春の境
今年も大瑠璃の鳴く季節がやってきた。
「はあ……」
縁側に座って足を投げ出し、霊夢はお茶も飲まずに一人でぼんやりと境内を眺めていた。
桜もとうに散って青々とした葉を付け始め、連日花見に訪れていた人妖達の足もぱたりと途絶えた頃合、春と梅雨の中間の季節、この博麗神社にはほんの僅かな期間ぽっかりと穴が空いたように霊夢は一人になる。
また二、三日すれば妖怪達が宴会に訪れるのだろう、こんな静けさも今だけだ。
普段であればうるさくなくて清々するのだが、あいにくこの季節を霊夢は好きではなかった。
「もうじきお墓参り、か……」
ぼんやりと誰にともなく呟くと、溜めた息をふっと吐き出して立ち上がる。
居間にはまだ炬燵が置いてあった。冬の間は年中出しておいてもいいと思っていたくらいだが、いざ暖かくなってみると感じるのは僅かな未練のみであり、もう仕舞っても良い気もしてくる。
「はあ……」
しかしそれは億劫なので後回しにし、霊夢は炬燵に潜り込んでべたっと頬を炬燵机にくっ付けた。
今は何もかもがだるくやる気もおきない。陽気な妖怪達でも来てくれれば気も紛らわすことが出来るのに、こういう時に限って彼女らは現れてはくれない。
そういえば前にもこんなことがあったか。
そのまま瞳を半開きにし、霊夢は炬燵に突っ伏したこの姿勢に在りし日を重ねていた。
十年前。
生まれた時からずっと一緒だった先代の博麗の巫女が死んだ時もこんな生暖かい大瑠璃の鳴く日だった。
その日、神社では何かの割れる音が響く。
何が割れたのか分からない。確認する気も起きない。大切な物だったのかもしれないけどそんな事はどうでもよく、それを床に叩き付けたのは紛れもなく自分だった。
飾ってあった皿を壁に向かって投げつけると嫌な音を響かせて砕けた。掛け軸を無理矢理引っぺがすと中ほどから裂け、そのまま畳にかなぐり捨てる。
障子を加減無く蹴りつけると立て付けが外れて縁側に向かって倒れ込み、襖にはいくつ穴が空いているのか確認する気も起きない。
食器棚のガラスを殴りつけるとひびが入り何度目かの殴打で割れ、破片が拳のいたる所を切りつけて血が流れ出る。
どうでもよかった。何が壊れようと自分の身がどれだけ傷つこうが構わない。心配して手当てをしてくれる人はもういない。自分は永遠に一人になってしまった。
自暴自棄で躍起になって暴れまわって当り散らして、少しでも陰鬱な気を和らげようとしているのかもっと荒げようとしているのか、自分でも分からなくなった幼い霊夢は、やがて荒々しい息を吐き立ち止まった。
そのまま居間の炬燵に潜り込むと突っ伏してしまう。炬燵が好きだった。一緒に入っているととても暖かいから。だから先代が炬燵を仕舞おうとするのを必死になって押し止め、春も終わりかけだというのにだらしなく出したままだ。
そんな事をぼんやりと考えながら、手当てなどされていない血まみれの両手を炬燵机の上に投げ出し、幼い霊夢はそのまま目を閉じた。傷から血がじわじわと流れ落ち、唐草色の炬燵机に赤黒い地溜まりが少しずつ広がっていく。
どうでもいい、そんなことも、どうなっても。
大瑠璃の声を遠くに聞きながら、幼い霊夢はやがて眠りについた。
しかし次に目覚めた時。
おもむろに顔を上げると、そこには綺麗に包帯の巻かれた両手があった。
不思議に思って視線を更に上げると、そこにはさっきまでは無かった茶菓子とそして今も湯気を上げる湯飲みが一つ置いてあった。
ついさっきまで誰かがいて、包帯を巻いてお茶と茶菓子を用意していったということなのだろう。しかし一体誰が?
