「ねぇ、ハグしよう!」
「寝ぼけてんのかこの妖獣」
これは、命蓮寺のよくある日常を切り取った話である。
封獣ぬえという少女はどうにもこうにも村紗水蜜のことが好きだった。
寝ても醒めても水蜜。夢の中でも水蜜。うふふ、あはは。
ねぇー待ってよ、待つかこの妖獣、もう水蜜ったら恥ずかしがりやさんなんだからぁ!
寝言の中でもみなみちゅ、みなみちゅ。
ぬえが好物のパフェを出されても3秒だけ悩んでから水蜜をとるくらいに好きだった。
いや、この数字はぬえにしては驚異的な数字なのだ。
誕生日ケーキのろうそくの火を自分の代わりに吹き消されたとしても。
クリスマスケーキの甘いサンタさんをかじられても。
瞬殺じゃなくて半殺しくらいで許してあげようと思うくらいに水蜜のことが好きだった。
寒い冬の日には背中に手をつっこんで暖をとるくらいに。
むき出し魅惑のひざ裏を見るとひざカックンしたくなるくらいに。
料理の中に自分の嫌いなたまねぎがあると水蜜の皿に移動させるくらいに。
手を洗ったらその水滴を顔にぴっぴっと飛ばすくらいに。
いたずらといやがらせが、微妙な信頼関係との上に成り立っている二人なのである。
え、好きじゃなくない? という問いは野暮である。
正体不明であるぬえは思考そのものも正体不明であり、もはや常人には理解できないレベルなのだ。
「妖獣じゃなくって妖怪だって何回言ったら分かるの」
「私にはあんぽんたんな獣に思えます」
「じゃあ百歩譲ってケモノでいいからハグして!」
「いや、その脈絡はおかしい」
「ちゃんと許可とるだけ紳士だと思わない?」
「思わない。せいぜい淑女」
「うん、女の子だもんね。って論点そこじゃない!!」
台所で水蜜が洗い物をしている後ろで、ぬえは椅子に座っていた。
いや、座っていると表現するのは語弊があるかもしれない。
「それやめなさい。床も椅子も傷つくから」
「んじゃあハグしてー、ハグハグー!」
椅子に反対向きに座り、背もたれに頬杖をついて、斜めに浮かせては下ろし。また浮かせては下ろし。という遊びを繰り返していた。
ぺたん、ぱたんと物悲しく音がたつ。けれど洗い物の水音の方が大きかった。
「ねぇってばぁ! こっち来てよ!」
「これ終わったらね」
「もう洗い物ないでしょ? いつまでやってんの」
「今から掃除するの。水回りはちゃんと綺麗にしておかないと、やつが出るわよ」
「黒い悪魔はいやだぁぁぁあああ」
「ならもう少し辛抱なさい。冷蔵庫にプリンあるの食べていいから」
水蜜が言うが早いか、ぬえはすっくと立ち上がり冷蔵庫へと直進。開けて、中の3番目の棚にお目当てのものを見つけた。
あまぁい黄色と、ちょっぴり大人な焦げ茶の黄金比率。おこさまに大人気のプリンだ。
ぬえの目は恋する乙女のように輝き、とろけた笑顔を浮かべる。
「それ、ほんとは私のなんだけどね。あんたがうるさいからあげるわ」
「やったね! 水蜜大好き!」
「はいはい」
「もちろんプリン抜きでね?」
「……はいはい」
水蜜の手が一瞬止まったのをぬえは見逃さなかった。
「ハグってねーストレス解消にとってもいいらしいよ」
「私のストレスの最たる要因さんが何をおっしゃるか」
「他にもね、腰痛、肩こり、頭痛、関節痛、神経痛なんかにもいいって」
「なにその温泉みたいな効果」
「あと金運恋愛運アップして、宝くじ当選とか、恋人もできるってもっぱらの噂よ」
「なにその悪徳商法」
「ねぇーだからさ、ぎゅうってしようよ。あとで肩揉んであげるし」
「ウチにはただでさえ金運の神さまみたいな人がいるし。いいわ。お金なんてなくたって生きていけるし」
プリンは綺麗さっぱり平らげられ、ぬえは残ったカラメルソースを指ですくって舐める作業に移っていた。
「やめなさい、みっともない」
「水蜜しか見てないからいいじゃん」
「あんたは子どもか」
「取り繕わないでありのままの自分でいるだけだよ」
「あっそうですか」
「みーなぁみーつぅー、構って、ひと肌恋しいの」
「私以外にもいるでしょう」
「やだ。それに? 他の人とハグなんてしたら怒るくせに」
「……まぁね。今日の夕飯は何がいい?」
「からあげ食べたい」
「もうこのままついでに作るわ」
本格的に夕飯の準備にとりかかりはじめた水蜜を見て、ぬえは諦めた。
エプロン似合うなぁぬゅふふ、だなんて考えながら、まぁ今日じゃなくてもいっかと納得させる。
仕方ないから、金運の神さまをおちょくりにいこうか。それとも夕飯までお昼寝してようかな。
しぶしぶと席を立つぬえではあるが、後悔の色は見えない。こうやってあしらわれるのは日常茶飯事なのである。
「味噌汁の味見してって」
「それは、私が猫舌なの知ってのいやがらせかしら?」
「私からいやがらせしたっていいでしょう。なんかあんたの舌が聖の求める味に近いみたいなの。光栄だと思いなさいよ?」
「うぁーい」
ぬえはのたりのたりと歩きながら乗り気でないことを全身でアピールする。
しかし、その先にはエプロンとおたま装備の水蜜がいるから行くのである。
聖のためなんて、ほとんどどうでもいい。ぬえの第一事項はいつだって水蜜なのだ。
水蜜はおたまで汁をすくい、ふーふーと冷ますために息を吹きかける。
ぬえはそうやってるうちに間違えて唾でも入らないかなー、そうだといいのになーと考えながら待っていた。
「しっかり冷ましてね」
「ならいつも以上に冷ましてあげるわよ」
水蜜はおたまの汁を自らの口に含み、ぬえを引き寄せる。
二人は繋がって、しばし無言が訪れた。
油を入れていた鍋が、鶏肉の投入をまだかまだかと待つばかりで、それ以外の音は何もしない。
「おあじは?」
「……みそしるの味がする」
「濃い? 薄い?」
「ちょ、うど、いいけど……あまいね」
「じゃあ味噌汁これで完成ってことで。部屋戻ってていいわよ」
「みなみつ」
「ぬえ?」
「ねぇ、好きなんだけど」
油は相変わらずじゅわじゅわいっている。
「知ってる。ぎゅうってしよっか」
「うん、そだね」
にへらと笑うぬえは妖獣でも妖怪でもなくただの子どもみたいで。対する水蜜はお姉さんみたいだった。
黒髪と黒髪が合わさって、二人は密着する。互いにきゅうっとしがみついて、互いに相手を受け入れていた。
「ストレス解消なった?」
「ぜんぜん。それに何一つ効能はない気がするわ」
「ん?」
「恋人はとっくの昔からいるもの」
「……まあね!!」
命蓮寺ではこんなことが毎日起こっているのである。
ぬえちゃんかわいい!!
あまあまちゅっちゅを書かせたら、自分の中ではアサトモさんが最高です。もうたまらん。
おかわりください