きっと彼女は知らなかっただろう。
月の光を吸い込んだような銀の髪に何度、私が見とれてたかなんて。遙かに広がる空を思わせる蒼い瞳にずっと、心惹かれていたことを。
手を伸ばせばすぐ傍にあった確かな温もりは、今も覚えてる。瀟洒な立ち振る舞いで日々を彩った姿を、忘れるなんて出来やしない。
でも、いつかはこの日が来ると知っていた。けれども来ないで欲しい願い続けてもいた。大切に育てた一輪の花を、永久に傍らで咲かせたいと願っていた。
私のものじゃなくなった彼女。
遠く離れてしまったからこそ、見えたものがあって。ようやく気付けた思いは行く先もなく彷徨ってばかり。
「いつまで、そうしているつもり」
照りつける日差しが強さを増す、夏の昼。
どうにも寝付くことも出来ずにあてもなく紅魔館の廊下を歩いてると、背後から声をかけられた。立ち止まり振り向いた先には紫色をした友人の姿。空気に乗るような体勢で浮かぶパチェが、こちらを睨みつけていた。
「……何のことよ」
外からは賑やかな笑い声が響く。太陽の下、誰も彼もが祝福を贈っているのだろう。向かいかけた視線を逸らし、首を傾げて見せれば、溜息一つ返された。深々と、わざとらしく。
呆れたように頭を振ると、パチェが手に持っていたそれを差し出した。一着のメイド服。これが誰のかなんて、問うまでもない。今はここに居ない彼女のものだ。
「咲夜のこと。いつまで逃げ回っているの」
「私は逃げてなんか――」
「レミィ」
とっさに出た言葉はただの一言に負け、何も言えなくなってしまう。沈黙が流れ、どうにかこの場を切り抜けようと考えるも、形にならない。
普段は重たそうにしている瞳を真っ直ぐ向けながら、パチェが言葉を紡ぐ。
「貴女は本当に、このままで良いの? 咲夜がこのまま去ってしまって、本当に良いと思っているの?」
騒がしい声が、煩わしい。喜びに溢れた声が聞こえてくる度に胸の中心が引っかかれたように疼いて、気分が悪い。祝いの言葉なんて悪魔の館には似合わないのに。
唐突に名前を呼びたくなった。彼女の名前を。いつだって、どこに居たって私の傍に来てくれた彼女の名前を。瀟洒という言葉が一番似合う、彼女を。
「……構わないわ」
でも、もう呼ぶわけにはいかない。彼女は私のものじゃない。
大切な人と寄り添い、支え合って生きていくこと。それが人間の正しい幸福だ。悪魔の従者なんてものは似つかわしくない。
私の答えは静まり返った廊下に、沁みるように広がった。まるで自分の声じゃないように、何度も言い聞かせた言葉が、小さく反響する。今までだって響いていたはずなのに、見た目よりも広いこの場所が、ひどく寂しい。
「これが人間にとっての幸せなのよ」
握りしめた拳が痛みを訴える。視線を下ろせば、突き立てた爪が小さく皮膚を傷つけていた。破れた手のひらからこぼれた血を拭う。
その間にも跡も残さず、傷はすぐに塞がった。痛みの欠片も残さず、どこが治ったか見分けが付かない、青白い私の手。
思わず笑ってしまった。吸血鬼にとって、傷は恐れる程のことじゃない。そんな当たり前のことを改めて知らされた気分がおかしくて、愉快で。
生まれた疼きが消えないのが、どうしようもなくて。
「……そう」
淡々とした声。すっかりと忘れていた存在に目を向ければ、ドォォンと鐘の音のように打ち鳴られた魔砲にしかめていた。
宴の花とも言える弾幕騒ぎ。一層と盛り上がる声は、しばらく終わりそうにもない。
「貴女がそう決めたのなら、私はもう何も言わないわ」
賑やかさに消えてしまうかと思う程、小さな言葉。そう呟いた声がどこか細く、弱く思えたのは、都合の良い勘違いだったのだろうか。
笑みを隠して見やれば、眠たげな眼とぶつかるだけで、そこからは何の感情を読み取れない。
それ以上の言葉を交わすことなく。大図書館へと戻って行くパチェの後ろ姿をただ無言で見送ってから、私も部屋へと戻る。
外の騒々しさとは裏腹に、館の中は物音一つしない。メイド妖精達はここぞとばかりに仕事を投げ出し、宴に混じって笑っているのだろう。
その中心に、幸せそうに微笑む彼女を囲みながら。
――誰よりも愛してる。
小さなプライドに邪魔されて言い出せなかった、行く先を失った言葉。
それはずっと消えない、胸の疼き。
