夜這いをする勇気は完全に消えてしまったし、もう湧くこともないだろう。
ならば、回りくどくても、別の手で彼と既成事実を作るしかない。
……ただ、あの夜這いの夜から彼女の笑顔が頭に染み付いている。
ダメなのに……ダメなのに……! アタイには彼女を幸せにすることが出来ないのに!
あぁ……四季映姫様。こんな部下を持ってしまった故に、貴女(あなた)には多大な迷惑をかけてしまいました。
あなたには届かないでしょうが、言わせて貰います。私は、貴女のことが好きです。
ですが、あんなことを言われているなんて、私には耐えられません。
ですから、アタイは貴女のことを想いながら、貴女のことを忘れます。
貴女は最大限に幸せになって下さい。
それが、アタイの最後の我侭です……。
*
時刻は太陽が天に昇りきった頃で、私と紫と文は私の家に戻っている。紫と文は何か話し合っているようだが、私はあの光景が頭にこびり付いて、何度も何度も思い返してしまう。
「……それで、これからどうするんですか? 紫さん」
「それは……四季映姫様が決めることよ」
「それもそうですね。四季映姫。四季映姫様はこれからどうする――四季映姫様?」
「――あ、え、えぇ。何でしょう?」
「大丈夫ですか? 何だか心此処にあらずって感じでしたよ?」
「記者さん。それは仕方ないわよ。よりによって、小町が好いてる男があの朴念仁なんですもの」
「朴念仁……」
森近 霖之助の人柄は良く知っている。主に外の世界の道具に精通していて、性格は温厚。小町を襲うような馬鹿ではないことは確かだ。だが、逆に言えば、それは小町に関心が無いとも言える。彼の興味の対象は道具一辺倒である。要するに、仕事人間なのだ、彼は。そんな仕事人間が小町を幸せに出来るかと問われれば、疑問を呈するしかない。だから――
「……私としては、森近 霖之助は小町と共にいるべき人間かどうか、白黒付けたいと思っています」
「そうね。それが今のところの妥当な案ね」
「つまり、当初の予定通り、二人を尾行して、その様子を探るという計画ですね?」
「えぇ。その通りです」
「つまり私は密着で取材が出来ると」
「……えぇ。その通りです」
やはり、こういうプライベートなことを記事にするのには些か抵抗がある。まぁ、出来ても、私が真っ先に検閲しますけどね。
「まぁ、それはお楽しみとして取っておくとして。突然ですが、霖之助さんと小町さんは本当に付き合っているのでしょうか?」
「……何が言いたいの?」
文が奇妙なことを言い出す。
「だって、小町さんが霖之助さんを見送った時の表情、見てました? あれ、好きな人を送り出すという顔よりも、仕様が無く送り出した、っていう顔でしたよ?」
「そうね。私もそこは気になってたわ」
「紫まで……」
「何か臭いのよね。あの二人。とても付き合っているカップルには見えなかったわ」
「それじゃ……小町が私に嘘を吐いたとでも言うのですか!?」
「残念ながら……そういうことになるわね」
「そんな……どうして?」
「それは、私にも分からないわ。ただ、どうしても四季映姫様に嘘を吐かざるを得ないような事情があった。そういう風に考えられるわね」
「嘘を吐かざるを得ない事情って……」
洞察力が高い文と非凡な頭脳を持っている紫の両名が言うのだ。小町が嘘を付いているということはほぼ間違いないだろう。
問題は、何故小町が私に嘘を吐いたかだ。
私は小町との生活を思い返したが、やはりそんな事情に追い込まれそうな事柄は全くなかった。一体、小町が何を思って私に嘘を付き、そして私から離れたのか。私にはとてもじゃないが、見当がつかない。
しかし、私としてはこれが最重要の案件であると確信している。
どんな手を使ってでも、この謎を解いて、真相を暴かなければ、小町が戻ってくることはおろか、小町を幸せにすることも出来ない。
一刻も早く、小町が私に嘘を吐かざるを得なくなった背景を調べるべきなのだ。
「ただ……」
紫が憂い顔で言う。
