日がな一日まちぼうけ、なんて一日があっても良いと思う。
そういう余裕を持った考えに辿り着くことが多くなったのは、ここ最近のことで、たぶんそれは、少なからず目の前でへらへらしている部下のせいでもあるのではないだろうか。
それを、以前なら一身の堕落と厳しく戒めていたが、どうしてだか今はそう、感じない。
「四季さまそれでは、今日のお勤めはここまでということで」
「ええ。お疲れさまでした、小町」
「ではこれにて、失礼致しましたァ」
にへり、と起こした頭で笑うと、小野塚小町はうきうき部屋を出て行く。その後ろ姿を微笑みと共に眺めているなんて、どうにも自分らしくない気がして、でもそれが自然である気もして。違和感が日々薄れていくのを感じると、これは成長かしらそれとも甘えかしら、などと妙に不安に思うこともある。
あの四季映姫が丸くなった。
そう、噂が立ってもうかれこれ一年ほど。ちょうどそれは、あの結界異変があったころから。
当初は驚天動地の怪異と彼岸の巷間を騒がせたものだが、それも、めっきりこの頃は聞かなくなった。
周りがそうなら自分もそう。自分の性格が変わることが信じられなかった時期も通り過ぎ、今はもう、「これが四季映姫だ」と臆面もなく差しだして見せることが出来る。
無論、職務にその丸さとやらが表れることはないが、四季映姫は何も、閻魔というだけではないのだ。
「今日の裁定は終わり……明日は引き継ぎ……それで……」
一人部屋に残ってすることと言えば、予定の確認を、ぶつぶつ呟いてみることぐらい。愚痴の一つでも、不満の一言でも漏れればそれはそれで〝らしい〟のかも知れないが、そうする気は不思議とおこらない。
何故だろう、穏やかな心地が、今の私には満ち満ちているのである。
ぼんやり、椅子を回して後ろにしていた部屋の窓に向ってみる。
彼岸の空にも冬が来ていた。灰色の雲が、びゅうと吹かれて駆けていく。その思ったより速いことに、「そんなに急がずとも好いのですよ」とか、呟いてしまう。
言ってから、はて私はそんな性分だったかしらと、首を捻るのだ。
おかしいけど、おかしくない……
試しに能力を使って、自分の黒白を判じてみる。
自問自答のようなものだが、驚くほど私の心は自分を厳しく吟味して、すっぱりと言うべきことを言うのだ。自堕落に陥らない為の、閻魔に備わった特性かも知れなかった。己の内にある法を揺らがせないためにも、閻魔は、白黒はっきりしていなければならない。
さてでは、こうして角 の取れつつある自分は――
「四季さま失礼しますッ、忘れ物を取りに参りましたァ!」
息を切らせて部屋に入るは、小野塚小町その死神 。分かってはいた。さっき彼女が出て行った時から、ずっと気になっていたのだ。
ネエ、どうしてその鎌、置いていくのよ、私そんな置き土産いらないもんね、と。
そろそろ出て行こうったって、無駄なのよ小町。
「こればかりは、お灸を据えるべきでしょうね」
「あの、これはその」
「小町ッ」
「きゃんッ」
一喝。一言の持つ迫力と言うのは、まだ健在らしい。跳ね返るように姿勢を伸ばす小町を見て、私は少し安心した。
「死神が大鎌を、しかも上司の部屋に置き忘れるとは何事ですか。あなたのそれは私物であると同時に公の備品でもある。死神は鎌と共にあり、死神は彼岸、そして庁と共にある。それを、何と心得るのです!」
「で、でも、死神の鎌は飾りだって、四季さまだって」
「黙らっしゃい。その腑抜けた職業人たる自覚のなさを言うのです! そう、あなたは少し自覚が足りない。同じことを言うのもこれで百四十三度目」
「百四十四です」
「では訂正します。百四十四度目です。……それほどまでに、自覚が足りないと言うことの自覚が足りないのです、あなたは。まず、自覚をなさい。あなたは栄えある三途の渡しであるのです」
口答えは不問に付すとして、改めて叱責の意を込め、じろりと睨めつけてやる。その先ですみませんすみませんと、せわしく頭を上下させる小町。
そんな彼女に以前なら「頭を下げるんだったらおじぎ草でも出来ますよ」などと皮肉の一つも言って聞かせたものだが。
