ひらりひらりと桜の花が一枚また一枚と落ちる頃。
ガラスに映るそんな風情ある光景など目に入らぬ様子で、一人の少女が仔細に指示を飛ばしていた。
一人、正確には、ヒトリだろうか。
少女は人間ではなく、所謂亡霊と呼ばれる存在だ。
その証か、彼女の脚は人のそれではなく、霊魂の尾のように白かった。
少女の名は、蘇我屠自古と言う。
「大根足とか言うた奴、我が罰するから表出ろ」
「照れるとほんのり桜色になるんですよ。可愛い」
「布都、太子様、喋る暇があるのなら手を動かして下さい!」
指示を飛ばされているのは、彼女の身体を括る物部布都、そして、彼女の心を括る豊聡耳神子だった。
主人格を急かす。
無礼な態度は勿論、常のことではない。
布都の過保護に心ならずも邪険に返したり、神子のスキンシップにいやよいやよと首を振ったりもするが、それはそれこれはこれ。
「ふぅはははっ、我の力をもってすれば屠自古をあやしながら作業するなど造作もないことよ!」
「憲法十七条ってありますよね? あれ、実は屠自古とにゃんにゃんし」
「――手だけ動かせぇぇぇ!?」
復活を果たしたばかりの彼女たちは、一つの難事に挑もうとしていた。
幻想郷と言う地に迎え入れられるかどうかの行事だ。
それは、貴賎なく種別もない催し事。
――つまりは、宴会の準備に奔走していた。
「太子様! 挨拶のお言葉は出来ていますか!?」
「『我思、屠自古的瞳孔是一万螺栓』」
「雷矢‘ガゴウジトルネード‘」
比喩表現を具現化した屠自古の一撃を、両手を広げて受け入れた神子。愛である。
「布都! 道場の飾り付けは如何ほどに!?」
「屠自古の生涯を余すことなく記した年表を制作中だ!」
「小さい頃の話は兄様から聞いていた、と。なるほど。怨霊‘入鹿の雷‘」
雷を模したそれは、神子に放ったものの上位弾幕。
ちりりちりりと布都の髪や服を小さく焦がす。
けれど、じぐざぐと動く光線は彼女を避けているようだった。
「入鹿―!!」
にもかかわらず、いやだからこそか、布都は自ら弾幕の渦に飲み込まれていった。愛である。
「あばばば!?」
まぁそうなるよね。
「フタリとも、戯れは程々に!」
ぱんっ、と屠自古が両手を打つ。
自身の一撃でどうこうなる二名ではないと解っていた。
だけれど、弾幕ではなく言葉であれば、二名に届くと確信している。
「太子様はこの地、幻想郷に居を構えようと決めました。
たかが宴会されど宴会、まずはこの通過儀礼を卒なくこなし、諸々を受け入れましょうぞ。
私は振舞いの食事を用意いたしますので、太子様と布都も各々の役割をこなしてくださいませ!」
言うが早いか身を翻し、屠自古は広間を後にした。
基本的に家事の一切は彼女の仕事で、今回に関しても自らが腕をふるうと決めている。
幾ばくかのつてを頼り、食材や飲料は、既に台所に届けられていた。
他二名、神子と布都はと言うと、先の彼女の言葉の通り、各々が割り振られている仕事をこなしていた。
――屠自古がこの場を去るまでは、だが。
去り際に残された発破に、神子は笑み、布都も目を細める。
少女に向ける感情は、差異はあれど、ほぼ同質。
つまりは愛だった。
「さて、太子様……」
居を正した布都が、神子に声をかける。
応える神子の口元はきつく引きしまっていた。
二名を覆う雰囲気が、緊張感を伴うものに変わる。
神子が空気を変えた訳ではなく、布都の声が、そして、視線が強かったのだ。
「否――敢えて、神子殿とお呼びさせて頂こう」
布都にそう呼ばれるのは何時以来だったろう。
続く言葉を待つ神子の頭に、ちらりとそんなことが浮かんだ。
平素は惜しみない畏敬を向けてくる彼女に、神子は今、逆にある種の畏れを抱いている。
けれど、引く訳にはいかない。
布都が持ちかけるであろう話を、神子は読んでいた。
避けられない争いだと言うことも理解している。
その上で、互いに対話に挑んでいる。
「構いません。それで、なんでしょう?」
故に、これより先はノーガードの殴り合いになるだろう――全てを承知して、神子は頷いた。
「なんでしょう、とは神子殿も意地が悪い。
それとも、真実、気がつかれてはいないのですか。
だとすれば何の躊躇いもなく、我も言葉を変えろと言えるのですが」
争点は一点。
「意地が悪いのは其方でしょうに。
この私を試すなど、笑止千万と言えましょう。
それにどちらにせよ臆面もなく、貴女はそう改悪を求めるでしょう」
ただ、愛する者のために。
「改悪と申すか! 自信過剰も甚だしい!」
「それだけのものを積み上げてきたと思って頂こう!」
つまり、屠自古のために、二名は声を荒げているのであった。
「ですので! 屠自古の紹介の際は、『幼な妻』、『幼な妻』を用います!」
「えぇいわからぬことを! まずは『屠自古は神子殿の嫁』と明言すべきなのだ!」
以下、そう言う話です。
「神子殿!
我は神子殿と屠自古を憂いているのだ!
何故それを解らず、己が趣味をひけらかすことを優先する!?」
先手、布都。
「おぅふ……!
い、要らぬ節介だと言っているのです!