「私達には、それを調べる術がないわね……」
「そうですね……ならば、やはり尾行でしょう。今出来ることはそれしかありません」
「でも、あの二人が何時二人っきりで外出するか分からないわ」
「あぁ、それは心配ありません。何故なら――っと、ちょうどその手段が帰って来たみたいですね」
文が外の方に視線を移すと、そこには一羽の黒い鴉が止まっていた。
「ふむ。どうやら、あの二人は動き出したようですよ?」
黒い鴉に餌を与えながら、文は黒い笑みを浮かべた。
*
私達は紫の隙間の中から、二人の行動を追跡している。小町は霖之助の腕に自分の腕を絡ませており、傍から見れば、恋人以外何者でもない。
「いたいた。あれね」
「うわー。寄り添っちゃってますよ。どうなんですかねー、あれ」
「でも、道具屋さんの顔があまり嬉しそうには見えないわね。というよりも、無表情」
「むむー。あんな巨大兵器を押し付けられても平然としてるなんて。もしかして彼、あっちの気があります?」
「そうだったら、むしろ、選んだ小町が救われないわね」
「ところで、四季映姫様。さっきから黙り込んでますが、どうなされました?」
急に話が振られたので、私は少し焦りながら応える。
「えぇ、いや、あの、そのですね……。あの二人が進んでいる方向が……」
「方向? あぁ、どうやら二人は中有の道に向かうみたいですね」
「うん。そうなのよね……」
「それが、どうかしたのかしら?」
「ううん。何でもないんだけど……」
この二人は知らない。中有の道の出店は、小町が私を誘ってくれた場所なのだ。
その思い出の地に、霖之助を連れて行く。小町は、やはり霖之助が好きなのではないだろうか?
「あ、二人が何か話してますよ。……ここからじゃよく聞こえませんねー」
文が残念そうに呟くと、紫がクスっと笑った。
「ふふっ、任せて頂戴」
そう言って、紫は扇子で空間に少しの亀裂を入れる。耳を澄ますと、二人の会話がはっきりと聞こえるようになった。紫は二人の近くに隙間を少し開け、声を拾っているようだ。
「ナイスです。紫さん」
「それほどでもないわ。それより、二人の話を聞かないと」
紫がそう言ったので、私達は耳を澄まして二人の会話に集中した。
*
「いきなりなんだと思ったら、ここは中有の道の出店じゃないか」
「うん。そうだね」
「そうだね、って……どうするつもりなんだい? 何か裏がありそうな気がするんだが」
「いや、なに。普段お世話になってるから、そのお返しのつもりだと思ってくれるといいよ。別に他意はない」
「……そうか。君がそこまで言うのなら、今日は楽しむとするかな」
「うん。是非楽しんで。それじゃ、アタイが案内するよ」
「ん。頼む」
*
二人は行動をし始めた。
まず、射的だ。あの盗品が並べられていた店。紫の隙間から覗くと、私が粛清した甲斐もあって、きちんとした商品を並べているようだ。
次に、ソフトクリーム。小町と一緒に食べた、あの特徴的過ぎる色。だが、店の店主が変わったのか、それとも飽きて止めたのか、今では普通のソフトクリームしか売っていない。
私は小町が私の時と同じような順番で廻っていることに驚いた。そして、あの日の通りならば、次は呪いを掛けられたと勘違いした小町が接吻をするところだ。
だが、今では普通のソフトクリームである。血の色もしてないし、剣山のような氷もないし、まして呪いキャンペーンなんてやってるわけがない。
「あれ? 小町さん、なんか表情が険しいですね」
「そうねぇ。しかめっ面、と言うのが形容するに相応しい顔ですわね。どうして、あんな顔をしてるのかしら?」
「紫さんにも分からないことを私に聞かれても、答えられるわけないじゃないですか」
「……きっと機会を逃したからでしょうね」
「機会?」
「えぇ。前、小町とあそこのソフトクリーム屋に行った時、そこでは『接吻をしないと解けない呪い』をランダムにソフトにかけるキャンペーンをやっていたんですよ」
「けれど、今はもうやっていない、と」
