会いたい、と言われた。
誰の邪魔も入らないように、二人だけで。
特に断る理由も無かったので何の気無しに待ち合わせ場所に来たのだが、一体何の用だろう、とリグルは思う。
こんな風に、改まって二人きりで、なんて。
二人で行動することは今までも何度もあったが、他の誰にも邪魔されずに二人きり、というのは今までに無かったかも知れない。本当に、どういうつもりなんだろう
まあ会えばすぐわかるか、と思ったところに待ち合わせの相手がやってきた。
「ご、ごめんリグル、待った?」
「ううん、私も今来たとこだから」
その相手――ミスティアはよほど急いで来たのか、はぁはぁと息を切らせている。
いや、急いで来たから、というだけではないように見える。
なんだか。
ミスティアは余裕が無さそうに、胸に手を当てて喘いでいる。
まるで、はやる自分を抑えつけようとしているかのように。
「で、ミスティア、今日は何の用? 会ってから話す、って言ってたけど」
「う、うん……あのね」
どういうわけだろう、とリグルは思う――親友と、二人で会っている、ただそれだけなのに。
胸の奥が少しずつ、高鳴り始めている。
きっと、ミスティアの様子が変だから、リグルもそれに釣られたのだろう。
だってミスティアときたら、顔を真っ赤にしていて。
まるで、リグルの何倍ものドキドキを抑えつけるように、ぎゅっと胸元を握りしめて。
少しうつむきがちに、上目使いの瞳は、なんだか不安げに揺れていて。
まるで、そう――
「私ね、リグルのこと――」
それはミスティアにとってとても大切なことで。だからリグルも、真剣にそれを受け止めようと思ったから、ミスティアの顔を正面から見て。
そんなリグルに、ミスティアははっきりと、正面から告げた。
「――食べたくって、仕方が無いの!」
頭が真っ白になることってあるんだなあと、後にリグルは思ったという。
一体相手が何を言っているのか、意味がわからなかったのだ。
誰が? ミスティアが? 誰を? 何したいって?
食べ?
「あ、いや、その、違うの! えっと、そう――食的な意味で! えっちな意味じゃなくて!」
「いや余計わかんない」
えっちな意味のほうでもあんまりわかるわけじゃないけど、しかしえっちな意味では無いという。
じゃあどういう意味で?
食的? 食的って何? 食べたいって、え?
「だ、だからねリグル、その」
「…………え、なに?」
「腕の一本くらいもらってもいい!?」
「駄目だよ何言ってんの!?」
いきなり話がすっ飛んだ。いや、リグルがついて行けてないだけで、実は繋がってるのか?
「だ、だって私言ったでしょ食べたいって。リグルに返事してもらわないと私、どうすればいいかわからないじゃない!」
「ち、ちょっと落ち着いてミスティア、いいから深呼吸しよう」
「う、うん、そうよね、ちょっとテンパってたかも」
自分も一緒に落ち着きたかったから、ミスティアと一緒に深呼吸。
すう、はあ。すぅー、はぁー。
「ふう……で、ミスティア、順を追って話してほしいんだけど……私を、食べたいって?」
「う、うん。腕が駄目なら足の一本――」
「それは置いておいて! ……えーっと、ミスティアって……うん? もしかして鳥の妖怪だから、蟲の妖怪の私を食べたいってこと?」
「あ、そうそう。そうなのよ、食物連鎖なの」
食物連鎖。
なるほどそれなら、納得はできなくとも理解はできる。鳥が蟲を食べるのは世の常。鳥の妖怪なら、蟲を食べたくても不思議は無いのかも知れない。しかし――
「ミスティアって、蟲食べるの?」