きょろきょろと辺りを見渡してみても誰かがいるわけでもない。
しかしこのように世話を焼かれるのがまるで先代と一緒にいた時のようで、幼い霊夢は涙が零れてくるのを止められなかった。気付けば声を上げて泣いている。そういえばちゃんと泣いたのは先代が死んでから初めてだった。
遠くに聞こえていた大瑠璃の鳴き声が、その時はとても近くに感じた。
いつの間にか寝ていたようだ。
おもむろに顔を上げると、そこにはいつかのように茶菓子が少々と湯気を上げる湯のみが一つ。
はっとした様子で目を見開くと、炬燵の向かい側に座る紫は飲んでいた湯飲みを静かに炬燵机の上に下ろした。机の上に湯飲みが二つ。
やがて霊夢は口を開く。
「ねえ、紫」
「なに?」
霊夢は炬燵机の上に置いた両手を懐かしそうに眺めた。
「私、この季節のことそんなに嫌いじゃないかもしれない」
黙っていた紫はやがて、そう、とだけ呟いてそっと微笑みを零す。
大瑠璃が一声、いつぞやのように近くで鳴いた気がした。
了
今年も大瑠璃の鳴く季節がやってきた。
「はあ……」
縁側に座って足を投げ出し、霊夢はお茶も飲まずに一人でぼんやりと境内を眺めていた。
桜もとうに散って青々とした葉を付け始め、連日花見に訪れていた人妖達の足もぱたりと途絶えた頃合、春と梅雨の中間の季節、この博麗神社にはほんの僅かな期間ぽっかりと穴が空いたように霊夢は一人になる。
また二、三日すれば妖怪達が宴会に訪れるのだろう、こんな静けさも今だけだ。
普段であればうるさくなくて清々するのだが、あいにくこの季節を霊夢は好きではなかった。
「もうじきお墓参り、か……」
ぼんやりと誰にともなく呟くと、溜めた息をふっと吐き出して立ち上がる。
居間にはまだ炬燵が置いてあった。冬の間は年中出しておいてもいいと思っていたくらいだが、いざ暖かくなってみると感じるのは僅かな未練のみであり、もう仕舞っても良い気もしてくる。
「はあ……」
しかしそれは億劫なので後回しにし、霊夢は炬燵に潜り込んでべたっと頬を炬燵机にくっ付けた。
今は何もかもがだるくやる気もおきない。陽気な妖怪達でも来てくれれば気も紛らわすことが出来るのに、こういう時に限って彼女らは現れてはくれない。
そういえば前にもこんなことがあったか。
そのまま瞳を半開きにし、霊夢は炬燵に突っ伏したこの姿勢に在りし日を重ねていた。
十年前。
生まれた時からずっと一緒だった先代の博麗の巫女が死んだ時もこんな生暖かい大瑠璃の鳴く日だった。
その日、神社では何かの割れる音が響く。
何が割れたのか分からない。確認する気も起きない。大切な物だったのかもしれないけどそんな事はどうでもよく、それを床に叩き付けたのは紛れもなく自分だった。
飾ってあった皿を壁に向かって投げつけると嫌な音を響かせて砕けた。掛け軸を無理矢理引っぺがすと中ほどから裂け、そのまま畳にかなぐり捨てる。
障子を加減無く蹴りつけると立て付けが外れて縁側に向かって倒れ込み、襖にはいくつ穴が空いているのか確認する気も起きない。
食器棚のガラスを殴りつけるとひびが入り何度目かの殴打で割れ、破片が拳のいたる所を切りつけて血が流れ出る。
どうでもよかった。何が壊れようと自分の身がどれだけ傷つこうが構わない。心配して手当てをしてくれる人はもういない。自分は永遠に一人になってしまった。
自暴自棄で躍起になって暴れまわって当り散らして、少しでも陰鬱な気を和らげようとしているのかもっと荒げようとしているのか、自分でも分からなくなった幼い霊夢は、やがて荒々しい息を吐き立ち止まった。
そのまま居間の炬燵に潜り込むと突っ伏してしまう。炬燵が好きだった。一緒に入っているととても暖かいから。だから先代が炬燵を仕舞おうとするのを必死になって押し止め、春も終わりかけだというのにだらしなく出したままだ。
そんな事をぼんやりと考えながら、手当てなどされていない血まみれの両手を炬燵机の上に投げ出し、幼い霊夢はそのまま目を閉じた。傷から血がじわじわと流れ落ち、唐草色の炬燵机に赤黒い地溜まりが少しずつ広がっていく。
どうでもいい、そんなことも、どうなっても。
大瑠璃の声を遠くに聞きながら、幼い霊夢はやがて眠りについた。
しかし次に目覚めた時。
おもむろに顔を上げると、そこには綺麗に包帯の巻かれた両手があった。
不思議に思って視線を更に上げると、そこにはさっきまでは無かった茶菓子とそして今も湯気を上げる湯飲みが一つ置いてあった。
ついさっきまで誰かがいて、包帯を巻いてお茶と茶菓子を用意していったということなのだろう。しかし一体誰が?
きょろきょろと辺りを見渡してみても誰かがいるわけでもない。
しかしこのように世話を焼かれるのがまるで先代と一緒にいた時のようで、幼い霊夢は涙が零れてくるのを止められなかった。気付けば声を上げて泣いている。そういえばちゃんと泣いたのは先代が死んでから初めてだった。
遠くに聞こえていた大瑠璃の鳴き声が、その時はとても近くに感じた。
いつの間にか寝ていたようだ。
おもむろに顔を上げると、そこにはいつかのように茶菓子が少々と湯気を上げる湯のみが一つ。
はっとした様子で目を見開くと、炬燵の向かい側に座る紫は飲んでいた湯飲みを静かに炬燵机の上に下ろした。机の上に湯飲みが二つ。
やがて霊夢は口を開く。
「ねえ、紫」
「なに?」
霊夢は炬燵机の上に置いた両手を懐かしそうに眺めた。
「私、この季節のことそんなに嫌いじゃないかもしれない」
黙っていた紫はやがて、そう、とだけ呟いてそっと微笑みを零す。
大瑠璃が一声、いつぞやのように近くで鳴いた気がした。
了
十年前の話から霊夢の気持ちが簡単に分かってきました。
歴代の巫女達に対しても時には母の様に導いてあげたのかやはり霊夢は特別なのか気になりますw