「その通りです。きっと、小町は呪いにかかっていようがいまいが、霖之助に接吻をし、既成事実を作ろうとしたのでしょう」
「なるほどー。確かにそれなら生真面目な霖之助さんは、小町さんを人生の伴侶にしてもおかしくはないですねー」
「えぇ……その、通りです……」
「あれ、四季映姫様? なんだか顔色が悪いようですけど……」
文がそう言うと、紫が心配そうな表情で話しかけてきた。
「四季映姫様……あまり無理はなさらないで下さい。あまりご無理をなさると……心労が祟って倒れてしまいますよ?」
紫の言う通りだ。今、私の精神状態は限りなく揺らいでいる。小町がそういう行動を取れば取るほど、小町は私のことが嫌いなんじゃないか、小町は私のことを疎ましく思っていたんじゃないかと、嫌な想像が頭の中に巡るのだ。
正直、吐き気もするし、頭もガンガンと内側から金槌で殴られているかのように痛い。
こんなことをしても、小町の幸せを邪魔するだけかも知れない。けれど――
「私は、どんなに心が折れそうになろうとも、小町が何故私の元から離れたのか、それを知らなくてならないのです……!」
小町は私のことが嫌いなのかも知れない。小町は私のことを疎ましく思っているのかも知れない。けれでも、私は白黒付けなければならない。小町と、小町にそこまでの行動をさせている、自分に。
私の言葉を聞いた時、紫と文はしばらく考え込んで、力強く頷いた。
「四季映姫様がそこまで言うのなら、この八雲 紫。最後まであなたと共に結末を見届けましょう」
「私はしがない新聞記者の端くれですが、四季映姫様のその御心を、このネタ帳と私の心に刻みます」
「紫……文……」
その言葉を聞いた瞬間、私の心に圧し掛かっていた重しは不思議と雲散霧消してしまった。
こんなにも心強い味方がいる。それは、私の精神(こころ)に活力を取り戻すのに十分な理由となったのだ。
「二人共……ありがとうございます」
私は二人に頭を下げ、感謝の意を示す。
「わ! あ、頭を上げてください! 四季映姫様!」
「そうですよ。四季映姫様。それに、まだ何も終わってません」
紫がにっこりと微笑んで言った。私も、涙を拭って笑う。
「そうですね。それじゃ、二人共。最後まで、よろしくお願いします」
「はい!」
「えぇ」
私達は、小町と霖之助の尾行を再開した。
*
小町は霖之助を連れて、とある喫茶店へと入って行った。どうやら、お茶にするらしい。私達は隙間を通じて中を伺う。
その喫茶店は質素な空間が売りで、店内も落ち着いた雰囲気のテーブルや椅子を使用している。
小町と霖之助は二人共アイスコーヒーを頼み、そのまま会話することもないようようで、アイスコーヒーが来るまでは沈黙を守っていた。
「……ちょっと。全然、何も話さないじゃないですか」
「そうねぇ。普通の恋人なら、アイスコーヒーが来るまでの間の時間にも楽しそうに会話するわね。むしろ、アイスコーヒーが来たとき『あぁ、いいところだったのに』って邪魔された感を感じるのが通例だわ」
「何で紫はそこまで詳しいんですか……」
「ところで、四季映姫様は小町さんのことを何時好きになったんですか?」
「え? な、なな何を急に?」
「いえ、取材ですから」
忘れかけていた。文がこの尾行に同席している理由は私との密着取材が目的だったのだ。
「それで、答えてくれますよね?」
「えぇ……まぁそれくらいなら」
「ありがとうございます。それで、何時からですか? 出会った当初からの一目惚れですか?」
「いえ。私の場合……小町が部下になったときはそうでもなかったんですが、小町の人柄を徐々に知ってくる内に……」
「気が付いたら好きになっていた、と」
「えぇ。何時の間にか、小町のことが忘れられなくなってたんです。小町が家を差し押さえられた時も、放って置くことが出来なくて」
「別に狙ったわけじゃないんですか?」