「食べれるよ? ああ、そっか。リグルの前では食べてなかったわよね」
そう。リグルの知る限り、ミスティアがリグルの前で蟲を食べたことはない。食事を共にしたことも、一度や二度ではないのだ。
「え、もしかして私に気を遣って?」
「うん。リグルって、蟲のこと大切にしてるでしょ? なんだか悪いなーって。それに、蟲が無いと生きていけないってわけでもないし」
「そこまで気にしなくってもいいのに……でも、ありがと」
別にリグルは、自然界の掟である食物連鎖にまでは、いちいち目くじらは立てない。そもそも蟲にしたって、他の蟲を食べる種類のものもいるのだから、それを怒ったりすることは無い……まあ、目の前でそれを見るのは哀しいかも知れないが、それもまた蟲のあるがままの姿と、自然と受け止められる。
だけど、ミスティアの心遣い自体は、純粋に嬉しかった。
思えばミスティア自身も常日頃から、焼き鳥撲滅など、鳥を食べられるのは嫌だと公言している。そういう意味で、リグルにも気を遣ってくれていたのだろう。
「え、気にしなくていいの?」
「いやまあ、これ見よがしにに蟲ばっかり食べられても反応に困るけど、少しくらいなら――」
「じゃあリグルを食べてもいいのね!? やったそれじゃ遠慮なく、いっただっきまぁーす!!」
「って、そんなわけあるかぁ!!」
大口開けてかぶりつきに来たミスティアをがっちり押さえつける。気分はさながら、素手で闘牛に挑むマタドーラ。
いくらなんでも、自分が食べられることまで自然と受け入れることなどできない。食物連鎖の食われる側にだって、抵抗の意思くらいはあるのだ。
「え? 食べちゃ駄目なの?」
「いや、当たり前でしょ!? 死にたくないし食べられたくもないよ!!」
「そうよね、いくらなんでも全部食べちゃうわけにはいかないわよね。じゃあやっぱり腕一本!」
「痛いのも嫌だってば!! ていうか発想がグロい!」
「もう、何なのよ! リグルは私にどうしろっていうの!?」
「いいから落ち着け!! 今まで蟲を我慢してたのに、なんでいきなり私を食べたいなんてことになったの!?」
「だってリグル、蟲のリーダーなんでしょ!? 偉いんでしょ!?」
またミスティアの話が飛んだ。言ってる意味がわからず、リグルは口ごもる。
確かにリグルは蟲のリーダーだ。今はまだ弱っちくて頼りない妖怪だが、いずれは立派な妖怪として蟲たちを率い、みんなを安心させたいと考えている。
だがそれが、今この状況と何の関係があるのか。
「えっと、私が蟲のリーダーだから、何?」
「ううん、みなまで説明してくれなくてもいいの! 私にはわかるの本能で! リグルが蟲の王だって! それはもう切実に具体的には胃袋で!」
「私にはわからないから説明して」
「だーかーらー、リグルは蟲の王、蟲たちの頂点、これまさに蟲オブ蟲、わかる?」
「つまり?」
「一番立派な蟲だっていうなら、一番美味しいに決まってるでしょ!?」
「暴論だ!?」
そんな無茶な話があるか。だったら動物の中で一番美味しいのはライオンなのか。古代の恐竜は強ければ強いほど美味しかったのか。
だが、そんな当たり前の理屈など、今のミスティアには通用しない。
彼女にとっては、今すぐそこにいるリグルこそまさに一番美味しい蟲であり、今のミスティアは究極のごちそうを前におあずけ食らってる状態であり、待て待てハウスハウスええいもう辛抱たまらん殺人犯なんかと一緒の部屋になんかいられるか殿中にござる殿中にござる先っちょだけ、先っちょだけだから痛くしないからイルスタードダイブ全門発射、ばっきゃろうスペカ1枚で足りるか大放出だ、たーまやー!
