今日の寅丸星は一味違うのである。
「失礼するよ、ご主人。そろそろ朝ご飯の時間だ。早く起き……」
「やぁ、おはよう、ナズーリン。もうそんな時間ですか?」
ナズーリンは自分の目を疑った。
そりゃもう、ナイアガラの滝から飛び降りる勢いで疑った。
あのご主人が、あの壊滅的に朝が弱い寅丸星が、起こしに来る前にすでに起きて布団をたたみ身支度を整えて、あまつさえ机に向かい説法をするための勉強をしているなど、誰が想像できるであろう。
いつもだったら布団にひっくるまり、涎を垂らして幸せそうに寝ているはずであり、起こそうとしても『んー……なずぅ~後五分~』とか舌っ足らずの口調で定番の言い訳をしてくれるはずなのだ。
この様子は小さな賢将であるナズーリンの頭の中を大根が乱舞するくらいの大混乱にたたき落としている。
「ご、ご主人?えぇと、きょ、今日はどうしたんだい。熱でもあるのかい?」
「何言ってるんですか、私はいつも通り元気ですよ。ナズーリンこそなんだか様子がおかしいですね。どうかしたんですか?」
どうかしたかと言われれば、どうかしている。
目の前の光景が一番どうかしている。
どっかの貧乏巫女が笑顔で一万円札を差し出してくるくらいどうかしている光景だ。
笑顔で一万円札をむしり取るのなら分かるが、差し出してくるのなんて尋常の沙汰ではない。
これは、つまりそういう出来事なのだ。
天変地異の前触れじゃなかろうか。
「いや、なんでも、ないんだ。ただ、その……ご主人が、だね」
「うん?」
「ご主人が、私が起こしに来る前に起きていたものだから、少し、ね、驚いたんだよ」
ようやくつっかえながらナズーリンがそう言うと、苦笑を浮かべながら星は返事を返す。
「今日はたまたま目が覚めたんですよ。せっかく早起きしたので、色々勉強していたんです」
「そう、なんだ」
「えぇ。そういえば朝ごはんに呼びに来てくれたんでしたっけね? いつもありがとうナズーリン。さぁ、いきましょうか」
そう言って綺麗に微笑む星の顔を見ながら、ナズーリンは思った。
ご主人は熱でもあるのか、と。
今日の寅丸星は二味違うのである。
「聖、重そうですね。私が代わりに持ちましょう」
「大丈夫よ、このくらいでどうにかなるほど柔ではないわ」
先程、廊下でばったりとあった聖と星。
聖は調べたい事があるため倉庫の方へ行き、資料を探し出して運ぶ途中であり、移動中だった星と出くわしたのである。
聖の手には資料がそれなりに入った箱、星は無手だった。
それ故の先程の会話である。
と、よいしょと気合を入れて荷物を持ち直して部屋に戻ろうとする聖の様子を見て、横から星がするっと荷物を持ち上げた。
やはり持ちます、そう笑顔で言い切る星に、聖も笑顔を返した。
「ありがとうね、星。気づかってくれて」
「いえ、とんでもありません。当たり前のことです。私は力が強いですからね、聖ように美しくか弱い女性の手伝いは進んでするべきなのです」
ぴたりと聖の足が止まる。
星が、あの星が、何の臆面もなくさらっと歯の浮くような台詞を言うなんて。
気の聞いた台詞なんてものが言えるようになるには後、一万年と二千年は修業し続けねばだめだろうあの星が。
おかしい。いやおかしいと言うならもっと前からおかしい。
普段だったら『手伝いますよ、聖!』と目をキラキラさせて荷物をすごい勢いで奪い取り、そのままの勢いで足が滑り廊下にすっころんで、荷物をぶちまけるような星が、聖の手からするりと瀟洒な動きで荷物を受け取り、先行しているのだ。
「どうかしたんですか、聖」
はっと、考え込んでいた聖が目をあげると星との距離がだいぶ空いてしまっていた。
慌てて小走りになりながら星のもとへと向かう。
「ごめんなさい、少し考え事をしていたものだから」
「大丈夫ですよ。聖のような女性が来るのを待っているのも、また乙なものですから」
その言葉を聞いて聖は思った。
星は頭でもぶつけたのかな、と。
今日の寅丸星は三味違うのである。
「……ぐすっえぐっ……ぐすっ」
「どうしよう、困ったわね」
廊下に佇む一輪の前では、小さな女の子が泣いている。
先程一輪が廊下を歩いているおり、この子が一人でウロウロしていたので声をかけたら火がついた様に泣きだしたのだ。
