「またねー、リグルー」
「うん、またねー」
友達に手を振ると、私は踵を返して家路を急いだ。
幻想郷の妖怪や妖精たちは変わっている。なにせカラスが鳴いたら、示し合わせてお家に帰るのだ。
一般的には丑三つ時と並んで、本領発揮の時と目される逢魔ヶ刻。
人里の暢気な子供たちならともかく、怖がられてなんぼの私たちまで同じ生活スタイルというのも、正直どうかなあとは思う。
近頃ではどんな凶暴な妖怪も丸くなってしまって、少し張り合いがないような気もする。
逢魔ヶ刻より、夕飯時という呼称の方に親しみがある妖怪というのは、絶対に間違っているだろう。
不規則、不健康に、血の滴る人間の肉を喰らってこその、妖怪というものではなかろうか。
けれどまあそうは言っても、実際に人間を食べると化け物じみた巫女がすっとんでくるわけで、どのみちそんなものは夢物語ではあったのだが。
そして結局、お腹がすくのには耐えられないので、やっぱり一日三食、人間みたいな食生活を送らざるを得ないのだった。真似して作っただけだけど、人間のご飯美味しいし。実はそんなに不満はない。
くうくう鳴るお腹の同胞を宥めながら空を飛んでいると、ふと夕日に淡く照らされた花畑の中に、見慣れた背中を見つけた。
もう日は落ちつつあるので必要なくなったのか、トレードマークの日傘は閉じて脇に置き、しゃがみ込んで鼻歌交じりに土を弄っている。
ご機嫌なのか拍子を取るように身体を左右に動かしており、その度に若草色の短髪がうなじの辺りでひょこひょこと跳ねていた。
見かけた以上はなんとなく、そのまま通り過ぎるのも躊躇われたので、私は近づいて声を掛けてみることにした。
「やあ、幽香」
「みゃぁあっ!?」
ぽんと肩を叩くと、猫みたいな声を上げて飛び上がった。目をまん丸にしてこちらを振り返る。
咄嗟に引っ掴んだ傘の鋭い先端をぴしりと眼前に突きつけられて、私は全力で万歳の姿勢を取り、敵意のないことをアピールした。
彼女、上記の丸くなってしまった妖怪、という風評に一喝を放つがごとき凶暴凶悪の化身であるところの風見幽香は、相手が私だと理解すると、ようやく傘を下ろしてくれた。
ただし、呆れと侮蔑とをふんだんに盛り合わせた、最悪な視線のオマケつきではあったけれど。
「なんだ、貴女だったの。驚かしやがるんじゃないわよ」
「……いや、むしろこっちのが驚いたんだけど。何やってるのさ、こんなところで」
「はぁ? 私の花畑で私がやることと言ったら、園芸に決まってるじゃない。見てわからないのかしら。相変わらず察しの悪い妖怪ね。だからきっと雑魚なのね。それとも虫風情には高度すぎる要求だったかしら。まったく使えない虫よね」
「……悪かったね」
捲くし立てるように相手を即座に扱き下ろす。思わず感心してしまいそうな熟練の業だ。
私が憮然と言葉を返すと、幽香は相手を馬鹿にしきった実に小憎たらしい目つきで腰に手を当てた。
まさに鬱陶しく飛び回る虫にそうするように、しっしと手を払う。
「まったくだわ。わかったらとっとと消えなさい。見てわかるだけのおつむがあるかは知らないけど、私は今とても忙しいの。貴女みたいに、暇な木っ端妖怪の相手をしている余裕なんて、欠片もないんだから。お邪魔虫にもほどがあるってものよね。虫だけに」
「別に上手くはないからね」
しごく冷静に告げると、幽香はこめかみにバッテンを浮かべた。
口元を引き攣らせながら、ドスの利いた声を出す。
「口答えとはまた気合入れて調子こいてるじゃないこの虫……。潰すわよ? 強制的にダンゴ虫にするわよ? コラ」
「遠慮しとく。まだ蛍に未練あるし。もう、やだなあ、これくらい軽い冗談じゃん。大妖だっていうなら、もう少し大目に見てよ」
「獅子は兎を狩るのにも残虐を尽くす。いい言葉よね」
「色々間違った発言どうもありがとう。んー、でもさー」
私は可愛らしく指を顎に当てた。上目遣いに幽香の顔を覗き込み、にやりと笑って言ってやる。
「花を大事そうに撫でながら笑ってる幽香、とっても優しい顔してたけどなあ」
「なっ」