大体なんですか、趣味ってそんな人を問題があるかのように!」
言葉は、的確に神子を抉った。
「問題児だろうに! 『幼な妻』と言う言葉を嬉々として使っている時点で知れておる!」
「豊満な身体をもつ屠自古だからこそ心持幼い心情をそう表すべきなのです!」
「べきなのです、ではないわ!?」
強く拳を握る神子。その瞳は、きらっきらしていたと言う。
「そんなだから本人の了承もなく気付けば勝手に歳が離れた相手と婚姻関係を結んだことになっているのだ!」
「五歳とか六歳の娘に『あたち神子様と結婚するの』って言われたら『うん』って応えるでしょう!?」
「ちょっと待て了承しとったんかこのスカタン!?」
「いやあれは流石にノーカンだと思います」
「喧しいわ!」
‘聖徳太子‘の妃の一人に、橘大郎女という女がいる。
彼女は、額田部皇女、所謂推古天皇の孫だ。
推古天皇は‘太子‘の伯母にあたる。
つまり、世代で見るならば、橘大郎女は‘太子‘の一つ下なのだ。
……尤も、時代背景を考えればそう珍しくもない話なので、これ一つでどうこうと言うほどのものではない。
何より、屠自古は神子より少しばかり歳嵩である。
「安心なさい布都。
私は確かにちっちゃい子が好きです。
しかし、彼ら彼女ら以上に、屠自古が大っ好きですから!」
咆える神子。
「あ、好きと言うのも勿論普通の意味で、性的にと言う訳では」
「もう喋らないでください」
「酷い!?」
布都の態度も大概だが、それは神子の発言故のものである。
どちらの分が悪いのかは一目瞭然だろう。
神子ピンチ。
けれど、ここで引く神子ではない。
自身のことだけなら、或いは折れただろう。
だが、布都の紹介の言葉には、含まれたものがある。
神子にはそれが耐えられなかった、否、もっと強い感情だ。
許せない。
「貴女の言い分は、まぁ解りました。
若干ニュアンスを変える程度は受け入れましょう。
ですが布都、貴女の紹介は使いません、使うものですかっ」
神子は鋭い視線を布都に送った。
滅多に使わない強い言葉は、それだけの意志があるため。
過去に諸々の豪族を従えた頂きの姿勢ではなかったが、その圧力たるや凄まじいものがある。
対する布都は、されど、怯まない。
「ほう。ではその理由をお聞かせ願おう」
挑発するような問い方に、神子は片腕を大きく広げ、口を開く。
「貴女は、『私と屠自古を憂いている』と言った!
それはつまり、屠自古の不貞を想定している!
違いますか布都!?」
激昂する神子に――布都は、こくりと頷いた。
「違うと言うのなら、その紹介の理由を……え?」
素直に頷かれるとは思っていなかった。
意外な反応に、神子は口をぱくぱくと開閉する。
自身に勝らずとも劣らない屠自古を愛する布都が、まさか認めるとは。
「可能性は否定できん」
静かに、布都が切り出した。
その苦々しい表情に、神子は布都の胸中を垣間見る。
彼女とて、言いたくて言っている訳ではないのだ。
本心、屠自古と神子のことを憂いている。
「此処……幻想郷には、魅力的ななにがしが多いと聞く。
蟲の王、永遠亭の主、鴉天狗、毘沙門天代理……。
枚挙に暇ない」
その根本にあるものは、つまり――
「布都! 貴女は、私が彼女たちに劣ると!?」
――神子への不満であった。
珍しくも荒々しい態度を続ける神子。
それは、屠自古への感情ゆえのものである。
聖人と言えど、激情を失くした訳ではない。
そんな気概で挑んだ神子は、しかし、息を飲むことになる。
「……指導者としての貴女は認めています。
この地の頂き、妖しの賢者よりも秀でていましょう。
そう思っていなければ、どうしてこの身が朽ちてなお、お傍にいましょうか」
視線が返される。
強く、鋭く、重い。
音さえも伴いそうな眼力だ。
だと言うのに、言葉は静かに語られる。
久しく感じた覚えのないプレッシャーに、神子は口を引きつらせた。
「けれど、屠自古の連れ添いとしては未だ認められぬ点がある」
千四百年ものの鬱憤が、そこにはある。
「み、認められないですって!?
私は屠自古を愛し、屠自古も私を愛してくれている!
そも、貴女に認可を頂く必要など何処にありましょう――」
バンッ。
「あ、はい」
強く畳みを叩く音に、神子は小さく首を縦に振る。
それだけの威圧感が今の布都にはあった。
その様に、神子は思う。
「……神子殿」
なにこのお姑さん。
「貴女は先ほど、『それだけのものを積み上げてきた』と仰った」
「え、ええ。朝となく昼となく愛し愛され」
「足らんっ」
裂帛の気合に呑まれつつ、それでもどうにか神子は抗う。
「あ、その、勿論、夜もほどほどに」
だが、それが裏目、布都の不満に火をつけることとなった。
「ほどほどとは笑わせる! 屠自古を満足させておらんではないか!?」
そう、布都が抱く神子への不満とは、神子と屠自古の夜の営みだったのだ。ヤーン。
「いやだって屠自古ってばちょっと要求が大胆で!」
「応えるのが神子殿の役目であろう!」
「お外で致そうとするのは流石にどうかと思うんです!」
「まぐわいは自然の摂理、何を臆することがあるか!」
「そ、それに! 貴女の前で、なんて言い出すことも!」
これでもくらえ、と神子は衝撃的な提案を吐き出した。
「構わぬ、致せ」
自身の胸を叩き、受け入れる布都。
「腰を振れ!
声をあげろ!
