魔法の森の入り口に建っている森近霖之助が店主の古道具店香霖堂は今正にその歴史に終止符を打とうとしていた。
「霖之助さん、お茶とお煎餅全部貰って行くわね」
「これは赤外線で遠隔操作できる玩具か。………もっと普段から来るべきだったなぁ、これも貰ってくよ盟友」
「店主さん、このティーカップ頂けるかしら。……答えは聞くな、ですか。つれないですね」
倉庫を開け放ち店外までに商品を並べて閉店大セールと銘打った在庫商品無料キャンペーンは香霖堂史上最大の客が訪れている。
巫女に始まり果てには地底の覚り妖怪までもが大挙して押し寄せる店には何時もの様な閑散とした雰囲気は微塵も無かった。
「……賑わってんなぁ」
「今日限りさ」
接客台で無表情を見せている友人から返って来た答えに魔理沙は溜息を吐く。
暫く賑わう店内と入り口から覗く店外を見つめていると、霖之助は不意に立ち上がり表で骨董品を物色している一人の烏天狗に声をかけた。
「射命丸、何か良い商品はあるかい?」
「いえ特には。今日はネタ探しに来たんですけど」
目立った商品が無ければ目立ったネタも無い。そう言う射命丸に霖之助はネタを提供しようと言う。
文は胡散臭げな眼を向けたが、霖之助はそんな事を一向に気にする様子は無く言った。
「これを一面大見出しにして、その関連記事を連日投げまくればきっと幻想郷中の人妖は目を通す。今年の新聞大会の首位が取れるぞ」
「俄かには信じ難いですねぇ、そんな大きなネタだったら私たち天狗が気付かない筈がありませんよ」
そう言いながらも文は手帳とペンを取り霖之助を見据える。
「さて、ネタとやらを提供して貰いましょうか」
「良いよ。ただこれには一字一句間違えずに僕の言葉を伝える事が重要だ、それは良いかな?ちゃんと分かって欲しい」
「私を誰だと思っているんですか。良いですよ約束しましょう」
霖之助は頷いて、喋り出した。
最初は冗談のつもりで聞いていた文だが、話が進むにつれ顔からそれが消えて行った。遂に話が終わると、小さく何度も首を振りながら文は霖之助を見据える。
「こりゃあ凄いネタだ、香霖堂と霧雨道具店の武器販売から完全撤退。自警団解体もそうでしたが……いやぁ今年の幻想郷は何時にもまして激動の年だ」
「だろ。さぁ帰った帰った、記事を書かなきゃならないだろ」
「言われなくてもスタコラサッサですよ。それじゃあ店主さん、新聞が出来たら真っ先に届けます!」
言葉通りに空の彼方へ消えて行った文を見送りながら霖之助は未だ人が散らない店へと戻って行った。
霧雨道具店の二階には六つほどの部屋があるが、そのうちの一つに、店主霧雨が心血を注いで育てた赤の他人の部屋がある。
狭い部屋に本が山積みにされていて、いかにも勉強好きの人がいたであろうことが分かる。六尺ほどしかない部屋の窓からは、里の大通りが見えた。
「……こんな狭い部屋で、まくら投げやらなんやら、良くもまぁ好きにやってくれたもんです」
店主霧雨の目には涙が浮かんでいた。薄い硝子窓から聞こえてくる里の喧騒は十五年前のそれと同じくらい活気に満ちている。
「……貴方、少し休んで下さい」
「あぁ、ありがとう。ただ僕の勘じゃ霖之助君は一週間以内に戻ってくる筈です。戻ってきて汚い部屋じゃあ可哀想じゃないですか」
妻から茶を受け取りながら、霧雨はしみじみと呟いた。戻ってくるんだ、と。窓からは春の陽と里の喧騒が聞こえてくる。
梅の花は咲き始めたが、桜にはまだ早い。霧雨は立ち上がって窓から喧騒を眺めた。
