家に帰ると、コタツに猫がいた。お尻を出して、二つに分かれた尻尾をふりふりと揺らしている。
とても大きな猫だ。寺子屋に通う子どもくらいの大きさだ。
つか、これは猫というよりも、子どもだ。尻尾が生えた少女。
コタツの毛布を捲ると、猫の少女はコタツで泣いていた。
「おーい、何で人様のコタツで泣いてるんだよ」
僕が少し不機嫌な感じで言ってみると、猫耳少女はびくりと動いて、こちらに振り向いた。
「あ……ごめん、なさい……」
少女は真っ赤に泣きはらした目でこちらを見つめ、気まずそうに、申し訳なさそうに喋った。
僕は焦る。そんな弱々しい目で見られると、色々と気まずいからだ。
とりあえず、少女の名前を聞いてみた。
「私? 私は……っぐす。私は橙」
ちぇん、か。じゃあ、ちぇんちゃん……じゃ、余りにも語呂が悪いので、ちぇん、と呼び捨てにすることにした。
「ちぇんは、何で僕の家のコタツで泣いているの?」
「すみません……ぐすっ。実は……私は家出して来たんです」
「家出?」
「はい……。藍しゃまが、紫しゃまが外の世界で買ってきたプリンを食べてしまったから……」
「ぷ、プリン? はて、どんな食べ物かは想像はつかないが、それくらいで家出してしまったのかい?」
「それくらいではないんですっ。私の分も残しておいてくださいって言ったのに……藍しゃまは……私の言ったことを忘れて、食べてしまったんです……」
「はぁ、なるほど。つまり、プリンと言うものを食べられて家出したんじゃなくて、ご主人様が自分の言ったことを忘れてしまったことにショックを受けて、家出して来たわけだね。それで、たまたま鍵を掛けてないこの家のコタツに誘われて、それで泣いてしまった、と」
「はい……仰る通りです。藍しゃまは、私の言ったことを忘れてしまうほど、私のことなんてどうでもいいんだ。と、思ってしまって……それで……」
「なるほど。事情は分かった。ところで、これからどうするつもりなんだい?」
「ふぇ……?」
「だから、家出したのなら泊まるところが必要でしょ? どこで泊まるつもりなの? まさか、野宿とは言わないよね? 今はコタツが恋しいほどの冬なんだから」
「あ……」
「やっぱり、考えずに飛び出したんだね?」
「うぅ……どうしましょう……」
目の前で雨に打たれた捨て猫のようにプルプル震えるちぇんを見て、仕方が無いな、と僕は思った。捨て猫が雨に打たれてたら、やることは一つだよね?
「ちぇん、今日から家に泊まっていきなさい」
「ふぇ? い、いいんですか?」
「もちろん」
「え、えっと…………じゃあ……お言葉に甘えます。えっと、ふつつかものですが、どうぞよろしくお願いしますっ」
と、ちぇんは頭を九十度下げてお願いしてきた。
「うん。こちらこそ、よろしくね」
「はい。えっと、ありがとうございます。おにいちゃん」
最後の単語で全身に電撃を喰らったようなショックが駆け巡った。
おにいちゃん。それは、一人身の僕にとっては夢のような言葉だった。僕はその単語で全てが報われたような気がする。
まずは夕飯の支度をし始めることにした。今日は八匹の魚が釣れたので、ちぇんの分も十分にある。当初の残りは全て日干しにする計画は破棄して、魚を三枚におろし、二匹は焼いて、六匹は刺身にした。後は、茶碗一杯のご飯。家は生憎貧しいので、今日の献立はこれだけだ。
それでも、ちぇんは文句一つ言わずに食べてくれた。一枚一枚大切に刺身を食べていく様子を見ていると、ちぇんをとても大事にしたくなってくる。いや、もちろん当初から大事にしようとは思っていたが。
「ごちそうさまでした」
後片付けも手伝ってくれる。おかげですんなりと片づけが終わった。
片付けが終わった後のお茶はおいしい。もちろん、ちぇんのは冷ましたお茶を渡してやる。
「さて。ちぇん、お風呂に入ってきなよ」
「……」
ちぇんは気まずそうに黙ってしまう。
「どうかしたの?」
「実は……水か被ってしまうと、式神が外れてしまうんです」
