「……この頃、何かおかしいわね」
そうつぶやきながら街中を歩くのは水橋パルスィ女史である。
彼女が視線をめぐらせると、その視線の先にいる相手が『びくっ!』と背筋をすくませ、そそくさこそこそと逃げるように去っていくのだ。
……もう、近頃は、ずっとこんな感じである。
私はそんなに愛想の悪い奴だっただろうか。パルスィは自問する。確かに、他人に対して愛想がいいとは言えない人種ではあると思っているが、それでも、こんな露骨に避けられるような人物ではなかったはずだ。
……何が悪いんだろう。
「おい、ちょっと」
そう思って歩く彼女の足が、ぴたりと止まった。
「いくらここが地獄だからって、人様にガンつけて歩いてんじゃないよ。聞こえてんのか、おい」
「……あら、どなたかと思っていましたら。どこかの下賎な馬の骨」
「何だと!?」
「……ではなくて、お下品な鬼さまでしたわね。ごきげんよう」
「てめぇ……あたしにケンカ売ってんのか」
「別に。失礼な相手には失礼な態度で返すのが、私の中でのマイルールなの」
「相変わらず、性格最悪な奴だな、お前は」
すでに両者の間の気配は一触即発だった。
パルスィに声をかけた鬼――勇儀はぎりぎりとまなじりを吊り上げ、唇の端から犬歯を覗かせてうなっている。
竹を割ったようにさっぱりとした性格の勇儀と、嫉妬という暗い感情を心に秘めながら歩くパルスィと。
両者の相性は最悪というのは、もう地獄の住人ならば誰もが知っている事実だった。
「とにかく、そのツラやめな。見ていて吐き気がするんだよ」
「あなたこそ、その下品な言葉遣いをやめたらどう? 聞いていていらいらしてくるわ」
「うるさいな。あんたに言葉遣いについてとやかく言われたくないんだよ」
「私もよ。あなたのような人に、表情云々で文句を言われたくないわ」
「相変わらず、性格の悪い奴だな。そんなだから友達の一人も出来ないんだよ」
「ごめんなさいね。持って生まれたものはそうそう直らないのは、あなただってわかっていることでしょ?」
「何だと、この!」
「何よ!」
「上等だ。あたしは前々から、お前みたいに根性の腐った女が大っ嫌いだったんだ! その曲がりくねった根性、叩きなおしてやる!」
「やってごらんなさい! 私も以前から、あなたみたいにがさつで無作法な女は嫌いだったのよ!」
「やるか!?」
「やってやろうじゃない!」
「……まーたやってるよ、あの二人は」
本当に、仲がいいんだか悪いんだか。
白昼堂々の口喧嘩から始まったいさかいは、ついには罵りあいから手が出る一歩寸前にまで。
あの二人は、いつも顔をあわせるとああなってしまう。そのくせ、相手を避けようとしたり、もっと悪く言えば無視したりするようなことはしない。口や態度ではああなってはいるものの、何でかお互い、近くによっていくのである。
「ん? 何、キスメ」
くいくい、と服の袖が引っ張られる。
視線の先――というか、かなり下の方では、なぜだかいつも桶に隠れている娘がうるうる目で彼女を見上げている光景があった。
『……ヤマメちゃん、またあの二人……ケンカしてるの……』
この恥ずかしがりで人見知りな少女は、基本的に、他人と話すのが苦手である。だからといって、何で筆談なのかなぁ、とヤマメは思っているわけなのだが。
「そうだね。ま、いつものことさ。ほったらかしておけば、5分で終わるよ」
『……怖いの……』
「げっ」
うるうると目を潤ませていたキスメの瞳に涙が盛り上がる。
慌てて、ヤマメは声を上げた。
「おーい、そこの二人! ケンカはやめなって!
