自己解釈、設定など少し。
私にはお姉ちゃんがいます。
とても優しいお姉ちゃんです。とても可愛いお姉ちゃんです。
だけど、少しドジなところがあります。いじわるなところがあります。
お料理は上手に作れないし、作れないのに一緒に作ろうなんていって、そのあげく失敗したものはペットにあげよう、なんて言うのです。
お風呂だって、自分から一緒に入ろうなんて言うくせに、私が背中を流してあげたら、すぐに自分だけ湯船に入り込んでしまいます。「洗って」ってお願いするのを、にこにこしながら待っているのです。
あと、お姉ちゃんはカメラが下手です。お姉ちゃんは最近、地上で拾ったカメラに夢中なようで、いつも地底の空をおさめた写真を私にみせてくれます。一つ一つを私に差し出しては、いつも地底の様子をていねいに教えてくれるのです。本当を言うと、全部全部、真っ黒ばかりで、日々の変化とかは、よくわからないんだけど。
私のお姉ちゃんは、少しドジで、いじわるな人です。
だけど、とても優しい、可愛いお姉ちゃんです。
そして、とっても大切なお姉ちゃんです。
私とお姉ちゃんは二人暮しです。猫とか鴉とか、ペットが何匹かいたりするけど、家族は私とお姉ちゃんの二人だけです。
ペットは可愛いです。ペットはいつも私の相手をしてくれて、優しいから、好きです。
けれど、家族は私とお姉ちゃんの二人だけです。私達は二人きりで生きています。
とっても大切な、お姉ちゃんです。
+ + + +
お父さんは、まだお姉ちゃんが生まれる前に死んでしまって、お母さんは、お姉ちゃんが5つの頃にいなくなりました。
お母さんがいなくなった日、お姉ちゃんは私に、「二人だけで生きていくんだよ」と教えてくれました。「二人だけで生きていくしかないんだよ」と笑いながら言いました。「やっと二人だけになれた」、まるで待ち望んでいたことかのように。
お姉ちゃんとお母さんが珍しく、本当に珍しく、二人きりで出かけた帰り、一人だけで戻ってきたお姉ちゃんは、続けて、私の好きだった二人のことを嫌いだといいました。私は、お母さんがいないことが悲しくて、そしてお姉ちゃんが、私の好きな人を嫌いだということが悲しくて、そして二人きりで生きていくことが、恐ろしくてたまらなくて、何も言えずに黙っていました。
けれど私達はこのとき、二人ともが、心の読めるさとり妖怪だったから。言葉がなくても、お姉ちゃんの気持ちは私のものに、私の気持ちはお姉ちゃんのものだったから、あの時は。喜んでほしいという、お姉ちゃんの心は、見えていました。そして同じように、喜ぶことのできなかった、私の心は、見られていました。
ぱきんと、何かが、硬い何かが割れるような音ひとつ立てて、私達の気持ちは、2つになりました。それから、私の言葉は私のものに、お姉ちゃんの言葉はお姉ちゃんのものになりました。
+ + + +
お姉ちゃんは時々わからないことを言います。
私のことを「可哀相だ」と、悲しそうな顔をして言います。嬉しそうな顔をして言います。
なんでそんなこと言うの、と聞いても、お姉ちゃんは何も言わず、どこかへ行ってしまうだけです。
「それがわからないから、可哀相なのよ」という言葉ひとつきり、残してどこかへ行ってしまいます。
どこかへ行ってしまったお姉ちゃんは、笑っているのか、泣いているのか、私からは見えません。私にはわかりません。
不思議だな、と思う気持ちと、どこかほっとしたような気持ち。だから私は、寂しいけど、胸が苦しくなることはなくて、ただお姉ちゃんが戻ってくるのを、待つだけになります。
お姉ちゃんは私が見る限り、とっても表情が豊かです。他の人は、お姉ちゃんは心を閉ざして、感情が欠落している、だなんて言いますが、私の前では、泣いたり笑ったりが、とても忙しい人です。
私はお姉ちゃんの心なんて読めないから、わからないことを言う人だなあ、といつも思っているけれど、けれどきっと、その時々に垣間見える感情は、全て本物なんです。私はいつも、そう信じているの。
お姉ちゃんが笑っているなら、お姉ちゃんは楽しいのでしょう。お姉ちゃんが泣いているなら、お姉ちゃんは悲しいのでしょう。心が読めない私は、お姉ちゃんの言葉と、お姉ちゃんの顔と、見えるもの、聞こえるものを信じる外、術がないのです。