「あぁ、そっか。そういやちぇんは式神だっけかぁ。じゃあ、普段お風呂はどうしてんの?」
「水を被らなければいいので、濡れた布とかで体を拭いてます。えっと……」
再びちぇんがどもる。
「どうしたの?」
「えっと、体、拭いてくれませんか?」
「うぇ?」
ちぇんはもじもじしながら、顔を赤くして、再びお願いしてくる。
「だから……一人じゃ拭けないから……おにいちゃん、手伝って?」
「えっと……」
ちぇんが目を潤ませ、お風呂に入ったわけでもないのに、顔を紅潮させて頼んでくる。ちぇんも恥を忍んで頼んでいるのだろう。断ったら、ちぇんの頑張りが無駄になってしまうような気がする。そう思って、僕は快諾した。この決断に、下心は含まれていないと断言出来る……多分。
ちぇんが服を脱ぐのを手伝い、露になった肌をお湯に浸し、よく絞った布で拭く。拭く度に、ちぇんはぴくんっ!、と体を震わせ、時折「んっ……」という息も漏らす。何でだろうか、ただ体を拭いてあげているだけなのに、胸中に罪悪感が溜まっていく。拭き終わった時には、何か大切なものを落としてしまったような感覚に囚われた。一体、何なのだろうか。今度、慧音先生にでも聞いてみようと思う。
ちぇんは長い時間お湯に浸かったかのように、顔が真っ赤だ。傍から見ればのぼせてしまったとしか見えない。そんなに、お湯が熱かったのだろうか。聞いてみたが、「ううんっ。ちょうどよかったよ。ただ……う、ううんっ! やっぱ、気にしないでっ!」と、逃げるようにして、予め僕が用意していた部屋に逃げてしまった。じゃあ、何で赤くなってたのだろうか。今度慧音先生に聞いてみよう。
夜。中々寝付けない僕はいつもとは違う毛布を被り、固い床で横になっている。家にある最上級の毛布と唯一の布団は、ちぇんに譲っているからだ。床は冷たいし、毛布はぼろくて、あんまり機能していないが、ちぇんが温かくして寝ていると思うと、体は冷えても心が温かくなった。
今日は、この心の温もりで寝るか。と思い、目を閉じると、襖が開く音がした。視線を向けると、そこには家にある唯一の枕を抱えるようにして持った、ちぇんが立っていた。
「どうした?」
「……一人じゃ、寂しくて、怖くて……だから、おにいちゃん。一緒に……寝て?」
ちぇんが涙目でそう訴えて来た。よほど怖かったのだろうか、体が微かにぷるぷると震えている。
僕はちぇんがあまりにも可愛そ――じゃなくて、可哀想だったので、ちぇんと一緒に寝ることにした。ちぇんは腕の中にすっぽりと納まってしまう形で寝ているため、ちぇんの温かさ、匂い、柔らかさが布二枚を通して、直に伝わってきた。
今にして思うと、ちぇんは僕が固い床とぼろい毛布で寝ているのに同情して、一緒に寝ようと誘ってきてくれたのかもしれない、と思った。優しい、いい娘だから、それは十分にあり得る。しかし、やはり寂しいという気持ちはあったみたいだった。それは、ちぇんが寝言で呟いたこの一言で確信した。
「らんしゃま……」
目から涙を流しながら、僕に縋り付くようにして、顔を埋める。この一言は、僕にあることをさせること動機としては十分だった。
ちぇんと住み始めて、一週間が経った。いつもと同じように、朝起きて、朝ご飯を食べ、僕が食料を採りに行き、ちぇんはお留守番。お昼に帰ってきて、お昼ご飯を食べ、ちぇんと一緒に遊んだり、昼寝をしたりして、午後を過ごし、夕ご飯へ。食べ終わったら、ちぇんの体を拭き、僕もお風呂に入り、少し夜風に当たって、一緒に寝る。基本、その繰り返しだった。
一週間、僕は待った。ある人を。そして、一週間経った時、その人はとうとう来た。
「橙!」
買ってきたお手玉を使ってちぇんと遊んでいる時に、一際大きい声が居間に響いた。
ちぇんは一発で、誰かを聞き当てた。
「藍しゃま!?」
ちぇんが玄関に向かうと、そこには――九本のもふもふした尻尾を持つ女性が立っていた。ちぇんは真っ直ぐ、その人の胸の中に飛び込み、もふもふの人はしっかりと抱きとめた。
「藍しゃま! 藍しゃま!」