獣になりませいっ!」
なにこのおっとこまえ。
「わ、私が構いますっ!」
「えい、なにを度量の狭い!」
「度量云々の話ではありません!」
「世継ぎをどうすると問われ、『孕ませる』と言い切った神子殿は何処に言ったのだ!?」
「どうにかするとは言いましたが……って、他人事のように言っていますが聞いたのは貴女じゃないですか!」
蘇我の一族の者よりも、布都が一番反対していたりした。
喧々諤々。
丁々発止。
あぁ言えばこう言う。
「――此方の用意は粗方整いました……って、太子様も布都もほとんど進んでいないではないですか!」
騒然とするこの場を収めたのは、二名が愛する者、屠自古だった。
「あ、いえ、そのっ」
さっきの今でしどろもどろに返す神子。割と素が出ている。
「少しばかり宴会のことで太子様に相談していてな。あいすまぬ」
一方、淀みなく応える布都。
疑わしげな屠自古の視線も意に介さない。
あんぐりと口を開け指をさす神子の態度にも、笑顔で返した。
「あぁ太子様、そのように指を人に向けるものではありませぬ」
しかも、粗相を窘める余裕さえ見せた。ずるい。
そんなやり取りが功を奏したのか、屠自古の怒りも冷めたようだ。
腕を組み、一つ唸って、二名へと近づく。
少しばかりの躊躇が感じられた。
「えと……」
何かあるのだろうか――神子と布都は言葉を待った。
「布都はともかく、太子様がお答えを出せないようなことであれば、要らぬことかもしれないのですが……。
ワタクシ、屠自古もお聞かせ頂きたいと思います。
どのような相談事だったのでしょう?」
おずおずと、それでも二名の役に立ちたいと、屠自古が胸に手を当て、尋ねた。
布都は相好を崩し、神子は屠自古の両の手を握る。
愛おしくて仕方がない。
「屠自古」
「太子様」
重なる視線にこくり頷き、神子が事のあらましを語る。
「屠自古は幼なづべぁ」
直前、布都から修正が入った。物理的介入とも言う。
「た、太子様!? 何するのよ布都!」
「うむ、太子の髪辺りに虫が飛んでいてな」
「追い払った、と。……え、でも、手は動かしてなかったような」
蹴ってた。
小首を捻る屠自古に空咳を打ち、神子に代わって布都が口を開く。
「相談事とは他でもない、主のことよ屠自古。
個の説明なら悩むことなどないのだが、我々は太子様を頂きにした集いであろう?
でだ、主を皆に語る時、どのように紹介しようかと頭を突き合わせていた、と言う訳だ」
なるほどと頷く屠自古。
先の一件は既に流された。
全て、布都の計画通りである。ずるい。
「例えば、我なら太子様の同士、もしくは配下とでも呼べようがな」
「悔しいけど、『右腕』は貴女よね」
「ん……そうだな」
唇を尖らせつつも自然と零された称賛に、目を細め、ただ頷く布都。
「ちくしょうちくしょうちくしょう……っ」
直後に呟かれた、同じく感情儘の怨嗟の声に、布都がそのまま視線を向ける。
けれど、瞳に込められたものは屠自古へのソレとは逆と言えよう。
すんげぇ冷たい。
「んぅ」
咳払いと同時に姿勢を正し、神子は、再び屠自古と向き合った。
「よくよく思えば簡単なことでした。
我々がどうこう言うよりも、答えは此処にある。
……他の誰でもなく、屠自古、貴女が決めて下さい」
柔らかな笑みを浮かべ、解を求める。
神子が至った結論に、布都も満足したのだろう、穏やかな表情で頷いていた。
そう、そも彼女たちが争っていたのは眼前の少女のためなのだ、それが最善の選択であろう。
「そんな……」
けれど、屠自古が首を横に振りかける。
直前、神子は片手を伸ばし、その頬に触れた。
伝えようとしているのは、遠慮はいらないと言う本心だ。
「ですが……」
それでも足りぬならと、神子は自身の耳へ、もう片手を当てる。
屠自古の想いは届いている。
胸の内に秘められた独占欲が、神子には愛おしい。
それを曝け出させようとしているのは、或いは、至らぬ自身の嗜虐欲か。
「さぁ、屠自古」
神子は、名を呼び、唇が開くのを促した。
「はい、神子様」
そして、屠自古は、神子の【お気に召すまま】。
「神子様、屠自古は、貴女の元に嫁いで以来、貴女に見合うよう努めてまいりました。
けれども、まだまだ至らぬところ、多々ございます。
ですが、もしお許し頂けるなら――」
頬に触れる手に手を重ね、一二度頭を振り、屠自古が続けた。
「――屠自古を、神子様の『正妻』とご紹介ください」
本当に幼い独占欲だ、と神子は微かに苦笑する。
先の妃だけでなく、確かに神子が婚姻を結んだのは屠自古のみではない。
とは言え、彼女が真に伴侶として愛したのは屠自古だけだった。
否、挨拶を交わす程度の接触ならともかく、それ以外の何らの交渉もしていない。
目覚めてから読んだ自身の伝記――らしい――書物には、その名を知らぬ妃さえいた。
何にでも誓おう、と神子は思う。神子の妻は、屠自古だけなのだ。
(……ですので、妙に腰の入った木簡フルスイングを止めてください布都)
神子の後ろ、非力なはずの布都が振る木簡は、けれど風を切っていた。
因みに、彼女の眼からは光が消えている。
ズズズ……。
「ねぇ屠自古」
背後から向けられる怒りの波動を感じつつ、それでも神子は、屠自古の頬を撫で、言う。
「正妻も何も、私の妻は貴女を除いておりません」
正面から注がれる熱の籠った視線を受け止め、返すように、額を重ねる。
「過去生、現生、未来世において、私が妻として愛するのは貴女だけなのです」
そして、自身の耳に当てていた手を、屠自古の腰に回し、柔らかく抱いた。
「だけれど、貴女がそう望むなら、集まる皆にそう伝えましょう」
そう、神子もまた、屠自古の【お気に召すまま】――。
「神子様」
「屠自古」
いとおしむように、互いの額を額で撫でる二名。
その様に、一件落着と布都も息を吐く。
瞳の光も次第に戻ってきていた。
こきりこきりと首を鳴らし、布都は、神子の背に言う。
「『正妻』とは、屠自古も言うようになりました。
神子殿がお認めになるのであれば、それも宜しいかと。
‘聖徳道士‘の妻なのですから、『聖妻』とも呼べますかな」
かかと笑い、続く神子の言葉を引き寄せる。
「布都、その……」
控えめに呼ばれるその意味を理解することは、布都にとって容易なことだ。
「さて、ではそろそろ宴の準備に再び取り掛かりましょうぞ。
おや、けれどもしかし、なんということか、アレがない。
申し訳ないご両名、我は暫し、探してきます」
アレとは何か。
特に何と言う訳ではなく、何でも良かった。
どうと言うこともなく、この場を辞する方便だ。
(先の言、中々に響いたようですな、神子殿。
屠自古の瞳も潤んでおりますわ。
いざ合戦の御時ぞ)
くつくつと小さく笑い、布都は立ち上がる。
(――屠自古を俯かせたその罪は、後ほど贖ってもらいましょうぞ)
その為の布石は、既に打っていた。
背を向け、一歩、踏み出す。
しかし、その足が床に着くまで、少しばかりの間があった。
垂れさがる長い袖をしっかと掴む手の力が、布都をその場に留めた。
(気付かれたか……?)