つまりそのくらいパニックハングリー状態なのだ。だって目ぇ血走ってるんだもん。
「何度も言ったけど落ーちーつーけー! ミスティア、私たち親友でしょ!? 親友を痛い目に合わせて平気なの!?」
「うっ……じ、じゃあリグルは!? 親友にひもじい思いをさせて平気なの!?」
親友、という言葉には思うところがあったのか、ミスティアが少しだけ躊躇いを見せた。だが、まだまだ諦める気は無いようだ。
しかし、ミスティアの言い分にも一理あるかも知れない、とリグルは思う。
今までミスティアは、蟲を食べるのを我慢してくれていた。今、リグルを異常なほどに食べたがっているのは、その我慢の反動によるものかも知れない。
リグルとて、ミスティアのその気持ちは純粋にありがたいし、なるべくなら応えてあげたいとも思うのだ。が。
「でもだからって! いきなり腕だの足だの、気前よく差し出せるわけないでしょ!」
「大丈夫、リグルは妖怪だもん! 腕の1本2本、日にちを置けばすぐに再生するわよ!」
「再生する端から食べられてたら、いくらなんでも力尽きるって! ていうか痛いこと自体が嫌!」
「うう、でも、だってだって、こんなにも美味しそうなのに!」
――当たり前だが平行線だ。リグルは痛い目に合いたくない。ミスティアはリグルが美味しそうで仕方がない。
このままでは埒が明かない、本当に何とかならないものか――
と、リグルが本格的に悩み始めた辺りで。
「じゃあ! リグル、こういうのはどう!?」
ミスティアが何やら目を輝かせて言ってきた。
/
ところ変わって、日時も変わり。
時刻は夜、あの言い争いから数日後の、ミスティアの屋台でのことだ。
「おかみさーん、タレ3本甘口でおねがーい」「こっちは日本酒追加でー」「芋焼酎ー」「八目丼一つー」
「はいはーい、ああ忙しいああ忙しい、いそが蘇我蘇我いそがシイ~♪」
「あはは、今日もミスティアは楽しそうねー、何かいいことあったの?」
「いいこと? いつでもあるわよー、たとえば今、ルーミアが来てくれてることとかー」
「あはははは、いっつも口が上手いんだからー」
暗い夜道に明るい屋台、今日もミスティアの鰻屋台は繁盛している。
もっとも、忙しいからと言って弱音を吐いたりはしない、常に明るく楽しくがミスティア流だ。仕事は楽しく、お客様には笑顔で元気よく、もちろん歌は忘れない。
とっぷりと夜も更けているというのに、そのミスティアの陽気に誘われて、今日も人妖入り乱れて何人もの常連さんが屋台ののれんをくぐる。
そのお客さんの中に――
「ミスティア、こんばんはー。今日も繁盛してるね――」
「リグルだ待ってました! リグルリグルリグル、早くこっちにカムヒア!!」
リグルもまた、今夜はお客さんとして現れた――そのつもりだった。
が、いきなりミスティアに呼ばれた、どころかミスティアは屋台の向こう側からぐるりと客席へと回り込んできて、リグルの腕をがしっと掴む。
「え、何なに!?」と慌てふためくリグルを、そのままカウンターの向こうへと引っ張り込んだ。
「え、まさかミスティア、い、今から?」
「もちろん! だって今日一日リグルに会えてなかったんだもん、もう一秒だって我慢できないんだから!」
「え、で、でも、み、みんなの前、だよ? ミスティアだって仕事中、でしょ?」
「ほらほらほら早く早く! それとも勝手に色々食べていいの!?」
「それは困るよ! も、もう……しょうがないなぁ、ミスティアは」
何やらカウンターの向こうでわいのわいのとやり合う二人に、屋台の客はみんな、何の話かわからず訝しげに覗き込んでくる。
そんなお客さんにもお構いなしに、ミスティアがぐいぐいと迫る。リグルはぼやきつつも、結局は押し切られてしまった。
そうしてそのまま、ミスティアはリグルの手を取り、その可愛らしい口を開けて――
「あ~~~~ん、あむっ」
「んっ」
リグルの指を、勢いよく口に入れて。
そのまま、ぺろぺろちゅぱちゅぱと舐め始めてしまった。
「ちゅ、ちゅぱ、ちゅ」
「んやっ、ちょっとミスティア、いきなり激しっ」