老いた目には何時も、昔の弟子が映っていた。若く、そして活気にあふれる霖之助と同じくらい若い慧音が二人して走っている。
そんな風景が実際には映りようもないのに、霧雨の目には映っていた。
「霖さんが戻ってくるんですねぇ」
「うん、戻ってくるんだよ」
それから少しして、二人はある問題に気付いた。
帰って来たとして霖之助が止まるであろうこの部屋、少し狭くは無いかと。
「霖さんだってもう背丈は貴方より高いんですから、もちょっと部屋が大きくないと辛いと思いますけど」
「僕もそう思ってたよ、どうしようか……」
でもそれは二人でいるから狭いと感じるモノだと気付くのにそう長くはかからなかった。
「ひとつ一人じゃ淋しすぎる、二人じゃ息さえも詰まる部屋。ですね、正に」
この狭くも広い部屋で霖之助は彼の青春を過ごしたのだ。そう考えると、霧雨には涙が溢れてくる。
「でも、やっぱり狭いでしょう、どうします」
「そうかぁ、じゃあここと隣の部屋を繋ぎますか」
解決策を見つけるのには然程時間はかからなかった。
未だ人の止まない香霖堂。霖之助はどんどん運び出されてゆくコレクションを何も考えず眺めていた。
「我ながらよくこんだけ溜めこんだもんだ」
「今の香霖の気持ち、手に取るように分かるぜ。『全部無くなりそうで気持ちが良い』だろ?」
「良く分かったね、魔理沙」
何年友人やってると思うんだと言いたげに魔理沙は悪戯っぽく笑う。それと同時に全てが無くなったらどうするのかと問う。
霖之助の答えは単純明快で、魔理沙にとってこの上なく愚かに思えた。
「なぁ香霖、里なんかに最早得る物は無い、人間相手はどうにも居心地が悪い、笑顔の裏じゃ何言ってるか信じられない。そう言ったのはお前さんだぜ」
私も同じだった、と魔理沙は霖之助の顔を見据えながら言う。
「いや、確かに信じられないね、今も………」
「じゃあ、なんで」
「それでも人を信じてみたいんだ。慧音も、親父さんも僕を信じてくれた。今度は僕が信じてみようと思う」
「上から目線だな」
「だね」
二人がそういう話し合いをしていても、店に居る客は気にする風もない。
ただ目ぼしいものを見つけては持って行く。もしくは、奥に勝手に上がり込んでお茶を飲んでいる。
以前はこう言う風景を、声を荒げて止めさせようとしていた霖之助だがもう店を畳むと言う事が決まっているから、椅子から立ち上がるどころか、その方へ顔を向ける事もない。
「こうして見るとさ、面白い店だよな、ここ」
「そうかい?」
「面白いぜ、私はそう思ってる。ここに来てるやつらみんなそう思ってるぜ、多分」
「凄い自信だね」
「きっとさ、この店はお前さんが思っている以上に皆から愛されてて、大事に思われていたんじゃないかな」
そう言うもんか、と霖之助は言うと魔理沙は咲夜を引っ張ってきた。
咲夜は最初は胡散臭げにしていたが、魔理沙の質問を受けると顔をパッと明るくして答える。十分に重宝していた、と。
「結構良い商品が多かったので何度か訪れたいと思っていたんですが、店をお止めになると聞いた時は吃驚しましたわ」
「それから咲夜さんよ、お前さんこの森近さんにお礼しなきゃならんぞな。月の一件、ロケットの資料の殆どをこいつに見繕って貰ったんだろ?」
「あら、貴方に言われなくてもするつもりよ」
そう言って咲夜は音もなく一本の銀製のナイフを手にして霖之助に渡した。魔除けの呪いが込められている幸運のナイフだと言って。
「貴方の新しい人生に幸あらん事をお祈りしてますわ」
