「う~ん……」
今日も我が道をゆくピンク仙人こと茨華仙こと茨木華扇ちゃんは、何やら、店の前で腕組みして悩んでいた。
その視線の先には、こんな文言がある。
『夏の外道チャレンジメニュー! いちご生クリーム冷製スパ! 食べ切れたら賞金プレゼント!』
『冷製』と書いてあるくせに、メニューに表示されている写真に『熱々スパゲティ!』と書かれている。
スパゲティの上に山盛りになった、ふんわり真っ白生クリーム。パスタにたっぷり絡められたカスタードクリーム。
そして、とどめに、これでもかと乗せられたいちご、いちご、いちごの乱舞。
――彼女、茨華仙は、最近『スイーツ仙人』と呼ばれている。
彼女に聞けば、幻想郷の、あらゆる甘いものの評価がわかるという一種の指標のようなものだ。
そして、人妖問わず、甘味処を構える店主たちは、皆、彼女の来店を心待ちにすると共に戦々恐々とした日々を送っている。
『仙人さまに認めてもらえる菓子を提供できない店は、遠からず、店を畳むことになる』
そんな噂が、彼らの間に広まっているからだ。
――あの仙人さまが俺達の店の悪口を?
――いやいや、バカ言っちゃいけねぇ。あの徳の高い仙人さまが、そんなことするわけないだろう。
――仙人さまの味覚は確かよ。つまり、仙人さまのお気に召さないものしか出せない店なら、そもそも繁盛しない……。
――こうしちゃいられねぇ! 俺たちに必要なのは、努力と精進だ!
という具合である。
そして、
「……さすがにこれは……」
いかな甘いもの大好き華扇ちゃんとはいえ――なお、『節制』だとか『禁欲』などというものなどどうでもよかろうなのだ――、これについては一歩及び腰になる。
これで、パスタがきちんと冷たければ、ちょっとしたおやつ(と表現するにはメニューの写真が超大盛りなのが気になるが)にいいかもしれない。
だが、『熱々』のパスタに『ひんやり冷え冷え』な生クリーム&カスタードというのは、何か色々やばそうな気がする。
しかし、挑戦してみたいな、という気持ちもどこかにあるわけで。
「あら、華扇さま」
そんな風に悩んでいると、後ろから、もはや慣れ親しんだ声が聞こえてくる。
振り返ると、そこには、青い髪の邪仙、霍青娥の姿。
肩から小さなハンドバックを提げ、右手に、今夜の晩御飯の食材が入っているのだろう袋を持っているその姿は、どこから見ても『若奥様』である。なお、実際の年齢については詮索してはいけない。
「またあなたですか」
「はい。今日は、カレーライスの材料を買いに来ました」
「カレーライスですか」
「ええ。
この通り、スパイスから。自作に挑戦してみようと思います」
「なるほど」
この霍青娥、性格面は色々と完膚なきまでに手遅れに破綻してはいるものの、それはとりあえず、家事スキルには関係ない。
そして、彼女の家事スキルの高さは、華扇ですら認めるほどの、所謂剛の者なのだ。
「少し、お茶などを。いかがでしょうか?」
「……まぁ、立ち話もあれですからね」
二人はそうして、店の中へ。
やってきた店員に『二人』と告げると、彼女は元気よく返事をして、窓際の席へと案内してくれる。
「ご注文は?」
「わたくしは、……あら、玉露。これ、いいですわね。一度、飲んでみたかったんです。
これと、あと、福餅もなかをくださいな」
「私は煎茶と水羊羹で」
「かしこまりましたー」
彼女は笑顔で、その場を去っていく。
ふぅ、と華扇は息をついて、
「……おい、モブA。お前、挑戦するのか?」
「当たり前だろう、モブB。俺に、撤退の二文字はない」
「モブA……無理するなよ……」
「任せろ、モブC。
俺、この戦いが終わったら、彼女に告白するんだぜ……」
「おまちどうさまでーす!」
やたら凛々しい横顔の青年三人のテーブルに、あの、『生クリームスパゲティ』が運ばれてくる光景が、そこにあった。
店内に漂う甘い香り。
強烈なまでに、そして暴力的なまでに山盛りにされた生クリーム。その下で、溶けたカスタードの海に泳ぐあっつあつの生パスタ。
彩りよく配置されたいちごが、何というか、強烈なアクセントになっている。
「制限時間は30分でーす! 完食成功の場合は1万円! 失敗の場合は5000円の罰金でーす!