そのまま二人の世界に突入してしまう。当然、屋台に来ている他のお客さんたちは置いてけぼりだ。
屋台を切り盛りしているミスティアがリグルの指をしゃぶることに夢中なのだから、注文した料理やお酒も運ばれてはこない。
それに何より――今目の前で起きている事態が何なのか、純粋に気になって仕方がない。
「で、リグル、これはどういうことなの?」
「うぇっ!? る、ルーミア、いたの!?」
「いたよ~、存在に気付かれてさえいなかったの? 友達として悲しんでもいい?」
「い、いやごめん、私も屋台に来たばっかりだったし、その、ミスティアのことも気になってたのは確かで――」
と、言い訳もそのあたりが限界だった。ミスティアが、目に見えて激しく舌を加速させたのだ。
「ちゅぱ、じゅる、ちゅう、んっんっんっ、リグル、リグルぅ」
「ふぁあああ!? だからミスティア、ちょ、落ち着いて、もっとゆっくり……!」
「だってだって、リグル美味しいの、美味しいよリグル、ちゅぱ、ちゅる、んはぁっ……!」
「ほ、ほらルーミアたちも見てるのに、やっ、見てるっ、てばぁ……!」
指先には神経が集中している。これだけ唇と舌で激しく刺激されれば、リグルとて普段には無い感覚を覚えても不思議ではない――事実、明らかに心地よさそうに、目をとろんと潤ませている。
そんなリグルの内心を知ってか知らずか、ミスティアは本当に美味しそうに、リグルの人差し指を舐めしゃぶっている。根元までくわえ込んでは指全体を温かく包み込み、唇を少しずつ動かしながら舌を根本から指先へと這わせてリグルの味を堪能する。よだれが後から後から湧き出てくるので、全て飲み干すのも一苦労だ。
ミスティアの口からわずかに、リグルの指の根本が見える――ミスティアのよだれで、すっかり濡れそぼっている。
飲みきれなかったミスティアの唾液が、唇からリグルの指を、手のひらをつたい、こぼれ落ち――つう、と一本の長い糸を引いて地面に落ちる。
ごくり、と客席で誰かが生唾を飲み込んだ。
「いや、で、なんでこーなったのよー?」
「はぁ、はぁ……え、えっとね、ミスティアがどうしても、ひぅっ、私を食べたいっていうから、あん、だからね、ふあっ」
「うん、食べたいとかいう時点で初耳だけどまあいいや。それで?」
「代わりに味見だけさせてくれ、っていうもんだから……!」
――初めは本当に、一度だけ、舐めさせてあげるだけだったのだ。少なくともリグルはそのつもりだった。
ところが予想外なことに、ミスティアにとってリグルは、本当にとても美味しかったらしい。それこそ蟲と比較してどころか、今まで食べたもの全てと比較しても素晴らしいくらいだったそうだ。
ミスティアとしては余計に辛抱たまらなくなるのは当然で、まだ食べたい、もっと欲しいと、さらなる欲望をリグルにぶつけてくる。当然、リグルは痛い目だけは合いたくない。
交渉に交渉を重ねた結果、この味見を定期的に何度でもさせてあげるから、食べるのだけは我慢してもらう、というところに落ち着いてしまったのだ。
「じゅるる、ちゅぱ、ちゅう、んっんっんっんっ……ぷはぁ」
「やあぁんっ! ……はぁ、はぁ、ミスティア、駄目、そろそろいいでしょ、もうおしまい!」
息が続かなくなったか、ようやくミスティアがリグルの指から離れ、顔を上げた。
その隙に、リグルがさっと一歩下がる。さらに追い縋ろうとするミスティアを制した。
「はぁ、はぁ、リグル、リグルもっと、もっとぉ」
「だーめ、今は仕事中でしょ? ミスティアは焼き鳥撲滅のために屋台頑張ってるんでしょ?」
「う、うん、でもあとちょっとだけ、触角の先っちょを舐めるだけでいいから――」
「駄目だってば、ミスティア、触角まで行くと本当に長いんだから!」
あ、うん、もう触角も経験済みなんだ……
もう、そんなツッコミを入れる客さえいなかった。ある者は面白そうににやにやと見物し、ある者は気まずそうにちらちらと覗き見ながら、全員がリグルとミスティアを交互に見やる。