嗚咽の合間に紛れ込んでいた言葉の破片をつなぎ合わせる限り迷子の様である。
命蓮寺はとても広大であるため大人でさえ迷子になってもおかしくはない、ましてやこんな小さな子ならなおさらだ。
もちろんその広さがもたらす恩恵は迷子の親を探すのにも遺憾なく発揮され、どれだけの時間がかかるか想像がつかない。
それを一人でやるとなるとなかなか厳しいものがある。
ちなみに雲山には『子供が驚くといけないから、外で待っていて』とお願いしている。
本当は顔の怖さで子供が泣きだすとまずい、というか顔の怖さ以前に半透明のでかい親父というだけで子供の恐怖心はMAX間違いなしと思っていても決して雲山には言わないのだ。
前にも子供が雲山を見て何回か泣かれた経験がある故の、泣いている子供とあれで意外と傷つきやすい雲山に対する、一輪の暖かすぎる配慮である。
「どうしました」
「星」
一人で女の子をあやしながら、さてどうしたものかと考えていた一輪の後ろから声がかかった。
振り返るとそこにはゆったりとした佇まいの星が立っていた。
「この子が迷子になっちゃったみたいでね。ご両親をどうやって探そうか考えていたの」
「あぁ、なるほど」
納得した星はそっと女の子の前に行き、優しく頭をなで始めると、その愛おしむ様な手つきに女の子が下を向いていた顔をあげる。
その泣きはらして兎のようになった目を見つめながら、安心させるように星が笑いかける。
「大丈夫ですよ。すぐにご両親はみつかります。だからもう泣かないで」
その笑顔と声にはまるで母親のような優しさに満ち溢れていて、絶対に安心なのだという確信をも女の子に抱かせる。
それと同時に一輪には違和感を抱かせる。
いつもの星だったら、おろおろして『泣かないでください』と自分が泣きだしそうな顔で迷子の対応をするだろうというのに、今日は随分冷静ではないか。
徐々に嗚咽が収まっていく女の子の頭をなでて落ち着かせていると、おーいどこだー、という声が聞こえてきた。
「おとさんの声……!」
女の子が声のした方に顔を向けてそうつぶやくと同時に、奥の廊下の曲がり角から男性が顔を出した。
女の子はその男性に向かって一目散に駆けていき、その足にしがみついた。
男性はほっとしたような顔で女の子を抱き上げて、一輪と星に向かって一礼すると廊下を戻って行く。
その男性の肩越しに見えた女の子の顔は、先程の泣き顔とは一転して太陽のような笑顔を浮かべていた。
「一件落着。あの子の父親がすぐに来てくれて助かったわね」
「そうですね、私の能力が効いたみたいです」
「星の能力?」
「えぇ、財宝が集まる程度の能力です」
その能力がどうして迷子と関係があるのか分からず一輪は首をかしげる。
怪訝な表情を浮かべた一輪をみて、言いたい事を察したであろう星がゆっくりと微笑み返す。
「なんてことはありません。あの女の子が笑ってくれるための財宝を、あの瞬間、一番欲しただけです」
目の前の毘沙門天代理から普段は欠片も感じられない後光を感じながら、一輪は思った。
星は何か悪いものでも食べたんじゃないか、と。
今日の寅丸星は四味も五味も違うのである。
「ぬーえーっ! 今日という今日は許さないから!」
「何よ、勝手に村紗が勘違いしたんでしょ? 私の責任じゃないわよーだ」
命蓮寺の庭で言いあっているのは村紗とぬえである。
村紗は手にアンカーを持ってぬえの事を憤懣やるかたないといった表情で睨みつけており、ぬえはそんな村紗をにやにやしながら見ている。
一触即発の雰囲気の中、村紗が普段愛用の帽子がのっていない自分の頭へ手をやり、微妙に濡れている髪の毛を確認するようになでる。
そしてその手を顔の前まで持ってくると、思いっきり顔をしかめた。
「やっぱり洗ってもまだ臭う……!」
「そりゃあ、帽子と間違えてこんにゃくを半日も頭にのっけてれば臭いなんて簡単に取れるわけないわよ。ていうかいくら正体不明の種でこんにゃくを帽子と勘違いしたからって半日も頭にのせっぱなしって村紗、鈍すぎよね」
「ううううううるさいわね! もとはと言えばこんにゃくに悪戯するぬえが悪いんじゃない!」
