※一応、作品集76『貴女とのアフタヌーンティー』の続きです。
鬱蒼とした凍える森を抜けて辿り着いた先には、あたたかな陽光を浴びる煙突付きの一軒家があった。
板チョコレートのような形の扉に近づいて、冷たいドアノブを力強く捻ると、がきり、と中で何かが壊れる音が私の耳朶に届いた。
山の河童にでも頼んだのか、今日のはなかなか歯ごたえのある堅さである。
しかし私にかかればこんなもの、文字どおり一捻りでガラクタになる。あまり自慢にはならないけれど。
ドアを開けそのまま家の中に一歩足を踏み出してみる。
すると突然、ぴりぴりと電気のような痺れが身体中を駆け抜けた。いつものアリスの防犯魔法だ。
麻痺系の魔法はくすぐったいし、鳥肌が立つからやめて欲しいんだけど。
いや、むしろそれこそが彼女なりの嫌がらせなのかしら。
それにしても毎回、掛っている魔法の種類が違うような気がするわ。
もしかして私、魔法の実験台にされている?
いろんな意味でぞくぞくしてくるわね。
「アリス、お邪魔するわよ」
返事は期待していないが一応声を掛け、狭い玄関から広いリビングへ、慣れた足取りで向かい定位置の椅子に座る。
午後の一時にはちょうどいい、西日の差すあたたかな陽だまりの席。ここで食べるお菓子は最高に美味しい。
ちょうどお腹もいい頃合いで、今か今かと小さく音を鳴らしおやつを催促している。
だがしかし、待てども待てどもアリスはやって来なかった。
それどころか、いつまで経っても何の匂いも何の音もして来ない。
「おかしいわね」
いつもなら作り立てのクッキーやケーキを持ったアリスが、キッチンから人形を伴って現れるはずなのだが、今日はその人形の姿さえない。
何よ、仕方ないわね。
日差しのぬくもりが名残惜しいが、椅子から立ち上がり家探しをしてみることにする。
気配はするからこの家のどこかにはいるはずなんだけど。
「こんな所にいたのね」
アリスが居たのは家の奥にある作業室のような場所だった。
薄暗い室内には所狭しと人形や裁縫道具が置いてあって、人形遣いの居室としてはかなりお似合いの雰囲気が漂っている。
今が月隠れの夜で、さらに傍らに青白いランプでもあれば、幽霊屋敷と思われそうね。
「あら、遅かったわね。幽香」
机に向かってごそごそと何かをしていたアリスが、不敵な笑みでこちらに振り返った。
どうやら私が来ていることはすでにお見とおしだったようだ。
それにしても最近、私が来てもあまり驚かないようになったわね。ちょっとつまらない。
驚愕の表情を残したままぷりぷりと怒る彼女の姿は、けっこう面白かったのに。
「何をしていたの?」
アリスの元に歩み寄り手元を覗き込んでみる。
そこには色々な形に切り取られた生地や、リボンに使うような細長い布、そしてくねくね曲がった針金などが置いてあった。
「造花作りよ。綺麗でしょ」
そう自慢げに言うアリスから、完成品と思われるものが手渡された。
吹けば飛びそうなほど軽い白バラで、ほんのり香り付けもされてある。
素人が見れば本物と見間違うほどの完成度。
「へえ、上手いじゃない。どうしたのよこれ」
「この前、里の半獣に大量注文を受けてね」
もうすでにひととおり数は揃えたんだけど、と机の下にある木箱を取り出すアリス。
その中には色とりどりのバラの造花が、溢れんばかりに入っていた。
「半獣はバラ園でも作る気なの?」
「今度、里で演劇をやるの。そこで飾るらしいわ」
へえ、演劇ねえ。いばら姫でもやるのかしら。それともシェイクスピア?
