十六夜咲夜は目を丸くした。
例えば、彼女の主がカップ一杯の紅茶を綺麗に飲みほしても、こうはならないだろう。
例えば、主の妹が主にデレたとしても、こうはならないだろう。
例えば、門番に攻められても、こうはならないだろう。
茶飯事だから。いやいや。
ともかく――雑貨屋の前を行ったり来たりしている知人、博麗霊夢の姿に、咲夜は目を丸くするのだった。
咲夜自身は、食材や備品などの買い込みのために里へと来ている。
粗方は行商人やらなんやらでどうにかなるが、当然、全てとまではいかない。
既に購入済みの茶葉や調味料などを手提げの鞄に入れ、ふらりと小物を探そうと此処に立ち寄った。
そんな折に出くわしたのが、先ほどの通り、どこかそわそわした様子の霊夢だった。
咲夜は腕を組み、考える。
知人越しに見えるのは、舶来のアクセサリー、可愛らしい洋服、五月人形、化粧品……。
斯様に雑貨屋には様々な商品が並んでいるが、概ね、霊夢及び彼女が住む神社に合わないように思えた。
誰かへの贈り物だろうか――思いながら、咲夜は霊夢を眺める。
霊夢はと言えば、自身が観察されているなど露にも思っていないようだ。
彼女にしては珍しく気付く素振りも全くない。
並ぶ商品に目をやり、手に持つがま口を開く。
以下、繰り返し。
悩む様も滅多にないことなので、それはそれで面白く思わないでもなかったが、咲夜は霊夢に近づいた。
「お団子が五個……お団子が十個……」
「何の呪文よ」
「あー?」
うろんげな面持ちで振り返る霊夢に、微苦笑しながら咲夜は手を振る。
「こんにちは、霊夢」
「……咲夜?」
「ええ」
頷く咲夜に固まる霊夢。
少しばかりの間ができた。
どちらかと言えば、嬉しくない類の間。
「こほん」
空咳を打ち、がま口を袴にしまった後、霊夢が静寂を破った。
「ノーノーノー、アイムレイム」
「だから、霊夢でしょ?」
「んぐっ、ノー! アイムントレイム!」
「略すなら‘I`m not Reimu‘だけど」
「早苗の馬鹿ーっ」
「あの子は発音が壊滅的なだけでしょうに」
風祝は文法も致命的だった。
閑話休題。
若干涙目な気がしないでもない霊夢をなだめつつ、咲夜は内心首を捻った。
あからさまな動揺よりも引っかかることがある。
見かけた時から漠然と抱いていた疑問。
或いは、感想。
「……霊夢、貴女」
告げようとする咲夜の腕を払い、霊夢が胸を張った。
「そうよ、私は霊夢! 博麗の巫女! やってやるわよ!?」
何をだ。
明後日の方向に開き直る巫女に、咲夜は手を広げた。
「不健全な本を買う前の男の子じゃあるまいし、落ち着きなさいな」
「的確な表現だけど、だからこそ落ち着けるかーっ」
「え……そうなの?」
咲夜はまた、目を丸くした。
まさか本当にこの店で霊夢が買い物しようとしているなどとは思ってもいなかった。
しかも、慌てようから察するに、誰かへの贈り物ではなく自身のために購入しようとしているように見える。
まじまじと見つめる咲夜に、肩を竦める素振りを見せた霊夢は、結局、俯いた。
遂に観念したのか、ぽつりと応える。
指をもじもじさせていた。
「……うん」
何この可愛い生き物。
意外な反応に一瞬くらめく咲夜だったが、すぐに体勢を戻した。
「とりあえず、場所を変えましょう」
「……なくならない?」
「えぇまぁ、多分」
店内から視線を寄こす店員の笑みは、咲夜にして圧力を感じるものだったという。
所移して、団子茶屋。
二人の来店に顔を出した老婆へ「いつもの」と告げ、咲夜は靴を脱ぎ、畳に座った。
日差しは暖かく絶好の縁側日和であったが、店内を選んだ。
何時もと様子の違う霊夢への気遣いだ。
自身の向かいに座るよう、咲夜は促す。
「えっと」
「あぁ、‘いつもの‘は三色団子とお茶のセット――」
「私、注文してないんだけど」
「――ぅん、注文する気、あったのかしら?」
「み、水ぐらいは……っ」
それを注文とは言わない。
