ひとつの思考を直ぐ声に出すことはそんなに悪いことじゃない。
現状判りきった状態を声に出すのだって、勿論そう。それは私の信じる処で、なればこそ赴くままに状況を説明せざるを得ないのが、今の私と言うわけだ。
「あっづい」
や、暑いってば。もう暦の上では秋になっちゃってるっていうのに、このむしむし加減は私の心を全力で折りにかかってる。
こうして声を漏らせば、それを受け取る私の大切な友人は某かの反応を示してくれる。
「夏の残り香?」
「や、そういうさあ、香りとか清楚な感じじゃないわけよ。端的に言うとね、あっづい」
「残暑っていうのも癪だから言ってみたんだけど」
「それは良い試みだわメリー。意味は同じでも、色々別なアプローチをかけてみるのって大切なことね」
「聴こえは良いんだけどね。そこまでしまりの無い顔で言われると、やっぱり説得力に欠けるのよねえ」
優雅に扇子を動かしながら、涼しい声色を紡ぐメリーだった。先ほどから見てる限り、汗ひとつかいてる様子が見られない。対する私はというと、そこそこに汗をかきながら、顔だけ彼女の方を向いて、ぐだーっと突っ伏してるばかりだった。
「ねえ、エアコンつけないの」
「冷房苦手なの。あの風、どうも苦手なのよね。冷えすぎるし。足とか腰とか」
「じゃあ何で買ったのよう」
ぐるんと首を回して、横長四角の白色デバイスに視線を送る。ああ、あすこにおわすは偉大なるエアーコンディショナー。今の私がどれほど恨めしい顔になってるのか鏡を見なくても大体予想出来る。多分寝起きの朝一番鏡を覗き込んだときのあれに似てる。
「あれは買ったんじゃないわよ。元々この部屋を借りた時にデフォルトであったの。全然使ってないけど。電気代も馬鹿にならないっていうじゃない? 冬はハロゲンヒーターで済ませてるし」
「うう、この節約家め」
「意識してなくても節約家って名前をつけて良いものかしら?」
「知らないわよう。ああもう、あっづーい」
「そんなに暑いの苦手だっけ、蓮子」
「苦手という程でも。それ言うなら、寒いのだって厭っちゃ厭だし。さむいさむーい言いながらがたがた震えること請け合い」
「そんなこと言われてもね」
「うう、結局暑いのは変わらないのよね……むしむしするし。ああもう」
夏の炎天下とまでは言えずとも、じんわり暑い空気は続く。そんな時に「不思議を探しにいこう!」と宣言する気力も持たず、私は(会員二人だけど)部長権限を以てして、メリーの家でぐだぐだすることに決めたのだ。
大学生の夏休みは無駄に長くて、バイト以外にすること無いとなったらその使い道を模索しなきゃなんない。今日はたまたま二人のバイト休みが重なって、いつものように会うことになって、それでもすること無くて、その結果導かれたのがこの現状だった。
メリーの部屋は、純和風。彼女の名前からわかる通り、彼女は純粋な日本人では無いけれど。でもそこいらで歩いてる誰彼に比べたらよっぽど和の心を重んじるし、そして且つ日本贔屓だなと思う。多分私より箸の使い方は上手い。
『お蕎麦はね……蓮子。本人が美味しいと思える食べ方を自由にするのが良いの。体裁を気にしては愉しめないし、そもそもね、本人の思うところが元々在る食し方に合ってる、少なくとも私はそう信じてる』
お蕎麦屋さんで昼間っからお酒を頂こう、とか言う健全な女子とは程遠い(と各方面から言われるけど正直めんどくさい)先週の私の言葉に乗ってくれた彼女は、そんな小粋な言葉と共に小粋なお蕎麦の食べっぷりを見せてくれた。私はその時点で日本酒を口にしていた為早々にぐだぐだな体を見せていたけど、その様子だけはしっかと覚えてる。山葵をちょいと箸でつまんで、お蕎麦を濃い目のつゆにちょっと浸して、ずずっと吸う。ねえメリー、やっぱりあなた日本人なんでしょ?
