何か面白いことはないものかと、紅い館の吸血鬼当主様が従者に無茶ぶりしたのが三時間前。
では七夕はどうでしょうと従者が答えたのがその直後。
暇そうにしていた門番が命じられるままに竹林から一本かっぱらって、所々焦げて戻って来たのが二時間前。
庭に立てたそれを魔女が面白がって怪しげな魔法でやたらデカくさせたのが一時間前。
それを見てテンション上がったメイド達が騒ぎ出し、面白がった近所の餓鬼共まで集まって来たのが三十分前。
そうして、
「うーん……どうしたもんかな」
自室にて一人、自己主張の激しい真っ紅な短冊を前に青白い髪の吸血少女が唸っているのが現在であった。
毛筆を片手に対峙する短冊には、未だ何も書かれてはいない。
「願い事、か……」
口に出して、吸血鬼のレミリアは天井を仰ぐ。
先程からずっと書けないのは、
「……何かに願うことなんて」
考えてみると、咄嗟には思いつかないからだった。
何もレミリア自身、欲の一切がない聖人君子などというわけではない。
むしろ誰よりも欲深く、傲慢で、我が侭である自覚があり、何よりもそれを誇りにしていた。
「ああ、だから……かしらね」
その思考の途中で、レミリアはふっと笑う。
そうだ、私の欲も傲慢も我が侭も誇りも、全て自分で叶えるべきものでありものであり、誰かに託すようなものじゃない。
そう思い至って、顔を戻すと短冊を睨みつけ、
「そもそもの所、鬼が何かに祈ろうなんてのが間違った話だよ」
そう言ってやり、飽きたように筆を放ろうとして、
「……」
途中で、はたと何かに思い当ったように手を止めた。
鬼は、私は、私という存在は、誰かに己を願うことなんて出来ない。
けれど、
「――そうだね、そんなことを書いてみるのも、面白いかもしれないわ」
そうひとりごちて、吸血鬼は静かに笑って筆を滑らせた。
「しかし」
周囲を警戒しながら、短冊を手に持って廊下を一人歩くレミリア。
「いざ書いてみたはいいものの、これは誰かに見られたら恥ずかしいな」
きょろきょろと見渡して誰もいないことを確認してから、手の中の短冊を確認して苦笑する。
そこへ、
「よう、お嬢様」
「――!?」
背後からいきなり声がかかった。心臓が口から飛び出しそうな心地で急いで振り向いたその先には、白黒服の金髪の姿。
「お、おまっ、まり、魔理沙っ! どうやって背後に!」
「隠密行動は得意中の得意でな」
珍しく動揺の顔を見せる吸血鬼に、魔理沙はにやりと笑いながらそう答えた。
「はぁ……まったく、人間が妖怪を驚かすんじゃないよ、心臓へのダメージは吸血鬼には死活問題なんだぞ」
「そりゃ悪かったな、今度から気をつけて驚かすことにするさ」
「……頼むよ、次はうっかり反撃してしまいかねないからねぇ。私の背後に勝手に立つ者にはさ」
「わかったわかった……ところで、それなんだ?」
と、憎まれ口をたたき合う途中で魔理沙がふとレミリアの手の中の短冊を指し、レミリアは慌ててそれを背後へ隠す。
「おいおい、隠さなくてもいいだろ、短冊だってことぐらいわかるっての」
「う、うるさいよ、お前こそ何でここにいるんだよ」
「今更それかよ、いつでもいるだろ。まあ、今日は面白そうなこともやってるみたいだしな。イベントあるとこ魔理沙さんありだぜ」
「あーそうかいそうかい、それじゃあ好きに楽しんでいってくれたまえ、じゃあな」
と、すぐさま会話を打ち切って踵を返しかけるレミリアへ、
「まあ、待て」
その肩をがっしりと掴んで魔理沙がぐいっと引き寄せる。
「もー、なんなのよー、お前ー。いいだろもー、自由にしてよー」
うんざりとしたレミリアそんな声を出すのを無視しつつ、魔理沙はその小さな吸血鬼の耳元に口を寄せて、
「まあ、聞けよ。お前がそんなに隠すってことは、あれだろ、その短冊に書いたんだろ? そう」
囁くようにそう言われて、レミリアは一瞬で凍ったように身を固くした。そこへ、魔理沙は続けて、
「お前は書いたはずだ、私と一緒の願い事を」
「……?」