それでは、スタート!」
「行くぜ! 俺の生き様、見るがいい!」
『モ、モブAえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!』
「実は、華扇さま。
少しご相談に乗って欲しいことがあるのですが」
「へっ? あ、は、はい」
「ああ、よかった。
さすがは華扇さま。迷うものの話を、まずは聞いて頂けるその姿勢、素晴らしいですわ」
――また何か変な形で勘違いされてる……。
そう思いはするものの、また何とも、言葉には出しづらい。
「あら、お茶とお菓子が。
では、まずはこちらを一口してから、ということで」
「ま、まぁ、そうですね」
そろそろ気温が上がってきて、暑くなるこの季節。ひんやり冷たい水ようかんは、とっても美味しい。
あんこの素朴な甘さと、冷たく優しいこの舌触り。
和菓子特有の、この懐かしい甘さは、洋菓子の重厚な甘さに、決して負けはしないものなのである。
とろけたカスタードとふわりやわらか生クリームに包まれた、熱々パスタを青年は豪快にフォークに絡めて口の中に放り込む。
その瞬間、彼は一体、何を感じたのだろう。
かっ、と目を見開き、動きを止める。
手にしたフォークはかしゃんという音を立ててテーブルの上に落ちる。
突っ伏し、痙攣を始める彼。見かねて、モブBとCが助けに入る。
だが、モブAは、それを遮った。
「……く、くくく……!
あらゆるチャレンジメニューを制覇してきた俺にも……こいつは……きっついぜ……!」
「モ、モブA……!」
「心配すんな……モブB……! 俺に負けはねぇさ……!」
「モブA……お前……漢だぜ……!」
「任せな!」
「華扇さまは、『妹キャラ』というものについてどう思いますでしょうか?」
「いや、どうって言われても」
「妹キャラ……。
小柄でかわいらしく、笑顔がチャーミングで、甘ったるい声で、いつも『お姉ちゃん』の後についてくる……。
大好きなお姉ちゃんにいつも甘えて、お風呂、お布団、ご飯、全部一緒……。
……どう思いますか?」
「だからどうって聞かれても」
確かに、そういう子が、もしも自分の家族にいたとしたら、『かわいいな』と思うのは間違いないだろう。
それは認めざるを得ない。
「幻想郷における、所謂『姉妹キャラ』――妹ポジションにいる子は、皆、かわいらしいと思うのです」
「はあ」
頭の中に思い浮かぶのは、とりあえず真っ先には、紅魔館のあの姉妹。
確かにかわいらしい。
「そんな時に、ふと思うのです。
わたくしにも、そんなかわいらしい妹がいたら、どうなっていたのかな、と」
「間違いなく警察のお世話になっていると思います」
華扇は断言した。
「ぐふっ……! ぐ……!
へ、へへ……ちくしょう……! 目がかすんできやがったぜ……!」
「無理するな! もういい、もうやめるんだ!」
「モブA! これをここまで倒したのはお前だけだ! もう、お前は何も恥じることはない! なのに、なぜ、未だ戦う!?」
「……当たり前だろう。
男ってのはな、倒すべき相手を前にしたら、絶対に逃げないものなのさ……!」
その時のモブAの笑顔には、『戦士』の輝きがあった。
逃げることをせず、ただ、バカ正直に真っ向から強大な『敵』に挑み、そして散っていく、戦士の姿が。
「しかしながら、華扇さま。
日々を疲れて過ごす――それは、幻想郷に生きる人々にとっても、同じことだと思います。
生きていくということは、これもすなわち、一つの修行。時に苦行となることもあるでしょう。
そんな時に、その生活に癒しを求める――それは悪くないことだと思います」
「まあ、正論ですが」
「わたくしは、華扇さま。
『妹キャラ』というのは、その『癒し』の一つになると考えております」
「その思考回路が理解できないんです」
「疲れて家に帰ってきて『ただいまー』と言ったら、かわいらしい笑顔を浮かべた『妹』が『お帰り、お姉ちゃん』と言ってくれる。
これだけで、今日一日の疲れが吹き飛ぶと思いませんか?」
青娥の演説に耳を傾けている、周囲の紳士淑女たちが『間違いないな』『その笑顔だけで、ご飯が三杯食べられる』『明日もリフレッシュして働ける』と口々につぶやきながらうなずいている。
こいつらどうしてくれよう。
華扇は頭の中で、瞬時に、65535通りほど、こいつらを更生させる手段を思いつくのだが、結局はとりあえず殴っておけばいいかという結論に辿り着いて、残り65534通りの手段を廃棄した。
「なっ……!? こ、これは……!」
「どうした、モブA!?」
「おい、モブC! こいつを見ろ! こ、これは……!」
『な、生チョコレート……だと……!?」
「――いつから、お前たちは『生クリームスパゲティ』にチョコレートが入ってないと勘違いしていた……?」
「何……だと……!?」
突如として、生クリームの山から洪水のごとくあふれ出したのは、濃厚な生チョコレート。
そのチョコレートはとろとろのカスタードと混ざり合い、きっつい風味を漂わせ始める。
不敵な笑顔と共に腕組みをして現れた店主(ダンディな流し目が素敵♪)の言葉に、モブAは戦慄する――!