「ね、狙うなんて! 私にそんな度胸があるわけないじゃないですか……。小町が家に着いた時、『あれ? これって同棲じゃない?』って、そこで初めて気が付いたんです。おかげで、その夜は翌日の裁判の資料に手がつかず、ずっと悶えていて、気が付いたら朝になってた状態なんですから……」
「……思ったんですが。四季映姫様ってかなり天然ですね」
「私はそれをずっと前から知ってるわよ」
「ゆ、紫! そんな風に思ってたんですか!?」
「えぇ。四季映姫様は私に『今日小町がサボったー』『閻魔として叱らなくちゃいけないけど嫌われないかなー』なんて、いつもいつも愚痴を私に言いに来て、それで私が四季映姫様の『小町が好き』という感情に気付いてないと思ってたんですからね」
「うわ、それは天然ですね。普通そこまで言うのなら完全に『四季映姫様は小町が好きです』って言いふらしているようなもんなのに」
「う、うるさいうるさい! 私は天然じゃなーーーーーーいぃ!」
『いえ、その叫びがすでに天然です』
紫と文が口を揃えて言うので、私はしょんぼりとするしかなかった。うぅ……元々、閻魔の威厳なんてなかったのかしら?
「あ、何やら小町さんが何か話しそうですよ」
文の指摘で私と紫は隙間に目を向ける。小町がもじもじとして、まるで言いたいことはあるけど言葉が見つからない。そんな状態にいた。
『あ、あの……』
『ん? どうしたんだい?』
『…………』
『おいおい。呼びかけておいて無言はないだろう?』
霖之助が苦笑する。
けれど、私は笑えなかった。
何か、嫌な胸騒ぎを覚えて、それが何なのか、分かりそうで分からなくて。でも、分かっちゃダメ! と自分の中が叫んでいて。
わけが分からなかった。けど、確実に嫌なことが起きる。何故か、確信できた。
そして――小町が口を開く。
『あ、アタイと結婚してくれっ!!』
ぐらり、と世界が揺らぐ。
「四季映姫様!?」
紫と文が驚愕の目で私を見る。けれど、私はそれに気を回すことは出来なかった。
ドサリ、と自分の体が地に沈む。
そのまま、薄れ行く意識の水底で、私は後悔した。
小町……家に誘って、ごめんなさい……。
*
ザァ、と花びらが風に舞う。
幻想的な死の空間が場を支配して、見る者に有無を言わせない威厳が、そこにはある。
死と同じ音の色をした桜が、ハラハラと花びらを散らす様は、まさに幻想の言葉に相応しい。
そこに、彼女がいた。
悲しそうな表情で桜を見上げている。ただ、それだけなのだ。ただ、それだけなのに、彼女の姿はすでに一つの芸術(アート)になっていた。
彼女が見上げるその横顔は幻想郷にある、どんなものよりも美しかった。
私は、その時すでに恋していたのだ。一目惚れだったのだ。
彼女の美しさに目を奪われて見つめていたら、彼女がこちらに振り返った。
そして、何よりも慈愛の篭った微笑みを浮かべていた。
それで私は完全に恋に落ちた。
*
「――ま! ――きえいきさま! 四季映姫様!」
「うん?」
視界に心配そうな顔をした紫と文が移る。
あれ……私……?
「よかった……。心配したんですよ? いきなり倒れるんですから」
「四季映姫様。あなたは小町のプロポーズの台詞を聞いて、倒れてしまったんですよ」
小町? プロポーズ……。
「あぁ!」
私は勢い良く体を起こした。
そうだ。私は小町がプロポーズをしたのを聞いて、それで余りのショックに倒れてしまっていたのだ!
「私が落ちてから、どれくらいの時間が!? あの二人はどうなったんですか!?」
「落ち着いてください、四季映姫様」
「落ち着いていられますか! 小町が! 小町が……!」
「あぁ、もう! 四季映姫様! 大丈夫です! 森近 霖之助は小町さんに返事をしていませんからっ!」
「えっ……?」
文がそう叫んだのを聞いて、私は不意に冷静さを取り戻した。
「小町がプロポーズしたのに、霖之助は返事をしていない……?」
「えぇ、その通りですわ」
紫も同意する。ということは――
「霖之助は、小町のプロポーズを蹴った。ということですか?」
もし霖之助が小町のプロポーズを蹴ったのなら、私はどういう反応をすればいいのだろう?
