研究で生活リズムが乱れがちなアリスは、永遠亭から処方された夢蝶丸を日常的に服用し、眠りについていた。
本来ならば睡眠は必要としない体ではあるが、人形制作の上手くいかない苛立ちから逃避する行動としては、睡眠は欠かせないもの。
夢の中でぐらいは楽しい時間を。丸薬を服用したアリスはその日も夢を見た。
そこは不可思議に歪んだ地面と、奇妙な植物。
ふわふわと空を流れていく自分と、下には雲海、見上げれば満天の星空のような夢を期待していたはずなのに、なぜまたこのような面妖な夢を。
研究に没頭しすぎてどこかがおかしくなったのかもしれない。そうアリスは自嘲した。
壊れてしまう前にどこか気晴らしへ行かなければ。
しかし、夢であると認識しても(明晰夢と言う)目が覚める気配は一向にない。
頬を引っ張ってみても痛みすら感じない。
やれやれ仕方ない、とアリスは目的もなく、この奇妙な空間に歩を進めるのだった。
幻想郷広しと言えど、彼女の如き凶刃など幻月以外に存在しない。
そんな彼女は今、退屈の真っ只中だった。
妹の夢月は遊びに誘ってもまともに応対してくれないし、そもそもこちらの世界まで踏み込んでくる者もそうそういない。
こちらから顕界に出向こうにも、幽香やそれ以外にもうざったい連中が釘を刺しにくるに違いない。
「退屈だ」
気だるい気持ちを抱えつつ、その場に寝転がる幻月。眠ったとしても、そもそもここ自身が捻じ曲がった世界。
夢も現も違いあるものか。
そんな折、普段と違う何かがピクンと頬の辺りを撫でていった。慣れ親しんだ妹の気配でもない。
夢月であれば規則正しく歩くだろうし、いちいち確かめるかのように立ち止まりはしない。
他の顔見知りでも、このようにふらふらと当てなく歩く者など居るものか。
「ああ、迷い込んだか」
幻月の口元が醜悪に歪んだ。
「ああこんにちはお客様、お客様。こんな夜更けにわざわざ訪ねてきてくださるだなんて光栄ですわ」
「……はい、こんにちは」
めんどくさいことになったと、アリスは音も出さず舌打ちをした。
目の前に居る天使みたいな奴の目は、およそ優しさなど遠いどこかへと忘れてきましたと初対面でもよくわかる自己紹介をなさっている。
辟易するが、そう簡単には逃がしてくれそうにはないと、アリスは自分の頬を引っ張った。
「何してるの」
「夢から覚めようと思って」
「夢、夢! おめでたい、あなたは夢を見ていると思っているのね。
違うわ、あなたは私の退屈しのぎのために呼ばれた迷える子羊。私が飽きるまで、あなたは現実に帰ることはないわ」
物腰は柔らかく上品でいて、壮絶な興味が張り付いている。一番厄介なタイプだ。
膨れ上がる敵意――いいや敵意なんて大層なものでなく、こちらは蟻で向こうはそれを指で潰す無邪気な子供。
その差は測るまでもなく開き切っており、しかしわざと抜けられる程度に放たれてくる弾幕を、アリスはするすると抜けていった。
この世界では人形は使えない。となると自分の純粋な魔力を頼って戦うことになるのだけども。
全力を出したところで勝てる見込みは薄そうだった。となれば、攻撃を考えずに致命傷を負わぬようにひたすら受け続けるのが最良。
放たれる弾幕の軌道を即座に認識し、薄皮一枚のところで避け続けていく。恐れに大きく避ければ、それは詰みへと続く一歩となる。
全力を出して負ければ後がない。敗北が怖いのではなく、ただ自分の底が見えてしまうのが怖い。
目の前を過ぎていく弾幕に当たるよりも、打ち所が悪くて死んでしまうよりも。アリスは自分の限界を知るのが怖かった。
――答えの出ない問題にずっと挑み続け、悩んでるときには、苦しいはずなのに甘美な痛みをおぼえる。
決して勝てやしないけど、こうして避け続けていくことで、体の芯が熱く震えてきた。
ああもしや心のどこかでは、自律人形が完成しないことを望んでいるのではないだろうか、自分は。
避けていくのが楽しくって仕方がない。アドレナリン? エンドルフィン? 退屈そうにしはじめた顔が気持ちいい。
ここで足がもつれて綺麗に吹っ飛ばされたってしょうもない。万全じゃなかったんだから。
それって言い訳? 万全だったら勝てるとか?
ひらりひらりと身をかわしていくアリスに対して、幻月は失望していた。
かわすことに精一杯で反撃もできないのならまだ、楽しみ甲斐もある。嬲り甲斐がある。
しかしこの魔法使いは、一心不乱に避けながら笑っている。気味が悪い。
体力は無限に続くわけがない。現にステップも段々とキレを失っている。
それに対してこちらは、まだまだいくらでも弾幕を生成することができた。
いずれは決着がつき、それはこちらの勝利という形で転がり込むのだろうが。
そうした結果なんていうものはいささか、退屈だった。
かすり傷ではあるが、次第に幻月の弾幕はアリスの体を捉えている。
避けきれずに直撃するのが時間の問題になったとき、幻月は飽きたといって手を下げた。
アリスはきょとんとしながらも、服を払い落とし襟を整えた。
「やめやめ。つまらないものあなた」
「褒め言葉? 私はエンターテイナーじゃなくて、ドールマスターよ。人形芸はできるけど」
「その人形は?」
「家に置いてきたからマイスターでいいわ」
「さっきと変わってる」
「些細な変化よ」
「やはりあなたはつまらないし、相手するのもめんどくさい。妹が帰ってこないうちに出ていきなさい」
玩具を見つけたと綺羅綺羅輝いていた幻月の眼には、もはやアリスは映っていなかった。
気が変わらないうちに帰ったほうが得策だろう、なんせ通り魔に遭ったようなものだとアリスは心の中で頷いた。
「じゃあ帰れる方法を教えてよ」
アリスはできる限りの皮肉を込めて言い放った。
幻月はそれに応じ、緩慢に手を振り上げる。
「さあ? 頬でも張ってあげましょうか」
「それで起きれるのなら、お願いしたいわ」
――ぺちん
ここから語られる物語というのは酷く貧相な上にしょうもない内容である。
アリス・マーガトロイドは頬にぺったりと紅葉を付けながら机に向かっている。
夢だったのか現だったのか、それは彼女にとってはどうでも良い事柄だった。
永遠に終わらぬ思考ゲーム。その甘美なる苦しみと痛みを終わらせるべく、収束させるべく、アリスは研究へと向かい始めた。
「夢月」
「なんですか姉さん」
「暇」
「寝てたらどうですか」
「そうする」
幻月は夢を見る。退屈が凌げる夢を見る。
完成してしまった退屈する子供と、まだ未熟な悩む事できる大人。
来年も応援しています。よいお年を。
個人的に考えさせられる、面白いお話でした。
来年も頑張ってください!良いお年を。
夢を見たいのならばむしろ立ち止まるべきだと思いますけどね。時間を捻出できないと夢すら見れません。
現と夢に境が無いというならば――その限りではありませんけど。
自身を見失わず、周りを見遣れるのであれば、後は駆け抜けるだけでしょう。そうでないならば――
このアリスはかっこいい