「……こんなもの……食えるはずがない……!」
「これ以上の挑戦は……!」
無意味だ、と。
モブBがつぶやく瞬間、モブAはためらわず、チョコレートとカスタードに彩られ、生クリームの化粧を飾るパスタを口の中へと放り込む!
「……ほう」
ダンディ店主が不敵な笑みを浮かべた。
「へへ……おっさん……。俺を……なめるなよ……!」
「いい目をしているな、少年。その意気込み……嫌いではない」
この時、モブAとダンディ店主の戦いは始まったのだ……!
「そもそも家族とはいえ『愛』を基準に、結びつく集団。
たくさんの愛の形がそこにあり、かわいらしい妹に注ぐ愛もまた、愛の形なのです」
「だから警察に捕まりますよ、それ」
「しかしながら、『お姉ちゃんだけど、愛さえあれば関係ないよね』という名言もございまして」
「どこの誰が言ったんだそれ」
何やら怪しい『偉人名言集』なる本を取り出して、それをぺらぺらめくる青娥。
華扇の知らない常識が、やはり、幻想郷には存在しているらしい。
「そうした、かわいい妹を持ってみたかった――仙人とは世俗を離れ、欲を捨て去るものですが、時たま、そうしたものに心揺るがされることもございます」
「あなた欲というか欲望というか煩悩にまみれまくってますけどね」
「ですが、華扇さま。
愛を最も否定していた戦友(と書いて、ともと読む)が、実は最も愛に飢えていた――そんな悲しい歴史もございます」
「いやまぁそれは」
それを出されると、華扇も否定が出来なかったらしい。
いくら華扇とはいえ、実在の『偉人』の歴史を持ってこられると、それに逆らうことは出来ないのだ。
歴史とは『過去』であり、積み上がった『歩み』なのだから。
「はぁ……はぁ……! ぐっ……うぅ……!」
「モブA……!」
「せめて、この熱々パスタが冷えていれば……!」
「なぜだ!? なぜ冷えない!?」
「君達は、私がそんな愚を犯すと思っているのかね?」
『何だと!?』
「そのパスタをよそっている皿……それは特別製だ。
紅魔館の魔女に頼み、載せられたものの『温度』を覚え、その温度を『記録』しておくことで、決して、温度を『変化させない』魔法で作られている。
熱々のものはいつまでも熱々に、冷たいものはいつでも冷たいまま。
それを守り続ける」
「バカな……!」
「獅子は兎を狩るのにも全力を出す――そういうことだ」
ダンディ店主のダンディボイスに、モブBとCは戦慄する。
このパスタは、最初から最後まで、挑んでくる『挑戦者』を全力で迎え撃つ。
それは、駆け出しの少年であろうとも、熟達した百戦錬磨の戦士だろうと同じこと。
あらゆるものの挑戦を真正面から受け、『粉砕』する――慈悲も、手加減も、そこには存在しない。
モブAは、もう限界だろう。
あともう少し……あと、もう少しで食べきることが出来るのに、手が動かない。
時だけが無情に過ぎてゆく。
「少年。ギブアップするか?
そのガッツに見込んで、罰金は半額にしておこう」
「……くっ……くくく……!」
だが、しかし。
モブAは、笑っていた。
「甘いな……。俺は……おっさん……あんたのその挑戦、その姿勢、全てに感服した……!
あんたこそ、俺が目指す『戦士』の一人だ……!