その言葉に、また一瞬で体の力を抜いて吸血鬼は眉根を寄せた疑問の顔になり、魔理沙へ振り向いた。
「つまりは、これだ」
そしてその魔理沙はと言えば、訝しげな視線を向けるレミリアへ向かって自分の短冊を突き出していた。
そこには、
『色々と大きくなれますように』
とでかでかと書いてあった。
「なあに、恥ずかしいって気持ちは私にもよくわかるぜ。私も同じ悩みを抱えるであろうお前だから見せるんだ」
「いや、魔理沙、私は……」
一人で勝手に納得したように頷いている魔理沙へ、レミリアは否定しようとするも、
「いいさいいさ、私とお前の秘密だ、誰にも言わん。だからお前も言うな」
今度背が伸びる茸こっそり持ってきてやるからな、と、声を潜めてそう言うと、魔理沙はいい笑顔を残して去っていった。
残されたレミリアはふぅと息を吐き、
「……馬鹿だろ、あいつ」
色々な気持ちを込めてそう呟いて、くすりと笑った。
次に廊下を行く吸血鬼が出会ったのは、
「あ、お嬢様じゃん」
「……お前もいたのか」
目の前に走り寄ってくるのは、同じような背丈の青い髪をした氷精。
その姿を認めてレミリアは溜息を吐いた。
「なによう、感じ悪いわね。あたいだけじゃないよ、見たとこ色んな奴がもうたくさん潜り込んでんだから」
「ああ、はいはい、わかったわかった、全部まとめて面倒見てやるから好きなだけ楽しんでいきなさいよ」
そう可笑しそうに言って立ちはだかる氷精の横を、面倒くさそうに通り過ぎようとした。その時、
「おっと、ちょっと待ちなさいってば」
またもその肩をはっしと掴んで、氷精チルノはレミリアをぐるっと半分ターンさせる。
「なんだよもー、お前までさー」
されるがままに半回転し、ぶすっとした顔でそう問いかけるレミリア。
「まあまあ、それよりさ、あんたも短冊にちゃんと書いたんでしょうね? そう」
そしてまたもその話題を出されてどきりとする吸血鬼へ、氷精は自信満々の笑顔で自分を親指でぐいっと指差しながら、
「あたいと同じく、『最強になれますように』という願いをさ」
何の根拠と自信に満ち溢れているのかまるで見当もつかない目の前の馬鹿のその言葉に、レミリアは濃く煮出したような渋面を向ける。
「……まあ、色々聞きたいとこだけど、一つずついこう。まず、何で私がお前と同じそんな願い事を書かなきゃならん!?」
「えー、だってあたい達ライバルじゃないの、同じく最強を目指すさぁ」
睨みつけるようなレミリアの視線にしれっとそう答えるチルノ。その態度と言葉にレミリアは、
「はっ……ライバル、だって?」
憤慨するでも、呆れるでもなく、ただ静かに笑い飛ばしてそう言った。
「ああっ、鼻で笑いやがったなこの」
「当たり前だろ。好敵手なんてのはな、同じ場所に立てるようになってから言いなさい」
むくれるチルノに、レミリアは、お前が私の好敵とはなぁ、と、何故だか楽しそうに呟いて笑う。
「くっそー、まあ確かにそうかもしんないけどさぁ、でも、だからこそちゃんとそう書いときなさいよ」
「うん? 何でよ」
不思議そうな顔をするレミリアに、馬鹿はびしっと指を突きつけて、
「いつか、あたいが絶対そこまで行ってやるから、その目の前に立ってやるから、だからそれまでそこか、それ以上かになってて欲しいのよ」
そこから下がったあんたなんか、すぐに追い越してやるから、と、そういつもの生意気そうな笑顔で叫ぶチルノ。
一瞬呆気にとられた顔をしたレミリアは、次にすぐさま大笑いの様相へと変わりながら、
「ああ、わかったわかった。油断せずに待っててやるよ」
「わわわ、や、やめろー!」
そう言って目の前のチルノの頭を、両手でぐしゃぐしゃと撫でてやる。
「ああ!? も、もう、何すんのよ! 馬鹿ー!」
「馬鹿はお前だろ」
飽きるまでそうしてからぱっと手を離すと、レミリアは叫ぶチルノに背を向けてまた歩き出した。
ようやく吸血鬼が庭につけば、館の屋根より高くなった笹というか最早竹の周りに、妖精メイド達とその館と関係ない人妖達が群がって、まだ日も高い夕暮れだというのに早くもどんちゃんと騒いでいた。