+ - + -
今日はお姉ちゃんが、私に、「お姉ちゃんになりたいの?」と聞いてきました。
私が答えずにいると、「そうだと思ったのに、そうだとばかり思ったのに」と言って、笑いました。そして、「ごめん」と言葉をこぼしてから、しくしくと泣き始めてしまいました。
「私がお姉ちゃんでいてあげるから、我慢してね」
とんでもない、お姉ちゃん以外に、私のお姉ちゃんなんていないのに。笑いながら、泣きながら言うお姉ちゃん。こんなお姉ちゃんを見ていると、私はいつも胸が苦しくなります。
「お料理下手なのに?」
「一緒につくろうよ、今みたいに」
「背中流すのだって、下手だし」
「だから言わないとしてくれないの?いじわるだと思ってた」
「カメラだって上手に撮れないのよ」
「今度は、私も一緒に行きたい」
うつむいて泣き続けるお姉ちゃんに焦りながらも、何故か足は竦んで、その顔色をうかがうことも、近づくことも、できません。行ったところで、かける言葉なんて、今この距離をもって投げられる言葉と、何一つ変わりはしないのだから。
お姉ちゃんのために、近寄って抱きしめてあげるなんてことは、できない。
「――どうしたってね」
お姉ちゃんの声が、すすり泣く声が消えて、言葉だけが、落ちます。
「完璧なお姉ちゃんになんて、なれないのよ」
「そんなのどうでもいい。お姉ちゃんなら、なんでもいい」
しぃん、と。
時間を止められたことなんてないけど、時間が止まったみたいに、音も、光も、一瞬の間に全てが消えて、そして私が気付かないうちに、生まれなおしたみたいに。
「そうだったのね」
うつむいて、涙を拭っていた袖が、腕が、言葉と入れ替わりに、ぴたりと止まります。
「それが望んでいることだったの」
お姉ちゃんがゆっくりと顔を上げました。顔は隠されたまま、ゆっくりと背筋を伸ばして、色の濃くなった袖口の隙間から、ぱっくり裂けたように吊りあがる口元が見えます。
「それが本当は欲しかったの」
むき出された白い歯と、その隙間から漏れ出る言葉。
嬉しさが堪えきれないようでいて、苦しげに吐き出されるようでいて、その実、ただ紙に書かれた文章を朗読をしているだけのような、無機質な声色。
「『そこ』になかったら、わからなかったわ」
お姉ちゃんは、時々わからないことを言うのです。
そうして、なにやら腕組みをして、一人で納得したように大きく頷いたあと。お姉ちゃんは、それはもう清清しさを感じさせるように綺麗に、にっこり笑いました。目からは、滔滔と何かを溢れさせたままに。
「私じゃないとわからなかったでしょうね。大体が回りくどいのよ。寂しんぼの癖して」
「意味わからない。わからないの、もういい」
お姉ちゃんは、時々わからないのです。
だからこんな時私は、いつもお姉ちゃんに抱きつくのです。お姉ちゃんの心臓を探し当てるみたいに、胸に顔をうずめて、身体の中から、上から、鼓動と言葉を聴くのです。感じるのです。
先ほどまで竦んでいた足は、嘘のように、素早く動きました。お姉ちゃんのために動かなかった足も、私のためならば、動くのです。
「戻ったって、変わらないのに」
お姉ちゃんは、言う言葉と、示す表情がちぐはぐで、言う言葉も、示す表情も、それぞれこそがちぐはぐで。私はいつもそれで混乱しちゃうから、だから、見えないように、聞こえるものだけ、もしくは、見えるものだけで、終えられるように。
そしてその間、お姉ちゃんがお姉ちゃんでいてくれる間だけでも、私から離れて行ってしまわないように。
「『今だけなら、いいですよ。甘えても』」
どこか作ったような言い方で、ぎゅうと抱き返してくるお姉ちゃんに、何故だか今日は、私こそが、思わず涙を流してしまいました。いつもは、目が乾いて体が乾いて、仕方がないくらいなのに。私のどこにこんな水分があったのだろう、というほどに。私の全てを巡る、赤い何かが枯渇するほどに。この目ごと、溶けて流すほどに。
今日だけなんていわないで。もっと強く抱きしめて。背中にちゃんと、腕を回して。届いてない、もっと、もっと、大きくなって。
私を見て。お姉ちゃんは、私を見て。お姉ちゃんを見てない、私を見て。