無駄な勢いで両拳を強く握る霊夢に、咲夜は微苦笑を浮かべた。
「ふん――それはそうと、久しぶりね」
「少し前、神社で騒いだような」
「主に早苗と魔女々〃がね」
「二週間ほど前ね」
「ほら、久しぶりじゃない」
「……霊夢、貴女、毒されているのよ」
「へ? メディスンやヤマメはいなかったけど?」
意味が通じていないのだろう、霊夢は不思議そうに首を捻っていた。
与太話を続けて数分、二人のもとに注文が届く。
おや、と届けた老婆が咲夜に話しかけた――「今日は白」。
――そして、彼女は何時の間にか厨房に戻っていた。
手には『知人』と書かれたメモが握らされている。
一方の霊夢は、眼前で使われた‘力‘などどこ吹く風で、並べられた団子に目を奪われていた。
「お、お婆さん、間違えてる! 私、注文してないわよ!?」
そう、団子と茶のセットは、きちんと一つずつ、それぞれの前に置かれている。
――安堵の息を茶と共に喉の奥に流し込み、咲夜は言った。
「間違えてはいないから、食べなさいな」
「や、でも、お金足りなくなるし……」
「……私が注文したんだから、出すわよ」
「あんたに奢ってもらうようなことは」
「そう。じゃあ、下げてもらいましょうか」
咲夜が提案を言いきる前に、霊夢は口を広げていた。
あんぐり。
「いいけど」
「……あんふぁと」
「食べ終わってから言い直しなさい」
串には緑色の団子しか残っておらず、故に咲夜は呆れて言った。
(さて……)――適温で淹れられた緑茶を啜りつつ、咲夜は考える。
向かいに座り団子で頬を膨らませる少女は、何を買おうとしていたのだろう。
舶来のアクセサリー。
小ぶりとは言え銀で作られた逸品。
形は、普段咲夜が使うナイフに似ていた。
可愛らしい洋服。
西洋調の寝巻――所謂、パジャマだ。
しっかりとした作りの割に安価なのは、もしかすると知人の人形遣いが一枚かんでいるのかもしれない。
五月人形。
十数キロありそうな重厚な鎧を纏う、男子を模った人形。
いくらなんでも、流石にこれはないだろう。
(後は……)――思う咲夜の耳に、声が届いた。
「あんがと」
「食べ終わって……ないじゃない」
「んぅ――ぐ、ぐ、けふこふ、くはっ」
無理やり喉に押し込んだのだろう、噎せ返る霊夢。
咲夜は立ち上がって前かがみになり、右腕を伸ばした。
左手を余らせるようなことはしない――自身の茶を渡し、しっかりと持たせる。
「私のはほどほどに温いから。流せるはずよ」
ごくごくと喉が鳴らされる音を聞きつつ、咲夜は数度、霊夢の背を撫でた。
ごくり、
ごくり、
ごくん。
「っぷはぁ! 小町が映姫に怒られてたわ!」
「こんな所で逝きかけないでよ、‘結界の巫女‘」
「追い返されたから、当分大丈夫じゃない?」
霊夢が笑いながら、言う。
咲夜は嘆息をつこうとした。
しかし、結局、飲み込んだ。
返される湯呑みに、答えがあったのだ。
‘何を買おうとしているか‘。
――だけではない。
「……今更だけど、霊夢」
街角で見かけた時に浮かんだ、漠然とした疑問の答えも、同時に表されていた。
咲夜は視線を、下げて、上げる。
映ったのは、湯呑みと唇。
正確には、滲んだ桃色と、その元。
「紅を塗っていたのね」
「なっ! わ、悪い!?」
「誰もそんなこと言ってないわ」
紅と同色か、或いは更に赤くなる霊夢の頬に、咲夜は口に片方の拳をあて、俯きがちに笑む。
答えは繋がっていた。
薄らと、咲夜がまじまじと見てわからないほど薄らと塗られた桜色の口紅。
おかしいと感じたのは、つけているという事実だけでなく、つけていないというもう一つの事実。
例えばファンデーション、例えばアイライナー、例えば……。
要は、霊夢が施している化粧は、紅だけだったのだ。
だから――
「……結構前にさ。
早苗に化粧の仕方、教えてもらったのよ。
そん時に口紅は貰ったんだけど、他のは合わなかったのよね。
ふぁんでーしょん……だっけ、あれって地肌が関係するじゃない?