それも酷なことだと感じる自分がいるのだ。
「……以上。今後、このようなことがなきように」
「はいぃ……」
「そんなに萎れないの。おじぎ草でもあるまいし」
おじぎ草の例えが私は好きなのかも知れない。
けれどそれが可笑しかったか、小町は少しだけ、私を見て笑った。悪戯を叱られた子どもが親に嫌われまいと、無邪気を振りまくように。その笑顔が、
「……小町」
「はい?」
「反則。減点一」
「はいィ!?」
その、表情が。
叱っていた筈の私も思わず微笑み返してしまうのだから、反則だった。
「あたいにどうしろって言うんですか……」
「部下を愛でるのも上司の務め、そうでしょう」
「何ですかそれ」
「何なのかしらね。思い付きだったわ」
「……」
はあ、溜息一つ吐いて――示し合わせたように、ニカッと二人でひと笑い。なんだかんだで、私と小町の相性は良いのだった。それだから丸くなったなどと言われるのだろうが、閻魔でない、四季映姫でいたい時だってある。無論それは仕事のない時に限るが、そう思うのは、出過ぎたことでもないだろう。
「ねえ、小町」
「はい?」
「非番はいつです?」
都合があうなら、一緒に出かけるのも良いかもしれない。
部下と上司の関係が仕事中の白黒なら、友人どうしと言うのが、閻魔でないときの、白黒。そうありたいと思う私の願いは、小町に届いたようで。
「明日と、それから、明後日の明日ですか。近いところなら」
「その、明後日の明日。良ければどこか行きませんか? 私も、ちょうど非番にあたりますから」
「ああ、四季さまがそう言うンなら、良いですよ」
「四季〝さま〟が?」
「ああ、いやあたいも、退屈してるんで。そう言うンならひとつ、好き放題やってみましょう、二人で」
「よろしい。では、明日からも職務に励むように」
彼女の了解を取れれば、ほっとする私。本当に角はどこへ行ったのかしら。マア、それでも良いか。
そうも、思う。
サテ小町を誘って何をしようかしら。
明後日の明日、なんて言葉が好きになれる気がして、私は一人、彼岸にて笑むのだった。
そういう余裕を持った考えに辿り着くことが多くなったのは、ここ最近のことで、たぶんそれは、少なからず目の前でへらへらしている部下のせいでもあるのではないだろうか。
それを、以前なら一身の堕落と厳しく戒めていたが、どうしてだか今はそう、感じない。
「四季さまそれでは、今日のお勤めはここまでということで」
「ええ。お疲れさまでした、小町」
「ではこれにて、失礼致しましたァ」
にへり、と起こした頭で笑うと、小野塚小町はうきうき部屋を出て行く。その後ろ姿を微笑みと共に眺めているなんて、どうにも自分らしくない気がして、でもそれが自然である気もして。違和感が日々薄れていくのを感じると、これは成長かしらそれとも甘えかしら、などと妙に不安に思うこともある。
あの四季映姫が丸くなった。
そう、噂が立ってもうかれこれ一年ほど。ちょうどそれは、あの結界異変があったころから。
当初は驚天動地の怪異と彼岸の巷間を騒がせたものだが、それも、めっきりこの頃は聞かなくなった。
周りがそうなら自分もそう。自分の性格が変わることが信じられなかった時期も通り過ぎ、今はもう、「これが四季映姫だ」と臆面もなく差しだして見せることが出来る。
無論、職務にその丸さとやらが表れることはないが、四季映姫は何も、閻魔というだけではないのだ。
「今日の裁定は終わり……明日は引き継ぎ……それで……」
一人部屋に残ってすることと言えば、予定の確認を、ぶつぶつ呟いてみることぐらい。愚痴の一つでも、不満の一言でも漏れればそれはそれで〝らしい〟のかも知れないが、そうする気は不思議とおこらない。
何故だろう、穏やかな心地が、今の私には満ち満ちているのである。
ぼんやり、椅子を回して後ろにしていた部屋の窓に向ってみる。
彼岸の空にも冬が来ていた。灰色の雲が、びゅうと吹かれて駆けていく。その思ったより速いことに、「そんなに急がずとも好いのですよ」とか、呟いてしまう。