「だから勝手に勘違いしたのは村紗でしょー。私はこんにゃくを正体不明にしただけだし」
「正体不明にすれば誰かが勘違いしてなにかしら起きるにきまってるじゃない!」
「台所のお皿の上にのっかってる自分の帽子とか怪しさ爆発なもの、素直に被るからいけないのよ。やーい、にぶちん村紗。こんにゃくキャプテン」
「くっ……くくく~~~っ!!」
ぎゃーすかぎゃーすかと言いあっているが、話は平行線をたどるばかり。
だがいつまでも終わりそうのなかった言い争いの最中、村紗の口調が急に変った。
「ふ……少しでも反省の色を見せるなら、と思ったけど全くそんな様子はないですね」
「当たり前でしょー、こんにゃプテン・ムラサ」
「くっ! …………いいでしょう、今日は堪忍袋の緒が切れました。徹底的に体に指導してあげましょう!!!」
「その言い方エロい」
「やかましいです!! さぁいきますよ!!」
アンカーを構えてぬえに向かって走り出そうとする村紗とすぐに動けるように重心移動させるぬえ。
まさに肉体的指導という名をかりた喧嘩が始まろうとしたその時。
「やめなさい!!!!!」
とてつもない音量の怒号のような一喝に、二人の動きがぴたりと止まる。
心当たりのある聞きなれた声だが、こんな風に大音量で怒鳴ることなど全くないはずの人物であるために、二人の脳裏に名前が浮かび上がってこない。
錆びついた機械のようにゆっくりと声のした方に顔を向けると、二人から少し離れたところに腕組みをして仁王立ちした星が立っていた。
「何をしているんですか?」
先程とは違い抑えた声ではあるが、にじみ出る威圧感に二人はごくりと喉を鳴らす。
誰だ。これはいったい誰だ。
星といえば喧嘩が起れば、半べそをかきながら『喧嘩はよくないですよ~……』と小声で隅から言うくらいの度胸しか持ち合わせないはずなのに。虎の本性などどこ吹く風、本当は子猫だと言われたらむしろ納得できるくらいの星であるはずなのに。
思わず現実逃避しかける二人に向かって星がゆっくりと近づいていく。
「命蓮寺の庭先でこのような事をすれば、お参りに来る人たちにどのような印象を与えるでしょうか。神仏に仕える者としての自覚は無いというのですか。争いは何も生まないという事を聖も常々語っているはずですよ」
まるで神の化身の事のように立派な事を言う星。
いや、星は事実毘沙門天の化身であるのだが、普段の星のだめっぷりにそんな事を意識した事はなかったぬえと村紗は、ここにきて急にはっきりと感じさせられる。
射すくめられたように動けない二人の真ん中まできて、星は地面へと膝をつく。
「それに小さいとはいえここに花が咲いています。二人がここで争えばこの花は潰されてしまうでしょう。誰に気づかれる事がなくても精一杯生きて、咲き誇っている花を散らす権利があなた方にあるのですか」
そう言って優しい瞳で地面に咲く小さな花を見つめる星をみて、喧嘩の事など忘れてぬえと村紗は思った。
この星は偽物なんじゃないか、と。
その日の深夜、自室にて写経をし終わった星がゆったりと筆を置き、今日の出来事を振り返る。
その顔は満足げで、まるで何かをやり遂げたような達成感を漂わせている。
そしておもむろに机の引き出しをあけ、中からラベルが半分破れている瓶を取り出す。
「すごい……これを飲みほしたおかげで、私はダメ虎、卒業です」
そのラベルにはこう書かれていた。
『八意製薬 カリスマアガルンダ―』
~カリスマが足りなくて困っているあなたの特効薬。
これさえ飲めば、あなたのカリスマもビンビンです。
そして今以上にカリスマが下がった星ちゃんの姿とは一体……!
これを回避するためには毎日この薬を飲まなければならないのですね。
もうクスリから抜け出せない……!
ま、とりあえずその反動とやらを書いて頂こうじゃありませんか(割とマジデ
まあ、実際変なもの食べたわけですね。
とか野暮なことを言いつつも、内容は面白かったです。星さん男前すぎる…w
商売上手だ
聖の手荷物を転んだ拍子にぶちまけ
迷子が泣き止まないので一緒に泣き
キャプテンとぬえの間に割って入って紙のように薄く圧縮されるのだろう
多分
カリスマ星ちゃんもいいものだ
やかましいわwww