じゃないと、さとりさんが来るよ! あと、キスメが泣いちゃうよ!」
その言葉で、喧々囂々の言い争いをしていた二人の動きがぴたっと停止して、慌ててキスメの元へと走りよってくる。
「い、いや、そんなんじゃないんだよ、キスメ。あたし達、別にケンカなんてしてないさ」
「そ、そうよ。キスメ。私達、ほら、仲良しですものねー」
「そ、そうそう、仲良しさ、仲良し! なー?」
お互い、ぎりぎりと、笑ってるんだか怒ってるんだかわからない笑顔を浮かべて肩を組み、キスメに見えないところで尻をつねったり背中をひっぱたいたりとあほなことを始めたりする。
キスメは、ぐしぐし、と服の袖で目許をぬぐうと、にぱっと笑った。
『……もう、ケンカしない……?』
「し、しないしない!」
「しないわよ!」
『よかったの……。みんな、仲良しなの……』
「そ、そうだな!」
「そうそう! 仲良しよ、仲良し!」
『あ、あはははははは!』
「……あー、あぶね……」
ほっと、ヤマメは息をつく。
この地獄における最大のルール。それは『絶対にキスメを泣かせてはならない』というもの。その理由がどこにあるのかは……あの勇儀やパルスィすら引きつり笑いを浮かべていることからもわかるというものだろう。
「何の騒ぎですか?」
「お、さとりさん。いやね、かくかくしかじか」
「……危なかったですね」
たまたま、その場に足を運んだのか、はたまた誰かに呼ばれたのか。
ちょうどよく姿を見せたさとりすら、キスメの話を聞いて、ほっと胸をなでおろし、
「パルスィさん。少しよろしいですか?」
「い、いいわよ。じゃ、じゃあね、勇儀ちゃ~ん」
「お、おう、またな! パルスィさ~ん」
『あはははははは!』
『……みんな仲良しなの……えへへ』
地獄の標語、その1。
『泣く子(キスメ)と地頭(さとり)にゃ勝てぬ』
――と、いうわけで。
「う~ん……」
「……あの」
「ちょっと動かないでくださいね」
「……はい」
あの後、さとりに言われて、パルスィは竹林の医者の元を訪れていた。
彼女はパルスィから聴いた話を受けて、早速、彼女の状態の検査を始めている。
医者――永琳は、一通りの検査を終えて、言った。
「簡単に言いますと、パルスィさん。非常に視力が落ちています」
「……え?」
「そういう風に、眉間にしわを寄せてしまうのは、周りが見づらいから、ですよね?」
「……はい」
「さとりさんのご慧眼に感謝してください。このまま行けば、いずれ失明していましたよ」
「ええっ!?」
「……もちろん、それは極端な話ですけどね。
ただ、目はいたわってあげてください。長い付き合いにある友達ですから」
かりかりとカルテを書いていた永琳は、さて、と手を打つ。
「とりあえず、対症療法という訳でもありませんが、後ほど看護士からの説明があると思われます。当面は、それを実行していてください。
また一ヶ月ほど後に診させてもらいますので、それまでお大事に」
「はあ……」
そういうわけで、地獄へと戻ってきたパルスィが街中を歩いていると、なぜだか周囲から、こそこそと話し声が聞こえる。耳をそばだててみれば、なにやらそれは自分に関する話題のようだ。
……うっとうしいわね。
じろりとそちらを見る。すると、以前なら、それで相手は大慌てで逃げ出していったはずなのだが、なぜか『ひゃっほぉぉぉぉおぉぉう!』と喜ばれた。
何なのよ、もう。
ぷりぷり怒りながら歩いていると、「おい、パルスィ」と後ろから声がする。
「何、勇儀。私は今、機嫌が悪いの。とっとと……」
「……いや、お前、全然、以前の迫力がないから」
「……へ?」
「眉間のしわも取れてるし、やたら視線も柔らかいし」
「だから言ったでしょー、勇儀。わたしは以前から、ずーっとそう思っていたのよ」
「ちょっと、ヤマメ。どういうこと?」
『……パルスィちゃん……似合ってるの……』
彼女に下された診断は、『強度の近眼』。
というわけで、彼女が病院からもらってきたのは、近眼の進行を遅らせる……患者の心がけ次第では(もちろん、永琳の言ったことを忠実に守れば、という意味だ)視力回復を促す薬と、彼女の顔を彩る一本のメガネだった。
そのおかげで、勇儀の言ったとおり、眉間のしわも取れているし、普段から、何かと斜に構えたような顔つきをしていた彼女の表情も、ずいぶんと柔らかくなっており、ぶっちゃけかわいかった。
そのため、この地獄では、この数日の間に『メガネっ娘パルスィ同盟』が結成されたほどだ。
「ああ、確かに。似合う似合う」
「ち、ちょっと。変なこと言わないでよ。私、これ、死ぬほどうっとうしいんだから」
「いやいや、パルスィ。あんた、結構かわいいよ。
ねぇ、勇儀」
「ま、そうだな。
普段の憎たらしさもなくなって、ヤマメみたいにかわいいといえばかわいいな」
「かっ……!」
『かわいい、なの』
「かわいいって、そんな、私が……!」
「お、どうしたどうしたパルスィさ~ん?」
もしかして照れてる? ねぇ、照れてる? 照れてるでしょ~。
と、ヤマメがからかえば、パルスィは顔を真っ赤に染めて、「照れてなんかいないわよっ!」と、なぜか勇儀に向かってポケットから取り出したハンカチを『びたん!』とぶつけた。
「……てめえ……どういうつもりだ……」
「うっ、うるさい! 誰が『かわいい』よ! 人のことからかって!