それにしても、劇で使うということはきっと舞台背景に使うつもりなのでしょうけど、それだけのためにこれほど本格的なものを作るなんて、さすが職人と言ったところか。
「幽香も作ってみる?」
じっと造花を眺めて色々と考え込んでいると、興味を持ったとでも思われたのか、真横に座っていたアリスが急に訊いてきた。
そうね。どうせアリスがお菓子を作ってくれるまで暇だし、やってみてもいいかもね。
「あら、花を咲かせるのは得意よ?」
誘われるまま傍らの丸椅子に座り込み、私は造花作りに挑戦してみることにした。
「さすが、フラワーマスター。花の形がほんとに綺麗だわ」
「だてに毎日見ているわけではないのです」
針金に花弁を一枚ずつ付けていく私に、アリスは感嘆の声を上げた。
まあ、そう言いながらも彼女の方も、手の中の布をまるで魔法のように小さなコサージュに変身させているのだが。
貴女の方がよっぽど超人だと思うわ。
「ねえ、そのコサージュはどうやって作っているの?」
細かく地味な作業に半ば飽きかけていた私は、アリスの手元の方が気になった。
「これ?ええと……こう折って、こうして、ここを縫って」
「全く分からないわ」
布の束から一枚引っ張り出して、見よう見まねで折ってみるがいまいちよく分からない。
どうしたらこんなスカーフのような布が、綺麗な一輪の花に早変わりするのかしら。
本当に魔法でも使ってそうね。
「だから、ここをこうして――」
言うが早いか、しょうがないなあ、といった表情でアリスは椅子から立ち上ると、私の背中にぴたりとくっついた。
そして、あろうことか、私の首元に腕を回してきた。
手と手を重ねられて、まさしく手とり足とり教えられることに。
「ん?どうしたの、幽香?」
天然さんはこれだから困るわ。
自分で作り出したこの状況。全く理解していない。
貴女が今大胆にも触れているのは、おっかない妖怪様の身体なのよ。
「何でもないわ」
耳元でしゃべらないでよ、くすぐったいから。
そんなにくっつかないでよ、暑苦しい。
そんな仕様もないことを頭の中で呟きながらも私は、それでも背中越しに伝わってくる柔らかさとぬくもりから、いつまでも離れることができなかった。
「裁縫の後の紅茶は五臓六腑に染み渡るわね」
「何、寂れた神社の巫女のようなこと言ってるのよ」
結局二、三個作ってすぐに飽きた私とは違って、アリスは神技とも言える手際で何十個もの造花を作り上げた。
それだけたくさん作れば婆臭いことも言いたくなるのかもしれない。
脳内で勝手に納得しつつ、蜂蜜入りの紅茶を咽喉に流し込み、アリスの作ったフィナンシェに齧り付く。
うん、オレンジピールもいいけど、ベリー系のドライフルーツもなかなか合うわ。
「幽香も案外器用ね」
カップをことりとテーブルに置いてアリスが言った。
貴女から私を褒めるなんて珍しいわね。
でも、あんな技を見せつけられた後だと、あまり素直に喜べないのだけど。
「今日は手伝ってくれてありがとう」
「お礼なんていらないわ。ただの暇つぶしだもの」
何だか今日のアリスは気持ち悪いほど殊勝ね。いつものつっけんどんな態度はどこにいったのか。
そんなことを考えている内に、あっという間に目の前のお菓子は胃袋の中に収まってしまった。
「さて、と」
今日も美味しいおやつを食したし、そろそろ帰ろうかと腰を上げる。
窓の外は真っ赤な夕焼けに染まり、別れの刻を告げている。
「あ……待って」
しかし、向かい合って座っていたアリスが突然立ち上がり、慌てて私を引き止めてきた。
本当に今日は変ねえ。呪いでももらったかしら。
「何?」
「これ、あげるわ」
振り返って訊くと、ほんのり頬を染めたアリスが、白いバラの造花をそっと私に差し出してきた。
受け取った造花の裏には髪留めが縫い込んである。
いつの間にこんなもの作ったのよ。
「ほら、幽香ってあまり髪に何も付けないじゃない?だから……ね?」
「なあに、私のために作ってくれたっていうの?」
どことなく恥ずかしそうに語るアリスに、にやにや笑いを抑えられず私は言った。
慌てて必死に否定してくるだろうアリスを思い浮かべる。
ああ、からかわれると分かっていて、何故アリスはこうも自滅行為に走るのだろうか。
満たされたお腹の中でくつくつと小さな笑い声が生まれる。
だが、事態は私が予想したようには動かなかった。
「――うん。まあ、ね」
はにかみながら薄く笑って、アリスは細く柔らかい指で私の掌から造花をさらうと、それを私の髪に優しく留めた。
そして彼女は、似合っているわよ、と私の頬を軽く撫でて、極上の笑顔を向けたのだった。
触れられた部分からむずむずと熱が湧き上がってくる。
他人に頬を触られるのなんて、一体何年ぶりだろう。
いや、そんなことより。
頬の熱がいつまで経っても治まらないのは何故なのだろうか。
「ねえ、幽香。白いバラの花言葉って知ってる?」
背を向けたアリスが、食卓の食器を片づけながら唐突に訊いてくる。
貴女、四季のフラワーマスターを名ばかりの奴だと思っているのかしら。
「そんなの簡単よ」
頬はまだ、陽だまりの中にいるかのようにあたたかく熱を持っている。
私はそこに触れていた手を、髪に飾られた白いバラにそっと移して、答えた。
「私はあなたにふさわしい」
鬱蒼とした凍える森を抜けて辿り着いた先には、あたたかな陽光を浴びる煙突付きの一軒家があった。
板チョコレートのような形の扉に近づいて、冷たいドアノブを力強く捻ると、がきり、と中で何かが壊れる音が私の耳朶に届いた。
山の河童にでも頼んだのか、今日のはなかなか歯ごたえのある堅さである。
しかし私にかかればこんなもの、文字どおり一捻りでガラクタになる。あまり自慢にはならないけれど。
ドアを開けそのまま家の中に一歩足を踏み出してみる。
すると突然、ぴりぴりと電気のような痺れが身体中を駆け抜けた。いつものアリスの防犯魔法だ。
麻痺系の魔法はくすぐったいし、鳥肌が立つからやめて欲しいんだけど。
いや、むしろそれこそが彼女なりの嫌がらせなのかしら。
それにしても毎回、掛っている魔法の種類が違うような気がするわ。
もしかして私、魔法の実験台にされている?