小町が籍に入らなくて、喜ぶ?
それとも、せっかくの小町の申し出を蹴った霖之助に、怒り覚える?
しかし、紫の様子から事情は少し違っているようだ。
「いえ……。霖之助さんは小町のプロポーズを蹴ったわけではありません」
「……どういうことです?」
「それは、私が説明します」
文がネタ帳を捲りながら説明を始める。
「四季映姫様が倒れた後、森近 霖之助はこう言ったんです」
*
「……どういう冗談だい?」
「冗談じゃない。これは本気だ。アタイはあんたのことが好きで、このまま一緒に暮らしたいと思っている」
「……君には、四季映姫様がいるんじゃなかったのか?」
「っ! ……四季映姫様とは喧嘩して、部下を辞めたって言っただろ?」
「そうか。そういえば、そういう設定だったんだね……」
「せ! 設定って!」
「違うかい? じゃあ、どうして時々三途の河方面の空を見ているのかな?」
「それは……」
「それは四季映姫様のことが忘れられないからだ。……どうして、嘘吐く? 僕と暮らしたいと言う? 君が暮らしたいのは、四季映姫様とだろ?」
「…………アタイじゃ、四季映姫様を幸せに出来ないからだ」
「どうして?」
「……あんたは知らなくていい」
「ここまで付き合わされているのに、『知らなくていい』はないだろ?」
「…………」
「……ふぅ。しょうがないな」
「……?」
「場所を変えるよ。きっと、そこなら教えてくれるだろう」
*
「……で、どうしたんですか?」
「二人は、今居るここに場所を移動したんです」
「ここ……?」
私はそこでようやく場所が違っていることに気が付いた。
鬱蒼と茂る森。そして、周囲の森とは明らかに異質な――
紫の桜。
「――! 無縁塚……!」
そして、小町と霖之助が、紫の花弁が咲き乱れているこの桜の木の下にいることに気が付いた。
「あの二人は……?」
「霖之助さんは何も喋っておりませんわ。ただ、小町の様子がおかしいですの」
「小町が……?」
紫の木にいる小町を見てみる。
紫の言う通り、小町はおかしかった。
呆然と食い入るように桜を見ている。霖之助なんて眼中に入れていない。ただ、見ている。まるで魂抜かれた人形のように。
「小町……」
「っし! 話が始まるみたいよ」
*
小町が木の幹を摩りながら、呆然とした口調で言う。
「……どうして?」
「何がだい?」
「どうして……ここに?」
「あぁ、それはね。風の噂で、此処が小町と四季映姫様。二人が初めて出会った場所だと聞いたからだよ」
「一体どこから……?」
「言ったろ? 風の噂さ。それより、ここなら言えるんじゃないか? 何で君は四季映姫様を幸せに出来ないのか、をね」
「…………」
小町は再び黙ってしまう。霖之助もそれ以上は何も言わず、ただ紫の花弁が周囲に舞い落ちる。
時刻はもう夕暮れに近かった。
それは青から赤へ。時折、オレンジや紫も交えながら、刻一刻と変わっていく。
そして、空が完全に紫に覆われた時、小町は口を開いた。
「……全ての始まりは、アタイが四季映姫様の弁当を届けに、是非曲直庁に赴いた時だった……」
*
「ふっふーん。ふっふーん……ん?」
廊下に歩いている時、二人の死神が会話が聞こえてくる。
「そういえば、さ。お前、四季映姫様とその同僚、小野塚 小町の話知ってる?」
「あぁ……。あれね」
「うん。あれだよ」
(あれ……?)