目周りの色々は、早苗も自分のしか持ってなくて……。
って、口紅だけですんごい有り難いのよ!?」
――霊夢が買おうとしていたのは、雑貨屋の一番端に並べられていた、化粧道具一式だろう。
正に恥ずかしさの裏返し。
滅多に、どころではないほど饒舌になる霊夢。
少なくとも咲夜は、これほど慌てる彼女に覚えがない。
「……ふん」
けれど、流石は博麗の巫女と言ったところだろうか。
俯く咲夜に、霊夢は憎まれ口を叩く。
頬は未だ赤いというのに。
「笑いたきゃ、笑え」
言葉に、咲夜は顔を上げた。
浮かぶ表情は、笑み。
微笑み。
咲夜は、出会った時に抱いた感想を、そのまま、告げた。
「綺麗になったわね、霊夢」
化粧をする。
その結果云々ではない。
しようと思った霊夢と言う少女に、咲夜はそう、感じた。
目を数度瞬かせ、歯を食いしばり、拳を握り――数秒してから、霊夢が応える。
「……あんがと」
その対応にくすくすと笑いながらも、咲夜は、少し大人になったわね、と思うのであった――。
「良かったら、買い物に付き合うけど?」
「助かる。正直、訳わかんない」
「まぁ、店員に聞くのが一番手っ取り早いんだけどね」
「そうなの?」
「ええ。しっかりしているもの」
「行ったことあんの?」
「んー、ほら、ポイントカード」
「うっわ、何枚あるのよそれ!?」
「おほほ、わたくしは‘完璧で瀟洒な従者‘ですもの」
団子を食べ終え茶を飲み干し、老婆に礼を言って、二人は外へと出た。
「や、どっちかってーと、おばさんぽふぎぎ」
内情を吐露したお陰だろう、普段通り快活な様を見せる霊夢。
可愛さ余って憎さ百倍と、咲夜は両頬を引っ張った。
よく伸びる。凄く伸びる。
むに、むに、むにぃぃぃ。
「ひゃ――めんかぁ!」
調子に乗り過ぎたようだ。
けれど、咲夜は‘完璧で瀟洒な従者‘。
交渉術だってお手の物。
両手を振り上げる霊夢に、言う。
「あぁ、そう、化粧品だけどね」
ぴたりと腕が止まった。
「使ってないのがあるんだけど、いる?」
「う……! だ、だから、あんたに」
「お嬢様の的になるか、妹様のクレパス代わりになるか」
「かたじけない、かたじけない……!」
「んーふふ、最初っからそう言えばいいのよ」
再び、二人は歩を進める。
「あぁ、だけど、ファンデーションは買ってね」
「あんたも白いもんねぇ」
「そう言うこと。他のなら、大体あるわよ」
「……ランクは?」
「へ? なによ、それ」
霊夢はファンデーションのため。
自身を彩る道具を求めて。
自分のため。
咲夜は舶来のアクセサリーのため。
自身を想起させる道具を求めて。
自分のため。
……自分のため?