月の光を吸い込んだような銀の髪に何度、私が見とれてたかなんて。遙かに広がる空を思わせる蒼い瞳にずっと、心惹かれていたことを。
手を伸ばせばすぐ傍にあった確かな温もりは、今も覚えてる。瀟洒な立ち振る舞いで日々を彩った姿を、忘れるなんて出来やしない。
でも、いつかはこの日が来ると知っていた。けれども来ないで欲しい願い続けてもいた。大切に育てた一輪の花を、永久に傍らで咲かせたいと願っていた。
私のものじゃなくなった彼女。
遠く離れてしまったからこそ、見えたものがあって。ようやく気付けた思いは行く先もなく彷徨ってばかり。
「いつまで、そうしているつもり」
照りつける日差しが強さを増す、夏の昼。
どうにも寝付くことも出来ずにあてもなく紅魔館の廊下を歩いてると、背後から声をかけられた。立ち止まり振り向いた先には紫色をした友人の姿。空気に乗るような体勢で浮かぶパチェが、こちらを睨みつけていた。
「……何のことよ」
外からは賑やかな笑い声が響く。太陽の下、誰も彼もが祝福を贈っているのだろう。向かいかけた視線を逸らし、首を傾げて見せれば、溜息一つ返された。深々と、わざとらしく。
呆れたように頭を振ると、パチェが手に持っていたそれを差し出した。一着のメイド服。これが誰のかなんて、問うまでもない。今はここに居ない彼女のものだ。
「咲夜のこと。いつまで逃げ回っているの」
「私は逃げてなんか――」
「レミィ」
とっさに出た言葉はただの一言に負け、何も言えなくなってしまう。沈黙が流れ、どうにかこの場を切り抜けようと考えるも、形にならない。
普段は重たそうにしている瞳を真っ直ぐ向けながら、パチェが言葉を紡ぐ。
「貴女は本当に、このままで良いの? 咲夜がこのまま去ってしまって、本当に良いと思っているの?」
騒がしい声が、煩わしい。喜びに溢れた声が聞こえてくる度に胸の中心が引っかかれたように疼いて、気分が悪い。祝いの言葉なんて悪魔の館には似合わないのに。
唐突に名前を呼びたくなった。彼女の名前を。いつだって、どこに居たって私の傍に来てくれた彼女の名前を。瀟洒という言葉が一番似合う、彼女を。
「……構わないわ」
でも、もう呼ぶわけにはいかない。彼女は私のものじゃない。
大切な人と寄り添い、支え合って生きていくこと。それが人間の正しい幸福だ。悪魔の従者なんてものは似つかわしくない。
私の答えは静まり返った廊下に、沁みるように広がった。まるで自分の声じゃないように、何度も言い聞かせた言葉が、小さく反響する。今までだって響いていたはずなのに、見た目よりも広いこの場所が、ひどく寂しい。
「これが人間にとっての幸せなのよ」
握りしめた拳が痛みを訴える。視線を下ろせば、突き立てた爪が小さく皮膚を傷つけていた。破れた手のひらからこぼれた血を拭う。
その間にも跡も残さず、傷はすぐに塞がった。痛みの欠片も残さず、どこが治ったか見分けが付かない、青白い私の手。
思わず笑ってしまった。吸血鬼にとって、傷は恐れる程のことじゃない。そんな当たり前のことを改めて知らされた気分がおかしくて、愉快で。
生まれた疼きが消えないのが、どうしようもなくて。
「……そう」
淡々とした声。すっかりと忘れていた存在に目を向ければ、ドォォンと鐘の音のように打ち鳴られた魔砲にしかめていた。
宴の花とも言える弾幕騒ぎ。一層と盛り上がる声は、しばらく終わりそうにもない。
「貴女がそう決めたのなら、私はもう何も言わないわ」
賑やかさに消えてしまうかと思う程、小さな言葉。そう呟いた声がどこか細く、弱く思えたのは、都合の良い勘違いだったのだろうか。
笑みを隠して見やれば、眠たげな眼とぶつかるだけで、そこからは何の感情を読み取れない。
それ以上の言葉を交わすことなく。大図書館へと戻って行くパチェの後ろ姿をただ無言で見送ってから、私も部屋へと戻る。
外の騒々しさとは裏腹に、館の中は物音一つしない。メイド妖精達はここぞとばかりに仕事を投げ出し、宴に混じって笑っているのだろう。
その中心に、幸せそうに微笑む彼女を囲みながら。
――誰よりも愛してる。
小さなプライドに邪魔されて言い出せなかった、行く先を失った言葉。
それはずっと消えない、胸の疼き。
だが彼女らしいのか……
せつねえよ