アタイは不審に思い、廊下の角に潜む。一体何が噂になってるんだ? アタイのはともかく、四季映姫様のことだったらとっちめてやる。
そう思い、二人の会話に耳を澄ます。
「つかさー。あり得なくね?」
「二人が相思相愛で愛し合ってること?」
「そうそう」
(あ、何だ。そんなことか)
アタイはすっかり安心して、警戒を解く。それにしても、相思相愛って……。私ならともかく、四季映姫様はそうじゃないでしょ……もう。
アタイはそう言いながらも思わずにやけてしまう。相思相愛。なんていい響きだろう。
けれど、思えばそこで警戒を緩めてしまったのが間違いだった。
「相思相愛はありえねーだろうけど、小野塚 小町はそうじゃねぇだろ」
「そうだな……つか、四季映姫様、可哀想だな」
(かわいそう……?)
「可哀想?」
「そうそう。だって、こういう噂が立ってるとさ、四季映姫様の閻魔としての威厳がまず落ちるだろ? で、そういう噂が立っているせいで、四季映姫様に男が全く出来ないんだぜ? 閻魔として、女として不幸としか言いようがないだろ」
(――っ!)
「あー、なるほどなー。ついでに、四季映姫様に百合疑惑が付いて、周囲から気味悪がれるだろうな」
「そうそう。まぁ、どちらにしたって、――四季映姫様が幸せになることはまず無いだろうな」
(――ッ!!!)
その後、二人は話題を変えて、下卑た笑い声を廊下に振りまいて去って行った。
アタイは、何度も何度もその言葉を否定しようとした。
けれど、否定すればするほど、その話は現実味が帯びてきて、私の頭から離れなくなってしまった。
考えに考えた。四季映姫様の未来。幸せ。笑顔。
そうして考えに考え抜いた結果――アタイは四季様から離れることを決意したのだ。
*
「……これが、ことの顛末だよ」
「……ふむ。ちなみに、僕の元に来た理由は?」
「男なら誰でもよかったんだ。アタイに男が出来ることによって、四季様との噂は完全に立たれるからね。まぁ……強いて言うなら、あんたなら無害そうだったから――が一番の理由かな」
「……あぁ、そうかい」
「気を悪くしたんなら謝るよ」
「――いや、僕よりももっと気を悪くさせて、謝らなきゃいけない人がいるみたいだね」
「え? ――! しきさ――!」
パンッ!
小町が私の名前を言う前に、私は小町の頬を思い切り引っぱたいた。
「四季映姫様が……説教をしないで、平手打ち……!」
後ろで文が驚愕しているようだけど、今は関係ない。私は、猛烈に怒っているのだから。
「四季様……」
「何でですか……」
「え?」
「何で……何で私に『好き』と言ってくれなかったんですか……! 何で一緒に乗り切ろうと思わなかったんですか……! 何で、私が小町のことを好きになっちゃいけないんですか……!」
「四季映姫様……」
溢れる涙が止まらない。もう、泣かないって紫の胸の中で決めたはずなのに。それでも、この溢れる思いを代弁してくれる液体を止めることは出来ない。
「小町……私は、あなたが好きなのです。小町が家を出てから、はっきりと、より自覚しました……。私は小町が居てくれないと、仕事出来ません。私は、小町が居ないと生きていかれません。私は……小野塚 小町が誰よりも好きです!」
「四季映姫様……。あ、アタイも……! アタイも四季映姫様のことが好きです!」
小町も顔をぐしゃぐしゃにして、私に想いをぶつける。
「四季様が家へ招待してくれた時、アタイは心が踊って、その日は眠れませんでした。四季様が布団に忍び込んでくれた時、アタイは誰よりも幸せでした。四季様と出店巡りをした時、ソフトの呪いを言わずに接吻をしたのはワザとでした。アタイは、それほど四季映姫・ヤマザナドゥ様。初めて逢った時から、あなたが好きです!」
その言葉は、今まで重圧によって鬱屈していた私の心を解き放った。
解き放たれたから、もう言葉なんてまどろっこしいものはいらない。ただ、こんなに愛しい小町を抱きしめたかった。
「小町!」
私が小町を抱きしめる。
「映姫様!」
小町も抱きしめ返して、そのまま、私と小町は抱きしめあった。
もう、失うものは何もない。
二人は一時期離れ、大切なものを学び、そして今再びこうして寄り添いあっている。
そう。きっと、これは試練だったのだ。
二人がより永く幸せになるための、試練。苦しいほど、相手が愛しくなる試練。
そして、私達はこれを乗り切ったのだ。
私達は、これで幸せになれる。一生、相思相愛で暮らせる。
これ以上、何がいるというのだろうか?