「……まぁ、間違ってはいないわよね」
「んぁ、なんか言った?」
「や、別に」
「そ。あ、化粧品、あんたが付けてる口紅は」
「ぶっ!? こ、これは駄目! 絶対に、駄目っ!!」
自身を想起してもらうための道具なのだから、自分のため、だろう。
「美鈴が付けてるのと一緒……って聞くつもりだったんだけど……」
「んぐっ、そ、そうよ、なにか悪い!?」
「あー……」
「ちょっと、そのうろんげな顔は止めなさい!」
「いやうんまぁ、可愛いけどさぁ。……ほどほどにしときなさいよ」
とにもかくにも。
「いくらなんでも鋭すぎるでしょう!?」
「あー、はいはい。なくなると困るから、急ぐわよ」
綺麗な霊夢と可愛い咲夜は、各々がため、歩みを早めるのだった――。
<了>
例えば、彼女の主がカップ一杯の紅茶を綺麗に飲みほしても、こうはならないだろう。
例えば、主の妹が主にデレたとしても、こうはならないだろう。
例えば、門番に攻められても、こうはならないだろう。
茶飯事だから。いやいや。
ともかく――雑貨屋の前を行ったり来たりしている知人、博麗霊夢の姿に、咲夜は目を丸くするのだった。
咲夜自身は、食材や備品などの買い込みのために里へと来ている。
粗方は行商人やらなんやらでどうにかなるが、当然、全てとまではいかない。
既に購入済みの茶葉や調味料などを手提げの鞄に入れ、ふらりと小物を探そうと此処に立ち寄った。
そんな折に出くわしたのが、先ほどの通り、どこかそわそわした様子の霊夢だった。
咲夜は腕を組み、考える。
知人越しに見えるのは、舶来のアクセサリー、可愛らしい洋服、五月人形、化粧品……。
斯様に雑貨屋には様々な商品が並んでいるが、概ね、霊夢及び彼女が住む神社に合わないように思えた。
誰かへの贈り物だろうか――思いながら、咲夜は霊夢を眺める。
霊夢はと言えば、自身が観察されているなど露にも思っていないようだ。
彼女にしては珍しく気付く素振りも全くない。
並ぶ商品に目をやり、手に持つがま口を開く。
以下、繰り返し。
悩む様も滅多にないことなので、それはそれで面白く思わないでもなかったが、咲夜は霊夢に近づいた。
「お団子が五個……お団子が十個……」
「何の呪文よ」
「あー?」
うろんげな面持ちで振り返る霊夢に、微苦笑しながら咲夜は手を振る。
「こんにちは、霊夢」
「……咲夜?」
「ええ」
頷く咲夜に固まる霊夢。
少しばかりの間ができた。
どちらかと言えば、嬉しくない類の間。
「こほん」
空咳を打ち、がま口を袴にしまった後、霊夢が静寂を破った。
「ノーノーノー、アイムレイム」
「だから、霊夢でしょ?」
「んぐっ、ノー! アイムントレイム!」
「略すなら‘I`m not Reimu‘だけど」
「早苗の馬鹿ーっ」
「あの子は発音が壊滅的なだけでしょうに」
風祝は文法も致命的だった。
閑話休題。
若干涙目な気がしないでもない霊夢をなだめつつ、咲夜は内心首を捻った。
あからさまな動揺よりも引っかかることがある。
見かけた時から漠然と抱いていた疑問。
或いは、感想。
「……霊夢、貴女」
告げようとする咲夜の腕を払い、霊夢が胸を張った。
「そうよ、私は霊夢! 博麗の巫女! やってやるわよ!?」
何をだ。
明後日の方向に開き直る巫女に、咲夜は手を広げた。
「不健全な本を買う前の男の子じゃあるまいし、落ち着きなさいな」
「的確な表現だけど、だからこそ落ち着けるかーっ」
「え……そうなの?」
咲夜はまた、目を丸くした。
まさか本当にこの店で霊夢が買い物しようとしているなどとは思ってもいなかった。
しかも、慌てようから察するに、誰かへの贈り物ではなく自身のために購入しようとしているように見える。
まじまじと見つめる咲夜に、肩を竦める素振りを見せた霊夢は、結局、俯いた。
遂に観念したのか、ぽつりと応える。
指をもじもじさせていた。
「……うん」
何この可愛い生き物。
意外な反応に一瞬くらめく咲夜だったが、すぐに体勢を戻した。
「とりあえず、場所を変えましょう」
「……なくならない?」
「えぇまぁ、多分」
店内から視線を寄こす店員の笑みは、咲夜にして圧力を感じるものだったという。
所移して、団子茶屋。
二人の来店に顔を出した老婆へ「いつもの」と告げ、咲夜は靴を脱ぎ、畳に座った。