「橙! よかった! 心配したんだぞ!」
「藍しゃまが! 橙のことなんてどうでもいいんだと思って!」
「そんなわけ、あるはずがないじゃないか! あの時は紫様がプリンを二つ食べてしまって、それで私も気落ちしてしまっていたんだ。それで、冷蔵庫にプリンがあるのを見つけて、つい……! 私が悪かった! ごめんよ、橙!」
何やら誤解も解けたようだし、一件落着だ。僕は感動で胸が一杯になる。
「ところで、どうして藍しゃまはここに私がいるって分かったのですか?」
「あぁ、それはだな。これが人里に張り出されてたんだ」
もふもふの人は懐から一枚の紙を取り出した。その紙は――僕が朝、人里に行った時に、張ったものだ。そこには『ちぇんという猫を拾ってます。主の方が居られましたら――』と以下にはここの場所が記された地図を載せてある。ちぇんが泣いた夜の翌朝に張ったのだ。だから、解せないことがある。
「藍さん、と言いましたか?」
「あぁ、これはこれは。どうも家の橙がお世話になりまして……」
「いや、それはいいんですが……張り紙は一週間前に張り出した筈ですけど、どうしてこんなに遅くなったのですか?」
そう。もしも、張り紙の存在を見つけるのが遅かったとしても、一週間はないだろう。なぜなら、情報は人里で集めるのが通例だし、よしんばそうでなかったとしても、普段人里を利用していてちぇんを知っている人がいたら、このもふもふの人に伝えるはずだ。どうして、ここに来るのに一週間かかってしまったのか。それが気になる。
「あぁ、それはだね。これを紫様に買ってくるように頼んでいたからなんだ。そもそも原因は紫様にあるからね。尻を蹴っ飛ばしてでも行かせましたよ」
と、もふもふの人は地面に何時の間にか置いてあった紙袋をつかみ、その中身を取り出す。ところで、もふもふの人は紙袋を持っていたっけ? 後、地面に水滴が何滴か垂れたような染みが……まぁ、それは置いておいて。
彼女が取り出したのは、なんかの丸い容器に九割が黄色く、底辺の一部が茶色い、初めて見るものだった。
ちぇんがそれに気付き、叫ぶ。
「プリン!」
「え? これがプリン?」
なるほど。これがちぇんともふもふの人を一時的に切り離した原因か。
「これを買いに行かせてたせいで遅れたんですよ。橙と一緒に食べようと思いましてね。さぁ、橙。帰るよ」
「え……?」
ちぇんは目を丸くして、呆けた声を出した。
「どうした? 橙、帰るよ? 」
「え、あ、あぁ。はい……」
ちぇんは何か元気がないように見える。事実尻尾が全然嬉しそうに揺れていない。どうしたのだろうか。待望の人が迎えに来たのだから、もっと喜んでいいんじゃ?
「えっと……藍しゃま」
「ん? 何だい? 橙」
「そのプリン、何個ありますか?」
「ん? えっと、二個、あるな。何でも限定品らしく、最後の二つしか残ってなかったそうなんだ。全く、あの隙間ババァは」
「えっと、藍しゃま?」
「おっと、何でもない。それで、このプリンがどうかしたのか?」
「あ、はい。その内の一個を、おいちゃんにあげてもいいですか?」
「おにいちゃん? あぁ、そこの人ね。って、え!? それじゃ、プリンが一つになっちゃうよ!?」
「私の分を減らせばいいでしょう。ですから、おにいちゃんにあげてもらえませんか?」
「うーん……ごめん、橙。やっぱりこれは、あげられないよ」
「え……」
ちぇんの尻尾がしょんぼりと下がる。
「ごめんな、橙。そこの人も、ごめんなさい」
「え? あ、僕は特に気にしてませんので。大丈夫です」
「そうですか。また、お礼は改めてしますので、それでは。ほら、行くよ。橙」
ちぇんの手をもふもふの人が握り、歩き始めた。これであの娘とお別れか、と思うと、一抹の寂しさが胸を締める。
せめて、あの分かりやすい尻尾を見ながら見送るか、と思い、ジッとちぇんの分かれた尻尾を凝視する。
ちぇんの尻尾は元気がなさそうに、右に振り、左に振り、そして、元気良くぴーんと伸びた。あれ?