「心意気だけはね」
「……私、声に出してた?」
「そんなねえ、じと眼で見られたらわかるってば。何年の付き合いだと思ってるの」
「一年、と。あと半年経ってそれ位だけどメリーさん」
「あらそう? でももう、何年も経ってるように思えるわ。時間の流れって虚ろよね」
そんなことを言う彼女の顔は、涼しいまま。敵わないなあって思う。何処と無く不思議な感じがあるし、顔立ちだって端正で、非の打ち所が無いなあって。女の自分から見てもそう思える。
ぐでーっとした姿勢を起こして、何となく部屋を見渡す。
外観からして新しい感じでは無いメリーのアパートは、その期待を裏切らないように中身もちょっと古めかしい。畳敷きで、扉や窓なんて開け閉めする度にがたがたするし、そんな中にあるエアコンだけが酷く似合ってない。今確認してみたところ、なんか大家の意向だとかなんとか。お上の言い分は、いつだって下には理解されないものだ。なんたって、借主はそのエアコンを一向に使う気が無いのだし。
「じゃあさ、扇風機とかさ。そういうの、無いの」
「壊れちゃった」
「えー?」
「仕方無いでしょ、事実なんだし。元々あんまり使ってなかったんだけどね、こないだちょっと動かしたら止まっちゃった」
「修理に出そうよう」
「……あんまり必要性が無いというか。夜は氷枕あれば充分じゃない? 一回ね、扇風機使いながら寝たことがあったんだけど。体調崩しちゃって」
「おなか丸出しで寝てたとかそういう」
「違うって。何その子供みたいな」
「あれ、そういうの無い? あっついとさあ、捲りたくならない? 無意識にね、やっちゃうわよね。朝起きてからタオルケットどこ行っちゃってるのとかさあ」
「蓮子……」
わかる。これ、憐れみの視線だ。この類は、青っぽい色を保ちながら何処と無く生暖かいという矛盾の奇跡を両立させるものだということを私は知っている。
「知っててどう、ってのもあるけどね」
「いや、だからさ。私今のは声に出してないよ?」
* * *
蝉の声が無くたって、空気はその暑さを誇示し続ける。メリーははたはた扇子を扇いでるし、私はずっとだれてるし。
メリーの部屋にはテレビが無い。元々私も見る方じゃないからその辺りはまぁ良いとして、とにかく今居る空間がこれ以上ない位に静か。
少しでも風を浴びようと思って、窓の方に向った。網戸を開けて、ベランダに顔を出す。幾ら彼女が純和風とは言え、部屋に蚊帳がある訳ではなかったから(それでも蚊の撃退に使うのは蚊取り線香だけれど)、網戸くらいは標準装備してる。
ベランダは洗濯物を干すには丁度良い塩梅の広さがあって(今は何も干されてないけど)、小さなテーブルと椅子くらいならおける程。そして私が言うまでも無く、その有様の実現にぬかりないのがメリーという人物だ。椅子はご丁寧に三つも在る。
「ほぅ」
風はまあ、それなりにあるみたい。むしむしとした空気の中でも、ゆるやかに肌を撫でる程度には風を感じられる。
それにしたって、前にメリーに聞いた部屋のお家賃からすると、こういう場所が備えられているなら満足なお値段の様に思う。上の階にもベランダは同じ様にあって、言うなればその場所は、屋根付きになっているようなものだった。まあ、お値段については。街にはそれなりに近いっていうのに、随分と掘り出し物よね。
「仕方ないなあ。とっておきを出そうかしらね」
立ち上がりながら、メリーが私に語りかける。
「エアコンつけちゃう?」
「それは無い」
「ええー……」
「がっかりしないでよ。今からやるのは、むしろエアコンつけるより贅沢よ」
そう言って、メリーが廊下に出ていくのを遠巻きに見つめていた。そう遠くも無い位置にある廊下から響くがたんがたんと鳴る音が、どういう発生源なのか知ることが出来ない。