*
「……私達はお邪魔虫みたいね。帰りましょうか」
紫がそういうので、僕はようやく帰れるのか、と安堵した。ちなみに、さっき僕が言った、風の噂の提供主は、紫だったりする。
しかし、せっかく帰れるという事実に不満を言う者がいた。
「えぇ~。絶好のシャッターチャンスじゃないですか! それに四季映姫様には文文。新聞のトップを飾るためのネタ提供がむぐぅー!」
僕は水を差す天狗の口を封じる。こいつには空気を読むということが知らないのか。……いや、あえて読んでいないだけだろうな。
それにしても、僕は結局、小町の四季映姫様を想う気持ちに振り回されてるだけだった。
まぁ、別に小町が悪いわけではないけど、やはりそれでも徒労感が拭えない。僕は思わず声に出してしまう。
「はぁ……全く、今日は散々だったよ」
「ところで、霖之助さん?」
「何だい?」
紫が呼びかけて、条件反射的に返してしまった。
やれやれ、これじゃ、僕は紫の犬だな。と、苦笑せざるを得ない。
けれど、紫は胡散臭い笑顔を保ったまま、でも目は本気で僕に問いかけた。
「もしも、小町が本気でプロポーズしたのなら、あなたはOKしたのかしら?」
本気のプロポーズ……。
「……どうだろうね。まぁ、その時次第じゃないかな」
本気のプロポーズなんて、したこともされたこともない。まぁ、当たり前か。でも、経験がない以上、下手を言うわけにはいかない。だから、僕はこう答えた。
けれど、彼女は目を細め、かなり強めの口調で返す。
「なるほど。つまり、相手はこの際誰でもいい、と」
「いや、何でそうなるんだよ!」
紫の返答に、僕は思わず口調を強くして返してしまった。わけが分からない。いきなり変な質問をされたかと思えば、次は「誰でもいい」だなんて。全く、紫の思考は相変わらず読めない。
「気をつけなさいな」
「はい?」
「常に相手のことを想ってあげないと、いざというと時、その娘を傷つけることになるわよ?」
「……」
また唐突なことを言われて、僕は返す言葉が見つからない。
それは、あれか? もしかすると――
「……まるで、僕のことを慕ってる娘はいるような発言だね」
紫の口調からは、そういう風なニュアンスが感じられた。
けれど、紫はいつもの胡散臭い微笑に顔が戻って言う。
「さぁ? それはどうかしら?」
僕は紫の目を凝視する。
その目は、胡散臭く微笑んでいるものの、それが表情と合っていないことが分かる。彼女は僕の店の常連なのだ。これくらいのことは、分かるつもりである。
結構、本気の目をしているため、僕は素直に従うことにした。
「やれやれ……分かったよ。肝に銘じておく」
「うふふ。分かればよろしい。さて、帰りますか。天狗さんもそれ以上はさすがに危ないでしょうし」
「え――? うわっ! 大丈夫!? ごめん! 鼻まで覆ってた!」
妖怪でもやはり生き物。酸素が無くては生きていけないのだろう。けれど、彼女は驚くべきことに、カメラをしっかり構えたまま、呻きながらも呟いた。
「うぅ……しゃったーちゃんす……」
「あらまぁ。すごい記者根性。それなら、大丈夫ね」
紫がっくっくっく……と扇子を広げて口元を隠して笑う。
「……君と言う妖怪の怖さを改めて認識したよ」
「そう。よかったわね。それじゃ、帰りますか」
「あぁ……」
紫が扇子で空間を切り裂き、隙間を開ける。
僕は射命丸 文を抱えてそこ入ろうとする。
「と……」
「? どうしたのかしら?」
「いや、一つ忘れたことがあってね」
「?」
紫は分からないという顔をしている。あぁ、彼女はそんな顔も出来るのか。