ちぇんは手を振りほどき、こちらに向かって走ってくる。もふもふの人も何が何だか分からない様子だ。
見ると、ちぇんの手には、プリンと恐らくプリンを掬って食べるのが目的の器具、が握られていた。
「おにいちゃん。抱っこして!」
ちぇんは目の前まで来て、いきなりそういうことを言った。訳が分からなかったが、とりあえず言われた通りに抱っこする。ちぇんはプリンの蓋を開け、掬うものでプリンを掬い、食べ始める。
あぁ、なんだ。プリンはここで食べたいということなのか。僕はそう思い、苦笑いをする。もふもふの人も僕と同じように苦笑いをしていた。ちぇんがプリンを食べ終え、僕は、あぁ、ようやく帰るのか、と思う。恐らくもふもふの人も思っていただろう。だが、それは違った。
「私のはじめて、おにいちゃんにあげるね」
急に視界いっぱいに目を瞑ったちぇんの顔が広がり、口の中には甘く、それでいて少しほろ苦い味が広がっていった。
一瞬、何が起きたか分からなかった。しばらくすると、ちぇんの顔が僕の顔から離れ、ちぇんは「私からの甘いプレゼント」と言って、頬を赤らめ、にっこりと笑い、僕の腕の中から飛び出して、勢い良く駆け出して行った。
口の中に未だ、甘さとほろ苦さが残る。ふと、もふもふの人を見ると、完全に固まっていた。
その後、もふもふの人が「橙の気持ちを尊重するか、こいつを八つ裂きにするか、どっちがいいだろう……?」とか、物騒なことを呟き始めたので、必死の御持て成しと、説得を持って、どうにか命を長らえさせることが出来た。それでも、説得の最中、あの甘さと苦さを味わっていたのは言うまでもない。
とても大きな猫だ。寺子屋に通う子どもくらいの大きさだ。
つか、これは猫というよりも、子どもだ。尻尾が生えた少女。
コタツの毛布を捲ると、猫の少女はコタツで泣いていた。
「おーい、何で人様のコタツで泣いてるんだよ」
僕が少し不機嫌な感じで言ってみると、猫耳少女はびくりと動いて、こちらに振り向いた。
「あ……ごめん、なさい……」
少女は真っ赤に泣きはらした目でこちらを見つめ、気まずそうに、申し訳なさそうに喋った。
僕は焦る。そんな弱々しい目で見られると、色々と気まずいからだ。
とりあえず、少女の名前を聞いてみた。
「私? 私は……っぐす。私は橙」
ちぇん、か。じゃあ、ちぇんちゃん……じゃ、余りにも語呂が悪いので、ちぇん、と呼び捨てにすることにした。
「ちぇんは、何で僕の家のコタツで泣いているの?」
「すみません……ぐすっ。実は……私は家出して来たんです」
「家出?」
「はい……。藍しゃまが、紫しゃまが外の世界で買ってきたプリンを食べてしまったから……」
「ぷ、プリン? はて、どんな食べ物かは想像はつかないが、それくらいで家出してしまったのかい?」
「それくらいではないんですっ。私の分も残しておいてくださいって言ったのに……藍しゃまは……私の言ったことを忘れて、食べてしまったんです……」
「はぁ、なるほど。つまり、プリンと言うものを食べられて家出したんじゃなくて、ご主人様が自分の言ったことを忘れてしまったことにショックを受けて、家出して来たわけだね。それで、たまたま鍵を掛けてないこの家のコタツに誘われて、それで泣いてしまった、と」
「はい……仰る通りです。藍しゃまは、私の言ったことを忘れてしまうほど、私のことなんてどうでもいいんだ。と、思ってしまって……それで……」
「なるほど。事情は分かった。ところで、これからどうするつもりなんだい?」
「ふぇ……?」
「だから、家出したのなら泊まるところが必要でしょ? どこで泊まるつもりなの? まさか、野宿とは言わないよね? 今はコタツが恋しいほどの冬なんだから」
「あ……」
「やっぱり、考えずに飛び出したんだね?」
「うぅ……どうしましょう……」
目の前で雨に打たれた捨て猫のようにプルプル震えるちぇんを見て、仕方が無いな、と僕は思った。捨て猫が雨に打たれてたら、やることは一つだよね?