- - - -
月を偽った丸い光が、静かに瞼を刺激して目が覚めた。
ゆるりと視界を開き、二、三度瞬くと、薄ぼんやりとしていた世界が鮮やかさを取り戻し始める。
「……いつの間にか、寝てたのね」
目覚めるなり襲い来る嘔気を厭いながらも、光の差すもとを見やる。どうやら、窓を開けたまま意識を落としていたらしかった。先ほどまで雲に隠されていたそれが、煌煌と輝いて部屋を照らしている。
この光は、地底の空(この表現も、少しおかしいけれど)にぶら下げてある『月』だ。遠い日に見た限りのそれを模して、光る珠を作ってみたのだった。最近は地上と地底の行き来が増えたから、あちらの文化がこちらにももたらされるようになった。
と、いうことは、今は夜なのか。
軽く目を擦って、指が冷たくなっていることに気がついた。まだ秋も始まろうか否かという時分なのに、今夜はやけに冷える。
おまけに、自室ですらなく、リビングだったから窓が大きい。これが開いていたなら、それは寒いだろう。
しかし、首元には柔らかなあたたかさ。手をやれば、毛布の質感が指に伝わった。顔を向けると、肩に引っかかるようにしていたそれがズレ落ち、ソファの後ろへ落ちてしまった。オリーブグリーンのクォーターケット、見たことのない色だとは思いながらも、この無造作なかけ方から見るに、さてはペットの誰かが気遣ってくれたのだろう、と納得する。
「拾わないと――」
起き上がろうとして――身体を起こす腕がくずおれかけて、思いのほか自分は安定を失していることに気付いた。けれど、思いを馳せればそれだけ心がしびれてしまうから、追いやるかのように頭を振る。これに捉えられているばかりに、寝不足が続くのだ。
(変な夢……最近ずっと見る、夢)
眠ると、夢を見る。夢の内容はよく覚えていない、あるのは目覚めた瞬間の、がらんどうな部屋、孤独な心、何も映さない第三の瞳、それから私。夢の中で私は、誰かと一緒にいるのかもしれない。そしてそれは夢だから、起きた今の瞬間は、起きている間なら思いも、感じもしないような空虚さに、ただただ胸を締め付けられてしまうのかもしれない。今日などは、ほら、頬が冷たい。涙だけは、きっと夢と同期しているのだ。
ふる、と首を左右に振って、軽く目を閉じる。まずは窓を閉めて、カーテンを引いて、そして落し物を拾ってから、部屋に帰らなければならない。未練がましく居間にしがみついた所で意味などない。まずは、立ち上がらなければ。
足の指にぐっと力を入れて、そしてソファの縁を押さえて腰を上げる。月は、もしかしたら明るく作りすぎたかもしれない、灯りを落としている部屋の中でさえ、足元に迷うことがない。
そういえば、消した記憶なんて――ああ、退室する時にでも消したのだろう。ここまでしてくれるのは親切なことだが、それくらいなら起こしてくれればいいのに、と、不器用さが少し微笑ましい。
しかし。先に光源を遮ってしまえば、いくら馴染んだ部屋とはいえ、多少心もとない。先に気付くことのできなかった自分に嘆息しつつ、一旦カーテンに手をかけるまでに至ったその踵を返し、出入り口横のスイッチのもとへと歩みを進める。
そしてさぁ、灯りをつけよう――といったところで、もやもやとした気配を感じた。直後、ノックの音とともに、蚊の鳴くような声が聞こえた。
「……こいしさま」
おぼつかない足取りで部屋の前に現れたのは空だった。珍しい、私なら起きていて当然の時間だけれど、彼女はいつも、この二時間くらいは早く眠る。寝巻き姿のまま、まだはっきりと開かない瞼の奥には、いつもの勝気な瞳は見えない。どこか定まらない視線が、すぐ横にいる私に気付かず、部屋の中をゆらゆらと揺れている。
「――どうしたの? こんな時間に」
「えっ、あ、あ、わあ!!?」
体いっぱいで驚きを表現して、ともすれば腰を抜かしてしまいそうになった空の背に腕を回し、支える。もう一度同じ質問をしてみるものの、慌てふためき、混乱しているということしかわからない。しかも、本気ですっぽぬけている。まだ眠気が覚めやらないのだろう。呆れたような私の眼差しに気がついて、傍目にも明らかに狼狽する。