怒って当然でしょ!?」
「何だと!? こっちは別にからかってなんてないだろ! ほんとにそう思ったから言ったんだ! 鬼は嘘をつかないんだぞ!」
「う、うるさいうるさいうるさいっ! いい加減にしなさいよ、勇儀!」
「何であたしだけなんだよ!? ヤマメやらキスメだってそう言ってるだろうが!」
「うっるさーいっ!」
「……あんたらさぁ」
またぎゃいぎゃいと、いつものように口喧嘩を始める二人。
どうしようもないわね、とヤマメは一人、ため息をつく。
『あ、あの……ケンカ……よくない、の……。パルスィちゃん、勇儀ちゃん、ケンカ……』
こつん、と。
おろおろしていたキスメの頭に、どちらかが投げたと思われる小石がぶつかった。
途端、キスメの瞳に盛り上がる涙。
――世界がとまり、空間が引きつった。
『……あ』
「わたしはもー知らんっ!」
動きを停止させ、顔を引きつらせる二人。その場を脱兎するヤマメ。
そして――、
「す、すまなかった、キスメ! あたし達、もうケンカしないから!」
「ご、ごめんなさいね、キスメ! あ、ほら、美味しいお菓子を買ってあげるわ! だから泣かないでお願いーっ!」
二人の首謀者が、続きの言い訳の言葉を口にする暇もなく、キスメの涙の表面張力が限界を超えたのだった――。
「お、お姉ちゃん! 何か外からものすごい音と爆音が!?
お燐とお空が失神して、ペット全員が大慌てで逃げ場所を探してるよ!?」
「………………」
「お姉ちゃん、ちょっと!」
「…………………………」
「お姉ちゃんっ!」
姉の執務室に飛び込んできた妹が見る光景。
それは、姉が、自分の耳に耳栓を突っ込んで、淡々と、『こいし、あなたの分の耳栓もありますよ』と筆談で語る光景であった。
「……え、あの……」
『……キスメさんは、普段、めったに喋らない方ですが、その泣き声は、この地獄全てを震わせるほどの破壊音波なのですよ。
しばらく、ここにいなかったあなたにはわからないでしょうけど……ね』
直後、みしみしと、地霊殿の壁がきしみ、あちこちで『びしぃっ!』という音と共にひびが入る。次の瞬間、窓は次々に粉砕され、吹きつけてくる爆風と衝撃波がさとりとこいしを、地霊殿ごと、まとめて吹き飛ばしたのだった。
その日、旧都は一人の少女を中心に、半径500メートルほどの範囲にわたって完全に壊滅した。爆心地とも言える場所で、耳を押さえ、痙攣している一人の鬼と、メガネが割れた状態で、同じく痙攣している一人の橋姫が見られたというが、それは噂の域を、決して出ない――。
数日後、四季映姫・ヤマザナドゥの元に届けられたのは旧都の被害報告と被害総額が記された、一枚の報告書だった。
彼女は頭痛をこらえながら、それに、ぽんと判子を押して、持ってきた相手へとそれを手渡し、「……もう忘れましょう、このことは」とつぶやいたのだった。
そうつぶやきながら街中を歩くのは水橋パルスィ女史である。
彼女が視線をめぐらせると、その視線の先にいる相手が『びくっ!』と背筋をすくませ、そそくさこそこそと逃げるように去っていくのだ。
……もう、近頃は、ずっとこんな感じである。