だからこそ!」
モブAの腕が動く。
「俺は、あんたを倒してみせる!」
「ほう」
モブAの闘志に、再び、火がつく。
萎えていた体をその意思が奮い立たせ、落ちていたフォークを掴ませる。
左手で、モブAは皿を手に取った。右手のフォークで、彼は残ったパスタを捉えた。
「……今の幻想郷に、君のように、気骨のある勇者は、そう多くない」
ダンディ店主のダンディボイスが、その時、店内に静かに響き渡った。
「そしてつまるところ、華扇さま。
そんな風に、にゃんにゃん、わたくしに甘えてくる妹がいたらいいなぁ、と。
思ったことがございまして」
「いつも芳香に甘えさせているじゃないですか」
「そう! そうです!
過去から今に至るまで、埋められなかった心の隙間を、今、わたくしは芳香に埋めてもらっているのです!」
「ダメだこいつ」
しかしながら、その想いを理解するものは、たくさん、いる。
周囲の紳士淑女たちは『うんうん』とうなずいている。
どうやら、理解が出来ないのは華扇だけのようだ。
考えてみてもほしい。
そんな風にかわいい妹と、毎日、平和に、楽しく暮らせるとしたら――?
その日々を想像しただけで、心が躍るだろう。確実に。間違いなく。つまるところ、『俺の嫁』が『お兄ちゃんorお姉ちゃん』と甘えてくるのだから。
「第一、あなた、妹とはいえ、いずれは成長して大人になるのですよ?」
「大丈夫です。神子ちゃん布都ちゃんに施した秘法がわたくしにはございます」
「をい」
「……はっ!?
……華扇さま、今、わたくしは恐ろしいことに気付いてしまいました」
「言いなさい。とりあえず聞いてあげます」
聞くだけ聞いて、殴るか怒鳴るか無視するか決めよう、と華扇は心に誓う。
「華扇さまは、紅魔館をご存知ですね?」
「ええ」
「あそこでは、新しく入社する子達は、皆、『お姉さま』と呼んで慕う先輩をあてがわれるそうです」
「はあ」
「しかし、しかしですよ、華扇さま。
その『お姉さま』もまた、『お姉さま』に厳しく、そして優しく育てられたのです」
「でしょうね」
「つまり!」
ばんっ! と華扇はテーブルをひっぱたく。
「逆転の発想! すなわち、わたくしが妹キャラで、見た目とてもかわいらしい『お姉さま』に甘える展開だとしたら!?
わたくしのことを優しく抱擁してくれる、とてもかわいらしい『お姉さま』がいたとしたら!?
何という理想郷!」
「見た目がそうなるのが限定ですか」
「それは秘法で」
「家族だろうが容赦なく己の欲望の犠牲にするあたり躊躇しませんねあなた」
「元より、神子ちゃんと布都ちゃんと、あとまぁ、屠自古はさておくとして、秘法を使うことになったのはそれが理由ですし」
「やっぱりな」
困ったものですね、とにっこり笑う青娥。
困ってるのはお前だけだ、と言ってストレートでも打ち込もうと思ったが、ちょうどその時、右手は水羊羹を乗せたスプーンを持っていたため、華扇は行動をやめている。
「……なるほど。
しかし、妹、姉というのは、色々と深いものがございますね。
少し検討が必要なようです」
「あなた、どうでもいいことばっかり、本気ですね」
「人生、長く生きていても、無駄なことなど何一つございません」
「それ詭弁」
何やら青娥は眉根を寄せて悩み始める。
華扇は言っても無駄なツッコミを口にしつつ、水羊羹の甘さに舌鼓を打つこととなった。
「モブA……! やったな……!」
「ああ、完食だ! モブA! さすがだよ、お前!」
「……おい、モブA?」
「モブA! しっかりしろ、モブA!」
全てのパスタを平らげたとき、モブAの手から、力なくフォークが落ちた。
テーブルの上に落ちたそれが、甲高い音を立てる。
「モブA……嘘だろ……おい……!」
「モブA! しっかりしろ、モブA!」
モブBとCの嘆きが響き渡る中、ダンディ店主は静かに踵を返す。
未来を担う戦士の生き様に、彼は何を思ったのだろうか。
――こうして、一つの戦いは、幕を閉じたのだ。
モブAの、偉大なる『生クリームパスタ』への登頂の成功の代償は、彼のその命。
そう、モブAは戦いの勝者となると共に、戦いの尊い犠牲となったのだ。
そして、それを見ていた華扇は、『あ、やっぱやめとこう』と、謎パスタへの挑戦を思いとどまったという。
今日も我が道をゆくピンク仙人こと茨華仙こと茨木華扇ちゃんは、何やら、店の前で腕組みして悩んでいた。
その視線の先には、こんな文言がある。
『夏の外道チャレンジメニュー! いちご生クリーム冷製スパ! 食べ切れたら賞金プレゼント!』
『冷製』と書いてあるくせに、メニューに表示されている写真に『熱々スパゲティ!』と書かれている。
スパゲティの上に山盛りになった、ふんわり真っ白生クリーム。パスタにたっぷり絡められたカスタードクリーム。
そして、とどめに、これでもかと乗せられたいちご、いちご、いちごの乱舞。
――彼女、茨華仙は、最近『スイーツ仙人』と呼ばれている。
彼女に聞けば、幻想郷の、あらゆる甘いものの評価がわかるという一種の指標のようなものだ。
そして、人妖問わず、甘味処を構える店主たちは、皆、彼女の来店を心待ちにすると共に戦々恐々とした日々を送っている。
『仙人さまに認めてもらえる菓子を提供できない店は、遠からず、店を畳むことになる』
そんな噂が、彼らの間に広まっているからだ。
――あの仙人さまが俺達の店の悪口を?