「あの、あのあの…その、あ! そうだ、思い出した! こいしさま! 明日さとりさまのお誕生日ですから、せめて朝までは地霊殿(ここ)にいてくださいって、言うようにって、お燐から言付かってて。だからきたんですが――」
首と一緒に、きょろきょろと視線が巡る。私と、部屋と、交互に行き来し、落ち着きがない。何か探しているようなので、大して変わらないだろうと思いながらも、ぱちんと電気をつけてやる。そうして最後に数秒、呆けたのちに、空の視線が、私の顔の上でぴたと止まる。
「こいしさまは、ご一緒じゃないのですか? さとりさま」
そしてここで漸く、空の思考と空の言葉が同期する。
「地霊殿の玄関でお会いした時は、さとりさまに会いに行くって仰ってたのに。お部屋にもいらっしゃらないし、一体どこへ行かれたのやら……」
さもついさっき起こったことのような言い方をしているけれど、心を読める私には全てお見通し。伝言は夕飯の時に受けているくせに、ごちそうさまを言った次には忘れてる。お風呂に入って、部屋でごろごろして、そのまま寝て。今だって、お燐にせっつかれてから来たようなものだ。
「あの子はよくわからないから。まあ、夕飯くらいは用意しておきましょう。夜ならもしかしたら帰ってくるかもしれないわ。……それより」
本当は、くすりと笑えて仕方ないけれど、こちらの心は読めないのをいいことに、怒ったフリをして叱ってやる。
「夕方の話なんじゃない、それ。……忘れてた? もう、これからは三歩以内にメモすることを覚えるのね」
「うにゅう…さとりさま酷い…」
「酷いけど好き、ね。ありがとうございます」
「わああ、今読んじゃ駄目です!」
「そんなの言われたって……。ん? ……やばいプレゼントばれちゃう、ですか? なら、早くおいきなさい。贈り物が何か、当ててしまいますよ」
どこか楽しそうな悲鳴を上げながら、廊下をぱたぱたと駆けていく。そしてブレーキがかかったかのように立ち止まると、思い出したとばかりに戻ってきて、「おやすみなさい!」と笑顔を向けてくる。
そして、またも駆け出した空の背中を、ただ見送るだけの私。「もう遅いのよ、静かになさい」と注意しようと開いた口が、何も語らず閉じられてしまう。
愛されている。違えようのない現実、事実、真実。嫌われ者のさとり妖怪には、過ぎた光栄だ。
それなのに、胸をつくのは、理由もわからない空虚な心。
不意に頬が冷たく感じられて、しまった、涙のことを忘れていたと、袖で拭う。けれど、乾きかけていたはずのそれは、拭けども拭けども布を冷たくするだけ。
「……ああ、拾わないと」
歪む視界を諦めて、そういえば落としたままだったと、落ちてしまっていた毛布を拾う。その時丁度、ソファの下に何かが挟まっているのを見つけた。
「あら、写真……」
また、妹が置いていったのだろうか。
拾い上げたそれを顔の近くに寄せる。目を凝らしても、何も見えない。揺れた黒しか見えない。壊れたカメラを操る妹の写真は、誰の姿も、何の姿も、浮かべることはない。妹の言葉がなければ、いつだって私に、この写真の正体がわかった試しなんて、ないのだ。それを、強く意識する。
「何を撮ったつもりか、くらい、聞かせてくれればいいのに」
ケットをソファの背にかける。ここにおいていれば、持ち主がきちんと見つけて回収するだろう。
写真だけ、大事にポケットにしまいこんで、カーテンを引いた。何も映さないこの紙切れが、けれど妹が私に残してくれる唯一の、形あるものだから。そういった肩書きをえて、この紙片は宝物になる。
灯りを落として、扉を閉める前に、もう一度部屋の中を見た。真っ暗だ。写真と同じ。見つめていると何かが見える気がするのに、その実そこにあるものは決して浮かんでこない深い闇。
ぱたん、と空間を戸が隔絶する間際、「おやすみ」と誰かに言われた気がした。開けて確かめることも億劫に感じられて、私は何も返さずにそのまま部屋を後にした。
私にはお姉ちゃんがいます。
とても優しいお姉ちゃんです。とても可愛いお姉ちゃんです。
だけど、少しドジなところがあります。いじわるなところがあります。
お料理は上手に作れないし、作れないのに一緒に作ろうなんていって、そのあげく失敗したものはペットにあげよう、なんて言うのです。