咲夜は恭しく一礼をして奥の部屋で茶を飲んでいる彼女の主の元へ戻って行った。
すると、次に魔理沙は茶を飲んでいた霊夢を引っ張ってきて霖之助の前に座らせる。
「ヘイ霊夢さんよ、呑気に茶をシバくのも良いけどこの森近さんには物凄い借りがあるんじゃないかなもし?」
「何よ、私は何時も霖之助さんには感謝してるわよ。あんたこそ、霖之助さんから盗ってった品物とかあるんじゃないの?」
「わたしゃ何時でも清廉潔白だぜ」
魔理沙に刺々しい視線を投げながらも、霊夢は霖之助に向き直った。
「こんな時に言うのもなんだけど、私はやっぱり霖之助さんは良い商売人だったと思うわよ」
「君や魔理沙相手に商売なんてやった記憶が無いんだけど」
「あら、ツケよ。何時か払うわ」
「僕が死なないうちに払って欲しいね」
それから、と言って霊夢は立ち上がって巫女服を見せる。
腋を出した特徴的な服は他の誰でも無い森近霖之助の意匠。霊夢は何時も何時も服を繕ってくれてありがとう、と言った。
「まぁそれくらいだろうな、お前さんは」
「五月蠅いわね、アンタは。それじゃ霖之助さん、里で店を開いたら知らせてね、行くから」
「ツケで買い物はそろそろ止めてくれよ」
「里じゃあそんなこと出来ないわよ」
そう言って奥の間へと戻っていく霊夢を見送りながら霖之助は袴と上着の間から見える彼女の背中を見て、仕立て直しは近いと考えた。そして次は、と香霖堂に直接的にも間接的にも関わりのある人妖を魔理沙はどんどん連れてくる。
「………こうして見ると、面白い店だよなぁ」
客もいなくなった香霖堂には霖之助と魔理沙が二人っきりで座っていた。
「まだ大分残ってるなぁ」
「品物が無くなるまで続けりゃいい。この調子だと明日には空っぽになるぜ、この店」
一缶だけ残った茶を淹れて、霖之助は暫く呆然としながら天井を見つめていた。十何年見つめたのか分からない天井が今になって無性に愛おしく思えている。
「……香霖」
魔理沙がポツリと独り言のように呟いた。
「どうしたんだい」
「私はさ、この店好きだったぜ、第二の家みたいなもんだ」
「だろうね」
彼女、霧雨魔理沙がまだ年端もいかないうちに家を飛び出した時、真っ先に転がり込んだのは香霖堂だった。魔法使いになる、と言って家出をした少女を、その当時の霖之助はすぐにでも追い返すつもりだったし、事実そうした。
しかし、酷い喧嘩をしたし勘当もされた、二度と敷居を跨ぐなと言われたと魔理沙が言ったため、暫くの内は香霖堂で暮らさせ、適当な場所を見つけて家を作ってそこで暮らさせた。霖之助の本心ではかつての師の娘と言う事もあり、無碍には出来ないし頭がなかなか上がらない相手でもある。
そう言う事情があったにしろ、魔理沙は霖之助にはもっと頭が上がらないし、普段は横柄な態度を取っていてもいざという時は言う事も聞くし、極端な事を言えばこの腕っ節が弱い半分妖怪のためなら命すら差し出してまでも救おう、と心に決めていた。
「こうりん……」
「どうした魔理沙、やけに甘えん坊じゃないか」
魔理沙にしてみれば、里の外と言う孤立無援の中のたった一か所だけ本当に心が許せる場所であり、早くから家族と訣別した身にとっての自宅である。
そこで暮らした年月は長くなかったが、間違いなく魔理沙の第二の家であることには変わりない。その家が今正に終わろうとしているのだ、寂しくないわけがない。
「こうりん、森から出て行くのか?」
「まぁ、ね」
「そうか……」