思う布都の予想は、けれど、外れていた。
その手は神子のものではない。
彼女の両手は塞がっている。
「……いっちゃ、やだ」
だから、そう、その白い手は、屠自古のものだった。
「ん、なに、一時間……いや、二時間ほどで戻ってこようぞ」
存外に甘い言葉の響きにくらりときつつ、布都は、屠自古に柔らかく笑む。
因みに、咄嗟の時間の延長は、神子の指示に依るものだった。
髪が、何時も以上にご起立されている。
やる気満々だ。ヤーン。
「あぁそうか屠自古、主は、我が外出すると思っているのか。
ならば杞憂ぞ、我は自室で読書でもしておる。
あ、いや、失せ物を探すのだったな」
緩くなる頭を律しつつ、布都は、それでもその場を離れようとした。
「そうじゃなくて……」
だが、違う。
布都は屠自古の願いを履き違えていた。
幼き少女が願うのは、以前に神子へも提案していたことなのだ。
「――布都にね、見てもらっていたいの」
そーいやそんなことを言っていた。\ヤンヤーン/
「これはこれは、屠自古よ、そんな甘えた声を出すものではない」
「う、だってぇ……」
「幼子のような駄々を。仕方ないのぅ」
「布都の意地悪」
「ほんに、あぁ、ほんに……」
――愛い。
「だって、だってね、神子様、とても可愛らしいの。
それだけじゃないわ、お綺麗で、凛々しく、愛らしい。
そのお傍にいる私も、普段に比べれば、少しは……。
だから、見ていて欲しいの。
他の誰かじゃ駄目よ、布都に見ていて欲しいんだもの」
屠自古の提案は、転化された自尊心からのものであろうか。
それも少しはあるだろう、けれど、より大きな感情が其処にはある。
自身の好きなものを好きなものに知って欲しい、そして、諸共、より愛されたい。
童が友達を保護者に紹介するようなもの……少なくとも、布都はそう感じた。
溢れださんばかりの愛情を胸に秘め、布都は、屠自古によいよいと頷いた。
ちょっと待て。
「待て待てちょっと待って布都に屠自古、私はそー言うアブノ」
バンッッッ。
「あ、はい」
「……神子殿」
「いやでも流石に心の準備がっ」
折れない神子。
しかし、それがどうしたと言うのだ。
神子に抱かれる屠自古を想像し、今日一番の笑顔で、布都が言った。
Do it.
「やれ」
慄く神子。
蕩けるような笑顔の屠自古。
二名に微笑みを送り、布都は、その場に坐した。
「さぁ神子殿、『聖妻』屠自古を汚すのだ!」
「けがすってなんですか! まぐわいとは純粋な愛で挑む行為なんですよ!?」
「あぁ神子様、まずは屠自古の服をお破り下さい……っ」
「屠自古も屠自古でほんとに大胆――って、い~~~~~や~~~~~!?」
争点は解消された。準備などはどうとでもなる。宴が始まるその前に、踊れ乱れよ若き婦妻!
《宴当日。あ、因みに結局、致しませんでした。チッ》
さて、稀代の策略家、物部布都が打った布石とは――?
幻想郷に移した道場に、続々と集う宴の参加者。
諸々に混じり近づいてくる二つの影に、神子は目を丸くした。
一方は絶え間なく笑みを浮かべていて、もう一方は瞳の光が消えうせている。
「な、な、な!?」
「おや、どう言う料簡でしょうかな」
「……!? 布都、貴女、謀りましたね!」
彼女たちは、確かに布都が呼んでいた。
各々の手に握られているパンフレットが、その証と言えよう。
ご丁寧にも、布都は、神子を中心とした自身たちの紹介文を載せている。
くつくつと笑み、布都は神子に言葉を返した。
「いえいえ、そんな。
ですが、これは好都合。
長き因縁にけりをつけましょうぞ」
だからつまり、彼女たちとは、命蓮寺のトップ陣、聖白蓮と寅丸星で――
「私のお嫁さんがいると聞いて!」
「聖をお嫁さんにすると聞いて!」
――呼び寄せたその言葉は、屠自古の紹介文の一語だった。
「まぁ正直、白蓮殿まで釣れるとは思わなんだでしたが」
‘ガンガンいく僧侶‘はノリノリだ。
「うぉぉぉい、認めやがりましたね!?」
「さぁ神子殿!」
「あ、はい」
発破をかけると同時、布都は一歩下がった。
その左手を屠自古の肩を抱き、招き寄せる。
乱れ飛ぶであろう弾幕の巻き添えを避けるためだ。
「――『ひじりづま』を宿敵から護るのだ!」
そして、残る右手で、神子の背を押した。
「あぁ、やはりっ」
「認めるものですかぁぁぁ!」
「ちっくしょう、やってやるやってやるわ!!」
手を打ち、目を輝かせる白蓮。
両腕を広げ、声を荒げ叫ぶ星。
迫りくる二名に、神子も気勢をあげた。
かつて行われた、あの『悲しき宗教戦争』。
目晦ましてとして用いられた仏教、その徒が牙をむいた。
はたして、神子は、再び勝利を得ることができるのだろうか――?