私はそんなに愛想の悪い奴だっただろうか。パルスィは自問する。確かに、他人に対して愛想がいいとは言えない人種ではあると思っているが、それでも、こんな露骨に避けられるような人物ではなかったはずだ。
……何が悪いんだろう。
「おい、ちょっと」
そう思って歩く彼女の足が、ぴたりと止まった。
「いくらここが地獄だからって、人様にガンつけて歩いてんじゃないよ。聞こえてんのか、おい」
「……あら、どなたかと思っていましたら。どこかの下賎な馬の骨」
「何だと!?」
「……ではなくて、お下品な鬼さまでしたわね。ごきげんよう」
「てめぇ……あたしにケンカ売ってんのか」
「別に。失礼な相手には失礼な態度で返すのが、私の中でのマイルールなの」
「相変わらず、性格最悪な奴だな、お前は」
すでに両者の間の気配は一触即発だった。
パルスィに声をかけた鬼――勇儀はぎりぎりとまなじりを吊り上げ、唇の端から犬歯を覗かせてうなっている。
竹を割ったようにさっぱりとした性格の勇儀と、嫉妬という暗い感情を心に秘めながら歩くパルスィと。
両者の相性は最悪というのは、もう地獄の住人ならば誰もが知っている事実だった。
「とにかく、そのツラやめな。見ていて吐き気がするんだよ」
「あなたこそ、その下品な言葉遣いをやめたらどう? 聞いていていらいらしてくるわ」
「うるさいな。あんたに言葉遣いについてとやかく言われたくないんだよ」
「私もよ。あなたのような人に、表情云々で文句を言われたくないわ」
「相変わらず、性格の悪い奴だな。そんなだから友達の一人も出来ないんだよ」
「ごめんなさいね。持って生まれたものはそうそう直らないのは、あなただってわかっていることでしょ?」
「何だと、この!」
「何よ!」
「上等だ。あたしは前々から、お前みたいに根性の腐った女が大っ嫌いだったんだ! その曲がりくねった根性、叩きなおしてやる!」
「やってごらんなさい! 私も以前から、あなたみたいにがさつで無作法な女は嫌いだったのよ!」
「やるか!?」
「やってやろうじゃない!」
「……まーたやってるよ、あの二人は」
本当に、仲がいいんだか悪いんだか。
白昼堂々の口喧嘩から始まったいさかいは、ついには罵りあいから手が出る一歩寸前にまで。
あの二人は、いつも顔をあわせるとああなってしまう。そのくせ、相手を避けようとしたり、もっと悪く言えば無視したりするようなことはしない。口や態度ではああなってはいるものの、何でかお互い、近くによっていくのである。
「ん? 何、キスメ」
くいくい、と服の袖が引っ張られる。
視線の先――というか、かなり下の方では、なぜだかいつも桶に隠れている娘がうるうる目で彼女を見上げている光景があった。
『……ヤマメちゃん、またあの二人……ケンカしてるの……』
この恥ずかしがりで人見知りな少女は、基本的に、他人と話すのが苦手である。だからといって、何で筆談なのかなぁ、とヤマメは思っているわけなのだが。
「そうだね。ま、いつものことさ。ほったらかしておけば、5分で終わるよ」
『……怖いの……』
「げっ」
うるうると目を潤ませていたキスメの瞳に涙が盛り上がる。
慌てて、ヤマメは声を上げた。
「おーい、そこの二人! ケンカはやめなって!