とたん幽香はぼっと耳まで赤くなる。相も変わらず、底意地の悪い癖をして変にうぶな奴だ。剥き出しの闘争本能に反して、やたらと隙が多くて打たれ弱いところが、この妖怪にはあった。
私のように日頃ボロクソにされている弱小妖怪などにとっては、格好のからかいの種として常に重宝している。いやあ、実に面白い。
私がなおも嫌らしい笑みを湛えて見守っていてあげると、幽香は一気に頭に血を上らせたようだった。奥歯をぎりりと噛み締めながら、傘を大きく振りかぶる。
「こ、こ、この虫っ。言うに事欠いてこの大妖、四季のフラワーマスター、風見幽香にやや、優しいだなんてっ。あの、えっと、うぅ、ば、馬鹿にしてっ。ただじゃ済まさないんだからっ。そこに直りやがんなさい、躾けなおして……つっ!」
両腕を振り上げて、がおーっと気炎を上げようとした幽香が、急に片手を胸元に寄せた。
あかんべーでも繰り出しながら逃走してやろうと画策していた私は、気勢を削がれて思わずつんのめった。
振り返って見ると、彼女の強大な力に比して、まるで手弱女のように華奢な指の先に、小さな傷が出来ていた。
おそらく尖った石にでも引っ掻いたのだろう。その傷は大きさの割りに案外深いようで、ぷくりと溢れた血が、見る間に白い繊手を赤く染めていく。
「うわ、ちょっと大丈夫? しっかりしなよ、ドジだなあ」
「う、うるさいわね。こんなのへでもないわ。ほっときなさい」
得意の園芸で失敗したことが恥ずかしいのか、涙目でぎろりと睨みつけてくる。
まったく、こんな時くらい意地を張らなくてもいいだろうに。らしいと言えばらしいけど。
「しょうがないなぁ。ほら、手、貸して」
「え? あっ、きゃ……」
「ありゃりゃ、こりゃ結構ざっくりいってるね。後でちゃんと手当てしときなよ」
「な、何するのよ! は、離しなさい、この助平虫!」
「わかった、わかった。いいから、大人しくしてなよね」
私は幽香の手首を握って逃がさないようにすると、ポケットからハンカチを取り出して、傷にそっと押し当てた。
やっぱり痛かったのか、幽香はぎゅっと目を瞑ると、ぴくりと身体を震わせる。
「ん……」
「まあ、応急処置にもならないだろうけどさ。取り合えずそのまま押さえときなよ。何もしないよりはマシだから」
「あ。で、でも、これ、汚れちゃう……」
「はは、何言ってるのさ。今更遠慮するような玉じゃないでしょ。いつもみたいに図々しくしてなよ、らしくない」
「んなっ、なんてこと、この……っ。勘違いしないで欲しいわね。汚れると言ったのは、私の指のことよ! こんな小汚いハンカチなんか使わせて、傷口が化膿したらどうする気かしら。ありがた迷惑とはこのことよね。むしろ純粋に迷惑だわ。害虫の懐に収まっていたぼろ切れなんて、どんなばい菌が付着してるか分かったものではないわ。おお、おぞましい」
「はいはい、そうだね、私が悪かったね」
「気持ちが篭っていないわね。どうして謝罪しているのに立ったままなのかしらこの虫ときたら。まずは私の目を見て、はっきりとね……、耳を塞ぐんじゃないわよ!」
「あ、そのハンカチ、あげるから。洗濯とか気にしないでいいからね」
「話を聞けー!」
私はひらひらと手を振りながら、ぎゃーすか騒ぐ幽香に背を向ける。
ふわりと浮き上がると、軽快なフットワークですたこらさっさと逃げ出した。
「あ、こら、どこに行く気よっ。待ちなさい、逃げるんじゃないわよ、この、ばかーッ!」
なんだか酷く理不尽な罵声を浴びせられているけれど、無視だ、無視。虫だけに。
鈍足にかけては幻想郷随一のフラワーマスター、文句があったところでどうせ私に追いつけやしないのだ。
「もうっ。もう……っ」
高速に飛び去っていく私の耳に、幽香の声は尻切れに消えて、届くことはなかった。
最後に一度だけ、肩越しにちらりと背後を窺った。彼女は顔を伏せていた。手に握った何かを、きゅっと抱きしめているようにも見えた。
赤らんだ顔で、ほんの少しだけ、微笑っていた。
「うん、またねー」
友達に手を振ると、私は踵を返して家路を急いだ。
幻想郷の妖怪や妖精たちは変わっている。なにせカラスが鳴いたら、示し合わせてお家に帰るのだ。