いろんな意味でぞくぞくしてくるわね。
「アリス、お邪魔するわよ」
返事は期待していないが一応声を掛け、狭い玄関から広いリビングへ、慣れた足取りで向かい定位置の椅子に座る。
午後の一時にはちょうどいい、西日の差すあたたかな陽だまりの席。ここで食べるお菓子は最高に美味しい。
ちょうどお腹もいい頃合いで、今か今かと小さく音を鳴らしおやつを催促している。
だがしかし、待てども待てどもアリスはやって来なかった。
それどころか、いつまで経っても何の匂いも何の音もして来ない。
「おかしいわね」
いつもなら作り立てのクッキーやケーキを持ったアリスが、キッチンから人形を伴って現れるはずなのだが、今日はその人形の姿さえない。
何よ、仕方ないわね。
日差しのぬくもりが名残惜しいが、椅子から立ち上がり家探しをしてみることにする。
気配はするからこの家のどこかにはいるはずなんだけど。
「こんな所にいたのね」
アリスが居たのは家の奥にある作業室のような場所だった。
薄暗い室内には所狭しと人形や裁縫道具が置いてあって、人形遣いの居室としてはかなりお似合いの雰囲気が漂っている。
今が月隠れの夜で、さらに傍らに青白いランプでもあれば、幽霊屋敷と思われそうね。
「あら、遅かったわね。幽香」
机に向かってごそごそと何かをしていたアリスが、不敵な笑みでこちらに振り返った。
どうやら私が来ていることはすでにお見とおしだったようだ。
それにしても最近、私が来てもあまり驚かないようになったわね。ちょっとつまらない。
驚愕の表情を残したままぷりぷりと怒る彼女の姿は、けっこう面白かったのに。
「何をしていたの?」
アリスの元に歩み寄り手元を覗き込んでみる。
そこには色々な形に切り取られた生地や、リボンに使うような細長い布、そしてくねくね曲がった針金などが置いてあった。
「造花作りよ。綺麗でしょ」
そう自慢げに言うアリスから、完成品と思われるものが手渡された。
吹けば飛びそうなほど軽い白バラで、ほんのり香り付けもされてある。
素人が見れば本物と見間違うほどの完成度。
「へえ、上手いじゃない。どうしたのよこれ」
「この前、里の半獣に大量注文を受けてね」
もうすでにひととおり数は揃えたんだけど、と机の下にある木箱を取り出すアリス。
その中には色とりどりのバラの造花が、溢れんばかりに入っていた。
「半獣はバラ園でも作る気なの?」
「今度、里で演劇をやるの。そこで飾るらしいわ」
へえ、演劇ねえ。いばら姫でもやるのかしら。それともシェイクスピア?