じゃないと、さとりさんが来るよ! あと、キスメが泣いちゃうよ!」
その言葉で、喧々囂々の言い争いをしていた二人の動きがぴたっと停止して、慌ててキスメの元へと走りよってくる。
「い、いや、そんなんじゃないんだよ、キスメ。あたし達、別にケンカなんてしてないさ」
「そ、そうよ。キスメ。私達、ほら、仲良しですものねー」
「そ、そうそう、仲良しさ、仲良し! なー?」
お互い、ぎりぎりと、笑ってるんだか怒ってるんだかわからない笑顔を浮かべて肩を組み、キスメに見えないところで尻をつねったり背中をひっぱたいたりとあほなことを始めたりする。
キスメは、ぐしぐし、と服の袖で目許をぬぐうと、にぱっと笑った。
『……もう、ケンカしない……?』
「し、しないしない!」
「しないわよ!」
『よかったの……。みんな、仲良しなの……』
「そ、そうだな!」
「そうそう! 仲良しよ、仲良し!」
『あ、あはははははは!』
「……あー、あぶね……」
ほっと、ヤマメは息をつく。
この地獄における最大のルール。それは『絶対にキスメを泣かせてはならない』というもの。その理由がどこにあるのかは……あの勇儀やパルスィすら引きつり笑いを浮かべていることからもわかるというものだろう。
「何の騒ぎですか?」
「お、さとりさん。いやね、かくかくしかじか」
「……危なかったですね」
たまたま、その場に足を運んだのか、はたまた誰かに呼ばれたのか。
ちょうどよく姿を見せたさとりすら、キスメの話を聞いて、ほっと胸をなでおろし、
「パルスィさん。少しよろしいですか?」
「い、いいわよ。じゃ、じゃあね、勇儀ちゃ~ん」
「お、おう、またな! パルスィさ~ん」
『あはははははは!』
『……みんな仲良しなの……えへへ』
地獄の標語、その1。
『泣く子(キスメ)と地頭(さとり)にゃ勝てぬ』
――と、いうわけで。
「う~ん……」
「……あの」
「ちょっと動かないでくださいね」
「……はい」
あの後、さとりに言われて、パルスィは竹林の医者の元を訪れていた。
彼女はパルスィから聴いた話を受けて、早速、彼女の状態の検査を始めている。
医者――永琳は、一通りの検査を終えて、言った。
「簡単に言いますと、パルスィさん。非常に視力が落ちています」
「……え?」
「そういう風に、眉間にしわを寄せてしまうのは、周りが見づらいから、ですよね?」
「……はい」
「さとりさんのご慧眼に感謝してください。このまま行けば、いずれ失明していましたよ」
「ええっ!?」
「……もちろん、それは極端な話ですけどね。
ただ、目はいたわってあげてください。長い付き合いにある友達ですから」
かりかりとカルテを書いていた永琳は、さて、と手を打つ。
「とりあえず、対症療法という訳でもありませんが、後ほど看護士からの説明があると思われます。当面は、それを実行していてください。
また一ヶ月ほど後に診させてもらいますので、それまでお大事に」
「はあ……」
そういうわけで、地獄へと戻ってきたパルスィが街中を歩いていると、なぜだか周囲から、こそこそと話し声が聞こえる。耳をそばだててみれば、なにやらそれは自分に関する話題のようだ。
……うっとうしいわね。
じろりとそちらを見る。すると、以前なら、それで相手は大慌てで逃げ出していったはずなのだが、なぜか『ひゃっほぉぉぉぉおぉぉう!』と喜ばれた。
何なのよ、もう。
ぷりぷり怒りながら歩いていると、「おい、パルスィ」と後ろから声がする。
「何、勇儀。私は今、機嫌が悪いの。とっとと……」
「……いや、お前、全然、以前の迫力がないから」
「……へ?」
「眉間のしわも取れてるし、やたら視線も柔らかいし」
「だから言ったでしょー、勇儀。わたしは以前から、ずーっとそう思っていたのよ」
「ちょっと、ヤマメ。どういうこと?」
『……パルスィちゃん……似合ってるの……』
彼女に下された診断は、『強度の近眼』。
というわけで、彼女が病院からもらってきたのは、近眼の進行を遅らせる……患者の心がけ次第では(もちろん、永琳の言ったことを忠実に守れば、という意味だ)視力回復を促す薬と、彼女の顔を彩る一本のメガネだった。
そのおかげで、勇儀の言ったとおり、眉間のしわも取れているし、普段から、何かと斜に構えたような顔つきをしていた彼女の表情も、ずいぶんと柔らかくなっており、ぶっちゃけかわいかった。
そのため、この地獄では、この数日の間に『メガネっ娘パルスィ同盟』が結成されたほどだ。
「ああ、確かに。似合う似合う」
「ち、ちょっと。変なこと言わないでよ。私、これ、死ぬほどうっとうしいんだから」
「いやいや、パルスィ。あんた、結構かわいいよ。
ねぇ、勇儀」
「ま、そうだな。
普段の憎たらしさもなくなって、ヤマメみたいにかわいいといえばかわいいな」
「かっ……!」
『かわいい、なの』
「かわいいって、そんな、私が……!」
「お、どうしたどうしたパルスィさ~ん?」
もしかして照れてる? ねぇ、照れてる? 照れてるでしょ~。
と、ヤマメがからかえば、パルスィは顔を真っ赤に染めて、「照れてなんかいないわよっ!」と、なぜか勇儀に向かってポケットから取り出したハンカチを『びたん!』とぶつけた。
「……てめえ……どういうつもりだ……」
「うっ、うるさい! 誰が『かわいい』よ! 人のことからかって!
