時たまに、無性に噛みたくなるのです。黒髪に隠れた耳を鼻だけで探り当て、口づけてかぷりと一発。
前歯の真っ平らなところで、糸切り歯の尖ったところで、臼歯のくぼんだところで、奥歯の圧力がかかるところで。
柔らかくて薄い縁を。骨を感じる中ほどを。厚みと弾力がある耳たぶを。しつけのなってない畜生のように我慢ならず噛みつきたいと考えてしまうのです。
あなたの笑顔が見たいと思います。でも私にじゃない笑顔は泣きそうになるので控えていただけると助かります。
悪戯いじわるな笑顔でいいから私にちょうだいな。困らせられるばっかりだから、たまには困らせてみたい。
だけど私に構ってくれるんなら何でもいいです。悪戯しておどかして行方眩まして正体不明を保つためなら何度だって引っ掛かりましょう。驚きましょう。撒かれましょう。
愛の反対が憎しみじゃなくて無関心と言った人は天才だと思います。まったくもってその通り。特に妖怪なんて生き物には。
だから構って下さい。私はうさぎなんかじゃないけれど、さみしいとたぶんヘンになります。
死ぬことはないけれど、泡くらいにはなってしまうかもしれません。だから消える前にちゃんと捕まえて。
日常の何気ない一挙一動、一挙手一投足がとても気になります。あなたは一日の内、どれだけ私のことを考えてくれますか。
四六時中私のことを考えてくれたら嬉しいけど無理なのは百も承知です。
だからせめて一時でいいから私のことを考えて何も手につかなくなるくらいに考えてくれたらとっても嬉しいです。
私は妖怪です。だけど寿命がありません。幽霊でもあるからです。幽霊にしては嫉妬心がやけに強いです。
それは根っこは未だ人間だからだと思います。あなたは私を愛していると、愛してくれると言ってくれました。
私も愛しています。……私より先に死ぬのにね。
死んだら百年待っています。私のこと好きなら、愛してるなら、百年以内に何とかして帰ってきて下さい。逢って下さい。
別にもっともっと待てるけど、寿命がない体は気が遠くなるような時間を待てるけれど。
それより前にさみしくて心が、頭が、気がおかしくなって狂ってどうにかなってしまいそうなので猶予は百年。
でもできるだけ早く帰ってきて下さい。だけどなるべく長生きしてよね。
愛を感じられるのなら、痛いのでもいいです。あなたを直に感じたい。
抱きしめられて骨が折れたっていいし、切り刻まれるくらいに爪を立てられてもいいし、抉られ凹むぐらいに牙を突き立てられてもいい。
だから言葉は私を傷つけないで下さい。私は妖怪云々を抜いても他の人より心がとびっきりに弱いのです。嘘は嫌いです。だから心底愛してください。
覚妖怪ではないので心の中は覗けません。でもあなたの表情、声音、仕草その他諸々でだいたい何を考えているのか分かるようになりました。
だけど愛情表現はして下さい。どんなかたちでもいいので私にたくさんたくさん伝えて下さい。私からもいっぱい返します。
ただの恋する乙女でいてはダメですか。人は好きという気持ちで強くもなり弱くもなります。
どちらかというと私は弱くなったような気がします。だけどあなたを好きになって良かったです。
だってこんなにも幸せ幸せ幸せ、幸せ、幸せ、幸せ幸せ。あなたが幸せなら私ももっと幸せ。
時たまに、無性に噛みたくなるのは不安からだそうです。幼子の指しゃぶりと同じような原理なんだとか。
私はいつも不安で不安定で、ゆらゆら揺れています。支えて下さい受け止めて下さい。
あなたに私のものだと何か目印をつけないと心配なのです。信用していないわけではありません。
それでも揺らいでしまうこの弱い心を許して下さい。良い子の皮はもう脱ぎ捨ててもいいですか。
私はわたしに還りたい。
私の全部をあげるから、あなたの全部を欲しいと思うのはわがままでしょうか。
大昔みたいに、私利私欲で「ひと」を殺したりはしないから成長しているはずなんですが。
知らない誰かと話していても、知らない誰かのことを私に話してきても怒らず笑顔で聞いてあげますから、だからあとでいっぱい甘やかして下さい。
じゃないとそいつのこと、消してしまうかもしれないから。え、何ですか、おかしいですって? ご冗談を。だって今の私には彼女が全てで他の人は二の次なのですから。
性別とか種族とか立場とか、なんかもう。全部考えるのが面倒になった。
好きに理由っているのかしら。愛情表現なんて千差万別でしょうよ。
邪念は私の心に巣食って根を張った。手を押さえつけなければ。
この世界に海はない。でも水難事故とは何も海に限ったことではないのだ。湖、池や沼、屋内の風呂だって水難事故は起こりうる。
「ねぇ、私のこと好きなんだよね? だったら死んで。溺れて死んで。でもって私とおんなじになってよ」
彼女の白い首筋に両手を添えて。声が反響する浴室に私と二人っきり。
振動が手に伝わってくる。綺麗事は頭の中で、心の中で星の数ほど繰り返した。
妄執して、我執して、偏執して。あぁ……ずっと一緒にいようね。終わることのない生を、とこしえなる未来を共に過ごそうね。
もがき苦しむ顔すら愛おしい。
自分の目が細くなる。口角が上がる。幸せが近付く音が聞こえてくる。
私はこの両の手で。
き ゅ っ と 、 ひ ね っ た 。