具体的には、健康美を思わせる光沢を放つリグルの触角と、今もまだ興奮気味で唇と舌を艶めかしく濡らしているミスティアの口元とを。
「よーし、じゃあ今夜も残りのお仕事頑張っちゃうもんね! リグル、終わったらご褒美に、もうちょっとだけいいでしょ!?」
「うう、まあしょうがないか……でも、仕事が終わるまではお預けだからね?」
「おっけーおっけー! お待たせしましたお客さんたち、ご注文は何にしましょうか!?」
当然のことだが――
リグルが来る前にみんなから聞いた注文のことは、綺麗さっぱり忘れているミスティアだった。
焼きっぱなしだった八目鰻の串焼きが焦げていなかったのは、ちょっとした奇跡だったのかも知れない。
/
余談だが、その後、幻想郷のカップルの間で、指をちゅぱちゅぱと舐め合うのがひそかなブームになる。
それを受けて、ブームの火付け役であるリグルたちは、伝統の幻想ブン屋に追いかけ回されるという災難に合うのだが。
今のリグルたちには、知る由も無いことだった。
誰の邪魔も入らないように、二人だけで。
特に断る理由も無かったので何の気無しに待ち合わせ場所に来たのだが、一体何の用だろう、とリグルは思う。
こんな風に、改まって二人きりで、なんて。
二人で行動することは今までも何度もあったが、他の誰にも邪魔されずに二人きり、というのは今までに無かったかも知れない。本当に、どういうつもりなんだろう
まあ会えばすぐわかるか、と思ったところに待ち合わせの相手がやってきた。
「ご、ごめんリグル、待った?」
「ううん、私も今来たとこだから」
その相手――ミスティアはよほど急いで来たのか、はぁはぁと息を切らせている。
いや、急いで来たから、というだけではないように見える。
なんだか。
ミスティアは余裕が無さそうに、胸に手を当てて喘いでいる。
まるで、はやる自分を抑えつけようとしているかのように。
「で、ミスティア、今日は何の用? 会ってから話す、って言ってたけど」
「う、うん……あのね」
どういうわけだろう、とリグルは思う――親友と、二人で会っている、ただそれだけなのに。
胸の奥が少しずつ、高鳴り始めている。
きっと、ミスティアの様子が変だから、リグルもそれに釣られたのだろう。
だってミスティアときたら、顔を真っ赤にしていて。
まるで、リグルの何倍ものドキドキを抑えつけるように、ぎゅっと胸元を握りしめて。
少しうつむきがちに、上目使いの瞳は、なんだか不安げに揺れていて。
まるで、そう――
「私ね、リグルのこと――」
それはミスティアにとってとても大切なことで。だからリグルも、真剣にそれを受け止めようと思ったから、ミスティアの顔を正面から見て。
そんなリグルに、ミスティアははっきりと、正面から告げた。
「――食べたくって、仕方が無いの!」
頭が真っ白になることってあるんだなあと、後にリグルは思ったという。
一体相手が何を言っているのか、意味がわからなかったのだ。
誰が? ミスティアが? 誰を? 何したいって?
食べ?
「あ、いや、その、違うの! えっと、そう――食的な意味で! えっちな意味じゃなくて!」
「いや余計わかんない」
えっちな意味のほうでもあんまりわかるわけじゃないけど、しかしえっちな意味では無いという。
じゃあどういう意味で?
食的? 食的って何? 食べたいって、え?
「だ、だからねリグル、その」
「…………え、なに?」
「腕の一本くらいもらってもいい!?」
「駄目だよ何言ってんの!?」
いきなり話がすっ飛んだ。いや、リグルがついて行けてないだけで、実は繋がってるのか?
「だ、だって私言ったでしょ食べたいって。リグルに返事してもらわないと私、どうすればいいかわからないじゃない!」
「ち、ちょっと落ち着いてミスティア、いいから深呼吸しよう」
「う、うん、そうよね、ちょっとテンパってたかも」
自分も一緒に落ち着きたかったから、ミスティアと一緒に深呼吸。
すう、はあ。すぅー、はぁー。
「ふう……で、ミスティア、順を追って話してほしいんだけど……私を、食べたいって?」
「う、うん。腕が駄目なら足の一本――」
