今から、数日ほど前のことだ。
ある子供が、「先生、おとしものを拾った」と私の元に届けてきたものがある。
それが、これだ。
珍しい、西洋人形だ。
どこで拾ったのかと聞くと、『あっち』と答える。
まぁ、この手の玩具は、そう珍しいものではない。しかし、西洋人形というのは珍しい。
はて、こんなものをほいほいと買えるような子供が、うちの寺子屋に通っていただろうか……と思ったのだが、まさか、盗んできたわけでもあるまい。
――なぜか、って?
この人形は、言ってしまっては悪いが、見てくれが悪い。
服はどこか煤けているし、顔も汚れている。髪の毛もほつれて、さぞ、持ち主が思う存分、遊びに使っていたのだろうなと思えるほどだ。
これを高値で売っているような店など、それこそ、客が寄り付かないだろう。
だから、「そうか。いいことをしたな」と、私はこれを受け取って、落とし主を探していたのだが……。
最近、妙に変なことが起きる。
寺子屋に通っている子供が風邪を引く。これはよくあることなのだが、その規模が大きい。
数人、時には十数人。しかも、決まって長引き、中には永遠亭の名医の元にご厄介になるものまで出てくる。
たとえば、怪我をする。
子供は元気の塊だ。
私も、天気がいい日には、子供たちを外に出して遊ばせるようにしている。
そうしていると、あちこちをにぎやかに走り回る彼らは、転んで怪我をする。
そこまでは普通なのだが、そこから先が普通ではない。
地面から、たまたま、顔を出していた鋭い石に足を切り裂かれ、ばっくりと、血で足が赤く染まるほどの大怪我をしてしまったり、転んだ拍子に手をついたら、勢いがつきすぎていて骨折したり。
この前など、ボール遊びをしていたら、ボールを受け損ねた子供がそれを顔にぶつけてよろけてしまい、転んだ拍子に、木に後頭部をぶつけてしまうということまであった。
当然、大騒ぎだ。
または、学業が奮わなくなったものもいる。
正直、うちの寺子屋には、『賢い』子供はいても、『頭のいい』子供は、なかなかいない。
それは教師や親が育てるべき問題でもあるが、それはさておこう。
その人形を置いて以降、どうにも、ぺけをつけることが増えた。
50点、60点を取る子供が、時に0点を取ったこともある。
理由を聞いてみると、皆、『よくわからないけど、わからない』と答えるのだ。
はて、と私は腕組みをした。
何だか、妙に運の悪いことが続くものだ、と。
運というのは『運気』という言葉にあるとおり、多くは『気』による。
運のない、不幸なことが立て続けに続くと意気消沈し、気を落とし、結果、運気も下がってしまう。
その逆もまたしかり。
何者かが運を吸い取っているのではないだろうか、とふと思い――。
そういえば、と思い出す。
それは、ある子供が、『先生。あのお人形さんが喋ってる』と、ある子供が私に言ったことがあった。
彼は、皆と教室の掃除をしている時に、その人形が『わたしもきれいにしてほしい』と言ったのを聞いたのだという。
気のせいだろうとは思ったのだそうだが、確かに、薄汚れた人形をそのまま、というのもかわいそうに思って、顔などをきれいに拭いてやったそうだ。
それはそれで素晴らしいことだとは思ったが、今になって思い返すと、気になる言葉だ。
……この人形、何者だ?
私はそう思った。
そこで真っ先に向かったのは、『人形遣い』殿のところだ。
彼女はこう言った。
『あ、それ、妖怪』
――とな。
「まぁ、そういうわけで、霊夢殿には、これの供養と憑き物祓いを頼みたいのだ」
「別にいいけどね」
彼女――上白沢慧音から渡される、一体の西洋人形。
それを受け取った、神社の主は、少しだけ眉をひそめた後、手にした札を、無造作にぺんとそれの頭に張った。
「慧音はさ、厄を祓う時、その人の持ち物や、こういうひとがたを使う理由って、何だかわかる?」
「む?
