夜明け近く。
遠くの山際は淡く色を変えている。やがて日の光が星を包み隠してしまうだろう。
少しの時を数えれば、夜に生きる者達が、まどろみを覚えて住処へ戻ろうとするだろう。
だが、今日の吸血鬼は違った。
紅魔館の主人、紅い吸血鬼は、これから戦地へ赴くのだ。
己があるべき戦渦の中へ、悪魔らしい争いの世界へ。禍々しい陰謀が錯綜する渦の中へ。
自らの強きを、輝きを証明するために。
紅い吸血鬼は身支度を済ませ、今、その人外の力を揮おうとしているのだ。
紅魔館のように紅いヨル ~ レミリア・フランのぱじゃまぱあてぃ
レミリアの私室。その近間に設けられた特別対策本部には、唯一の参謀とこれまた唯一の特攻隊長の姿があった。
「――ベッドの中は戦争よ」
参謀パチュリー・ノーレッジは言い放つ。
「男は野獣、女も野獣。思うがままに望むがままに相手を喰らう。醜きことは世の理。故に美しき生の営み」
朗詠は餞別。
特攻隊長を全うする友人への、最後の言葉。
「けれど相手は悪魔の妹。一筋縄ではいかないわ」
しかし友人は、不服そうに眉をひそめる。
「……いや、その悪魔が私なんだけど」
「迷える子羊よ! ――聞きなさい」
口答えする特攻レミリア隊長を遮って、言う。
「あなたなんて悪魔の妹にかかれば、すぐに皮を剥かれて食べられちゃうわ」
すると、レミリアが顔を背ける。心なしか鬱陶しそうな表情だ。
――ちっ、これは比喩表現だ。この子ちょっとお口から桃色吐息だわやだやだ、みたいな顔するな。
レミリアは反駁する。
「そもそも、私がフランに遅れを取るわけないじゃない」
「あー? 誰がこの会議を開くように言ったのかしら」
「……ごめんなさい」
せっかく私がぱじゃまぱあてぃをセッティングしたにも関わらず、この腑抜けはフランに拒絶されるのが怖いらしかった。
たまにフランに半裸で突進するような蛮勇を見せるというのに、妙なところで慎重だ。
まあ、半裸は私が嗾けているのだが。
一見不仲を促進させているようなことをしているのは理由がある。物語の中では、半裸で殴りあった者は大抵深い友情が結ばれるからだ。だというのにこの姉妹は、妹フランのヒットアンドアウェイ戦法をもって怪盗と警官の追いかけっこに転じてしまうからいけない。
しかし、その怪盗も刑務所の中。故に逃げられず――あれ、高確率で逃げるんじゃないだろうか。
とにかく、レミリアとフランの仲をより深めるため、様々な策を用意してきたのだ。
そのひとつ。
「フランの弱点を調べてみたわ。これがわかればあなたはフランに遅れを取ることはない」
称して「あぁっ、そこ弱いのっ……ぁあんっ!」作戦である。
「水でしょ」
それは自分もだろうに。というかぱじゃまぱあてぃに水を持ってきて、一体何をする気なんだ。
当人の安直な発想にうんざりしながらも、私は手元のファイルを覗き見る。
そこには、紅魔館住人からのフランの弱点に関する情報が纏められていた。
レミリアは妹に詳しくない。覆しがたい、覆すべきこの事実を受け入れ、すでに他の者から情報は集めてあるのだ。
私はそれを読み上げる。
「えぇと、匿名希望さんから。――フランちゃんは翼の付け根が弱いんだよウフフ」
「誰だそれは」
「小悪魔」
「翼をもぐ」
哀れ小悪魔。
実のところこれは私の実体験だ。私の冗談ひとつで命がぞんざいに扱われるなんて、この姉妹は非常に凶悪である。
次のお便りをば。
「同じく匿名希望さんから。――フランちゃんは耳の穴を舐められるのが弱いんだよウフフ」
「誰だそれは」
「小悪魔」
「四肢を切り落とす」
哀れ小悪魔。
なまじ自慢話のように他に広めているからいけない。しかし、気を許して無抵抗になった子供をいじめてしまうところはなんとも悪魔らしいというか、つまりその通りである。
弁解の余地は無い。ご愁傷様。
次のお便りをば。
「咲夜から。――フランちゃんは手品を見るのがすきなんだよウフフ」
「咲夜ぁー? 咲夜ぁー!」
「残念だけど、あの子の仕事はベッドメイキングで終了よ」
主人の夜伽の時間には、気配すら晒さない。主人に気を使わせない、それがメイドというものだ。
ちなみに、生命の危機に瀕している小悪魔は当事者のフランと話をしている頃だろう。丁度私とレミリアの立場のように。調度品等部屋の家具配置からルパンダイブの回避方法まで「レミリアが軟着陸するための対策」が行われている。
また、そこまでよな展開になった場合、門番が勢い良く扉を開けて「部屋を間違えましたぁ!」と叫ぶ算段になっている。さすが操気の達人。気の使い方が並ではない。そんな彼女は現在隣の部屋で待機中だ。
まさに万全の体制である。
何を憂えることがあろうか。
だが、――レミリアは、疲れたように溜め息を吐いた。
「……冗談が過ぎるわ、パチェ」
それは、私に対する失意。
「……だって」
こんなことをするのもレミリアが、傍から見ても判るほど緊張しているからだ。
呼吸は荒い。目も充血しているように見える。過呼吸気味で、押したらそのまま倒れるんじゃないだろうかと思わせるほどだ。これでは、まだ私の方が快活である。
「失神して倒れないようにね」
「わかってるわ」
そういって、レミリアは微笑んで見せた。