「それは置いておいて! ……えーっと、ミスティアって……うん? もしかして鳥の妖怪だから、蟲の妖怪の私を食べたいってこと?」
「あ、そうそう。そうなのよ、食物連鎖なの」
食物連鎖。
なるほどそれなら、納得はできなくとも理解はできる。鳥が蟲を食べるのは世の常。鳥の妖怪なら、蟲を食べたくても不思議は無いのかも知れない。しかし――
「ミスティアって、蟲食べるの?」
「食べれるよ? ああ、そっか。リグルの前では食べてなかったわよね」
そう。リグルの知る限り、ミスティアがリグルの前で蟲を食べたことはない。食事を共にしたことも、一度や二度ではないのだ。
「え、もしかして私に気を遣って?」
「うん。リグルって、蟲のこと大切にしてるでしょ? なんだか悪いなーって。それに、蟲が無いと生きていけないってわけでもないし」
「そこまで気にしなくってもいいのに……でも、ありがと」
別にリグルは、自然界の掟である食物連鎖にまでは、いちいち目くじらは立てない。そもそも蟲にしたって、他の蟲を食べる種類のものもいるのだから、それを怒ったりすることは無い……まあ、目の前でそれを見るのは哀しいかも知れないが、それもまた蟲のあるがままの姿と、自然と受け止められる。
だけど、ミスティアの心遣い自体は、純粋に嬉しかった。
思えばミスティア自身も常日頃から、焼き鳥撲滅など、鳥を食べられるのは嫌だと公言している。そういう意味で、リグルにも気を遣ってくれていたのだろう。
「え、気にしなくていいの?」
「いやまあ、これ見よがしにに蟲ばっかり食べられても反応に困るけど、少しくらいなら――」
「じゃあリグルを食べてもいいのね!? やったそれじゃ遠慮なく、いっただっきまぁーす!!」
「って、そんなわけあるかぁ!!」
大口開けてかぶりつきに来たミスティアをがっちり押さえつける。気分はさながら、素手で闘牛に挑むマタドーラ。
いくらなんでも、自分が食べられることまで自然と受け入れることなどできない。食物連鎖の食われる側にだって、抵抗の意思くらいはあるのだ。
「え? 食べちゃ駄目なの?」
「いや、当たり前でしょ!? 死にたくないし食べられたくもないよ!!」
「そうよね、いくらなんでも全部食べちゃうわけにはいかないわよね。じゃあやっぱり腕一本!」
「痛いのも嫌だってば!! ていうか発想がグロい!」
「もう、何なのよ! リグルは私にどうしろっていうの!?」
「いいから落ち着け!! 今まで蟲を我慢してたのに、なんでいきなり私を食べたいなんてことになったの!?」
「だってリグル、蟲のリーダーなんでしょ!? 偉いんでしょ!?」
またミスティアの話が飛んだ。言ってる意味がわからず、リグルは口ごもる。
確かにリグルは蟲のリーダーだ。今はまだ弱っちくて頼りない妖怪だが、いずれは立派な妖怪として蟲たちを率い、みんなを安心させたいと考えている。
だがそれが、今この状況と何の関係があるのか。
「えっと、私が蟲のリーダーだから、何?」
「ううん、みなまで説明してくれなくてもいいの! 私にはわかるの本能で! リグルが蟲の王だって! それはもう切実に具体的には胃袋で!」
「私にはわからないから説明して」
「だーかーらー、リグルは蟲の王、蟲たちの頂点、これまさに蟲オブ蟲、わかる?」
「つまり?」
「一番立派な蟲だっていうなら、一番美味しいに決まってるでしょ!?」
「暴論だ!?」
そんな無茶な話があるか。だったら動物の中で一番美味しいのはライオンなのか。古代の恐竜は強ければ強いほど美味しかったのか。
だが、そんな当たり前の理屈など、今のミスティアには通用しない。
彼女にとっては、今すぐそこにいるリグルこそまさに一番美味しい蟲であり、今のミスティアは究極のごちそうを前におあずけ食らってる状態であり、待て待てハウスハウスええいもう辛抱たまらん殺人犯なんかと一緒の部屋になんかいられるか殿中にござる殿中にござる先っちょだけ、先っちょだけだから痛くしないからイルスタードダイブ全門発射、ばっきゃろうスペカ1枚で足りるか大放出だ、たーまやー!