……そうだな。厄を肩代わりしてもらうため、と聞いたことがある」
「そう。その通り。
これは多分、その手の類の身代わりじゃないかな。
たっぷりと、よくないものをためこんでいる」
次に、彼女は赤い染料で呪の書かれた護符で人形をくるむと、その胸元に、一本の鋭い針を突き立てる。
そうして、『よいせ』と立ち上がると、清めの酒と塩を手に、母屋の外で火を焚き上げる。
「悪いものっていうのは、意識的にせよ、無意識にせよ、周りのものに悪影響を出すんだよね。
この人形が、子供たちに不運を振りまいていたってのは、まぁ、間違いじゃないと思う」
「……はた迷惑な話だ」
「そうだね。
けどま、この子はこの子で頑張っていたんだと思うよ」
火の中へ、彼女はその人形を収める。
火は瞬く間に護符に燃え移り、人形を包んで燃え盛る。
一瞬、ぼっ、と火が強く燃え上がった。
待って散った火の粉が、刹那、人の『目』のようなものを映し出す。
「いいから成仏しろ、鬱陶しい」
彼女――博麗霊夢は無感情に、手にした札をもう一枚、火の中へと投げ込んだ。
火の中の『目』は、札を貼り付けられて苦悶の顔を浮かべて消えていく。
崩れていく護符の中から、真っ黒に焦げた人形が姿を現し、これも崩れていく。崩れていく間際に、それの口許が小さく、動いて『ありがとうございます』と言ったのを、慧音はふと、見たかのような気がした。
「形代として使われたものは、普通は、何も出来ないただの道具なんだけどね。
この子はひょっとしたら、本当に、その前の持ち主が愛情を持って使っていた付喪神だったのかもしれないね」
「……子供たちに、必要以上に、厄の被害が出ないように守っていてくれていたということか」
「かもしれない。もちろん、そうじゃないかもしれない。
『きれいにしてほしい』っていう言葉の意味は、それこそ、無数に考えられるし、もちろんそれ自体が気のせいだったのかもしれないし、今、あんたが見たものも、ただの幻かもしれない」
火は消えて、残ったのは灰ばかり。
それを彼女は集めると、小さな、木で出来た箱の中へと入れていく。
外側を札で頑丈に閉じて、最後に『封印』と書かれた札をぺんと貼る。
「10年くらい、こうして封じていれば、あとは普通に捨てても大丈夫でしょ」
「もし、その間に、持ち出されでもしたら?」
「また災厄が起きるかもね」
「……そうか」
「そうなったらその時でしょ。私がいなくなってりゃ、他の誰かに厄払いを頼めばいい。そういうことの出来る奴らは、無数にいるんだからさ」
というわけで、と霊夢は慧音の肩を叩く。
清めの酒を一杯、口に含ませて、吐き出させる。
塩をぱっぱと彼女に振りかけた後、差し出す掌は上を向いていた。
「……しっかりしている」
「お仕事ですから」
そこでようやく、にっこり、彼女は微笑んだ。
このような出来事があって、寺子屋の子供たちの間にも、平穏が戻ってきた。
妖怪のちょっとしたいたずらだったのだろう。だが、いたずらにしてはたちが悪い。これだから、妖怪というやつは、油断してはいけないのだ。
さて、ここで少し思い返してみれば、だ。
最初に、私のところに、あの人形を持ってきた、あの子供。
そういえば、あれの顔を、私は寺子屋の中で見たことがない。恐らくは、人に化けた化生の類だったのだろう。
人間に害をなそうとして近寄ってきたのだ。
次にあれを見た時、私はあれを退治しようと思う。
……もっとも、次も同じ姿をしているとは限らないが。
次に気になるのは、あれが口にしていた『おとしもの』という言葉。
『何』を『落とした』のか、あれは言っていなかった。
――今回の、あれの目論見は、あれが手にしていた人形が『よい心』を持ったひとがたであることを、あれが見抜けなかったことが原因で、大事に至ることなく終了した。
だが、『ひとがた』は、本来、心を持たない。心を持たないが故の道具であり、『依り代』となる。
あの『ひとがた』が本来の意味での人形であったのならば、この一件、もっと大きな事態になっていたのかもしれない。
あれは、ある意味では、胸をなでおろしただろう。
そんなことになれば、この世界には、文字通り、いられなくなってしまうのだから。
「落し物を見つけたら、落とし主のところに届けてあげましょう。
ただし、不用意に『おとしもの』には触らないように」
――以上の経験からの今日の授業では、子供たちの大半が首をかしげていた。
まぁ、仕方ないな、と思う。的を射ていないのは確かなのだから。
と、そんなとき、子供の一人が手をあげて、私に質問をしてきた。
「先生。それじゃ、その落とし主の人に落し物を返しちゃいけないんじゃないですか?」
……賢い子は、これだから困る。どうやって説明したものか。
ある子供が、「先生、おとしものを拾った」と私の元に届けてきたものがある。
それが、これだ。
珍しい、西洋人形だ。
どこで拾ったのかと聞くと、『あっち』と答える。
まぁ、この手の玩具は、そう珍しいものではない。しかし、西洋人形というのは珍しい。
はて、こんなものをほいほいと買えるような子供が、うちの寺子屋に通っていただろうか……と思ったのだが、まさか、盗んできたわけでもあるまい。
――なぜか、って?