筆者にNTR属性はないので、神子様に頑張って頂きたい所存。
「知るかぁぁぁぁぁ!?」
《/勝者は以前の敗者を含む第三者、つまりは霊夢に魔理沙、早苗に妖夢の異変解決者となりました。喧嘩両成敗》
ガラスに映るそんな風情ある光景など目に入らぬ様子で、一人の少女が仔細に指示を飛ばしていた。
一人、正確には、ヒトリだろうか。
少女は人間ではなく、所謂亡霊と呼ばれる存在だ。
その証か、彼女の脚は人のそれではなく、霊魂の尾のように白かった。
少女の名は、蘇我屠自古と言う。
「大根足とか言うた奴、我が罰するから表出ろ」
「照れるとほんのり桜色になるんですよ。可愛い」
「布都、太子様、喋る暇があるのなら手を動かして下さい!」
指示を飛ばされているのは、彼女の身体を括る物部布都、そして、彼女の心を括る豊聡耳神子だった。
主人格を急かす。
無礼な態度は勿論、常のことではない。
布都の過保護に心ならずも邪険に返したり、神子のスキンシップにいやよいやよと首を振ったりもするが、それはそれこれはこれ。
「ふぅはははっ、我の力をもってすれば屠自古をあやしながら作業するなど造作もないことよ!」
「憲法十七条ってありますよね? あれ、実は屠自古とにゃんにゃんし」
「――手だけ動かせぇぇぇ!?」
復活を果たしたばかりの彼女たちは、一つの難事に挑もうとしていた。
幻想郷と言う地に迎え入れられるかどうかの行事だ。
それは、貴賎なく種別もない催し事。
――つまりは、宴会の準備に奔走していた。
「太子様! 挨拶のお言葉は出来ていますか!?」
「『我思、屠自古的瞳孔是一万螺栓』」
「雷矢‘ガゴウジトルネード‘」
比喩表現を具現化した屠自古の一撃を、両手を広げて受け入れた神子。愛である。
「布都! 道場の飾り付けは如何ほどに!?」
「屠自古の生涯を余すことなく記した年表を制作中だ!」
「小さい頃の話は兄様から聞いていた、と。なるほど。怨霊‘入鹿の雷‘」
雷を模したそれは、神子に放ったものの上位弾幕。
ちりりちりりと布都の髪や服を小さく焦がす。
けれど、じぐざぐと動く光線は彼女を避けているようだった。
「入鹿―!!」
にもかかわらず、いやだからこそか、布都は自ら弾幕の渦に飲み込まれていった。愛である。
「あばばば!?」
まぁそうなるよね。
「フタリとも、戯れは程々に!」
ぱんっ、と屠自古が両手を打つ。
自身の一撃でどうこうなる二名ではないと解っていた。
だけれど、弾幕ではなく言葉であれば、二名に届くと確信している。
「太子様はこの地、幻想郷に居を構えようと決めました。
たかが宴会されど宴会、まずはこの通過儀礼を卒なくこなし、諸々を受け入れましょうぞ。
私は振舞いの食事を用意いたしますので、太子様と布都も各々の役割をこなしてくださいませ!」
言うが早いか身を翻し、屠自古は広間を後にした。
基本的に家事の一切は彼女の仕事で、今回に関しても自らが腕をふるうと決めている。
幾ばくかのつてを頼り、食材や飲料は、既に台所に届けられていた。
他二名、神子と布都はと言うと、先の彼女の言葉の通り、各々が割り振られている仕事をこなしていた。
――屠自古がこの場を去るまでは、だが。
去り際に残された発破に、神子は笑み、布都も目を細める。
少女に向ける感情は、差異はあれど、ほぼ同質。
つまりは愛だった。
「さて、太子様……」
居を正した布都が、神子に声をかける。
応える神子の口元はきつく引きしまっていた。
二名を覆う雰囲気が、緊張感を伴うものに変わる。
神子が空気を変えた訳ではなく、布都の声が、そして、視線が強かったのだ。
「否――敢えて、神子殿とお呼びさせて頂こう」
布都にそう呼ばれるのは何時以来だったろう。
続く言葉を待つ神子の頭に、ちらりとそんなことが浮かんだ。
平素は惜しみない畏敬を向けてくる彼女に、神子は今、逆にある種の畏れを抱いている。
けれど、引く訳にはいかない。
布都が持ちかけるであろう話を、神子は読んでいた。
避けられない争いだと言うことも理解している。
その上で、互いに対話に挑んでいる。
「構いません。それで、なんでしょう?」
故に、これより先はノーガードの殴り合いになるだろう――全てを承知して、神子は頷いた。
「なんでしょう、とは神子殿も意地が悪い。
それとも、真実、気がつかれてはいないのですか。
だとすれば何の躊躇いもなく、我も言葉を変えろと言えるのですが」
争点は一点。
「意地が悪いのは其方でしょうに。
この私を試すなど、笑止千万と言えましょう。
それにどちらにせよ臆面もなく、貴女はそう改悪を求めるでしょう」
ただ、愛する者のために。
「改悪と申すか! 自信過剰も甚だしい!」
「それだけのものを積み上げてきたと思って頂こう!」
つまり、屠自古のために、二名は声を荒げているのであった。
「ですので! 屠自古の紹介の際は、『幼な妻』、『幼な妻』を用います!」
「えぇいわからぬことを! まずは『屠自古は神子殿の嫁』と明言すべきなのだ!」
以下、そう言う話です。
「神子殿!
我は神子殿と屠自古を憂いているのだ!
何故それを解らず、己が趣味をひけらかすことを優先する!?」
先手、布都。
「おぅふ……!
い、要らぬ節介だと言っているのです!