――いやいや、バカ言っちゃいけねぇ。あの徳の高い仙人さまが、そんなことするわけないだろう。
――仙人さまの味覚は確かよ。つまり、仙人さまのお気に召さないものしか出せない店なら、そもそも繁盛しない……。
――こうしちゃいられねぇ! 俺たちに必要なのは、努力と精進だ!
という具合である。
そして、
「……さすがにこれは……」
いかな甘いもの大好き華扇ちゃんとはいえ――なお、『節制』だとか『禁欲』などというものなどどうでもよかろうなのだ――、これについては一歩及び腰になる。
これで、パスタがきちんと冷たければ、ちょっとしたおやつ(と表現するにはメニューの写真が超大盛りなのが気になるが)にいいかもしれない。
だが、『熱々』のパスタに『ひんやり冷え冷え』な生クリーム&カスタードというのは、何か色々やばそうな気がする。
しかし、挑戦してみたいな、という気持ちもどこかにあるわけで。
「あら、華扇さま」
そんな風に悩んでいると、後ろから、もはや慣れ親しんだ声が聞こえてくる。
振り返ると、そこには、青い髪の邪仙、霍青娥の姿。
肩から小さなハンドバックを提げ、右手に、今夜の晩御飯の食材が入っているのだろう袋を持っているその姿は、どこから見ても『若奥様』である。なお、実際の年齢については詮索してはいけない。
「またあなたですか」
「はい。今日は、カレーライスの材料を買いに来ました」
「カレーライスですか」
「ええ。
この通り、スパイスから。自作に挑戦してみようと思います」
「なるほど」
この霍青娥、性格面は色々と完膚なきまでに手遅れに破綻してはいるものの、それはとりあえず、家事スキルには関係ない。
そして、彼女の家事スキルの高さは、華扇ですら認めるほどの、所謂剛の者なのだ。
「少し、お茶などを。いかがでしょうか?」
「……まぁ、立ち話もあれですからね」
二人はそうして、店の中へ。
やってきた店員に『二人』と告げると、彼女は元気よく返事をして、窓際の席へと案内してくれる。
「ご注文は?」
「わたくしは、……あら、玉露。これ、いいですわね。一度、飲んでみたかったんです。
これと、あと、福餅もなかをくださいな」
「私は煎茶と水羊羹で」
「かしこまりましたー」
彼女は笑顔で、その場を去っていく。
ふぅ、と華扇は息をついて、
「……おい、モブA。お前、挑戦するのか?」
「当たり前だろう、モブB。俺に、撤退の二文字はない」
「モブA……無理するなよ……」
「任せろ、モブC。
俺、この戦いが終わったら、彼女に告白するんだぜ……」
「おまちどうさまでーす!」
やたら凛々しい横顔の青年三人のテーブルに、あの、『生クリームスパゲティ』が運ばれてくる光景が、そこにあった。
店内に漂う甘い香り。
強烈なまでに、そして暴力的なまでに山盛りにされた生クリーム。その下で、溶けたカスタードの海に泳ぐあっつあつの生パスタ。
彩りよく配置されたいちごが、何というか、強烈なアクセントになっている。
「制限時間は30分でーす! 完食成功の場合は1万円! 失敗の場合は5000円の罰金でーす!