日差しは暖かく絶好の縁側日和であったが、店内を選んだ。
何時もと様子の違う霊夢への気遣いだ。
自身の向かいに座るよう、咲夜は促す。
「えっと」
「あぁ、‘いつもの‘は三色団子とお茶のセット――」
「私、注文してないんだけど」
「――ぅん、注文する気、あったのかしら?」
「み、水ぐらいは……っ」
それを注文とは言わない。
無駄な勢いで両拳を強く握る霊夢に、咲夜は微苦笑を浮かべた。
「ふん――それはそうと、久しぶりね」
「少し前、神社で騒いだような」
「主に早苗と魔女々〃がね」
「二週間ほど前ね」
「ほら、久しぶりじゃない」
「……霊夢、貴女、毒されているのよ」
「へ? メディスンやヤマメはいなかったけど?」
意味が通じていないのだろう、霊夢は不思議そうに首を捻っていた。
与太話を続けて数分、二人のもとに注文が届く。
おや、と届けた老婆が咲夜に話しかけた――「今日は白」。
――そして、彼女は何時の間にか厨房に戻っていた。
手には『知人』と書かれたメモが握らされている。
一方の霊夢は、眼前で使われた‘力‘などどこ吹く風で、並べられた団子に目を奪われていた。
「お、お婆さん、間違えてる! 私、注文してないわよ!?」
そう、団子と茶のセットは、きちんと一つずつ、それぞれの前に置かれている。
――安堵の息を茶と共に喉の奥に流し込み、咲夜は言った。
「間違えてはいないから、食べなさいな」
「や、でも、お金足りなくなるし……」
「……私が注文したんだから、出すわよ」
「あんたに奢ってもらうようなことは」
「そう。じゃあ、下げてもらいましょうか」
咲夜が提案を言いきる前に、霊夢は口を広げていた。
あんぐり。
「いいけど」
「……あんふぁと」
「食べ終わってから言い直しなさい」
串には緑色の団子しか残っておらず、故に咲夜は呆れて言った。
(さて……)――適温で淹れられた緑茶を啜りつつ、咲夜は考える。
向かいに座り団子で頬を膨らませる少女は、何を買おうとしていたのだろう。
舶来のアクセサリー。
小ぶりとは言え銀で作られた逸品。
形は、普段咲夜が使うナイフに似ていた。
可愛らしい洋服。
西洋調の寝巻――所謂、パジャマだ。
しっかりとした作りの割に安価なのは、もしかすると知人の人形遣いが一枚かんでいるのかもしれない。
五月人形。
十数キロありそうな重厚な鎧を纏う、男子を模った人形。
いくらなんでも、流石にこれはないだろう。
(後は……)――思う咲夜の耳に、声が届いた。
「あんがと」
「食べ終わって……ないじゃない」
「んぅ――ぐ、ぐ、けふこふ、くはっ」
無理やり喉に押し込んだのだろう、噎せ返る霊夢。
咲夜は立ち上がって前かがみになり、右腕を伸ばした。
左手を余らせるようなことはしない――自身の茶を渡し、しっかりと持たせる。
「私のはほどほどに温いから。流せるはずよ」
ごくごくと喉が鳴らされる音を聞きつつ、咲夜は数度、霊夢の背を撫でた。
ごくり、
ごくり、
ごくん。
「っぷはぁ! 小町が映姫に怒られてたわ!」
「こんな所で逝きかけないでよ、‘結界の巫女‘」
「追い返されたから、当分大丈夫じゃない?」
霊夢が笑いながら、言う。
咲夜は嘆息をつこうとした。
しかし、結局、飲み込んだ。
返される湯呑みに、答えがあったのだ。
‘何を買おうとしているか‘。
――だけではない。
「……今更だけど、霊夢」
街角で見かけた時に浮かんだ、漠然とした疑問の答えも、同時に表されていた。
咲夜は視線を、下げて、上げる。
映ったのは、湯呑みと唇。
正確には、滲んだ桃色と、その元。
「紅を塗っていたのね」
「なっ! わ、悪い!?」
「誰もそんなこと言ってないわ」
紅と同色か、或いは更に赤くなる霊夢の頬に、咲夜は口に片方の拳をあて、俯きがちに笑む。
答えは繋がっていた。
薄らと、咲夜がまじまじと見てわからないほど薄らと塗られた桜色の口紅。
おかしいと感じたのは、つけているという事実だけでなく、つけていないというもう一つの事実。
例えばファンデーション、例えばアイライナー、例えば……。
要は、霊夢が施している化粧は、紅だけだったのだ。
だから――
「……結構前にさ。
早苗に化粧の仕方、教えてもらったのよ。
そん時に口紅は貰ったんだけど、他のは合わなかったのよね。
ふぁんでーしょん……だっけ、あれって地肌が関係するじゃない?