「まだ準備も途中じゃないの……」
騒ぐその横では、もう少し真面目な妖精メイド達とメイド長の怖さを心底から知っている妖怪メイド達が、夜からのパーティーの準備を黙々と進めていた。
「ああ、お嬢様だー!」
すると、そんな様子を眺めながらぼんやり立ち尽くすレミリアに気づいて、騒いでいた妖精メイド達が嬉しそうに駆け寄って来た。
「どうしたんですかー?」
「ああ、短冊をつけに来たのよ。はいはい、囲まないでちょうだい」
「お嬢様もお願い事ー?」
「何書いたんですかー?」
「適当に色々ってとこよ。はいはい、もう仕事しないと怒られるよお前達」
自分を取り囲んできゃいきゃいと騒ぐ妖精メイド達をうんざりした調子で窘めながら、レミリアは笹の方へ歩いて行く。
「あ、わかりました! 私わかりましたよお嬢様のお願い事!」
と、またもそんな風な内容を叫ぶ妖精メイドの一人に、律儀にまたぎくりとしてレミリアは動きを止めて、
「『博麗の巫女にリベンジできますように』って書いたんですよね! そうですよね!」
そうに違いないという風にそう叫んだ妖精メイドに、当主はずるっとこけそうになったところを気合いと威厳で憤ッと踏ん張った。
「そ、そうなんですか……さすがお嬢様……!」
「借りは返すってやつですね!」
「ん、んん、ああ……」
目を輝かせて自分を見つめる妖精メイド達に、どう答えたものかなとレミリアは言葉を詰まらせて頭をかいた。その時、
「こらぁぁ――!! あなた達何やってるの!」
普段の瀟洒さをどこかへ放り投げた銀髪のメイド長が、館の方からドスドスと走って目の前までやって来た。
「ひぃぃ!」
「どうも作業してる頭数が足りないと思ったらぁぁ、こんなとこでお嬢様にご迷惑までかけてぇぇ」
鬼もかくやという様相で地を震わせるようにそう言うメイド長咲夜に、妖精メイド達は短い悲鳴を上げて一斉にレミリアの後ろへと隠れる。
「いいよいいよ、そこら辺で勘弁してやりなさい、咲夜」
というかいつもの咲夜に戻って欲しい、と、若干自分も引き気味にそう思いながらレミリア。
その言葉に、
「――そうですわね。すみません、お嬢様、お見苦しいところをお見せいたしまして」
すぐさまいつもの瀟洒を被り直して、咲夜は先程までの姿などどこにも存在しなかったかのように美しく振舞った。
うんうん、よかった、いつもの自分の完璧な従者だ、と、さっきまでのことを意図的に忘れようとしながらレミリアは頷き、
「ほら、さっさとあなた達も仕事に戻る。本当にすみません、お嬢様。ほら、あなた達も」
「すみませんでした、お嬢様」
咲夜に促されて、妖精メイド達が一斉に頭を下げた。
「ん、いやまあ、別にかまわないけれどね」
レミリアも別段機嫌を損ねられたわけでもないので、それを受け取ってこの場はそこで終わった、そう思わせて、
「ああ、そうですわ。お嬢様、後一つだけよろしいですか?」
「うん?」
妖精メイド達を引き連れて仕事に戻ろうとする咲夜が振り向いてそう言い放った。訝しげ顔で続きを促すレミリアへ咲夜は告げる。
「短冊のことですけれど、違いますよね。お嬢様の願いがそんな小さなものだなんて……そう」
まだそのことへの言及が続くという運命に顔を引き攣らせるレミリアへ向かって、咲夜は叫ぶようにそれを言う。
「『幻想郷支配』、これこそがお嬢様の願いにして野望! ですものね?」
ぐっとガッツポーズをしながらそう言い切る従者に、レミリアは先程の比でないほどにコケようとする己の体を地面を踏み抜かんばかりに膂力を用いて支えきった。
「さ、咲夜、いや、その、ね……?」
一気に体力を消耗し尽くしたように荒い息をつきながら目の前を見れば、咲夜だけでなく仕事に戻ろうとしていた妖精メイド達まで振り向いて目を輝かせながらこっちを見ていた。
夕闇に溶けていく空の下、そんな光景を見渡して、レミリアは疲れたように笑いながら、