それでは、スタート!」
「行くぜ! 俺の生き様、見るがいい!」
『モ、モブAえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!』
「実は、華扇さま。
少しご相談に乗って欲しいことがあるのですが」
「へっ? あ、は、はい」
「ああ、よかった。
さすがは華扇さま。迷うものの話を、まずは聞いて頂けるその姿勢、素晴らしいですわ」
――また何か変な形で勘違いされてる……。
そう思いはするものの、また何とも、言葉には出しづらい。
「あら、お茶とお菓子が。
では、まずはこちらを一口してから、ということで」
「ま、まぁ、そうですね」
そろそろ気温が上がってきて、暑くなるこの季節。ひんやり冷たい水ようかんは、とっても美味しい。
あんこの素朴な甘さと、冷たく優しいこの舌触り。
和菓子特有の、この懐かしい甘さは、洋菓子の重厚な甘さに、決して負けはしないものなのである。
とろけたカスタードとふわりやわらか生クリームに包まれた、熱々パスタを青年は豪快にフォークに絡めて口の中に放り込む。
その瞬間、彼は一体、何を感じたのだろう。
かっ、と目を見開き、動きを止める。
手にしたフォークはかしゃんという音を立ててテーブルの上に落ちる。
突っ伏し、痙攣を始める彼。見かねて、モブBとCが助けに入る。
だが、モブAは、それを遮った。
「……く、くくく……!
あらゆるチャレンジメニューを制覇してきた俺にも……こいつは……きっついぜ……!」
「モ、モブA……!」
「心配すんな……モブB……! 俺に負けはねぇさ……!」
「モブA……お前……漢だぜ……!」
「任せな!」
「華扇さまは、『妹キャラ』というものについてどう思いますでしょうか?」
「いや、どうって言われても」
「妹キャラ……。
小柄でかわいらしく、笑顔がチャーミングで、甘ったるい声で、いつも『お姉ちゃん』の後についてくる……。
大好きなお姉ちゃんにいつも甘えて、お風呂、お布団、ご飯、全部一緒……。
……どう思いますか?」
「だからどうって聞かれても」
確かに、そういう子が、もしも自分の家族にいたとしたら、『かわいいな』と思うのは間違いないだろう。
それは認めざるを得ない。
「幻想郷における、所謂『姉妹キャラ』――妹ポジションにいる子は、皆、かわいらしいと思うのです」
「はあ」
頭の中に思い浮かぶのは、とりあえず真っ先には、紅魔館のあの姉妹。
確かにかわいらしい。
「そんな時に、ふと思うのです。
わたくしにも、そんなかわいらしい妹がいたら、どうなっていたのかな、と」
「間違いなく警察のお世話になっていると思います」
華扇は断言した。
「ぐふっ……! ぐ……!
へ、へへ……ちくしょう……! 目がかすんできやがったぜ……!」
「無理するな! もういい、もうやめるんだ!」
「モブA! これをここまで倒したのはお前だけだ! もう、お前は何も恥じることはない! なのに、なぜ、未だ戦う!?」
「……当たり前だろう。
男ってのはな、倒すべき相手を前にしたら、絶対に逃げないものなのさ……!」
その時のモブAの笑顔には、『戦士』の輝きがあった。
逃げることをせず、ただ、バカ正直に真っ向から強大な『敵』に挑み、そして散っていく、戦士の姿が。
「しかしながら、華扇さま。
日々を疲れて過ごす――それは、幻想郷に生きる人々にとっても、同じことだと思います。
生きていくということは、これもすなわち、一つの修行。時に苦行となることもあるでしょう。
そんな時に、その生活に癒しを求める――それは悪くないことだと思います」
「まあ、正論ですが」
「わたくしは、華扇さま。
『妹キャラ』というのは、その『癒し』の一つになると考えております」
「その思考回路が理解できないんです」
「疲れて家に帰ってきて『ただいまー』と言ったら、かわいらしい笑顔を浮かべた『妹』が『お帰り、お姉ちゃん』と言ってくれる。
これだけで、今日一日の疲れが吹き飛ぶと思いませんか?」
青娥の演説に耳を傾けている、周囲の紳士淑女たちが『間違いないな』『その笑顔だけで、ご飯が三杯食べられる』『明日もリフレッシュして働ける』と口々につぶやきながらうなずいている。
こいつらどうしてくれよう。
華扇は頭の中で、瞬時に、65535通りほど、こいつらを更生させる手段を思いつくのだが、結局はとりあえず殴っておけばいいかという結論に辿り着いて、残り65534通りの手段を廃棄した。
「なっ……!? こ、これは……!」
「どうした、モブA!?」
「おい、モブC! こいつを見ろ! こ、これは……!」
『な、生チョコレート……だと……!?」
「――いつから、お前たちは『生クリームスパゲティ』にチョコレートが入ってないと勘違いしていた……?」
「何……だと……!?」
突如として、生クリームの山から洪水のごとくあふれ出したのは、濃厚な生チョコレート。
そのチョコレートはとろとろのカスタードと混ざり合い、きっつい風味を漂わせ始める。
不敵な笑顔と共に腕組みをして現れた店主(ダンディな流し目が素敵♪)の言葉に、モブAは戦慄する――!