お風呂だって、自分から一緒に入ろうなんて言うくせに、私が背中を流してあげたら、すぐに自分だけ湯船に入り込んでしまいます。「洗って」ってお願いするのを、にこにこしながら待っているのです。
あと、お姉ちゃんはカメラが下手です。お姉ちゃんは最近、地上で拾ったカメラに夢中なようで、いつも地底の空をおさめた写真を私にみせてくれます。一つ一つを私に差し出しては、いつも地底の様子をていねいに教えてくれるのです。本当を言うと、全部全部、真っ黒ばかりで、日々の変化とかは、よくわからないんだけど。
私のお姉ちゃんは、少しドジで、いじわるな人です。
だけど、とても優しい、可愛いお姉ちゃんです。
そして、とっても大切なお姉ちゃんです。
私とお姉ちゃんは二人暮しです。猫とか鴉とか、ペットが何匹かいたりするけど、家族は私とお姉ちゃんの二人だけです。
ペットは可愛いです。ペットはいつも私の相手をしてくれて、優しいから、好きです。
けれど、家族は私とお姉ちゃんの二人だけです。私達は二人きりで生きています。
とっても大切な、お姉ちゃんです。
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お父さんは、まだお姉ちゃんが生まれる前に死んでしまって、お母さんは、お姉ちゃんが5つの頃にいなくなりました。
お母さんがいなくなった日、お姉ちゃんは私に、「二人だけで生きていくんだよ」と教えてくれました。「二人だけで生きていくしかないんだよ」と笑いながら言いました。「やっと二人だけになれた」、まるで待ち望んでいたことかのように。
お姉ちゃんとお母さんが珍しく、本当に珍しく、二人きりで出かけた帰り、一人だけで戻ってきたお姉ちゃんは、続けて、私の好きだった二人のことを嫌いだといいました。私は、お母さんがいないことが悲しくて、そしてお姉ちゃんが、私の好きな人を嫌いだということが悲しくて、そして二人きりで生きていくことが、恐ろしくてたまらなくて、何も言えずに黙っていました。
けれど私達はこのとき、二人ともが、心の読めるさとり妖怪だったから。言葉がなくても、お姉ちゃんの気持ちは私のものに、私の気持ちはお姉ちゃんのものだったから、あの時は。喜んでほしいという、お姉ちゃんの心は、見えていました。そして同じように、喜ぶことのできなかった、私の心は、見られていました。
ぱきんと、何かが、硬い何かが割れるような音ひとつ立てて、私達の気持ちは、2つになりました。それから、私の言葉は私のものに、お姉ちゃんの言葉はお姉ちゃんのものになりました。
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お姉ちゃんは時々わからないことを言います。
私のことを「可哀相だ」と、悲しそうな顔をして言います。嬉しそうな顔をして言います。
なんでそんなこと言うの、と聞いても、お姉ちゃんは何も言わず、どこかへ行ってしまうだけです。
「それがわからないから、可哀相なのよ」という言葉ひとつきり、残してどこかへ行ってしまいます。
どこかへ行ってしまったお姉ちゃんは、笑っているのか、泣いているのか、私からは見えません。私にはわかりません。
不思議だな、と思う気持ちと、どこかほっとしたような気持ち。だから私は、寂しいけど、胸が苦しくなることはなくて、ただお姉ちゃんが戻ってくるのを、待つだけになります。
お姉ちゃんは私が見る限り、とっても表情が豊かです。他の人は、お姉ちゃんは心を閉ざして、感情が欠落している、だなんて言いますが、私の前では、泣いたり笑ったりが、とても忙しい人です。
私はお姉ちゃんの心なんて読めないから、わからないことを言う人だなあ、といつも思っているけれど、けれどきっと、その時々に垣間見える感情は、全て本物なんです。私はいつも、そう信じているの。
お姉ちゃんが笑っているなら、お姉ちゃんは楽しいのでしょう。お姉ちゃんが泣いているなら、お姉ちゃんは悲しいのでしょう。心が読めない私は、お姉ちゃんの言葉と、お姉ちゃんの顔と、見えるもの、聞こえるものを信じる外、術がないのです。
+ - + -