「ちぇん、今日から家に泊まっていきなさい」
「ふぇ? い、いいんですか?」
「もちろん」
「え、えっと…………じゃあ……お言葉に甘えます。えっと、ふつつかものですが、どうぞよろしくお願いしますっ」
と、ちぇんは頭を九十度下げてお願いしてきた。
「うん。こちらこそ、よろしくね」
「はい。えっと、ありがとうございます。おにいちゃん」
最後の単語で全身に電撃を喰らったようなショックが駆け巡った。
おにいちゃん。それは、一人身の僕にとっては夢のような言葉だった。僕はその単語で全てが報われたような気がする。
まずは夕飯の支度をし始めることにした。今日は八匹の魚が釣れたので、ちぇんの分も十分にある。当初の残りは全て日干しにする計画は破棄して、魚を三枚におろし、二匹は焼いて、六匹は刺身にした。後は、茶碗一杯のご飯。家は生憎貧しいので、今日の献立はこれだけだ。
それでも、ちぇんは文句一つ言わずに食べてくれた。一枚一枚大切に刺身を食べていく様子を見ていると、ちぇんをとても大事にしたくなってくる。いや、もちろん当初から大事にしようとは思っていたが。
「ごちそうさまでした」
後片付けも手伝ってくれる。おかげですんなりと片づけが終わった。
片付けが終わった後のお茶はおいしい。もちろん、ちぇんのは冷ましたお茶を渡してやる。
「さて。ちぇん、お風呂に入ってきなよ」
「……」
ちぇんは気まずそうに黙ってしまう。
「どうかしたの?」
「実は……水か被ってしまうと、式神が外れてしまうんです」
「あぁ、そっか。そういやちぇんは式神だっけかぁ。じゃあ、普段お風呂はどうしてんの?」
「水を被らなければいいので、濡れた布とかで体を拭いてます。えっと……」
再びちぇんがどもる。
「どうしたの?」
「えっと、体、拭いてくれませんか?」
「うぇ?」
ちぇんはもじもじしながら、顔を赤くして、再びお願いしてくる。
「だから……一人じゃ拭けないから……おにいちゃん、手伝って?」
「えっと……」
ちぇんが目を潤ませ、お風呂に入ったわけでもないのに、顔を紅潮させて頼んでくる。ちぇんも恥を忍んで頼んでいるのだろう。断ったら、ちぇんの頑張りが無駄になってしまうような気がする。そう思って、僕は快諾した。この決断に、下心は含まれていないと断言出来る……多分。
ちぇんが服を脱ぐのを手伝い、露になった肌をお湯に浸し、よく絞った布で拭く。拭く度に、ちぇんはぴくんっ!、と体を震わせ、時折「んっ……」という息も漏らす。何でだろうか、ただ体を拭いてあげているだけなのに、胸中に罪悪感が溜まっていく。拭き終わった時には、何か大切なものを落としてしまったような感覚に囚われた。一体、何なのだろうか。今度、慧音先生にでも聞いてみようと思う。
ちぇんは長い時間お湯に浸かったかのように、顔が真っ赤だ。傍から見ればのぼせてしまったとしか見えない。そんなに、お湯が熱かったのだろうか。聞いてみたが、「ううんっ。ちょうどよかったよ。ただ……う、ううんっ! やっぱ、気にしないでっ!」と、逃げるようにして、予め僕が用意していた部屋に逃げてしまった。じゃあ、何で赤くなってたのだろうか。今度慧音先生に聞いてみよう。
夜。中々寝付けない僕はいつもとは違う毛布を被り、固い床で横になっている。家にある最上級の毛布と唯一の布団は、ちぇんに譲っているからだ。床は冷たいし、毛布はぼろくて、あんまり機能していないが、ちぇんが温かくして寝ていると思うと、体は冷えても心が温かくなった。
今日は、この心の温もりで寝るか。と思い、目を閉じると、襖が開く音がした。視線を向けると、そこには家にある唯一の枕を抱えるようにして持った、ちぇんが立っていた。
「どうした?」
「……一人じゃ、寂しくて、怖くて……だから、おにいちゃん。一緒に……寝て?」
ちぇんが涙目でそう訴えて来た。よほど怖かったのだろうか、体が微かにぷるぷると震えている。
僕はちぇんがあまりにも可愛そ――じゃなくて、可哀想だったので、ちぇんと一緒に寝ることにした。ちぇんは腕の中にすっぽりと納まってしまう形で寝ているため、ちぇんの温かさ、匂い、柔らかさが布二枚を通して、直に伝わってきた。