年の離れた妹として魔理沙を見ている霖之助は、この時の彼女の気持ちが分からなくは無かった。
<香霖堂古道具及び武器取引から完全撤退>
<人妖が集う場所を目指した店、その歴史に幕を閉じる>
翌日、そのような見出しで始まる新聞が幻想郷全土にばら撒かれた。
既に昨日から閉店無料セールは始まっていたから閉店の事実を知っている者はいたが、その歴史的事実を残そうとして香霖堂を知る人妖は挙ってその新聞を求め、保存している。
あろうことか、里の上白沢慧音はその事を今日この新聞を手に取るまでその事を知らなかった。
閉店セールを知らせた時の記事は一面大見出しでは無く取るに足らない地域欄に小さく書かれていただけだったのだ。何時も慧音は軒先に落ちている新聞を手に取ると真っ先に家の中の藤籠に放りこんで放置。知らなくても無理は無い。
人でにぎわう香霖堂と友人の写真を目にして驚愕した慧音はまず真っ先に霧雨道具店に駆けて行き、事の次第を確認した。
「お知りにならんでしたか」
呑気な顔でそう言う霧雨に軽い怒りを覚えつつも、その怒りは色々と騒々しい店にかき消される。
里の大工が木槌を担ぎながら二階に上がって行ったからだ。
「里の大工は何時から赤穂浪士の討ち入りのまねごとを始めたんだ」
「いや、霖之助君が帰ってくるから、彼の部屋を少し広くしてあげようかと思いましてね」
霧雨が人の良い笑いを見せた瞬間、上では雄叫びと共に壁が取り壊される音が響き始める。
埃が天井から落ちてくるし振動が柱を伝って相当に揺れる。何より五月蠅い。霧雨は場所を変えようかと提案した。
「いや、それよりあいつは今日もあそこでやってるんだろ?商売」
「えぇそうでしょうね、やってますよ。行くんですか?」
「いや、寺子屋がある。あいつも仕事をしているんだ、私も仕事をしなきゃならない」
そう言って店を出て数歩歩いた瞬間、慧音はいきなり寺子屋とは反対の方へと走り出して行った。間違いなく里の出口の方向であり、香霖堂の方へ向けて走り出して行く。
「ハッハッハァ、そうでしょうね、貴方はそう言う人だ」
走って行った慧音の背中を見ながら霧雨はそう呟いて、丁度通りがかった寺子屋の生徒に今日の寺子屋は休みだと伝えて回れ、と言った。
店を閉じると決めた頃から霖之助はある一つのことがどうにも無視することが出来なくなっていた。
つい一週間前に姿を消したきり戻ってきていない妖忌の事だ。色々あったから忘れそうになっていたが、商品が一つ一つ消えて行くうちにその問題は大きくなっている。
「そう言えば香霖、あの爺さん戻って来たんか?」
「魔理沙もそう思ったか」
魔理沙の問いに答えらしい答えを返せず、霖之助は妖忌の拳銃の輪胴弾倉に込められている22口径弾を抜きだしながら何をしているのか、分かっている様な気がしていた。
一週間前に白玉楼へ戻っていた妖忌、その時ちょうど良く白玉楼の主の幽々子が紫に連れられてここ香霖堂に訪れていた、と言う事は。
「……全部話すってことなのかなぁ」
「ん?どうした香霖」
「いや、何でも無い」
自分で呟いて、妖忌は本当にそんな事をするように思えた霖之助だった。
「……ん、おい香霖」
「どうした魔理沙」
少し居眠りをしようとした霖之助を叩き起こして魔理沙は店の入り口を指さした。肩で息する慧音が霖之助を真っ直ぐ見据えている。
「これ、いくらだ」
「今日は無料だよ、お客さん」
白墨の箱を掴んだ慧音に素っ気ない答えを返しながら、霖之助は立ち上がった。少し歩こう。そう言って霖之助は慧音を連れだって店から出た。