大体なんですか、趣味ってそんな人を問題があるかのように!」
言葉は、的確に神子を抉った。
「問題児だろうに! 『幼な妻』と言う言葉を嬉々として使っている時点で知れておる!」
「豊満な身体をもつ屠自古だからこそ心持幼い心情をそう表すべきなのです!」
「べきなのです、ではないわ!?」
強く拳を握る神子。その瞳は、きらっきらしていたと言う。
「そんなだから本人の了承もなく気付けば勝手に歳が離れた相手と婚姻関係を結んだことになっているのだ!」
「五歳とか六歳の娘に『あたち神子様と結婚するの』って言われたら『うん』って応えるでしょう!?」
「ちょっと待て了承しとったんかこのスカタン!?」
「いやあれは流石にノーカンだと思います」
「喧しいわ!」
‘聖徳太子‘の妃の一人に、橘大郎女という女がいる。
彼女は、額田部皇女、所謂推古天皇の孫だ。
推古天皇は‘太子‘の伯母にあたる。
つまり、世代で見るならば、橘大郎女は‘太子‘の一つ下なのだ。
……尤も、時代背景を考えればそう珍しくもない話なので、これ一つでどうこうと言うほどのものではない。
何より、屠自古は神子より少しばかり歳嵩である。
「安心なさい布都。
私は確かにちっちゃい子が好きです。
しかし、彼ら彼女ら以上に、屠自古が大っ好きですから!」
咆える神子。
「あ、好きと言うのも勿論普通の意味で、性的にと言う訳では」
「もう喋らないでください」
「酷い!?」
布都の態度も大概だが、それは神子の発言故のものである。
どちらの分が悪いのかは一目瞭然だろう。
神子ピンチ。
けれど、ここで引く神子ではない。
自身のことだけなら、或いは折れただろう。
だが、布都の紹介の言葉には、含まれたものがある。
神子にはそれが耐えられなかった、否、もっと強い感情だ。
許せない。
「貴女の言い分は、まぁ解りました。
若干ニュアンスを変える程度は受け入れましょう。
ですが布都、貴女の紹介は使いません、使うものですかっ」
神子は鋭い視線を布都に送った。
滅多に使わない強い言葉は、それだけの意志があるため。
過去に諸々の豪族を従えた頂きの姿勢ではなかったが、その圧力たるや凄まじいものがある。
対する布都は、されど、怯まない。
「ほう。ではその理由をお聞かせ願おう」
挑発するような問い方に、神子は片腕を大きく広げ、口を開く。
「貴女は、『私と屠自古を憂いている』と言った!
それはつまり、屠自古の不貞を想定している!
違いますか布都!?」
激昂する神子に――布都は、こくりと頷いた。
「違うと言うのなら、その紹介の理由を……え?」
素直に頷かれるとは思っていなかった。
意外な反応に、神子は口をぱくぱくと開閉する。
自身に勝らずとも劣らない屠自古を愛する布都が、まさか認めるとは。
「可能性は否定できん」
静かに、布都が切り出した。
その苦々しい表情に、神子は布都の胸中を垣間見る。
彼女とて、言いたくて言っている訳ではないのだ。
本心、屠自古と神子のことを憂いている。
「此処……幻想郷には、魅力的ななにがしが多いと聞く。
蟲の王、永遠亭の主、鴉天狗、毘沙門天代理……。
枚挙に暇ない」
その根本にあるものは、つまり――
「布都! 貴女は、私が彼女たちに劣ると!?」
――神子への不満であった。
珍しくも荒々しい態度を続ける神子。
それは、屠自古への感情ゆえのものである。
聖人と言えど、激情を失くした訳ではない。
そんな気概で挑んだ神子は、しかし、息を飲むことになる。
「……指導者としての貴女は認めています。
この地の頂き、妖しの賢者よりも秀でていましょう。
そう思っていなければ、どうしてこの身が朽ちてなお、お傍にいましょうか」
視線が返される。
強く、鋭く、重い。
音さえも伴いそうな眼力だ。
だと言うのに、言葉は静かに語られる。
久しく感じた覚えのないプレッシャーに、神子は口を引きつらせた。
「けれど、屠自古の連れ添いとしては未だ認められぬ点がある」
千四百年ものの鬱憤が、そこにはある。
「み、認められないですって!?
私は屠自古を愛し、屠自古も私を愛してくれている!
そも、貴女に認可を頂く必要など何処にありましょう――」
バンッ。
「あ、はい」
強く畳みを叩く音に、神子は小さく首を縦に振る。
それだけの威圧感が今の布都にはあった。
その様に、神子は思う。
「……神子殿」
なにこのお姑さん。
「貴女は先ほど、『それだけのものを積み上げてきた』と仰った」
「え、ええ。朝となく昼となく愛し愛され」
「足らんっ」
裂帛の気合に呑まれつつ、それでもどうにか神子は抗う。
「あ、その、勿論、夜もほどほどに」
だが、それが裏目、布都の不満に火をつけることとなった。
「ほどほどとは笑わせる! 屠自古を満足させておらんではないか!?」
そう、布都が抱く神子への不満とは、神子と屠自古の夜の営みだったのだ。ヤーン。
「いやだって屠自古ってばちょっと要求が大胆で!」
「応えるのが神子殿の役目であろう!」
「お外で致そうとするのは流石にどうかと思うんです!」
「まぐわいは自然の摂理、何を臆することがあるか!」
「そ、それに! 貴女の前で、なんて言い出すことも!」
これでもくらえ、と神子は衝撃的な提案を吐き出した。
「構わぬ、致せ」
自身の胸を叩き、受け入れる布都。
「腰を振れ!
声をあげろ!