からから、からん。
硬いものが、何かに落ちる音。
ぎぃっ。
古めかしいアパートに似合わないドアが、眼の前で開く音。
「これこれ」
「……んー?」
ドアを開いてから。よっこらとメリーが抱えてきたのは、鈍い光を放つ金だらいだった。
どんっ、それを畳の上に置く。
「実家からね、持ってきたのよ。最近使ってなかったけど、たまには良いかしら」
「……こんなの持ってる女子大生は、少なくとも聞いたことが無い」
「あら。じゃあ、聞かずともたった今見たことになるわね。ほんとは、庭付き一戸建ての縁側でやると丁度いいんだけど。夏の神社の境内、中庭を臨む場所なんかねえ、特に良いわよねえ」
「ねえメリー」
「私は日本を愛する外国人で心は日本人よ?」
「……そうよね」
「蓮子、先ベランダ出て」
「うん」
促され、とりもあえずベランダに出る。窓越しに金だらいを受け取って抱えてみると、思ったより重くない。まあ、今は氷しか入ってないし。かららん、と音を鳴らしつつ。それをベランダの床に置く。
「あー……これで、足冷やせって?」
「その通り。贅沢でしょ? 冬は足湯とかあるし。あれ、凄い温まるし気持ち良いじゃない? 暑かったら、冷やしてみましょう。庶民的、かつ優雅だわ」
「そんなものかしら」
「そうそう。水、とってくるわね」
折角用意してくれたものだから、と。靴下をぽいぽい脱ぎ捨てて、裸足になって椅子に腰掛けて待機。ああ、確かに。足を束縛するものが無くなると、とても開放感がある。あとやっぱり、スカート楽だなあ。はたはたやって、空気を入れる。そよそよ漂う風も手伝って、ああ涼し。
「まだ早いわよー、とりあえずこれ注いでね」
「んー?」
視線を向けた先には。昔なつかし、金色の光を放つやかん。中は多分水満タン。
「ねえ、なんでこんなの持っ」
「和の心よねえ、基本的な」
……そうかなあ。
水を注ぐ。かろん、かろん。音を立てて氷は踊る。生憎辺りは曇っているから光に反射してきらきら綺麗、だとかそういう感じにはならなかったけど。
水の注ぎを、ここからあと二回分追加して。メリーもベランダに乗り出して、靴下をぽいぽい脱ぎ捨てる。手には足拭き用のタオルも忘れずに。
「さて」
「さても」
「いざ!」
「いざいざ!」
せーの、で二人して足を浸す。ちゃぷん、ちゃぷん。かろん、かろん。
「ひゃっ」
ひゃっこい。氷の浮いた水に足を入れてみると、本当に冷たい感触が両足を包んでくる。中で浮いてる氷がかろかろ金だらいにぶつかって、その音はやっぱり何処か冷えた感じ。
ちりん、ちりりん。
ふっ、と風が吹く。こういうとき、窓に風鈴がついていれば良いのだ。メリーはその辺り勿論ぬかり無いし、可愛らしい金魚の柄があしらわれたそれを、ちゃぁんと窓に据えている。なるほど確かに、音が涼しいというのは優雅な有様。
「これねえ。自分で持っててあれだけど、頭に落ちてきたら痛いわよねきっと。古典的な意味で」
「ああ、これ位のがぶちあたったらさぞ痛いわ。肉体と精神、二重の意味で」
「でもね蓮子。いきなり頭上から墓石が落ちてくるより良いと思わない?」
「何それ。なんで墓石が」
「そういうこともあるんじゃないかなって。ふと」
たまにメリーはよくわからないことを言う。まあ、いつもの事と言えばそれで済む。「たらいね……悪くないわ」とぶつぶつ言ってるけど、やっぱり理解出来なかった。
「雨が降りそうなのが、残念だけど?」
さくっと自分の発言を流しつつ足を遊ばせながら、メリーが言う。
「降ったらね。ちょっとは涼しくなるかしら。それでも、まだまだ暑いわよ多分」