「魔理沙、店番をしていてくれ」
「分かったよ。臨時給料は期待しないぜ」
そうしといてくれと言って霖之助は慧音を連れて足早に店から出て行く。
「……戻ってくるのか、とうとう」
「まぁ、そう言う事になった」
店から里に向かう道を歩きながら、慧音の問いに霖之助は答えた。
梅が咲き始めた春先の少し冷たい風を顔に受けながら慧音は地面を見つめている。
「そう言えば今日寺子屋はどうした」
「あっ」
霖之助の問いに初めて、自分がとんでもない事をしていたのだと慧音は気付いた。すっぽかした、と正直に慧音は答えた。
「大方新聞を読んで親父さんの所に行って、そのままこっちに走り込んで来たんだろう」
「………何で分かった?」
君の事なら大体わかるさ。と霖之助は笑いながら慧音の頬を撫でる。
「……心配掛けたね、色々」
「色々、な」
店と里を結ぶ街道の真ん中に差し掛かった頃、霖之助は足を止める。梅の木が一本生えていて、満開になっていた。
「里を出た時、僕はここで足を止めた」
何を話しだすのか分からなかった慧音は黙って頷く。
「見てご覧、この街道にはこの梅の木以外何も無い、ただ道があって更地があるだけ。あの時は雨が降っていて、歩いている内に寂しくなってきてね、それで足を止めて振り返ったんだ」
「それで?」
「うん、寂しいなって思っただけだ。それだけ」
「それだけか。………うん、確かに寂しいな」
「最初はさ、こんな寂しい所で暮らすのかって思ったんだけど、堪えて来たよ。今日まで、ね」
そう言って霖之助は慧音の隣に座り込んで、肩を寄せた。
「慧音……」
「うん」
「もう森じゃ寂しくてやってけないから帰るんだけどさ、人が多くても一人ぼっちじゃやっぱり寂しいんだ」
「うん……」
だから、と言って霖之助は立ち上がって、慧音を見据えた。
「慧音、里での仕事が安定したら………その……結婚して欲しい、僕と一緒になって欲しい」
慧音は立ち上がって一世一代の告白をしてのけた親友を眺めるように見上げていた。暫くして、視線を下げて言う。
「……嫌だ」
はっきりと聞こえたその言葉に霖之助は動揺した。
「安定するって何時だ、何時なんだ」
「それは……その………」
「良いよ、別に。分からないだろ」
「あぁ……分からない」
言葉一つ一つに霖之助は打ちのめされていく様な気がした。一歩、また一歩と慧音から距離を取る。
「だから、安定したらとか一段落したらとかそう言うの良いから、里に戻ったら私と結婚してくれ」
「………え?」
「聞こえなかったか?」
「いや、だってさっきはっきりと『嫌だ』って、言ったじゃないか」
慧音は肩を竦めて溜息を吐きながら首を振って説明した。
嫌だ、と言ったのはこれ以上待たされるのはもう懲り懲りだと言う意味で言ったものだと。
「これまで辛抱強く待ったんだ、もう待ちたくない、待たせないでくれよ」
慧音は立ち上がって距離を一気に詰め、霖之助を抱きしめた。
「逃がさないぞ、絶対にだ」
香霖堂からモノが洗い浚い無くなった頃、魔理沙はまだ残っていた霊夢やその他数名とお茶を楽しんでいた。最初は残り少ない香霖堂の緑茶を淹れ、それが無くなればレミリアが咲夜に紅茶を取りに行かせ、最後には酒盛りへと変わって行った。
「……で、この状況は一体何だ魔理沙」
「おう香霖、全部綺麗に消えたぜ。何もかもな」
「あそこで腹出してひっくり返ってるのは霊夢に……レミリアに膝枕したまま寝ているのは咲夜………」
「みんな、香霖堂が大好きだった奴だ」
