1/ 乱暴な天子
まだほほが痛い。しかしそれよりもずっと、心が痛い。理由がわからないという気持ち悪さが、余計にわたしにへばりついた痛みを手伝う。
――なぜわたしは、総領娘様に殴られたのだろう。
あれは本当にとつぜんだった。飲み物がほしいと総領娘様が言ったので、好きなジュースを渡そうと近づいたらいきなり、ぱん、と。そのときの顔は真剣そのもので、叩いたのが冗談ではないことが聞かなくてもわかった。
――このジュースはお嫌いでしたか?
――そんなんじゃないよ。
「じゃあなぜです」と聞き返したけれど、総領娘様は「わかるでしょ、そのくらい」と言って、教えてくれなかった。
なぜだろう。何かわるいことをしただろうか。
いや――していない。そんなつもりはないはずだ。なら、言ったことが悪かったのだろうか。何かわたしは言った?
……言ってない。
ということは、ついに嫌われてしまった、ということかな。
口うるさすぎたからだろうか。でもそれは総領娘様のため――いや、嫌われても仕方がないか。
叱るほうの思いが叱られるほうに届くなんて、そうそうない。あるとしてもかなりの時間が必要なはず。
でも、わたしがあの方に対して口うるさかったのは昔からのことだ。何でいまさら? それとも信じにくいけどあのかたは前から我慢していて、今になって我慢が切れたのだろうか。反抗期?
でも、まだ納得はできない。違和感がある。
ネガティブのほうに考えすぎた。
何か、総領娘様はわたしを殴らないといけない理由があったんじゃないか。
じゃあ、なんで? ……誰かに脅されて?
総領娘様の暴力が信じられず、わたしの考えは総領娘様が殴らなければいけなくなった理由について、考えるようになった。
そしてついに。ひとつの考えが浮かんだ。しかしその考えは、確信するには十分すぎた。
ああなんだ、大したことじゃないじゃないか。ちゃんと、帰って正しい意味を教えればいいだけのこと。
わたしは昨日、総領娘様にこう言ったんだった。
「総領娘様、感謝の気持ちをあらわすときは、自分がされてうれしいことを相手にしてあげるのもいいと思いますよ」
2/ わかりやすく
「お、お、お、お嬢様!」
「どうした美鈴」
「お、お嬢様からいただいた宝くじが……い、い、一億当たってました!」
「一億? ああ、いいわ。取っておきなさい」
「ほ、ホントですか!?」
「ええ、あげるわ」
「あ、ありがとうございます!」
そう言って美鈴は、一礼して門へと戻っていく。レミリアの耳には美鈴のやたらと大きい歌が聞こえていたものの、今回だけは許してあげることにした。
だんだんと美鈴の声が聞こえなくなったころ、入れ替わりで、咲夜がレミリアのもとへとやってきた。
「どうなさったんですか、美鈴が踊りながら出て行きましたが」
「ああ、当たりの宝くじをあげたのよ。一億ですって」
「一億!?」
「何よ一億くらいであなたも美鈴も」
「い、一億ってお嬢様……お嬢様が毎晩おいしそうに召し上がりになるあのアイス、一日よっつ召し上がっても四十年ぶんはかんたんに買える額ですよ!」
「すぐ取り返しなさい!」
3/ 物理の計算ミス
八雲家三人で花火を見に行こうと思い、堤防にやってきた。角度が急な堤防で寝転びながら花火を見ていた橙は眠ってしまい、そっちに気をとられているうちに、体育座りのようにひざを抱えていた紫様も寝てしまった。
橙はあとで起こせばいい。それより紫様だ。そんな格好で寝ていたら起きたときに体が痛いにちがいない。
「紫様紫様、花火を見なくていいんですか」
声をかけても起きないのがいつものことだから、指で紫様の肩をつつく。それでも起きない。
「ゆ・か・り・さ・ま!」
さっきよりも強くつつく。気のせいだろうか、体がかたむいたような気がする。軽く反応したのだろうか。
このくらいにしておくべきだった。つねに数式を頭の端っこに置いている私だけど、今日だけは花火に気をとられて数式は留守だった。
まさか、このタイミングで計算ミスをするとは。
つつかれた紫様の体が、おおきくぐらりとかたむいた。それは、スローモーションにみえた。
「あれ?」と思う前に紫様は前のめりに、さらに前のめりになり、ついにごろっと前回りした。
「やらかした!」と思ったころには、すでに手の届かないところにいて、さらに遠ざかっていく。だんだんと前回りの速度も上がってきた。
こんなときでも、まっすぐ転がっていく主人に感心する。
一直線上を転がる紫様はボーリングのように、川岸に生えていたアシの集団を踏み倒し、やがて見えなくなった。
すこしおくれて、ドボーンというすごい音が聞こえた。
合計が少ないのは、多少の誤差だと思われる
とある袋をかぶせて数発はたいてあげましょう。