「かしらねえ。それにしたってこれ、思った通りにつめたいわ」
「うん」
「大分涼しくなったでしょ? 蓮子」
「うん。ありがと」
「どういたしまして」
本当、そうだなって思ったから。感謝の言葉だってすっと出るというものだ。足から冷えて、首筋あたりまでその冷たさが届く感じ。
「ほんとはね、脇の下とか氷水当てると良いらしいわ。寝るときなんか特に」
「何処で知るのそういうの」
「医学知識?」
「や、だからさ」
メリーってば、私の心はこれ以上無い位に読んでくるけど。私は彼女の今考えてること、ましてその過去とか先だとか、そういうのはあんまりわからない。
でも、あんまり不安じゃあ、無いんだ。
ぱちゃぱちゃ、足を動かしながら。僅かに触れる彼女の足は、氷水と同じようにつめたい。
「ああ、そういえば」
「どしたの?」
「そろそろね、雨、降るかしら。やっぱり」
「……そうねえ、やっぱり」
「あの娘、大丈夫かしらねえ」
「ああ、あの娘?」
「降らない内に来れれば良いけど……あ」
ぱら、ぱらぱら。
言ってる内に、空から水が降ってくる。私たちが居る場所でそれに濡れることは無い。なんといっても、三階建ての真ん中で、上にもベランダがあるからね。
どんよりとした灰色の空間で、直ぐ一、二メートル先にある雨が、なんとも捉えずらいものだった。さーっと雨が降っているのは、この音と匂いでこれ以上無い位にわかるというのに。
むしむし暑い空気の最中、ちょっと歩いて手をかざせば判る筈の雨の感触を、確かめる気にもなれない。だって今、足元の氷水が気持ちよすぎたから。
『ひーやー!』
ベランダから臨む向う側。下を通る道。その先で、声をあげながらダッシュする女の子がひとり。その姿は、とっても見慣れたものだった。
「あ」
「あー、やっぱり……このタイミングで傘を持たないのがあの娘らしいというか」
「てんこちゃんだからね」
「ええ。てんこちゃんだから」
ああ、それだけで全てを許せてしまうのは、やはりてんこちゃんだからに違いない。
名残惜しくも足を氷水から出して、用意してもらったタオルで拭いて、あの娘を迎える準備をしよう。
* * *
「お、お、お邪魔します……うう、雨が……なんでいきなり」
ぽたぽたと、綺麗で長い髪先から水滴が零れる。水も滴る良い娘。
「あなたがてんこちゃんだからよ」
「へ!?」
「蓮子の言うことをあんまり間に受けちゃ駄目よ? 流すのはスキルだから。良かったわね、そんな濡れずに済んだみたいで。はい、タオル。ちゃんと新しいやつ」
メリーさんが裏切ったー!
「あ、ありがとうございます!」
にっこりスマイルてんこちゃん、わしわしと髪を拭く。
彼女はというと、私とメリーが良く行く呑み屋、この場所から五分と離れていないその場所でバイトをしていて、暫く会話のやりとりをする内に、プライベートでも遊ぶようになった。本名は「天子(てんし)」だけど、愛称としては「てんこちゃん」のがやっぱり呼びやすい。なんでこんなに可愛いんだろうこの娘。驚くべきは、てっきり年下だと思っていた彼女が、実は私たちと同い年だったということ。見えない。若い。
ああそれにしたって、薄桃色のブラウスがほんと似合うわよねー……
「あっ」
「どうしたの蓮子」
「すっ」
すけすけ。てんこちゃんすけすけ。小花柄か……うん……実に良いわね……いや黒も似合うんじゃないかってちょっと思ったりしてね? いやいやいやそういうんじゃなくってあああもう、
「はっ、」
「馬鹿ねえ蓮子鼻血なんてそうそう出るもんじゃ無いってばってあああああ何ちょっとー!?」
「蓮子さーん!?」
ごめんねてんこちゃん。不埒な私を許して。あとメリーは私のことは何でもわかりすぎだと思う。