今にして思うと、ちぇんは僕が固い床とぼろい毛布で寝ているのに同情して、一緒に寝ようと誘ってきてくれたのかもしれない、と思った。優しい、いい娘だから、それは十分にあり得る。しかし、やはり寂しいという気持ちはあったみたいだった。それは、ちぇんが寝言で呟いたこの一言で確信した。
「らんしゃま……」
目から涙を流しながら、僕に縋り付くようにして、顔を埋める。この一言は、僕にあることをさせること動機としては十分だった。
ちぇんと住み始めて、一週間が経った。いつもと同じように、朝起きて、朝ご飯を食べ、僕が食料を採りに行き、ちぇんはお留守番。お昼に帰ってきて、お昼ご飯を食べ、ちぇんと一緒に遊んだり、昼寝をしたりして、午後を過ごし、夕ご飯へ。食べ終わったら、ちぇんの体を拭き、僕もお風呂に入り、少し夜風に当たって、一緒に寝る。基本、その繰り返しだった。
一週間、僕は待った。ある人を。そして、一週間経った時、その人はとうとう来た。
「橙!」
買ってきたお手玉を使ってちぇんと遊んでいる時に、一際大きい声が居間に響いた。
ちぇんは一発で、誰かを聞き当てた。
「藍しゃま!?」
ちぇんが玄関に向かうと、そこには――九本のもふもふした尻尾を持つ女性が立っていた。ちぇんは真っ直ぐ、その人の胸の中に飛び込み、もふもふの人はしっかりと抱きとめた。
「藍しゃま! 藍しゃま!」
「橙! よかった! 心配したんだぞ!」
「藍しゃまが! 橙のことなんてどうでもいいんだと思って!」
「そんなわけ、あるはずがないじゃないか! あの時は紫様がプリンを二つ食べてしまって、それで私も気落ちしてしまっていたんだ。それで、冷蔵庫にプリンがあるのを見つけて、つい……! 私が悪かった! ごめんよ、橙!」
何やら誤解も解けたようだし、一件落着だ。僕は感動で胸が一杯になる。
「ところで、どうして藍しゃまはここに私がいるって分かったのですか?」
「あぁ、それはだな。これが人里に張り出されてたんだ」
もふもふの人は懐から一枚の紙を取り出した。その紙は――僕が朝、人里に行った時に、張ったものだ。そこには『ちぇんという猫を拾ってます。主の方が居られましたら――』と以下にはここの場所が記された地図を載せてある。ちぇんが泣いた夜の翌朝に張ったのだ。だから、解せないことがある。
「藍さん、と言いましたか?」
「あぁ、これはこれは。どうも家の橙がお世話になりまして……」
「いや、それはいいんですが……張り紙は一週間前に張り出した筈ですけど、どうしてこんなに遅くなったのですか?」
そう。もしも、張り紙の存在を見つけるのが遅かったとしても、一週間はないだろう。なぜなら、情報は人里で集めるのが通例だし、よしんばそうでなかったとしても、普段人里を利用していてちぇんを知っている人がいたら、このもふもふの人に伝えるはずだ。どうして、ここに来るのに一週間かかってしまったのか。それが気になる。
「あぁ、それはだね。これを紫様に買ってくるように頼んでいたからなんだ。そもそも原因は紫様にあるからね。尻を蹴っ飛ばしてでも行かせましたよ」
と、もふもふの人は地面に何時の間にか置いてあった紙袋をつかみ、その中身を取り出す。ところで、もふもふの人は紙袋を持っていたっけ? 後、地面に水滴が何滴か垂れたような染みが……まぁ、それは置いておいて。
彼女が取り出したのは、なんかの丸い容器に九割が黄色く、底辺の一部が茶色い、初めて見るものだった。
ちぇんがそれに気付き、叫ぶ。
「プリン!」
「え? これがプリン?」
なるほど。これがちぇんともふもふの人を一時的に切り離した原因か。
「これを買いに行かせてたせいで遅れたんですよ。橙と一緒に食べようと思いましてね。さぁ、橙。帰るよ」
「え……?」
ちぇんは目を丸くして、呆けた声を出した。
「どうした? 橙、帰るよ? 」
「え、あ、あぁ。はい……」
ちぇんは何か元気がないように見える。事実尻尾が全然嬉しそうに揺れていない。どうしたのだろうか。待望の人が迎えに来たのだから、もっと喜んでいいんじゃ?