獣になりませいっ!」
なにこのおっとこまえ。
「わ、私が構いますっ!」
「えい、なにを度量の狭い!」
「度量云々の話ではありません!」
「世継ぎをどうすると問われ、『孕ませる』と言い切った神子殿は何処に言ったのだ!?」
「どうにかするとは言いましたが……って、他人事のように言っていますが聞いたのは貴女じゃないですか!」
蘇我の一族の者よりも、布都が一番反対していたりした。
喧々諤々。
丁々発止。
あぁ言えばこう言う。
「――此方の用意は粗方整いました……って、太子様も布都もほとんど進んでいないではないですか!」
騒然とするこの場を収めたのは、二名が愛する者、屠自古だった。
「あ、いえ、そのっ」
さっきの今でしどろもどろに返す神子。割と素が出ている。
「少しばかり宴会のことで太子様に相談していてな。あいすまぬ」
一方、淀みなく応える布都。
疑わしげな屠自古の視線も意に介さない。
あんぐりと口を開け指をさす神子の態度にも、笑顔で返した。
「あぁ太子様、そのように指を人に向けるものではありませぬ」
しかも、粗相を窘める余裕さえ見せた。ずるい。
そんなやり取りが功を奏したのか、屠自古の怒りも冷めたようだ。
腕を組み、一つ唸って、二名へと近づく。
少しばかりの躊躇が感じられた。
「えと……」
何かあるのだろうか――神子と布都は言葉を待った。
「布都はともかく、太子様がお答えを出せないようなことであれば、要らぬことかもしれないのですが……。
ワタクシ、屠自古もお聞かせ頂きたいと思います。
どのような相談事だったのでしょう?」
おずおずと、それでも二名の役に立ちたいと、屠自古が胸に手を当て、尋ねた。
布都は相好を崩し、神子は屠自古の両の手を握る。
愛おしくて仕方がない。
「屠自古」
「太子様」
重なる視線にこくり頷き、神子が事のあらましを語る。
「屠自古は幼なづべぁ」
直前、布都から修正が入った。物理的介入とも言う。
「た、太子様!? 何するのよ布都!」
「うむ、太子の髪辺りに虫が飛んでいてな」
「追い払った、と。……え、でも、手は動かしてなかったような」
蹴ってた。
小首を捻る屠自古に空咳を打ち、神子に代わって布都が口を開く。
「相談事とは他でもない、主のことよ屠自古。
個の説明なら悩むことなどないのだが、我々は太子様を頂きにした集いであろう?
でだ、主を皆に語る時、どのように紹介しようかと頭を突き合わせていた、と言う訳だ」
なるほどと頷く屠自古。
先の一件は既に流された。
全て、布都の計画通りである。ずるい。
「例えば、我なら太子様の同士、もしくは配下とでも呼べようがな」
「悔しいけど、『右腕』は貴女よね」
「ん……そうだな」
唇を尖らせつつも自然と零された称賛に、目を細め、ただ頷く布都。
「ちくしょうちくしょうちくしょう……っ」
直後に呟かれた、同じく感情儘の怨嗟の声に、布都がそのまま視線を向ける。
けれど、瞳に込められたものは屠自古へのソレとは逆と言えよう。
すんげぇ冷たい。
「んぅ」
咳払いと同時に姿勢を正し、神子は、再び屠自古と向き合った。
「よくよく思えば簡単なことでした。
我々がどうこう言うよりも、答えは此処にある。
……他の誰でもなく、屠自古、貴女が決めて下さい」
柔らかな笑みを浮かべ、解を求める。
神子が至った結論に、布都も満足したのだろう、穏やかな表情で頷いていた。
そう、そも彼女たちが争っていたのは眼前の少女のためなのだ、それが最善の選択であろう。
「そんな……」
けれど、屠自古が首を横に振りかける。
直前、神子は片手を伸ばし、その頬に触れた。
伝えようとしているのは、遠慮はいらないと言う本心だ。
「ですが……」
それでも足りぬならと、神子は自身の耳へ、もう片手を当てる。
屠自古の想いは届いている。
胸の内に秘められた独占欲が、神子には愛おしい。
それを曝け出させようとしているのは、或いは、至らぬ自身の嗜虐欲か。
「さぁ、屠自古」
神子は、名を呼び、唇が開くのを促した。
「はい、神子様」
そして、屠自古は、神子の【お気に召すまま】。
「神子様、屠自古は、貴女の元に嫁いで以来、貴女に見合うよう努めてまいりました。
けれども、まだまだ至らぬところ、多々ございます。
ですが、もしお許し頂けるなら――」
頬に触れる手に手を重ね、一二度頭を振り、屠自古が続けた。
「――屠自古を、神子様の『正妻』とご紹介ください」
本当に幼い独占欲だ、と神子は微かに苦笑する。
先の妃だけでなく、確かに神子が婚姻を結んだのは屠自古のみではない。
とは言え、彼女が真に伴侶として愛したのは屠自古だけだった。
否、挨拶を交わす程度の接触ならともかく、それ以外の何らの交渉もしていない。
目覚めてから読んだ自身の伝記――らしい――書物には、その名を知らぬ妃さえいた。
何にでも誓おう、と神子は思う。神子の妻は、屠自古だけなのだ。
(……ですので、妙に腰の入った木簡フルスイングを止めてください布都)
神子の後ろ、非力なはずの布都が振る木簡は、けれど風を切っていた。
因みに、彼女の眼からは光が消えている。
ズズズ……。
「ねぇ屠自古」
背後から向けられる怒りの波動を感じつつ、それでも神子は、屠自古の頬を撫で、言う。
「正妻も何も、私の妻は貴女を除いておりません」
正面から注がれる熱の籠った視線を受け止め、返すように、額を重ねる。
「過去生、現生、未来世において、私が妻として愛するのは貴女だけなのです」
そして、自身の耳に当てていた手を、屠自古の腰に回し、柔らかく抱いた。
「だけれど、貴女がそう望むなら、集まる皆にそう伝えましょう」
そう、神子もまた、屠自古の【お気に召すまま】――。
「神子様」
「屠自古」
いとおしむように、互いの額を額で撫でる二名。
その様に、一件落着と布都も息を吐く。
瞳の光も次第に戻ってきていた。
こきりこきりと首を鳴らし、布都は、神子の背に言う。
「『正妻』とは、屠自古も言うようになりました。
神子殿がお認めになるのであれば、それも宜しいかと。
‘聖徳道士‘の妻なのですから、『聖妻』とも呼べますかな」
かかと笑い、続く神子の言葉を引き寄せる。
「布都、その……」
控えめに呼ばれるその意味を理解することは、布都にとって容易なことだ。
「さて、ではそろそろ宴の準備に再び取り掛かりましょうぞ。
おや、けれどもしかし、なんということか、アレがない。
申し訳ないご両名、我は暫し、探してきます」
アレとは何か。
特に何と言う訳ではなく、何でも良かった。
どうと言うこともなく、この場を辞する方便だ。
(先の言、中々に響いたようですな、神子殿。
屠自古の瞳も潤んでおりますわ。
いざ合戦の御時ぞ)
くつくつと小さく笑い、布都は立ち上がる。
(――屠自古を俯かせたその罪は、後ほど贖ってもらいましょうぞ)
その為の布石は、既に打っていた。
背を向け、一歩、踏み出す。
しかし、その足が床に着くまで、少しばかりの間があった。
垂れさがる長い袖をしっかと掴む手の力が、布都をその場に留めた。
(気付かれたか……?)