つまりそのくらいパニックハングリー状態なのだ。だって目ぇ血走ってるんだもん。
「何度も言ったけど落ーちーつーけー! ミスティア、私たち親友でしょ!? 親友を痛い目に合わせて平気なの!?」
「うっ……じ、じゃあリグルは!? 親友にひもじい思いをさせて平気なの!?」
親友、という言葉には思うところがあったのか、ミスティアが少しだけ躊躇いを見せた。だが、まだまだ諦める気は無いようだ。
しかし、ミスティアの言い分にも一理あるかも知れない、とリグルは思う。
今までミスティアは、蟲を食べるのを我慢してくれていた。今、リグルを異常なほどに食べたがっているのは、その我慢の反動によるものかも知れない。
リグルとて、ミスティアのその気持ちは純粋にありがたいし、なるべくなら応えてあげたいとも思うのだ。が。
「でもだからって! いきなり腕だの足だの、気前よく差し出せるわけないでしょ!」
「大丈夫、リグルは妖怪だもん! 腕の1本2本、日にちを置けばすぐに再生するわよ!」
「再生する端から食べられてたら、いくらなんでも力尽きるって! ていうか痛いこと自体が嫌!」
「うう、でも、だってだって、こんなにも美味しそうなのに!」
――当たり前だが平行線だ。リグルは痛い目に合いたくない。ミスティアはリグルが美味しそうで仕方がない。
このままでは埒が明かない、本当に何とかならないものか――
と、リグルが本格的に悩み始めた辺りで。
「じゃあ! リグル、こういうのはどう!?」
ミスティアが何やら目を輝かせて言ってきた。
/
ところ変わって、日時も変わり。
時刻は夜、あの言い争いから数日後の、ミスティアの屋台でのことだ。
「おかみさーん、タレ3本甘口でおねがーい」「こっちは日本酒追加でー」「芋焼酎ー」「八目丼一つー」
「はいはーい、ああ忙しいああ忙しい、いそが蘇我蘇我いそがシイ~♪」
「あはは、今日もミスティアは楽しそうねー、何かいいことあったの?」
「いいこと? いつでもあるわよー、たとえば今、ルーミアが来てくれてることとかー」
「あはははは、いっつも口が上手いんだからー」
暗い夜道に明るい屋台、今日もミスティアの鰻屋台は繁盛している。
もっとも、忙しいからと言って弱音を吐いたりはしない、常に明るく楽しくがミスティア流だ。仕事は楽しく、お客様には笑顔で元気よく、もちろん歌は忘れない。
とっぷりと夜も更けているというのに、そのミスティアの陽気に誘われて、今日も人妖入り乱れて何人もの常連さんが屋台ののれんをくぐる。
そのお客さんの中に――
「ミスティア、こんばんはー。今日も繁盛してるね――」
「リグルだ待ってました! リグルリグルリグル、早くこっちにカムヒア!!」
リグルもまた、今夜はお客さんとして現れた――そのつもりだった。
が、いきなりミスティアに呼ばれた、どころかミスティアは屋台の向こう側からぐるりと客席へと回り込んできて、リグルの腕をがしっと掴む。
「え、何なに!?」と慌てふためくリグルを、そのままカウンターの向こうへと引っ張り込んだ。
「え、まさかミスティア、い、今から?」
「もちろん! だって今日一日リグルに会えてなかったんだもん、もう一秒だって我慢できないんだから!」
「え、で、でも、み、みんなの前、だよ? ミスティアだって仕事中、でしょ?」
「ほらほらほら早く早く! それとも勝手に色々食べていいの!?」
「それは困るよ! も、もう……しょうがないなぁ、ミスティアは」
何やらカウンターの向こうでわいのわいのとやり合う二人に、屋台の客はみんな、何の話かわからず訝しげに覗き込んでくる。
そんなお客さんにもお構いなしに、ミスティアがぐいぐいと迫る。リグルはぼやきつつも、結局は押し切られてしまった。
そうしてそのまま、ミスティアはリグルの手を取り、その可愛らしい口を開けて――
「あ~~~~ん、あむっ」
「んっ」
リグルの指を、勢いよく口に入れて。
そのまま、ぺろぺろちゅぱちゅぱと舐め始めてしまった。
「ちゅ、ちゅぱ、ちゅ」
「んやっ、ちょっとミスティア、いきなり激しっ」
そのまま二人の世界に突入してしまう。当然、屋台に来ている他のお客さんたちは置いてけぼりだ。
屋台を切り盛りしているミスティアがリグルの指をしゃぶることに夢中なのだから、注文した料理やお酒も運ばれてはこない。
それに何より――今目の前で起きている事態が何なのか、純粋に気になって仕方がない。
「で、リグル、これはどういうことなの?」
「うぇっ!? る、ルーミア、いたの!?」
「いたよ~、存在に気付かれてさえいなかったの? 友達として悲しんでもいい?」