この人形は、言ってしまっては悪いが、見てくれが悪い。
服はどこか煤けているし、顔も汚れている。髪の毛もほつれて、さぞ、持ち主が思う存分、遊びに使っていたのだろうなと思えるほどだ。
これを高値で売っているような店など、それこそ、客が寄り付かないだろう。
だから、「そうか。いいことをしたな」と、私はこれを受け取って、落とし主を探していたのだが……。
最近、妙に変なことが起きる。
寺子屋に通っている子供が風邪を引く。これはよくあることなのだが、その規模が大きい。
数人、時には十数人。しかも、決まって長引き、中には永遠亭の名医の元にご厄介になるものまで出てくる。
たとえば、怪我をする。
子供は元気の塊だ。
私も、天気がいい日には、子供たちを外に出して遊ばせるようにしている。
そうしていると、あちこちをにぎやかに走り回る彼らは、転んで怪我をする。
そこまでは普通なのだが、そこから先が普通ではない。
地面から、たまたま、顔を出していた鋭い石に足を切り裂かれ、ばっくりと、血で足が赤く染まるほどの大怪我をしてしまったり、転んだ拍子に手をついたら、勢いがつきすぎていて骨折したり。
この前など、ボール遊びをしていたら、ボールを受け損ねた子供がそれを顔にぶつけてよろけてしまい、転んだ拍子に、木に後頭部をぶつけてしまうということまであった。
当然、大騒ぎだ。
または、学業が奮わなくなったものもいる。
正直、うちの寺子屋には、『賢い』子供はいても、『頭のいい』子供は、なかなかいない。
それは教師や親が育てるべき問題でもあるが、それはさておこう。
その人形を置いて以降、どうにも、ぺけをつけることが増えた。
50点、60点を取る子供が、時に0点を取ったこともある。
理由を聞いてみると、皆、『よくわからないけど、わからない』と答えるのだ。
はて、と私は腕組みをした。
何だか、妙に運の悪いことが続くものだ、と。
運というのは『運気』という言葉にあるとおり、多くは『気』による。
運のない、不幸なことが立て続けに続くと意気消沈し、気を落とし、結果、運気も下がってしまう。
その逆もまたしかり。
何者かが運を吸い取っているのではないだろうか、とふと思い――。
そういえば、と思い出す。
それは、ある子供が、『先生。あのお人形さんが喋ってる』と、ある子供が私に言ったことがあった。
彼は、皆と教室の掃除をしている時に、その人形が『わたしもきれいにしてほしい』と言ったのを聞いたのだという。
気のせいだろうとは思ったのだそうだが、確かに、薄汚れた人形をそのまま、というのもかわいそうに思って、顔などをきれいに拭いてやったそうだ。
それはそれで素晴らしいことだとは思ったが、今になって思い返すと、気になる言葉だ。
……この人形、何者だ?
私はそう思った。
そこで真っ先に向かったのは、『人形遣い』殿のところだ。
彼女はこう言った。
『あ、それ、妖怪』
――とな。
「まぁ、そういうわけで、霊夢殿には、これの供養と憑き物祓いを頼みたいのだ」
「別にいいけどね」
彼女――上白沢慧音から渡される、一体の西洋人形。
それを受け取った、神社の主は、少しだけ眉をひそめた後、手にした札を、無造作にぺんとそれの頭に張った。
「慧音はさ、厄を祓う時、その人の持ち物や、こういうひとがたを使う理由って、何だかわかる?」
「む?