一般的には丑三つ時と並んで、本領発揮の時と目される逢魔ヶ刻。
人里の暢気な子供たちならともかく、怖がられてなんぼの私たちまで同じ生活スタイルというのも、正直どうかなあとは思う。
近頃ではどんな凶暴な妖怪も丸くなってしまって、少し張り合いがないような気もする。
逢魔ヶ刻より、夕飯時という呼称の方に親しみがある妖怪というのは、絶対に間違っているだろう。
不規則、不健康に、血の滴る人間の肉を喰らってこその、妖怪というものではなかろうか。
けれどまあそうは言っても、実際に人間を食べると化け物じみた巫女がすっとんでくるわけで、どのみちそんなものは夢物語ではあったのだが。
そして結局、お腹がすくのには耐えられないので、やっぱり一日三食、人間みたいな食生活を送らざるを得ないのだった。真似して作っただけだけど、人間のご飯美味しいし。実はそんなに不満はない。
くうくう鳴るお腹の同胞を宥めながら空を飛んでいると、ふと夕日に淡く照らされた花畑の中に、見慣れた背中を見つけた。
もう日は落ちつつあるので必要なくなったのか、トレードマークの日傘は閉じて脇に置き、しゃがみ込んで鼻歌交じりに土を弄っている。
ご機嫌なのか拍子を取るように身体を左右に動かしており、その度に若草色の短髪がうなじの辺りでひょこひょこと跳ねていた。
見かけた以上はなんとなく、そのまま通り過ぎるのも躊躇われたので、私は近づいて声を掛けてみることにした。
「やあ、幽香」
「みゃぁあっ!?」
ぽんと肩を叩くと、猫みたいな声を上げて飛び上がった。目をまん丸にしてこちらを振り返る。
咄嗟に引っ掴んだ傘の鋭い先端をぴしりと眼前に突きつけられて、私は全力で万歳の姿勢を取り、敵意のないことをアピールした。
彼女、上記の丸くなってしまった妖怪、という風評に一喝を放つがごとき凶暴凶悪の化身であるところの風見幽香は、相手が私だと理解すると、ようやく傘を下ろしてくれた。
ただし、呆れと侮蔑とをふんだんに盛り合わせた、最悪な視線のオマケつきではあったけれど。
「なんだ、貴女だったの。驚かしやがるんじゃないわよ」
「……いや、むしろこっちのが驚いたんだけど。何やってるのさ、こんなところで」
「はぁ? 私の花畑で私がやることと言ったら、園芸に決まってるじゃない。見てわからないのかしら。相変わらず察しの悪い妖怪ね。だからきっと雑魚なのね。それとも虫風情には高度すぎる要求だったかしら。まったく使えない虫よね」
「……悪かったね」
捲くし立てるように相手を即座に扱き下ろす。思わず感心してしまいそうな熟練の業だ。
私が憮然と言葉を返すと、幽香は相手を馬鹿にしきった実に小憎たらしい目つきで腰に手を当てた。
まさに鬱陶しく飛び回る虫にそうするように、しっしと手を払う。
「まったくだわ。わかったらとっとと消えなさい。見てわかるだけのおつむがあるかは知らないけど、私は今とても忙しいの。貴女みたいに、暇な木っ端妖怪の相手をしている余裕なんて、欠片もないんだから。お邪魔虫にもほどがあるってものよね。虫だけに」
「別に上手くはないからね」
しごく冷静に告げると、幽香はこめかみにバッテンを浮かべた。
口元を引き攣らせながら、ドスの利いた声を出す。
「口答えとはまた気合入れて調子こいてるじゃないこの虫……。潰すわよ? 強制的にダンゴ虫にするわよ? コラ」
「遠慮しとく。まだ蛍に未練あるし。もう、やだなあ、これくらい軽い冗談じゃん。大妖だっていうなら、もう少し大目に見てよ」
「獅子は兎を狩るのにも残虐を尽くす。いい言葉よね」
「色々間違った発言どうもありがとう。んー、でもさー」
私は可愛らしく指を顎に当てた。上目遣いに幽香の顔を覗き込み、にやりと笑って言ってやる。
「花を大事そうに撫でながら笑ってる幽香、とっても優しい顔してたけどなあ」
「なっ」
とたん幽香はぼっと耳まで赤くなる。相も変わらず、底意地の悪い癖をして変にうぶな奴だ。剥き出しの闘争本能に反して、やたらと隙が多くて打たれ弱いところが、この妖怪にはあった。