「あ、当たり前じゃないの! 博麗の巫女? ちゃんちゃらおかしいわね、そんなものすぐにでもぶっ飛ばして、私が幻想郷を統べる王となる! その決意がこの短冊には込めてあるわ、更なる紅魔館の発展を願って!」
ずびしっと、いつもの決めポーズをかましながらそう叫んだ。
その宣言を聞いて、おおお、と、嬉しそうに湧く従者達。
それを見て満足したように息を吐こうとしたレミリアの背後で、
「へえ、それは面白い話を聞いたわ。ぶっ飛ばすですって? やってくれるのよね、すぐにでも?」
ぽん、と、その言葉と共に肩に紅白の袖を垂らした手がかけられて、そこから吸い取られでもするように身体から血の気が引いていくのをレミリアは感じた。
「ふぅ……」
そう疲れたように溜息を吐いて、レミリアは椅子に深くもたれかかった。
眩いほどの星明りと、眼下に望む庭でのどんちゃん騒ぎの明かりと喧騒が少しばかり届く、自室のテラスに一人。
ほっと一息をついたそこへ、
「お嬢様ー、短冊なんですけどもー……」
「ああ、書いた書いた! 身長アップも最強も幻想郷制覇も全部書いたとも!」
遠慮なくドアを開きながらの背後のその声に、うんざりしながらレミリアはそう叫んでやった。
「……? 何言ってるんですか、いきなり」
問い返しながら近づいてくる背後の声に、レミリアは少しだけ流すようにして視線を向ける。
深緑の服と真っ紅な髪を垂らした、門番。
「いきなり何を言ってるのはお前だろうよ……どうした、美鈴?」
問いに問いで返せば、
「どうしたのは、お嬢様もですよ。どうしました?」
いつの間にか横へやって来て並んで立つと、美鈴はくすりと微笑みながらまた逆にそう尋ねてきた。
「……少し疲れただけだよ、それで」
観念したようにそう答えて、また溜息をつきながら促すレミリア。
その言葉に美鈴は思い出したように、
「ああ、そうでした。短冊のこと、なんですけれどね」
もう強張る力も持たずにぼんやり聞く体勢へ入るレミリアへそれを告げる。
「あれは、お嬢様のですよね? 天辺の方に隠すように結んである、あの紅いの」
その言葉に、レミリアは静かな驚きの表情を向ける。
「……見つけられるとはね」
「目がいいものですから」
飄々とそう答える美鈴。そんな従者の様子に笑いながら、レミリアは視線を夜空へ向ける。
「あんなこと書いてしまうんだから、廃業よねぇ、私も」
「はは、またまた。いいじゃないですか」
レミリアの言葉にくすくすと笑いながら美鈴。
「でもまあ確かに、『背丈アップ』だの『その内最強』だの『幻想郷支配』だの、そんなお嬢様の願い事の端っこにでもあんな言葉がのぼってくれるなんて……」
「違うよ、どれも私の願いじゃない」
美鈴の言葉を遮るようにして、レミリアがそう言った。
どういうことだと表情で問いかける美鈴へ、レミリアは紅く揺れるそれを、そこから見つめる。
「あの隠すように吊り下げた、あれだけが心底、私が思いついた願い事だよ」
だから廃業だと言ったんだ、と、レミリアは息を吐いた。
その言葉を受け止めて、
「……!」
美鈴は一瞬心底驚いた顔と、次にこみ上げるそれを抑えられなくなったような笑顔になって、
「お嬢様!」
「わわっ!?」
自分の横にあるその小さな少女の体をいきなり抱き上げると、さらに持ち上げて、肩車をするように自分の上へ乗せた。
「ねえ、お嬢様、久しぶりに呑みましょうよ。パチュリー様も誘って、三人で」
「ええ、ちょっと何よいきなり。お前これから後片付けとか諸々、やらなきゃいけないんじゃないの?」
「いいんですよ、どうせ下の全員酔い潰れてますから。私達だけ素面同然だなんて損じゃないですか」
ねえ、と、見上げるようにして笑う従者に、
「そう? それなら、まあ、いいけどね」
主もつられるように仕方なさそうな笑顔をこぼした。
夏の夜風に揺れる一本の大きな笹の天辺に、恥ずかしそうに、それでもしっかりと結ばれて、紅い短冊が一緒に揺れている。
そこには美しい毛筆の字ではっきりと、
『家内安全』
とだけ、書かれていた。