……そうだな。厄を肩代わりしてもらうため、と聞いたことがある」
「そう。その通り。
これは多分、その手の類の身代わりじゃないかな。
たっぷりと、よくないものをためこんでいる」
次に、彼女は赤い染料で呪の書かれた護符で人形をくるむと、その胸元に、一本の鋭い針を突き立てる。
そうして、『よいせ』と立ち上がると、清めの酒と塩を手に、母屋の外で火を焚き上げる。
「悪いものっていうのは、意識的にせよ、無意識にせよ、周りのものに悪影響を出すんだよね。
この人形が、子供たちに不運を振りまいていたってのは、まぁ、間違いじゃないと思う」
「……はた迷惑な話だ」
「そうだね。
けどま、この子はこの子で頑張っていたんだと思うよ」
火の中へ、彼女はその人形を収める。
火は瞬く間に護符に燃え移り、人形を包んで燃え盛る。
一瞬、ぼっ、と火が強く燃え上がった。
待って散った火の粉が、刹那、人の『目』のようなものを映し出す。
「いいから成仏しろ、鬱陶しい」
彼女――博麗霊夢は無感情に、手にした札をもう一枚、火の中へと投げ込んだ。
火の中の『目』は、札を貼り付けられて苦悶の顔を浮かべて消えていく。
崩れていく護符の中から、真っ黒に焦げた人形が姿を現し、これも崩れていく。崩れていく間際に、それの口許が小さく、動いて『ありがとうございます』と言ったのを、慧音はふと、見たかのような気がした。
「形代として使われたものは、普通は、何も出来ないただの道具なんだけどね。
この子はひょっとしたら、本当に、その前の持ち主が愛情を持って使っていた付喪神だったのかもしれないね」
「……子供たちに、必要以上に、厄の被害が出ないように守っていてくれていたということか」
「かもしれない。もちろん、そうじゃないかもしれない。
『きれいにしてほしい』っていう言葉の意味は、それこそ、無数に考えられるし、もちろんそれ自体が気のせいだったのかもしれないし、今、あんたが見たものも、ただの幻かもしれない」
火は消えて、残ったのは灰ばかり。
それを彼女は集めると、小さな、木で出来た箱の中へと入れていく。
外側を札で頑丈に閉じて、最後に『封印』と書かれた札をぺんと貼る。
「10年くらい、こうして封じていれば、あとは普通に捨てても大丈夫でしょ」
「もし、その間に、持ち出されでもしたら?」
「また災厄が起きるかもね」
「……そうか」
「そうなったらその時でしょ。私がいなくなってりゃ、他の誰かに厄払いを頼めばいい。そういうことの出来る奴らは、無数にいるんだからさ」
というわけで、と霊夢は慧音の肩を叩く。
清めの酒を一杯、口に含ませて、吐き出させる。
塩をぱっぱと彼女に振りかけた後、差し出す掌は上を向いていた。
「……しっかりしている」
「お仕事ですから」
そこでようやく、にっこり、彼女は微笑んだ。
このような出来事があって、寺子屋の子供たちの間にも、平穏が戻ってきた。
妖怪のちょっとしたいたずらだったのだろう。だが、いたずらにしてはたちが悪い。これだから、妖怪というやつは、油断してはいけないのだ。
さて、ここで少し思い返してみれば、だ。
最初に、私のところに、あの人形を持ってきた、あの子供。
そういえば、あれの顔を、私は寺子屋の中で見たことがない。恐らくは、人に化けた化生の類だったのだろう。
人間に害をなそうとして近寄ってきたのだ。
次にあれを見た時、私はあれを退治しようと思う。
……もっとも、次も同じ姿をしているとは限らないが。
次に気になるのは、あれが口にしていた『おとしもの』という言葉。
『何』を『落とした』のか、あれは言っていなかった。
――今回の、あれの目論見は、あれが手にしていた人形が『よい心』を持ったひとがたであることを、あれが見抜けなかったことが原因で、大事に至ることなく終了した。
だが、『ひとがた』は、本来、心を持たない。心を持たないが故の道具であり、『依り代』となる。
あの『ひとがた』が本来の意味での人形であったのならば、この一件、もっと大きな事態になっていたのかもしれない。
あれは、ある意味では、胸をなでおろしただろう。
そんなことになれば、この世界には、文字通り、いられなくなってしまうのだから。
「落し物を見つけたら、落とし主のところに届けてあげましょう。
ただし、不用意に『おとしもの』には触らないように」
――以上の経験からの今日の授業では、子供たちの大半が首をかしげていた。
まぁ、仕方ないな、と思う。的を射ていないのは確かなのだから。
と、そんなとき、子供の一人が手をあげて、私に質問をしてきた。
「先生。それじゃ、その落とし主の人に落し物を返しちゃいけないんじゃないですか?」
……賢い子は、これだから困る。どうやって説明したものか。