言ってから、はて私はそんな性分だったかしらと、首を捻るのだ。
おかしいけど、おかしくない……
試しに能力を使って、自分の黒白を判じてみる。
自問自答のようなものだが、驚くほど私の心は自分を厳しく吟味して、すっぱりと言うべきことを言うのだ。自堕落に陥らない為の、閻魔に備わった特性かも知れなかった。己の内にある法を揺らがせないためにも、閻魔は、白黒はっきりしていなければならない。
さてでは、こうして
「四季さま失礼しますッ、忘れ物を取りに参りましたァ!」
息を切らせて部屋に入るは、小野塚小町その
ネエ、どうしてその鎌、置いていくのよ、私そんな置き土産いらないもんね、と。
そろそろ出て行こうったって、無駄なのよ小町。
「こればかりは、お灸を据えるべきでしょうね」
「あの、これはその」
「小町ッ」
「きゃんッ」
一喝。一言の持つ迫力と言うのは、まだ健在らしい。跳ね返るように姿勢を伸ばす小町を見て、私は少し安心した。
「死神が大鎌を、しかも上司の部屋に置き忘れるとは何事ですか。あなたのそれは私物であると同時に公の備品でもある。死神は鎌と共にあり、死神は彼岸、そして庁と共にある。それを、何と心得るのです!」
「で、でも、死神の鎌は飾りだって、四季さまだって」
「黙らっしゃい。その腑抜けた職業人たる自覚のなさを言うのです! そう、あなたは少し自覚が足りない。同じことを言うのもこれで百四十三度目」
「百四十四です」
「では訂正します。百四十四度目です。……それほどまでに、自覚が足りないと言うことの自覚が足りないのです、あなたは。まず、自覚をなさい。あなたは栄えある三途の渡しであるのです」
口答えは不問に付すとして、改めて叱責の意を込め、じろりと睨めつけてやる。その先ですみませんすみませんと、せわしく頭を上下させる小町。
そんな彼女に以前なら「頭を下げるんだったらおじぎ草でも出来ますよ」などと皮肉の一つも言って聞かせたものだが。
それも酷なことだと感じる自分がいるのだ。
「……以上。今後、このようなことがなきように」
「はいぃ……」
「そんなに萎れないの。おじぎ草でもあるまいし」
おじぎ草の例えが私は好きなのかも知れない。
けれどそれが可笑しかったか、小町は少しだけ、私を見て笑った。悪戯を叱られた子どもが親に嫌われまいと、無邪気を振りまくように。その笑顔が、
「……小町」
「はい?」
「反則。減点一」
「はいィ!?」
その、表情が。
叱っていた筈の私も思わず微笑み返してしまうのだから、反則だった。
「あたいにどうしろって言うんですか……」
「部下を愛でるのも上司の務め、そうでしょう」
「何ですかそれ」
「何なのかしらね。思い付きだったわ」
「……」
はあ、溜息一つ吐いて――示し合わせたように、ニカッと二人でひと笑い。なんだかんだで、私と小町の相性は良いのだった。それだから丸くなったなどと言われるのだろうが、閻魔でない、四季映姫でいたい時だってある。無論それは仕事のない時に限るが、そう思うのは、出過ぎたことでもないだろう。
「ねえ、小町」
「はい?」
「非番はいつです?」
都合があうなら、一緒に出かけるのも良いかもしれない。
部下と上司の関係が仕事中の白黒なら、友人どうしと言うのが、閻魔でないときの、白黒。そうありたいと思う私の願いは、小町に届いたようで。
「明日と、それから、明後日の明日ですか。近いところなら」
「その、明後日の明日。良ければどこか行きませんか? 私も、ちょうど非番にあたりますから」
「ああ、四季さまがそう言うンなら、良いですよ」
「四季〝さま〟が?」
「ああ、いやあたいも、退屈してるんで。そう言うンならひとつ、好き放題やってみましょう、二人で」
「よろしい。では、明日からも職務に励むように」
彼女の了解を取れれば、ほっとする私。本当に角はどこへ行ったのかしら。マア、それでも良いか。
そうも、思う。
サテ小町を誘って何をしようかしら。
明後日の明日、なんて言葉が好きになれる気がして、私は一人、彼岸にて笑むのだった。