では七夕はどうでしょうと従者が答えたのがその直後。
暇そうにしていた門番が命じられるままに竹林から一本かっぱらって、所々焦げて戻って来たのが二時間前。
庭に立てたそれを魔女が面白がって怪しげな魔法でやたらデカくさせたのが一時間前。
それを見てテンション上がったメイド達が騒ぎ出し、面白がった近所の餓鬼共まで集まって来たのが三十分前。
そうして、
「うーん……どうしたもんかな」
自室にて一人、自己主張の激しい真っ紅な短冊を前に青白い髪の吸血少女が唸っているのが現在であった。
毛筆を片手に対峙する短冊には、未だ何も書かれてはいない。
「願い事、か……」
口に出して、吸血鬼のレミリアは天井を仰ぐ。
先程からずっと書けないのは、
「……何かに願うことなんて」
考えてみると、咄嗟には思いつかないからだった。
何もレミリア自身、欲の一切がない聖人君子などというわけではない。
むしろ誰よりも欲深く、傲慢で、我が侭である自覚があり、何よりもそれを誇りにしていた。
「ああ、だから……かしらね」
その思考の途中で、レミリアはふっと笑う。
そうだ、私の欲も傲慢も我が侭も誇りも、全て自分で叶えるべきものでありものであり、誰かに託すようなものじゃない。
そう思い至って、顔を戻すと短冊を睨みつけ、
「そもそもの所、鬼が何かに祈ろうなんてのが間違った話だよ」
そう言ってやり、飽きたように筆を放ろうとして、
「……」
途中で、はたと何かに思い当ったように手を止めた。
鬼は、私は、私という存在は、誰かに己を願うことなんて出来ない。
けれど、
「――そうだね、そんなことを書いてみるのも、面白いかもしれないわ」
そうひとりごちて、吸血鬼は静かに笑って筆を滑らせた。
「しかし」
周囲を警戒しながら、短冊を手に持って廊下を一人歩くレミリア。
「いざ書いてみたはいいものの、これは誰かに見られたら恥ずかしいな」
きょろきょろと見渡して誰もいないことを確認してから、手の中の短冊を確認して苦笑する。
そこへ、
「よう、お嬢様」
「――!?」
背後からいきなり声がかかった。心臓が口から飛び出しそうな心地で急いで振り向いたその先には、白黒服の金髪の姿。
「お、おまっ、まり、魔理沙っ! どうやって背後に!」
「隠密行動は得意中の得意でな」
珍しく動揺の顔を見せる吸血鬼に、魔理沙はにやりと笑いながらそう答えた。
「はぁ……まったく、人間が妖怪を驚かすんじゃないよ、心臓へのダメージは吸血鬼には死活問題なんだぞ」
「そりゃ悪かったな、今度から気をつけて驚かすことにするさ」
「……頼むよ、次はうっかり反撃してしまいかねないからねぇ。私の背後に勝手に立つ者にはさ」
「わかったわかった……ところで、それなんだ?」
と、憎まれ口をたたき合う途中で魔理沙がふとレミリアの手の中の短冊を指し、レミリアは慌ててそれを背後へ隠す。
「おいおい、隠さなくてもいいだろ、短冊だってことぐらいわかるっての」
「う、うるさいよ、お前こそ何でここにいるんだよ」
「今更それかよ、いつでもいるだろ。まあ、今日は面白そうなこともやってるみたいだしな。イベントあるとこ魔理沙さんありだぜ」
「あーそうかいそうかい、それじゃあ好きに楽しんでいってくれたまえ、じゃあな」
と、すぐさま会話を打ち切って踵を返しかけるレミリアへ、
「まあ、待て」
その肩をがっしりと掴んで魔理沙がぐいっと引き寄せる。
「もー、なんなのよー、お前ー。いいだろもー、自由にしてよー」
うんざりとしたレミリアそんな声を出すのを無視しつつ、魔理沙はその小さな吸血鬼の耳元に口を寄せて、
「まあ、聞けよ。お前がそんなに隠すってことは、あれだろ、その短冊に書いたんだろ? そう」
囁くようにそう言われて、レミリアは一瞬で凍ったように身を固くした。そこへ、魔理沙は続けて、
「お前は書いたはずだ、私と一緒の願い事を」
「……?」
その言葉に、また一瞬で体の力を抜いて吸血鬼は眉根を寄せた疑問の顔になり、魔理沙へ振り向いた。
「つまりは、これだ」