今日はお姉ちゃんが、私に、「お姉ちゃんになりたいの?」と聞いてきました。
私が答えずにいると、「そうだと思ったのに、そうだとばかり思ったのに」と言って、笑いました。そして、「ごめん」と言葉をこぼしてから、しくしくと泣き始めてしまいました。
「私がお姉ちゃんでいてあげるから、我慢してね」
とんでもない、お姉ちゃん以外に、私のお姉ちゃんなんていないのに。笑いながら、泣きながら言うお姉ちゃん。こんなお姉ちゃんを見ていると、私はいつも胸が苦しくなります。
「お料理下手なのに?」
「一緒につくろうよ、今みたいに」
「背中流すのだって、下手だし」
「だから言わないとしてくれないの?いじわるだと思ってた」
「カメラだって上手に撮れないのよ」
「今度は、私も一緒に行きたい」
うつむいて泣き続けるお姉ちゃんに焦りながらも、何故か足は竦んで、その顔色をうかがうことも、近づくことも、できません。行ったところで、かける言葉なんて、今この距離をもって投げられる言葉と、何一つ変わりはしないのだから。
お姉ちゃんのために、近寄って抱きしめてあげるなんてことは、できない。
「――どうしたってね」
お姉ちゃんの声が、すすり泣く声が消えて、言葉だけが、落ちます。
「完璧なお姉ちゃんになんて、なれないのよ」
「そんなのどうでもいい。お姉ちゃんなら、なんでもいい」
しぃん、と。
時間を止められたことなんてないけど、時間が止まったみたいに、音も、光も、一瞬の間に全てが消えて、そして私が気付かないうちに、生まれなおしたみたいに。
「そうだったのね」
うつむいて、涙を拭っていた袖が、腕が、言葉と入れ替わりに、ぴたりと止まります。
「それが望んでいることだったの」
お姉ちゃんがゆっくりと顔を上げました。顔は隠されたまま、ゆっくりと背筋を伸ばして、色の濃くなった袖口の隙間から、ぱっくり裂けたように吊りあがる口元が見えます。
「それが本当は欲しかったの」
むき出された白い歯と、その隙間から漏れ出る言葉。
嬉しさが堪えきれないようでいて、苦しげに吐き出されるようでいて、その実、ただ紙に書かれた文章を朗読をしているだけのような、無機質な声色。
「『そこ』になかったら、わからなかったわ」
お姉ちゃんは、時々わからないことを言うのです。
そうして、なにやら腕組みをして、一人で納得したように大きく頷いたあと。お姉ちゃんは、それはもう清清しさを感じさせるように綺麗に、にっこり笑いました。目からは、滔滔と何かを溢れさせたままに。
「私じゃないとわからなかったでしょうね。大体が回りくどいのよ。寂しんぼの癖して」
「意味わからない。わからないの、もういい」
お姉ちゃんは、時々わからないのです。
だからこんな時私は、いつもお姉ちゃんに抱きつくのです。お姉ちゃんの心臓を探し当てるみたいに、胸に顔をうずめて、身体の中から、上から、鼓動と言葉を聴くのです。感じるのです。
先ほどまで竦んでいた足は、嘘のように、素早く動きました。お姉ちゃんのために動かなかった足も、私のためならば、動くのです。
「戻ったって、変わらないのに」
お姉ちゃんは、言う言葉と、示す表情がちぐはぐで、言う言葉も、示す表情も、それぞれこそがちぐはぐで。私はいつもそれで混乱しちゃうから、だから、見えないように、聞こえるものだけ、もしくは、見えるものだけで、終えられるように。
そしてその間、お姉ちゃんがお姉ちゃんでいてくれる間だけでも、私から離れて行ってしまわないように。
「『今だけなら、いいですよ。甘えても』」
どこか作ったような言い方で、ぎゅうと抱き返してくるお姉ちゃんに、何故だか今日は、私こそが、思わず涙を流してしまいました。いつもは、目が乾いて体が乾いて、仕方がないくらいなのに。私のどこにこんな水分があったのだろう、というほどに。私の全てを巡る、赤い何かが枯渇するほどに。この目ごと、溶けて流すほどに。
今日だけなんていわないで。もっと強く抱きしめて。背中にちゃんと、腕を回して。届いてない、もっと、もっと、大きくなって。
私を見て。お姉ちゃんは、私を見て。お姉ちゃんを見てない、私を見て。
