日本の古き良き文化を感じさせてくれる家がそこにはあった。
家の名前は「マヨイガ」。ここには幻想郷に古からいる大妖怪と、その式神が住んでいる。
いや、住んでいた。新たに一匹、新たな家族が加わったのだ。
「らんしゃま~」
そのマヨイガに幼い可愛らしい声が響く。八雲 藍はその声を聞いて後ろに振り返った。
真正面から声の主である茶髪の猫耳付き幼女が飛び込んで来る。藍はしっかりと抱きとめて、幼女の顔を覗き込んだ。
「おぉ、橙。今日も元気いっぱいだな」
「はい、げんきでしゅ」
ちぇんは満面の笑顔で藍に言葉を返す。その笑顔を見て、藍は顔が綻ぶ。ぐんにゃりと。
「あぁ~、かわいいなぁ、橙は」
そのまま抱き寄せ、愛情いっぱいに頭を撫でまくる。ちぇんはうれしそうに身を摺り寄せる。オプションの尻尾もふりふりと振る。
「ら~ん~」
二人がお互いの温もりを分け合っているところに、寝起きの不機嫌な声が響いた。マヨイガの主、八雲 紫である。
「あ、紫様。お目覚めですか」
「う~ん……まぁ~ねぇ~」
紫は眠たげの目を擦りながら、藍の背中側を見た。
「あれ? 藍。尻尾が一本しかないわよ?」
「あぁ、最近多くの魔力を使う用事ありましたので」
と、藍はそう言って、ちぇんを高々と揚げた。ちぇん自身は藍の高い高いにきゃっきゃっと喜んでいる。
紫はそれを一瞥して、全てを悟った。
「ふ~ん。あなた、式を新たに生み出したのね」
「はい。色々と私の助けになると思ったので。ただ、大きな魔力を使ってしまった分、今は魔力の回復に専念しておりますので、色々と紫様にはご不便をお掛けになるかも知れません」
「ま、いいわよ。ちょっと、こっちに来なさい。えぇっと……」
「橙です」
「そう。こっちへいらっしゃい、橙」
「? はい」
ちぇんは藍から離れ、とてとてと歩いて紫に向かう。近くまで来ると、ちぇんは紫の顔を不思議そうな顔で見上げ、紫は不敵な笑みを浮かべて橙を見る。
「らんしゃま、この人だれ?」
「こらっ、橙。失礼だぞ。この方は私を生んでくださった紫様だ。ちゃんと、挨拶するんだぞ」
「ちぇんをうんでくだしゃった、らんしゃまをうんでくだしゃった方……?」
ちぇんは小さな頭をフルに活動して、一つの答えを得、にっこりと笑ってこう言った。
「はじめまして、ゆかりおばしゃま」
空間に亀裂が走る。比喩表現ではない、実際に亀裂が走ったのだ。空気は亀裂に飲み込まれ、辺りは軽く旋風が巻き上がっていた。
「ちょ、ゆ、紫様!?」
「……藍。なるほどね、こういう目的のためにこの娘を生み出したのね?」
「え? ち、違います! 私は色々と助けになると思って……」
「ふーん。助け、ね……」
紫が藍に鋭利な視線を送る。それだけで藍は一歩も動けなくなり、体中から冷や汗がだらだらと流れた。
紫がゆっくりと扇子を開き、藍がもうダメかと諦めかけていた時、幼女の声がそれを遮った。
「やめてくだしゃい!!」
ちぇんは藍の前で小さな四肢を思いっきり開いて、紫に立ちはだかった。
「らんしゃまはなにもわるくありましぇん! わるい子はこのわたしでしゅ! わたしはどんなことでもしましゅから、らんしゃまにひどいことをしないでくだしゃい!!」
ちぇんは目にたくさん涙を溜め込んで、それでも勇気を振り絞って叫ぶ。実際は怖くてぶるぶると震えているのに、そこから退こうとは微塵も思っていなかった。
すると、風が止み、再び穏やかなマヨイガへと戻る。
「ゆ、紫様……?」
冷や汗をより増量させて、藍は主の顔を伺う。すると主は急に叫んだ。
「ら、藍。卑怯よ!」
「何でですか!?」
「だって! あんな泣き顔で! あんなこと言ったらもう許すしかないじゃないの!!」
紫はビシッとちぇんに指をさす。ちなみにちぇんは何が起こったのか分からず、首を傾げている。また、その首の傾げる角度が絶妙で、とっても愛らしく、藍と紫は胸がきゅん、となり、一瞬自我を忘れる程だった。
「と、とにかく。藍、早くご飯にするわよ」
「え、あ、はい!」
「わっ! まってくだしゃい! らんしゃま、ゆかりしゃま!!」
ちぇんが慌てて二人の後を追い、再び胸がきゅん、となった主たちであった。
*