魔理沙は私も大好きだぜ、と赤ら顔で自分を指す。
瓶を持ち上げ、霖之助に猪口を差し出しながら笑った。
「ま、飲めよ、閉店祝いだ」
「飲み過ぎは仕事に差し支える」
「もう何も寡にもぜーんぶ無くなったんだぜ、さ飲めよ」
「いや良い。まだ無くなって無い」
「はぁ?」
呆けた顔で見つめる魔理沙を余所に霖之助は外に出、厳重に鍵をかけていた土蔵へ向かった。
真っ暗な中、誰かが土蔵の前で霖之助を待っている。森は一寸先も良く見通せないが誰かが分かっている霖之助は声をかけながら近づく。
「やぁ紫、春の宵は寒いだろう、中に入っていれば良かったのに」
「それでは場の空気に流されて仕事ができませんわ」
「だろうね。………今開けるよ」
錆付いた大柄な錠前を外し、土蔵の扉を開けた瞬間カビと金属油の匂いが二人の鼻を吐いた。
「これ全部を買い取ってくれるなんてね」
「では検品を」
「頼むよ」
そう言って紫は手帳と筆を取り出し、大小の銃火器が整然と並べられた土蔵をめぐり始める。
目つきは真剣そのもので、霖之助は入り口で黙って見ていた。
「拳銃百挺、自動小銃三十挺、軽機関銃二十挺、重機関銃四挺に擲弾筒が九十挺。そしてそれぞれの弾薬。こんな狭い土蔵に良く詰め込んだものね、戦争が起こせるわ」
「収納は得意分野だからな。この前に渡した目録に相違は無いね?」
「えぇ、ぴったりですわ」
手帳の閉じる小気味よい音が響くと同時に隙間が開き、ジュラルミンケースが一箱滑り落ちて来た。霖之助は軽い会釈をして中を改め、溜息を吐く。紫は土蔵全体に結界を張りながら尋ねる。
「どうしたの?」
「いや、最初から最後までこんな物で稼ぐとは思いも寄らなかったんでね」
悲しいよ。霖之助はぽつりと呟いて、すぐに笑みを見せた。
「悲しいものでしょう。でも、これからは武器で稼がなくてもよいのですよ」
「それが一番嬉しいよ」
その言葉を聞いて、紫は結界を発動した。鈍い紫色の光が土蔵を包み、一瞬でその姿を異次元へ消滅させる。
土蔵が綺麗に消えた後、霖之助は聞きたかった事を紫に尋ねた。妖忌の事だ。
「妖忌さんの行方、知っているんだろう?」
「えぇ、白玉楼に居るわ」
いやにあっさりと答えた紫に霖之助はさらに尋ねたが、紫は何も答えようとはしなかった。
対する霖之助も彼のモットーに従い、それ以上の追及は避けることにする。
「まぁ良いよ、多分妖忌さんは何時かまた会いに来るだろうからね、その時に聞くよ」
「では霖之助さん、貴方の新しい旅路に難少なき事をお祈りしていますわ」
「あぁ、しっかり祈ってくれ」
最後に何時もの笑みとは違う、優しい頬笑みを覗かせて隙間の中へと消えて行った紫を見送った霖之助は土蔵のあった場所を一瞥して店へと戻って行った。
翌日、霖之助はリヤカーに吟味して残した非売品を積み込んでいた。
茶碗に鍋などの必需品、そして草薙の剣をはじめとする秘蔵の品が一個また一個と積まれてゆく。
「………これで粗方積み終えた、な」
「もう行くのか?」
「いや、朝飯を食べて行こうと思う」
力仕事になるからね、と霖之助は笑って言った。
「じゃあ米研いで来てやるぜ、香霖は居間で待ってろ」
「悪いね、お言葉に甘えさせてもらうよ」
もう卓袱台以外何も無い居間で、霖之助は色々な事を思い出していた。
初めてここに来た時、こんな場所で暮らすのかと思った霖之助だがそれでも、今こうして見ると懐かしくなってくる。
「あ、あの傷………」
『こーりん!私背ェ伸びた?』
『一ミリも伸びちゃないね』