目周りの色々は、早苗も自分のしか持ってなくて……。
って、口紅だけですんごい有り難いのよ!?」
――霊夢が買おうとしていたのは、雑貨屋の一番端に並べられていた、化粧道具一式だろう。
正に恥ずかしさの裏返し。
滅多に、どころではないほど饒舌になる霊夢。
少なくとも咲夜は、これほど慌てる彼女に覚えがない。
「……ふん」
けれど、流石は博麗の巫女と言ったところだろうか。
俯く咲夜に、霊夢は憎まれ口を叩く。
頬は未だ赤いというのに。
「笑いたきゃ、笑え」
言葉に、咲夜は顔を上げた。
浮かぶ表情は、笑み。
微笑み。
咲夜は、出会った時に抱いた感想を、そのまま、告げた。
「綺麗になったわね、霊夢」
化粧をする。
その結果云々ではない。
しようと思った霊夢と言う少女に、咲夜はそう、感じた。
目を数度瞬かせ、歯を食いしばり、拳を握り――数秒してから、霊夢が応える。
「……あんがと」
その対応にくすくすと笑いながらも、咲夜は、少し大人になったわね、と思うのであった――。
「良かったら、買い物に付き合うけど?」
「助かる。正直、訳わかんない」
「まぁ、店員に聞くのが一番手っ取り早いんだけどね」
「そうなの?」
「ええ。しっかりしているもの」
「行ったことあんの?」
「んー、ほら、ポイントカード」
「うっわ、何枚あるのよそれ!?」
「おほほ、わたくしは‘完璧で瀟洒な従者‘ですもの」
団子を食べ終え茶を飲み干し、老婆に礼を言って、二人は外へと出た。
「や、どっちかってーと、おばさんぽふぎぎ」
内情を吐露したお陰だろう、普段通り快活な様を見せる霊夢。
可愛さ余って憎さ百倍と、咲夜は両頬を引っ張った。
よく伸びる。凄く伸びる。
むに、むに、むにぃぃぃ。
「ひゃ――めんかぁ!」
調子に乗り過ぎたようだ。
けれど、咲夜は‘完璧で瀟洒な従者‘。
交渉術だってお手の物。
両手を振り上げる霊夢に、言う。
「あぁ、そう、化粧品だけどね」
ぴたりと腕が止まった。
「使ってないのがあるんだけど、いる?」
「う……! だ、だから、あんたに」
「お嬢様の的になるか、妹様のクレパス代わりになるか」
「かたじけない、かたじけない……!」
「んーふふ、最初っからそう言えばいいのよ」
再び、二人は歩を進める。
「あぁ、だけど、ファンデーションは買ってね」
「あんたも白いもんねぇ」
「そう言うこと。他のなら、大体あるわよ」
「……ランクは?」
「へ? なによ、それ」
霊夢はファンデーションのため。
自身を彩る道具を求めて。
自分のため。
咲夜は舶来のアクセサリーのため。
自身を想起させる道具を求めて。
自分のため。
……自分のため?
「……まぁ、間違ってはいないわよね」
「んぁ、なんか言った?」
「や、別に」
「そ。あ、化粧品、あんたが付けてる口紅は」
「ぶっ!? こ、これは駄目! 絶対に、駄目っ!!」
自身を想起してもらうための道具なのだから、自分のため、だろう。
「美鈴が付けてるのと一緒……って聞くつもりだったんだけど……」
「んぐっ、そ、そうよ、なにか悪い!?」
「あー……」
「ちょっと、そのうろんげな顔は止めなさい!」
「いやうんまぁ、可愛いけどさぁ。……ほどほどにしときなさいよ」
とにもかくにも。
「いくらなんでも鋭すぎるでしょう!?」
「あー、はいはい。なくなると困るから、急ぐわよ」
綺麗な霊夢と可愛い咲夜は、各々がため、歩みを早めるのだった――。
<了>
あと、年齢差の考えが作者さんと一緒だったw
もしかして咲夜さん……館の物品の買出しでポイントを貯めて自分の物を買うのに使ってるのかww
確かに咲夜さんとの年齢差はそれくらいかも。
小さくても2~3つくらいは開いてそうなイメージ。
ポイントカードの使える人里…河童の仕業かっ!