思う布都の予想は、けれど、外れていた。
その手は神子のものではない。
彼女の両手は塞がっている。
「……いっちゃ、やだ」
だから、そう、その白い手は、屠自古のものだった。
「ん、なに、一時間……いや、二時間ほどで戻ってこようぞ」
存外に甘い言葉の響きにくらりときつつ、布都は、屠自古に柔らかく笑む。
因みに、咄嗟の時間の延長は、神子の指示に依るものだった。
髪が、何時も以上にご起立されている。
やる気満々だ。ヤーン。
「あぁそうか屠自古、主は、我が外出すると思っているのか。
ならば杞憂ぞ、我は自室で読書でもしておる。
あ、いや、失せ物を探すのだったな」
緩くなる頭を律しつつ、布都は、それでもその場を離れようとした。
「そうじゃなくて……」
だが、違う。
布都は屠自古の願いを履き違えていた。
幼き少女が願うのは、以前に神子へも提案していたことなのだ。
「――布都にね、見てもらっていたいの」
そーいやそんなことを言っていた。\ヤンヤーン/
「これはこれは、屠自古よ、そんな甘えた声を出すものではない」
「う、だってぇ……」
「幼子のような駄々を。仕方ないのぅ」
「布都の意地悪」
「ほんに、あぁ、ほんに……」
――愛い。
「だって、だってね、神子様、とても可愛らしいの。
それだけじゃないわ、お綺麗で、凛々しく、愛らしい。
そのお傍にいる私も、普段に比べれば、少しは……。
だから、見ていて欲しいの。
他の誰かじゃ駄目よ、布都に見ていて欲しいんだもの」
屠自古の提案は、転化された自尊心からのものであろうか。
それも少しはあるだろう、けれど、より大きな感情が其処にはある。
自身の好きなものを好きなものに知って欲しい、そして、諸共、より愛されたい。
童が友達を保護者に紹介するようなもの……少なくとも、布都はそう感じた。
溢れださんばかりの愛情を胸に秘め、布都は、屠自古によいよいと頷いた。
ちょっと待て。
「待て待てちょっと待って布都に屠自古、私はそー言うアブノ」
バンッッッ。
「あ、はい」
「……神子殿」
「いやでも流石に心の準備がっ」
折れない神子。
しかし、それがどうしたと言うのだ。
神子に抱かれる屠自古を想像し、今日一番の笑顔で、布都が言った。
Do it.
「やれ」
慄く神子。
蕩けるような笑顔の屠自古。
二名に微笑みを送り、布都は、その場に坐した。
「さぁ神子殿、『聖妻』屠自古を汚すのだ!」
「けがすってなんですか! まぐわいとは純粋な愛で挑む行為なんですよ!?」
「あぁ神子様、まずは屠自古の服をお破り下さい……っ」
「屠自古も屠自古でほんとに大胆――って、い~~~~~や~~~~~!?」
争点は解消された。準備などはどうとでもなる。宴が始まるその前に、踊れ乱れよ若き婦妻!
《宴当日。あ、因みに結局、致しませんでした。チッ》
さて、稀代の策略家、物部布都が打った布石とは――?
幻想郷に移した道場に、続々と集う宴の参加者。
諸々に混じり近づいてくる二つの影に、神子は目を丸くした。
一方は絶え間なく笑みを浮かべていて、もう一方は瞳の光が消えうせている。
「な、な、な!?」
「おや、どう言う料簡でしょうかな」
「……!? 布都、貴女、謀りましたね!」
彼女たちは、確かに布都が呼んでいた。
各々の手に握られているパンフレットが、その証と言えよう。
ご丁寧にも、布都は、神子を中心とした自身たちの紹介文を載せている。
くつくつと笑み、布都は神子に言葉を返した。
「いえいえ、そんな。
ですが、これは好都合。
長き因縁にけりをつけましょうぞ」
だからつまり、彼女たちとは、命蓮寺のトップ陣、聖白蓮と寅丸星で――
「私のお嫁さんがいると聞いて!」
「聖をお嫁さんにすると聞いて!」
――呼び寄せたその言葉は、屠自古の紹介文の一語だった。
「まぁ正直、白蓮殿まで釣れるとは思わなんだでしたが」
‘ガンガンいく僧侶‘はノリノリだ。
「うぉぉぉい、認めやがりましたね!?」
「さぁ神子殿!」
「あ、はい」
発破をかけると同時、布都は一歩下がった。
その左手を屠自古の肩を抱き、招き寄せる。
乱れ飛ぶであろう弾幕の巻き添えを避けるためだ。
「――『ひじりづま』を宿敵から護るのだ!」
そして、残る右手で、神子の背を押した。
「あぁ、やはりっ」
「認めるものですかぁぁぁ!」
「ちっくしょう、やってやるやってやるわ!!」
手を打ち、目を輝かせる白蓮。
両腕を広げ、声を荒げ叫ぶ星。
迫りくる二名に、神子も気勢をあげた。
かつて行われた、あの『悲しき宗教戦争』。
目晦ましてとして用いられた仏教、その徒が牙をむいた。
はたして、神子は、再び勝利を得ることができるのだろうか――?
筆者にNTR属性はないので、神子様に頑張って頂きたい所存。
「知るかぁぁぁぁぁ!?」
《/勝者は以前の敗者を含む第三者、つまりは霊夢に魔理沙、早苗に妖夢の異変解決者となりました。喧嘩両成敗》
これは四人にぶちのめされるとこまで織り込み済みだったのかな?
あまりの策士ぶりにそんな気がしてならない…。
しかし、それにしてもこのひじりんノリノリである。
アブノーマル言ってますけどあんたも十分アブノーマルですがな…
ヘタレ神子さまと男前布都ちゃん、いやさ布都さんも素敵だった
腹決めてDo itしちゃいなYO!!