それにしても、劇で使うということはきっと舞台背景に使うつもりなのでしょうけど、それだけのためにこれほど本格的なものを作るなんて、さすが職人と言ったところか。
「幽香も作ってみる?」
じっと造花を眺めて色々と考え込んでいると、興味を持ったとでも思われたのか、真横に座っていたアリスが急に訊いてきた。
そうね。どうせアリスがお菓子を作ってくれるまで暇だし、やってみてもいいかもね。
「あら、花を咲かせるのは得意よ?」
誘われるまま傍らの丸椅子に座り込み、私は造花作りに挑戦してみることにした。
「さすが、フラワーマスター。花の形がほんとに綺麗だわ」
「だてに毎日見ているわけではないのです」
針金に花弁を一枚ずつ付けていく私に、アリスは感嘆の声を上げた。
まあ、そう言いながらも彼女の方も、手の中の布をまるで魔法のように小さなコサージュに変身させているのだが。
貴女の方がよっぽど超人だと思うわ。
「ねえ、そのコサージュはどうやって作っているの?」
細かく地味な作業に半ば飽きかけていた私は、アリスの手元の方が気になった。
「これ?ええと……こう折って、こうして、ここを縫って」
「全く分からないわ」
布の束から一枚引っ張り出して、見よう見まねで折ってみるがいまいちよく分からない。
どうしたらこんなスカーフのような布が、綺麗な一輪の花に早変わりするのかしら。
本当に魔法でも使ってそうね。
「だから、ここをこうして――」
言うが早いか、しょうがないなあ、といった表情でアリスは椅子から立ち上ると、私の背中にぴたりとくっついた。
そして、あろうことか、私の首元に腕を回してきた。
手と手を重ねられて、まさしく手とり足とり教えられることに。
「ん?どうしたの、幽香?」
天然さんはこれだから困るわ。
自分で作り出したこの状況。全く理解していない。
貴女が今大胆にも触れているのは、おっかない妖怪様の身体なのよ。
「何でもないわ」
耳元でしゃべらないでよ、くすぐったいから。
そんなにくっつかないでよ、暑苦しい。
そんな仕様もないことを頭の中で呟きながらも私は、それでも背中越しに伝わってくる柔らかさとぬくもりから、いつまでも離れることができなかった。
「裁縫の後の紅茶は五臓六腑に染み渡るわね」
「何、寂れた神社の巫女のようなこと言ってるのよ」
結局二、三個作ってすぐに飽きた私とは違って、アリスは神技とも言える手際で何十個もの造花を作り上げた。
それだけたくさん作れば婆臭いことも言いたくなるのかもしれない。
脳内で勝手に納得しつつ、蜂蜜入りの紅茶を咽喉に流し込み、アリスの作ったフィナンシェに齧り付く。
うん、オレンジピールもいいけど、ベリー系のドライフルーツもなかなか合うわ。
「幽香も案外器用ね」
カップをことりとテーブルに置いてアリスが言った。
貴女から私を褒めるなんて珍しいわね。
でも、あんな技を見せつけられた後だと、あまり素直に喜べないのだけど。
「今日は手伝ってくれてありがとう」
「お礼なんていらないわ。ただの暇つぶしだもの」
何だか今日のアリスは気持ち悪いほど殊勝ね。いつものつっけんどんな態度はどこにいったのか。
そんなことを考えている内に、あっという間に目の前のお菓子は胃袋の中に収まってしまった。
「さて、と」
今日も美味しいおやつを食したし、そろそろ帰ろうかと腰を上げる。
窓の外は真っ赤な夕焼けに染まり、別れの刻を告げている。
「あ……待って」
しかし、向かい合って座っていたアリスが突然立ち上がり、慌てて私を引き止めてきた。
本当に今日は変ねえ。呪いでももらったかしら。
「何?」
「これ、あげるわ」
振り返って訊くと、ほんのり頬を染めたアリスが、白いバラの造花をそっと私に差し出してきた。
受け取った造花の裏には髪留めが縫い込んである。
いつの間にこんなもの作ったのよ。
「ほら、幽香ってあまり髪に何も付けないじゃない?だから……ね?」
「なあに、私のために作ってくれたっていうの?」
どことなく恥ずかしそうに語るアリスに、にやにや笑いを抑えられず私は言った。
慌てて必死に否定してくるだろうアリスを思い浮かべる。
ああ、からかわれると分かっていて、何故アリスはこうも自滅行為に走るのだろうか。
満たされたお腹の中でくつくつと小さな笑い声が生まれる。
だが、事態は私が予想したようには動かなかった。
「――うん。まあ、ね」
はにかみながら薄く笑って、アリスは細く柔らかい指で私の掌から造花をさらうと、それを私の髪に優しく留めた。
そして彼女は、似合っているわよ、と私の頬を軽く撫でて、極上の笑顔を向けたのだった。
触れられた部分からむずむずと熱が湧き上がってくる。
他人に頬を触られるのなんて、一体何年ぶりだろう。
いや、そんなことより。
頬の熱がいつまで経っても治まらないのは何故なのだろうか。
「ねえ、幽香。白いバラの花言葉って知ってる?」
背を向けたアリスが、食卓の食器を片づけながら唐突に訊いてくる。
貴女、四季のフラワーマスターを名ばかりの奴だと思っているのかしら。
「そんなの簡単よ」
頬はまだ、陽だまりの中にいるかのようにあたたかく熱を持っている。
私はそこに触れていた手を、髪に飾られた白いバラにそっと移して、答えた。
「私はあなたにふさわしい」
後ろからアリスが幽香に抱き付いてきた所で完全にニヤニヤ状態になりましたw
かっこいいゆうかりんもいいけど、こんな感じのゆうかりんもいいなー
にやにやが止まらんよ。
とても可愛くてよろしい。