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月を偽った丸い光が、静かに瞼を刺激して目が覚めた。
ゆるりと視界を開き、二、三度瞬くと、薄ぼんやりとしていた世界が鮮やかさを取り戻し始める。
「……いつの間にか、寝てたのね」
目覚めるなり襲い来る嘔気を厭いながらも、光の差すもとを見やる。どうやら、窓を開けたまま意識を落としていたらしかった。先ほどまで雲に隠されていたそれが、煌煌と輝いて部屋を照らしている。
この光は、地底の空(この表現も、少しおかしいけれど)にぶら下げてある『月』だ。遠い日に見た限りのそれを模して、光る珠を作ってみたのだった。最近は地上と地底の行き来が増えたから、あちらの文化がこちらにももたらされるようになった。
と、いうことは、今は夜なのか。
軽く目を擦って、指が冷たくなっていることに気がついた。まだ秋も始まろうか否かという時分なのに、今夜はやけに冷える。
おまけに、自室ですらなく、リビングだったから窓が大きい。これが開いていたなら、それは寒いだろう。
しかし、首元には柔らかなあたたかさ。手をやれば、毛布の質感が指に伝わった。顔を向けると、肩に引っかかるようにしていたそれがズレ落ち、ソファの後ろへ落ちてしまった。オリーブグリーンのクォーターケット、見たことのない色だとは思いながらも、この無造作なかけ方から見るに、さてはペットの誰かが気遣ってくれたのだろう、と納得する。
「拾わないと――」
起き上がろうとして――身体を起こす腕がくずおれかけて、思いのほか自分は安定を失していることに気付いた。けれど、思いを馳せればそれだけ心がしびれてしまうから、追いやるかのように頭を振る。これに捉えられているばかりに、寝不足が続くのだ。
(変な夢……最近ずっと見る、夢)
眠ると、夢を見る。夢の内容はよく覚えていない、あるのは目覚めた瞬間の、がらんどうな部屋、孤独な心、何も映さない第三の瞳、それから私。夢の中で私は、誰かと一緒にいるのかもしれない。そしてそれは夢だから、起きた今の瞬間は、起きている間なら思いも、感じもしないような空虚さに、ただただ胸を締め付けられてしまうのかもしれない。今日などは、ほら、頬が冷たい。涙だけは、きっと夢と同期しているのだ。
ふる、と首を左右に振って、軽く目を閉じる。まずは窓を閉めて、カーテンを引いて、そして落し物を拾ってから、部屋に帰らなければならない。未練がましく居間にしがみついた所で意味などない。まずは、立ち上がらなければ。
足の指にぐっと力を入れて、そしてソファの縁を押さえて腰を上げる。月は、もしかしたら明るく作りすぎたかもしれない、灯りを落としている部屋の中でさえ、足元に迷うことがない。
そういえば、消した記憶なんて――ああ、退室する時にでも消したのだろう。ここまでしてくれるのは親切なことだが、それくらいなら起こしてくれればいいのに、と、不器用さが少し微笑ましい。
しかし。先に光源を遮ってしまえば、いくら馴染んだ部屋とはいえ、多少心もとない。先に気付くことのできなかった自分に嘆息しつつ、一旦カーテンに手をかけるまでに至ったその踵を返し、出入り口横のスイッチのもとへと歩みを進める。
そしてさぁ、灯りをつけよう――といったところで、もやもやとした気配を感じた。直後、ノックの音とともに、蚊の鳴くような声が聞こえた。
「……こいしさま」
おぼつかない足取りで部屋の前に現れたのは空だった。珍しい、私なら起きていて当然の時間だけれど、彼女はいつも、この二時間くらいは早く眠る。寝巻き姿のまま、まだはっきりと開かない瞼の奥には、いつもの勝気な瞳は見えない。どこか定まらない視線が、すぐ横にいる私に気付かず、部屋の中をゆらゆらと揺れている。
「――どうしたの? こんな時間に」
「えっ、あ、あ、わあ!!?」
体いっぱいで驚きを表現して、ともすれば腰を抜かしてしまいそうになった空の背に腕を回し、支える。もう一度同じ質問をしてみるものの、慌てふためき、混乱しているということしかわからない。しかも、本気ですっぽぬけている。まだ眠気が覚めやらないのだろう。呆れたような私の眼差しに気がついて、傍目にも明らかに狼狽する。
