「あのさ、メリー」
いつものように、蓮子は私の部屋で勝手にベッドを占拠して、寝転がって本を読んでいた。
「なに?」
私は読んでいた本から顔を上げて、蓮子を振り向く。
蓮子は本に視線を落としたまま、「晩ご飯どうしようか」とでも言うような口調で言葉を続けた。
「結婚しよっか」
本に栞を挟んで、私は座っていた椅子を回転させて蓮子の方に向き直る。
蓮子は相変わらず本に視線を落としたまま、ぽりぽりとポッキーを囓っていた。お行儀が悪い。
「誰と誰が?」
「私とメリーが」
「いつ?」
「別にいつでもいいけど。メリーもどうせ院まで行くんでしょ?」
蓮子は研究を続ける気だし、私もどうせなら院まで行こうと思っているのは確かだ。
まあ、それは今は大した問題ではない。
「どうして?」
「その問いかけは対象が曖昧に過ぎるわね、メリー」
本から顔を上げて、ポッキーを飲みこむと、蓮子は起きあがってこちらに向き直った。
「たとえば家賃の節約。どうせいつもどっちかの家に入り浸ってるんだから、一緒に住んじゃえば安上がりでいいじゃない? 家事も分担できるわけだし」
「ルームシェアリングの経済的効果はまあ、認めるけれど」
「あと、秘封倶楽部の活動をするにもいちいちどこかに集合かけなくていいから楽ね」
「《月時計》のコーヒーを飲みに行く機会は減りそうね」
「電話代も節約できるわよ」
「生憎と定額プランですわ」
経済的にはそんなところかしら。蓮子は本を閉じて傍らに置く。
「あと、こないだ実家から電話があったのよ」
「あら、放任主義の蓮子のご両親にしては珍しい」
「『ところで、子供は作る気あるの?』って訊かれたのよ、そのとき」
以前、卯酉東海道に乗って東京に行ったときのことを思い出す。
蓮子は両親に、私のことを「相棒」と紹介した。
ふたりは私を歓待してくれたけど、あれってつまり「人生のパートナー」という意味で受け取ったのかしら、と私は小さく唸る。
「それで?」
「『大学卒業したら考える』って答えたわ」
「博士まで行くならだいぶ先じゃない」
というか、私に黙ってそこの家族だけで認識を進めないで欲しい。
「というわけで、とりあえず必要な社会的手続きをとるところから始めようと思ったわけ」
「散文的ねえ」
「社会的な行為はいつだって散文的なものよ、メリー」
いつもと変わらない調子の相棒に、私はため息をひとつ。
「どっちの部屋に引っ越すの?」
「どうせならもう少し広い部屋を探すのもいいんじゃない? どうせメリーの生活空間は本に侵蝕されていくんだから」
「そりゃまあ、そうだけど。籍はどうなるの? 私が宇佐見姓になるのかしら。それとも蓮子・ハーンになる?」
「それじゃあなんだか《舞妓はん》みたいねえ」
私も言っていてしっくりこない。やっぱり私はマエリベリー・ハーンで、蓮子は宇佐見蓮子だ。
「別姓でいいでしょ。今どき珍しくもないし」
「まあ、言い出したのは蓮子なんだから、蓮子がそれでいいなら別にいいけど」
「じゃあその方針で。――ああ、ハネムーンは月がいいわね。そうしましょ」
「民間月面ツアー? 今の貯金だと気の長い話になるわね」
「あら、別の方法で月に行くのを考えるんじゃなかったの? メリー」
ああ、そういえばいつだったか、そんな話をした気がする。
こちらを見つめる蓮子の瞳には、自分の顔が映っているはずだ。
夜空に時と場所を見る蓮子の目には、私の顔はどんな風に見えているのだろう。
「そんなことはどうだっていいわ、蓮子」
「うん?」
「ひとつね、ものすごく肝心なことがあるのよ」
「何かしら」
首を傾げた蓮子に、私はため息をひとつ。
「蓮子の最初の言葉に、私はまだ返事をしてないんだけど」
全く、いつも通りの私と蓮子のやり取り。
際限なく脱線していく話題は、いつの間にか出発点を神隠ししてしまう。
こんなときだってそれが変わらないのが、あるいは私たちなのかもしれない。
「あら、そうだったわね。じゃあメリー」
と、蓮子がこちらに身を乗り出して、私の頬に触れた。
吐息と視線が近付いて、目の前には蓮子の顔しか見えなくなって。
「結婚しましょ、メリー。答えは、はいかイエスで」
――さて、どんな切り返しをしようかしら?
切り返し?
はい、かYes、かJawohl!か…
ああもうお前らさっさと結婚しちまえYO!
やはり秘封夫婦は素敵。
しかし根本的に何かがおかしいと思うのは俺だけかww
もう本当に結婚しちゃいなよ二人とも!