魔理沙がまだ霖之助の胸まで届かなかった時、まだまだ小さかった頃、そうやって背の伸び具合を測ったものだと思いだしていた。
今ではもう柱に刻まれている傷を大きく超えている魔理沙を見て嬉しいやら寂しいやらの気持ちが霖之助に渦巻いている。
「……香霖、今米炊き始めたぜ」
「あぁ、そうかい」
それから暫くして、魔理沙は二人分の飯と白菜の漬物を持って居間に戻ってきた。
唯一残っている卓袱台に置き、二人して手を合わせて食事を始める。
結局、会話らしい会話も無く食事は終わった。魔理沙が後片付けをしている間、霖之助は寝ころんでいた。
「食ってすぐ寝ると牛になるぞ」
「迷信だよ」
この天井も見慣れた。何度酔い潰れてはこの天井を仰ぎ気を失ったろうか。その事を思うと霖之助は少し寂しくなってくる。
しかし、もう出て行くと決めたのだ。
「………さぁ、行こうか」
上半身を起こし、霖之助は外に出、リヤカーを引っ張り始める。
「香霖」
ふと魔理沙が霖之助を呼びとめる。立ち止まって振り返ると魔理沙は霖之助に深々と頭を下げていた。帽子を脱いで旋毛が見えている魔理沙に霖之助は笑って話しかける。
「魔理沙、里に店が出来たら知らせるよ、遊びにおいで。………達者でな」
そう言って霖之助はリヤカーを引き始めた。車軸が軋み、積荷の揺れる音が聞こえた頃魔理沙は顔を上げ、去り往く義兄の背中を見送るのだった。
昼を迎える頃、霧雨道具店の二階の部屋ははすっかりその姿を変えていた。
「……これでいかがでしょう、霧雨さん」
「うん、十分な広さですよ、ありがとう」
金の支払いが済むと棟梁は弟子を連れて店を去っていく。
霧雨は背中を見送ると振り返って店を見上げた。外見こそ変わらないものの、中は変わっている。霖之助はどんな反応をするのだろうかと楽しみながら店内に入って行こうとした。
「店主」
その時、聞きなれた声が霧雨の背中を捉えた。振り返ると見慣れた顔が彼を見据えている。
「やぁ、慧音先生」
「作業は終わったんだって?」
霧雨は頷くと慧音に部屋を見ないかと尋ねた。答えは聞かずとも分かっていた。
「広くなったなぁ」
「そうでしょう、霖之助君がなんていうか楽しみです」
「あいつはたぶん愚痴から入るだろうな『あ、あの壁の落書きも壊しちゃったんですか』『え、箪笥の中のお宝捨てちゃったんですか』ってな」
慧音はわざとらしく霖之助の口調を真似て霧雨を笑わせる。
一通り見終わると、慧音は新しく張り替えたばかりの畳に座りこんだ。姿を変える前のこの部屋はどうしようもなく狭かったはずなのに、よくこんな場所で寝たものだ、そんなことを思い返した。
古ぼけた書卓に並べてある本を手に取ると、それは遠い昔に読み聞かせてもらった英語で書かれた魔界の本。
今でこそ難なく読めるが、あの時は何が書いてあるのかさっぱりだった。それを分かるようにしてくれた霖之助には返しきれない恩義がある。
それからも色んな本や、霖之助が店で愛用していた品を一つ一つ手にとっては懐かしい顔になっていた。そんな彼女を見て霧雨は静かに部屋を出、下へ降りることにした。
霖之助が里の入り口に着いたのは霧雨道具店がその姿を変えたのと同じ頃だった。入り口の番所で手続きを済ませて、里の往来に足を踏み入れる。
懐かしい。霖之助は素直にそう思った。あれほど居づらかった里の雰囲気が、今ではどうでもいいように思えるくらい、彼にとってこの里の喧騒が遠い記憶の中から蘇った。
「もう始まっているのか」