私のように日頃ボロクソにされている弱小妖怪などにとっては、格好のからかいの種として常に重宝している。いやあ、実に面白い。
私がなおも嫌らしい笑みを湛えて見守っていてあげると、幽香は一気に頭に血を上らせたようだった。奥歯をぎりりと噛み締めながら、傘を大きく振りかぶる。
「こ、こ、この虫っ。言うに事欠いてこの大妖、四季のフラワーマスター、風見幽香にやや、優しいだなんてっ。あの、えっと、うぅ、ば、馬鹿にしてっ。ただじゃ済まさないんだからっ。そこに直りやがんなさい、躾けなおして……つっ!」
両腕を振り上げて、がおーっと気炎を上げようとした幽香が、急に片手を胸元に寄せた。
あかんべーでも繰り出しながら逃走してやろうと画策していた私は、気勢を削がれて思わずつんのめった。
振り返って見ると、彼女の強大な力に比して、まるで手弱女のように華奢な指の先に、小さな傷が出来ていた。
おそらく尖った石にでも引っ掻いたのだろう。その傷は大きさの割りに案外深いようで、ぷくりと溢れた血が、見る間に白い繊手を赤く染めていく。
「うわ、ちょっと大丈夫? しっかりしなよ、ドジだなあ」
「う、うるさいわね。こんなのへでもないわ。ほっときなさい」
得意の園芸で失敗したことが恥ずかしいのか、涙目でぎろりと睨みつけてくる。
まったく、こんな時くらい意地を張らなくてもいいだろうに。らしいと言えばらしいけど。
「しょうがないなぁ。ほら、手、貸して」
「え? あっ、きゃ……」
「ありゃりゃ、こりゃ結構ざっくりいってるね。後でちゃんと手当てしときなよ」
「な、何するのよ! は、離しなさい、この助平虫!」
「わかった、わかった。いいから、大人しくしてなよね」
私は幽香の手首を握って逃がさないようにすると、ポケットからハンカチを取り出して、傷にそっと押し当てた。
やっぱり痛かったのか、幽香はぎゅっと目を瞑ると、ぴくりと身体を震わせる。
「ん……」
「まあ、応急処置にもならないだろうけどさ。取り合えずそのまま押さえときなよ。何もしないよりはマシだから」
「あ。で、でも、これ、汚れちゃう……」
「はは、何言ってるのさ。今更遠慮するような玉じゃないでしょ。いつもみたいに図々しくしてなよ、らしくない」
「んなっ、なんてこと、この……っ。勘違いしないで欲しいわね。汚れると言ったのは、私の指のことよ! こんな小汚いハンカチなんか使わせて、傷口が化膿したらどうする気かしら。ありがた迷惑とはこのことよね。むしろ純粋に迷惑だわ。害虫の懐に収まっていたぼろ切れなんて、どんなばい菌が付着してるか分かったものではないわ。おお、おぞましい」
「はいはい、そうだね、私が悪かったね」
「気持ちが篭っていないわね。どうして謝罪しているのに立ったままなのかしらこの虫ときたら。まずは私の目を見て、はっきりとね……、耳を塞ぐんじゃないわよ!」
「あ、そのハンカチ、あげるから。洗濯とか気にしないでいいからね」
「話を聞けー!」
私はひらひらと手を振りながら、ぎゃーすか騒ぐ幽香に背を向ける。
ふわりと浮き上がると、軽快なフットワークですたこらさっさと逃げ出した。
「あ、こら、どこに行く気よっ。待ちなさい、逃げるんじゃないわよ、この、ばかーッ!」
なんだか酷く理不尽な罵声を浴びせられているけれど、無視だ、無視。虫だけに。
鈍足にかけては幻想郷随一のフラワーマスター、文句があったところでどうせ私に追いつけやしないのだ。
「もうっ。もう……っ」
高速に飛び去っていく私の耳に、幽香の声は尻切れに消えて、届くことはなかった。
最後に一度だけ、肩越しにちらりと背後を窺った。彼女は顔を伏せていた。手に握った何かを、きゅっと抱きしめているようにも見えた。
赤らんだ顔で、ほんの少しだけ、微笑っていた。
スケコマシリグルはそこへ直れ
すっごい良かった!!!
「みゃぁあっ!?」って叫ぶ幽香りん。貴様俺を殺す気か!!
ってな感じ(超主観)のゆっかさんとすここましKingりぐるん、ごっそさまっした。
ってな感じ(超主観)のゆっかさんとすここましKingりぐるん、ごっそさまっした。