「……こんなもの……食えるはずがない……!」
「これ以上の挑戦は……!」
無意味だ、と。
モブBがつぶやく瞬間、モブAはためらわず、チョコレートとカスタードに彩られ、生クリームの化粧を飾るパスタを口の中へと放り込む!
「……ほう」
ダンディ店主が不敵な笑みを浮かべた。
「へへ……おっさん……。俺を……なめるなよ……!」
「いい目をしているな、少年。その意気込み……嫌いではない」
この時、モブAとダンディ店主の戦いは始まったのだ……!
「そもそも家族とはいえ『愛』を基準に、結びつく集団。
たくさんの愛の形がそこにあり、かわいらしい妹に注ぐ愛もまた、愛の形なのです」
「だから警察に捕まりますよ、それ」
「しかしながら、『お姉ちゃんだけど、愛さえあれば関係ないよね』という名言もございまして」
「どこの誰が言ったんだそれ」
何やら怪しい『偉人名言集』なる本を取り出して、それをぺらぺらめくる青娥。
華扇の知らない常識が、やはり、幻想郷には存在しているらしい。
「そうした、かわいい妹を持ってみたかった――仙人とは世俗を離れ、欲を捨て去るものですが、時たま、そうしたものに心揺るがされることもございます」
「あなた欲というか欲望というか煩悩にまみれまくってますけどね」
「ですが、華扇さま。
愛を最も否定していた戦友(と書いて、ともと読む)が、実は最も愛に飢えていた――そんな悲しい歴史もございます」
「いやまぁそれは」
それを出されると、華扇も否定が出来なかったらしい。
いくら華扇とはいえ、実在の『偉人』の歴史を持ってこられると、それに逆らうことは出来ないのだ。
歴史とは『過去』であり、積み上がった『歩み』なのだから。
「はぁ……はぁ……! ぐっ……うぅ……!」
「モブA……!」
「せめて、この熱々パスタが冷えていれば……!」
「なぜだ!? なぜ冷えない!?」
「君達は、私がそんな愚を犯すと思っているのかね?」
『何だと!?』
「そのパスタをよそっている皿……それは特別製だ。
紅魔館の魔女に頼み、載せられたものの『温度』を覚え、その温度を『記録』しておくことで、決して、温度を『変化させない』魔法で作られている。
熱々のものはいつまでも熱々に、冷たいものはいつでも冷たいまま。
それを守り続ける」
「バカな……!」
「獅子は兎を狩るのにも全力を出す――そういうことだ」
ダンディ店主のダンディボイスに、モブBとCは戦慄する。
このパスタは、最初から最後まで、挑んでくる『挑戦者』を全力で迎え撃つ。
それは、駆け出しの少年であろうとも、熟達した百戦錬磨の戦士だろうと同じこと。
あらゆるものの挑戦を真正面から受け、『粉砕』する――慈悲も、手加減も、そこには存在しない。
モブAは、もう限界だろう。
あともう少し……あと、もう少しで食べきることが出来るのに、手が動かない。
時だけが無情に過ぎてゆく。
「少年。ギブアップするか?
そのガッツに見込んで、罰金は半額にしておこう」
「……くっ……くくく……!」
だが、しかし。
モブAは、笑っていた。
「甘いな……。俺は……おっさん……あんたのその挑戦、その姿勢、全てに感服した……!
あんたこそ、俺が目指す『戦士』の一人だ……!