始まっている、というのは解体されることになった自警団銃士隊の装備品の払い下げのことである。
ほぼ投げ売り価格で店頭に並べられているそれらを一つ一つ吟味している猟師やそれに近い者たちが里に一軒しかない銃砲店に押し寄せていた。
「なんか、複雑だなぁ………」
呟いてリヤカーを引こうとした瞬間、霖之助はよく見知った顔が里の茶に座っているのを見つけた。
「………あら霖之助さん、ちょうどよかった、お茶でもいかが?」
「君持ちならお受けいたしましょ」
「ささどうぞ」
霖之助は紫の隣に座り、団子一皿と茶を一杯頼んで紫に問いかけた。妖忌のことを。
「妖忌は今白玉楼にいるわ。今日はそのことで言伝を頼まれたの」
「ほう」
「妖忌の拳銃はまだ持ってる?」
頷いて霖之助はポーチから取り出して見せる。紫はそれを預かっていてほしいと言った。近々取りに行くから、と付け加えて二人分の勘定を腰かけに置いて紫は去っていった。
霖之助はただ黙って、その背中を見送る。
その頃、魔理沙は博麗神社に訪れていた。
「今日、見送ってきたぜ」
縁側に座りながら魔理沙はぶっきら棒に伝えると霊夢は頷いて魔理沙に緑茶を一杯差し出す。
暫く何も会話がなく茶をすする音だけ響き、そして漸く霊夢が口を開いた。
「あーあ、これでもうツケで買い物出来なくなっちゃったなぁ」
「結局それかよお前は」
「あんたもでしょ、魔理沙」
「まぁ、な」
だが会話が続くわけでもなく、二言三言交わしただけに終わった。春の温かい日差しと涼しい風が二人の頬を撫でる。
その空気に、魔理沙は優しさを感じた。里に戻っているはずの友人がまさにそんな存在だった。
「………なんか、まだ実感が湧かないなぁ」
「なにがだい」
霧雨道具店の霖之助の部屋で、慧音は呟いた。
霖之助はぐい飲みに酒を注ぎながら尋ねると、慧音は窓から見える夕暮れの里の大通を眺める。
「お前がまだ、あの森に店を構えていて、私が寝る頃には戻ってしまうんじゃないかな、って」
「そんな心配は無用さ、今日からここで暮すんだ。……一生ね」
「そうか、そうだよな」
慧音はぐい飲みを霖之助に差し出し、酒を求めながらポツリと呟いた。
「漸く、寺子屋に全力を傾けることができそうだよ」
「頑張れよ、ほどほどにだけど」
「分かってる分かってる」
慧音は注がれた酒を一口飲むとぐい飲みを少し置いて、部屋を照らしていた行燈を吹き消す。
部屋の中の明かりは、窓から流れ込む里の生活の灯だけとなった。すると慧音はふらりと立ち上がって窓を開け、呟いた。
「オツなもんだな、なぁ」
霖之助は酒瓶とぐい飲み二つを手に持って慧音の隣に立ち、往来を眺めた。夜は妖怪の時間、人外が里に来て酒を飲んだり食事をしたりしている。
少し前までは、妖怪が里に近づこうものならすぐに自警団の手によって処分されていたのだ。良い時代になった、と霖之助は素直にそう思った。
それと同時に、近い将来、誰にも憚らず人間と妖怪がともに添い遂げることができる時代が来るはずだと慧音は言う。
「………そんな時代まで、僕は生きていられるだろうか」
「私は生きるぞ、死ぬまで生きる」
「……そうか」
霖之助は酒を自分で注ぎ、一気に飲み込むと慧音に向き直った。
「じゃあ霖之助、私と一緒に、その時代を見よう」
「はは、困ったなその言葉………僕も言おうとしたんだ」
慧音は畳に置くと霖之助を無言で抱き締めた。春の冷たい夜風が外から流れてきた頃、霖之助は慧音の頭に手を置く。
「おかえり、霖之助」
「……ただいま、慧音」