*
「大丈夫ですか蓮子さん?」
「だいじょうぶですよてんこちゃん」
「お上せは治まりましたか蓮子さん?」
「おさまりましたよメリーさん」
余計なとこで血を減らしてる場合じゃない。鼻血流したのなんて何年ぶりかわからなかった。そういえば、鼻血出たときに首の後ろとんとんやるのは間違った方法らしいということをメリーに教えてもらった、もといそれをやろうとしたら止められた。お陰で暫く鼻にティッシュ詰め込んだ間抜け面を晒すことになったけど。
ちなみにてんこちゃんはと言うと、メリーから着替えの服を借りてそれを身につけている。ちっ……透けないか……いやでも、これはこれで。
「また何か不埒なこと考えてるわね。金だらい落とすわよ頭に」
「やめてやめて」
やられかねない。金だらいどころか墓石が頭上に降ってきかねない。
「あっ、持ってきましたよ例の」
「うん?」
「瓶なら濡れても平気……よし、タッパーも無事みたいです。ほら、前に約束したじゃないですか? 今度地酒持ってきますよーって。こちらです! ばっちりひやした無濾過原酒、その名も『天人殺し』!」
どんっ、と畳の上に酒瓶が置かれる。でかでかとラベルに記された、天人殺しなるその名前。
「天人殺し。また不穏な銘ね、てんこちゃん」
「そうよう。てんこちゃん死んじゃいそうよそれ」
「あはは、大丈夫ですよ。私も実家から送られてきてたまに呑んでますけど、ばっちり生きてますし。美味しいですよ? 天に住まう者もころりと倒れてしまいそうな美味しさということで、こんな名前らしいのですけど」
自信満々、むんと胸を張るてんこちゃん。
「なら安心して愉しめそうね、ありがとう。あと、そのタッパーは?」
「おつまみも必要かなと思って。ぬか漬けにした胡瓜と茄子を。ちょっと辛めかもしれませんけど。二人のお好みに合うかなって」
「てんこちゃん結婚して」
「へ!?」
「駄目よ蓮子。てんこちゃんと結婚するのはこの私よ」
「なにおう。仕方ない、重婚しよう。海外に飛ぶしかないわ」
「ふむう……それも尤もね。よしその意見採用」
「ええ、ええええ?」
困り顔でうろたえる彼女を見て、私とメリーはからから笑う。悪意を持ってからかってる訳じゃないんだけど、顔を真っ赤にする彼女を見ると、もっと悪戯したくなってくるのだった。
「まあまあ。よし、折角持ってきて貰ったお酒、賞味しないことには納まりつかないってものよ。メリー隊員! ぴっかぴかの大吟醸グラスの用意を!」
「はいはい蓮子隊長」
*
「ひゃっ」
暫く時間が経っていても、たらいの中にある氷水の冷たさは相変わらず。三つある椅子に三人それぞれ腰掛けて、それなりにでっかい金だらいに足を浸す。まだ雨はちょっと零れてる塩梅だったけど、この位ならむしろ肌に涼しい感じがして大変よろしい。
「では」
「それでは」
「かんぱーい!」
かろんかろんと足元の氷を遊ばせて、きぃん、と音を鳴らしつつ。てんこちゃんの持ってきたお酒を並々注いだグラスに口をつける。もうその瞬間から、独特の香りが鼻を突き抜けていく。
「うっわ、何これすごいあまい。これ日本酒? 日本酒なのよね?」
「ああ、はい。日本酒いいとこ取りって言ったら語弊があるかもですけれど。一回はまったら抜けられないみたいですよ」
「ああ、実に香り高いわねえ。芳醇の一言が何だか勿体無いくらい。えっと、じゃあこちらのお漬物も……」
メリーが爪楊枝に刺さった漬物に手を伸ばしたので、私もそれにならう。
まずは胡瓜を、かりかりこりこり。
「んー」
「うん、よく漬かってる。さっぱり浅漬けもいいけど、こういうのも乙よねえ。美味しいわ、てんこちゃん」
「ありがとね」
「や、そんなあ」