「あの、あのあの…その、あ! そうだ、思い出した! こいしさま! 明日さとりさまのお誕生日ですから、せめて朝までは地霊殿(ここ)にいてくださいって、言うようにって、お燐から言付かってて。だからきたんですが――」
首と一緒に、きょろきょろと視線が巡る。私と、部屋と、交互に行き来し、落ち着きがない。何か探しているようなので、大して変わらないだろうと思いながらも、ぱちんと電気をつけてやる。そうして最後に数秒、呆けたのちに、空の視線が、私の顔の上でぴたと止まる。
「こいしさまは、ご一緒じゃないのですか? さとりさま」
そしてここで漸く、空の思考と空の言葉が同期する。
「地霊殿の玄関でお会いした時は、さとりさまに会いに行くって仰ってたのに。お部屋にもいらっしゃらないし、一体どこへ行かれたのやら……」
さもついさっき起こったことのような言い方をしているけれど、心を読める私には全てお見通し。伝言は夕飯の時に受けているくせに、ごちそうさまを言った次には忘れてる。お風呂に入って、部屋でごろごろして、そのまま寝て。今だって、お燐にせっつかれてから来たようなものだ。
「あの子はよくわからないから。まあ、夕飯くらいは用意しておきましょう。夜ならもしかしたら帰ってくるかもしれないわ。……それより」
本当は、くすりと笑えて仕方ないけれど、こちらの心は読めないのをいいことに、怒ったフリをして叱ってやる。
「夕方の話なんじゃない、それ。……忘れてた? もう、これからは三歩以内にメモすることを覚えるのね」
「うにゅう…さとりさま酷い…」
「酷いけど好き、ね。ありがとうございます」
「わああ、今読んじゃ駄目です!」
「そんなの言われたって……。ん? ……やばいプレゼントばれちゃう、ですか? なら、早くおいきなさい。贈り物が何か、当ててしまいますよ」
どこか楽しそうな悲鳴を上げながら、廊下をぱたぱたと駆けていく。そしてブレーキがかかったかのように立ち止まると、思い出したとばかりに戻ってきて、「おやすみなさい!」と笑顔を向けてくる。
そして、またも駆け出した空の背中を、ただ見送るだけの私。「もう遅いのよ、静かになさい」と注意しようと開いた口が、何も語らず閉じられてしまう。
愛されている。違えようのない現実、事実、真実。嫌われ者のさとり妖怪には、過ぎた光栄だ。
それなのに、胸をつくのは、理由もわからない空虚な心。
不意に頬が冷たく感じられて、しまった、涙のことを忘れていたと、袖で拭う。けれど、乾きかけていたはずのそれは、拭けども拭けども布を冷たくするだけ。
「……ああ、拾わないと」
歪む視界を諦めて、そういえば落としたままだったと、落ちてしまっていた毛布を拾う。その時丁度、ソファの下に何かが挟まっているのを見つけた。
「あら、写真……」
また、妹が置いていったのだろうか。
拾い上げたそれを顔の近くに寄せる。目を凝らしても、何も見えない。揺れた黒しか見えない。壊れたカメラを操る妹の写真は、誰の姿も、何の姿も、浮かべることはない。妹の言葉がなければ、いつだって私に、この写真の正体がわかった試しなんて、ないのだ。それを、強く意識する。
「何を撮ったつもりか、くらい、聞かせてくれればいいのに」
ケットをソファの背にかける。ここにおいていれば、持ち主がきちんと見つけて回収するだろう。
写真だけ、大事にポケットにしまいこんで、カーテンを引いた。何も映さないこの紙切れが、けれど妹が私に残してくれる唯一の、形あるものだから。そういった肩書きをえて、この紙片は宝物になる。
灯りを落として、扉を閉める前に、もう一度部屋の中を見た。真っ暗だ。写真と同じ。見つめていると何かが見える気がするのに、その実そこにあるものは決して浮かんでこない深い闇。
ぱたん、と空間を戸が隔絶する間際、「おやすみ」と誰かに言われた気がした。開けて確かめることも億劫に感じられて、私は何も返さずにそのまま部屋を後にした。
古明地姉妹かわいいよという事しかわかりませんでした
ちゃんとこの作品を解釈出来ているかいまいち自信が持てませんが、どこかズレながらも姉妹はお互いに慕い合っていると感じました。
ともかく個人的にこの雰囲気の古明地姉妹は大好物でした