「へぇ、今日はハンバーグなのね」
「はい。今朝、幽々子様から色々と肉や野菜をいただいたので、思い切って全部を使ってみました」
「はんばーぐ♪ はんばーぐ♪」
初めて三人が揃った食事のメニューは、藍が言った通り、ハンバーグであった。
肉は国産牛、百パーセント(幽々子印)。野菜(幽々子印)も三種類あり、ニンジン、ピーマン、セロリがそれぞれの皿に乗っている。
『いただきます』
お決まりの儀式を済ませ、藍が箸を伸ばそうとすると、ちぇんが困った顔をしているのが目に入る。
「どうした? 橙。食べたくないのか?」
「ううん。あ、でもしょうかも……」
「?」
ちぇんが何回か耳をパタパタさせて、うー、と唸っていたが、意を決したのか藍の顔を見て、言った。
「あのね、らんしゃま」
「うん?」
「ちぇん。ぴーまん、きらいなの」
「え? あ、あぁ……」
藍は合点した。そうだった、苦いピーマンはちぇんの苦手なものだったのだ。
「うーん……」
どうしたものか。いくらちぇんが眼球内に入れても痛くないからと言って、ピーマンを残させるにはいかない。出来れば、自分から食べてもらうような方向にしたものだが……。
ふと、藍はいそいそとセロリを皿の端っこに追いやっている自分の主を見て、閃いた。
「いいか、橙。よく見てろよ」
「?」
藍は一仕事終えた紫の前に座り、
「紫様、失礼します」
「え――むがっ!?」
紫が端っこに追いやっていたセロリを、一気に紫の口に捻じ込んだ。
(ちょ、藍! あなたどういう――)
(橙のためなんです! 協力して下さい!!)
藍は容赦なく、強制的に紫の顔と顎を使って咀嚼させ、最終的には飲み込ませるに至った。紫はがっくりと顔を青くしてうなだれる。ちぇんはそれをぽかーんと口を開けてそれの一部始終を見ていた。
「見たな? ちぇん。紫様はセロリが苦手なのですが、ちぇんが好き嫌いしないようにと、我慢して食べて下さったのですよ」
「え、でも、なんからんしゃまがむりやり食べさせてたような……」
「橙。分かったな?」
「は、はひ! が、がんばってぴーまん食べましゅ!」
ちぇんは決死の覚悟でピーマンを口に運ぶ。苦さが口の中で広がる度に、ちぇんは尻尾と全身逆立たせていたが、ハンバーグと一緒に食べたりして工夫した結果、見事ちぇんはピーマンを全部食べきった。
「ら、らんしゃま……ぜ、ぜんぶ食べたよ……?」
「偉いぞ! 橙! よしよしよし」
藍はちぇんを褒め、頭を撫でまくる。ちぇんはうれしそうに、笑顔でそれを受け入れて、しばし親子で暖かな時間を過ごした。
一方、嫌いなセロリを食べさせれた紫は、「セロリー……変な味ー……」と、ぶつぶつ呟きながら横になって、くたばっていた。
*
一通りの仕事を終え、藍は毛布を被り、睡眠を取ろうとする。すると襖がほんの少し開き、猫耳を不安げに垂れ下げているちぇんが顔を覗かせた。
「らんしゃまー」
「どうした? 橙?」
少し頬を赤らめながら、ちぇんは藍に聞く。
「・・・・・・いっしょにねていい?」
藍は口の端を上げて、すぐに返答した。
「うん、いいよ」
「わーい♪」
ちぇんが走って、藍の布団にダイブする。
ぼふっと布団はちぇんを受け止めて、ちぇんは藍の毛布の中へと潜って行く。
「ぷはっ」
「大丈夫か? 橙?」
「らんしゃまこそだいじょーぶ?」
「ハハハ……まぁ、多分」
藍はボロボロになっていた。自分の嫌いなものを無理矢理食べさせられた主人の怒りは避けられようがなく、ただでさえ魔力が少ない藍に、スペルカードを使ってまでボコボコにしたのだ。
ほんとに心の狭い主人である、とは口が裂けても言えない。
「らんしゃま……」
眠たい目を擦りながら、ちぇんは自分の主の名を呼んだ。
「うん? どうした?」
「あのね…………」
「ん?」
「……だいしゅき」
藍は突然のことにぽかんとした。ちぇんは予想通りの反応で嬉しかったのか、いつの間にかイタズラを成功させた子どものような笑顔で、スースーと定期的な呼吸を繰り返していた。
しばらくぽかんとしていた藍だったが、
「……私もだよ、橙」
そう言って微笑んで、自分の一本だけとなった尻尾をちぇんに包ませ、自分も目を瞑った。
えんど