だからこそ!」
モブAの腕が動く。
「俺は、あんたを倒してみせる!」
「ほう」
モブAの闘志に、再び、火がつく。
萎えていた体をその意思が奮い立たせ、落ちていたフォークを掴ませる。
左手で、モブAは皿を手に取った。右手のフォークで、彼は残ったパスタを捉えた。
「……今の幻想郷に、君のように、気骨のある勇者は、そう多くない」
ダンディ店主のダンディボイスが、その時、店内に静かに響き渡った。
「そしてつまるところ、華扇さま。
そんな風に、にゃんにゃん、わたくしに甘えてくる妹がいたらいいなぁ、と。
思ったことがございまして」
「いつも芳香に甘えさせているじゃないですか」
「そう! そうです!
過去から今に至るまで、埋められなかった心の隙間を、今、わたくしは芳香に埋めてもらっているのです!」
「ダメだこいつ」
しかしながら、その想いを理解するものは、たくさん、いる。
周囲の紳士淑女たちは『うんうん』とうなずいている。
どうやら、理解が出来ないのは華扇だけのようだ。
考えてみてもほしい。
そんな風にかわいい妹と、毎日、平和に、楽しく暮らせるとしたら――?
その日々を想像しただけで、心が躍るだろう。確実に。間違いなく。つまるところ、『俺の嫁』が『お兄ちゃんorお姉ちゃん』と甘えてくるのだから。
「第一、あなた、妹とはいえ、いずれは成長して大人になるのですよ?」
「大丈夫です。神子ちゃん布都ちゃんに施した秘法がわたくしにはございます」
「をい」
「……はっ!?
……華扇さま、今、わたくしは恐ろしいことに気付いてしまいました」
「言いなさい。とりあえず聞いてあげます」
聞くだけ聞いて、殴るか怒鳴るか無視するか決めよう、と華扇は心に誓う。
「華扇さまは、紅魔館をご存知ですね?」
「ええ」
「あそこでは、新しく入社する子達は、皆、『お姉さま』と呼んで慕う先輩をあてがわれるそうです」
「はあ」
「しかし、しかしですよ、華扇さま。
その『お姉さま』もまた、『お姉さま』に厳しく、そして優しく育てられたのです」
「でしょうね」
「つまり!」
ばんっ! と華扇はテーブルをひっぱたく。
「逆転の発想! すなわち、わたくしが妹キャラで、見た目とてもかわいらしい『お姉さま』に甘える展開だとしたら!?
わたくしのことを優しく抱擁してくれる、とてもかわいらしい『お姉さま』がいたとしたら!?
何という理想郷!」
「見た目がそうなるのが限定ですか」
「それは秘法で」
「家族だろうが容赦なく己の欲望の犠牲にするあたり躊躇しませんねあなた」
「元より、神子ちゃんと布都ちゃんと、あとまぁ、屠自古はさておくとして、秘法を使うことになったのはそれが理由ですし」
「やっぱりな」
困ったものですね、とにっこり笑う青娥。
困ってるのはお前だけだ、と言ってストレートでも打ち込もうと思ったが、ちょうどその時、右手は水羊羹を乗せたスプーンを持っていたため、華扇は行動をやめている。
「……なるほど。
しかし、妹、姉というのは、色々と深いものがございますね。
少し検討が必要なようです」
「あなた、どうでもいいことばっかり、本気ですね」
「人生、長く生きていても、無駄なことなど何一つございません」
「それ詭弁」
何やら青娥は眉根を寄せて悩み始める。
華扇は言っても無駄なツッコミを口にしつつ、水羊羹の甘さに舌鼓を打つこととなった。
「モブA……! やったな……!」
「ああ、完食だ! モブA! さすがだよ、お前!」
「……おい、モブA?」
「モブA! しっかりしろ、モブA!」
全てのパスタを平らげたとき、モブAの手から、力なくフォークが落ちた。
テーブルの上に落ちたそれが、甲高い音を立てる。
「モブA……嘘だろ……おい……!」
「モブA! しっかりしろ、モブA!」
モブBとCの嘆きが響き渡る中、ダンディ店主は静かに踵を返す。
未来を担う戦士の生き様に、彼は何を思ったのだろうか。
――こうして、一つの戦いは、幕を閉じたのだ。
モブAの、偉大なる『生クリームパスタ』への登頂の成功の代償は、彼のその命。
そう、モブAは戦いの勝者となると共に、戦いの尊い犠牲となったのだ。
そして、それを見ていた華扇は、『あ、やっぱやめとこう』と、謎パスタへの挑戦を思いとどまったという。
!?
何故人は自ら進んで絶望のふちに進むのでしょうかw
巨星、虚星?堕つか…おれも挑戦したいな