怒って当然でしょ!?」
「何だと!? こっちは別にからかってなんてないだろ! ほんとにそう思ったから言ったんだ! 鬼は嘘をつかないんだぞ!」
「う、うるさいうるさいうるさいっ! いい加減にしなさいよ、勇儀!」
「何であたしだけなんだよ!? ヤマメやらキスメだってそう言ってるだろうが!」
「うっるさーいっ!」
「……あんたらさぁ」
またぎゃいぎゃいと、いつものように口喧嘩を始める二人。
どうしようもないわね、とヤマメは一人、ため息をつく。
『あ、あの……ケンカ……よくない、の……。パルスィちゃん、勇儀ちゃん、ケンカ……』
こつん、と。
おろおろしていたキスメの頭に、どちらかが投げたと思われる小石がぶつかった。
途端、キスメの瞳に盛り上がる涙。
――世界がとまり、空間が引きつった。
『……あ』
「わたしはもー知らんっ!」
動きを停止させ、顔を引きつらせる二人。その場を脱兎するヤマメ。
そして――、
「す、すまなかった、キスメ! あたし達、もうケンカしないから!」
「ご、ごめんなさいね、キスメ! あ、ほら、美味しいお菓子を買ってあげるわ! だから泣かないでお願いーっ!」
二人の首謀者が、続きの言い訳の言葉を口にする暇もなく、キスメの涙の表面張力が限界を超えたのだった――。
「お、お姉ちゃん! 何か外からものすごい音と爆音が!?
お燐とお空が失神して、ペット全員が大慌てで逃げ場所を探してるよ!?」
「………………」
「お姉ちゃん、ちょっと!」
「…………………………」
「お姉ちゃんっ!」
姉の執務室に飛び込んできた妹が見る光景。
それは、姉が、自分の耳に耳栓を突っ込んで、淡々と、『こいし、あなたの分の耳栓もありますよ』と筆談で語る光景であった。
「……え、あの……」
『……キスメさんは、普段、めったに喋らない方ですが、その泣き声は、この地獄全てを震わせるほどの破壊音波なのですよ。
しばらく、ここにいなかったあなたにはわからないでしょうけど……ね』
直後、みしみしと、地霊殿の壁がきしみ、あちこちで『びしぃっ!』という音と共にひびが入る。次の瞬間、窓は次々に粉砕され、吹きつけてくる爆風と衝撃波がさとりとこいしを、地霊殿ごと、まとめて吹き飛ばしたのだった。
その日、旧都は一人の少女を中心に、半径500メートルほどの範囲にわたって完全に壊滅した。爆心地とも言える場所で、耳を押さえ、痙攣している一人の鬼と、メガネが割れた状態で、同じく痙攣している一人の橋姫が見られたというが、それは噂の域を、決して出ない――。
数日後、四季映姫・ヤマザナドゥの元に届けられたのは旧都の被害報告と被害総額が記された、一枚の報告書だった。
彼女は頭痛をこらえながら、それに、ぽんと判子を押して、持ってきた相手へとそれを手渡し、「……もう忘れましょう、このことは」とつぶやいたのだった。
可愛いって言われて照れちゃうパルスィも可愛かったです!