「えっと……藍しゃま」
「ん? 何だい? 橙」
「そのプリン、何個ありますか?」
「ん? えっと、二個、あるな。何でも限定品らしく、最後の二つしか残ってなかったそうなんだ。全く、あの隙間ババァは」
「えっと、藍しゃま?」
「おっと、何でもない。それで、このプリンがどうかしたのか?」
「あ、はい。その内の一個を、おいちゃんにあげてもいいですか?」
「おにいちゃん? あぁ、そこの人ね。って、え!? それじゃ、プリンが一つになっちゃうよ!?」
「私の分を減らせばいいでしょう。ですから、おにいちゃんにあげてもらえませんか?」
「うーん……ごめん、橙。やっぱりこれは、あげられないよ」
「え……」
ちぇんの尻尾がしょんぼりと下がる。
「ごめんな、橙。そこの人も、ごめんなさい」
「え? あ、僕は特に気にしてませんので。大丈夫です」
「そうですか。また、お礼は改めてしますので、それでは。ほら、行くよ。橙」
ちぇんの手をもふもふの人が握り、歩き始めた。これであの娘とお別れか、と思うと、一抹の寂しさが胸を締める。
せめて、あの分かりやすい尻尾を見ながら見送るか、と思い、ジッとちぇんの分かれた尻尾を凝視する。
ちぇんの尻尾は元気がなさそうに、右に振り、左に振り、そして、元気良くぴーんと伸びた。あれ?
ちぇんは手を振りほどき、こちらに向かって走ってくる。もふもふの人も何が何だか分からない様子だ。
見ると、ちぇんの手には、プリンと恐らくプリンを掬って食べるのが目的の器具、が握られていた。
「おにいちゃん。抱っこして!」
ちぇんは目の前まで来て、いきなりそういうことを言った。訳が分からなかったが、とりあえず言われた通りに抱っこする。ちぇんはプリンの蓋を開け、掬うものでプリンを掬い、食べ始める。
あぁ、なんだ。プリンはここで食べたいということなのか。僕はそう思い、苦笑いをする。もふもふの人も僕と同じように苦笑いをしていた。ちぇんがプリンを食べ終え、僕は、あぁ、ようやく帰るのか、と思う。恐らくもふもふの人も思っていただろう。だが、それは違った。
「私のはじめて、おにいちゃんにあげるね」
急に視界いっぱいに目を瞑ったちぇんの顔が広がり、口の中には甘く、それでいて少しほろ苦い味が広がっていった。
一瞬、何が起きたか分からなかった。しばらくすると、ちぇんの顔が僕の顔から離れ、ちぇんは「私からの甘いプレゼント」と言って、頬を赤らめ、にっこりと笑い、僕の腕の中から飛び出して、勢い良く駆け出して行った。
口の中に未だ、甘さとほろ苦さが残る。ふと、もふもふの人を見ると、完全に固まっていた。
その後、もふもふの人が「橙の気持ちを尊重するか、こいつを八つ裂きにするか、どっちがいいだろう……?」とか、物騒なことを呟き始めたので、必死の御持て成しと、説得を持って、どうにか命を長らえさせることが出来た。それでも、説得の最中、あの甘さと苦さを味わっていたのは言うまでもない。
大抵のSSで必要以上にキャラと絡むオリキャラは嫌われるのに。
まあまあの作品(あるいはネチョの方)ならオリキャラでも擁護できる可能性あるけど上の人が言ってるように中身がないので遠慮せず言えば、貴方ご自身の脳内性交渉としか思えませんでした^^;ま、オリ男いるって注釈あるのに開いた俺が悪いとも言えますがw
プリンの甘さを感じるような、良い話でした
貴方の自己満足でどう悶えろと?
でもこれ、
改稿してネチョっとさせてもウケるかな、と思いました。
あ、あと作者の局地的に汎用性の高い名前に噴きましたw
そのキャラが幸せな様を見て悶えられる人なのかな。自分のことだが。
実際、この橙の性格が好き。悶えたぜ。
どうでも良いんだけど、この男を自分になぞらえてはいない。