貴重な情報を得ながらも、僕は紫の桜で抱きしめあっている二人に向かってこう呟く。
「……お幸せに」
「……くす」
後ろで彼女が笑ったのに気付きながらも、僕はあえてスルーして、隙間の中に入る。
「霖之助さん? 顔が真っ赤よ?」
「嘘っ!?」
「ふふ。嘘」
「……はぁ~」
「まぁまぁ、そんなぐったりせずに」
「…………」
紫は間違っている。僕が脱力したのは、紫に騙されたからではない。
けれど、僕にはそれを言うことは出来なかった。
というか、笑った時の顔が以外に可愛かった、なんて誰が言えるかっ。
*
紫たちが居なくなって、無縁塚には私と小町の二人っきりになる。
あぁ……小町と二人っきりで過すなんて、なんて幸せなのだろう。これから、始まる新しい生活に胸が躍る。
小町が私を起こす。いや、小町はもう起きていて、それで私は小町が作った朝御飯の香りで目覚めるのだ。
そうして、私は席について、小町が作った料理を食べる。
味噌汁の温かさで目覚め、ご飯の甘さで活力を得、小町の笑顔でやる気を出す。
仕事の時間が空いたら、小町も元へ向かうのだ。
小町はきっと、サボって寝ているだろうから、いきなり「小町!」って呼ぶ。すると、小町は飛び起きるだろう。私はそれを笑って、その後お説教をするのだ。もちろん、笑顔で。
あぁ……なんて、素晴らしい未来だろうか。これ以上に、一体何がいるのだろうか?
「四季映姫様」
小町が静かに話しかける。こういう小町は、いつも真剣な話をするのを、私はもちろん知っている。
「何ですか?」
「頼みがあります」
頼み? 私はもうこれ以上に必要なものはないと思っているが、小町はこれ以上何を望むと言うのだろうか?
「何でしょう?」
「その……えっと……」
小町がもじもじする。まるで、言いたいことはあるのに、言うべき言葉が見つからない。そんな感じに。
「……ふふっ。焦らなくていいわ。じっくりと、言葉を探しながらいいなさいな」
「えぇ……。あの……四季映姫様。わ、私と――――」
*
ガヤガヤと、裁判所内が騒々しい。まぁ、仕方ないだろう。私が裁判を仕切るのは、実に一週間ぶりなのだから。
私は騒々しい雰囲気を木槌で一喝する。
「静粛に! 静粛に!」
すると、傍聴席は素直に従ってくれて、すぐに静かになった。
私は周囲を見渡し、裁判を進行させる。
「えぇ。まず、この一週間休み続けたことをお詫びします。代行してくださった閻魔様。どうもありがとうございました。本日から、私がこの裁判の裁判長を務めます、閻魔のし――」
途中で間違いに気付き、私は首をブンブン振って、自分の間違いを正す。
そうだ。私はもうただの四季映姫ではない。私は――
「失礼しました。閻魔の“小野塚・四季映姫・ヤマザナドゥ”です。それでは、早速裁判を始めたいと思います。被告人、前へ!」
私は一週間のブランクを取り戻すべく、力強く、薬指に指輪が輝く左手を振りかざして、被告人を召喚した。
<Fin>
最後も「小野塚」と「四季」で名字が二重になっていておかしく思います。
特に最後の小野塚・四季映姫・ヤマザナドゥは…おかしいなぁと…。
伊藤さんと佐藤さんが結婚して、名字が「伊藤佐藤」になったらおかしいですよね?
それと同じです。
良いこまえーきをありがとうございました♪
本家に投稿される日もお待ちしています。
わざわざ指摘するほどでもないだろうに
名字:四季
名前:映姫
役職名:ヤマザナドゥ(確か楽園の閻魔的な意味?)
ということを知らなかっただけではないかと。
それはともかく面白かったです。