そしてその魔理沙はと言えば、訝しげな視線を向けるレミリアへ向かって自分の短冊を突き出していた。
そこには、
『色々と大きくなれますように』
とでかでかと書いてあった。
「なあに、恥ずかしいって気持ちは私にもよくわかるぜ。私も同じ悩みを抱えるであろうお前だから見せるんだ」
「いや、魔理沙、私は……」
一人で勝手に納得したように頷いている魔理沙へ、レミリアは否定しようとするも、
「いいさいいさ、私とお前の秘密だ、誰にも言わん。だからお前も言うな」
今度背が伸びる茸こっそり持ってきてやるからな、と、声を潜めてそう言うと、魔理沙はいい笑顔を残して去っていった。
残されたレミリアはふぅと息を吐き、
「……馬鹿だろ、あいつ」
色々な気持ちを込めてそう呟いて、くすりと笑った。
次に廊下を行く吸血鬼が出会ったのは、
「あ、お嬢様じゃん」
「……お前もいたのか」
目の前に走り寄ってくるのは、同じような背丈の青い髪をした氷精。
その姿を認めてレミリアは溜息を吐いた。
「なによう、感じ悪いわね。あたいだけじゃないよ、見たとこ色んな奴がもうたくさん潜り込んでんだから」
「ああ、はいはい、わかったわかった、全部まとめて面倒見てやるから好きなだけ楽しんでいきなさいよ」
そう可笑しそうに言って立ちはだかる氷精の横を、面倒くさそうに通り過ぎようとした。その時、
「おっと、ちょっと待ちなさいってば」
またもその肩をはっしと掴んで、氷精チルノはレミリアをぐるっと半分ターンさせる。
「なんだよもー、お前までさー」
されるがままに半回転し、ぶすっとした顔でそう問いかけるレミリア。
「まあまあ、それよりさ、あんたも短冊にちゃんと書いたんでしょうね? そう」
そしてまたもその話題を出されてどきりとする吸血鬼へ、氷精は自信満々の笑顔で自分を親指でぐいっと指差しながら、
「あたいと同じく、『最強になれますように』という願いをさ」
何の根拠と自信に満ち溢れているのかまるで見当もつかない目の前の馬鹿のその言葉に、レミリアは濃く煮出したような渋面を向ける。
「……まあ、色々聞きたいとこだけど、一つずついこう。まず、何で私がお前と同じそんな願い事を書かなきゃならん!?」
「えー、だってあたい達ライバルじゃないの、同じく最強を目指すさぁ」
睨みつけるようなレミリアの視線にしれっとそう答えるチルノ。その態度と言葉にレミリアは、
「はっ……ライバル、だって?」
憤慨するでも、呆れるでもなく、ただ静かに笑い飛ばしてそう言った。
「ああっ、鼻で笑いやがったなこの」
「当たり前だろ。好敵手なんてのはな、同じ場所に立てるようになってから言いなさい」
むくれるチルノに、レミリアは、お前が私の好敵とはなぁ、と、何故だか楽しそうに呟いて笑う。
「くっそー、まあ確かにそうかもしんないけどさぁ、でも、だからこそちゃんとそう書いときなさいよ」
「うん? 何でよ」
不思議そうな顔をするレミリアに、馬鹿はびしっと指を突きつけて、
「いつか、あたいが絶対そこまで行ってやるから、その目の前に立ってやるから、だからそれまでそこか、それ以上かになってて欲しいのよ」
そこから下がったあんたなんか、すぐに追い越してやるから、と、そういつもの生意気そうな笑顔で叫ぶチルノ。
一瞬呆気にとられた顔をしたレミリアは、次にすぐさま大笑いの様相へと変わりながら、
「ああ、わかったわかった。油断せずに待っててやるよ」
「わわわ、や、やめろー!」
そう言って目の前のチルノの頭を、両手でぐしゃぐしゃと撫でてやる。
「ああ!? も、もう、何すんのよ! 馬鹿ー!」
「馬鹿はお前だろ」
飽きるまでそうしてからぱっと手を離すと、レミリアは叫ぶチルノに背を向けてまた歩き出した。
ようやく吸血鬼が庭につけば、館の屋根より高くなった笹というか最早竹の周りに、妖精メイド達とその館と関係ない人妖達が群がって、まだ日も高い夕暮れだというのに早くもどんちゃんと騒いでいた。
「まだ準備も途中じゃないの……」
