しゃしゃしゃしゃめいまるぅー。
射命丸文は、天狗である。
今でこそスカートを履きシャツを着て、お洒落な格好をしてはいるものの、本来ならばそれこそ天狗装束に身を包んだ屈強の猛者であった。
往時の彼を知っている者は皆口を揃えてこう言う。あいつも流行の波に乗ったのか、と。そう、射命丸文は、本来男であった。
別におかしな事ではない。少女の姿をしている妖怪は数あれど、その中で本当に少女である者など半分程度しか居ないのだから。
彼女ら(彼ら)は、元々人の姿すらしていない。それが人の形を取る時、わざわざ性別をも同じにしておく必要があるだろうか? いや、ない。
それに、そこまで姿が変わってしまうと逆に性別自体維持するのが難しくなってしまうのだ。それは例えば、生物学的に人から離れていくほど顕著になる。
そう、つまり、妖怪の性別詐称などは決して珍しい事ではないのであった。
では、射命丸文に話を戻そう。天狗には二種類居て、最初から天狗として生まれた者と、後天的に天狗になった者が居る。射命丸文は後者だ。
昔々の大昔、京に近い、でも言うほど京には近くないような村で、彼は産まれた。顔は、まあ、それなりに可愛かった。名を文丸(ふみまる)、臆病な子だった。
彼が天狗になったのは齢十一の時の事。まき拾いの最中、行き過ぎて山に入った。さらわれた。それだけである。
さらわれた時、文丸はどうにか脱出しようと考えていた。さらった妖怪に「おい、お前早くぼくを降ろせよ」などと言ったのは、未だに語り継がれている。その妖怪は、鬼だった。悲しい事に、これが文丸が鬼に強い口を叩けた唯一の瞬間となる。
文丸は、天狗に渡された。好きにしろ、との事である。それは勝手に食べてしまっても良いという事であるし、育てるのならばそれでも良いと言う事であった。ちなみに、この場合殆ど後者となる。
天狗は、導く者としての性格も与えられている。色々と理由は有るのだが、その一つに後進を育てるため、と言う物があった。
簡単に言ってしまえば、文丸は将来その天狗が他の天狗を教える際の練習台にされたのである。そして、これで文丸が天狗になってくれれば天狗の数も増えて一石二鳥と言う事だった。
そして、文丸への修行が始まった。が、長いのでここでは割愛する。ただ言えるのは、あの風の能力、主に使用されたのは修行から逃げるためである。そのために修得したと言っても過言ではない。
文丸は、いつしか天狗最速になっていた。とにかく逃げ続けたお陰である。逃げるたびに何かしらの衝突があったので、結局の所それなりに強くはなった。
さて、現在である。ここまでともすれば全く必要が無いのではないかとも思える射命丸文の幼少時代をつらつらと書き綴ってきたのは、全て、これからの話に信憑性を持たせるためである。
彼が彼女になったのは、博麗大結界が張られてすぐの事だった。「これからは、女の時代が来ますよ!」そう言って、さっさか自分の身体を女に変えてしまった。すでに、そう言った風貌の妖怪は出始めていた。
そして、新聞記者になった。周りには「これも好奇心のため、そして、少しばかりの正義のためですよ」などと言って通した。確かに、他の天狗に比べてみればそれなりには信憑性の高い記事を書いていた。女の新聞記者は、射命丸文が始めてだった。
射命丸文は、狡猾だった。既に外の世界にカメラなる物が有ると知っていたにもかかわらず、知らぬ、存ぜぬで通し、記事を書いた。その内容もまた、それなりにまともではある。そうやって、信頼を稼いでいった。
いまや、射命丸文は重度の新聞病患者としか思われなくなっていた。ちなみに、新聞病とは天狗が良く罹る病の事で、四六時中自分の新聞の事しか考えられなくなる状態を指す。職業病である。
カメラを手に入れた時、「計画通り」とニヤ付いた。早速、近くに居た白狼天狗に頼んで、撮らせて貰った。勿論メスである。白狼天狗は元が狼、つまり哺乳類なので、外見と性別の違いは無い。
ありとあらゆるアングルからである。相手の方も、まさか射命丸が女ではないなどとは知らずに、結構あられもないポーズまで撮らせていたりした。名を、犬走椛と言った。後日、バレた。それ以来、彼女との仲は険悪である。
今、射命丸文はとてもいきいきとしている。幻想郷には女の子が溢れ、自分はその姿を気兼ねなく写真に収める事が出来る。自分の正体をバラすことは、固く禁じていた。同僚だって、好き好んでバラす奴は居ない。
今日も今日とて、射命丸は空を行く。可愛いあの娘に取材をするために。ちなみに、最近一番の収穫は紅魔館のプールに無理矢理つきそって撮った水着姿であった。
完
苦もなくすらすら読めてさっぱりとした文体、いや、楽しませてもらいました。