「い、いやごめん、私も屋台に来たばっかりだったし、その、ミスティアのことも気になってたのは確かで――」
と、言い訳もそのあたりが限界だった。ミスティアが、目に見えて激しく舌を加速させたのだ。
「ちゅぱ、じゅる、ちゅう、んっんっんっ、リグル、リグルぅ」
「ふぁあああ!? だからミスティア、ちょ、落ち着いて、もっとゆっくり……!」
「だってだって、リグル美味しいの、美味しいよリグル、ちゅぱ、ちゅる、んはぁっ……!」
「ほ、ほらルーミアたちも見てるのに、やっ、見てるっ、てばぁ……!」
指先には神経が集中している。これだけ唇と舌で激しく刺激されれば、リグルとて普段には無い感覚を覚えても不思議ではない――事実、明らかに心地よさそうに、目をとろんと潤ませている。
そんなリグルの内心を知ってか知らずか、ミスティアは本当に美味しそうに、リグルの人差し指を舐めしゃぶっている。根元までくわえ込んでは指全体を温かく包み込み、唇を少しずつ動かしながら舌を根本から指先へと這わせてリグルの味を堪能する。よだれが後から後から湧き出てくるので、全て飲み干すのも一苦労だ。
ミスティアの口からわずかに、リグルの指の根本が見える――ミスティアのよだれで、すっかり濡れそぼっている。
飲みきれなかったミスティアの唾液が、唇からリグルの指を、手のひらをつたい、こぼれ落ち――つう、と一本の長い糸を引いて地面に落ちる。
ごくり、と客席で誰かが生唾を飲み込んだ。
「いや、で、なんでこーなったのよー?」
「はぁ、はぁ……え、えっとね、ミスティアがどうしても、ひぅっ、私を食べたいっていうから、あん、だからね、ふあっ」
「うん、食べたいとかいう時点で初耳だけどまあいいや。それで?」
「代わりに味見だけさせてくれ、っていうもんだから……!」
――初めは本当に、一度だけ、舐めさせてあげるだけだったのだ。少なくともリグルはそのつもりだった。
ところが予想外なことに、ミスティアにとってリグルは、本当にとても美味しかったらしい。それこそ蟲と比較してどころか、今まで食べたもの全てと比較しても素晴らしいくらいだったそうだ。
ミスティアとしては余計に辛抱たまらなくなるのは当然で、まだ食べたい、もっと欲しいと、さらなる欲望をリグルにぶつけてくる。当然、リグルは痛い目だけは合いたくない。
交渉に交渉を重ねた結果、この味見を定期的に何度でもさせてあげるから、食べるのだけは我慢してもらう、というところに落ち着いてしまったのだ。
「じゅるる、ちゅぱ、ちゅう、んっんっんっんっ……ぷはぁ」
「やあぁんっ! ……はぁ、はぁ、ミスティア、駄目、そろそろいいでしょ、もうおしまい!」
息が続かなくなったか、ようやくミスティアがリグルの指から離れ、顔を上げた。
その隙に、リグルがさっと一歩下がる。さらに追い縋ろうとするミスティアを制した。
「はぁ、はぁ、リグル、リグルもっと、もっとぉ」
「だーめ、今は仕事中でしょ? ミスティアは焼き鳥撲滅のために屋台頑張ってるんでしょ?」
「う、うん、でもあとちょっとだけ、触角の先っちょを舐めるだけでいいから――」
「駄目だってば、ミスティア、触角まで行くと本当に長いんだから!」
あ、うん、もう触角も経験済みなんだ……
もう、そんなツッコミを入れる客さえいなかった。ある者は面白そうににやにやと見物し、ある者は気まずそうにちらちらと覗き見ながら、全員がリグルとミスティアを交互に見やる。
具体的には、健康美を思わせる光沢を放つリグルの触角と、今もまだ興奮気味で唇と舌を艶めかしく濡らしているミスティアの口元とを。
「よーし、じゃあ今夜も残りのお仕事頑張っちゃうもんね! リグル、終わったらご褒美に、もうちょっとだけいいでしょ!?」
「うう、まあしょうがないか……でも、仕事が終わるまではお預けだからね?」
「おっけーおっけー! お待たせしましたお客さんたち、ご注文は何にしましょうか!?」
当然のことだが――
リグルが来る前にみんなから聞いた注文のことは、綺麗さっぱり忘れているミスティアだった。
焼きっぱなしだった八目鰻の串焼きが焦げていなかったのは、ちょっとした奇跡だったのかも知れない。
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余談だが、その後、幻想郷のカップルの間で、指をちゅぱちゅぱと舐め合うのがひそかなブームになる。
それを受けて、ブームの火付け役であるリグルたちは、伝統の幻想ブン屋に追いかけ回されるという災難に合うのだが。
今のリグルたちには、知る由も無いことだった。
何と俺得なSSであることかー!
僕の理想郷、ここにあり。