こんなことのために、気負いすぎだと思う。
こんなことも出来なかった姉妹だからこそ、気負っているのだとも思う。
今、就寝までの時間を、妹とどのように過ごそうか考えている――それに至るまでに長い、長い時間を要したのだ。私は、少なからずこの今に感慨というものを覚えている。しかし、私は静けさを保とうと努力している。何故なら、カタルシスは終焉に訪れるからだ。
終わりの無い本は無い。
だから、終わりの無い物語は無い。
しかし、この物語の終わりは、まだずっと先に取っておきたいと、私は考えていた。
「パチェ、パチェ――何を見ているのよ」
声に気付く。少しぼんやりしていた。
――何を見ている、か。
私は少し考えて、答える。
「運命」
それは、レミリアとフラン、それを取り巻く私たち――紅魔館の歴史の変遷。その数奇な運命を。
私は、真面目に答えた。そのつもりだったが、レミリアはくすりと笑った。
「そんなもの、パチェに見えるわけないじゃない。私ほどに、優れた夜の主でなければ、天の動きは見通せない」
彼女は嫌味なく笑う。
随分と余裕が出てきた様子に、思わず私も微笑んでしまう。
「では、レミリア様。貴方の見得る運命は――」
気高き吸血鬼はその愚問を笑う。
「――この紅魔館のように紅い、薔薇色の運命よ。必ず成功するわ」
紅い幼い――しかし、運命に見初められた吸血鬼は、悠然と言い放った。
「……そう」
――ところで、必ずセイコウする、とはこれ如何に。
というか紅魔館の紅ってネチョいウフフ色のことだったのか。私の図書館も紅だがそう考えると鳥肌が立ってきた。
レミリアがセイコウした暁には図書館だけでも色を変えてみようか。けれども、小悪魔は自分の髪と同じ色だということを少なからず誇りに思っているから、変な色にしたらストライキを起こされるやもしれない。紫色だったら「私色に染めてあげるわ」とかなんとか言って誤魔化せそうな気がするが。いずれにせよ気を抜いたら背後から襲われそうだ。
……うーん、そこまでよ。
ちなみに、レミィの気が逸れたので小悪魔は存命決定である。私に感謝するといい。
「もう充分よ、パチェ。私はやれる」
ヤれるとな。
「それで、有益な情報はあったかしら?」
「ふふ。この場にいなくても、咲夜は存外役に立つのね」
それは。
「フランに手品を見せるのよ」
――えらく得意げにいったが手品の心得なんてこの吸血鬼にあっただろうか。
レミリアは、以前宴会芸として手品を練習していたことがある。ただ、あまり受けなかったようだが。
「前の宴会芸だとひんしゅ――白けるわよ? 咲夜の種無し手品に勝る品はあるのかしら」
「策は、あるわ」
即席でいい切るその自信はどこからこんこんと湧き出しているのだろうか。
もしもレッドマジックとかいい出したら跳び蹴りをかましたい。
「まあ聞きなさい。マジックには、テーブルマジックより小規模のものがあるのよ」
幸いにも予想が外れたので私は胸を撫で下ろした。
「……その名も、ベッドサイドマジック」
私もその名前には聞き覚えがあった。
名前の通り、ベッド際で見せるマジックらしい。目的は子守唄や本の読み聞かせと同じだろう。
レミリアは語る。
「ベッドサイドマジックは、派手さは無くとも緻密。視点が近い分、精巧な作りになっているまさに芸術品」
ステージで披露するマジックは隠れる部分が多く、勘繰ることのできる間隙が多い。
しかし、ベッドマジックは、どれだけ近くで見ても種がわからないように出来ているのだろう。
私は、その最小の技術に思いを馳せた。
でも。
「……そんなもの実際に見たことないわ」
そんな私の無知を、レミリアは鼻で笑った。
「私も見たことない」
誰かこいつの自信の泉を埋め立ててくれ。
「でも私には――レッドマジックがあるわ!」
言うんだったら本当にベッドサイドでレッドマジックしてみろ。フランに殴られるどころじゃ済まされないぞ。
はぁ、と私は息を吐く。
それでも、レミリアの瞳の輝きは収まらない。
「何々、本気でレッドマジックなんてしないわよ。もっとベッドサイドを彩る細やかなベッドサイド・レッドマジック……」
レミリアは、宣言する。
「略して――ベッドマジックよ!」
ベッドマジック。
確かに聞いたぞ。
ベッドマジック。
「レミィにしては、素直で率直で実直で……とにかく判りやすいネーミングだわ。好きよ、そういうの」
言いながら、私はレッド――つまり紅魔館の紅でありスカーレットの紅が行方不明になったことが心配になった。明日戻ってこなかったら、自警団に捜索願を届けようか。山の捜索は有料になるので、少し様子見した方がいいかもしれない。
そもそもベッドマジックなんて、卑猥な想像しか出来なかった。「あれ、種も仕掛けも無いのに大きくなっちゃった!」だの「ほら、ここを撫でると水が出てくるよ! 不思議だね!」だの、頭が痛くなる発想しか出てこない。
「おぅけぇぃレミィ……美鈴にいつでも出撃できるようアップさせておくわ」
「? それは、準備万端なことね」
レミリアは怪訝そうな顔をしていた。
□ 中に続きます。
スペルカードは蝙蝠化して無効、後に残るのは瓦礫の山……後編が気になります。