜無害っぽさを発揮していて凄く和みました。
また時々でいいから小傘ちゃんが命蓮寺に遊びに行った話を読みたいですね。
ところで次から次に人間が驚いて天狗になった小傘ちゃんが暴走してしまうのかと思ったのは内緒。
今回初めてコメントさせてもらいますが、今まで楽しくこのシリーズを読ませていただきました。
可愛い小傘をありがとう。