まだそんなお酒も進んでないというのに、既にてんこちゃんの顔が真っ赤だ。秋の入り口、夜はまだまだ長いのだから。ゆっくりまったり、愉しもう。あ、茄子もおいし。
そしてふと、ベランダの向う側を覗いてみれば。
「あ、雨」
「やんだわねえ」
「秋の長雨って聞くけど、今回はそうでもなかったのかしら?」
「秋の空は気まぐれだから。そういうこともあるわ。ほら、雲が晴れてく。女心となんとやら、ってねえ」
雲が割れて、大分傾いてしまったらしい陽が、わぁっと辺りを照らしていく。雨の匂いは残っていて、それでいて暑さはもうあんまり気にならなくて、ただ紅く染められた町並みが、私たちの眼の前に広がっていく。
「今夜は月が綺麗に見えそうですねえ」
「ええ。このまま月見酒と洒落込もうかしらね。準備してきた? てんこちゃん」
「お泊りセットばっちりです! ぬかりありません!」
びしっとはっきり元気よく、部屋の中の暗がりを指差す彼女。
「あの布団、三人いけるの?」
「聞いて驚きなさい蓮子隊長。実はこの家には、お布団が二組あるのよ」
「うそ!?」
今までメリーの家にお泊りしたことは数知れず、それでもずっと一組の布団でごろごろ寝てたというのに。いやそれはいいんだけど。むしろいいんだけど。メリーの感触は抱き枕が如し。
「太ってないわよ! そんな太ましくないわよ!」
ええー!?
「何で其処でキレるのよ! 何も言ってないじゃない!」
「ええっと、大丈夫ですよ、私床でも寝れますし」
「だめ」
「だめよ」
「え」
「今から私とメリーのバトルロワイヤルが勃発するわ。どちらがてんこちゃんと同衾するか。命をかけた戦いよ」
「受けて立たざるを得ないわ……もう墓石の用意は出来てる。頭上に注意することね」
「やめてやめて」
ほんとに降ってきたらガード出来る自信が無い。
「な、仲良くしましょうよう」
「大丈夫。わかっててやってるから」
「一年と半年程度の付き合いだけどね。それくらいは」
「そうでしたか。それなら安心ですね!」
私たちの言葉を受け取るや否や、ほっと一息ついた感じでにこー、と笑うてんこちゃんだ。……その笑顔が眩しすぎる……
「あ、ほら。夕陽、ほんと綺麗です」
「ああ、確かに」
「なるほどこれは、一見の価値ありねえ。シチュエーションも申し分無いし」
うら若き乙女が三人揃って、氷水入った金だらいに足をひたひた浸からせて。手元にお酒、天人殺し。おつまみ美味しく、かりかりこりこり。お酒の香りも強いけれど、それ以上に今、雨上がりの道路。その乾きかけの匂いが、ぼんやりと紅く照らす光と一緒に私たちを包んでいる。
「十二分」
「いや全く」
「しあわせな時間ですね」
ほぅ、と溜息。それが三人一緒だったものだから、誰ともつかず笑ってしまった。
「日本酒もよく冷えてるけど、麦酒も冷蔵庫にあるからね。冷奴もあるわよ? 誰かさんが好きだから」
「結婚してメリー」
「はいはい」
「ああー、蓮子さん浮気性」
「重婚するから問題ないのよてんこちゃん」
「へ!?」
「まだまだね」
そうして、笑いあいながら。
何でもない夏の終わり、秋の入り口。
そんな夕暮れが、過ぎていく。
今夜の月は、本当に綺麗なものに違いない。
そんなことを思って、私はまた、杯をくぃと傾ける。
ちゃぷん、ちゃぷん。かろん、かろん。
溶けかけの氷が、静かに音を立てている。
いや、これはいいものです。
たまらん、実にたまらんよ君
蓮子からほとばしってしまうのも無理無からぬ事よ
いい雰囲気ですなぁ…
たのしいことをしているだけなのに、深みがあるというか。
こんな時間なのに飲みたくなってきた
蓮子もメリーも可愛いけど、てんこちゃんが可愛いすぎます。