騒ぐその横では、もう少し真面目な妖精メイド達とメイド長の怖さを心底から知っている妖怪メイド達が、夜からのパーティーの準備を黙々と進めていた。
「ああ、お嬢様だー!」
すると、そんな様子を眺めながらぼんやり立ち尽くすレミリアに気づいて、騒いでいた妖精メイド達が嬉しそうに駆け寄って来た。
「どうしたんですかー?」
「ああ、短冊をつけに来たのよ。はいはい、囲まないでちょうだい」
「お嬢様もお願い事ー?」
「何書いたんですかー?」
「適当に色々ってとこよ。はいはい、もう仕事しないと怒られるよお前達」
自分を取り囲んできゃいきゃいと騒ぐ妖精メイド達をうんざりした調子で窘めながら、レミリアは笹の方へ歩いて行く。
「あ、わかりました! 私わかりましたよお嬢様のお願い事!」
と、またもそんな風な内容を叫ぶ妖精メイドの一人に、律儀にまたぎくりとしてレミリアは動きを止めて、
「『博麗の巫女にリベンジできますように』って書いたんですよね! そうですよね!」
そうに違いないという風にそう叫んだ妖精メイドに、当主はずるっとこけそうになったところを気合いと威厳で憤ッと踏ん張った。
「そ、そうなんですか……さすがお嬢様……!」
「借りは返すってやつですね!」
「ん、んん、ああ……」
目を輝かせて自分を見つめる妖精メイド達に、どう答えたものかなとレミリアは言葉を詰まらせて頭をかいた。その時、
「こらぁぁ――!! あなた達何やってるの!」
普段の瀟洒さをどこかへ放り投げた銀髪のメイド長が、館の方からドスドスと走って目の前までやって来た。
「ひぃぃ!」
「どうも作業してる頭数が足りないと思ったらぁぁ、こんなとこでお嬢様にご迷惑までかけてぇぇ」
鬼もかくやという様相で地を震わせるようにそう言うメイド長咲夜に、妖精メイド達は短い悲鳴を上げて一斉にレミリアの後ろへと隠れる。
「いいよいいよ、そこら辺で勘弁してやりなさい、咲夜」
というかいつもの咲夜に戻って欲しい、と、若干自分も引き気味にそう思いながらレミリア。
その言葉に、
「――そうですわね。すみません、お嬢様、お見苦しいところをお見せいたしまして」
すぐさまいつもの瀟洒を被り直して、咲夜は先程までの姿などどこにも存在しなかったかのように美しく振舞った。
うんうん、よかった、いつもの自分の完璧な従者だ、と、さっきまでのことを意図的に忘れようとしながらレミリアは頷き、
「ほら、さっさとあなた達も仕事に戻る。本当にすみません、お嬢様。ほら、あなた達も」
「すみませんでした、お嬢様」
咲夜に促されて、妖精メイド達が一斉に頭を下げた。
「ん、いやまあ、別にかまわないけれどね」
レミリアも別段機嫌を損ねられたわけでもないので、それを受け取ってこの場はそこで終わった、そう思わせて、
「ああ、そうですわ。お嬢様、後一つだけよろしいですか?」
「うん?」
妖精メイド達を引き連れて仕事に戻ろうとする咲夜が振り向いてそう言い放った。訝しげ顔で続きを促すレミリアへ咲夜は告げる。
「短冊のことですけれど、違いますよね。お嬢様の願いがそんな小さなものだなんて……そう」
まだそのことへの言及が続くという運命に顔を引き攣らせるレミリアへ向かって、咲夜は叫ぶようにそれを言う。
「『幻想郷支配』、これこそがお嬢様の願いにして野望! ですものね?」
ぐっとガッツポーズをしながらそう言い切る従者に、レミリアは先程の比でないほどにコケようとする己の体を地面を踏み抜かんばかりに膂力を用いて支えきった。
「さ、咲夜、いや、その、ね……?」
一気に体力を消耗し尽くしたように荒い息をつきながら目の前を見れば、咲夜だけでなく仕事に戻ろうとしていた妖精メイド達まで振り向いて目を輝かせながらこっちを見ていた。
夕闇に溶けていく空の下、そんな光景を見渡して、レミリアは疲れたように笑いながら、
「あ、当たり前じゃないの! 博麗の巫女? ちゃんちゃらおかしいわね、そんなものすぐにでもぶっ飛ばして、私が幻想郷を統べる王となる! その決意がこの短冊には込めてあるわ、更なる紅魔館の発展を願って!」
ずびしっと、いつもの決めポーズをかましながらそう叫んだ。
その宣言を聞いて、おおお、と、嬉しそうに湧く従者達。
それを見て満足したように息を吐こうとしたレミリアの背後で、
「へえ、それは面白い話を聞いたわ。ぶっ飛ばすですって? やってくれるのよね、すぐにでも?」
ぽん、と、その言葉と共に肩に紅白の袖を垂らした手がかけられて、そこから吸い取られでもするように身体から血の気が引いていくのをレミリアは感じた。
「ふぅ……」
そう疲れたように溜息を吐いて、レミリアは椅子に深くもたれかかった。
眩いほどの星明りと、眼下に望む庭でのどんちゃん騒ぎの明かりと喧騒が少しばかり届く、自室のテラスに一人。
ほっと一息をついたそこへ、
「お嬢様ー、短冊なんですけどもー……」
「ああ、書いた書いた! 身長アップも最強も幻想郷制覇も全部書いたとも!」
遠慮なくドアを開きながらの背後のその声に、うんざりしながらレミリアはそう叫んでやった。
「……? 何言ってるんですか、いきなり」
問い返しながら近づいてくる背後の声に、レミリアは少しだけ流すようにして視線を向ける。
深緑の服と真っ紅な髪を垂らした、門番。
「いきなり何を言ってるのはお前だろうよ……どうした、美鈴?」
問いに問いで返せば、
「どうしたのは、お嬢様もですよ。どうしました?」
いつの間にか横へやって来て並んで立つと、美鈴はくすりと微笑みながらまた逆にそう尋ねてきた。
「……少し疲れただけだよ、それで」
観念したようにそう答えて、また溜息をつきながら促すレミリア。
その言葉に美鈴は思い出したように、
「ああ、そうでした。短冊のこと、なんですけれどね」
もう強張る力も持たずにぼんやり聞く体勢へ入るレミリアへそれを告げる。
「あれは、お嬢様のですよね? 天辺の方に隠すように結んである、あの紅いの」
その言葉に、レミリアは静かな驚きの表情を向ける。
「……見つけられるとはね」
「目がいいものですから」
飄々とそう答える美鈴。そんな従者の様子に笑いながら、レミリアは視線を夜空へ向ける。
「あんなこと書いてしまうんだから、廃業よねぇ、私も」
「はは、またまた。いいじゃないですか」
レミリアの言葉にくすくすと笑いながら美鈴。
「でもまあ確かに、『背丈アップ』だの『その内最強』だの『幻想郷支配』だの、そんなお嬢様の願い事の端っこにでもあんな言葉がのぼってくれるなんて……」
「違うよ、どれも私の願いじゃない」
美鈴の言葉を遮るようにして、レミリアがそう言った。
どういうことだと表情で問いかける美鈴へ、レミリアは紅く揺れるそれを、そこから見つめる。
「あの隠すように吊り下げた、あれだけが心底、私が思いついた願い事だよ」
だから廃業だと言ったんだ、と、レミリアは息を吐いた。
その言葉を受け止めて、
「……!」
美鈴は一瞬心底驚いた顔と、次にこみ上げるそれを抑えられなくなったような笑顔になって、
「お嬢様!」
「わわっ!?」
自分の横にあるその小さな少女の体をいきなり抱き上げると、さらに持ち上げて、肩車をするように自分の上へ乗せた。
「ねえ、お嬢様、久しぶりに呑みましょうよ。パチュリー様も誘って、三人で」
「ええ、ちょっと何よいきなり。お前これから後片付けとか諸々、やらなきゃいけないんじゃないの?」
「いいんですよ、どうせ下の全員酔い潰れてますから。私達だけ素面同然だなんて損じゃないですか」
ねえ、と、見上げるようにして笑う従者に、
「そう? それなら、まあ、いいけどね」
主もつられるように仕方なさそうな笑顔をこぼした。
夏の夜風に揺れる一本の大きな笹の天辺に、恥ずかしそうに、それでもしっかりと結ばれて、紅い短冊が一緒に揺れている。
そこには美しい毛筆の字ではっきりと、
『家内安全』
とだけ、書かれていた。
とっても素晴らしかったです!
うん、立派な主だと思うよ!
いいなぁ、心が豊かになれそうです。
流れるように楽しめました。
素敵でした